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ソーシャル・ジャスティス基金(SJF)アドボカシーカフェ第69回開催報告

あなたがある日突然、外国人だと言われたら

―インド・アッサム州における市民権問題―

 

 

 2021年5月15日、木村真希子さん(津田塾大学教授/ジュマ・ネット運営委員)と日下部尚徳さん(立教大学准教授/ジュマ・ネット運営委員)をゲストに、大矢詩季さん(石川県の高校2年生)と伊藤紗輝さん(静岡県の高校3年生)をコメンテーターに迎え、土肥潤也さん(NPOわかもののまち代表理事)のコーディネートによりSJFはアドボカシーカフェをオンラインで開催しました。
 

 インドのアッサム州は日本でもよく消費されている紅茶の生産地です。そのアッサム州で、市民権登録の更新が実施されましたが、190万人が登録されず、コロナ禍における給付金の対象外になるなど排除が進んでいることが木村さんから報告されました。不法移民を捕まえる数値目標が設定される中、反論しにくい貧困層や女性や子どもなどが外国人と宣告される対象になりやすくなっています。

 「不法」移民という言説には差別感情が含まれます。ミャンマーのラカイン州に今のバングラデシュがある地域から人が移動していった背景には、英国植民地支配や戦争による混乱などがあることが、日下部さんから説明されました。また、同じ出自の移民であるミャンマーのロヒンギャの問題とインド・アッサム州の問題に通底することも分析もされました。ミャンマーにおいて国軍によるロヒンギャの排除を認めてきたのは国民の差別意識であり、国軍によるクーデターによって民主化を求める国民が排除されている今に至って、そのことに気づいた国民がロヒンギャや他の少数民族に反省の意を表しています。少数派の宗教で、異なる肌の色で、言葉の壁がある人と、日本で私たちは共生できるのか、自分の問題としてどうとらえるかと日下部さんは問いかけました。

 「あなたの声と懸念が私たちの痛みと苦しみを減らしてくれることを願っています」と、ジュマ・ネットが連携しているインドの若者はメッセージを寄せました。ジュマ・ネットは、声を上げ始めたインドの人たちとともに、市民権問題の被害者のネットワーク化や法的支援、子どもたちの教育支援、生活支援に取り組んでいます。

 いままで想像もできなかったこと、遠い出来事に思えていたことでも、「世界で共に解決しなければいけない問題」ととらえられるかは、自分がこの問題を考え、共有し続けることからだとの認識が共有されました。みんながその問題を知っていて、かつそれがいけないことだと思うことはすごく強いことだと、木村さんは強調しました。

 詳しくは以下をご覧ください。

Kaida SJF

 

土肥潤也さん) 本日はコメンテーターとして高校生の2人に参加してもらっています。今回のテーマは馴染のない方が多いかと思います。こういった国際的な問題についていろいろな分野の人たちが対話することが今回の企画の趣旨の一つでもありますので、高校生からの率直なコメントや質問を皮切りに対話を深めていければと思います。

 

――木村真希子さんのお話―― 

 最初に簡単に自己紹介をしたいと思います。私はインドの北東部、アッサム州周辺、とくに民族問題に興味を持って、ずっとマイノリティの人たちの権利に関心が高く、大学院生のころから権利を訴える活動を支援したり、今日お話しするジュマ・ネットではバングラデシュや周辺地域の少数民族の人たちの支援活動をしたりしてきました。

 アッサム州の問題は2001年位から現地に通って取り組んできました。ただ以前は自分の研究として行ってきたのですが、今回お話しする市民権問題は2017年・18年位から本格化して、ジュマ・ネット代表の下澤嶽さんが現地に行ったこともあって、ジュマ・ネットとしても何かできないかと支援を開始しました。

 今日は、どんな問題があるかお話したいと思います。

 

 「私は2009年にいきなり警察がやってきて『不法侵入した外国人だ』と言われて逮捕され、そのまま10年間拘留されました」。

これは20年の2月、昨年コロナが本格化する前に最後にインドに行けた時に話せた女性との会話です。

 アッサム州では判明しているだけでも既に11万7000人が外国人と宣告され、うち1000人以上が拘留所に入れておかれるということが起きていました。

 その背景についてお話しした後に、それは人々にどのような影響を与えているのかを中心に紹介したいと思います。

 

植民地支配による移民政策 独立後の反移民運動、全国市民登録簿による移民排斥へ

 アッサム州というのは歴史的な経緯があり、不法移民が入ってきている、とくにバングラデシュからたくさん人が入ってきているという根強い反感があります。

 アッサム州は紅茶でご存じかと思います。アッサム州はインド北東部で飛び地のような地域になっていて、間にバングラデシュがありますが、西のパキスタンとあわせ3つとも植民地時代は一つのイギリス領インドとして統治されていました。ところが、イスラム教徒の国「パキスタン」要求が起こり、その影響で今バングラデシュの地域は東パキスタンとしてインドから分かれたために、アッサム州はインドの飛び地のような形になっています。

 インドのアッサムは植民地統治され始めたころから、お茶の木が発見されたことにより、イギリス人たちがお茶を中国から買わずに済むように茶園を開発し始めます。広大な土地を買い占めて土地の住民を追い出しましたが、茶摘みをする労働力が必要なので、移民をたくさん他の州からも連れてきました。茶園の中で働いている人たちは他の州からの人やネパール人が多くいましたが、それ以外にも、農民としてお米や麻を作る人たちとして、お隣の東ベンガル(現在のバングラデシュ)からたくさん移民が連れてこられていました。イギリスから独立時のアッサム州の人口は約40%位がアッサム州の外から移住してきた人たちでした。

 土地の人たちは移住者を自分たちと違うと。植民地化以降に来た人たちは「よそもの」であるという感覚を持っています。インド独立時のアッサム州人口のうち、約25%はベンガル地域からやってきたイスラム教徒(ムスリム)の人たちだと言われています。重要なポイントは、独立した1947年以前は同じ英領インド内の移動だったのですが、独立以降は外国から来た人という扱いになってしまいました。来た年によって扱いが異なることからも混乱を生み出す一つの背景になっています。

 独立後に、何度か大きな反移民運動が起きました。とくにムスリムの人たちが対象となった、1979年から85年位に大きな運動が起きました。83年には暴動が起きて、ムスリムの人たち2000人位が亡くなるということもありました。その後、インド政府とアッサム州はいろいろ協議をして、1971年までにアッサムに来た人たち――1971年というのは東パキスタンからバングラデシュとして独立した年――は移民として受け入れるけれども、それ以降に来た人たちは追い出しましょうということになりました。

 ところが、その後もずっと移民が入ってきているのではないかという問題がくすぶっていて、それが再燃して今回お話する「全国市民登録簿」(NRC)――市民の名簿、これを基に外国人なのか市民なのかを見分ける名簿――を作成することになり、その更新作業でいろいろ問題が起き、名簿が更新された時に実に190万人の人たちが名簿に登録されなかった。3290万人の人たちがアッサム州生まれの市民だと登録申請したのですが、うち190万人がきちんと証明する書類が無いですねということで登録されなかった。

 この人たちが本当に外国人なのかというと、そうではなく、インド生まれの市民なのに書類不備のために登録されなかったのではないかという懸念があり、今日の問題に至っています。

Kaida SJF

 

 さて、「外国人として拘留される」とは何を意味するのか。

 NRC(全国市民登録簿)への登録問題が起きる前から、警察がやってきて検挙し、外国人だと宣告されて捕まえて拘留するということがやられていました。冒頭で紹介した、警察に外国人として捕まって10年間拘留された人は、その一人です。彼女のように捕まってしまった人やその家族にどのようなことが起きるのか。

 彼女には夫と3人の子どもがいましたが、彼女が拘留されている間、夫は精神的に病んで働けなくなり、子どもは親戚に預けられ、長女は働きに出ながら家族の面倒を見たりしていました。2019年に国の方針が変わって3年以上拘留された人は釈放されることになり、彼女は12月に帰ってきましたが、夫は少し前に死亡してしまっていたそうです。

 拘留される環境がかなり劣悪なので、多くの人が病気になったり亡くなったりしています。また精神的な影響も大きく、いつ出られるかわからないために負荷がかかって精神的におかしくなってしまう人も多く、彼女はよく眠れないし食欲もないということでした。

 仮釈放の段階なので、釈放されても毎週警察署まで、逃げていないことを証明するため登録しに行かなければいけないのですが、3時間位かかる距離なので非常に負担だということでした。

 「もう夫もなくし、何もかもなくした。政府には全て返してほしいと伝えたい。いまは生計手段がないので、釈放された時に村人たちが寄付してくれた食料で何とか賄っている」ということでした。40歳の女性です。

 

洪水や河岸浸食が頻発する地域に住む人びと 外国人だと疑われ拘留される実態

 背景を説明したいと思います。この人たちが住んでいるところがどのような所か、どうしてこういうことが起きるのか、両方につながることです。

 アッサム州の真ん中に非常に大きなブラフマプトラ河が通っています。毎年、洪水が起きています。農民にとっては、水が豊富なために作物がよく取れますが、洪水の害が非常に大きい河です。

 移住してきたムスリムの人たちはこの河岸、河川地域に住んでいる人たちが多いです。というのは、洪水がある地域にはもともとアッサムに住んでいた人たちはあまり定住していず、洪水がない地域で耕作をすることはありますが家を構えている人は少なかったので、河川地域は使われていない土地だということでイギリス政府が移民の人たちに払い下げていったからです。洪水の害がある所は逆にすごく作物がとれるので、そこに人々は住み着いて生計を立てていたわけです。

 ただ、この辺りは洪水があるだけでなく、河岸浸食といって、村や土地が沈むことが起きるのです。河の流れが変わると、土地が削られて沈んでいきます。当然そこに人が住んでいた所や田畑があるのですが、お構いなく沈んでしまって、向こう岸側に中州(チョル)が形成される。バングラデシュでもよくあることですが、アッサム州でも土壌がすごく柔らかいためによく起きています。村ごと沈む、家が何件も沈むということが日常茶飯事で起きています。

 そういう土地なので、家が無くなると他の場所に仮に家を建てて、稼ぎ手は出稼ぎに行って、待っている間に自分たちが元いた所にああいった中州ができてくると、戻る。何年か待ってできた中州は確かに肥沃な土壌で、作物もよく取れる。

 そういう形なので、非常に不安定ですし、いろいろな書類をきちんと整えて保持しておくという暮らしではないわけです。また、出稼ぎに行けば、「おまえ、どこから来たのか。外国人だろ」と嫌がらせにあったりします。

 こういう層の人たちが外国人だという嫌疑をかけられて拘留されることが多いのです。このように中州あたりに住んでいる人たちがものすごく影響を受けています。

 

 拘留された人たちの話を聴いているといくつかの共通点が浮かびます。

 自分たちはインドで生まれた。自分の親もそうだと。心当たりもないのに、ある日突然、外国人審判所から呼び出されて、身元を証明するよう言われて、もしくは外国人と宣告されて逮捕されてしまう。

 裁判みたいなものをやるはずなのですが、本人に知らされないまま行われ、多くのケースで外国人だと言われます。

 本人だけでなく、生活費や稼ぎ手を失って、家族全体の破滅や離散につながるケースが多いですし、本人も精神的・身体的に不調をきたします。また、配偶者の人が精神的にやられてしまって自殺したり亡くなったりするケースも多いです。

 裁判をするわけですが、お金もかかるので、運よく釈放されてもほとんど蓄えがなかったり借金が残っていたりする人が多いです。

 2019年後半以降に仮釈放される人たちが少しずつ出てきて、こういった拘留の実態や審判のずさんさが明らかになってきています。

 今までは拘留所は刑務所内に設置されている位であまりたくさんの人を拘留できなかったのですが、いま収容人数を増やすために新たに10の拘留所を建設しています。例えば西部のゴアルパラ県に建設中の拘留所は3000人位を拘留できる大きな施設ですが、今はコロナ患者の隔離施設として使われているそうです。

 

市民に登録されなかった190万人 コロナ禍給付金の対象外 移民出自や女性が多数  

生計手段の喪失や家庭内暴力の増加等の被害拡大  

 先述の全国市民登録簿(NRC)の更新作業は2013年から始まっています。まだNRCは確定していませんが、登録している過程から、人々の間に、自分たちが登録されないと拘留されるのではないかという恐怖が広がっていて、自殺をしたり精神病になったりする人がたくさんいます。

 NRC公開の結果は190万人の人たちが登録されなかったのですが、そのうち約4分の1、約50万人が移民出自のアッサム州西部・中部で暮らすムスリムではないかと言われています。

 NRCの登録から女性が多く排除されました。女性は証明書の問題で、父親との関係を立証することが難しく、登録されていない事例が多いです。40歳代のある女性は、登録の際には証明書をそろえたり、審判所に行って自分たちの関係を説明したりしないといけないので、非常にお金を使った、日本円にして1万円位のお金をもう使ってしまったということです。その旦那さんと7人の子どもたちは登録されたが、彼女と長女は登録されなかった。

 旦那さんは、
 「NRC自体はよいことだと思っている。なぜなら、今まで都市でサイクル・リキシャ引きをしている時にバングラデシュ人だとさんざん嫌がらせをされたが、登録されれば自分はインド市民だと証明できるから。
 そうやって期待を持って登録に協力してきたのに、妻と娘が登録されていないのは理不尽だ。妻と娘が連れていかれるのではないかと思うと出稼ぎに行けず、日々の暮らしに困っている。
 今回のことで教育の大切さがわかりました。自分は教育がないので、書類を出すのも人に頼んだりしてお金を余分に使ってしまった。だから子どもには教育を受けさせたい」
 と言っています。

 NRC(全国市民登録簿)に登録されなかった人たちの現在までの被害として、もうだめだと思って自殺してしまったり、精神的な病にかかったりしています。生計手段の喪失や、子どもたちの教育にも影響を及ぼしています。また、プレッシャーを受けるとそれが家庭内に向かうこともあって家庭内暴力が増えたりしたことも指摘されています。

 

 2020年以降の現状は、コロナ禍と政治的な影響により、NRC更新後のプロセスが停止していることがあります。NRC登録拒否の理由が書かれた通知が発送されるはずが未通知です。また、(市民の登録が更新されなかった人たちの数が)「190万人は少なすぎる」と、アッサム州政府や運動団体は再検証を要求しています。

 更新プロセスが停止している間にも、市民に登録されなかった人たちはコロナ禍でのロックダウンに伴う給付金が得られず実質的に市民権の停止はすでに始まっていて、拘留の恐怖におびえています。

 

 

――日下部尚徳さんのお話――  

ミャンマーのロヒンギャ問題とインド・アッサム州の移民問題に通底することは

 いま木村さんから、アッサム州に暮らすベンガル語を話す人たちがNRC(市民登録簿)に登録されないというお話をいただきましたが、実は同じように市民権が奪われて困っているベンガル語を話す人たちがいます。かれらは、ロヒンギャ難民と呼ばれ100万人がバングラデシュに避難しています。私からは、アッサムの問題とロヒンギャの問題を比較する形でお話したいと思います。

 これら二つの問題はインド亜大陸の東側で起きている問題です。その中でも、アッサム州はバングラデシュから北側のお話でした。一方でバングラデシュの南側、ミャンマーのラカイン州に暮らすベンガル語を話すムスリム(イスラム教徒)は自分たちのことを「ロヒンギャ」と呼んでいます。バングラデシュと同じベンガル語とは言っても、バングラデシュでも南側の一部でしか話されていない方言なので、スタンダードなベンガル語とはかなり異なる言語です。ダッカ(バングラデシュの首都)で育ったひとは理解できません。このようなベンガル語の一方言を話す人たちがミャンマーに住んでいる。その人たちが自分たちのことをロヒンギャと呼んでいます。

Kaida SJF

 

差別か共生か 少数派の宗教、異なる肌の色、言葉の壁 

 ロヒンギャの人たちは長年差別されてきました。その理由は大きく3つあります。

 1つ目の理由は、彼らがイスラム教徒だからです。宗教の観点から両国を比較してみましょう。バングラデシュはムスリムが9割を占め、仏教徒は1%にも満たない国です。一方で隣国ミャンマーでは、国民の9割が仏教徒で、イスラム教徒は5%にも満たない少数派です。このミャンマーにおいて少数派であるイスラム教徒の中にロヒンギャの人たちは入るため、差別の対象になりやすい。仏教徒が多数派の中で、イスラム教徒は自分たちの声をなかなか上げられない状態があるわけです。

 ロヒンギャが差別される2つ目の理由は、彼らがインド系だからです。ミャンマーの多数派の人たちと、ロヒンギャの人たちとの間には、顔立ちや肌の色に明らかな違いがあります。こういった見た目の差異も差別の要因になっているのです。

 3つ目の理由としては、ビルマ語が上手く話せないということが挙げられます。ロヒンギャの人たちが日常生活で使用するのはベンガル語です。つまり、ミャンマーで多数派の人たちが使っているビルマ語を一生懸命勉強せずとも、自分たちの生活は十分に送ることができます。したがって、ロヒンギャはビルマ語が上手く話せない、という問題が生じます。

 外部の視点から見ると、「宗教が違うから、肌の色が違うから、言葉がしゃべれないからといって差別してよいのか」と思いますよね。ただこの時、「では自分たちはどうなのか?」についても考える必要があります。例えば、日本語が上手く話せず、肌の色が異なり、しかもイスラム教徒でお祈りしている人を日本で見かけたと想像してください。一緒に暮らす存在として、日本社会が彼らのことを快く受け入れられているでしょうか。振り返ってみると、日本でも多くの問題がありそうだと思えませんか。

 

 このような理由から差別の対象になっているロヒンギャの人たちですが、アッサム州との一番大きな違いは、彼らが既に国から追い出されてきているということです。現在ミャンマーでは、国軍によるクーデターが続いていますね。民主化を求める人たちが必死の抵抗を続けていますが、このクーデターを起こした軍の人たちが、ロヒンギャをバングラデシュに追い出すということを長年行ってきました。

 現在、バングラデシュには100万人近くのロヒンギャ難民がいます。そのきっかけとなったのは、2016~2017年8月、ミャンマーの軍がロヒンギャの村を焼き討ちにしたことでした。自分たちの村が焼かれてしまったロヒンギャの人たちは、川を渡りバングラデシュに避難せざるを得ませんでした。現地に行くと分かりますが、この川は対岸が見えないほど広い川です。これを渡るのがいかに命がけか。しかも、軍に銃で撃たれたロヒンギャも少なからずいます。国軍の襲撃により重傷を負った状態でバングラデシュに避難し、バングラデシュで足を切断する手術をして一命をとりとめたロヒンギャもいました。

 このように、ロヒンギャの人たちは命がけの避難の末、バングラデシュで難民として暮らしています。2016~17年以降に避難してきたロヒンギャだけでも、約70万人と言われています。ロヒンギャ難民の総数、約100万人という数は、仙台市の人口と同じくらいです。膨大な数の人々が、突如軍に追いやられ、バングラデシュに避難せざるを得ない状況が生まれています。

 難民発生当初はバングラデシュに来たものの何の支援も得られず、人が通るのを路上で待っているロヒンギャが大勢いました。窮状に同情したバングラデシュの人たちが、お金やお米を寄付してくれることを待っているのです。急激に難民が増えてしまったことから、配給の現場も非常に混乱していました。支援が必要な人にきちんと届かない状況が生まれ、乳幼児や高齢者をはじめとする「失われるべきでない命」がこの時期に多く失われたと考えられています。

 難民が避難してきたバングラデシュの村々では、ロヒンギャたちは雨風をしのぐためにビニールシートでテントを作り、自分たちの生活を成り立たせていました。きれいな飲み水は不十分で、衛生環境も良いものとは言えませんでした。

 こうした状況が2016年~2017年に発生したことを受けて、ジュマ・ネットは現地でのトイレ支援を行いました。

 

つくられた「不法」移民 差別言説の根底にあるもの その歴史的背景

 ミャンマーで生活するロヒンギャの人たちは、「バングラデシュからの不法移民だ」と言われ迫害されています。ロヒンギャは元来ミャンマーにいるべき人ではない、という主張ですね。この点は、アッサム州のベンガル人にも共通します。つまり、「この人たちはアッサムやラカインにいるべき人ではない。バングラデシュから不法に来た人たちだ」と言われ、差別の対象になっているということです。

 では、彼らは本当に不法移民なのでしょうか。ロヒンギャの人たちはいつからミャンマーのラカイン州で生活しているのか考えてみましょう。一般に、以下5つのパターンに分けられます。

 1つ目のパターンは、15世紀にまでさかのぼります。当時、貿易のためムスリムがラカインに来ていました。その人たちの一部がラカインに住み着いたのです。

 2つ目は、19世紀以降の移民です。バングラデシュ、ミャンマーともにイギリスの植民地下にあったため、人の移動が自由に行われました。また、イギリスが食料生産量増加のため人を移動させる政策をとった際、ミャンマーのラカイン州にも移ってきた人たちがいます。

 3つ目のパターンは、第2次世界大戦直後の混乱期です。混乱の中、今のバングラデシュからラカイン州へ移動した人たちが報告されています。

 4つ目の契機として、バングラデシュ独立が挙げられます。バングラデシュは1971年にパキスタンから独立し、「東パキスタン」から「バングラデシュ」という名前に国名を変えました。この独立戦争から逃れる人たちが、アッサム州だけでなくミャンマー・ラカイン州の方まで移動したというわけです。

 最後、5つ目のパターンは、1970年代後半から80年代にかけてです。当時のバングラデシュは、国全体が極めて貧しい時期にありました。政府により、貧しいベンガル人(バングラデシュに住みベンガル語を話す人)をミャンマーのチッタゴン丘陵やラカイン州に移住させる政策がとられていましたし、人々の移動も流動的でした。つまり、貧しい人たちが自ら生活の場を求め移動していたのです。

 これらのうち、2つ目・4つ目・5つ目のパターンは、インド・アッサム州にも共通します。

 19世紀以降の英領期の移民としては、2通りの動きがありました。ラカイン(現ミャンマー)の方には、現在バングラデシュがある地域から稲作労働者として人が移動していきました。一方、同時期のアッサム(現インド)には、お茶・ジュート栽培や食料増産のための労働力として人が移動していったのです。

 1971年の第3次印パ戦争(バングラデシュ独立戦争)期に、争乱から逃れる人々がラカインやアッサムへと移動しています。また70年代後半から80年代にかけても、貧しいベンガル人がアッサムやチッタゴン丘陵、ラカインの方へ移動しました。

 以上のような様々な時代背景のもと、極めて長い時間をかけ、人々は自分たちの生活を少しでも良くしようと周辺に移動していきました。一部の人はアッサムの方へ移動し、一部の人はミャンマー・ラカインの方へ移り住んだのです。

 

 ここで、ジュマ・ネットの活動を紹介させてください。先ほど、70年代から80年代にかけて貧しいベンガル人がチッタゴン丘陵に移動したとお話ししました。このチッタゴン丘陵はバングラデシュの一部ですが、実はベンガル人(いわゆるベンガル語を話すインド系の人)ではなく、仏教徒もしくは在地の宗教を信仰するモンゴロイド系の人が住んでいる地域です。貧しいベンガル人が70年代から80年代にかけて、政府の政策のもとこの地域に入植、移動していきました。

 ここで、先住民族として住んでいた人たちと、後から来たベンガル人との間で、紛争に近い状態が生まれてしまいました。先住民族の人がもともと持っている土地を、後から来たベンガル人が奪ってしまう構図です。そのため、このチッタゴン丘陵は長らく、紛争状態にありました。

 ジュマ・ネットは、この紛争を止めるための活動に長年取り組んできました。

 その後、2016~17年に、今度はロヒンギャ難民の問題が発生しました。ミャンマーで生活するベンガル人がバングラデシュに避難してきたということで、ジュマ・ネットはロヒンギャを支援する活動も展開しました。

 さらに今度はインドのアッサムで、ベンガル語話者が急に市民権を奪われるという状態が起きていると知り、現在は木村先生を中心に、アッサムでも活動を展開しています。

 

 最後に、アッサムおよびラカインでの差別についてお伝えします。両地域に住むベンガル人は、基本的には同じような差別を受けています。

 ラカイン(ミャンマー)において、ベンガル語を話すイスラム教徒の人たちは、次のような差別発言を経験しています。「イスラム教徒は、仏教の国ミャンマーを乗っ取ろうとしている。だから出て行け。」、「イスラム教徒たちは、ミャンマーからの分離独立を目指している。それならば、ミャンマーから出ていくべきだ。」、「ロヒンギャはテロリストだ。」と。

 一方、アッサム(インド)での差別発言は以下の通りです。「ベンガル人は後からやって来て、自分たちの土地や仕事を奪っていった。」、「アッサムの言語とは異なる言語を話すよそ者だ。」、「このアッサムという地域を勝手に開発して、その利益だけを持っていくような存在だ。」実のところ、アッサムを開発した主体は、植民地統治をしていたイギリスです。しかし、植民地政策の一環としてバングラデシュに住んでいたベンガル人たちが動員されたことにより、ベンガル人がこのような差別や迫害の対象となってしまいました。

 アッサムとラカインで共通するのは、「不法移民だ」、「よそものだ」、「外国人だ」という意識のもと、ベンガル人が長年差別されてきた点です。それがアッサムでは市民権をはく奪するというところまできた一方、ラカイン州では市民権を取り上げられただけでなく、軍が武器を使ってベンガル人をバングラデシュ側に追い出す、ということにまで発展してしまいました。

 このような問題は程度の差こそあれ、同じ人間である以上、日本社会においても起こりかねないことです。では、日本語をうまく話せず、肌の色も異なるイスラム教徒が自分の町に大勢来た時、その人たちと共存する準備は私たちにできているでしょうか。もちろん言葉では「共存しましょう」、「一緒になってやっていきましょう」と言えるかもしれません。しかし例えば、自分の子どもは保育園に落ちた一方、隣に引っ越してきたベンガル人の子どもは保育園に入ることができた、という事態が起きた際に、「ベンガル人とも日本で一緒に暮らしているのだ。自分の子どもが落ちたのは仕方がない。」と思えるでしょうか。

 このようなことを考えていくと、実はアッサムやラカインの問題は、我々日本に暮らす人たちにとっても他人事ではないと思います。

 

 

――インド・アッサム州住民の声(木村真希子さんによる紹介)――

木村さん) ありがとうございます。歴史的に今バングラデシュと言われているところから出移民が多く、それが地域全体に影響を及ぼして民族問題等があったということが少しわかっていただけたと思います。

 ここで私からは、ジュマ・ネットが現在行っている支援のことと、現地からのメッセージを共有したいと思います。

 

声を上げ始めたインドの若い世代と連携 ネットワーク化や法的支援、教育支援、生活支援を柱に

 この地域のムスリムの人たちはインド・アッサム州においても声を上げることが非常に難しく、なかなかムスリムを代表するような組織そのものがあまり無い。2000年代の始めに調査を始めた頃には、そういう人たちを探し出して話を聴くこと自体が難しいところがあったわけですが、だんだん2010年代位から30代位の若い人たちがそういうことをやり始めています。

 私たちのパートナーの平等研究センターは2014年の設立で、当初は洪水対策や、子どもたちが勉強できるような場所や図書館をつくったりしていました。その代表のアブドゥル・カラム・アザドさんはこのNRC(全国市民登録簿)問題について新聞に投稿するなど積極的に活動していたこともあって、ジュマ・ネットが何かできないかと思った時に相談して以下のような3つの柱を考えて支援を始めました。

 一番の核として、もうすでに拘留されてしまっている人たち等が集まって問題を共有してネットワークをつくってお互い助け合うことや、国内もしくは国際的な法的な訴えを起こすことを支援しようと考えていたのですが、このコロナ禍でいま止まってしまっています。いろいろなところに散在している人たちを一つの場所に集めることが難しいのです。

 今は他の二つ支援を主に行っています。

 一つは教育支援です。子どもたちも非常にこのNRCのプロセスで影響が大きかった。というのは、市民権の登録現場で動員された人たちが教員だったので、学校の教員が駆り出されてしまうと学校がストップしてしまうことがありました。もちろん精神的な影響もありました。そこにさらにコロナ禍が重なって学校がロックダウンしてしまうとなると、この子どもたちはほとんどスマホ等を持っておらずオンラインの何かへのアクセスがないので、ドロップアウト寸前だったのです。いまは臨時雇いの教員を訓練して、各地域で補習授業をすることを行って、300人位を支援しています。

 もう一つは生活支援です。手工芸品づくりのトレーニングをして販売するということをやっています。アッサム州では「ケタ」といいバングラデシュでは「カタ」や「ノクシカタ」という刺繍が伝統工芸品としてあって、それを女性たちの間で訓練してベッドカバーやクッションカバーなどを作っています。これがけっこう好調で、いろいろな所で販売を広げています。やはりコロナ禍でのロックダウン中に稼ぎ手の男性がいろいろな所に行けなくなる中で、刺繍はロックダウンで家にこもって他にやることが無い時にできる細かい作業で相性がよく、しかも子供の面倒も見ながらできるということで非常に好調です。「アムラパリ」というグループ名をつくっていて、「私たちにもできるんだ」という意味です。始めは刺繍も拙い感じだったのですが、どんどん綺麗になっています。

 

 この問題を知っていろいろ考え、何か自分もしたいと思ってくださる方もいるかと思います。まずは問題についてよく知ってもらえたらなと思います(参考サイト文末に掲載)。また、ジュマ・ネットは今後も活動を継続していきますので、支援いただける方は会員になっていただければと思います。

 先ほど、我々の問題としてとらえられるかという話をしましたが、実はいま日本でも「不法入国者」の入管施設での収容とその法律の改正問題があって、入管法改悪反対キャンペーン等をやっていますのでよかったら見ていただければと思います。

 

「あなたの声と懸念が私たちの痛みと苦しみを減らしてくれることを願っています」

 最後に現地の平等研究センター代表のアブドゥルさんからビデオメッセージがありますので紹介いたします。

Kaida SJF

(写真=平等研究センター代表 アブドゥル・カラム・アザドさん)

 

アブドゥルさん) こんにちは。みなさんにお話しできる機会に感謝します。

 アッサムでは、多くのムスリムが『よそもの』、『不法入国者』と呼ばれています。多くの人が市民権を疑われ、外国人審判所で市民であることを証明しないといけません。現在までに、13万人の人がすでに「外国人」と宣告され、無国籍になっています。すでに多くの人が外国人拘留所に送られました。

 拘留所での扱いがひどいことも問題ですが、多くの人は「拘留されるのではないか」ということに恐怖心を感じています。自殺をする人、精神を病む人が多くいます。うつや不眠、食欲がなくなってしまうことに悩まされる人は膨大な数です。

 今まで、100の外国人審判所がありましたが、もう100箇所が新たに設置されました。190万人の人々の市民権の確認のためです。新たに苦しむ人が増えることは確実です。

 希望がない中で、さらにコロナ禍という感染症が蔓延しています。この状況で市民権が無い人々は、何もサポートを受けられないのです。

 市民権問題に苦しめられている多くの人は何とか日々の生活を賄ってきた人々です。彼らはいま、外国人審判所や裁判のことを心配するだけではなく、コロナ禍で失った収入のことも考えなくてはいけません。医療へのアクセスも大変です。NRCに登録されなかった人々は、こうした状況に苦しんでいます。

 新たな政治的変化もあります。4月に州議会選挙があり、アッサム州に新たな政権(インド人民党)が樹立されました。新州首相は最初の記者会見でNRCの再検証を行うと明言しました。これは、NRC名簿に掲載された人々のうち何割かが再度、大変な登録手続きを行わなければいけないことを意味します。さらに多くの人が外国人審判所にかけられ、そして拘留されるのではないかと危惧します。

 最後に、みなさんが、そして国際社会ができることをお伝えします。私の地域の人々は苦しんでいます。声を上げ、お互いに助け合い、何とかこの危機を乗り切ろうとしています。しかし、排斥を推し進めようとする力と比べて、私たちの力はまだ弱いのです。

 あなたたちは、私たちの声を届けることができます。声をあげ、懸念を伝えることで私たちを助けることができます。私たちの政府に向かって、今起きていることは間違っていると言うことができます。マイノリティを排斥することは間違っていて、政府はそれを止めるべきだと言うことができます。あなたの声と懸念が私たちの痛みと苦しみを減らしてくれることを願っています。(木村さんの字幕)

 

木村さん) アブドゥルさんの声が皆さんに届いたことを確信して私の話を終わりにしたいと思います。

 

 

――パネル対談―― 

大矢詩季さん) こんにちは。石川県の高校2年生です。初めて聞くことばかりなので今頭が混乱していますが、頑張りたいと思います。 

 

伊藤紗輝さん) こんにちは。静岡県の高校3年生です。コメンテーターは自分も初めてやることなので上手くできないかもしれませんが、よろしくお願いいたします。 

 

土肥潤也さん) 二人は自分でやってみたいという感じで手を挙げてくださったと思うのですが、ふだん学校にいたら馴染の無いテーマかと思います。どの辺にビビッときたのか聴かせてもらえますか。

 

大矢さん) 私は将来、文化人類学の分野に進みたいと思っていて、民族の歴史などに興味があって、でも人権という目線で考えたことが無くて、今まで美しい文明などに惹かれていたので、こういう現代の問題に目を向けてみるのは大事だなと思って参加しました。

 

伊藤さん) 自分はもともと社会という勉強自体が好きで、小学生のころから日本や海外のことをニュースで見たりするのが好きで、最近も海外にいる日本人の方が日本国籍を取れないとニュースで見て、似たような問題かなと思って興味を持ったことがきっかけでした。

 

土肥さん) 最初、率直に話していただければと思いますが、お二人の報告や現地の方からの動画を見ていただいて、どういうふうに感じましたか。

 

伊藤さん) 一つお聞きしたのですが、「ロヒンギャ人」と「ベンガル人」と出てきましたが、この二つはイコールのようにとらえて問題ないですか。

 

国民にふくまれる民族をだれが決めるのか

日下部尚徳さん) 「ロヒンギャ」という民族があるのか、ないのかというのは、それを誰が決めるのかという問題が一番大きく関わってきます。ロヒンギャの人たちは、「自分たちはロヒンギャ民族だ、ロヒンギャ人だ」と言うわけです。ですけれどもミャンマーの人たちは、「ロヒンギャという民族は存在しない、あの人たちはバングラデシュから来たベンガル人の不法移民なんだ」という言い方をします。

 歴史をさかのぼれば、15世紀にはラカインにベンガル語を話すイスラム教徒の人たちはいたわけですけれども、どこまでさかのぼるのかは難しい話になってきます。いつからいた人がミャンマー人で、いつからいた人はベンガル人なのかという線引きは政治的に判断されてしまいます。

 重要なことは、ロヒンギャの人たちは自分たちのことを「ロヒンギャ人なんだ」と言っているという事実です。そのこと自体は事実としてあります。ですけれども、それをミャンマーの人たちは、「バングラデシュから来たベンガル人の不法移民なんだ」として、ロヒンギャの存在を否定しています。

 

木村真希子さん) 概念としてはそうなのだろうと思いますが、日下部さんがロヒンギャの人たちと話していて、今のバングラデシュの人たちとどれぐらい違うのかなど、何か気づくことはありますか。

 

日下部さん) 私は普段ベンガル語で仕事をしているのですが、ロヒンギャの言葉は全く分かりません。私はスタンダードなベンガル語を使っているのですが、一方でバングラデシュ第2の都市、チッタゴンの人たちがしゃべるチッタゴン方言はロヒンギャの言葉と9割程度一緒だと言われています。ダッカに住んでいるいわゆるスタンダードなベンガル語しか知らない人たちもロヒンギャの言葉を理解できません。しかし、チッタゴンに住んでいる人たちはいわゆる標準語と方言の両方を理解できます。

 ロヒンギャの言葉がわかるバングラデシュ人の友達と話していると「食べ物や服装、しぐさなどが微妙に違うので、やはり彼らはベンガル人かと言われると違う。少し話をしたり一緒に生活したりすると、ロヒンギャの人たちとバングラデシュ人は言葉や宗教が同じでも感覚的として違いを感じる」と言っています。

 

伊藤さん) 初めて聞く話でしたし、カタカナが多かったりして難しいなと思いましたが、もっと学校などで他の人たちにも知ってもらうことが大切なのかなと思いました。

 

市民登録に絶望して自殺した高校生 市民登録から排除される子どもたち

大矢さん) 私もこういう話を聞くことが初めてだったので、それを受け止めることで精いっぱいなので、詳しい理解は追いついていないのですが、やっぱり恐ろしい話だなと聴いていました。この現代社会で、いつ捕らわれるか分からなくて、しかもいつ拘留所から出られるか分からないというのは、自分だったら考えられないし、自分の住んでいる地域でも考えられないなと、そういう地域が世界にあるということを驚いて受け止めています。

 質問ですが、アッサムで拘留される対象者には、私たちと同じ年代の子どももなるのですか。

木村さん) はい、対象になっています。一つひとつのケースは全て聞いていないのですが、多いのは、家族全体で外国人だと認定されたので連れていくパターンが一つ、あとは母親が認定されて子どもが小さいので連れていくというパターンがあります。

 いちおう子どもは拘留所から学校に通うことも許されてはいるのですが、拘留所は栄養状態が悪く大人でも体を壊すという状態なので、そこからして大変だということと、だいたい母親と拘留所に入ることが多いのですが、男の子は一定年齢に達すると外に出なければいけなくなり母親と引き離されて大変になる子どもがいると聞きます。

 高校生位の人が捕まったという話はまだ聞いていませんが、NRC(全国市民登録簿)の更新作業をやっている中で、自分はもう市民に登録されないのではないかと絶望して自殺してしまった高校生の女の子がいました。

 本当にだれでも対象になりますし、NRCから排除された人には子どもが結構たくさんいるのです。なぜなら子どもは証明する書類が無いからです。このあたりの地域の人たちの一番確かな書類には、投票者カード(投票できる資格を持っていますと証明するカード)があるのですが、それが18歳になるともらえ、それまでは学校の証明書ぐらいしかない。病院で生まれれば、病院で出生証明書を出してくれるのですが、病院で生まれる人はすごく少ないのです。

 

大矢さん) 本当に怖いなと思いました。自分のところでは考えられないので。

 

「世界で解決しなければいけない問題」 自分がこの問題を考え、共有し続けることから

みんながその問題を知っていて、かつそれがいけないことだと思うことはすごく強いこと

土肥さん) 普通に学校に通っていたら、突然「あなた、外国人だから」と言われて、家族もろとも拘留所に連れていかれてしまうというのが、もし自分に起こるとしたら全く想像できないですよね。

 もう一つの話題に入ってみたいと思います。

 先ほど、伊藤さんから、自分にもできることとして、これをまず伝えていくことが大切だという話がありましたが、じゃあ、この市民権問題に対して、高校生がいったいどういう風にコミットしていけるか考えられるといいかなと思います。

 インド・アッサム州の方からは、「私たちの声を届けてください」というメッセージがありました。

 どうしてもこういう難民問題や市民権問題というと、大きいNGOなどが出てきて大きなお金を動かして国際的な支援するとイメージできるかと思いますが、それもなかなか国内で自分事になりづらかったり、こういう問題が同じ世界で起こっていることは信じられないと思いつつも、明日になると僕らは日常を過ごしていったりというのはあると思います。そういう意味でも、どういう関り方ができそうか、アイディアを話せればよいと思います。いかがでしょうか。

 

日下部さん) ロヒンギャの視点からお話させていただくと、バングラデシュのロヒンギャ難民キャンプでは日本のNGOや赤十字社、日本のODA(政府開発援助)によって支援がなされています。

 こういう活動ができるのは国民の関心があるからです。NGOが活動するには市民の寄付が無ければ活動ができませんし、日本政府がロヒンギャに支援するためにも日本の人たちが「この問題は大切なんだ、世界で解決しなければならない問題なんだ」という認識を持っていないと日本の税金を使えないわけです。

 そう考えると、みなさんがこの問題を考え続ける、もしくは情報を共有し続けることが大切です。何か動きがあればSNSで情報をシェアしていくとか、こうした問題をどうしたら分かりやすく周りの高校生に伝えられるのかを考えていく。そうしたことがロヒンギャの支援につながっていくのだと思います。

 

木村さん) この問題を説明すれば、学生さんでも高校生でも当たり前のように「それはおかしい」という素朴な思いが出てくると思うのです。いろいろな国際的な事情でそれが起こるのが許されているのが現状なのですが、やはりみんながその問題を知っていて、かつそれがいけないことだと思うことはすごく強いのです。

 いろいろな国際的なプレッシャーをかけるのは、国家がやるのが一番力を持ちますし、国際的な人権機関などもそういうことを行いますが、やはり、「そういう合意が国際的にある」みたいな、「これぐらいまではいいけど、ここから先はやってはいけないよね」みたいなのはすごく力になります。

 ロヒンギャに関してはみんながそう思っていて、だからこそいろいろな機関が入って資金がいっぱい出ている。アッサムの場合は、まだあまり集まっていない。暴力的な追い出しが無いので、あまり支援が無いのです。そこは頑張らないといけません。

 入管の問題等も、一見日本の問題と関係ないと思うかもしれませんが、みんなが「それはやってはいけない」と思うことは、日本であってもどこであってもやってはいけない。いま一番進んだことをやっているのは北欧や欧米ですが、どんどん基準が上がって行けば、政府も合わせていくので、やってはいけないというハードルが上がっていくのです。だから、市民一人ひとりがそういう問題があることを理解して、そういうニュースが出た時に「そんなのやっちゃいけないよ」というのが出てくるのは強いと思います。

 

土肥さん) 一人一人の関心が日本からの支援につながっていくという話がありましたが、明日から自分だったらどんなことができそうですか。

 

大矢さん) 私のこういう活動をしている知り合いでもSNSを活用してアフリカ等のいろんな問題を発信している。お金だけではなく、知らないと周りが動かないので、とにかく情報を共有する、知識を伝えるということを主にやっている理由がなんとなく分かりました。私もじゃあ帰ったら自分の知り合いに口で言ってみて、そういう意識を広げることが大事だと思いました。私ができることは、授業があった時に、ここで学んだお話をみんなにしてあげることから始められるのかなと思いました。

 

伊藤さん) 自分は土肥さんが講師をなさっている「まちづくりスクール」に参加した時に、学校の友達にアンケートに協力してもらいました。そのテーマとして「自分の地域に関心がありますか」と質問をしたときに、口では出していないけれどみんな関心を持っていてくれて、聞いてみると「実はそう思っているよ」みたいなことがあるので、こういう活動があるよと伝えることが大切だと思います。この問題をもっと知ってもらえる企画をジュマ・ネットさんにしてもらえたらなと思いました。

 

土肥さん) 内閣府の調査でも、若者たちの社会への関心は比較的高いと出ているけれども、ただそれを自分たちで変えられると思うかという質問に対しては「そう思う」と答えた若者が少ないと出ているので、こういうことを知ると同時に、自分たちがそれを変えられるとか関わっていけると思えるといいと思いながら聴きました。 

 

 

――グループ対話とグループ発表を経て、ゲストからのコメント―― 

※グループにゲスト等も加わり、グループの方々に感想や意見、ご質問を話し合っていただいた後、会場全体で共有するために印象に残ったことを各グループから発表いただき、ゲストからコメントをいただきました。

参加者)

「感想を共有した後に、これからどうしていったらよいか話し合いました。さまざまなバックグラウンドをお持ちの方々がいて興味深い話し合いでした。

 高校生が自分の問題としてとらえて発信する姿勢に感銘を受けました。私自身も真似していきたいと思いました。

 今日はインド地方の問題を取り上げていただきましたが、たとえばアフリカでも勝手に国境線が引かれて民族対立が起きていたりして、この問題は世界中で起きていることを認識する必要があると話し合いました。

 日本のことで言えば、入管法の改正に関して早めに解決する必要があるという意見がでました。

 政治と一緒に考えてこの問題を解決することは難しいという意見も出ました。たとえば子どもたちへの教育的な視点からこの問題に携わってみるなど、さまざまな視点を持ってこの問題を解決できると思うので、アプローチの仕方も大事だと思いました。

 このような貴重な機会をいただき、ジュマ・ネットのことも初めて知ることができて、これから支援していきたいということも共有させていただきました。」

 

「一番みなさんから出た意見として、ロヒンギャのことはまだニュースで知ることは多いですが、アッサムの問題は今回の機会が無かったら知らないまま過ごしていた、どう自分の問題としてとらえるか、当事者として日本にいながらにして何ができるのか考える機会になったという点です。この問題に対してどうしたらよいのかという方向で議論しました。

 グループのみなさんが、日本の問題に絡めながら、本当に自分の隣人に降りかかっている問題として本気で考えられていることが印象的でした。

高校生の伊藤さんから出た、SNSを使って若者にも響く形で広めていく、せっかく今回のような機会をいただいたので広めていくことも支援につながるのではないかという視点も新鮮でした。」

 

「コロナ禍ということで現地に行けない中、Zoomでこういう機会をいただけてとてもよかったです。

 私は今後フィールドワークに行く機会があるのですが、フィールドワークに行く国を決める時にもこのような視点から考えることもできると思いました。

 海外でアジア人が差別されていることが最近ニュースで浮彫りになっているのですが、アジア圏内や国内で差別するというのは自分の立場になったら想像できないと思うので、授業では触れない部分も聴けてとてもよかったです。」

 

「まず、何をきっかけにこういうことに興味を持ったかと背景を聞き合いました。

 次に、どうしたらよいのかという点については、一つは情報発信をしていくということです。また、外国の方をケアする担当者が一人でするのは無理があるので、地域でどうやったら外国の方をサポートできるのかという意見が出ました。地域でどうやったらよいかという視点は良いアイディアだと私たちは思っています。

 日下部さんにお聞きしたいことがあります。ロヒンギャは、国が軍隊を無理やり追い出しているというイメージがありますが、じっさい現地の人たちはロヒンギャと仲が良いのか。もし仲が良いのであれば、どういうことをきっかけに、もしくはどういうのを介して仲が良くなるのでしょうか。そういうのを知れば、上手く広げられるきっかけになるのではないかと思い、お聞きしたいです。」

 

「質問が2点あります。インドのアッサム州で、追い出す側の住民と追い出される側の住民の間で戦いがあるのか。具体的に暴動があるのか、それが日常茶飯事で起きているのかお聞きできたら幸いです。

 二つ目は、国民登録簿はこれからアッサム州だけでなく全インドに適用されていくというニュースを聞いたことがあって、なぜアッサム州が最初だったのでしょうか。

 感想を4点お話したいと思います。まず、今回のこの問題を見て、ロヒンギャの問題、アッサムの問題それぞれを考えたことはあったけれども、全体としてこれらの問題をあわせて考えた時に新しい発見がありました。

 二つ目に、現代社会のなかで、民族と政治のつながりが本当に大きくて、ここが現代社会を難しくしているという指摘がありました。

 三つ目。実際にこういう問題があった時に、他の国の政府がどこまで踏み込んでよいのかということが大きな問題になっているのではないかという視点がありました。ミャンマーで最近起きているクーデターも確かにそうで、起きていることは絶対悪いことなのに、他の政府はだれも止めらない状況は、他の政府がどこまで入っていってよいのかと思わされる点も確かにあると思いました。

 最後に、知らないということが排除の根本になるという点です。これはどういう話からきたかと言うと、確かに自分が追い出される側になった時、これはこの上もなく恐ろしいことであってはならないことだと思いますが、いざ自分がコミュニティーの多数派側になった時、お話にもあったような保育園を落とされるようなことがあった場合、確かに快く思わないというのが正直な気持ちというのが現状だなと思いました。そういうことを思いながら、この問題をどう解決したらよいのかと考えると、相手のことを知るということが一番重要だなと思っています。

 ヨーロッパの国では移民を受け入れている国が多くあり、いい例として見つけたベルギーでは、来た移民を、あるコミュニティーで移民と受け入れ家族をセットにして、言語を教えたり、周りの習慣や文化を教えたり、日常会話で電話したりコミュニケーションを取ったりする中でお互いの距離を縮めていく。必ずその人が深く知っている現地の住民を持つのはお互いにとってよいシステムではないかと思います。もし私がコミュニティーの長になったら、そういうシステムを実現したいと思いました。」

 

市民の差別意識が認めてきた軍隊による排斥 民主化の危機で気づき詫びる市民 

日下部尚徳さん) ロヒンギャがミャンマー国軍によって弾圧され、追い出されたのは事実です。同時に、それを多くのミャンマー人は支持しました。つまり、ミャンマーの大半の人たちは、軍隊がロヒンギャを追い出したことをある意味で認めたということです。その背景には、ミャンマーの人たちにはロヒンギャ差別を肯定する国民意識があるわけです。この国民の差別意識が最初からあったのかというと、この差別意識は仏教ナショナリズムによって拡大したと考えられています。

 ミャンマーには政府が認めているものだけで135の民族が暮らしています。この135の民族をまとめることが政府には求められているわけです。そのために、「ミャンマーは仏教徒の国なんだ」という言説を作り上げていきました。そして政府や軍のそうした姿勢に仏教界も協力します。具体的には、お坊さんを使って、その人たちに「ミャンマーは仏教の国であって、その仏教の国に対してイスラム教徒がいかに悪いことをしているのか」、SNSやYouTubeを使ってかなり過激に流布しました。それによってビルマ族を中心にロヒンギャに対する反感や憎悪が高まりました。ですので、軍がロヒンギャを追い出した際も「しょうがないよね」というふうに国軍の姿勢を積極的には非難しない土壌ができてしまったわけです。

 ただ、これが今回のクーデターで大きく変わりつつあります。ミャンマーのビルマ族の人たちも気づいたわけです。国軍が市民に対して何をやってきたのか、ロヒンギャの人たちをどのように追い出してきたのかということを。今国軍はロヒンギャに対してしていたことと同じことをミャンマーの民主化を求める人たちに対して行っています。こうしたことからいまクーデターに対して民主化を求める人たちのなかで、「ロヒンギャの人たちに対してあんなことをして申し訳なかった」といった反省を声明として出す動きができています。

 ロヒンギャの人たちを含めて民族融和を進めていこう、民主国家としてのミャンマーをつくり上げていこうという動きが出ています。

 

木村真希子さん) 土地の人との間に戦いや暴動があるかについて。今まで何度かありました。一番大きかったのは1983年です。あと90年代から2000年代にかけても。一番最近が2014年だったと思います。だから何年に1回です。

 ただ普通に生活していて突然ある日起きるというよりも、何か大きな運動があるとか、武装組織が活動しているところで土地関係の揉め事が起きた時に起きる。

 複雑なのは、では一般の村レベルで敵対しているかと言うと、あまりそういう感じではありません。村に行くとむしろインドのアッサムは他の地域よりカースト制度も厳しくないですし、一緒にご飯を食べたり、一緒に学校に通った友達がいたりします。日常レベルでは、自分の友達と認定できる人、自分が顔を知っている人、自分がマーケットで会って好意的にやり取りできる人は別に問題ないわけです。あの人たちはムスリムだけど外国人じゃないと思っているわけです。

 ところが一般レベルでは、とくに反移民運動などがあったので、都市部に行って肉体労働をしているムスリムの多くの人たちに対して、なんとなく「あの人たちの半分ぐらいはやっぱり外国人じゃないの」、「あの人たちは汚いよね、においがするよね」という偏見はありますし、その人たちがたくさんやってくると「私たちより向こうが多数になってしまう」という漠然とした恐怖があるのは確かです。

 

 NRC(全国市民登録簿)はアッサムでニュースが出た時に「これはもう全国でやるんだ」みたいなのが出たのですが、NRCというのはもともとの名簿は1951年に作られ、「全国」といっておきながら、その時アッサムでしかとられなかったのです。アッサムはお隣の東ベンガルからの移民が多かったので、出入りを監視するためにやらなければいけないということで、最初に国勢調査をする時にとったと。

 そしてアッサムでNRCの更新作業をやったのは、その土地の人たちが連邦政府はきちんと移民対策をやっていないと起こした裁判の中で、最高裁から出てきた判決が、それをきちんと対策するためにNRCを更新しなさいということだったので、NRCの更新になったと。

 そもそもアッサムにしかなかったものですし、アッサムの人が移民対策を求めるうえで更新になったわけです。

 インド全体でやるという話はいま止まっているように見えます。かなりお金を使わないといけないのであまり現実的でないと思います。今後の政権の取り組み方次第かと思います。

 

外国人との宣告 反論しにくい人がターゲットにされる構造

参加者) 先ほど現地の方からの声を映していただいて、教育レベルが低い故に自分で書類を集められずお金がかかってしまったり、なんともできなくて拘留されてしまったりというお話があったと思いますが、そもそも外国人だという扱いを受けてしまう人たちの中に高い教育レベルや所得レベルの方も含まれているのでしょうか。

 書類を集めてインド人だと認めてもらうのが普通の人にとってどれぐらいハードルが高いのでしょうか。

 

木村さん) まず、きちんと教育を受けている人でも外国人だと嫌疑がかけられています。お父さんが国会議員ですごく有名な人も自分の姉が嫌疑をかけられて外国人審判所に行かなければいけないという話もありました。権限は国境警察や選挙管理委員会の人たちが握っているので、その人たちが何かの理由で嫌疑をかければ外国人になってしまうので、そういう人たちにかけられることもなくはない。

 ただやはり聞いてみると、目標達成数が割り当てられていて、まともにやっているとその数に追いつかないので、反論できなさそうな貧しい教育を受けていない人たちを見て、外国人だとマークしていることは多いので、やはり貧しい人はターゲットであるというのは間違いないです。

 貧しい人は何が大変かというと、弁護士に払うお金です。嫌疑をかけられてずっと争っていったおかげで、生涯かけてためたお金や家畜、家を全部売り払ったという人がたくさんいるということです。

 弁護士にも質がよくない人が田舎に行くといて、弁護士が半分ぐらいお金をだまし取っている例もあるようです。この問題に意欲的に取り組んでいる弁護士さんが、「これは十何万人もいるので、弁護士にとっても実はインダストリーの一つなんだよ」と言っていました。

 たくさん外国人だと宣告しろというプレッシャーがかかっているようなので、ちょっとした書類ミスが命取りになりやすいのです。正しく英語やアッサム語でスペルすることが普段余り必要ない人たちなのですが、書類でちょっと間違っているとダメになる。家族の証言で、お父さんが高齢で子どもの数をまちがっていたら証言として認められない。そういった細かいミスで整合性が取れないとすぐに外国人と宣告される例がたくさんある。ですので、貧しい人たちにとってはただでさえ書類をそろえるのは大変ですし、それを一つのミスもなく立証するのが大変だと聞いています。

 

 

参加者) 先ほど、アッサムとラカインの差別の言説として「不法移民」「よそもの」「外国人」という認識を仰いましたが、説明された歴史からして植民地支配からの移動、移民というのが背景にあって、そこで「よそもの」「外国人」というのはわかるのですが、そこに「不法移民」の「不法」という言葉が付くのは少し質が違うと思うのです。それは一般の人々が「犯罪者」と認知させることなので、この「不法」という言説は、いつごろから誰がつくって、一般の人々が差別の一つの言説として使うようになったのか教えていただければと思います。

 

日下部さん) バングラデシュがパキスタンから独立したあと、1970年代から80年代にかけてラカインに移動したバングラデシュ人は、割合としては多くはないですが、存在します。そういう人たちのことは、不法移民だと呼びやすく、バングラデシュから来た人だと言いやすい。しかもその人たちの多くは貧しいバングラデシュ人でしたので差別の対象になりやすかった。こうした比較的最近になってラカインにきたベンガル人から逆に全体のイメージを作り上げていってしまった結果、さも全体が不法移民だというようなイメージがつくられていったのではないかと思います。ただ、ラカインの場合には明確に不法だという言葉を使っているのですが、アッサムの方で不法という言葉を使っているかは確認がとれていません。

 

土肥さん) ありがとうございました。個人的にも、こういう国際的な問題を自分事としてどういうふうにとらえていけばよいのか考えさせられる機会になったと思います。                  

 

 

※参考サイト

〇ジュマ・ネットのウェブサイト

http://www.jummanet.org/

〇同Facebook

https://www.facebook.com/JummaNet.NGO

〇同「論座」の記事

https://webronza.asahi.com/politics/articles/2021051100009.html

 

 

●次回のアドボカシーカフェご案内★参加者募集★
地域から問う持続可能な社会経済のあり方~リニア新幹線の開発事業をめぐって~

【ゲスト】柳井真結子さん(国際環境NGO FoE Japan 開発と環境チーム)
       木下和樹さん(JR東海労働組合 中央執行委員長) 
     原 章さん(リニア新幹線工事が進む長野県豊岡村の住民)
     増田卓真さん(スタートアップ会社インターン/リニア問題に携わる)
      樫田秀樹さん(フリージャーナリスト)
【日時】2021年6月19日(土) 13:30~16:00 
【会場】オンライン開催
詳細・お申込みこちらから

 

 

※今回21年5月15日のアドボカシーカフェのご案内チラシはこちらから(ご参考)

 

 

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