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   ソーシャル・ジャスティス基金(SJF)アドボカシーカフェ第47回開催報告

 ●今後の企画ご案内 『ソーシャル・ジャスティス基金 助成発表フォーラム第5回』
【パネリスト】公益社団法人 子ども情報研究センター 奥村仁美さん
      NPO法人 わかもののまち静岡 土肥潤也さん
      NPO法人 メコン・ウォッチ 木口由香さん
【日時】2017年1月13日(金) 18:30~21:00
【会場】新宿区・四谷地域センター
★詳細・お申込み こちらから

  

 

3.11後の子どもと健康

学校と保健室は何ができるか

  

 2016年11月19日、大谷尚子さん(養護実践研究センター代表/茨城大学名誉教授)と、松田智恵子さん(宮城県公立小中学校の養護教諭)をお迎えしたアドボカシーカフェを、SJFは東京都文京区にて開催しました。

 大谷さんのお話では、原発事故の子どもにとっての影響を幅広い側面から見ていく手掛かりをもとめ、養護教諭や被害者が、子どもの命と健康を守るためにどう取り組み、社会的問題を浮き彫りにしたのか、先進事例から学びました。目の前の子どもを丸ごととらえることで子どもの異変に気づき、他の事例とともに比較集積することで、類似の「あれ、変だな」の事実が明らかになっていく。そうして原因の除去に努め、その発起点をつくり、社会公衆の健康にまで発展させた養護教諭の仕事から学びました。

 松田さんのお話は、大谷さんの、自分たちで実態をつかみ、原因分析や今後の課題に地域や保護者、行政とともに取り組んでいくことが大切だとのお話に呼応していました。原発事故から5年8カ月、子どもと一緒にどう放射能を考えてきたのか。松田さんは、自分たちで測定したデータの公表を控えさせる動きに対しても、子どもたちのための仕事という原点から、教育委員会や管理職と交渉し情報発信を行ってきました。また、職員会議で教育活動を見直し、給食指導や学校健診など幅広く改善してきました。不安もありましたが、行政や職員、地域とつながり、声や問題意識を共有できたことが力になったそうです。そういった実践をもとに、予防原則による子どもの健康管理を続けること、風化する問題意識と向き合うことの大切さを強調しました。

 会場との対話では、放射線被ばくの影響はこれからが何か気づいていく重要な時期であり、一人ひとりの子どもたちにきちんと向き合うことが大切だと強調されました。放射能問題は、口に出せないけれども忘れているわけではない人たちも多く、隠そう逃げたいでも発信していくこと、福島に関心を持ち続け一人ひとりが気づいた時に声を出していくことが大事だとの提言があり、市民からの働きかけで動いた自治体の事例も紹介されました。

 養護教諭の仕事は、それらの発起点となる話題を提起し、輪を広げていくことだと大谷さんは締めくくりました。

※コーディネータは、佐々木貴子(SJF運営委員)

当日の様子ゲストCIMG5722

 

――大谷尚子さんの講演――

『保健室/養護教諭は何ができるか~子どもの命と健康を守る取り組みにより、社会的問題を浮き彫りにした先進事例から~』

 
 私の話は、ソーシャル・ジャスティスという言葉にぴったりな内容になるかと思います。今日は副題を「打開策を探す~先達から学ぼう~3つの事例」として「保健室/養護教諭は何ができるか」をお話し致します。

 まず保健室の養護教諭の法的根拠について基本的な事をお話しします。日本国憲法のもと、教育基本法には「心身ともに健康な国民の育成を期して行わなければならない」とあります。それに基づき学校教育法の第37条では、学校とくに小中学校には必ず「養護教諭を置かなければならない」、「養護教諭は児童の養護をつかさどる」と定めています。そして、その施行規則第1条で、学校の目的を実現するために保健室を設けなければならないと定めています。そのもとに学校保健安全法で、保健室の使い方が定められています。

 

養護教諭の真価は、原因の除去に努め、社会公衆の健康にまで発展してこそ

 養護教諭誕生の歴史から今を考えたいと思います。養護教諭の歴史は、国民学校令が1941年4月1日に施行されて、そのなかで初めて教育職員として位置づけられました。国民学校令の目的は、天皇のための国民を育てるということですが、その時代背景には富国強兵策や体力向上策がありました。こういう社会的状況のなかで、養護教諭が誕生したのです。当時、名称は「養護訓導」でしたが、彼女たちは国の期待に応えようと、子どもを養護するという仕事に励みました。その当時は、日本が中国に侵略しており、その数カ月後には太平洋戦争が始まります。こういう戦争状況のなか、子どもたちには健康増進と体力向上が図られ、その結果、子どもたち(教え子たち)が戦場に送られたという歴史を持っています。

 戦後、養護教諭の千葉千代世さんが――後で参議院議員になった方――、「教え子を再び戦場に送るな!」と提案しました。教え子を戦場に送る役割を果たしてしまった養護教諭ならではの言葉だと思います。

 今その悔恨・反省の上に教育があるとすれば、養護教諭は、国策に従順になるのではない、子どものために働こう、というのが基本的な考えです。

 日本国憲法が新しく制定された当時、これまでの教育とは違う新しい教育をしなければいけないとなり、文部省(当時)が主催する講習会で、各県の代表となる養護教諭が集まる機会がありました。そのなかで話し合ったことは、「自分たちの仕事は何なのか(養護教諭の真価が発揮されるときとは)」というテーマです。その結果が次のように報告されています。

 自分たちが一番イメージしやすい救急処置にしても、①単なる傷の手当てではなく、②原因を調査し除去するための方策が講じられ、③再びその傷が繰り返されないために個人の健康が保持されるだけでなく、④全児童生徒の健康の保持、ひいては⑤社会公衆の健康にまで発展してこそ、養護教諭の真価が発揮されるのだと。つまり手当だけではなく原因の除去に努めてこそ、そして社会公衆の健康にまで発展してこそ、初めて養護教諭の真価が発揮されるのだと、こういう事が話し合われていたわけです。

 

子どもにとっての原発事故の影響を幅広い側面から見ていく

 では3.11の福島第一原発事故についてはどうでしょうか。

 ヨウ素131による汚染状況を2011年3月26日の時点でどうだったのかを見てみると、福島に限定されることではなく、太平洋そして東北・関東、山梨・静岡にも広がっていることが分かります。

 放射線被ばくに関しては、国民の側、私たちは混乱させられています。政府や専門家はいろいろなことを言っています。最近問題になっていることでは、福島への帰還を促進する方針が出されたり、福島の医師会医師からは甲状腺検査の縮小という意見が出されたりしています。このような意見はおかしいだろうと思います。真実が不明なまま対策がなされているから、私たちは混乱させられているのだと思います。たとえば、放射線排出量がチェルノブイリ事故の方が多いから、フクシマの健康影響は少ないとか、論じられています。

 しかし私たちとしては、汚染の状況についての論争はどうであれ、目の前の子どもの健康を問題にしたいと思います。また、健康という場合にも、身体的側面、精神的側面、社会的側面など多角的に捉え、甲状腺がんだけでなく、もっと広く子どもにとってどのような影響があるのかというふうに見ていく必要があると思います。

 

被災者・被害者がどう取り組んだのか、先達から学ぶ

 先達から学べることがあると思います。先達が、被害者(被災者)の立場で、どう取り組んだのか。歴史を振り返ってみますと、「専門家」と言われる人たちが被害者をもっと悪い状況にした例があります。また行政が市民を抑え込もうとした例があります。そのような事例の中から、今回は、森永ヒ素ミルク事件、宝塚・斑状歯事件、富士見産婦人科病院事件の3つを取り上げます。とくに始めの2つは養護教諭によって解決にむけた動きが高まった事件です。また現在進行中の子宮頸がんワクチンの副作用に関しても同じような問題を抱えているのかなと思います。

 

森永ヒ素ミルク事件――養護教諭から始まった「14年目の訪問」――事実をはっきりと知り、知りえた事実を医療従事者に返し、知りえた事実を被害者に返す  

 まず、森永ヒ素ミルク事件についてです。1955年の春から夏、西日本一帯で、人工栄養児の間で原因不明の奇病が集団的に発生しました。被害者の数はおよそ1万4千人かと言われ、死亡者は100人以上と言われています。原因は森永の粉ミルクの中に大量のヒ素化合物が混入していたことでした。

 とくにここで問題になるのは、専門家である医師が1年後に精密検診をするのですけれども「後遺症は無い」とはっきり断定したことでした。

 それから数年以上たって、大阪・堺の養護学校の養護教諭である大塚睦子さんが、自分の学校にいる13歳の重度障害児が乳児期に森永ヒ素ミルクを飲んでいることを知りました。自分の目の前にいるのは一人の子なのだけれども、もしかしたら他の子も同じようになっているかもしれない、と大阪大学の衛生学教授である丸山博さんに話をしたところ、自分で調べろと言われて、自分で子ども3人抱えながらコツコツと歩いて回ったことが「14年目の訪問」の始まりです。

 森永ヒ素ミルク事件の経過は、主に1955年に奇病が発生するのですが、翌56年に精密検査が行われ、59年には全員治癒したと国が報告書を出しました。そして、先の大塚睦子さんが始めた「14年目の訪問」までの間、約10年余り全くこの事件は忘れられていたわけです。この「14年目の訪問」から広がって行き、守る会ができ、被害者の会ができ、いまは「ひかり協会」が活動をしています。

 この「14年目の訪問」は、最初、丸山博さんは保健師さんに呼び掛けましたが、なかなか参加してもらえませんでした。上から、行政から押さえつけられていてなかなか動けなかったのです。やっと、自主活動なら見過ごすよという上司の声もあったりして動けるようになって、参加した保健師や丸山博研究室の医学生たちが14年目の訪問をしていきました。

 この訪問でしたことは、まず、事実をはっきりと知ること。2つ目は、知りえた事実を医療従事者に返すこと、3つ目は、知りえた事実を被害者に返すことです。これは非常に大事なことだと思います。

 この訪問は急がなければなりませんでした。14年前の赤ちゃんは既に中学2年生とか3年生になっていて、翌1970年3月には義務教育を終えてしまい、学籍簿から外れて、消息を追うのが難しいからです。子どもたちが中学に在籍している間が把握しやすい状況であり、今しかないということで、急いで訪問したのです。

 68例が報告されました。そのなかの一人を取り上げます。ある中学2年生の男子は、被災当時の体重は3770gでふつうに健康な人で、たまたま母親が乳腺炎になったので混合栄養となり問題となる粉ミルクを飲んでいました。この結果いろいろな症状がでてきて、「後遺症であることを認めてほしい」とお医者さんに言うのですが認めてもらえなかった。この時、森永の対応は、一人あたり1万円ぐらい払うというものでした。

 この家族の感想は、「後遺症でないと言われてから、この子だけの問題なのかなと思っていた。他の子のことは全然知らなかった。でもやはり気になるから、後遺症でないだろうかと思うのだけれども、後遺症であるという決め手はないので、家庭の弱さをまざまざと見せられた」でした。後遺症を認めてくれないお医者さんに対して、とても弱い家庭の姿が表れています。

 68例の訪問で共通して見えてくることがありました。一人ひとり見たときは、この子だけの問題かと思うのです。風邪をひきやすいなど、個々の症状だけでは原因が分からない。だけれども数を集めてみると、共通するものが浮き上がってくることが分かりました。

 このように事実が分かったら結果を知らせるということで、保健師などの行政の仲間たちに伝えたり、養護教諭などには教育研究集会で伝えたりし、大々的なのは日本公衆衛生学会での発表で、その翌日には新聞にも大々的に載りました。その日本公衆衛生学会では、大阪大学の小児科教授である西沢さんが「脳性小児マヒはほとんどが先天性因子によるものであり、ヒ素は脳には移行しない。ヒ素中毒との関連性を求めることは困難。これほど重大な調査に臨床家が一人も参加していないのは遺憾だ」と述べました。これに対して一人のお医者さんが――岡山県で実際に35人の精密検査をした人――、「正常でないのは事実なのだから精密検査をきちんとやりましょう」という提案をしています。

 以上、先ほどの「養護教諭の真価を問う」という点で見ると、森永ヒ素ミルク事件の大塚睦子さんは、手当ではなく、原因の除去に努め、社会公衆の健康にまで発展させたと言えると思います。

 

宝塚・斑状歯事件――養護教諭が校長から嫌がらせを受けてもめげずに保護者会で報告

 次の例は、宝塚・斑状歯事件についてです。斑状歯というのは、歯に褐色の斑点やシミができるものです。中等度の症例では、エナメル質に白い点や小さな孔が生じ、重症の場合には、茶色いシミが生じます。宝塚の場合には、水道水にフッ素がたくさん入っていて事件が起きました。

 1971年に歯科校医のAさんが、学校歯科検診で学童の歯に多くの斑状歯の症状があると公表しました。それを聞いた親たちに衝撃が走り、市議会に緊急質問をするように働きかけました。でもこの質問は多数派に否決されてしまって、それに怒った市民たちが「斑状歯から子どもを守る会」を発足させました。

 この時、二宮頴子養護教諭が勤務をする西山小学校も汚染がひどい所でした。この西山小では保護者会が開催され、総数1000人強の保護者のうち400人程が集まり、4時間も話し合いをしました。その前に、二宮養護教諭は校長室に呼ばれて保護者に話してはいけないと言われる等、嫌がらせや圧迫を受けたのですが、それにもめげずに保護者会で報告しました。その結果、西山小学校PTA斑状歯問題特別委員会が発足しました。

 そして「斑状歯から子どもを守る会」もさらに元気になって、精密検診には第三者を入れること、疫学調査を実施してから行うことという申し入れをし、専門調査会が発足することになりました。守る会でも独自に、水源の確認や水道の水質検査、子どもたちを対象とする自主健診を行いました。

 二宮養護教諭は、嫌がらせを受けても報告したことについて、「当然のことです。この土地の学校に籍を置く者としてこのまま放置することはできませんでした」と後に話しています。

 いっぽう市や歯科医師会は、市民がフッ素にワーワー騒いでいることに対しては「無知から来る」のだと言っています。それから、「フッ素は殺菌力がある。水が腐りにくいのだ」とフッ素の効用説を言ったりしました。また、「現在の水は安心ですから決して不安がる必要はありません」と繰り返しました。さらに、検診をする際に用いる検診基準を厚生労働省で定めているものとは違う、他の地域と比較することのできないような独自の案を出したりしました。

 それらに対して、市民の人たち、守る会の会長さんは「持久戦に耐える組織力と、自分でデータを作り出すという機動力を持っていこう」と言っています。

 そして立ち上がった専門の調査会には、かつて茨城大学で同僚だった小倉学先生――学校保健の専門家――も入っていました。調査会では、「学校保健は教育委員会の管轄である。教育行政に直接関係のない歯科医師会が干渉したら、教育委員会はどんな態度をとられますか」と言い、「児童の食中毒や伝染病を起こすような不始末を学校が起こすと、管理責任となります。学校が支給する水で斑状歯を起こすなら、教育委員会の責任じゃないか」というふうに、教育委員会は責任を果たせと正しました。

 その専門調査会の答申の主なものは、検査機関の設置や、前からやっている学校歯科検診とは別に斑状歯検診を特別にやること、学校健診をフッ素濃度との関連でもっと丁寧にやること、フッ素問題研究所の設置を提案しています。

 このように、二宮頴子養護教諭の場合も、原因の除去に努め、その発起点を作り、社会公衆の健康にまで発展させる仕事をしたと言えると思います。

 

富士見産婦人科病院事件――被害をまぬがれたのは、身近な人に相談できた人

 3つ目の事例は、富士見産婦人科病院事件についてです。医師でない理事長が白衣を着ていて専門家に見られ、そのお医者さん風の理事長から、子宮筋腫や卵巣のう腫と言われた人たちが、病変のない子宮や卵巣の摘出手術を受けたのです。被害届けは1138件です。被害者の裁判闘争があって20年もかかりましたが、これをサポートしていたのが、産婦人科医の佐々木静子さんです。その手記から紹介します。

 「富士見産婦人科病院にかかっている人たちのなかに、『まぬがれ組』と言われている人たちがいる。すぐに手術が必要と言われたにもかかわらず、手術しなかった人たちだ。すぐに手術を受けてしまった人と、まぬがれた人と、どこに違いがあったのか」

 「まぬがれた人は、手術が必要と言われたことを、友人や身近な人に話したり相談していました。『別のところで診てもらったら?』とアドバイスを受けたり情報をもらったりして」不必要な手術をまぬがれたわけです。

 だから、相談できる人を身近にもっていることが大事なのではないか。きちんとした情報を持つこと、そういうことを確保することが大事ですね、というのが佐々木静子さんのアドバイスです。これもヒントにしたいと思います。

 

目の前の子どもを丸ごととらえる、子どもからの訴えも

 では、保健室/養護教諭は何ができるか。以上の3つの事例から、今できることを考えてみました。

 一つ目は、一人ひとりをよく観察し、気づくということ。小さな想定外も含めて、初めから頭の中にある枠組みだけではなく想定外もあるのだということも含めて、子どもからの訴え――それは症状であったり行動であったりします――に注目したり、目の前の子どものさらにそのバックをとらえる、総合的に丸ごととらえるということです。

 とくに森永ヒ素ミルク事件では、子どもたちの記録をずっと見ると、幼い乳児たちがミルクは、もういやだと吐いているのですね。他のミルクや離乳食は食べるのに、その森永ミルクだけは吐いているのですが、だれもそれについては疑問に思わず手当てしなかったということがあります。子どもたちは訴えていたのです。子どもからの訴えをよく観察する、この原則に立つ必要があると思います。

 そして大塚養護教諭がやったように、丁寧に見ていくという、観察力の研鑚です。とくに養護教諭はふだん子どもたちを見ていますから、あれ?とか、おや?とか、いつもと違うところ、変だなと思う、その勘を研ぎ澄ますことは大事だと思います。

 見ているだけでは分からない事もあります。子どもの方が言ってくれて初めて「ああそういえば」と気づくこともあります。ですから、子どもが安心して自分の気になる事とか症状を語ってくれなければなりません。そのような関係を築くことがすごく大事かと思います。それが、富士見産婦人科病院事件のときに佐々木静子さんのアドバイスのように、まぬがれ組になると思います。子どもは相談してもいいんだという体験を経て、自分独りで決めてしまわないで誰かに相談して、落ち着いて考えてみるという、そういうようなことにつながると考えています。

 

検診項目、どのような症状が表れるか想定

 二つ目は、特別に検診の機会をつくることです。放射線被ばくがあったとしたらどのような症状が表れるかを想定し、検診を進めることです。斑状歯事件の答申には、フッ素濃度との関連で身体発育および健康状態について十二分に留意した検診が実施しうるようにしなければいけない、ただし検診の中身もまだよくわからないから医師会の協力を得ながらと書いてあります。

 私たちも、このことをしたいのですが、どのような症状が表れるか、ここが非常に難しい。斑状歯の場合も森永ヒ素ミルクの場合もいろいろな症状が表れる。だから一人ひとり違っているけれども、集めてみれば何か出てくると思っています。いま探索中です。

 そういう症状が出た時、学校という場で何か検診ができることもありますが限界がありますから、医療機関ではどういうことをやるか。学校と医療機関でやることの棲み分けも必要です。

 

子どもの異変を、比較集積し明らかに 伝えることで事実がより鮮明に

 三つ目として、データを集積し、比較し、気づくことです。保健室で保管しているデータをもとに集積し、その変化や他群と比較し、「異変」に気づく。ひとつの所だけを見ても分からないけれども、ずっと長く見てみると時間の変化とともに分かることや、他の群と比較してみると分かることがあります。

 森永事件の場合もそうです。この子だけこうなのだと思っていた、という保護者の話があります。ですから、目の前の子どもだけを見ている親は分からないけれども、併せて見ることができる学校の養護教諭は分かる可能性はものすごくあると思います。そして出てきたデータを斑状歯の二宮養護教諭のように関係者に情報を提供することが大事です。

 分かったことを明らかにすると、類似のなんか変だなと思っている人たちの声が集まってきます。それによって事実がより鮮明になってくるのではないか。一番初めの問題を提起する手掛かりとして、養護教諭が手に持ったものを出していくということがあると思います。

 保健室が所管しているデータは、健康診断関係、例えば保健調査、身体測定などたくさんあるのですが、そのなかで使えるものは何でしょうか。養護教諭から見ると、そのままのデータを信頼できるか分からないものもあります。身体測定、視力や聴力検査のデータはまあ分かるかなというレベル。尿検査や心臓検査は正確かな。それからお医者さんによる検診の場合は、あくまでスクリーニングでありお医者さんによって異なる診断基準を持っているので、同じ人がずっと診ていない場合には、単純に比較できないこともあります。それから感染症が発生した場合には、出席停止について記録がとってあり、保健室来室状況も記録がとってあります。こうした保健室所管のデータをどう使っていくかということになると思います。

 

 四つ目としては、学校での環境、生活面での配慮をしていかなければいけないと思います。子どもの健康成長は、4つの要因――①人間生物学、②生活行動、③環境、④支援体制――が問題構造に関わっていると思います。

 人間生物学は、ヒトという人間の特性であったり、その人の持つ遺伝や体質につながるものです。でも、先天性だからしかたないということではありません。ほかの3つの要因である生活行動、環境、支援体制という面から考えていくというもので、こういう4要因によって健康度が高まったり弱まったりするのです。問題の構造や背景としてこういうところまで見ていき、原因を除去することが必要なのです。

 やれることとしては、学校であれば、生活行動面で時間割や学校行事を工夫していくことがあると思います。その子ひとりだけの問題にするのではなくて、学校全体で配慮することを考えるのです。それから環境面、とくに衣・食・住に関わる学校生活について、考えなければいけないことがあります。支援体制面についても、保健面、福祉面、教育面から、いろいろ地域と連携しながら工夫していく必要があります。

 

自分たちで実態をつかみ原因分析の記録化、地域や保護者とともに

 五番目は、生活/環境についてのデータをできるだけ自ら測定・収集することです。自分たちで調べなければいけないんだと、斑状歯事件は教えています。水源を確認することについても、水が蛇口から出れば安心だと思ってしまう無意識な安心感と言われていましたが、空気についても安心だと無意識に思ってしまいやすいということです。自分たちは安易に行政に委託してしまった。その結果、子どもたちが被害に遭っているのだから、自らの手で実態をつかんでいきましょうという宣言のような「斑状歯から子どもを守る会」の言葉は、今に通じると思います。無意識に安心感を抱き、安易に行政に委託をするのではなく、もっと自分たちで実態をつかんでいこうと。

 

 六番目として、共に生活する中で、伝えるということ。『ウホウホあぶない ウホウホにげろ』という絵本――日熊一雄さんという弁護士さんが書いた本――を持ってきました。大人はだれもが子どもの命の見張り役であるというメッセージを届けていくことが必要だと思います。学校で子どもと日常を一緒にすごしているわけですから、そういう普段の生活のなかで、子ども一人ひとりの命を見張っているという役があることを示していくのです。

 それから、予防原則の姿勢です。救急処置の場合であれば、「打撲や捻挫かもしれないけれど、一番こわい骨折かもしれないから調べてみようね」と医療機関に行き、大丈夫だったら「よかったね」と言うことは、予防原則に基づく対応なのです。

 

 七番目は、子どもを守る仲間とともに。森永の事件でも、斑状歯の事件でも、「専門家」に任せてはおけない。「専門家」に対抗するためには、仲間の持ち味をいかす輪をつくっていくことが大事なのではないか。そのことをやれる立場にあるのは、子どものそばにいて、子どものヘルプサインをいち早く知ることができる養護教諭なのかなと思います。手当とともに、原因がわかるような情報の記録化と分析を進め、地域・保護者とともに取り組んでいく。それによって養護教諭の真価が発揮されると思います。

 

 次の演者、松田さんにバトンダッチします。松田さんは宮城県の大崎地区にある小学校に勤めています。大崎地区は福島から北へ80Km辺りに位置し、放射能の汚染濃度は、福島から南に位置する千葉や東京などと同じような所でもあります。

 

 

佐々木) 日本政府はこのことにはもう触りたくないという感じで、規制もゆるめたり新基準を設けたり原発も再稼働していくなかで、福島の現場の方たちは、こういったことを本当はやりたい環境の方たちがたくさんいらっしゃると思うのですが、なかなか言葉を発せられない、親たちもなかなか仲間と一緒に不安を語り合えない。そんななかで、北に隣接する宮城県で、きちんと対処して子どもたちや保護者に情報を発信している養護教諭の松田智恵子さんにお話しをお願いいたします。その地域の汚染状況は東京もそんなに変わらないのではないかとOurPlanet-TVの白石さんは報告なさっています。

 

 

――松田智恵子さんの講演――

『子どもと一緒に考えたい放射能~原発事故から58カ月を振り返って~』

 宮城県の大崎市から、みなさんと放射能のこと考えられるのを楽しみにしてきました。先ほど大谷さんのお話をうかがい、養護教諭の責任をあらためて強く感じました。自分が果たしてきちんと行っているか不安ではありますが、私が原発事故から5年8カ月行ってきたことをお話ししたいと思います。

 大崎市は宮城県でも山間部で、福島第一原発からは70~80km位の距離のところです。宮城県では県南と同じようにホットスポットとなり汚染されたことが分かっています。

 原発事故の当初、ガソリンが無く、電気もない、インターネットもつながらない、現状が何もわからない中、水を求めてみんな外で並んでいるという状況でした。そんな中、女川の原子力発電所のモニタリングポストで700倍の数値が分かったとニュースで流れました。測定値は分からないけれども、宮城にも放射性物質が来ているようだと、とても不安に駆られたというのが、当時の私でした。何をしたらよいのかが分からないことが、さらに不安を強くし、家にあった『受ける受けないX線』という一冊の本を家族で読みあい、少なくとも放射線は体に良くないということを確認して、そこから私の今の仕事につながっていきました。

 

 お話しすることは、「原発事故から5年8カ月を振り返って」、「低線量被ばく影響についての対応――現在までの対応と今後の課題 自分たちで調べることが必要だった・保健だよりで情報共有・職員や地域行政との連携」、「これまでの取り組みで得た成果」、「今後の課題」の4点です。

 

原発事故後、職員会議で教育活動を見直す、給食指導も

 ちょうど2011年の4月に私は異動が決まっていました。前任校では、はっきり分からないけれども放射線汚染があるということで、児童の安否確認に出かける教職員にマスクを配布して予防を働きかけました。

 新任校(現在校)で始めに行ったことは、職員会議で、いままでの教育活動を見直すことを提案しました。どれくらいの汚染があるかは全く分からないのですが、放射能汚染を踏まえた活動に内容を見直さなければいけないと話し合いました。

 一番気をつけたかったことは、給食です。学校では完食指導――全部食べるのが、作ってくれた方への感謝にもなり、子どもたちの健康にもよいという指導――を行っていました。しかし、食品の汚染が分からない状況なので、完食指導をしない、子どもたちの意思を尊重しましょうと話をしました。

 

放射線の空間線量を測定し教育活動見直し、内科校医による甲状腺の触診

 保健だよりや掲示物で得た情報を発信するということをやっていきました。インターネットの情報は、保護者はどこにあるのか探さないと見ることができません。視覚にすぐ入るようにしました。

 2011年6月に、文科省から空間線量計「はかるくん」を借用できることが分かりました。震災前から放射線教育で文科省が貸し出しをしていたものだったので「保健委員会の子どもたちと空間線量を測定する」という目的で借りました。子どもたちと一緒に測定を行い、放射線は身体によくないもの、この場所は放射線が高いから気をつけなければいけない、などという事を子どもたちと一緒に確認しました。保健だよりでそのことを呼びかけ、上の学年の子が下の学年の子どもたちに注意を呼び掛けるようになりました。

 詳しい汚染状況が分かってきたので、職員会議で、体育の水泳時や、生活科での葉っぱや石などを使った制作活動で注意しなければいけないこと、栽培活動で畑の作物をつくる時の注意、マスクや手袋を身に着ける。などを話し合いました。

 職員の中には「そんなに気をつけなければいけないの?」と疑問を話す先生たちもいたのですが、ニュースで福島の状況を見て、「やはり気をつけなければいけないんだね。」と一緒に考え合うことができました。

 健康診断では、内科校医が「事故当時、大崎にもヨウ素が飛んできたから。」と甲状腺の触診を実施しました。それは現在も続いています。

 プール掃除については、県から子どもの手を使ってはさせないように指示があり、保護者――ほとんどは、おじいさん、おばあさんだったのですが――に協力していただいて一緒に行うことができました。 山の傾斜にプールがあり虫や木の葉がたくさん入るためか線量が高いのでプールサイドは素足では歩かないこととゴーグルを必ず着用するというルールをつくって、プール指導を行いました。

 

地域の保健教育部会で連携、子どもたちのための仕事という原点から管理職や教育委員会と交渉し、対策と情報発信

 私の力になったのは、大崎地区の教育研究会の保健教育部会です。そこで他の養護教諭とつながりあって、一緒に考え合えたことです。津波で避難している子どもたちもいる、放射能から避難している子どもたちもいる、そういう子どもたちの様子をみんなで交換し合いましょうと、お互いの情報を集めて行きました。「子どもたちの声、様子」「学校での活動で配慮していること」「養護教諭ひとり一人の思い」を集めて、まとめました。いまもそれは継続しています。そこで放射線の汚染状況、注意し合うこと等の確認ができました。

 中には管理職から、そんなに心配することはないとか、この情報は出す必要がないなどと規制されることもありましたが、「私たちは子どもたちのために仕事をしているのです。」と管理職に話をしたという養護教諭もいました。

 大震災後は災害時の心のケアや放射能についてなどの講演会がたくさんありました。質問することでみんなの意識づけになればいいという思いで、放射能についての質問をするように心がけていました。中でも宮城県薬剤師会会長の講演会では、学校環境衛生基準の中に、放射線濃度について入れていくというような見直しはあるのかどうかと確認しました。講師からは「国も困惑している。今は何も見直しは無い。」とのことでした。基準は今も変わっていません。

 

 修学旅行の行き先は福島の会津若松から、盛岡方面に3年間変えました。2014年から福島は落ち着いてきているからということで、会津若松に戻りました。

 この頃(2011年6月頃)から、市による給食食材の放射線測定が開始されました。牛乳に放射性セシウムが検出され、数値はCs134・Cs137の合計25Bq/kgでした。そこで牛乳を止めるかどうか意向をとったところ数名の児童が牛乳を止めました。2012年3月に再測定したところ不検出(下限値0.2Bq/kg以下)になったので、全員が牛乳を再開しています。

 放射能はもうたくさんという思いがあったのでしょう。6年生の児童が卒業を前に「中学校に行ったら放射能のこと気にしなくてもいいの?」と私に聞いてきました。「放射能の事はずっと考えていかなければいけないんだよ」という話をしました。

 

 市の除染計画が、2012年4月に、やっと出されました。空間線量0.23μSv/h以上のところが学校でも数カ所ありました。そこは雨どいの下や、大きい屋根の水が落ちてくる場所だったので、開放的になっていた雨どいの水を側溝に直接流れるようにしたり土を土嚢に取り学校裏に運んだりしました。

 給食の食材は教育委員会で測定するようになったのですが、測定の下限値が20Bq/kgで公表は50Bq/kg以下なら○印。給食で50Bq/kgを食べるのかという思いがあったので、できれば○印ではなくて数値を公表してほしいと要望したのですが、聞かれれば答えますという対応で、公表は○印のままで今も変わっていません。市の担当者は、心配しているのであれば、給食をとらずにお弁当持参でも認めるという対応でした。

 プールの水の線量測定も始まりました。当初は、市内で1つの学校を抽出し、そこで問題がなければ全学校で遊泳問題無しという判断でした。大きな学校1つを測定しただけでは、山の手の学校と街中の学校ではかなり違うと思うので、とても心配でした。その後、市の放射線測定室で水の検査も可能となりプールの水を測定していただいて、不検出(下限値4Bq/kg)だったので、とりあえず安心して遊泳指導を行っています。

 学校農園では、手袋をして作業を行っています。

 

放射線と子どもの健康について職員研修、放射線を防ぐ生活を子どもに授業

 2013年、学校教職員が放射線について学ぶところがどこにも無いので、教員の研修をしたいということで、私が講演会で得てきたものを伝達講習という場で伝えました。放射線の内部被ばくや汚染状況などについて話しました。2014年1月に入って、内科の矢崎とも子さんに来ていただき、放射線と子どもの健康について職員に研修を行っています。この時は保護者や近隣の学校の教職員にも呼びかけて学校で行いました。

 原発事故に対応する避難訓練について、2013年度、教育計画のなかに対応を入れました。ただ実際の避難訓練は原発事故を想定したものにはなっておらず、計画として入っているというだけです。

 

 さらに海の汚染が心配だったので、給食センターに海産物の測定値を問い合わせたところ、過去1年間で3品目だけ結果がわかったとのことでした。海外で水揚げされたものは測定しないのだそうです。サンマは25Bqが下限値という、そういう結果で安心だからと。他の学校では、魚が出たときには子どもに食べさせないと希望する親もいました。

 また農園で採れた作物、ブルーベリーやサツマイモなどは、市の放射線測定室で測定しました。不検出でした。今年はサツマイモを測ってもらったところ、Cs137が6.8 Bq/kgと数値が出たので、たぶんそれぐらいはあったのかなと思われます。それらの情報を提供して、子どもたちも保護者も自分の家庭菜園で採れたものを食べているので、この状況で取りこまないようにするためにはどうしたらよいのかを一緒に考えてもらえたらと思っています。学校で収穫した野菜は皮をむいてカレー作りに使って食べています。そういう事も保健だよりでお知らせしています。

 土壌の検査もできるようになり、学校農園や校庭の土などを測定しました。放射性セシウムは、校庭でだいたい100から300 Bq/kgくらい。学校農園で100 Bq/kg位。空間線量としては0.07μSv/hくらいということで、ほとんど変わりがありません。砂場も子どもたちが一番遊ぶところなので、測定してもらっています。

 放射線教育も学校教育に入れるということになっています。4年生から6年生に私が「放射線を防ぐ生活を知ろう」というテーマで授業を行いました。授業では、文科省から渡されている副読本を使用しました。原子力発電所の事故の様子の写真が載っていたので使いました。

 

今後の課題、自分たちで測定し自分たちで分かっていく

 低線量被ばくへの影響と対応について、これまでの取り組みと、今後の課題をまとめてみました。

 今後の課題については、学校にシャワーがないことがまず挙げられます。ほこりまみれになる活動や清掃作業をする先生もおりますので、温水シャワーの設置が欲しいのです。

 近隣住民が田んぼなどで野焼きをし、その煙が漂ってくるので、野焼きの注意喚起をしたいです。

 あと、定期的な放射線測定、土壌の測定はまだ行っていないので、定期的に土壌も測定してほしいと思っています。

 生活指導のなかでは、清掃作業の補助員を配置して欲しいです。子どもたちの手で、草取りをすることになるので、そこのところの補助員が欲しいです。

 食品も本当に不十分な測定で、給食センターでは月に1回3品目の測定しかしておらず、それぐらいではとても安全とは思えません。すべての食品の検査をし、その数値の公表が必要だと思います。

 防災訓練では、女川原発もあるので、安定ヨウ素剤の配布も検討していかなければいけないと思っています。

 この5年8か月という長い時間の経過で、意識のなかから薄れていっています。定期的な学習会の開催が必要だと思います。私自身も、毎回保健だよりを書いているので、それで振り返ることができるのですが、そうでないとどんどん薄れていくという状況があります。

 健康診断に関しては、甲状腺の検査は触診だと大きくなってからしか分からないので、できれば超音波での検査が必要ですし、心電図検査は大崎市は1年生しか実施していないのですが、心臓にも放射性セシウムが蓄積しやすいということなので、今後は4年生でも実施が必要だと思います。

 低学年の子どもたちに一番気をつけて欲しいのですが、虫探しや土いじりに夢中になっているので、幼稚園の教育でも教えていく必要があるのではないかと思っています。

 これまでの取り組みで思ったことは、どこでも放射線については分からないことだらけ。国もそうですし、専門家の人もそうです。何が本当か分からないという状況で、自分たちで測定することが必要でした。測定することで、自分たちで気をつけなければいけないことなど、いろいろ分かってきたことがあります。

 

不安の軽減、職員や行政、地域とのつながりから、声や問題意識を共有し日々取り組む

 保健だよりで情報共有をしてきました。保健だよりの「放射線情報コーナー」をずっと載せてきたのですが、一番始めに出したのが、保健委員会で放射線を測り子どもたちと書いたことです。ただ、測定値に関しては、校長が正確でなければいけないということで、校長が半日かけてぐるっと回って測定しました。それでも、注意するところは、子どもたちのものと一緒で雨どいの下や、草置き場、プールサイドが、高いことが分かりました。高い所は子どもたちの手では測りませんでした。私が測っているのを離れた場所から確認してもらいました。実際に数値を見ることで、自分たちで気をつけられるようになったと思います。

 放射線情報として掲載したのは、給食の食材、牛乳に数値が出たので、Cs134・Cs137合計25Bq/kg出たということを公表して、止めるかどうかの確認をとりました。

 どんなふうに気をつけたらよいか、また放射線の測定方法なども載せています。

 野菜の測定値や、土には注意しなければいけないということは、今も続けて載せています。

 

 子どもたちとのつながりもそうですが、職員や行政、地域とつながっていけたことが、自分の不安を軽減することができ、みんなと考えられたということが、私としては助かったなと思っています。

 情報を発信することで、同じような意識を持ってもらう。「先生も心配しているのですね、じつは私も心配しているんです」という声を聞くことができ、「こういうことは、私が言ったとなると、『またあの親か』と言われるから、声を出せないのです」という声もありました。そういう保護者が心配しなくてもいいように、保健だよりを出したという面もありました。

 地域では、牛を飼っている人たちもたくさんいて、放射線情報はその方達の間では結構早くからやりとりがされていたようです。その情報も牛がいろいろ汚染されているということで、その対応がなされていました。その情報も地域の方から得ることができました。

 養護教諭たちの保健教育研究会での情報共有が今もずっと続けられています。そこでは、いまはもう自分たちも意識から薄れてきていて、心配している声が出なくなってきた、またそれが心配だということも話されています。

 

 これまでで得た成果としては、問題意識を職員間で共有でき、日常的に継続して取り組むことができたことがあげられます。また、子どもたち自身で、気をつけることができるようになってきました。さらに、地域や関係機関と情報交換することで対策を一緒に考えることができたことがあげられます。

 

予防原則による子どもの健康管理を続ける、風化する問題意識と向き合い

 今後の課題として、5年8か月は、やはりとても長い。もうずいぶん前のことだから大丈夫なんじゃない、という問題意識の風化。福島では復興が進んでいると情報が出ているのですが、放射能に関してはほとんど意識されなくなっている。情報があまり出てこないことで問題意識がだんだんと風化していくことに、どう向き合って応えていくかが、今後の課題だと思っています。

 まだまだ不十分な子どもたちの生活環境をどうしていくか。これぐらいだから安心なんですよねという意識でどんどん進められてきていますが、できるだけ予防原則に基づいて健康管理もしていかなければならないと思っています。宮城県では県議会で県としての健康調査は行わないと議決されていて、各自治体での実施が求められています。丸森町は事故当時18歳以下の町民対象の甲状腺検査を行ったところ、2名が「ガンないしガンの疑い」と診断されています。大崎市では健康調査が行われていません。そこのところを要望していく必要があると思っています。

 私は教職員組合に入っており、女性県議や市民の方と懇談会を行っていて、放射線に対応する方法や、健康調査について話し合いを行っています。そこでも引き続き要望していく必要があると思っています。

 

 

 佐々木) ありがとうございました。松田さんのところと、いまここに参加していらっしゃる方たちがお住いのところについて、自分のお子さんのことや、大人に対する健康調査などと比較しながら、自分の地域ではどうだったかなとお考えになられたのではないでしょうか。3.11直後は内部被ばくが世間でもかなり言われましたので、ご家庭でも野菜や水、土などいろいろ関心を持って対処していらっしゃったと思います。

 しかし5年8か月という年月がたって、今実際にどんなことが起こっているのだろうか。やはり半減期はまだまだで、私たちが亡くなったその後もずっと続いていくという状況があるにもかかわらず、もう大丈夫なのではないかという意識が強まり、メディアもあまり取り上げなくなってきています。

 そのなかで、松田さんがおっしゃったように、こういう基本的な情報を発信することで、まず教職員の方たちとつながり、地域のみなさんや保護者の方ともつながり、そして行政ともつながっていけて、素晴らしいことだなと思いました。それが本当に広がっていってほしいと祈りにも近いような思いを持ちました。

 5年8カ月たってみて、子どもたちに何か変化というものは? もちろん甲状腺がんは、信じられないくらいの数が福島では公表されていますし、その他の地域では検診は任せられていて、やった地域しかわからない、もしくは親が子どもを連れて行った場合しかわからない。松田さん、何か5年8か月というなかでお気づきのことはありますでしょうか。

 

松田さん) 健康診断に関しては、丸森で2名見つかったと言いましたが、学校とはまったく関係のない検診で、情報としては学校に来ないのです。福島もそうです。だから卒業生が甲状腺がんになったかは見えない。

 うちの学校では、気管支の不調が長引いている子がいたり、これまで出会わなかったウィルス性の湿疹と診断される子がいたり、なぜなのか分からないけれども、そういう子どもたちが増えている。

 広げていく際の問題点として、教育委員会や教職員など当時いろいろ関わった人たちが人事異動で交代して新しい人が入ってくると、放射線に対する意識のない人たちにまた戻ってしまうので、また一から繰り返し話して意識の醸成をしていかなければいけない点があります。

 

 

大谷尚子さんより、SOYプロジェクト、宮城県の学校の養護教諭たちを訪問した映像が紹介されました~

※『SOYプロジェクト/Support and Survey on Young Generations ~保健室および地域の健診データ記録・蓄積化~』:SJF助成事業(OurPlanet-TV・ 養護実践研究センター・「チェルノブイリ被害調査・救援」女性ネットワーク による) ――放射線被ばくによる子どもの心身の変調を早期に把握し、健康状態を記録する仕組みの土台づくりをめざす。その際、各地区に散在する検診について集約し、先進的な事例を学校の参考に供する。また、子どもの健康モニタリング指針を作成し、養護教諭と共有する。

 

 

佐々木)何かご質問ありますか。

 

参加者)さきほど松田さんから宮城県で健康診断のデータが出ていないと聞いたように思いますので付け加えさせてください。

 私は、宮城県もふくめて東北・関東ぜんぶ市町村ごとに、健康診断のデータを情報公開で開示請求して入手しています。宮城県の教育委員会は4年ごとに、全部の市町村の健康診断データを統計化し、冊子を作って近隣に公表していて、私も入手しました。毎年作ってほしいと県教育委員会にお願いしたのですが、非常に厳しいということでした。学校保健会として作っているので、各市町村のデータを入手して4年間でまとめて出しているとのことでした。

 

松田さん) 定期健康診断の結果は出ているのですが、丸森の人たちはもう成人している方たちなので、学校にここの卒業生ですということは知らされてこないのです。

 

参加者) 今のご質問でおっしゃったのは、宮城県全体や市町村ごとで4年ごとにとりまとまっていて、冊子になって出ているというお話だったと思います。そういう冊子は各学校の保健室などに県なりから送られてきて、有るのではないでしょうか。(松田さん「有ります」)

 ですけれども、おそらく県全体のデータというのは、個々の保健室にとってはあまり直接役立たず、それほど直接関係してこないと思うのですが、大谷さんのお話で保健室のデータは5年間の保存期間があるということでした。進学先の学校にデータが送付される際に、手元には残らないのでしょうか。また、5年保存ということは、5年たつと全く保健室には残らないということなのか、1年生だった子はまだ5年生なわけで使うこともあるだろうから、保存しておくことも可能なのでしょうか。

 

松田さん) 法令では、最終学校で5年間保存です。小学校には残りません。最終学校で廃棄となりますが、廃棄も整理していかないとなかなかできないので5年以上残っていることはあると思います。

 健康診断もいろんなところで放射線に関連したものをする必要があるのではないかと、国の研修会などいろいろなところで話したのですが、「それは東北に特化した話でしょ。レベルが違うからなかなか統一はできない」と話されたこともあります。でも、そうお話された方も「福島の方もいろんなところに避難されているのですよね」と話されたので、やはり全国的にそういった健康診断が必要なのではないかなと思います。

 気づいたところで声を出していかないと、変わっていかないのかなと思います。

 

データ公表を控えさせる動きにも、子どもたちが自分の体を守ることができるように働きかけ

参加者) 神奈川の高校教師です。先ほど子どもたちと一緒に校内の測定というお話がありましたが、神奈川のある高校では、子どもたちが文化祭の出し物として、校内の測定結果を公表しようとしたら、校長からストップされました。先ほどの食品のデータもそうですし、わりと積極的に公表なさっているのかなと思います。そういう取り組みをすることに対して、行政や管理職のほうから圧力は無かったのでしょうか。また、いろいろ基準が出ていますが、国の基準ですと100Bqですが、100を切っているものについて公表することに、やはり控えさせるような動きは無かったのでしょうか。

 

松田さん) ありました。震災前、私はワクチンやフッ素、化学物質などの情報を保健だよりに掲載していたのですが、規制されたことはありませんでした。震災後は、やはり放射能のことを掲載しようとしたときに規制がかかりました。当初は保健委員会のデータを私は地表10cmで測定していたので、それを出したいと校長に許可を求めたのですが、今回は数値についてのチェックが入り、子どもたちが測定したものは不正確だからと校長が自ら回って測定したデータに変更しました。

 でも校長も放射能の事は心配だったのだと思います。公表すると校長の責任になるというのはあったのですが、私は「公表しないと子どもたちが自分の体をどう守ったらよいか分からないし、それを身につけさせるのが私の仕事です」と話をして、公表させてもらいました。

 ただ最初は、100Bq/kg以下のものは必要ないということで公表ができませんでした。でも100というのは流通の基準であって、子どもたちが食べてよいかどうかは子どもたちが判断することですし、その地区の数値が出ているということはその地区の生活の参考になりますと、いろいろやりとりして100Bq/kg以下の数値も出させてもらえるようになりました。

 校長先生から見れば、職員もみんな放射能に関しては被災者という意識があったと思います。結構うるさい養護教諭がいたので、それにかこつけているというのもあったのではと思います。

 

佐々木)これほど先進的な取り組みをしている学校や地域はなかなか無いと思います。放射線被ばくによる子どもたちへの影響があるなかで、子どもたちがこれから健康に暮らしていくために、どんな取り組みをしていけばいいのか、お二人から問題提起をしていただきました。ぜひみなさんのテーブルでも今後どう連携しながら子どもの健康を守っていったらよいのかという視点で議論を進めていただければと思います。

 

 

――グループ発表とゲストのコメント――

~グループ対話を行い、それを会場全体で共有するために発表しあい、ゲストにコメントいただきました~

 

(参加者)「学校環境衛生検査の項目に線量測定結果が含まれていないのは、おかしいよねという話がでました。どうやったら項目に含まれるようになるのかと話しましたが、法律改正になってくるので、一筋縄にはいかない。

 現地、福島だからこその難しさもあるのだと思います。情報公開がやりにくく、保養にも行きにくい。福島としても国としても、安全なのになんで保養に行くの、基準値以内なのになんで必要なのというようになっている。

 国家権力の病み方が具体的に見えるねという話も出ました。森永や水俣の話も、国が抑え込む。それはミルクのせいではないとか、パターン化されているという話も出ました。とくに、放射能は目に見えず、いつまで続くのか先が見えないという特殊性があるという話になりました。」

 

情報隠蔽がうむ避難者いじめ

「大谷さんから原発事故後に、養護の先生は学校のデータをとりなさいと言われ、何のデータを取ればよいのかと思ってきたけれども、今日のお話を聞いて、一例一例の子どもたちにきちっと向き合うことが大切なんだと分かったという話があって、グループのみんなが共感できました。私たちも因果関係を立証するためには何か精緻なデータをきちっと取って数字にしなければいけないのではと思ってきましたが――ずっと先に裁判をする時には必要なのでしょうけれども――、いま何をするかといったら、子どもたちを丁寧に見ることが大切で、それは普段の養護の先生方のお仕事なんだと教えていただきました。

 いろんな学校へ働きかけをしてきた方からは、校長先生とはやりとりしてきたが、養護の先生とやりとりしたことがなかったので何かつながりを持つことがこれからの課題だと話されました。

 情報隠蔽の問題も出ました。横浜で、避難者のいじめ認定がこの間ありました。放射能と言っただけで非常にネガティブ、あるいは情報がきちんと共有されないというなかで、そういうことが起きていますので、きちんと語れるような環境ができたらいいなという話になりました。

 実際に養護の先生が子どもたちを見て何か気づいていくのは、5年目から10年目、15年目と、これからが大切なのではないかなと思いました。チェルノブイリを取材した際もそう思いましたので。保健室の先生方が、いかに一人一人を見てくださるかが大切で、いかにそれを浸透させられるかが大切なのではないかなと思いました。」

 

「学校のなかなか厳しい状況をうかがいました。結局、保護者に判断させ、自己責任を迫るということになりがちで、こちらの保護者の方からも、3.11直後から学校や行政にすいぶん働きかけても動いてくれないという話が出ました。

 他の地域や保健師とのつながりはどういう形かと松田さんにお聞きしたら、栗原にはネットワークがあって、指定廃棄物が来ることから住民の関心が高まって、いろいろ講演会などができたそうです。ただ保健師や養護教員はなかなか動きにくく、松田さんはわりと小さい学校だから、子どもたちといろいろ話せるし、掲示物も細やかにできるのですが、大きな学校では養護教諭は忙しくそういったことが難しい状況だそうです。

 そういう状況でも、いかに風化させないようにしていくか。すぐには見えにくいことですが、子どもたちの変化をきちんと見ていくのが大事です。土壌や給食の放射線測定もずっと続けて行く。今まで原発の外に出なかったはずの放射能がそこにもあること自体は間違いのないことですので、少なくともそういったことに取り組んでいくしかないという話になりました。」

 

口に出せないけれども忘れているわけではない

「情報発信をするときにいろいろ制限や圧力はかからなかったのかという質問があり、国とか出典元がきちんとしているものは発信できるのではないかとか、お母さん方が対策を工夫していることをインタビュー記事として発信するよう工夫したとか、子どもたちから『シーベルトって何、放射能って何』とすごく質問された時には校長先生に『子どもたちにきちんと答える責任があるから対応したい』と話したという話が聞けました。

 私自身、養護の先生とお話しすればよかったなと思いました。

 放射線被ばくのひどい宮城の方では、海の幸、山の幸、自分たちの食文化が壊されて本当に悔しいという話に、いろんなものが壊されてしまったのだなと改めて思いました。こちらの関東でもまだまだ汚染がひどくて、土壌汚染の高い測定値が見つかります。情報をきちんと与えることが非常に大事だと思います。

 意識が風化していて周りの人は気にしていなさそうという話が出ましたが、アンケートを駅前で2時間やると決めて行ったところ、10人くらいが答えてくれればいいだろうと思っていたら、なんと初日50人も答えてくれました。すごく驚いて、本当は、口には出せないけれども忘れているわけではない人が多いのだなと思いました。自分の責任として発信していくことが大事だと思ってやっているという話が出て、発信していると、たとえばサッカーやっている人がこんなふうに気をつけていますよとか、あちらからも発信してくれたりする。だから発信し続けていることが大事だなと思いました。」

 

「みなさんそれぞれ熱い思いを持っていらっしゃるので、それぞれの方の経験をうかがっていました。そのなかで、高校の先生をされている方から、学校に来た消防士から『3.11のその日にどうだった』と聞かれた子どもたちが『楽しかった』と言ったと伺い、ショックでした。子どもたちはあまり話したくなくもう忘れたくて、そんなふうに言ったのではないかなと個人的には思いました。

 福島のほうで、学校に家から水を持ってくるなと言われているところがあるそうで、みんな忘れたい雰囲気にあって、大げさに掘り返すようなことをすると邪魔者扱いになってしまう現状があるようで、悲しくなりました。

 養護教諭を目指し在学中ですが、子どもが守られていない現状があるなかで、これだけ子どものことを考えてくれている方がたくさんいることを私は心強く思いました」

 

隠そう、逃げたい、でも発信していく放射能問題

「保養活動を事故当時からやっていらっしゃる方にお話をうかがっていました。国や地域がやることはいろいろあるとは思いますが、まず子どもたち自身が自分たちを守っていくすべを身につけていく必要があるのではないかという話になりました。私が保養活動の同じプログラムでずっと同じ女の子を見てきたのですが、ある時、私妊娠できるかな、結婚できるかなとポロっとお話しされたことがありました。私は何とも答えられないし専門家でもないのです、今私もできないしこれから一緒に考えていこうねと、受けとめてあげるような言葉を言ったのですが、『それがよかった』と言ってくださいました。そういうことがこれから大事になっていくのではないかなと思っています。

 そういう子どもたちがいるなかで大人たちができる役割としては、放射能の問題を発信していくことなのではないかなと思います。隠そう、隠そう、逃げたい気持ちは分かるのですが、あえてそれを発信していかないと、これから何も解決していかないし、放射能について語ることは何となくタブーになっていますが、それが一番危険な風潮なのではないでしょうか。」

 

養護教諭の仕事は、話題を提起し輪を広げていくこと

大谷さん) 養護教諭のことを知らなかった人も含めてここに参加していただき、養護教諭の仕事を知っていただけたことが嬉しいです。そして養護教諭の仕事とは、話題を提起して、輪を広げていくことです。今回そういう意味ではとても意義のあることだったかなと思います。ここで話をしてお仕舞ではなくて、どんどん広がっていくことを期待したいと思います。 私たちもみなさんのお話しを聞いて、養護教諭のあり方を考えたいと思います。

 私は今回、福島の方にも呼び掛けました。いろんな都合があってこられなかったのですが、やはり気になっています。私たちSOYプロジェクトのメンバーは、福島にも関わって、何かあったらいつでもとメッセージは出していますけれども、まだそういう状況ではないのです。ですから今回は福島の方ではなくて、周辺の人たちが考えて、できることはこんなことがあるのではないかと考えて、福島にも伝えていきたいと思います。

 それからあと一つは、福島の人だけの問題ではないということです。東京も河川の水がどんどん汚染されて、空気だけでなく、土壌もどんなに汚れているかということがあります。それぞれそこで生活している人たちの問題として真剣に取り組まなければいけないなと思います。

 

福島に関心を持ち続け、一人ひとりが気づいた時に声をだしていく

松田さん) 東北からこちらに来させていただいて本当に嬉しく思います。ここだけでも、いろんな情報が分かったと思います。「栗原子どもを放射能から守るネットワーク」を毎月1回第2土曜日に開催してきました。じじばばの会で、年齢がいっている分資料作りが多くて大変になり、2か月に1回にしようとなってしまいましたが、毎月やっていたというのが私にはとても力になりました。チェルノブイリの情報をいただくのも大事なのですが、地域の人たちが月に1回集まっているというのがすごくよかったです。ここにも、東京のみなさんがたくさんいらっしゃると思いますので、ぜひ地域でつながっていって、広めていって欲しいなと思います。

 みんな(放射線は)無いものでいたほうが楽なんですよね。放射能は全然変わらない状況なので、調査を続けていければと思います。

 福島のことがたくさんでましたが、福島に関心を持ち続けていくことが大切だと思っています。修学旅行先がうちの学校も福島に戻りましたが、子どもたちが行っていることで、もう安心でしょうみたいにとらえられますよね。行くことに不安を感じていても声に出せないという状況が今もあります。私も、養護教諭でも、若かったら声を出せなかったかもしれません。退職も近くなり、怖いものが無くなって、声を出せているのかもしれません。福島に関心を持って、一人ひとりが気づいた時に声をだしていくことが大事だと思います。

 美味しいものが、山のキノコや栗など、汚染されてしまったのがとても悲しくて、思い返すともう前のような生活はできないのかなと悲しくなります。

 女川にも原発がありますし、原発は全国にたくさんあります。どうぞそのことに常に関心を持って、放射能がそこにあるということだけでなく、もう少し視野も広げていかなければいけないのかなと思います。

 

市民からの働きかけで動いた自治体

佐々木) 情報発信のことをみなさんが重要だと思ってくださったのですけれども、こういう市民の活動や情報発信によって行政が動いたということがありましたら、ご紹介いただけないでしょうか。

 

白石草さん・OurPlanet-TV) たしかに福島ではとても声をあげられる状況ではなく厳しいとは思うのですが、離れるほどいろんなことができています。松戸を皮切りに、千葉県の9市――汚染状況重点調査地域といわれる地域――での甲状腺検査は、お母さんたちが学校や自治体に働きかけてスタートしています。我孫子も今年の議会で甲状腺検査が決定されました。松田さんのところも甲状腺の触診をしていますが、東京都内でまずは学校で春の健診時に甲状腺の触診をやることは、お金もかからないですし、一つのケースとしてあると思います。北茨城市も保護者の声で、甲状腺検査をしていて、全員やっているところと補助金が出ているところといくつかのパターンがあります、自治体ごとにボトムアップの動きがでてきていることもあります。あまり知られていないけれども、浪江町も健康手帳をつくりきちっとした施策を行っています。

 私たちのSOYプロジェクトで、来年の3月までには、そういったものをきちっとまとめて、みなさまと共有できればと思います。

 東京も汚染されていて、五輪どころではないです。他人事ではなくて、ここ東京でやらないといけない状況で、来年から甲状腺検査を自主的にスタートするところもあります。

 

佐々木) 私たちがしなければいけないことは、まだまだたくさんあります。たとえば我孫子市には、保健室のデータの保存期間を5年から延長することを、議会で通していったお母さんたちの運動があります。

 いま5年8カ月というところですが、チェルノブイリでは30年経ってもいまだに子どもたちの不健康な状態がずっと続いているということが知られています。公衆衛生というところまで本当に行き着けるかは厳しいですが、発信しながら仕組みをつくり連携を深めていく活動、みなさんがお話してくださった内容がもっとたくさんの人たちに見えるようにしていきたいと思います。

 

●今後の企画ご案内 『ソーシャル・ジャスティス基金 助成発表フォーラム第5回』
【パネリスト】公益社団法人 子ども情報研究センター 奥村仁美さん
      NPO法人 わかもののまち静岡 土肥潤也さん
      NPO法人 メコン・ウォッチ 木口由香さん
【日時】17年113(金) 18:30~21:00
 【会場】新宿区・四谷地域センター
 ★詳細・お申込みはこちらから

 

*** 今回の2016年11月19日の企画ご案内状はこちらから(ご参考)***

 

 

 

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