ソーシャル・ジャスティス基金(SJF)アドボカシーカフェ第74回開催報告
みんなで子どもを育む社会へ
~心の声を聴く子どもアドボカシー~
2022年9月3日、川瀨信一さん(一般社団法人子どもの声からはじめよう代表理事)、松田妙子さん(NPO法人せたがや子育てネット代表理事)、小澤いぶきさん(児童精神科医/認定NPO法人PIECES代表理事)をゲストに迎え、SJFはアドボカシーカフェを開催しました。
政治的な分断、国境、利害を超えて、一人の人として関わり合えることが市民性の強みだと小澤さんは語りました。自分の声が聴かれていないときは誰かの声を聴く余裕は無くなってしまう、子どもも大人も一人の大切な人として声が聴かれる社会を手元から共につくっていきたいと提言されました。赤ちゃんの声も聴かれていないことが増えているという実感を松田さんは示し、子どもの声を守るには育てる人の権利もあわせて守っていくことが必要であり、安心して子育てができる環境を一緒につくれるまちにしたいと強調されました。
子どもの聴かれる権利を保障する取り組みが「子どもアドボカシー」だと川瀨さんは説明しました。川瀨さんは、児童相談所に保護された子どもの声を聴く活動を、市民の立場から続けています。声がより聴かれづらい人も安全に声が出せ、それが社会に反映されていく、そのプロセスを共につくっていくところに、これからの時代における市民性のヒントがあるのではないかと小澤さんは投げかけました。
日本の医療現場で、社会の構造的ひずみを背負って生きている子どもたちに出会った経験を小澤さんは話し、人に頼るのが難しく孤立を深める子どもが多く、「ここに居て大丈夫なんだ」という感覚、心理的な安全が守られていることが必要だと指摘しました。聴いてくれる人がいるという信頼感のある社会をつくり続けていくにはどうしたらよいかと川瀨さんは問いかけました。また、高速生活の大人が赤ちゃんや子どものペースに合わせる難しさや、支援者がどこまで他者の生活に踏み込んでよいかといった躊躇が松田さんから示されました。
さまざまな葛藤も共有しながら、社会に寛容さ、気持ち的・時間的・空間的なゆとりを増やし、声を上げ、声を聴きあう場をどうつくれるか。みなさんそれぞれ実践されていることを知って、自分にもこういうことができるかも、次にこういう場面があったらこうしようという考えが膨らんだ時間になったと川瀨さんは締めくくりました。
詳しくは以下をご覧ください。 ※コーディネーターは佐々木貴子(SJF運営委員)
(写真=左上から時計回りで、小澤いぶきさん、松田妙子さん、佐々木貴子さん、川瀨信一さん)
――川瀨信一さんのお話――
このアドボカシーカフェは対話の時間を大事にしているということで、初めましての方のお話も今まで関わりのあった方のお話もすごく楽しみにしております。最初に私と大切な仲間の二人から話題提供させていただきますが、みなさんの普段の問題意識やアイディアなどを重ねていきながらよりよい場にしていきたいと思っています。
私の最も古い子どもの頃の記憶といえば、家で母親が掃除機をかけている場面から始まります。私は父・母、弟と4人で生活をしていました。ところが、物心がつくころになると、家がゴミだらけの状態になってしまい床も見えないほどでした。この家にいるのがすごくしんどかったので家に居つかずに、小学校高学年になるとゲームセンターに入り浸っているような少年でした。
児童相談所に2回、小学校4年生の時と6年生の時に保護され、心理司さんに「里親がいい?それとも施設がいい?」と尋ねられました。友達の家にお邪魔させていただくことが多かったのですが、その友達を自分のゴミだらけの家に呼べないという思いがあったので、友達を呼べるような普通っぽい家がいいなと思い、里親家庭での生活を希望し、周りの大人がかなえてくれた、そういう経験があります。
かつての私と同じように虐待され、公的な機関に保護されながら、その尊い命が失われてしまう事案が後を絶ちません。2019年には千葉県野田市の小学校4年生の女の子が、いじめに関する学校で行われたアンケートでSOSを発信して、保護された児童相談所でも「お父さんが怖いから家に帰りたくない」と伝えていながら、結局は親戚方、そして父親の元に帰されてしまって、虐待がエスカレートして亡くなってしまいました。
2020年には広島県で、児童相談所で保護された中学生のお子さんが「お母さんと離れたくない」とずっと訴えていたのですが、虐待が疑われるということで通信や面会が事実上制限されて、一時保護委託されていた児童養護施設で自ら命を絶つという事案が発生しました。
一見、この家に帰りたくないというお子さんと、家族と離れたくないというお子さんは対照的な事案に映るかもしれませんが、私にとっては共通点がある事案です。それは、子どもがSOSの声を繰り返し上げているのですが、その声が軽んじられてしまったり無視されてしまったりする点で、その結果、大切な命が失われてしまった事案だと認識しています。
とりわけ野田市の事案は、私がかつて保護されていた児童相談所と同じ所が関わっていました。自分の経験としては、自分の思いを大切にしてくれる大人がたくさんいる場所だった、その同じ児童相談所でなぜこのようなことが起きてしまったのかということが、いま取り組んでいる活動の一つの大きな原動力になっています。
こういう問題が起きた時、社会のなかで公的機関に対する非難、責任を追及するような言論が増えてきますが、携わった職員一人ひとりの責任ということではなく、構造上の問題からとらえていく必要があると思っています。
例えば、児童虐待は社会の中で発見されるようになった問題です。発見されるようにはなりましたが、必要な対応が十分には行き届いていない。児童相談所の職員が増えてはいるもののニーズに追いついておらず、また、人を増やしたからといってすぐに十分な対応ができるようになるわけではないので、一人ひとりのお子さんの声を丁寧に聴くことが構造上難しい状況になっていると思います。
また、子ども一人ひとりの経験世界に焦点をあてると、さまざまなことで子どもは声を上げることの困難に直面することがあります。例えば、両親が離婚していて過去のことを教えてもらえないという訴えがあります。考えてみると、自分がこの先どうしていきたいかを人に伝えられる前提として、自分や家族が置かれている状況や今後どんな選択肢があるのかについて知る権利がきちんと保障されていくことをセットで考えていかなければいけないのですが、子どもたちに十分な情報が提供されていなかったり、担当の児童福祉司がころころ代わってしまったり、嫌だったことを書いても何も変わらなかったという不満が子どもにあります。あるいは不満ではなく、職員さんや周りの大人が一生懸命関わってくれているけど、本当はこうして欲しいということを申し訳なさから言えないという子どもの声もあります。
声を上げられないということは、形に見えるような暴力と比べるとたいしたことはないと思われるかもしれませんが、自分の気持ちや考えが抑圧された経験と捉えることもできます。例えば、家族との関係を回復したい、将来こういうことを実現したい、そういう夢をあきらめた経験がいかに深刻であるか。また、自分が困難に直面していることが周りの人に理解されないことによって、その困難はより強大なものになっていき、孤立感、孤独感が深まっていく。これを子どもから大人に向かう家庭で繰り返し経験することによって、自分の人生のハンドルをしっかり握れないような、何かコントロールできないような感覚に陥っていってしまいます。
子どもの聴かれる権利を保障する取り組み「子どもアドボカシー」
こうした現状を踏まえて、子どもの参加する権利のなかで子どもの聴かれる権利、自分の考えていること思いを伝える権利を保障する取り組みが、私たちが取り組んでいる「子どもアドボカシー」です。
子どもアドボカシーは「声を上げること」という意味合いがあります。子どもたちに説明する時は「マイクのような存在だよ」と紹介します。今日も午前中、活動をしていたのですが、子どもたちにマイクを使って説明をしました。マイクが勝手に子どもの伝えたいことと違うことを違うタイミングで発することはなく、だけれども小さな声、細い声を必要な人たちに確実に届けていく、そんな役割を担っています。
私たちの団体(一般社団法人子どもの声からはじめよう)は、2018年にカナダのオンタリオ州にあるアドボカシーオフィスの実践を学ぶところからスタートし、これまで海外の先進的な取り組みを牽引してきた実践者の方々を招きながら国内の関心のある方々と共に学びを深めてきました。
そうした学びの蓄積のなかで、子どもの権利を守るという出発点に「子どもの声」がなければいけないよね、ということを明確にしてきました。考えてみると、「子どもの権利を守る」ということは「子どもの最善の利益を保障する」ということですが、その前提には、子どもの声が尊重されて自分の意見を表明できる機会がきちんとあったり、自己決定を重ねていく機会があったりすることが重要です。そのツールの一つが子どもアドボカシーになります。
子どもアドボカシーには大きく二つあり、一つは、一人ひとりのお子さんが自分の人生をコントロールできるように権利侵害の申し立てへの早期対応や安心・安全・健やかな居場所づくりに反映していく個別的アドボカシーです。もう一つは、そうした個別の声を集積して、ケア実践や家族支援に反映したり、コニュニティーへの参加や多機関連携へ反映したり、よりよい国・自治体の制度・政策を見出していく集団的(システム)アドボカシーです。
私たちは、専門職の人たちで子どもの声を大切にして関わろうとしている方とたくさん出会ってきましたし、親や養育者の人たちもインフォーマルな立場で子どもの声を代弁することもあります。また、子ども・若者が自分と同じような経験をした人たちとのピアのつながりによってエンパワメントされて声を上げられるようになったり回復したりしていくこともあります。私たちは独立/専門アドボカシー、利害関係から解放されて市民の立場からお子さんの声を聴かせていただくという役割をしています(下図参照)。
児童相談所に保護された子どもの声を聴く 利害関係から解放されて市民の立場から
とはいえ、市民が何も学ばずに子どもアドボカシーに参加できるかというと、気をつけなければいけないことや考えなければいけないこともありますので、関心のある市民の方々と一緒に学んで、このアドボカシーの仕組みを支えていくチームをつくっていく、そんな観点で講座を実践しています。その上で、昨年6月から東京の特別区にある児童相談所に毎週土曜日に通ってお子さんの声を聴くという取り組みをさせていただいております。
導入部分では、子どもアドボカシーとはどんなことか、訪問するアドボケイトとはどんな人たちかを子どもたちが知って、アドボケイトとの関係性を築いていく段階があります。ポスターを貼ったり、ポストで予約ができるようにしたり、動画で説明をしたりしています。
意見形成・意見表明支援では、子どもからアドボケイトと話したいと申し出を受けたときに、子どもからお話を聴かせていただいて、さらにリクエストがあれば、その聴かせていただいたことを職員さんや家族、学校の先生や友人、交際相手に伝えていくというアシストをさせていただいています。
こうして定期的な訪問によって聴かせていただいたお声をもとに、定例研究会を設けたり、児童相談所との定例協議会を設けて児童相談所の仕組みの改善に市民の目線から声を上げています。
こうした取り組みは今2年目に突入していますが、子どもたちの声のヒアリング調査からは、「混乱している時期にアドボケイトとお話することでホッとできた」、「自分の思っていることを言っていいんだと思いました」、「職員さんとは違う、秘密を守ってくれる存在なんだ」、「アドボケイトに話したら、職員さんがちゃんと対応してくれるようになった」といった嬉しいお声をいただきました。一方で、求められている分、「もっといてほしい」、「週に2回は来てほしい」、「自分からはちょっと話しかけられないから、アドボケイトからどんどん話しかけてほしいんだ」といった声もいだだき、また、外国にルーツのあるお子さんやハンディキャップのあるお子さんにもアドボカシーの機会を提供できるような工夫が引き続き求められていると思っています。
運用の視点としては、児童相談所のような秘匿性の高いところに市民が定期的に入らせていただいて仕組みを改善していくことに関われていることが成果です。また、市民である私たちが訪問することによって、職員さん、フォーマルな立場の人たちも「聴けているようで実は意外と聴けていなかった」とか「子どもに必要な情報を説明したつもりで、子どもも『うん』と言っていたのだけど、実は伝わっていなかった」ということにお気づきいただいて、「私たちもアドボカシーをしなければ」と意識を改善してくださっていると感じます。
課題としては、私たちは声を上げやすい環境をつくることは得意なのですが、実際に何かトラブルが起きてしまった時に誰がどういうふうに関係していきながら解決を図るのか、お子さんの声を聴いていくと深刻なお話を聴くことがあってアドボケイトの心の負担が大きくなることもあるのでケアする人のケアをどうするのか、というのがあります。
子どもの声を守るには、育てる人の権利もあわせて守っていくことが必要
「みんなで育てる」社会にむけて、みんなの権利が守られる社会へ
今日の後半の議論に向けてみなさんに提供できるものとして、「アドボケイトする」とは子どもの権利を守る、子どもの声を聴くということなのですが、その時にアドボケイトのみなさんに折に触れて伝えるようにしていることは、ケア、声を聴くということは、一方通行ではなく相互の営みだということです。子どもの権利を守るということと同時に、子どもに関わる私たちの権利もきちんと守られている必要があると伝えています。「こういうケアをしてあげたい」と思っても、身も心もヘロヘロではいいケアはできませんし、子ども側にも「こういうことをしてほしい」とか「してほしくない」ということを求める権利があります。子どもの声を守るということは、その子どもに関わる大人、支援する人、育てる人の権利もあわせて守っていくことが必要だと思っています。
後半の議論につなげていくために3つ問題提起したいと思います。
まず一つは、個人的な経験から共有させていただきます。2年程前に、私が生まれ育った場所で虐待防止の講演を依頼されて、その講演に向かう電車で起きた場面です。目の前に座っているおそらくお母さんと2・3歳位のお子さんなのですが、「パパはなんでいないの」とお子さんが泣きわめいているのです。お母さんと思しき人は「パパはいないの」と怒鳴って軽く子どもの頭をたたいていました。自分はそこで「何かしなきゃ」と思ったのですが、何もできないまま、お声がけも何もできないまま一駅でお母さんはその女の子を引きずるようにして電車を降りてしまいました。「声を聴く」とか「子どもを大事に」とか言いながら何もできていない自分がそこにいて、みなさんにもお伺いしたいのですが、いったい市民としてどうするべきだったのか、すごく心の中に引っかかっています。
二つ目として、そういうことをデータで考えてみると、内閣府の調査(2020年「少子化社会に関する国際意識調査」)ですと、「子どもを産み育てやすい国だと思うか」という質問に関して、ドイツ・フランス・スウェーデンは70%台~90%台の人が「そう思う」と回答しているのに対して、日本は約60%の人が「そう思わない」と回答しています。これをどうとらえるか。
私はSNS世代、Twitter、Facebook、インスタグラム等に慣れ親しんでいる世代ですが、SNSはいろんな当事者の本音が集積する場です。Twitterではここ数年ですと、「職場で産休や育休をとりにくい」雰囲気や実際に何か言われてしまったこととか、「バスで『ベビーカー畳め!』と罵声を浴びせられた」とか、この間は「蹴られた」と暴力の行使があったことが話題になっていましたし、「外出時に赤ちゃんが泣きだして周囲の人に嫌な顔をされた」とか、子育ての当事者が子育てをしにくいという本音を吐露しています。また、第三者の視点では、「公園で子どもにボール遊びをさせるな」とか、「近所の幼稚園や保育園で子どもの声がうるさくてたまらない」とか、「混んでいるスーパーで子どもにセルフレジをさせている親とか、商品をあれこれ触らせている親はどうなんだ」というようなことが言われています。
みなさんと考えたいことの三つ目として、こういった子育てしにくい「空気」の原因はなんだろうか。どうすれば、その空気を解消できるのだろうか。こういう本音を認めて、でもこういうふうに考えることもできますよね、といった対話の場がなかなか無く、なんとなくギスギスした空気が子育て当事者の周りを覆っていることを感じます。かつて社会の中にあった「みんなで育てよう」という空気感をどうやって取り戻せるのだろうか。
これらを今日考える軸として問いかけをさせていただいて、私の前半の発表を終わらせていただきます。
――松田妙子さんのお話――
私は本当に地域のおばさんなので、川瀨さんが専門家・当事者の立場からスタートしてくださって、いぶきさんはお医者さんの立場から――それだけではないですが――、私はまちの人の立場からなのかなと思ってお話を準備しました。
せたがや子育てネットという団体は、もともと私は世田谷では子育て支援グループamigoというグループを始めたのですが、世田谷はあまりに大きすぎるので、いろんな地域のいろんなグループがネットワークして子どもたちのことを考えられる大人を増やしたいとつくった団体です。現場のこともたくさん取り組んでいます。
このイラスト(下)は、丸山誠司さんに私の考えを送って描いていただいた図で、「子育ては大玉おくり」と言っています。子どもはずっと守られて送り出されるだけではなく、地域のみんなが手出しをして、いろんな人たちがこういうふうに手を出して関わってくれる。それは直接ではないかもしれないけれど、子どもたちのためにというまちにしていく。その時には、子どもたちも自分たちでできることがあったり、発信したり、意見を言ったりしながら、そこに参画していくことができたらなと思って、こんなイラストを描いていただきました。
せたがや子育てネットは長くやっているうちに建て増しした家みたいになって、いろんなことをやっていますが、無かったこと、欲しかったことをやっていく。その時には、いろんなグループや立場の人たちと一緒につくっていく。関わり方はいろいろですが、そういう方たちにお力をいただきながら進めてきました。
自分自身は母方のおじいちゃんが大工さんの家で育ちました。大工さんの家はいつも地域にいるので町会のことをやっていたり、祖母が民生委員をやっていたりして、いろんな人が「ちょっといい?」と相談に来る家でした。まちのなかに誰かいて、ちょっと相談にいくというのが当たり前の景色であり、今やっていることはそれに近いのかなと思っています。誰にもそういう場やそういう人が思い浮かべられるようなまちがいいと思っています。
「こどもの城」で働いていましたが特別感がありすぎて、もっと身近で、わざわざ行く場所でなく、自分の地べたのところに仲間がいたり、子どもが自由に行ける場があったりするといいなと思っていました。
自分の子育ては自分が生まれ育っていないアウェイの場所で始まったのですが、本当にまちの人たちに助けられたし、自分も赤ちゃんがいたのですが、自分たちで欲しい場所をやってしまったりして、それが今につながっています。結局、いろんな当事者の人たちが、「自分たちが思っていることができる」ということがすごく大事だと身をもって感じています。
出産費用が高いという声を集めて発信することを最近やりました。「おでかけひろば」という事業をやっているので赤ちゃんを連れたお母さんが来るのですが、よくよく聞いてみると、まず妊娠したかもしれないという時に(いろんな思いがあると思いますが)1万円かかったり、そこから出産に至るまでの費用が高かったり、出産費用が世田谷では100万円越えが当たり前という話を聞いて、こんなに長く子育てに近いところにいたのによく分かっていなくて、当事者の声を聴いていなかったなと思ってアンケート調査を行いました。
アンケート調査からはすごいデータが出ました。出産一時金(42万円)をもらえる人が多いのですが、調査に回答した人たちの7%しか出産費用全額を出産一時金で賄えなかったのです。すごくびっくりしました。子どもとその家庭や家族に優しくないと改めて実感していますし、応援団とか言ってきたけど力不足を感じて落ち込んでいます。
もう一つ、産後のお家にご飯をつくりに行く活動を2001年からしていて、私はすごく大事なことだと思っています。
日本は、子どもがお家にやってくる、子どもと出会うタイミングに戸惑いがすごく多い国なのです。その時に「大丈夫だよ」と安心させてくれる人は誰なんだろうと思うと、もっと身近にいっぱいいた方がいいと思いますし、「どうしたらいいんだろう」ということを堂々と言えたり手伝ってもらえたりする社会がいいなと思っています。私自身も知らない町で出産・子育てをしたので、東京はもっとそういうことが多いかなと思い、産後のお家にご飯をつくる活動をしてきました。
最初に行ったお家には私自身の6か月の子どもをおんぶしていきました。ご事情があって助けがなかなか得られないお家で、出産がゴールでもうヘトヘトで、赤ちゃんをだっこするのも嫌だと思っている人だったので、私自身の子どもを連れて行ったことでお世話の様子を見せたり、半年ぐらい経つとこんな感じになるけどオムツ替えはするしお世話はまだまだ続くんだよといった話をしたりしました。
「これが正しいよ」と伝えるというより、赤ちゃんという人と新しく家族になった人が「いい塩梅」を見つけるというところをちょっと伴走することをずっとやってきました。それを公的なサポートにしてもらいたいとずっと動いてきましたが、でもそれがサービスになってしまうとつまらない感じになってしまうので、ピアサポートであることを保持しながら、それが公的に支えられている仕組みがあると――これは産後のケアだけではないと思いますが――いいなと感じているところです。
活動を始めると、「ごはんだったら作れるわよ」とか「お掃除だったら得意よ」とか「洗濯ものを干すのなんて毎日やっていることだから大丈夫」いう地域のおばちゃんたちがいっぱいサポートに入ってくれたのです。そういう人たちが生活のところだけだったらバクアップできそうだなとやってくれたのを覚えています。みんなが自分ならできそうなことでサポートできたらいいなと思っています。
赤ちゃんが安心してすごせるよう親へのサポートを受け継いでいく
とくに最近、赤ちゃんたちが安心して過ごせる空間をつくってもらえていないことがすごく多いと思います。そこには、親が赤ちゃんに慣れないまま、子どもとの暮らしが始まってしまうというのもあります。赤ちゃんが生まれてきて、お腹の中にいた時から比べるとすごい重力がかかっていて世の中が重たくて仕方がない時に、周りはどうやってサポートしたらよいのか。具体的に、抱っこの仕方とか、家のなかの間取りとか、子どもたちの力がだんだんついていくようなサポートとか、育てる人たちの体の負担をなるべく軽減するようなやり方は、地域の人たちが脈々とやってきたことで、実はよく知っていたことなのに全然伝わっていない。だから、それを次の人たちに見せながら伝えて、次の人たちが取り入れてくれるような活動をしたいなと「げんこつやまプロジェクト」を立ち上げて細々とやっています。最近は保育園の休み時間とかに行って、若い保育士さんたちと一緒に練習をしたりしています。
それから、先ほど川瀨さんがインフォーマル・アドボカシーについて話されたことに関連する話だと思いますが、地域の人たちが子どもを見守る時にどういうことに気を付けたらよいのか、実際に起きていることで知っていただいて対話する「区民版子ども子育て会議」を行っています。ぜひ、みなさんのまちでも行っていただきたいと思います。こういったことをしながら、お互いの立場や考え方や視点を対話しながら理解しあっています。「切れ目ない支援」や「外遊び」「働き方」などについて官民交えて盛り上がり、政策にも反映され、行政と区民のパートナーシップの醸成にもつながっています。
大人は子どもにとっての大きな環境 安心する子育ての環境を一緒につくれるまちに
実際の子育て支援の場として「おでかけひろば」が世田谷にはあります。全国に地域子育て支援拠点事業ということで8000か所位、児童館や支援センターなど名前は異なりますが、自治体にだいたい必ずあります。ここはイベントをやっている場所というよりは、日常のハレとケがあるとしたらケの部分。いつもいるよ、という場所。どんな顔をしてきてもいいよ、よそ行きの顔で来なくてよい場所。でも私たちが「居場所だよ」と言うと白けてしまう。居場所になるかは、その人次第だと思って、コツコツと場をつくっています。スタッフとボランティアと利用者さんがごちゃまぜで、水平対等な関係になっています。
大人というのは子どもにとって大きな環境だと思うので、大人たちがまず心を許し合える人がいたり、安心できたり、自分自身も選べたりすることが、次、子どもに対しての関わりが適切になるのではないかと思って、大切にこういう場をやっています。
地域子育て支援コーディネーターというのも全国にだんだん配置されています。利用者支援事業ということで、ひろば等に来ている時にぽろりと言葉を発してくれれば、その先に何かサービスや保健師さんにつないだ方がいいかなと「つなぎ」をする人が日本にいま整備されてきました。それを世田谷でもやっています。どちらかというと予防的に「起こらないことを起こす」みたいなことで、個別の相談だけでなく、サービスが無かったらその人たちだけのために資源をつくったり、ちょっとインフォーマルなものだったり期間限定のものかもしれないけど何かを一緒につくってみたり、場合によっては公的な場、自治体の「子ども子育て会議」などに提案して、世田谷でなんとかできないかなと物事を生み出してみたりしています。
たとえば「かみきたFive」を、無かったのでつくってしまいました。ちょうど始まったばかりです。世田谷区の中でも、杉並区と隣接して大きな道路で阻まれていて世田谷の資源がなかなか無い場所だったのです。そこに住んでいる方をたまたま児童館でナンパして「どこに住んでいるんですか」なんて聞いたら噂の上北沢5丁目だということが分かったので、自治会長さんに聞いたら借りられる場所も見つけられて、やりとりに時間はかかりましたが、「いいじゃない。私たちの頃は子どもたちはぐちゃぐちゃになりながら遊んでいたのよ。今は子どもたちが外で遊ばないのよ」と言ってくれて、始まりました。
「こんなことができたらな」とか「私たちのまちがこんなったらいいのにな」とか、みんなけっこう思っているけれど、みんなで話した時でないと出てこなかったり、そんなの無理だと思っていたりする。でも、それは子どもの世界とまるで一緒だと思っていて、子どもたちのために場をつくることや、安心する子育ての環境を一緒につくることがまちでできたらいいなとやっています。こういうのはまさに、コーディネーターが動いています。
中学校に赤ちゃんを連れていく授業もやっています。なんか体験したことがあるということは大事で、体が覚えているみたいな、自転車は一回乗れたら必ず乗れるのですが、赤ちゃんの抱っこもそんな感じで、目的は「自分の後に生まれてきた人への態度と責任」などとかっこいいことを掲げていますが、そんなことを共有できる場を世代を超えてできたらなとやっています。
実は私たち、ベビーカーマークをつくる国交省が立ち上げた協議会に参画しました。これまでは禁止マークで、ベビーカーを押す人がスカートをはいているマークしかなかったので、それを中性マークにしてくださいと言ったり、ベビーカーを畳まずに乗れるということが既に決まっているのならきちんと伝えてほしいと言ったりしています。
こんなこと変わりっこないと思っていたことも、小さい穴が開き始めて共感する人が増え始めている。
大江戸線の電車には「子育て応援スペース」ができています。ただ、隔離は嫌だと思っています。専用にして「子どもは、あっちに行け」という社会はおかしい。どんなところに行ってもウェルカムだったり配慮があったりすることが大事で、目の端にでも入っていないと排除になってしまうので、応援スペースはいいけど専用スペースはいらないと思っていて、その違いを話し合いたいと思っています。
商店街イベントの歩行者天国で道遊びをしていたら、「道に落書きをしてもいいんですか?」と聞いた子どもがいたのです。
子どもたちが自由にまちの空間を使うことに対してはまだまだ不寛容で、うっかりするとルールができてしまう。でも、子ども中心の社会はそれでいいんですか、と思います。もっと大人ができることがあるなと思います。
砂場を掘り起こしてふかふかにするプロジェクトもやってみたりしています。
『道はみんなのもの』というベネズエラの絵本がお勧めです。私が想う子どもアドボケイトさんが出てきます。こういったことを勉強しながらまちを変えていきたいと思っています。
世田谷はお祭りがわりと好きで、コロナで難しいこともありますが、そういうところに子どもをたくさん呼び込んで、「子どもの声がするまちは元気でいいね」と言ってもらえるよう意識的に仕掛けているところです。
個人でできることの提案としては、「ごみになるまえにご自由に(53⇒52)」ということで、ちょっと家の外に誰かがいることを想像する暮らしという意味で、自分のお家で採れたものだったり、お裾分けだったり、読み終わった本だったり、そこで対話ができてもいいし、見えないところでの交換の文化ができたら面白いんじゃないかなと思っています。
私たちは、海でおぼれる人にライトを当てて救うよりは、そもそも、すべての人がライフジャケットをつけられればいいんじゃないと考えていますし、海が寒くて溺れるような場所でなければいいんじゃないとも思います。そんな予防型の活動をしています。それは、誰にでもできる。だけど、支援は受け手と支え手が行ったり来たりできる、私もいつか支える側に、とか、いまは支援する側だけれど、しんどい時は支援も受けられる、そんな社会になればいいなと思っています。
――小澤いぶきさんのお話――
みなさんとこの場を共有できているのがとても嬉しいです。
私自身はもともと児童精神科医という子どもの心の専門医として働いていました。医療現場、行政機関、児童相談所で働いた後にNPOを立ち上げました。いま、子ども家庭庁準備室の政策アドバイザーも務めています。
私は子どものころから国際紛争にとても関心がありました。なぜ、同じ地球に生まれてきたのに、生まれてきた場所や育った場所が違うだけで暴力にさらされたりするのか。人や集団の持つ暴力性とその背景が気になっていました。同時に人が持つ可能性や癒しといったことにも関心がありました。そのような経緯があり医療現場に入っていきました。
日本の医療現場で出会った 社会の構造的ひずみを背負って生きている子どもたち
実際に日本の医療現場に入って知ったのは、日本にも本当にすぐ近くに、いまこの瞬間にもいろいろなサインを出している、でもそのサインが受け取られずに独りでがんばって生きている子どもがいるということでした。医療に来てくださって初めて出会った時、体のあちこちが傷だらけになっているように、子どもの心の痛みが深まっていることがありました。そしてその痛みを自分で何とかしながら生きてきたということを子どもから教えてもらいました。
実際に子どもや周りの人たちからの話を聴くと、子どもが痛みを抱えざるを得なくなっていた背景には、保護者や養育者の孤立があったり、さらにその周りに子どもに関わる大人や組織・関係機関がひっ迫していたり、さまざまな働き方の問題があったり、社会の構造的なひずみがありました。でも、そのひずみが子どもたちにしわ寄せされて、子どもたちが社会の痛みを背負って生きていかなければいけないというのはとても不条理だと感じました。
社会は、私たちがつくっていて、もし私たちがそのひずみを生み出しているとしたら、もしかしたら子どもたちが社会の痛みをそんなに一手に背負わなくていい、子どもの声が聴かれて、子どもにとって安全な、私たちにとっても安全な、お互いのことを大切にしあえるような社会を子どもと共に自分たちの手元からつくっていけるのではないかという思いがあってNPOを立ち上げました。
人に頼るのが難しく孤立を深める子ども
インフラのように安全にお互いが頼りあえるような関わりが広がる社会に
日本では10人に3人の子どもが孤独だと感じていると言われています。「自分は孤独だ」と感じる子どもの割合がOECD諸国で日本は最も高くなっています。
内閣府の「子供・若者の意識に関する調査」からは、子どもが困ったことやしんどいことがあった時に、頼ったり助けたりしてもらえる環境が子どもの周りにない、孤立の現状が伺えます。これはインターネットによるアンケート調査なので、インターネットでアクセスできる子ども・若者たちからの回答です。「どこにも相談できる人がいない」と答えた子ども・若者が21.8%、「支援機関を利用しようと思わない」と答えた子ども・若者が69.7%いたのです。
私たちは生きていく時にさまざまな制度があり、その制度が保障されていることがその人の権利を守ることにもつながっているからこそ制度は大事なのですが、その、制度がうまく利用されていなかったり、そもそも制度が無かったりアクセスが難しいということが実際に起こっています。
一方で、「支援機関を利用しようと思わない」時に、子どもたちの周りには誰もいなかったのかというと、そんなことはないのです。たくさんの大人たちが電車やコンビニですれ違っていたり、隣に住んでいたりします。
「周りに人がいなかったわけじゃない。でも誰も自分の本当の気持ちに向き合おうとしてくれなかった。どうせ大人なんて誰も信用できないと思ってきた。一人でもいいから、ちゃんと話を聴いてほしかった」
子どもたちが教えてくれた言葉です。
子どもたちと話しているときに「頼ってよと言われるけど、どこに頼ったらいいの」と聞かれることがあります。たくさん人がいる、でも子どもがその人たちに安全に声を出せると思えているのか、頼っていいと思えているのかというと、そうでもないことがあると子どもたちから教えてもらいました。
人に頼るとはとても主体的な行為なのです。まず、自分の何が困っているのか、自分のニーズが何か、自分の願いが何かということを何となく自分で、感受していくということがあります。その後に、じゃあこの人に相談してみようかなとか、ここにチャットしてみようかなとか、方法や安全に相談できる人の顔が思い浮かぶ。そして実際に相談する行為を行う。こういう3つのハードルを越えて私たちは誰かに頼っているのだと思います(下図参照)。ここでいう問題は、社会は地域等自分を取り巻く環境にある問題のことですその人自身のことではありません。
でも、本当にしんどい時はいろんなことが複雑に絡み合ってしんどくなっていて、具体的にこれを何とかしてほしいんですというより、もっと手前の混沌とした状況があるかもしれません。また、頼ったら何とかなったという経験が無かったり、安全に頼れる人が周りにいなかったりすると2番目のハードルを越える手段が突然無くなってしまうのです。とても疲れ果てているときに、じゃあ声を出して「助けて」と言うのは難しい、「助けて」と言うのはとても勇気のいる行為だと思うのです。
この3つのハードルは本当に困った時は難しくなる。だからこそ、困っていても、困っていなくても、しんどくなるもっと手前にインフラのように安全にお互いが頼りあえるような人と人との関わりが子どもたちの周りに、そして社会に広がっていけばいいなという思いでNPOを運営しています。
政治的な分断、国境、利害を超えて一人の人として関わり合えることが市民性の強み
子どもも大人も一人の大切な人として声が聴かれる社会を手元からつくる
私たちは「時代を超えて、子どもと共に優しい間をつむぎ続ける社会」ということを目指して、そのために「社会に市民性を醸成する」ということを行っています。
「市民性」って何なのか、少しだけ話させてください。
子どもの周りにはたくさんの大人とかいろんな支援の場があるはずなのに、なぜそこが安全でなくなることがあるのか、多くの子どもたちが孤立感を抱いているのか。孤立を深めてしまう前に、心の傷が深まる前に、どんな環境があればいいのだろうか。周囲にできることはどんなことがあるだろうか。
「市民性」というのは、いわゆる国に紐づいたということではなく、広い世界を共にしている一人ひとりが一人の人として関わっていく時に発揮されるものだと考えています。私はたまたま医者という役割があり、子どもの母親だったりしますが、でも子どもと共に生きている一人の市民でもあります。
自分に何か、自分の周り、地域のこと、子どもの環境のことで少しずつできることがあって、それを自分の手元から行っていくことで社会が変化していくんだということを感じながらつくっていけることが市民性だと思っています。
この市民性の醸成によって「優しい間」を広げていくという営みを育んでいます。「優しい間」って何かというと、安全に頼ったり、頼られたりできる状態が立ち現れていることだと思っています。でもこれはすごく難しいことだと思います。たとえば私とある子がいたとして、もし私がその子に自分の価値観を押し付けたり、その子を一人の大切な人と見ないで可哀そうな子だと見たり、この子はこう思っているに違いないと思って関わってしまったら、その子はその子の中にある多様な自分を出しづらくなるかもしれない。本当はこう思っているんだということや願いやニーズを出しづらくなるかもしれない。
「安全」はとても難しくて、安全に子どもが自分の感情を出してよいと思える、自分の願いを出してよいと思える状況を、なんとなくでは作れないことが多いからこそ、「市民性の醸成」をプログラムとしてさまざまな地域でいろんな人たちと広げています。
市民性を醸成する「Citizenship for Children」というプログラムを紹介させてください。子どももその子として在れるし、大人も自分として在れるような地域というのを探求しながらつくっていくプログラムです。まず、講座で地域や子どものことをさまざまな形で当事者や専門家、地域の方と学んでいます。そして、講座を受けている人たちと、実際に地域や仕事で関わりながら、相手や自分の本当の願いは何なのか振り返っていきます。その中で、実は自分の経験を押し付けていたかもしれないとか、自分の眼鏡だけで子どもや社会を見ていたかもしれないと気づいていきます。さらに、地域や仕事場でその人が関わっているさまざまなところで、子どもやその場にいる人たちの声を聴きながら、ニーズに対して何かをつくるアイディアを形にしていくという3つのプログラムから成っています。
正解がなく、このプログラムは講座だけではなく、ゼミなどを通して誰かが教えるということはなく対話をして模索を積み重ねています。このプログラムがいま様々な地域で広がっています。東京都では駄菓子屋スペースができていたり、茨城県では子どもとコンビニのイートインスペースを地域に開放して子どもたちが自由にくつろげる場ができていたりしています。
大人が変わって、地域が変わっていくと、子どもたちはもともと持っていた力を発揮していきます。「なんかムカムカしてたの、どっか行ったや」とか「ちゃんと向き合ってくれる人がいて嬉しかった」とか「初めてこんなに人に話を聴いてもらった」などいろんな声を教えてくれています。
参加した大人も「自分は素人だから子どもと関わることはできないと思っていたけれど、同じ志をもった仲間とも出会えて、やっていけそうだと思えました」とか「『仕事』と『子どもとの関わり』は別物だと思っていたけれど、その仕事も実は地域での暮らしであり、市民としてのフィールドだと気づき、周囲の人々との関わり方も見直すようになりました」。
「仕事で子どもと関わっていないから」と悩まれる方がいらっしゃるのですが、私たちはメディアや仕事の広告を通してもすごく子どもに影響を与えているのです。たとえば、「美白がいい」みたいな広告があったとして、それは子どもに「白くなければいけない」という文化を押し付けているかもしれない。それぐらい、ちょっとしたこと、存在していること自体が子どもたちに良くも悪くも影響しています。
子どもたちと社会をつくっている時に、なぜ市民性を醸成していくことを大事にしているのかを共有させていただいて、次にバトンを渡したいと思います。
存在していること、そのこと自体が子どもに、誰かに、社会に影響している。これは、何かをするということだけでなく、しないということも含めて影響しているなと思います。「そこにいるのに、話をきいてくれなかった」、「一人でもいいからちゃんと話を聞いてほしかった」、「学校の帰りに切手屋さんがいつも気にかけて声をかけてくれた」。
存在しているからこそ傷つけることもあるし、安全を生み出すこともあります。私たちは人だから完全ではなかったりします。だからこそ、子どもも尊厳ある一人の大事な人として、権利の主体として関わっていく。「私のことを全部わかってると思わないで」、「可哀そうって決めないで」、「大丈夫って勝手に決めないで」と子どもたちが教えてくれることがあるのですが、一人の人として子どもと関わって、子どもは何を感じているのか。その子はどんな子なのかということを、純粋な人としての関心を持って関わっていくことがとても大事だと思っています。だからこそ、市民性の醸成が大事なのではないかと思っています。
利害を超えて本当に一人の人として関わり合えることが市民性の強みなのではないかと思っています。そこに政治的な分断があっても、国という境界があっても、一人の人として純粋な関心で相手に興味を持った時、そこにいろんな可能性が広がると思っています。
「ひらかれたwe」と私たちが呼んでいる、お互いや世界と自分が影響しあい響き合いながら存在している感覚を大切にしながら子どもと共に社会をつくっていきたいと思っています。
市民性は、一人の人として関わること。友達との関係に終わりも始まりもなく、それぞれがどうしたいかを自分たちで決められるのだと思います。子どもとの関わりも市民性で関わるとはそういうことで、勝手に始まりとか終わりを決めるのではなく、子どもがどうしたいかを決めるということが大事だと思っています。その人のなかにある多様性を大切にしていく。
この他、アートプロジェクトも行っています。子どもは「権利としての遊びが大事だ」と言われていますし、実際に子どもの遊びは子ども自身が危機を乗り越える時に自分で活かしている大切なものでもあるので、こういった遊びをエンパワメントするプロジェクトです。
私たちの言葉一つひとつが子どもの環境をつくっているからこそ、「発信ポリシー」をつくって、それに基づいて広報の言葉をつくっています。広報でも誰かを消費するストーリではなく、構造に働きかけるような定義などをしています。
それぞれがほっと立ち止まって、社会を問い直すようなきっかけをつくるキャンペーンを今やっています。
子どもをみんなで育てていく お互いが大切な人として生きていける社会とは
子どもを社会全体で育てていくとは、子どもが一人の人として大切にされて、誰もが一人の人として大切にされている状況でもあるのかなと感じます。でも、赤ちゃんが泣くという一つの行為も大事なサインだけれども、それがちょっとキュッとなってしまうことがあったり、公園は子どもが遊ぶところでもあるけど子どもの声を聴かずにまちがつくられていったり、そういった誰かの声がないまま、誰かの痛みの上にしか社会が生まれなくなってしまう状況は、私からすると痛むなと思うのです。「いま何が起こっているの」、「どんな声があるの」、「どんなふうにしていきたい」、「もうちょっと詳しく教えて」、そういったことをお互いが立ち止まって聞き合えるような社会の余裕とか、目的・的ではない純粋な関心でお互いに話せるようなそういった余裕がどんなふうにしたら生まれるのかな、どんなふうにしたらお互いが大切な人として生きていけるのか、今日は一緒に考えていけたら嬉しいなと思います。
――パネル対談――
佐々木貴子さん) いま3人の方から問題提起も含めてお話いただきました。3人とも、本当にいろんな方たちと対話を重ねながら、正解が無いなかでどうしたいのか、自分の心の声も出しながら、お互いに話し合いながら解決していくということを進めていらっしゃることがよく分かりました。
川瀨信一さん) 妙子さんといぶきさんのお話を伺いながら、すごく共感する部分がたくさんありました。社会のなかで目的・的になっていることや余裕のなさに対して、かつての社会の機能や文化を再構築していく時に、かつてあったものをそのまま再現することになるのか、それとも違うものに変化していくものなのか。「市民性」といった時に、市民性はどんどん変わっていくものだと思うので、「今まではこうだった、昔はよかった」ではなく、次の文化をみんなで築いていけるかという視点が大事なのではないかと思いました。たぶん変化するなかで、それは何か合理的な理由が誰かにとってはあって変化していたり、より大きな力のなかで一人ひとりの目線からは見えていないものだったりがあるかと思うので。そんなことを思いながらお二人のお話を聴かせていただきました。
松田妙子さん) いま私は困窮家庭への食の配布を行っています。コロナ禍で学校がお休みになって、給食費が免除の家庭は、昼食代の負担になると大変だと思って始めたのです。でも実はコロナだから始まったことではなく、ずっとある課題だったのです。ただ、なかなかそこまでたどり着けてなくて、すごく悩んでいたのです。差し出がましいのではないかとか、自分が子どもたちに直接かけられる言葉がないとか――そういう思いでPIECESの講座を受講中なのですが――、踏み込んでいいのかなという躊躇がすごくあります。そういう躊躇がある人のほうがいいとは思うのですが、自分がそういうふうに思った瞬間、踏み出せない感じを実感して、とはいえやるしかないと2年間やってしまいました。でも勢いだけではよくなくて、その後の影響や、一方通行はよくないとか、いろんなことを考えながら今やっています。そういう戸惑いがあるところを、みなさんにも伺って、見つめたいなと思います。
小澤いぶきさん) 川瀨さんと松田さんのお話を伺いながら、いくつかあるなと思っていました。一つが、「子どもと共に」とか「子どもの声を聴く」といった時に、「誰もが大切にされる」と言っても、そこにはどうしても力関係があって。子どもが大人に何かを押し付けるよりは、大人が押し付けてしまうことが多かったり、そういった力関係は大人の中にもあったりすると思います。非対称性があるなかで、より声が聴かれづらいとか、本当に心の声を含めてちゃんと安全に声が出せて、それが社会にしみわたっていく、そのプロセスをどうやったら共につくっていけるのか改めて考えさせられました。そのなかに、川瀨さんが先ほどおっしゃったように、これからの時代における市民性のヒントがあるのかな。子どものまなざしを川瀨さんも松田さんも聴いていらっしゃるんだろうなと思うと、これからの時代における市民性を、子どもの声をふくめて改めて一緒に考えていければなと思いました。
もう一つは、自分の願いと相手の願いがコンフリクトすることがある。話していくと、願いと願いが重なって「つながったね」ということもありますが、お互い一人の人間なので葛藤が生まれることもあると思います。私も一人の親として、「いま子どもとゆっくり過ごしたいな」と思いながら「あ、ミーティングが」といったこととか。また、松田さんの今の話を聴いて「頼る」って、「いまこれをお願いしていいのかな」といった葛藤もあったな後思いました。でも、もしかして相手からすると、「いまこれ『いいよ、いいよ、やるよ』と言っていいのかな」といった躊躇があるかもしれない。そういったお互いの躊躇があるなかで、ちょっとした葛藤が生まれたりするかもしれない。その葛藤をばさっと切るよりは、その葛藤をいい形で子どもにも自分にも安全な形でうまく共有しながら次の道をつくっていけるか、地域や児童相談所などいろんなところでどうやっているのか学びながら、みんなでどうつくっていけるか考えたいと思います。
川瀨さん)お二人の「頼る」とか「頼られる」という話をきいて一つ思ったことがあります。
「安心」とか「安全」とか「信頼」とか、そのあたりと「市民性」はつながるかもしれないと思ったのです。弱い立場や困った状況に直面しているときに、声がけは社会や他者に対する信頼感がないとそういうアクションにつながっていかないと思うのですが、その信頼感はどういうふうに共有できるか、信頼感は誰かにあげても減らない、連鎖していくものだと思うのですが、そういう営みとしてどういうことが考えられるだろう。
また、大人にとっての「安全」と子どもが「安心して過ごせる」とは実は違うのではないか。そんなことも話題にできたらいいなと思いました。
――グループ対話とグループ発表を経て、ゲストからのコメント――
※グループにゲスト等も加わり、グループの方々に感想や意見、ご質問を話し合っていただいた後、会場全体で共有するために印象に残ったことを各グループから発表いただき、ゲストからコメントをいただきました。
佐々木貴子さん) みなさん、今の思いを交換できてよかったと思います。ゲストの3人から言葉を添えていただければと思います。
小澤いぶきさん) この場を共にしている方たちの心の声や、感じたことや、葛藤のなかにたくさんの知恵や宝物があって、そこからどんなものが生まれていくのかなと思いました。ほんとうに正解は無いなと思います。今日はゲストとしてここにいますが、普段はただただ葛藤しながら生きている一人で、正解はないからこそ考えていきたいと思っています。
人の声は、感じたことは今日と明日では違う、タイミングによってもその人の状況によっても違う、誰といるかによっても違う。「声」と一言でいっても、その人のなかの声が多様であるからこそ、声は変わるし揺れるし、全部が大事だよということを受け止め合えたらいいなと思って聴いていました。
物理的に安全であることは大事である一方で、それがあるから別に安心できるわけではないということも大事な眼差しだなと気づかされました。そこの後の安全、心理的な安全、「ここにいて大丈夫なんだ」という感覚を誰もが守っていける、一人ひとりが守っていけることは、本当に正解がないから絶えずつくり続けていくことでもあると感じながら伺っていました。
子どもの声が聴かれるとか、子どもも共に生きていけるとか、子どもも安全にということを考えた時に、子どもと共にいる私たちもちゃんと声が聴かれるとか、自分が大切にされるとか、それは並行プロセスで子どもに影響するだろうと思います。自分の声が聴かれていないなかでは誰かの声を聴く余裕は確かになくなってしまうと思いますので、自分たちのとか、保護者のとか、子どもに関わる人の声も聴かれる、そこにある葛藤も大切にされるという形を模索しながら一緒につくっていきたいと改めて思いました。
いろんなレイヤーで子どもに直接的に関わっているかどうかに関係なく、誰もが社会に関わっていると今日改めて思ったので、それぞれの立場や地域にいるからこそ見えている葛藤をシェアしあいながら知恵を寄せ合いながら、そこにちゃんと子どもが参加して子どもの声が聴かれているという状態を共につくっていくところに市民性が醸成されていくのかなと思います。
松田妙子さん) グループ対話でみなさんがご自身のことを話してくださったのが有難いなと思いました。みんな自分の話ができるといいなと、いつも思っているのです。私たち自身が聴かれている心地よさをもっと実感するといいなと思っています。つい聴く練習をしがちですが、聴かれる体験を増やさなくちゃと最近思っているところです。自分が気持ちいいこと、してもらって嬉しかったことは大事だなと思っています。とくにコロナで声を出すこと自体がはばかられるような時で、声で届けることはすごく大事だなと思っています。
川瀨さんの電車の中でのエピソードを聞いて、私が普段持ち歩いている物を紹介したいと思います。こんなフェルトで簡単な指人形です(写真下)。お子さんの年齢にもよりますが、保護者の見えないところでちょこちょこ動かしたりして、「えっ」と急に泣き止んで一緒にいる大人がびっくりして「何が起きたの」みたいな。私はしゅーっと隠したりして。最初はケロヨンのたまたま持っていたカエルさんでやっていたのですが、ある時すごく気に入られて持って帰られてしまったので。その話をしたら、ひろばのあるエリアのメッセというイベントの実行委員たちが「それ、いいね」と言って、みんなで一個ずつ持って、特定のプログラムをやるお部屋でだけでなく、途中の廊下などでもやって、市民性なのか分かりませんが、そういう遊び心もなんかいいなと思っています。ちょっと持っていると面白いと思いますので紹介しました。ただ縫って顔を付けただけのグッズですが、私は気に入っています。
ちょっとずらして笑いが起こるような空間をその時にいる人たちでつくるって、すごく大事だと思っていて、「私がやらねば」とか思って「やれなかった」と思う必要はない。
私たちは赤ちゃんといると、赤ちゃんが声を出した時は一緒に声を出したり応答したりしてきましたが、それがいま難しいのです。赤ちゃんも声が聴かれていないのです。もしかしたらお腹の中にいる時から。「苦しいよう」と言っているかもしれない状況とかもある。それは全て悪気があってではなく、こうしたらいいということを知らなかったりする。実はもう諦めている赤ちゃんが多いとすごく感じていて、「いや」と言えなくなって諦めている。
本当はその人のペースに合わせようと思ったら、今の日本社会のペースと全然違う。時間の流れ、お金の流れが子どもと全然違うじゃないですか。大人はそっちを生き抜いていかなければいけないのに、子どもの時間にも合わせなければいけない。
動画の再生をみんなはよく1.5倍にして早く視聴し終えていると思いますが、むしろ0.75倍で聴くぐらいで赤ちゃんと過ごさないといけないので、赤ちゃんと一緒にいる人はそこの行き来が激しいから大変だと思います。電車の中でお互いがぐいぐい肘を押し合って自分の空間をつくることに象徴されるような感じではなく、お家の中に限らず赤ちゃんがいる空間が0.75倍になる、そういう感じができないかなと思っています。でも、0.75倍でありつつ1.5倍の世界に徐々に近づいて生き抜いていかなければいけないのかな、ずっと0.75倍でいると1.5倍の世界に打ちのめされてしまわないかなと葛藤があって、それでも大丈夫な社会に本当はしたいなとは思いますけれども。社会みんなで子どもを育てようとか言っているけれども、子どもは0.75倍で世間は1.5倍で、社会と世間は違うというところにいつも葛藤があります。でもこういう話をして頷いてくれる人を周りに増やして、善玉菌を増やす腸活みたいな、そんな活動ができるといいなと思います。
川瀨信一さん) 松田さんの指の人形で僕の悩みはちょっとほっとしました。
社会に寛容さ、気持ち的・時間的・空間的なゆとりを増やしていきながら、普段何気なく思っていることが何気なく言える場をどうつくれるかを皆さんがそれぞれ実践されているということを知って、自分にもこういうことができるかもとか、次にこういう場面があったらこうしようということが膨らんだ時間でございました。
こういうことを対話していくことの先に次の市民性とか、次の地域をどうして行くかがぼんやりと見えてくると思うのです。制度や政策で予算をつけて後押しされるフレームが社会に整っていく――例えば出産費用支援を拡充していくといった――話と、現場で一人ひとりの眼差しや温度感のなかでそういうことを実感できるかという話はギャップがあることが多い。そこをどう埋めていけるかは、出発点はそこにいる人たち一人ひとりが感じていること考えていることを声にしていくこと、そこから対話が始まっていくことが、建前を本音にしていく、仕組みを文化にしていく時に非常に重要だと、今日の対話を受けて改めて思った次第です。
今日が関わりの出発点にまたなるようにと思って、これからもどうぞよろしくお願いしますという気持ちです。ありがとうございました。 ■
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