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ソーシャル・ジャスティス基金(SJF)

助成発表フォーラム第10回 報告

 

 ソーシャル・ジャスティス基金(SJF)は、公募により審査決定した第10回助成団体の方々(性売買経験当事者ネットワーク灯火の松岡さん、一般社団法人子どもの声からはじめようの川瀨信一さん、気候危機と水害:ダムで暮らしは守れるか?連続セミナー実行委員会[以下、気候危機と水害]のつる詳子さん)を迎えた助成発表フォーラムを2022年1月7日、オンラインで開催しました。

 

 小学校6年生で児童相談所に川瀨さんが保護された時、児相の職員が川瀨さんの希望を何とか実現しようと奔走くださったことが川瀨さんの今に続いていると、経験に根差した子どもアドボカシーの活動が話されました。子どもが意思決定するプロセスで自分の思いをきちんと尊重してもらえる経験となる「聴く」を実践する市民アドボケイト。声をあげる力を奪われてしまっている子どもの声を聴く難しさがあると松岡さんは指摘しました。それは、性搾取の被害に遭った女性の声が聴かれてこなかった経験と重なります。

 性売買せざるを得ない困難を抱える女性がケアを受けられる仕組みづくりが、性産業が偽の「セーフティネット」化している日本では乏しい現状において、まず当事者同士が安全に語り合える場をつくることから始まっています。

 「聴く」は、この気候危機に直面している今、人の生に不可欠の水の源泉、川の治水の在り方を決定する際にも重要であることが、つるさんのお話からうかがえます。「水害」という言葉がダム建設で生まれた熊本県の球磨川流域。ダムで分断された住民の心がダムの撤去により一つになった経験から、本当に喜ばれる公共事業は、行政や事業者も自信が持てて、住民との情報共有が円滑であると言います。今、水害の原因が検証されないまま新たに建設されようとするダムに対して、自然と人との付き合い方の見直しが求められています。

 聴いてもらえない、声をあげられない経験は、孤立感を強め、分断を深めます。しかし、問題の現場で、声にならなかった声を大きくして、世論につなげていく基盤となる活動が確かに育っています。

 詳細は以下をご覧ください。

Allguest20180109

 

――開会挨拶―― 

上村英明・SJF審査委員長) 「明けましておめでとうございます」、といった時に何がおめでたいのだろう、といつも考えるのです。「おめでとう」の自己流の解釈として、人間の社会は時間に区切りをつけるというのがとても大事なのだと思っています。それ以前のことをきちんと反省し、新しいビジョンを練って進んでいくための区切りです。その点、今回ソーシャル・ジャスティス基金(SJF)は10回目の助成を迎えることになりました。本当に喜ばしいことだと思います。SJFは2011年に設立され、助成は翌年から始まりましたが、10回目の助成は私たちにとっては大きな区切りです。

 これまで、SJFが一番努力してきたことは市民社会、民主主義を前提にしながら「見逃されがちだが大切な問題」を支援することでした。なぜ、こういう支援が必要かというと、今は民主主義になり自由闊達な活動ができる社会だと思われがちですが、実は見えるところは見えるかもしれませんが、そこに見逃されがち、あるいは見ないことがたくさんある社会だからです。それがSJFの起点だと思います。

 そして、この第10回の助成公募から、「グローバル化社会における草の根民主主義」というテーマも特設しました。これは、日本だけでなく、日本社会につながるグローバルな活動も支援できたらと考えたからです。

 みなさん、2021年はどんな年でしたでしょうか。社会がまだまだ見落としている問題があるというだけでなく、私にとっては、この市民社会をみなさんがどんな基準で見ているのだろうと疑問が沸くような終わり方をした年だったかと思います。必要なことと必要でないこと、あるいは大事なことと大事ではないこと、その区別ばかりではなく、見逃されがちなことをどういう基準で判断するのかということも問われた年ではなかったでしょうか。総選挙の結果に、「あれ?」と思いました。

 ともかく、市民社会を深く築くという点で、SJFは助成させていただく団体の方たちと仲間でありたいという姿勢でおります。また新しい年が始まりますが、みなさんも昨年までのことを踏まえ、民主主義や人権に関する意識をかなり高めながら、SJFと意識を共有し、ともに歩んでいただければ有難いと思います。
Allguest20180109

 

――第10回助成事業 発表とミニパネル対話――

  • 性売買経験当事者ネットワーク灯火 松岡さん

性売買経験当事者ネットワークの立ち上げ

 現在の日本社会では、女性に対する暴力や性暴力が深刻な状況にあります。その中でも、女性の性の商品化、性搾取は深刻な状況にあるのですが、性暴力被害者である女性でも声を上げられない社会で、性売買・性搾取の被害者は、より声を封じられている現状があります。

 現在の日本において、性売買経験当事者に対する社会の無理解は深刻であり、当事者の人権や尊厳が守られていない、尊重されていないという現状があります。そんななかで、当事者が声を上げることや、実態を明らかにするという活動は、性売買業者からの攻撃も深刻であり、この灯火の活動やメンバーの安全を守るために、匿名で顔出しをしない形で発表させていただきます。ご理解よろしくお願いいたします。

 本日は、社会的背景、活動目的、活動内容、活動意義の順にお話します。

 

 まず社会的な背景についてお話します。

 日本社会では、女性の性の商品化や性搾取が深刻な状況にあります。そして、性売買があまりにも当たり前になっているため、多くの市民はそれが問題であることすら分からなくなっている状況にあると考えています。そのため、性売買の現場にいる女性たちは常に性暴力の被害に遭っているのですが、それが被害として捉えられていないという状況があります。

 また、コロナ禍で女性の貧困や自殺の問題が深刻化しているのですが、そんな中で、やむを得ない事情で女性が性風俗で働くことを待ち望むような芸能人の発言があったり、女性を消費することが男性のステータスであるかのような著名人・政治家の発言が依然として多く見られたりする現状があります。

 

性売買せざるを得ない困難を抱える女性の支援を 買われる女性の被害根絶と尊厳の回復を

 売春防止法は1956年にできましたが、この法律の目的は、性道徳に反している女性を保護更生することになっています。女性側が、主体的に性売買を持ち掛ける存在とみなされており、買う側の男性は受動的な存在として位置づけられています。勧誘罪の罰則も男性側には適用されず、あくまで女性が売る側とみなされ、「売春」という言葉も含めて女性差別的な法律になっています。

 これについては、厚生労働省の「困難な問題を抱える女性に対する支援のあり方に関する検討会」でも改善の必要性が言われていますし、女性を包括的に支援する新たな法律が必要であるとも言われていますが、現時点ではこのような問題があります。

 女性に対する暴力や性暴力の根絶、被害者の救済に向けた活動はここ数年で広まりを見せつつありますが、性搾取被害の根絶、被害者の尊厳や権利の回復のための活動は無いに等しい状況です。

 性売買に関わる女性の背景には、さまざまな問題があり、公的支援から零れ落ちています。それでも社会の無理解により、被害を受けても被害を訴えることが難しく、さらに被害を受け続けている女性は「自己責任」、「個人の選択」と解釈されてしまう現状があります。

 

 そんななかでも、性売買の実態や性搾取の構造、性売買業者や買春者たちの姿を明らかにしようと声をあげている当事者もいます。しかし、そのような当事者に対しては業者や買春者から凄まじい攻撃があります。

さらに性売買を「仕事」として扱うことで、性売買の問題を正当化して、当事者の声をかき消そうとする動きも目立っています。これは、根本的な性搾取の構造を見えなくする業者らの手口でもあります。

 

 一方、韓国では、2000年と2002年に性売買女性たちが業者に閉じ込められたビルで火災が起き、女性たちが亡くなりました。そこで、女性運動が起き、2004年に性売買防止法が制定され、2006年からは性売買経験女性が当事者たちでネットワークをつくり、当事者運動を展開しています。

 日本でも、2001年に歌舞伎町の雑居ビルで火災があり、性売買女性が亡くなりました。しかし、韓国のような運動は起きませんでした。これは、女性が抑圧されていて、性売買が当然のものとして容認されてきた日本社会を表すものと考えています。

 こうした状況の下、性売買経験当事者がつながり、共に韓国の当事者運動を学ぶなかで、日本でも反性売買の立場から当事者運動を行いたいと話し合ったことが、灯火の立ち上げにつながりました。

Allguest20180109 (©性売買経験当事者ネットワーク灯火)

 

 次に活動目的についてお話します。

 まずは、性売買が女性に対する暴力であり、性搾取であることを前提にして活動をしたいと考えています。そして、当事者たちの運動を深めていくこと、当事者運動のためのさまざまな連携事業をすることを目的としたネットワークの立ち上げ・構築を行っていきます。

 性売買経験当事者が現場で起きている暴力や被害、搾取の実態を社会に伝えることで、現状を変える当事者運動を行いたいと考えています。

 

 具体的な活動内容については、まず一つ目として、当事者がつながり、安心して語れる場をつくろうと思っています。性売買経験当事者が集まって話をすることが今はまだ難しく危険な状況にあります。そのなかで、まずはお互いを知ること、安全に語り合うことから始めて、活動の基盤をつくっていきたいと考えています。ここでも、性売買が女性に対する暴力であり、性搾取であることを前提にして、当事者たちの運動を深めていくために何ができるかを話し合っていきたいと考えています。この活動はこれから本格化します。基本的に月1回活動し、コロナの状況もみながら交流合宿なども行い、メンバーの関係性を深めて行きたいと考えています。

 二つ目に、性売買の実態を伝える活動を行いたいと考えています。性売買の実態を発信し、社会への啓発を行うこと、問題提起を行うことを目的とし、ホームページやSNSを使っていきたいと考えています。どのような発信をするかを考えるためのミーティングを月一回程度行いたいと考えています。

 三つ目が研修活動です。性売買経験当事者女性だけでなく、支援団体や研究者などと研修の場を持ち、世界各地の当事者運動や性売買に関する法制度を学んで、これからの日本での活動に生かしたいと考えています。この活動は年に4回程度開催することを予定しています。

 

聴かれてこなかった性搾取の被害に遭った女性の声 ケアする仕組みをつくる 安全に語れる場から 

 最後に、この灯火の活動意義についてお話します。

 性売買経験当事者はこれまで当事者同士ですら安全に語れる場がありませんでした。そのため、当事者同士がつながることが難しい状況に置かれてきました。

 日本社会では、性搾取が深刻で巨大産業化しており、活動に対する妨害やさまざまな危険が想定されます。そのなかで当事者たちがつながっていくことは大変難しい問題であると考えています。それでも性売買経験当事者女性たちがつながって安心して語れる場をつくることは、それ自体に大きな意義があると考えています。安心して語り合いながら、まずは共有を経験し、お互いを知ること、そして現状を発信できるように活動していくことを考えています。

 

 日本社会では、これまで当事者の声が聴かれてきませんでした。女性を利用して消費する側である業者や男性たちの目線からの、性売買に関わる女性たちは「遊ぶ金が欲しい」、「好きでやっている」、「自己責任だ」などという考えが浸透しており、性売買が性搾取であるという認識を持つ市民はかなり少ないと考えています。

 そのなかで、被害女性をケアする仕組みをつくるためにも、性売買の現場で何が起きているのかを伝え、市民の意識を少しでも変えていくことから始めようと思っています。

 活動を通して、社会に広く現状を訴え、現実を知った市民が、この現状を放置してはいけないと考え、社会変革のために動き参加してくれるようになることを目指しています。また、性売買・性搾取から抜け出したいと考える女性たちと出会い、支援につなげたり、新たな性売買・性搾取の被害に遭う女性たちを減らしたりすることにもこの活動はつながると考えています。

 

性産業に女性を追い込む社会構造

気候危機と水害 寺嶋悠さん) 私たちの団体、気候危機と水害:ダムで暮らしは守れるか?連続セミナー実行委員会のメンバーは5名の女性で、これまで開いたオンラインでセミナーのスピーカーも女性です。市民社会のなかでも女性の立場は弱いという意識があるためです。

 いま松岡さんのお話を伺って、一般的なことで恐縮ですが、自分たちがいかに無自覚か、無意識に今まで来たのかと考えさせられました。大きな課題を抱えながらも見過ごされてきた問題、私たち市民社会も含めて知られていない問題に、模索しながら取り組もうとなさっていることに敬服する共に声援を送りたいと思います。

 そもそものことですが、性売買を産業として認めるかどうかについては、どのようなお考えでしょうか。現在あるけれども、それは構造的に産業になっているだけであって、もし政府の福祉サービス等が行き届いていれば無くてよかったかもしれない。本人が望んで、と言われるというお話がありましたけれども、本来、女性たちが搾取され、暴力被害にあう仕事に追い込まれる構造があり、結果として存在している産業であってあるべきではない。どう無くしていくかということを、当事者のケアと、自分たち自身でどう切り開いていくか、発信していくかを模索しながら、性売買自体が無くてよい社会を目指していく、という理解であっていますか。

Allguest20180109 (写真=気候危機と水害・寺嶋悠さん)

 

松岡さん) 性売買が性搾取であり、女性に対する暴力であるという認識がなく「セーフティネット」であるかのように扱われていること、女性たちが貧困や性差別の中で、性産業に追い込まれてる社会構造に問題があります。そして、女性が軽視されている社会が、とおっしゃっていましたが、本当に性売買の問題だけではなく、日本の社会全体が、女性が軽視されていて、女性の人権が尊重されていない社会であると感じていて、そのなかで、男性が女性に自分のケアをさせることが当たり前になり、それが性産業を正当化してきたことにもつながっていると思います。

 そもそも、性売買が「セーフティネットだ」と言い始めたのは性産業の業者たちで、これは、性搾取の構造を覆い隠すために使われている言葉であり、搾取のための手口になっています。灯火は、性売買のない社会を目指して活動しています。

 

 

寺嶋さん) いま日本社会は、ますます個が孤立していく社会なのですが、当事者の方々にどうアプローチしていくか。当事者によって立ち上げられた団体ですが、他の当事者にどう輪を広げていくか。まずは当事の声を外に発信していこうという活動ですが、さらに広げていくことについてどうお考えですか。

 

松岡さん) 灯火の活動は始まったばかりです。まずは安全に語ることを大切にしています。自分たちがどんな被害を受けてきたか等を共有するなかで、現場の実態を社会にどう伝えていくかを考えていきます。当事者の安全を確保しながら活動したいと考えていますが、偵察のために業者が女性を送り込むなどメンバーの安全を守れない可能性のある攻撃もあるのではないかと考えているので、まずは安全を重視して語り合いから始めたいと考えています。

 

 

寺嶋さん) 韓国で法律改正があったことや、日本の法律の課題のお話がありましたが、ここから初めての活動で、最終的には日本の売買春に関する法律を変えるというところも視野に入れ、国会議員さんとともに広げていく取り組みも大切になっていくかと思いますが、制度や仕組みを変える点について長期的にどのように考えていらっしゃいますか。

 

松岡さん) 売春防止法の問題点や改正についても厚労省の会議で話し合われているなかで、女性を包括的に支援する新しい法律をつくる取り組みも出ています。そのような会議でも、女性が差別的に扱われてきたことを問題視して発信していくことで新しい法律の制定にも関わっていきたいと思います。

 灯火は、性搾取のなかにいる10代の女性たちを支援しているColaboとも活動を共にしており、Colaboの代表は新法の制定や売春防止法の法改正のためのワーキングチームのメンバーでもあります。当事者たちが実態を伝える活動を通して、当事者の声を国、政治に届けるという活動を今後していきたいと考えています。

 

寺嶋さん) ありがとうございます。よく分かりました。本当に大事な問題だと思います。ほとんど日本で取り組まれていない問題と思いますので、応援しております。

 

 

子どもの声からはじめよう 川瀨信一さん) 私は、虐待を受けた当事者や、親元を離れて施設や里親家庭で生活した経験のある方のネットワーク化、みんなでその困難を共有しながら声をあげていく取り組みをしており、たいへん共感しました。3点お伺いしてみたい点があります。

 一つは、社会から「遊ぶ金欲しさでやっている」「自己責任だ」というスティグマがあって、それが非常に厳しいものだなと感じています。スティグマを解消していくために、当事者の発信プラス、周りにいる支援者や、性暴力被害を受けた人以外がどのように関わると貢献できるのか。

 2点目は、性暴力被害者から、性売買経験当事者と、当事者性を絞っておられると思います。当事者性を絞ることによって、どのようなことができるようになると考えておられるのか伺いたいです。

 3点目は、当事者が安全に語る場づくりを目指されているということで、私たちも子ども・若者が安心・安全に語れる場づくりをしたいと活動をしており、松岡さんが今後どういった方法で進めていきたいとお考えか教えていただければと思います。

 

松岡さん) まず社会から向けられるスティグマも、男性目線でつくられた固定観念のようなものがあり、そのなかで性売買経験女性に対しても、「好きでやっている」といった目で見ているのではないかと考えております。

 また、芸能人や著名人だけでなく、成人男性が外で女性をお金で買うことを当たり前に話せる社会、女性が自分の性暴力被害を受けているということを全く知らないまま、女性を買うことをステータスのように話す社会があります。

 ですので、第三者ではなく、当事者の目線で、自分たちがどのような被害に遭ったのか、どのような危険な目に遭ったのかを発信するだけでも、性売買経験女性に向けられる目は大きく変わるのではないかと考えているので、まずは現場で何が起きているかを安全に発信していく方法を考えています。そのなかで少しでも市民の意識が変わっていけばいいなと考えています。

 

 2番目の質問については、性暴力の被害というと、レイプなどを連想する方が多いかと思いますが、恋人や家族などから被害を受けている女性も多くいます。それが可視化されていないだけで、自分が性暴力を受けていると言えないだけで、性暴力を受けている女性は多くいると思います。

 そして、性売買については、それも性暴力であり、被害を受けているのですが、さらに男性がお金を払って性行為をするという点で、性暴力の被害であっても少し性質が違うと考えています。お金で性を売り買いされるという、より強い支配・被支配の関係に女性が置かれていることが問題だと思いますし、さらに、性売買により女性が男性から受け取ったお金を業者が搾取して儲けているという今の性産業の仕組みにも問題があります。

 性暴力の問題といっても、性売買経験者はより強い支配のなかにいて、より声をあげにくくされている存在だと考えていますので、その構造から変えていくために、市民の意識を変えるために立ち上がる必要があると考えています。

 

 3点目については、灯火の活動は始まったばかりなので、いかに安全性を守るかを考えながら活動を進めたいと思っているのですが、まずはメンバー間で信頼関係をつくることから始めようと思っています。性売買を経験しているなかで誰にもこれまで話せなかったことがある当事者がたくさんいまして、それを安心して語れる関係性をまずつくること。そして、その背景には反性売買という考えがあるので、その考えを共にし、経験を語り合う、共感しあうことを始めたいと考えています。

 

 

  • 一般社団法人子どもの声からはじめよう 川瀨信一さん(代表理事)

児童相談所一時保護施設における訪問アドボカシー

 私の最も古い記憶は、母親が家で掃除機をかけている場面から始まります。だいたい3・4歳ごろだったかと思います。それが、小学校に上がる頃には、家がゴミ屋敷の状態になっていて、床も見えないようなゴミの上で布団を敷いて寝ていた記憶があります。小学校の高学年になるとゲームセンターに入り浸って、そこで生活していました。

 小学校6年生の時に、児童相談所に保護されました。職員さんが「里親さんがいい? それとも、施設がいい?」と尋ねてきました。私は、友人を家に呼べるような普通の家で生活をしたいと思っていましたので、「里親さんのところで生活をしたいです」と言いました。そして、小学校を卒業後に里親家庭での生活が始まりました。

 児童相談所の職員が、私が望んでいることを何とか実現しようと奔走してくださいました。里親家庭での生活はあまりうまくいかなくて、長くは続かなかったのですが、職員が奔走してくださった経験は私の中で大きく、その経験が今に続いています。

Allguest20180109

 ところが今、かつての私と同じような状況にありながら、尊い命が奪われてしまうケースが複数起きています。2019年には、千葉県野田市の小学校4年生の女の子が、学校で行われたいじめに関するアンケートで父親から虐待を受けていることを告白し、保護された児童相談所で「お父さんが怖いから家に帰りたくない」と伝えていたものの、児相から親戚の家に移った後、父親が家に連れ帰って虐待がエスカレートして亡くなりました。

 2020年には広島で、「母親と離れたくない」と訴えながら一時保護されて、事実上、母親と面会することや通信をすることを制限されていた中学生が、児童相談所から一時保護委託という形で生活をしていた児童養護施設で、自ら命を絶ちました。

 家に帰りたくないという事案と、母親と離れたくないという事案。一見、子どもが真逆のことを望んでいるように見えて、関わる大人たちとしてはどうしたらよいか戸惑うところかと思います。しかし、この対照的な事案は、子どもが声を上げながら、その声が無視・軽視されてしまった末に尊い命が失われた声という共通点があると考えています。

 

 こうした問題があると、「児童相談所はいったい何をしているのか」と責任を追及するような世の中の声が強まっていきます。私は、問題がどこにあるのかを構造的に捉えていくことが大事だと考えています。

 児童相談所が対応する虐待の件数は20万件を超えています。児童相談所も虐待相談対応にあたる児童福祉司の数を増やそうとはしているものの、対応すべき虐待の件数に追いつけていない実状があります。また、新しく人を雇っても直ぐに現場で力を発揮できるとは限らないので、子ども一人ひとりの声を丁寧に聴くことが昔に比べてより困難になっている現状があります。

 子どもの目線から見ても、声をあげることにはさまざまな困難を伴います。例えば、「親が離婚していて、それ以前の過去のことを教えてもらえない」という声があります。自分が今置かれている状況や、家族の状況、今後の選択肢、そういう情報に子どもがきちんとアクセスできて理解できている、その上に、自分が今後どうしていきたいのか、どんな思いなのかが明確になっていくのです。

 それから「担当の児童福祉司が毎年コロコロ変わってしまうので、意見を聴いてもらったことがほとんどない」というお子さんもいます。「里親のことを相談したら、出ていけと言われるのではないか」という恐れなど、さまざまな理由で子どもが声をあげることは非常に難しい状況になっています。

 

声をあげられない

思いをあきらめざるを得ない経験 わかってもらえず強まる孤立感 自分の人生コントロールが失われる

 声をあげられないという状況は、一見、暴力等に比べたら大したことが無いように思われるかもしれません。しかし、声があげられないことは、感情や思考が抑圧された経験になるわけです。家族との関係を改善したい、将来こういうことを実現したい、そういう思いをあきらめなければいけない経験。それから、自分が直面している困難が周りの人にわかってもらえないことによる孤独、孤立です。人と一緒にいるのだけれども、孤独感、孤立感が強まっていく。そういうことを子どもから大人になっていく過程で繰り返し経験していくことは、自分の人生のコントロールを失ってしまうような、深刻な影響を及ぼしています。

 

 私たちが活動の基盤としているのが、子どもの権利条約です。子どもの権利条約は、大きく四つに分類できるのですが、その中の「参加する権利」で、自分の意見を自由に表す権利が認められています。子どもが自分の意見を自由に表す権利を保障していく取り組みの一つが、私たちが取り組んでいる「子どもアドボカシー」です。

 子どもアドボカシーは、イギリスではよく「子どものマイク」にたとえられています。子どもの声は小さくて細くて弱い。そういう声を必要な人に大きくはっきりと届けられるようにお手伝いをさせてもらう仕組みです。

 日本では、子どもアドボカシーはこれから社会に実装していく段階にあります。子どもたちを中心に、本当に子どもたちのためになる仕組みにしていかなければいけないと考えています。

 そこで、施設や里親家庭で生活している子どもに、どんな人にだったら自分の声を届けやすいか、どんな人に話を聴いてほしいかということを聞きました。例えば、こんな人に聴いてほしいというところでは、優しい人とか、同じような環境で育った人とか、最後まで話を聴いてくれる人とか、秘密を守ってくれる人とか。子どものパートナーになるために必要なさまざまなことを、子どもたちが教えてくれています。

 

 こうした前提の上で、私たちは「子どもの声からはじめよう」という団体を2018年に立ち上げました。最初は、カナダ・オンタリオ州の子どもアドボカシーの実践を学び、また国内の子どもの権利に関する実践をされている方や研究者の方から学んできました。19年には、イギリスやカナダで実践している方を日本にお招きしてシンポジウムを開催したり、アドボケイトの養成を実施したりしてきました。20年度はこの体制をさらに進めていき、実際にアドボケイトを養成するための講座を体系的に実施しました。

 21年度は、6月から実際に児童相談所一時保護所における訪問活動を開始しました。毎週土曜日の午前中に、一時保護所に入ったお子さんに、アドボカシーの説明を行ったり、「自分にはこういう権利があるんだ」ということを知って考えていくワークショップを実施したり、そして遊びのなかで、スポーツやパズルをしたりする関わりによって信頼関係を築いていって、子どもが「話したいな」となったところで面談をしていく。そして、子どもから申し出があれば、外にいる家族、一時保護所の職員、児童福祉司・心理司等への意見表明をサポートすることをさせていただいています。一時保護所や今後の生活に関すること、学校や学習に関することなどについて、これまで70件を超える個別面談をさせていただいて、その中から意見表明の申し出が25件ありました。

 

子どもの意見表明権を保障する「子どもアドボカシー」を独立した立場の市民が実践 

 子どもアドボカシーの取り組みをタイルにして整理したのがこちら(下図)です。

青色の導入部分では、アドボカシーって何なのかとか、子どもの権利が何なのかを子どもに伝えて行ったり、訪問するアドボケイトがどういう人なのかを子どもたちに伝えたりして、関係性を築いていくところです。

緑色のところが、意見形成・表明支援で、子どもたちがアドボケイトと面談をしていきます。聴いてもらうだけでも、自分の考えが整理できた、ほっとした、という子どもの声はありますが、さらに伝えたいということであれば、子ども自身が伝えたり、アドボケイトと一緒に伝えたり、アドボケイトが代わりに伝えたりしています。

一時保護所での生活やルール、あるいは一時保護所での人間関係や職員の対応については、一時保護所の職員に対して意見表明していきます。そして、ケースワークに関することや、親や兄弟との通信などについては、アドボカシー担当職員の方を介して児童福祉司やケースワーカーや心理司さんが面談に入ったり、家族との面談を設定したりしています。万が一、一時保護所のなかで虐待を受けたり、暴力の被害を受けたりということがあれば別ルートで対応していきますが、今のところそういうことは起きておりません。

Allguest20180109

 この他に、定例研究会と定例協議会という活動をしています。定例研究会は、アドボケイトが一カ月の実践を振り返って、社会的養護の経験者や研究者、あるいは専門職から助言と指導を受けて、一カ月の訪問のなかで得られた気づきを共有し整理していきます。定例協議会は、児相側との協議です。一カ月の活動報告をし、それに基づきアドボケイトの立場から意見を述べ協議していくことになります。

 例えば、行動化が見える子どもたちに対して、「個別対応」といって、集団から分離して対応されることがあるのですが、それが子どもにとっては懲罰的に受け止められる経験だったりするわけで、個別対応が適正に行われているのかを問うています。あるいは、一時保護所はそれまでの友人関係や家族関係が一時的に途絶えてしいますし、今まで生活習慣として根付いていた、ネットで調べ物をしたり友達とコミュニケーションをとることが途絶えてしまったり、学校に通えなかったりすることの影響を、なるべく減らせるように、児相に働きかけていったりしています。

 

 こうした児相一時保護所の子どもアドボカシー活動を半年間行ってきて、子どもたちに、「アドボカシーの取り組みのどういうところがよくて、どういうところが課題なのかアドバイスをもらえますか」とインタビューをして、成果と課題を整理してみました。

 まず子どもたちの視点からは、保護されて非常に混乱している時期にアドボケイトと話したことによって「安心できた」とか、「自分には意見を言う権利があるんだ」、「こういうことは嫌だと言っていいんだと実感した」とか、職員とは違った立場で話を聴きにきていて「秘密を守ってもらえるんだ」とか、そういう存在になっています。また、アドボケイトの私たちを介してケースワーカーに子どもが意見を伝えていくことを通して、施設に入っていくことが想定されていたお子さんが本人からの意見表明で家庭に復帰することになったなど、ケースワークへの働きかけもできています。

 課題としては、私たちはすごく子どもたちから求められているのですが、その分活動時間や一人ひとりと関わる時間が短かいと感じているようです。また、自分から話したいと言いにくい子どもたちに声がけをしていくことや、外国にルーツのある子どもやハンディキャップのある子どもも気軽に自分の思いや考えを言えるように対応する必要性があります。

 運用の視点では、児童相談所という公的システムの改善に、外部から関与することができています。また、私たちが入らせていただくことによって、児相の職員さんに、自分たちも子どもたちの声を聴かなければいかないという意識を高めていただいており、子どもの声を尊重するという態勢が児相の中にもより一層高まっていると感じます。

 課題としては、もし重大な権利侵害の事案が発生した時に、それを解決するには外部の機関と連携する必要性を感じています。また、子どもたちと関わってお話を聴かせていただくなかで虐待を含む深刻な経験の開示がアドボケイトさんに対してあるのですが、ケアをする人のケアの重要性はいろいろなところで言われていることであり、アドボケイトさんも自分が子どもから聴かせていただいたことによって二次受傷を回復していくことが必要になります。

 財源の確保という点では、私たちは訪問させていただいている児相や行政からはお金を受け取らずに、独立性を保って活動しておりますが、独自に寄付や助成で財源を確保していく必要がありまして、今回みなさんに応援いただけることが今後の活動に大きく前進していけるきっかけになったと思っております。

 

子ども家庭庁の創設 子どもの声に耳を傾けることが第一歩

 こういう訪問活動以外に、講演・研修・会議を通して普及活動をしております。

 今、子ども家庭庁を創設するという動きがありますが、私たちの取り組みのなかで関わらせていただいた施設経験者の方や一時保護所で生活しているお子さんを、政策をつくりこんでいく政府の関係者にZoomでつないで直接声を届ける機会をつくりながら、この子ども家庭庁創設に関する報告書のなかに、子どもの権利条約にある四つの権利保障――「生命・生存・発達の保障」、「最善の利益」、「意見表明権」、「個人としての尊厳、差別禁止」――を盛り込んでいただいたり、子ども基本法の制定が必要だということを入れていただいたり、何よりもまず子どもの声に耳を傾けることが子どもの権利を大切にする第一歩だということを入れていただいたりしております。

 

 私たちの取り組みは生まれたばかりで、よちよち歩きのところであり、いろいろな方々にご意見をいただきながらつくりこんでいく段階ですので、ぜひ忌憚のないご意見をいただけたら有難いです。

 

声をあげる力を奪われてしまっている子どもの声を聴く難しさ 

性売買経験当事者ネットワーク灯火 松岡さん) お話を伺うなかで私たちの活動とつながる部分があると感じました。やはり女性であったり、子どもであったり、支配されて社会で弱い立場に置かれている人が声をあげるのは本当に難しいですし、声をあげる力も奪われてしまっているとあらためて感じています。性売買を経験した女性たちのなかにも、幼少期の家庭環境で児相につながっていたり、もしくは本当はつながらなければいけなかったのに支援からこぼれ落ちてしまって支援を受けられずに大人になったりした方もたくさんいます。そのような中で、このような子どもの声を聴く活動はとても大切だと思いました。

 質問させていただきたいのが、声をあげるということをしたことが無い、声をあげる力を奪われてしまっている子どもの声を聴くことは難しいことだと感じています。希望を聞かれても自分の希望が分からない、親の言いなりだった人が、いきなり「どうしたいか」と聞かれても「どうすればよいか分からないよ」ということが多いかと思います。声をあげるまでの取り組みとして、どういうことをなさっていますか。

 もう一つ、子どもの声のなかで、親のことを話したらバラされてしまったといった声がありましたが、こういうのも児相の課題の一つだとは思いますが、そういう経験のなかで大人に話すこと自体が子どもにとってハードルの高いことなのではないか。また、大人、支援者に対する信頼を失っている子どもも多いと思います。そういう環境のなかで、どのような工夫をして子どもたちの声を聴いていらっしゃるのかお聞かせいただければと思います。

 

川瀨さん) 児相につながっていた方がいらっしゃるというお話が今あり、本当に隣接する分野だと思っていて、子どもたちの中にも性暴力を受けているお子さんもいますし、先ほどの松岡さんのプレゼンにも通ずるものがあると感じておりました。

 1点目の質問について、関係性が築かれていないと子どもに「したい」と思われないと思います。例えば最近、児童相談所は弁護士さんが常駐するようになってきており、また、苦情の対応をする機関もあり、嫌なことや困ったことがあった時には手紙を書いて届けるなどの手段があります。ただ、その先にどういう人が話を聴いてくれるのか、話したあとどうなっていくのかが見えないと、声をあげる選択として選びにくいということが、私自身の経験でもあります。

 私たちのところでは、「あなたの話を聴かせてください」というところから始まるのではなく、まず関係性を築いていく、遊びや雑談を一緒にしていく関わりのなかから、アドボケイトが自分の態度をオープンにし率直な感情や考えの表現をしていきながら、子どもと関わらせていただいています。

 また、アドボケイトについての説明のなかにアドボケイトが大切にしていることがいくつかあり、守秘義務――アドボケイトは他の大人から独立した立場であり、あなたから聴かせてもらったことを勝手に持ち出すことはしません――を子どもたちに説明したりします。児童相談所の専門職は、子どもから聴いたことを情報共有して、均質な情報のなかで均質な対応をすることがよいこととして理解されていると思うのですが、私たちは専門職とは独立した立場で聴かせていただいて、あなたが「いいよ」とか「これは伝えてほしいよ」と言ったこと以外は、原則的に勝手に話さないという約束の下で関わらせていただいています。

 とはいえ、大人との関わりによって傷ついているお子さんが多いので、アドボケイトが訪問していく時なかなか関係性が育まれていかないこともあります。私たちはアドボケイトが現場に立つまでの過程で、実際に施設や里親家庭で育った経験者の方と一緒に講座を運営しています。先ほど「こんな人なら話しやすい」という子どもの声を少し紹介しましたが、例えば講座に参加した経験者からは「カウンセラーに強引に詮索してくるような聞かれ方をされるのが嫌だった」という声もあります。そういうお話を、施設や里親家庭あるいは虐待を経験した方から聴かせていただきながら、ではどう振舞うのがよいのかを考えたり、聴くことを目的にしすぎないことも大事にしたりします。そっと子どものそばに居るような存在でいられるかということを模索しながら振舞っています。

松岡さん) ありがとうございます。「子どもの声を聴く」とは、一言ですけど、とても難しいことだと感じましたので聞かせていただきました。

 

 

  • 気候危機と水害:ダムで暮らしは守れるか?連続セミナー実行委員会 つる詳子さん(代表)

を住民の手にとりもどす~市民が考える気候危機下での「流域治水」~

 熊本にある球磨川からの報告をさせていただきます。球磨川は令和2年に大きな水害を起こしました。それ以後、私たちは、気候変動と水害、ダムに関する問題について連続セミナーを開催してまいりました。

 今日のテーマは、「川を住民の手にとりもどす」ということであり、住民の手に川が無いということになります。それを、今までの流れを含めて説明したいと思います。

 球磨川は熊本県の南部を流れる一級河川で、長さが116km、流域面積が1880km2です。球磨川は八代海に注いでおり、この本流に撤去された荒瀬ダムがあって、その上流、河口から30kmのところに瀬戸石ダム、さらに上流に市房ダム、そして大きな支流に川辺川ダムが建設される計画が進行中です。

 昔から、球磨川流域の住民は川と共に暮らしてきました。球磨川を取ったら何も残らないほど、さまざまな利用、付き合い方、恵があったわけです。なんといっても30cmを超す尺鮎が有名ですごくたくさんの鮎が採れましたけれども、ダム建設以降、1/500、1/1000と減ってきたわけです。このことでもダムの問題は大きな影響をこの流域に与えています。

 

ダム建設で生まれた「水害」 分断されていた住民の心がダム撤去で一つに

 ダム建設前は、洪水対策も各自がそのリスクを把握できて、各自対策をとって、被害が出ることなく過ごしてきましたので「水害」という言葉もありませんでした。ところがダムが昭和35年から40年にかけて次々と建設されて、その後の水害の起こり方は、それまでと全く違うもので、急激な水位の上昇があり、悪臭のするヘドロがたくさん後に残るようになって「水害」という言葉が生まれて、人々は引っ越しを余儀なくされて流域は衰退していった経緯があります。

 この昭和40年頃の山は皆伐地で一斉に伐採されていて、はげ山が水害の原因になっているという住民の意見をたくさん聞きました。しかし、なぜ水害が起こったかについての検証は何もなく、当時の建設省はさらに大きなダムが必要だということで川辺川ダムの建設計画が持ち上がったわけです。

 住民はダムの怖さを知っていましたので、これ以上のダムは懲り懲りだということで反対運動が流域中に広がり成果が出て、世論の80%までがダム反対というところまでになって、川辺川ダムの建設計画が撤回されて、並行して運動をしていた荒瀬ダムの撤去が実現することになりました。荒瀬ダムは日本で初めて撤去されたダムです(写真下)。

 ダムが撤去されたことによって自然が戻るスピードは私たちが思う以上に早い、というのが実感でした。それとともに、球磨川流域の坂本町では、それまでダムの賛成・反対で分断されていた住民の心も一つになって、球磨川を生かした産業や遊びが盛んになり、今からだという時に今回の水害が起きました。何時間にもわたって雲が停滞して大雨を降らしたわけです。道路寸断もひどいし、家屋が残っている家も被害がひどかったです。

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水害原因が検証されずに計画されるダム建設 

 ところが、この水害の起こった二日後には、熊本県の蒲島知事は、ダムも含めたあらゆる治水対策をとっていくということで川辺川ダム計画が再浮上したわけです。これはもう正式に決定しました。

 被害者はどうして亡くなったのか、私たちは参議院議員さんと一件ずつ聴き取りをしました。そのなかで多くきかれたのが、「今回の水は今までとは違って支流から水が来た、支流からの水で人が死んだ」ということでした。しかし、死亡時の状況が検証がされることはありませんでした。

 また、下流にとっての大きな問題は、河口から30kmのところにある瀬戸石ダムです。このダムの下には堤体も11mあり、このダムがこの河道の半分以上を占めますので、水の流れを阻害しています。その水害の違いも、ダムの上流と下流では明らかに違いました(写真下)。下流では線路が跡形もなくジェットコースターのように曲がったり、家は跡形もなく流されたり傾いたり泥だらけという状況でした。ところが上流では、線路は真っすぐで、家も流されることはなくただ家の中に堆積物が溜まっていた。そういった明確な違いはダムの影響を無くしては説明がつかないことです。
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 もう一つ、住民のなかから山に問題があるということもたくさん聞きました。私も実感としてそれは直ぐにわかったので、流域中を巡って、山の崩落個所を500か所以上は観てきたと思います。その結果、今回分かった山の災害の特徴は、人工林や皆伐地から多くの崩落が見られたということです。それと、放置されて間伐されていない森がたくさん残されていて、そこの崩落が大きかったことです。

 また、これまでの災害対策として造られてきた多くの砂防ダムは、私が見た限り一つ・二つを残して、全て土砂があふれて下流の被害の原因になっていました。一つの河川を紹介しますが、長さが4km位しかない行徳川では、上流では大規模な崩落が起こり、その崩れたものが一気に川に流れ込むわけですので、災害が起きないわけはないのです。

 もう一つ、この流域が抱える問題が、鹿の食害による保水力の低下です。30年位前から鹿の食害が始まりました。どんなに山に行ったことが無い人でも、下草や低木が無くなっている山を見れば保水力が低下していることが分かるかと思います。実際、下草が生えているだけで土壌流出の90%は防いでいるという報告があります。日本の健康な森であればすぐに雨がふりますので地面が見えないというのが当たり前です。ところが鹿の食害後の森では、下草どころか低木、高い木ですら疎らになっている状況で、これでは降った雨は地下に流れることなく、土石も一気に下流に至ることが分かると思います。

 

気候危機期の水害対策は 自然と人との付き合い方の見直しから

 球磨川で起こっていることは、どこでも起こっている可能性があります。それは考えたら分かることだとは思いますけれども、今の荒廃した森を見たら、公益機能は何もなく、災害の原因になっているだけなのです。ですから、まず大皆伐を止めてほしい。それからもし皆伐したら、その後の施業だけでもかなり違いがでます。

 それと、鹿の食害対策は急務です。林道から崩れている場合もとても多かったです。砂防ダムの見直し、河畔林の見直しが必要かと思います。昔は河畔林であったところが伐採されてコンクリートの護岸に変わったことで、一か所で破堤したら一気に道路が川となって両側の家をなぎ倒すことが見られました。だから、昔の知恵は本当にすごいと痛感しました。

 コンクリートの護岸が球磨川は60%で全国一なのです。これは、より早く下流にという河川政策が裏目に出たもので、上流で入り込んだ川の水が下流で一気に水位を上げる結果になっています。

 土地利用の見直しも必要かと思っています。今回水害にあったある地区では、昔は小学校を除いて家はほとんどありませんでした。これは堤防を過信したために、そこに住んでいた人たちが今回の水害で被害を受けた。昔の人たちは人が住んではいけないところを知っていて、千年に一度と言われるような洪水にも対策ができていた結果だと痛感しました。

 結局、今までの水害対策は、人が住まなかったようなところを宅地にしたり、コンクリートで川を固めたり、コンクリートでダムを造ったりすることでした。これらの見直し無くしては、今後の水害には対応できないと考えています。すなわち、森林政策の見直し、河川政策の見直し、土地利用政策の見直し、私たちの暮らし方・経済基盤の見直し、ここ100年間の自然と人との付き合い方の見直しが必要です。

 今回の水害は調べれば調べるほど、人災であったというのが実感です。ところがその水害を、たくさんの委員会が開かれてきましたが、いまだに森林の状況の検証や、既存ダムの検証、死者の検証はされず、さらに住民の声を聴くことは、説明会はありましたけれども、意見が反映される場はいまだにありません。

 そのなかで、新たな川辺川ダムを前提にした流域治水計画が着々と話し合われています。そこで出るのは、新しい大きなダムの建設、利水ダムの活用、砂防ダムの増設、田んぼダム、というようにダムに依存した流域治水政策がとられています。山の問題にしても、山にもっとたくさんの砂防ダムを造りますと答えています。流水型ダムに関しては何の検証もされないまま、流水型ダムなら良いということで話し合いが進んでいます。

 結局これは国土交通省が考える流域治水の考え方ですけれども、田んぼダム以外は新しい政策は何もなく、ダムとコンクリートに依存した流域治水政策になっています。

 

 これでいいのか、というのが私たちの問題提起です。

 今、日本のなかでも進んだ流域治水政策をとっている滋賀県の事例もあります。

 また、EU諸国、先進諸国では、ダムを造ることによって失われた経済価値の大きさ、あるいはその恵みの大きさと比較検討し、昔に戻す方がよいということで、ダムがどんどん撤去されています。ヨーロッパでは河川横断物はもう五千ぐらい撤去されているわけですが、水は溢れることを前提に、溢れたところは自然を戻し、より水をゆっくり流すという流域政策がとられています。

 SDGsの時代、気候危機の時代に求める流域治水政策をヨーロッパの事例や今回の水害を機に考える必要があると思ったのが今回のプロジェクトのきっかけです。

 今後の進め方として、昔を知っている高齢者の方たちから、昔の川との付き合い方、昔の洪水対策を聞き、被災した住民から今回の豪雨の際に何が起きたか聴き取り調査を行いたいと思います。それと、流域治水に必要な知識をさまざまな専門家をお呼びして学習会を開きたいと考えています。海外の先進事例を調べることも大事だと考えており、調べたことに基づいて新たな情報を共有するために住民とのワークショップを開きたいと考えています。これらの流れで分かってきたことを、球磨川が理想とする流域治水とは何かということをまとめて、国や熊本県・県議会に提言したいと考えています。

 ここで起こったことは全国どこで起こってもおかしくないと考えています。自分のところにある川に流れている水がどこの山から来ているかを常に考えて、その山の現実を見てほしいと思います。私たちのプロジェクトが全国の皆さまにも役に立つことになればうれしいことです。

 

気候危機と水害/メコン・ウォッチ 木口由香さん) 私も実行委員会のメンバーとして勉強会を行ってきましたが、つるさんの活動や知識に学ぶところが多くあります。海外は先進的な事例とそうではない事例があって、私が活動しているメコン川の流域は、今まさにたくさんのダムが建設されているところで、日本の悪い方の轍を踏み、問題が顕在化しています。そのなかで、日本でこういった問題があるということをもう一度振り返って、少しでも日本を変えることができれば、東南アジアで今ダム問題に苦しんでいる方たちに将来的には何か助けになることをつくれるのではないかと考えていますし、個人的にはヨーロッパのことを知らないのでこの活動を通して勉強しながら発信していければと思っております。つるさん、寺嶋さんを中心に進む熊本の方での活動が有意義なものになるように、側面から東京からできることを協力したいと考えています。

Allguest20180109(写真=気候危機と水害/メコン・ウォッチ 木口由香さん)

 

子どもの声からはじめよう 川瀨信一さん) 九州のさまざまなところで水害が起きていることはニュースで目にすることはあるのですが、それは一面的で被害の大きさだけが先行してたくさんのニュースの中で流れていってしまう情報の取り方をしていて、つるさんが現場で取り組んでこられたことのお話を聴かせていただき、捉え方が変わっていくような機会をいただけたと思っています。ありがとうございます。

 政治、利権に関わる問題や、背景にある貿易の輸入材の自由化など、さまざまな領域にまたがる複雑な問題が、流域の住民の生活を脅かすような事案が起きていることに表れていて、ひずみが顕れていると感じました。命を落とされてしまう方もいらっしゃったり、大切な場所が失われてしまったりすることの深刻さも感じました。

 みなさんが反対の声をあげ続けたことで、荒瀬ダムが撤去されて、本当に自然が回復していく様をみさせていただいて、そこに住民の本来の生活の姿を取り戻していく様子にすごく元気をいただきました。

 

 質問させていただきたいことは、荒瀬ダムが撤去されたことで、それまでダムに賛成していた人たちと反対していた人たちが分かれていたのだけれども、その垣根が無くなって、また一つになっていったというお話があったと思います。社会には、ある問題に対して賛成という立場の人もいれば、反対という人もいると思います。その時に、どちらか一方が議論でもう一方を負かすようなやり方だと、本当の意味での住民参加や、みんなでつくっていくものにならないと思うのです。そういう意味で、つるさんがこれまで反対という立場をとりながら、どういうふうに合意形成をなさってきたのか、自分と異なる立場の人たちとどのように対話を重ねてきたのか。ダムがあっていいじゃないかという人たちの見解をどういうふうに汲みながら、でもこうなのですということを伝えながら対話的に合意形成に至ったのか。

 それから、この問題は、自治体がこうしたいということと、住民がしたいこととが対話的にならないことが構造上の難しさではないかと思いまして、住民より強い立場の自治体の人たちが言っている「住民参加が大事だ」ということと、つるさんが実践してこられた本当の意味での住民参加の意味合いにどんな違いがあるか、お伺いしてみたいと思います。

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(写真左=気候危機と水害・つる詳子さん、写真右=子どもの声からはじめよう・川瀨信一さん)

つるさん) 賛成反対に分かれていたのがどうやって合意形成に至ったのかというより、どうやったら世論を高められるかという運動のほうが多かったと思います。

 千人規模の集会は何回やったか分からない位やりましたし、決定権を持つ球磨川漁協に対しては一カ月に一回ぐらい全2400人の組合員さんにお手紙を出したり、漁業権の強さ・漁業権の勉強もして、漁業法からいっても権利があるということを郵便で知らせたり、励ましのお手紙をあげたり、あるいは裁判をしたりして、ダム撤去が決まる前年位には二日に一回位はダム問題が新聞に掲載されるようになっていました。

 大きかったのは、住民討論集会がありまして、それは前の知事が提案したもので、同じ壇上で国交省と住民の代表や専門家が一緒に議論しあう場を作ってくださいました。最初にあった住民討論集会は六千人の村で行いましたが、そこに三千人が集まるという大きな集会になりました。

 そういうことを繰り返しすることで、「ダムじゃなくてもいいんじゃない」、「ダムが無いほうがいいんじゃない」という世論が――ダム関連の記事が――毎日のように報道されていましたので、世論がどんどん変わっていきました。その世論の変化に従って、自治体の首長の選挙があるたびに、首長がダム反対派に代わっていった。そして最後には知事も、知事選挙があったときの候補者の5人のうち4人までがダム反対派で、今の蒲島さんが中立という立場で出されました。その頃には世論は80%までがダム反対だったので、政治家も県もその世論を無視した決定が難しいというところまで行きました。

 結局、法律上でダム問題は詰められませんので、政治的に止めるしかないのです。だから、政治的な活動もたくさんしました。いろんな運動が総合的に効果を出したのだと思います。

 

本当に喜ばれる公共事業は自信をもってできる行政・事業者と住民の情報共有が円滑

 もう一つの質問は、住民と自治体の意見が違うのではないかということですが、これは正に言われる通りで、それまでも住民は世論で勝ち取ったわけですが、川辺川ダムに関する委員会もたくさんあったわけですけれども、やはり住民参加は認められず、「住民の意見を聴いている」という時は自治体の首長や議員さん、権利を持つ農家の代表、自治協議会の代表、漁協の代表などの意見を聴くことで、住民の意見を代表しているというのがいつものパターンでした。そういった代表の中にはダム推進派が多いわけです。そういう中で、世論形成しかないということで私たちは一番力を入れてきました。

 先ほど言われたように、荒瀬ダムを巡っても賛成・反対がありました。だから、一番のダムの弊害は、川を分断するだけでなく、人の心、暮らしを分断することだと分かったのは、荒瀬ダムが撤去されて今まで分断されていた人たちが一緒に今後の地域再生の話し合いの場に参加したことからでした。

 ダム建設の場合は情報共有が一切できませんが、ダム撤去の場合は何を聞いても直ぐに教えてくれたのです。失敗したことも教えてくれますし、私が名前を言わずに電話しても丁寧に応じてくれたのです。だから、本当に喜ばれる公共事業は住民だけでなく行政・管理者のほうも自信をもってやれる事業なのだと実感させてくれたのが荒瀬川ダムの撤去でした。

 

川瀨さん) お話の中で、世論をつくっていくというところや、ダムが実は住民の心を分断していて、でもそれが地域を取り戻すという共通の目標を見出しながら関係性を再構築していったことがよく分かりました。ありがとうございます。

 

 

参加者) つるさんのお話はよく分かった気がするのですが、このことは、知事は全部承知のことではないのですか。

つるさん) 知事が承知しているかはご本人に聞かないと分からないのですが、少なくとも記者会見なりの発言を聞くと、やはり検証されていないというところを見ると、森の現状などをご覧になったことが無いのではないかと思います。住民が入っていないのも問題ですが、土木の専門家で砂防学の専門家である森林の専門家が入っていないのは森林政策が話し合われることが無いことになり、それに対して知事は何も言いませんので、おそらく認識していらっしゃらないか、もし認識していらっしゃっても何もないとしたら問題ですので確認したいところです。

参加者) ぜひ確認していただきたいです。川辺川ダム建設が凍結されたのは10年以上前ですよね、それが今回の災害があって直ぐに翻ってしまったこと自体が問題なのではないか。

つるさん) 本当に検証もされず、ダムありきで治水のチャンスを待っていたとしか言いようがないという気がしないでもないです。一つには、この12年間、流域首長の「ダム無し治水を考える会」があったわけですが、そのメンバーが「ダム推進協議会」のメンバーと全く一緒なので、ダムの無い治水案というのはことごとく12年間反対され続けてきて何の治水対策も取られずに今回の水害が起こったということがあるのです。だから、知事の見方をしてみると、もうダムを認めないと今回の水害に対して何の対策もとられないのではないかという危機感もあったのではないかという気がしています。だけどその後を見ると、やはり山の検証もされてしないし、どうして人が亡くなったかの検証もされていないので、今からでもきちんと検証してほしいと思っています。

 

参加者) 今後の取り組みの1つとして、海外の先進事例に学ぶことが挙げられていましたが、今既にある程度調査ができている先進事例があれば、その内容(どのようなことをしているのか、どう先進的なのか、など)を少し教えていただければと思います。

つるさん) イギリスやドイツなどが結構進んでいますし、昔の治水政策で氾濫原のあったオランダのような海面より低いところでは、元の川に戻すので過去100年間に住み始めた住民は自己責任で出ていってくださいという政策をとっているところもあります。恩恵を将来世代にわたって享受できるような川を取り戻そうというのが、EUの水枠組み指令で明確に謳われており、それに基づいた流域対策をきちんと示すことが求められています。すべてのEU諸国がそういう政策をとっているわけではないですが、ナチュラル・フラッド・コントロール(natural flood control)と言いまして、今いろいろ具体的な政策に移行している国が多いです。

 

 

――対話交流会――

 上村英明さん) 3団体のお話を伺い、その後の質疑応答も含めて、月並みですが、選考した責任者としてよかったなと改めて考えています。

 一つは、日本社会に存在する、「残念ながら」の共通項が、出方はいろいろ異なるのですが、在ることを実感しました。当事者や住民の意見をむしろ聴いた振りをする仕組みがこの社会にはよくあります。「聴かない」と言えばもっとわかりやすいのですが、聴いているような形をとりつつも実質何も聴いていないのです。自治体は何が起きているかという調査をしない。つまり、実質聴かないし、調べないということに関しては、3つの団体が取り組んでいらっしゃるテーマに共通しものがあります。そこに踏み込んでいかないと、声は届かないし、実態に即した政策はつくれないということがよく分かりました。

 二つ目は、日本は決して差別の無い社会でも、ものすごくいい社会でもないと思っているのですが、その状況がさらに悪くなっている部分が、みなさんが取り組んでいる現場にあるのだなと分かりました。つるさんのプロジェクトは、そういう問題が気候変動のなかでこれから各地に来るわけで、今後ますます深刻になっていくと思います。それから、松岡さんと川瀨さんのお話は、いわゆる競争社会、効率化社会のなかで自己責任や自助という話でごまかされてしまっていると感じながら聴き、そういう共通点を実感させられました。

 ただ一つ個人的で個別の感想を言いますと、つるさんがおっしゃった「世論を高める」という社会運動の理論を久しぶりに聞いてうれしくなりました。なぜかというと、僕も日本で別の分野の社会運動をしていますが、アメリカの社会運動家によく言われるのが、「なぜ、日本人はもっとキャンペーンをしないのか」ということです。これはおそらく、先述のように、話し合いの振りをする政治が始まって以来、「行政とちゃんと話をしようよ」みたいなことが運動の中にも広がり、提案型の政治という聞こえのよい活動が市民権を持つようになりました。確かによい面もあるのですが、我々社会問題に取り組む者にとって大事なことは、本質的な意味できちんと批判をし、世論を高めることではないでしょうか。みなさんに関心をもってもらえれば、もっと変わりそうなところはたくさんあるわけです。私も含めて「世論を高める」運動の仕方を忘れていたな、と思いながら聞かせていただきました。

 

土屋真美子さん・SJF運営委員) 同感ですね。つるさんのお話は、これから高齢者にヒアリングなさると話していましたが、つるさん自身がやってきたことも記録しておかないと後につながらないと思い、ぜひ記録で取っておく必要があると思いました。

 

大河内秀人さん・SJF審査委員) 3人のプレゼンが今の時代において私たちがなかなか気づかなかったこと、隠されていることを非常に明らかにしていただいて、また現場から声を発していただいているということで貴重な活動ですので応援していきたいと思っています。

 まず松岡さん、性売買経験当事者ネットワーク灯火のお話をうかがって、構造的な暴力と自分はどう関わっているのか、あるいは自分はどういう構造的暴力の環境にいるのか、そういうことを改めて認識させていただきました。

 それから川瀨さん、子どもの声からはじめようのアドボケイトのお話については、江戸川区で子どもの権利条例が昨年制定されて、私もそれに関わりあいながら、また実際に子どもたちの活動を長年やってきたのですが、児童相談所一時保護所でこんな子どもアドボケイト活動ができるんだと感じ入りました。児童相談所に限らず、子どもの施設は外部の人間が入るのが難しいのですが、そこに切り込んでいき実績が積み重ねられることに大いに期待しているところです。

 つるさんのお話は、私もダムの反対運動を30年位前からずっとやってきて、ダムもそうですが、環境アセスメントも最初から結果が決まっていて、誰が反対しても消耗するだけで押し切られるという経験をするなかで、だんだんと順当なところで止まるものは止まるという経験をしてきました。つるさんのお話を伺って、本当のところをみんなが分かれば、本来あるべき姿に持っていけるんだということを思いました。

 とくに心に残ったのは、みんなにとっていい、自然にとっていい事業というのは、事業者も喜ぶんだということ。私もこれまで実際にダムや原発の運動をやってきましたが、ほとんど事業者と行政がこそこそとやって、やるせない思いをたくさんしてきたのですが、本当の意味でのwin-winの事業になっていく希望をいだいた次第です。

Allguest20180109(写真=大河内秀人さん)

 

子どもの声から始めよう・渡辺清美さん) 性暴力に関して、売春防止法を買う人の方を罰するものに変えていくという話があったと思いますが、法整備に今どのようなアクションをしていたり、今後していきたいと思っていたりしますか。

松岡さん) 売春防止法という法律自体が、女性側が性売買を持ち掛ける存在として扱われていて、そもそも差別的な法律になっているという問題があります。ですので、性売買というものが女性発信で行われていてその女性を更生しなければいけないという形で書かれています。女性を買った男性を罰するということはこの法律にはなく、女性側の問題として全て片付けられているところにまず問題があると思っています。

 厚労省の検討会もありますし、今、女性の新法をつくるための大事な過渡期に来ていると認識していて、そのなかで当事者の声を伝えていくことが大切だと思っています。先ほど「構造的な暴力」という言葉も出ましたが、そういう構造があってその中で女性が支配されているということと、あわせて当事者の声を伝えていくことが、我々にできるアクションだと考えています。

 

参加者) 川瀨さんにお聞きしたいのですが、守秘義務ということとアドボケイト自身のケアという話のところで、相談を受ける人が、誰か他の人に相談することは難しいのではないかと思って、それは結構大変なことではないかと思いました。相談を聴くとき、行政もそうですが、聴く振りだけして何も聴いてくれないと、当事者から責められてしまうとアドボケイトは逆につらいのではないでしょうか。そういうことについて、何か対策があるものでしょうか。

子どもが意思決定するプロセスで自分の思いがきちんと尊重される経験となる「聴く」

川瀨さん) 本質的な深い問いをいただいたと思います。子どもたちに説明する時、守秘義務という、あなたが話したことを他の人に勝手に話さないよ、ということを説明します。ただ、私はスーパーバイザー(SV)というアドバイザー的な立場でアドボケイトさんと関わらせていただいていて、アドボケイトさんと私とは情報を共有することをお子さんに許諾を得るような形で行っています。アドボケイトさんが何かあったのかを私に話せる環境を作っています。

 また、リフレクションというのを毎回訪問の後に行っていて、その時に、子どものどういう話を聴いたのかに焦点を当てる共有の仕方ではなく、それを受けて自分の感情がどういうふうに揺らいだのかとか、自分がこう関わりたかったのだけれども役に立てていないのではないかとか、あくまで“I”(私)メッセージで話していただいて、アドボケイトさん自身が感じていることをその場に置いてからそれぞれの日常に戻っていく、というのが関わりの中で工夫をしているところです。

 ご指摘のように、守秘義務とアドボケイトのなかでの情報共有をどういうふうにしていくかは私たちも試行段階で一つの大きなテーマでして、それを、一回お話をしただけでご指摘いただいて本当に深いところまで聴いていただいたなと、ありがとうございます。

 

 それから、聴く振りみたいなことについては、聴いたけれども結果が何も伴わないみたいなことも場合によっては起こることがあります。先述のように、面談が70件強でそのうち25件位が意見表明の申し出につながっていったのですが、件数から分かるように、「これって、伝えた方がよいかな?」と聞くと子どもたちは「いや、いい」と言ったりするのです。

 では、話を聴かれるということが子どもにとってどういう経験かと言うと、自分だけがこのモヤモヤや困難を直面しているのではないかとなると重たくてしんどくなるものですが、それを否定せずに受け止めてくれる他者が現れて、共有され、受容されていく経験なのです。また、人に話していくことを通して、自分のなかでまだ固まってない感情や、ばらばらした思考が、対話を通して整理されていくような経験でもあります。そういう話を聴くプロセスの中に、子どもたちが話してよかったと思う要素があるのだと思います。

 「必ずしも、聴いたからといって全てがその通りに実現できるかを約束することは申し訳ないけどできないけれども、それでもよかったら、お話を聴かせてね」という入り方で接点を持っていくことが多いです。もちろん、子どもの思い通りにならないこともありますが、利害関係から独立した私たちが聴かせていただくことは、子どもの意思決定のプロセスの中で子どもの思いが、仮に実現しなかったとしても、きちんと尊重される経験を一定程度提供できているのかなと思っています。

 

つるさん) 児童相談所が熊本県八代市にどのくらいあるのか改めて今調べてみたら、この広い熊本県に一つと県南の担当として八代市に一つと熊本市内に一つの3か所しかないことに驚きました。この数で足りるぐらい問題を抱えている児童は少ないのか。児童相談所まで行かないで問題を抱えているお子さんは多くいると思うのですが、そのあたりのフォローはどうされているのでしょうか。

川瀨さん) 社会のどこで子どもたちの声を聴く優先順位が高いのかを考えた時に初めに児童相談所の一時保護所がありました。原則2カ月という短い期間で、虐待など何等かの困難に直面した子どもたちがその後、誰とどこでどういうふうに生きていくのか、人生に重要な決定がなされていくところであり、そこにまず焦点を当てて取り組みをさせていただいています。

 一時保護施設は全国に200か所位あり、そこに広めていくだけでも結構大変ですが、今つるさんがおっしゃったように保護まで至らないお子さんや、保護されたけれども施設や里親家庭に行かずに家に戻っていくお子さんがほとんどで、私たちの対象になっていないお子さんにも同じようなニーズがあると思っています。とりわけ学校の中で、不登校のお子さんの数が増えていったり、自殺するお子さんの数が増えていったりと、それはある意味、学校教育が一定の機能不全を起こしていて、学校の中だけではやりきれない部分が起きているのだと思います。

 学校は、数がとても多いです。教員を養成する課程に子どもの権利について学ぶことが入っていないので、私たちができる次の取り組みとして、アドボケイトの立場から、子どもの権利や、実は子どもの声を聴くことが、大人が何をすべきかを明確にするために欠かせないことだという価値を、専門職向けの研修や市民向けの取り組みなどで横伸ばしにしていきたいと思っています。これは今取り組んでいるモデルを展開しながら、5年・10年その先に目指していきたい。全てのどこにいる子どもであっても、自分がこういうふうに思ったことを言っていいんだとか、嫌だと思ったことは“No”と言っていいんだとか、そう思える社会にしていきたいと思っています。近いところで活動されている方は、例えばCAPといって、暴力防止プログラムを学校や地域に提供されている方もいらっしゃいますので、私たちだけで取り組むだけでなく、そういう先進的な取り組みをしている方と協働しながら進めていきたいと考えています。

 

土屋さん) 児童相談所等は外部の人が入るのを嫌がらないですか。

川瀨さん) そうですね。かなり嫌だと思います(笑)。このアドボカシーは専門職ではなく市民の目線、第三者的な立場であることがポイントなのですが、そうすると、専門職も一生懸命聴いている、子どものために一生懸命にやっているということで、子どもの声を聴いてくださいということが既存の仕組みのなかで脅威として受け止められてしまう可能性があります。そうならないように、「確かに、子どもの声を第三者に聴いていただいた方が、専門職に対しても子どもが意見を言うようになってくれた」とか「子どもの意見や気持ちを大切にする仕方があるんだ」と気づいていただくなど既存の方たちにとってもメリットがある形で伝えていくことを意識しています。

 今、パイロット的に実践させていただいている一時保護所は、その管理者の方とある政府系の会議でご一緒させていただいて、「一時保護所にこういうものが必要だと思います」と私から話して理解いただいて「やってみましょう」と言っていただいた経緯があります。

 一方で、最も子どもの人権状況がよくないところほど外から入りにくいということがあると思います。だから、いかに社会で子どもを中心に据えながら、こういう仕組みにいろんな立場の人が関わっていくのがいいよねということを常識にしていくか。その環境を閉ざさずにいろんな人が関われるのが当たり前だよね、ということをどう常識にしてけるように発信をしていくことも大切だと思っています。

土屋さん) この手法は他でも使えると思いました。

 

つるさん) 松岡さんにお尋ねしたいのですが、性暴力の問題に関して韓国の事例を挙げていらっしゃいましたが、他の先進国の事例でこういう問題について社会で情報共有できている国はありますか。もしありましたら、そこはどのような運動の経緯があったか教えていただけますか。

松岡さん) 他の国の実践については我々もこれから勉強していきたいと思っているのですが、まず、韓国では性売買防止法ができたことにより、性売買のなかにいる女性を支援する体制が全国的に整っています。この法律は女性運動によってできて、全国に相談所がつくられています。

 また、フィンランドから始まった「北欧モデル」は、業者と買春者を処罰し、女性を支援する法律になっています。日本では自己責任とされてしまい、そこにいる女性が支援につながることがほとんどできない、そもそも声をあげられない状態にありますので、他の国の事例から学びながらアドボカシー活動を行っていきたいです。

つるさん) 韓国は環境運動を見ても日本とは全然違って、一つデモをするでも集まる人数が違うのです。荒瀬ダムが撤去された時も日本全国から見に来る人は団塊の世代が多いのですが、韓国から見に来る人は20代・30代は当たり前、小学生のグループもいて、小さい時からの教育が人権に関しても環境に関しても違うのではないかと思いました。

 

 

――閉会挨拶――

大河内秀人さん・SJF審査委員) 

 助成先の団体の方と相談しながらSJFアドボカシーカフェを実施して、この問題をみなさんと対話しながら深めていくという企画も担当しています。今後が楽しみになりました。

 それぞれの問題にある程度共通していることは、今の孤立と分断が、世の中を悪い方に向かわせているのだろうと思います。私たちは「Social Justice」を掲げて活動しているわけですが、前政権の時から、倫理が上の方から崩れてきているという感じがしています。世の中、コロナ禍もありますが、殺伐とした方に向かっているムードがあります。

 しかし、こうやって問題の最中にある現場で、声にならない声を――先ほどアドボカシーはマイクだという話もありましたが――その声を大きくして、本当の事実を世論につなげていくベースの活動が育っていることも一方で間違いないと思っています。そういった思いで、ソーシャル・ジャスティス基金(SJF)としてもSJFアドボカシーカフェ等をみなさんと一緒に盛り上げていきたいと思っております。

 今日はたくさんの方にご参加いただき、今後もいろんな問題にいろんな立場から参加していただいて、そんな中から民主主義の担い手、目利きが育っていくよう、どうぞよろしくお願いいたします。      ■

 

 

*** 今回2022年1月7日の企画ご案内はこちら(ご参考)***

 

 

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