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ソーシャル・ジャスティス基金(SJF)アドボカシーカフェ第68回開催報告

非行少年と保護司~やり直しを支援できる社会へ~

 

 2021年4月17日、永井陽右さん(NPO法人アクセプト・インターナショナル代表理事)、田口敏広さん(同法人 国内事業局長)、中澤照子さん(元保護司/Cafe運営)、十島和也さん(プロレスラー/保護司)をお迎えしたアドボカシーカフェを、SJFはオンラインで開催しました。
 

 否定され続けてきた非行少年が、保護観察でなんでも聴いてくれる保護司と出会い、異なる意見を素直に受け入れられるようになったと十島さんは語りました。その保護司、中澤さんは、おしゃべりが進むようになるまで、じっと待って聴き続けることが土台となっているそうです。

 再び罪を犯さないよう、被害者を出さないようにとの一心で20年間保護司を続けてこられた中澤さん。加害者の社会復帰を支援したい自分と被害者への贖罪や反省を促したい自分とがいて難しく感じることもあったそうです。

 加害に至った根底にある思い、問題意識にフォーカスし、「社会を変えていくのは君なんだよ。一緒に社会を変えようよ」と、アクセプト・インターナショナルは海外の紛争地域でテロリストやギャングの脱過激化や社会復帰の支援を行ってきたと永井さんは説明しました。それは「対話」を重視するプログラムであり、日本の保護司活動に通じると考え、国内での非行少年の社会復帰支援に取り組み始めました。

 非行少年は育ってきた環境において複雑に絡んだ社会的不公正を抱えていることが田口さんから指摘され、再犯をせずに生きられる社会のあり方が問いかけられました。刑務所や少年院から出た後の社会へのファーストタッチを保護司とした後、非行少年が孤立しない社会の形成が重要です。贖罪において社会に大きな役割があると永井さんは提言しました。

 保護司的な気持ちの人が多くなってくれればと中澤さんは呼びかけました。

 詳しくは以下をご覧ください。    ※コーディネータは、大河内秀人(SJF企画委員)

Kaida SJF

 

――田口敏広さんのお話―― 

 まず簡単に自己紹介をさせていただきます。愛知県生まれで、現在アクセプト・インターナショナルの国内事業局長を務めております。経歴としては、イギリスの大学院で国際関係の修士号の取得、UNDP(国連開発計画)や海外NGO等での活動などに従事してまいりました。昨年11月より当法人の現職になります。

 アクセプト・インターナショナルとはそもそもどういう団体なのかご説明します。私たちはこれまで海外のソマリア、ケニア、インドネシアなどのテロや紛争が起きている地域で、ギャングやテロリストと呼ばれる方々――彼らは若い世代なので非行少年とも言えると思います――を受け入れ、脱過激化と社会復帰支援を行い、テロを止める、紛争を解決するというテーマで活動をして参りました。

 

海外でのテロリスト等への対話を通じた社会復帰支援の知見を日本で活かす

 私たちのアプローチには主に2つあると思っています。一つ目が、過激化防止ということで、そもそもテロリストやギャングという人たちにさせないということです。二つ目が、なってしまった方々の脱過激化を通じて社会復帰、更生を支援しているということになります。

 そこで私たちが重要視しているのが、「対話」を通じてアプローチしていくことです。同じ若い世代であるからこそ、彼らをこれまでのアプローチのような軍事的な勢力縮減だけではなく、対話を通じた人道的なアプローチで活動をしております。

 テロ組織やギャング組織に所属している方のサイクルがあるのですが、そこに対して私たちが脱過激化、加入者の減少によって、勢力を下から削いでいくことで問題の解決に取り組んでおります。

 なかなかイメージがつきにくいと思いますので、現地の写真(下)を紹介したいと思います。写真の左上が、ソマリアの刑務所です。彼らと庭で一緒に車座になって活動しています。刑務所から釈放された後も家庭訪問や、日本からオンラインで面談するようにしております。また、テロリストと呼ばれる方々だけでなく、地域の大学教授や、再犯に関わる現地政府とも協力して活動を展開しております。

 

Kaida SJF

 

 私たちはこれまでの活動を踏まえて、「RPAモデル」(下図)というのをつくりました。そこで重要視しているのが、同じ人間として彼ら一人ひとりと向き合って、対話を通じて彼らの行動と考え方を変えていこうとすることです。

 これまでこのように海外で活動をしてきて、今なぜ国内でも活動しているのか。私たちの目指しているのは、社会全体として「誰一人取り残さない社会」――いま世界中で使われている言葉になりますが――ことです。ただ、そこで私たちが「取り残さない」視点として、いわゆる加害者と呼ばれる人たちであったとしても、その「誰一人取り残さない」というのであれば、彼らすらも取り残さない社会を目指していくべきなのではないか。それを目指して私たちは活動して行こうというミッションを掲げています。

 

Kaida SJF

 

 日本の犯罪状況はどういう状況になっているのか。

 日本の犯罪の特徴として、法務省が出している統計調査結果(2014年1月度法務省だより「あかれんが」)によると、これは昭和23年から平成18年までの間に刑が確定した人の100万人を調査した結果でして、日本の犯罪者のうち初犯と再犯の人の割合は、約7対3になっております。それに対して、犯罪の事件数を見てみますと、その約6割は再犯者によるものとなっています。日本の犯罪においては、再犯を防ぐことが非常に重要なのではないかとよく言われております。

 再犯者率は一貫して増加しております。初犯者数は減少しているのですが、なかなか再犯者数は減っていません。未成年者の犯罪のみを見ても、同様な傾向が見られます。

 犯罪の種類の観点から昭和50年と平成30年を比べてみると、昔はいわゆる傷害や暴行・恐喝等が多かったところが、現在は詐欺や横領などの知能犯が非常に増えているのです。件数でみると、昭和50年では詐欺の件数は約500件でしたが、平成30年では1000件以上に増加しています。つまり、昔のいわゆる暴走族、ヤンキーのような非行少年から、今の犯罪をする非行少年というのは少し毛色が変わってきていることがわかると思います。

 もちろん社会が変化すれば、そこに生まれる子どもたち、その行動も変わっていくのは自然な流れかなと思います。

 また、日本だと非行少年の厳罰化が進んでおり、日本の治安が悪くなっているというイメージがある方は少なくないと思います。が実は、凶悪犯である強盗・殺人・放火などは件数が非常に減少しています。

 

Kaida SJF

 

非行少年が抱える社会的不公正 再犯をせずに生きられる社会のあり方とは

 では、何が彼らを犯罪に至らしめるのか。

 犯罪学でよく使われる理論に、犯罪方程式(オーストリアの犯罪学者・メッガーが提唱)というのがあります。これは何を言っているか簡単にいうと、犯罪というのは、本人の性格や気質だけでなく、それを育んだ環境や、本人をとりまく社会状況というのが犯罪行為に影響しているということを主張しています。これが正解だとは限りませんが、先ほどの犯罪傾向の変化から見ても、非行少年や犯罪を考える時に、本人だけの責任として考えるのではなく、それをとりまく社会全体のあり方として捉えていくべきなのではないかと考えております。

 私たちが、これまで多くの非行少年や海外でのギャングやテロリストとの活動において見られるケースとして、非行少年と呼ばれる人たちはそもそも貧困であったり障害であったり、家庭内暴力であったり、いじめの被害者であったりと、さまざまな不公正を抱えているケースが少なくありません。

 しかし、その不公正を抱えながらも非行や犯罪に走ってしまうことで、非行少年といったレッテルが貼られてしまうことになります。そして、そのレッテルによって、本人自身たちが抱える課題の解決が難しくなる、また社会もその課題の解決にアプローチしなくなる。結果として、また非行に走らざるをえなくなるという負の循環があるのではないかと考えております。

 犯罪をしてしまった方がこれから再犯をせずに生きていくためには、社会としてこれから何をしていくべきなのかということは重要なテーマだと考えております。

 

非行少年を孤立させない市民社会の形成へ 保護司制度の新たな担い手の増加を

 最後に、では再犯を防止するために日本で現在どのようなことが行われているのか、私たちは何をするのか、お話したいと思います。

 日本には「保護観察制度」というのがあり、非行少年が犯罪をした時に、家庭裁判所で裁判が行われます。その後、人によって少年院に入ったり、児童養護施設や児童自立支援施設に入ったり、あるいは保護観察処分で終わる方もいます。その少年院を抜けた後や保護観察処分を受けた方に対しては、保護観察官という法務省の方と、民間のボランティアである保護司の方が協力をして定期的な面談や、就労先の情報提供や、少年院の出所後の住むところの調整などをしております。

 しかし、保護司制度は現在、保護司の高齢化と人手不足が深刻化しております。保護司の人数は、定員が5万5千人程度と言われていますが、実際の人数は現在4万6千人程度になっており、人手不足が続いています。また、保護司の年齢構成は現在60代以上の方が8割以上となっており、このままでは保護司制度の存続、維持自体が難しくなるのではないかと問題視されています。

 

 このような状態に対して、私たちとしては、3つの活動の柱として「保護司制度へのIT導入」、「政策提言」、「20代~40代を呼び込んでの活動拡大」をもって、保護司制度の新たな担い手の増加と、包摂的な市民社会の形成を目指して活動を行ってまいります。

 

 非行少年の再犯防止のために何が重要かと私たちが考えたことをまとめさせていただきます。

 1点目に、非行少年の犯罪の背景にあることを理解すること。

 2点目に、再犯をさせないために包括的な取り組みをしていくこと。

 3点目に、非行少年を支援から孤立させない市民社会自体を形成していくこと。

 非行少年に関わるのが刑務所や少年院だけ、警察官だけでなく、共生的なアプローチで、地域の一人ひとりが彼らに対して何ができるのか、何をしていくべきなのかを考える。また、その担い手となる人たちが増えていくような社会を目指して活動をしていきたいと思います。

 

 

――中澤照子さんのお話――  

 1941年、東京は文京区本郷に生まれました。本郷は坂道が多いところで、坂道を上った辺りには15代将軍の老中を務めた阿部正弘という人の江戸屋敷があって、その江戸屋敷を取り囲むように小さな町が出来上がったという所です。私は、その坂下の町中で、作家の山本周五郎の作品にある市井の人たちが住むような環境で生まれました。東大の構内で銀杏を拾ったり、五月祭に入ったり、三四郎で飛び回ったりと遊ぶところは事欠かず、後楽園球場で誰かがホームランを打つと歓声が我が家に響いてくるような場所で育ちました。そして、東大の中で遊んだ後に、屋敷町の友達の所へ遊びに行って、広くて数多い部屋に入っていくと、どこの部屋も電気が消えて人の気配がないような大屋敷で、ちょっと洒落たお菓子を一つ二つ頂いて、坂道を通って帰ってくると私たちの住む町がありました。

 そこでは、どこからも明かりが点いて、笑い声が聞こえて、おしゃべりや怒鳴る声が聞こえて、食事のにおいが伝わってくる。「照子ちゃん、いつまでも遊んでないで早く帰りなさいよ」と、あの当時は、気のいいお母さんたちが我が子も人の子も地域の子も一緒になって育ててくれたような地域でした。そして家へ帰れば、父親が商売先で人の相談事にのっている、お勝手口では母親が地元のおばさんたちの泣き言や揉め事の仲裁をしている、そういう環境で育ちましたので、とても人好きです。人を感じているのが好き、人を応援するのが好きな大人に育っていきました。

 

話を聴く、対話が始まる、おしゃべりへ進む 保護司活動の土台づくり

 1998年、平成10年ですね、保護司をスタートしました。その時に、私が生きてずっとやってきたことが、こういう組織としてあるのだとびっくりしまして、家族の反対はありましたけれども、私自身は何のためらいもなく保護司活動をスタートしました。

 その保護司を引き受けた時に、何が一番先に私を快く引き受けさせたかというと、私は泣いている人やうつむいている人を見るのが余り好きではないタイプで、被害者を出したくない、被害で泣く人を見たくないということでした。

 そんなですから、最初から、対象者を受け止める時にはあくまでもずっと対象者の話を聴く、話を聴き出す。話が進むのをじっと待ちます。それを通り越していくと、対話が始まる。対話が出てくると、今度は一般のご家庭の中であるようなおしゃべりへと進んでいくわけです。

 そのおしゃべりが始まった時から、私の中では土台作りができたなと、それからが保護司からのアドバイスをするようになります。どこで道を間違えたのか、どこで横道にそれたのか、どうしてこういう環境になってしまったのか。善悪が判るような子にしたいし、犯罪や非行を繰り返さないための助言をしてきました。ですから、手間暇が非常にかかる状態ですが、おしゃべりができると、おしゃべりの中から必ず何かしらヒントが出てくる。

 

再非行をさせない、被害者を出さないよう保護司活動 人に喜んでもらえた達成感を暴走族の子どもたちに

 ということで20年間続けてきました。20年の間には百数十人の件数を持たせていただきましたが、十人十色どころか百人百色の関わり方をしますので、一人の預かった子がいれば、その子には兄弟がいて親がいて親戚がいて仲間がいるということですから、一人を受け持つとその後ろにたくさんの人たちがいる。すると、加害者が一人出ると、被害者が大勢になる。

 警察で捕まることが入口であるとすれば、私は出口の役目なんだ、また入口に戻さないようにということを気持ちの中で徹底しました。再犯や再非行をすると非常に落ち込んだ時期がありました。それでも、どうにか軌道修正しながら元へ戻さないということに全力を捧げました。20年の間にたくさんのケースを持ちましたが、いま私の胸の中には、小さな引き出しにたくさんの事例が詰まっています。真っ黒な事例もあるし、ぴかっと光る事例もあります。

 印象的なのは、最初に受け持ったケースです。その当時は町中に暴走族の若者で溢れているという状況でしたので、一気に3人・4人を担当するようになりました。これは、一人ずつ軌道修正するのはなかなか難しい。地域が好き、仲間が好きというグループを一人ずつ何かするには、地域から外さなければならない、どこかに逃がさなければならない、親戚に預けなければならない。それは難しいことなので、グループで悪くなったのなら、グループで少しずつ半歩でもよくなるような形に持っていきたいと考えました。

 それで、雪かきからスタートしました。雪が降る前から、「雪が降ったらいいね、雪が降ったら雪かきしようね」とことあるごとにみんなに種まきしました。これが、天の助けか何か、平成12年頃でしたか大雪が降りました。それをきっかけに、暴走族の子どもたちが二日間にわたって雪かきをしてくれた。

 これは、地域の人たちにとってものすごい喜びでした。行きかう人たちがみんな喜んでくださる。ジュースを差し入れしてくださる。子どもたちにすれば、人に喜んでもらえたということで達成感が出る。

 それをきっかけに1年間、清掃活動につなげていきました。ゴミ袋をみんなに持ってもらって、「半分でいいから拾ってきなさい、そうしたらカレーを食べよう」、「スパゲッティを食べよう」と、何か食べ物で釣ってきたなということがあります。

 

 ただただ20年間、再犯や再非行をさせない、被害者を出さないという気持ちでやってまいりました。

 その中に、清掃活動にも雪かきにも積極的に参加しない子がいました。よく言えば自分自身を持っていて、自分がやりたいことは一生懸命やるけれども、ちょっと気に入らないと参加しないみたいなタイプでしたが、軸足が非常にしっかりした男の子でした。その子とずっと長いこと関わることができました。結婚して子どもができたというような節目で会うような。その子に、私が保護司を20年で定年を迎える時にバトンタッチして、保護司になってもらいました。

 それが十島和也君です。よろしく。

 

 

――十島和也さんのお話――

 私は1982年、東京で生まれました。地方公務員の息子で、姉二人の末子長男で育ちました。子どものころから毎日姉と喧嘩するような子どもでした。小学校に入ってからもうあまり学校に上手く馴染めずに、やんちゃな少年時代を送っていたと記憶しています。中学校に入った時には、学校には行っていましたけれども、学校に週に3・4回親が呼ばれるような学生生活を送っておりました。

 中学3年の時には、今でいう児童自立支援施設、当時は教護院と呼ばれていましたが、そこに審判で行きました。そこを出て、高校に入りましたけれども1か月で辞めたり、また入ってまた1か月で辞めたり。その頃から、暴走族に入っている周りの友人と遊んで家にも帰らないような状態が続いておりました。

 

Kaida SJF

 

自分だけ怒られて居場所がなかった 保護観察で会った保護司になんでも聴いてもらえて違う意見を素直に受け入れられるように

 ある事件で逮捕されまして、その時に保護観察になって、その担当の保護司が中澤さんでした。

 少年のころは、小さい枠の中にずっといたので、人の意見は聞きませんし、仲間内でしゃべっていると楽な方、楽な方へと。ちょっとアルバイト始めても行きたくなければ休んじゃうか、何か嫌なことがあると「ぶっ飛ばす」と力で抑え込んじゃえばいいや、という感覚で楽な方へ逃げていました。

 捕まって保護観察になって、学校の先生から何か言われても「うるせえ」、親から言われても「うるせえな」という感じでした。

 子どものころから悪目立ちするというか、みんなで同じことをやっていても私だけ怒られるみたいな感覚があったのです。何もやっていないことでも俺だけ怒られるという感覚があったのです。一緒にやっているのに俺だけ怒られるみたいに感じていると、居場所が無い。で、友達のところに行って、「あ、ここが俺の居場所なのかな」と思ったりしていました。そういうことを繰り返していくうちに、家にも帰らないし、夜遊んでいたりすると悪い方に行ってしまうんでしょうね。

 ですが、逮捕されて保護観察になった時に、保護司の中澤さんに会った時、なんか話しやすかった。なんでも聴いてくれて。今まで、自分の言ったことは「どうせ十島がやったんだろ」とか、「お前が悪いからこうなったんだろ」みたいな言い方をされてずっと育ってきていたのですが、中澤さんと会ってしゃべった時に、たいしたことをやっていなくても「あら、偉いわね」、何か言ったら「あなた、ちゃんと勉強しているのね」と勉強なんかしていないつもりでも褒められたんですね。それまでは自分が辛かったことを友達に話したら、楽な方や逃げる方に向いていたのが、違う意見を素直に受け入れられるようになりました。

 

恩返しになればと、自身の更生にしようと引き受けた保護司

 保護観察自体は1年で終わったと思いますが、その後も、中澤さんと縁が切れずに来ています。今はプロレスをやっているのですが、18歳の時に今の団体が旗揚げするということで、当時の社長が海外に住んでいたのでそこに行って団体旗揚げとなりました。それも中澤さんに相談させていただきました。今ではプロレスを始めて20年近くなりますが、その間に、結婚も離婚も経験して、子育ても絶賛頑張っておりますけれども、分からないことはいまだに中澤さんに相談させてもらい、上手く付き合えているかなと思っております。

 中澤さんとの出会いがあって初めて大人の意見に触れられたのかなということがあります。

 中澤さんが保護司を退任する頃、「あんた、保護司になったらいいじゃないの」と随分前から言われていたと記憶しています。ただやはり、「こんな私が保護司なんて」というのもありましたし、正直そんなに保護司になって何かなるかというと、あまり自分でどうにかできるとも思えませんでしたので、難しく考えて、何回も断っていたのですが、中澤さんが辞めるのをきっかけに、これが恩返しに少しでもなればなと思ってお受けしました。これを私の更生としようかなと思っていました。

 

 

――パネル対談―― 

加害者とされる人も取り残さない社会を国内外でつくりたい

永井陽右さん=アクセプト・インターナショナル代表理事) 普段はソマリアのような紛争地と日本を行ったり来たりしているのですが、これまで10年程活動をする中で、テロや紛争のない世界を実現するためには加害者とされる人も取り残さない、取り残されない社会を国内外でつくらなければいけないと考えるに至りました。そうしたことから約半年前から国内でも活動をしております。どうぞよろしくお願いいたします。

Kaida SJF(写真=永井陽右さん)

 

田口敏広さん) 今回非行少年を大きなテーマに掲げていますが、保護司として、いわゆる非行少年と呼ばれる子たちに関わっていく中で、どういう姿勢で向き合ってきたのか、また関わる時に気を付けていることは、中澤さんありますか。

 

中澤照子さん) 非行少年と言われる子たちは、方々で排除される。家庭でも学校でも地域でも。だから居場所がない。受け入れてくれる人がいない。ですから、地域でも誰かがちょっとしたことで、抱きかかえなくてもいいんです、ちょっと手を添えてあげるだけでも十分なので、保護司であろうとなかろうと周りの人たちにそういう気持ちがあると、「俺のことを気にしてくれているな、見てくれているな」ということが伝わります。それだけで、うんと良くはならないけれども、悪くはならないようにすることはできると思うのです。

 

田口さん) 確かに、全部受け止めて、全部面倒見ていくイメージが強いですけれども、そこは少し手を差し伸べるだけでも違うのですね。

 

中澤さん) 人差し指のことを「お助け指」と思っているのです。この老体を柔軟体操しようとして平衡感覚が無くなると、この人差し指でちょっとテーブルや塀を押さえるだけで立っている時間や上下に足を動かす時間が倍以上できるのです。人差し指はたいしたものだな。

 人への親切や優しさも、ほんとこの人差し指の爪の先、ちょっとの形で人を支えられる、心を支えられるものじゃないかなと思っています。

 

Kaida SJF(写真=中澤照子さん)

 

否定され続けていた非行少年のよいところを見つけて褒める

十島和也さん) 非行少年とかは、人に褒められ慣れていないから、会うと私はちょっとしたことを褒めるようにしました。非行少年がそうなっていく過程で否定をされ続けていたことが多いのではないかと思うのです。だから、なるべく良いところを見つけて褒められればいいかなと思っています。

 

田口さん) 褒める時に、どういうところを具体的に褒めるのですか。どういういいところがあると思いますか。

中澤さん) 悪いところを挙げたら切りがないのですが、褒めるところを一生懸命探すのですよ。だけど探してもなかなか見つからないなと思う時は、「君のまつ毛、長いね」と褒めたことがあります。そうしたら、その子は耳のところまで真っ赤にして、「そうですか!」。「女の子が羨ましがるんじゃないですか」と言いましたけど、そんなささやかなことでいいのです。

 だけど本当のところを見つけて褒めなければならない。あの子たちはすごく敏感なところがありますから、変にお世辞を言ったり、ゴマをすったりするのは直ぐに感じ取りますから、本当に良いところを見つけて。エレベーターに乗るときに、ちょっとドアを手で押さえてくれる男の子がいたりすると、「君のその右手、すばらしい役目をしているね。安心して降りられたよ」と。ちょっとしたことを、本当のことを褒める。だからアンテナを感度良くしておかないと、褒めるところがなかなか見つからないこともありますけれども、そんなことですごく喜んでくれたりする。「君の声はいいよ」とか、「うなずき方がいい」とか。

 それから、怒るときは大声で怒らない。何か事件があった時でも、さっとそばに行って耳元で「そんなこと、しない方がいいよ」と。これを「やめなさい!」と怒鳴ったりすると火に油を注ぐような形になるので、さっと冷静にさせる。

 褒める時も正面から褒めると、嘘を見抜こうとする目が爛々としてこっちを見ますから、嘘ではないことをなるべく静かに、具体的に本当にいいところを伝えてあげる。 

田口さん) 非行少年側も最初は「大人だ」という見方ですから。そこに嘘があるという前提で見てくる。

中澤さん) 大人はみんな敵だと思っている子たちがいっぱいいましたから。学校の先生も親も地域の人もみんな敵なんだと思う。だけど、敵じゃない人たちがいっぱいいることに気が付かないだけなんだよ、ということに気が付いてもらう。

 

 

田口さん) 永井さん、海外のテロリストやギャングと呼ばれる方に向き合う時の姿勢で心がけていることはありますか。

罪を犯した根底にある思い、問題意識にフォーカス 社会をよく変えていく原動力に

永井陽右さん) まず思いとしては、中澤さんと十島さんの思いと同じだなと感じました。私は対象が紛争地等の元テロリスト、テロ組織等に入っていた方々なのですが、彼らも、中澤さんの話にもあったように大人を憎んでいたりしますので。また彼らの場合、社会や世界の価値システムにものすごく憎悪を持っていたりするので、そういたところは大変なところではあります。

 対象者への姿勢としてすごく意識していることは、私はあくまで裁判官や刑務官ではない外部の文民ですので、彼らの犯した罪というよりかは、その背景や、そこにどんな思いがあったのか、どんな問題意識があったのか、そういったところにフォーカスするようにしています。そして、その人の今ここでの状態や考えにフォーカスするように意識しています。

 彼らはなぜテロ組織に入ってしまったのか、なぜテロを起こして無実の関係ない人たちを殺したのか、そういったところにある問題意識には実は社会的に理解できるようなところがある。もしくは、十島さんのお話にあったような、ある種、褒めることもできるところが見出せます。「社会の不条理や不正義を本当に変えたい。どうにかして自分はそれをやるべきだと思ったからテロ組織に入ってテロをしたのだ」と。

 確かに行いは罪です、悪いことをしました。ただ、社会における不正義や不条理に対する問題意識は全くその通りだと思いますし、むしろ社会をよく変えていく根本にあるのはそういった問題意識だと思っています。だから、そういったところを大切にしていく。そうであれば、「あなた、全部悪いんだ」ではなく、「その思いを実現しようよ、みんなで」という形で更生していく。そちらの方が、若い人になればなるほど別の人生を見出していくと感じてきました。

 ですので、意識している姿勢としては、彼らの過去の罪というよりは、根底にあること、その裏にあることをどうにかしていく。その人が新たな人生をつくっていくことを支えるために自分はいるので、その意識で向き合っています。究極的には、対象者に対してはそれ以上でもそれ以下でもないと考えています。

 

加害者の立ち直り支援被害者への贖罪

田口さん) 罪の中には万引きなど犯罪として程度が軽いものと、犯罪として重度の高い強盗・殺人・放火などがあり、そういう犯した罪の程度によって、保護司の対象者を褒めることやバックグラウンドに焦点を当てるというお話に関して変わる部分があるか、どうとらえて対象者と向き合っているのでしょうか。

中澤照子さん) 難しいことなのです。私は警察でも裁判官でも何でもないわけですから、立ち直りのための手助けをするという保護司の自分と、やはり反省に立ってほしいというもう一人の自分がいるわけです。

 ですから、立ち直りをする力を本人に少しずつ与えながら、反省の言葉を引き出させるというのはなかなか抵抗があるのです。本人が、重大事犯を犯したケースを受け持ったりすると、もう少し反省の弁が自然に出てくれるといいなと思ったりするのですが、こちらから水を向けにくい。ですから、本人が「頑張っている、こうやって給料とってきた」と前途のある話をすればするほど、「君はいいけれども、被害者はそういう思いができなかったんじゃないか」と力説したいわけです。だけど、そこが難しく、その重大事犯の子を受け持った時は非常に気の重い何年かでした。終わった後も、心底を覗くことができなかったので後味が良くなかったかなと思いますけれども、その子が同じ過ちを犯さないということだけを祈って送り出しました。

 罪や反省は難しいですね。

永井陽右さん) 罪が大きくなった場合に、その人に対する接し方が何か変わるかと言うと、変わることは無いとすごく意識しています。やはり、犯した罪自体より、その背景に向き合うように意識しています。例えば、ソマリアの刑務所で受け入れている人は何人もいますが、テロ組織に自発的に喜んで入った人はもちろんいますし、日本でもいろんな犯罪グループや犯罪行為に自発的に行く人もいます。しかし、強制されてやらざるを得ないというケースも非常にあります。だから、一口にイスラム系のテロリストと言えますけれども、実際問題、銃口を突き付けられて「加入しろ」、「加入しなくてもいいよ、殺すけど」という世界があるので、そういった中で、グローバルな組織に加入して特訓をうけて洗脳をうけてテロ行為に携わった人というのを、その犯した罪だけで語るのは大雑把で本質的ではないと思います。その背景、問題意識、経緯にとにかく向き合う、目を向けるということが大事だと思います。

 別のポイントとして、中澤さんが仰っていたことに関して、贖罪や反省というところは大きな論点だと思います。刑務所の中であまりそういう機会がなく、何をもってして反省なのか、贖罪になるのか、刑務所にいる期間は結局何だったのだろう、とはすごく考えることです。こういった点は、社会や被害者の方と接続されるところなので、社会的に大事なところだと考えます。

田口さん) 確かに、日本でも暴力団とかに入りたくて入っているわけではないケースも考えられます。

 

罪を犯すに至るまで 育ってきた環境の重要性

永井さん) 自分も結構やんちゃをしていた時期がありまして、あの時は、もちろん言い訳に聞こえますが、やんちゃをしちゃうぜという人たちは、そこしか居場所が無かったのです。そこで俺はもう辞めるとは言えないですし、友達がその人たちだというリアリティがあった。そのコミュニティーで育ってきて、仲間がブイブイいわせているところに自分が属していると、それが友達であって、居場所であって、そこから悪いことしちゃったということに対して、一概にその悪いことだけにフォーカスすることには違和感を覚えます。

十島和也さん) やったことはやったで、悪いと。ただ、私自身は保護司になってから、重大事件を担当したことがないので一概には言えませんが、自分の友人、先輩で重大事件を受け持った人がいて、刑務所から出てきてその人自身がそんなに変わったかなというと、普通に接している部分では人間性自体は変わっていない気がするのです。

 やはり、なんでそうなったかの方が大事だと思うのです。先ほどの永井さんのお話を聴いていて、育ってきた環境は確かにものすごく重要だなと思いました。悪さをするのが当たり前の環境で育っていたら、そうなってしまう。もちろん周りがみんな悪さをしていてもそうならない人もいるかもしれないけれども、お店から金を払わないで物を取ってくるのが当たり前の環境にいるならば、そういうふうになってしまうことがあってもおかしくないのではないかなと思います。周りに流されるのは当たり前なのかなと思ってしまう。

 人間性がどうこうというのも大事だと思いますし、罪の重さがどうこうというのは、保護司として関わっていき方が確かに多少は変わると思います。やはり人を殺した人が保護司の対象となったとしたら、被害者の遺族がいるので、そういうことも考えて接しなければならないと思いますし、なぜそうなってしまったのかということも考えながら接して行ければと思います。 

 

田口さん) 本人の背景と向き合う、それを通じて考えてもらうということをみなさん考えていると思いました。保護司さんは民間のボランティアで、特段の資格や専門能力があるというわけではなく、あくまで地域の一人ひとりの市民として更生支援に関わっていただいています。刑務所や少年院のなかで反省や罪と向き合うプログラムはあると思うのですが、そこを敢えて一市民の保護司さんがするということにはどういう意味があるのか、保護司さんだからこそできるどんな役割があるとお考えですか。

中澤照子さん) ほっとけない、見て見ぬふりをできない性格なのかなと思います。困っている人や辛い人がいたら素通りしたくない、なんとなく手助けしたいという性分なのでしょう。

 刑務所や少年院にはいろんなカリキュラムがあるでしょうけれども、私たち保護司がもし担当した場合には、刑務所や少年院にいる本人に対して手紙を書いて、それなりの助言をしながら、勇気づけながら、社会に帰ってきてからの夢につなげるための援護射撃はしますね。

十島和也さん) 更生のプログラムやカリキュラムが刑務所や少年院から出てきてから、というのは違うと思うのです。私自身は、保護司を担当している人に会って、しゃべって、普通の生活を送れているかの確認を、この先ずっと普通の生活を送っていくようにやっているものであり、そういうことを保護司の研修で学んだりするので、それを活かせるように努力はしていますが、まずは刑務所や少年院で更生して出てきたという大前提で考えています。

中澤さん) 保護司は今思うと隙間産業みたいなものではないかな。私の父親が職人だったのを見ると、職人的な気持ち。壊れた人形だったら縫ってみたり貼ってみたり中に詰め物をしてみたりすると形づいていくじゃないですか。形づいてくるということは、あとは本人たちの力が備わっていけば、自然と成長していくわけですから、応急処置的なことしかできないかもしれない。だけど本当に困っていたら、救急車を呼ぶ前に手当するじゃないですか、怪我したらバンドエイドを貼るとか消毒するとか。

 そんな役割みたいなもので、一人ひとりを生まれ変わらせようとか、大きく成長させようなんてゆめゆめ思っていないです。ほんのわずかな支え、一時の支えになって、あとは自力でうまく成長してくれればいいなという気持ちで常に関わってきたような気がします。

田口さん) 非行少年それぞれによって、隙間じゃないですが、ニーズや抱えている問題が異なりますね。

中澤さん) 環境の違いで全部異なりますから。8人・9人いる兄弟の長男を担当した時には、下に続く子どもたちに長男と同じ轍を踏ませたくないという思いがあるわけで、長男を担当するだけでなく、その下の妹や弟にも何か良い粉を振っておきたいなと思います。甘ったれて育っている一人息子が大きな犯罪をした時には厳しく接したいと思いますし。

 それらの中で、田口さんがおっしゃるように「対話」が必要ですね。どんな時にも話はものすごく大事な要素になると思います。どんなに刃物を振り回している親子でも、中に入って仲裁に行ったときには、どうにか話す中で刃物がだんだん収まってくるというのを経験しておりますので。

 ほっとかない。気にかけているんだよというのが相手に伝わるような接し方。

 

贖罪における社会の大きな役割 出所後の社会へのファーストタッチを保護司とした後に

永井陽右さん) まさに環境的な要因があるからこそ、環境もしくは取り囲んでいる社会を考えなければならないということにつながるのではないかと理性的に思うところです。刑務所の中ではなくて、社会の中で気が付くこともきっとあると思っています。自分自身と向き合うだけでは分からなかったことや、頭でわかっても実感できなかったことが社会の中で他者との関わりのなかで分かったりするのかなと、自分の経験や推論から感じるところです。

 保護司は刑務所や少年院を出てからの最初の社会、プレ社会みたいな役割があるのかとお話を聴いて感じました。そういった点があるからこそ、彼らの更生や再犯防止においてどうしても「社会」という単語が出てくるのかなと思いました。また、「社会」という単語を使った時には、社会は保護司の方だけではない。保護司の方が社会へのファーストタッチとしてやってくれた後の社会もまた考えていかなければいけないと思いました。その社会は、まさに私たち一人ひとりで構成されているものを総称して社会と言っているだけですので、一人ひとりが問われている、何を志向するのかにつながると思います。

中澤さん) 社会が犯罪や非行に無関心だという人たちもいますけど、無関心を装っているだけではないかと思う時があります。やはり自分に火の粉がかかってくるのが嫌なわけですけど、関心は非常に持っていると思います。情報を知りたがるということはたくさんある。テレビでも事件や刑事のドラマがけっこうな視聴率を取っているではないですか。みなさん関心はお持ちだから、その無関心を装っている人に、少しいい形の関心を持ってもらって、地域でちょっと関わってもらう。みんなが一人ずつ防犯灯の役目みたいなものを持ってくださると本当に安心なまちづくりになるのではないかなと思います。

永井さん) あと紛争の現場等で感じることは、こういった贖罪や社会復帰・社会統合という話になったとき、加害者と被害者だけで考えがちになるとどうにもならないリアルがあるのです。

 つまり、被害者側の人たちは基本的に加害者を許せず、加害者が刑務所に15年入って出てきたとしても被害者にとってその15年間は何ですかとしか言いようがない。だからこそ第三者が必要です。被害者側のケアと加害者側のケアは別物でありますし、じゃあその別物のところで、被害者と加害者だけでよいのかというと、そうではなく第三者が必要で、その第三者の最たるものが社会だと思っています。第三者がいないと負の連鎖、どうしようもない事態がよく起こると感じますので、そういった意味でも、贖罪や反省においても社会という第三者が大きな役割を担っているのではないかと感じます。

 

田口さん) これからのグループ対話でぜひ参加者のみなさんにも考えていただければと思うのが、1点目が、犯罪更生に関して社会がどうあるべきなのか。社会は自分の地域と考えていただいてもよいと思います。2点目が、自分が一個人として、自分の家の隣に、元犯罪者や元非行少年の方が来た時に、何ができるのか、逆に何をしないのか、そういった人たちと関わろうと思うのか。そういった点からリアルなイメージを膨らませていただいてグループ対話に移っていただければと思います。 

 

――グループ対話とグループ発表を経て、ゲストからのコメント―― 

※グループに出演者も加わり、グループの方々に感想や意見、ご質問を話し合っていただいた後、会場全体で共有するために印象に残ったことを各グループから発表いただき、ゲストの方々からコメントをいただきました。

参加者)

「学校の生活指導をやりながら、その子の背景を見ていくことが教育の中では大事なのではないか。それから、学校を出て社会に向けてのところで、自分たちがどういう関りをもって、やり直す機会をどう作っていくのかについては、ちょっと手を差し伸べたり、話を聴いたりすることが大事だという話も出ました。

 見えていない人をどう支援したらよいのか。一人ひとりをルールで縛るのではなく、『いいんじゃない』という緩い関わり方を守っていくことも大事なのではないか。

 保護司という仕事の中で、人生を体験していくことの重みをどう受け止めていくのかについても話されました。」

 

「中澤照子さんも参加されたグループでした。保護司の仕事の中身について伺ったところ、非行少年と対話をして報告書を書いて法務省に提出するという基本的なことや、『隙間を埋める』お仕事であり女性は向いているというお話もありました。

 『逆恨みをされて怖かった経験はありましたか』という質問に対しては、家族の心配はあったけれども、『僕を受け入れてくれるんだ』という肯定的な反応で、怖かったことは一度もなく、逆に『中澤さんに迷惑をかけるなよ』と先輩の非行少年が後輩に言うほどだったそうです。

 一個人として隣に非行少年がいたらどうするかに関しては、まず秘密性が高い部分があり、保護司になった時は伏せてくださいという話が昔はあり、実態が伝わりにくかったそうです。非行少年について知っていけば怖いことはなくなるかもしれないが、保護司が個々のエピソードを話すことは難しいということでした。」

 

「保護司をして1年位です。グループの皆さんのお話から共通して言えるのは、居場所を作ることが大事だということです。それは、『わかってもらえる』という環境づくりをすることだと思います。中澤さんの言葉から伺える、相手をお認めくださる、そういう心づくりをすることがすごく大事だろうとみんなで話しました。

 お節介が日本人は昔からあったのですが、そういう良いところがなかなか今できていないのではないか。一方、自立をしようとする人に対してあまりに入り過ぎているのではという見方もあるでしょう。これは相手方さんとお節介をする人とのバランスも大事でしょう。

 中澤さんが仰っていた『ほっておけない』が最初の根本的な気持ちなのかなと思います。よく『袖すり合うも他生(たしょう)の縁』と言いますが、それだけご縁があってみんな集まりお話がなされるわけですから、それを大事にして共に学べるような姿勢を取りたいと思っております。」

 

「みんなで見守っていく必要があるのではないか。地域や社会の子どもとして理解していくことが大事なのではないか。加害者をも取り残さないという視点は本当に大事。

 子どもたちの社会との接点が希薄化もしくは減っているという話もありました。だから、社会とつなぐことを今後は意識的にやっていかなければならないのではないか。背景としては、子どもや若者たちはSNS世代であり、リアルなつながりが希薄化している実情があると思います。じっさい犯罪行為に手を染めてしまった背景として、SNSでおいしい話をチラつかされて特殊詐欺の受け子になってしまったということも珍しくありません。

 世の中がワイドショー化しているのではないか。他者へ何かするような余裕が無いような世知辛い世の中でもあると。多様性を認めない人の多様性、『加害者、無理です』と言う人もまた多様性の一つであり、そういった社会の理解も大切だという話も出ました。その最たる例が被害者ではないか。

 日常の支援が必要な問題、障害等を持っている方もいる。目に見えない障害もあるのではないか。そういったところへの意識を持つことの大切さ、そういったこともひっくるめて受け入れることの大切さも話されました。

 実際問題、元非行少年が身近に来たとしても、分からないはずという点からも話しました。ニュース等で公表はされないので。だからこそ、普通にご近所づきあいをするのだと。声をかけたり、お裾分けをしたり。当たり前ではない関係に傷ついてきたからこそ、当たり前な感じの大切さがあると話し合いました。

 再犯する可能性はゼロではありませんが、よくなるように信じる、その方が社会にとってきっといい。つながりが希薄な中で、外見から色眼鏡で見ない。」

 

「個人が犯罪をしているというよりは、社会がその犯罪を起こさせているという認識が重要なのではないか。

 各地域で子ども食堂のような緩い受け入れ場所、そこにある空気みたいなものを、この分野においてもつくっていけるような社会になるとよいのではないか。

 実際に関わる時には、恐怖感との折り合いが難しいという意見や、マジョリティーでない人への配慮の重要性も指摘されました。例えば、DVの加害者は男性のイメージが強いですが必ずしもそうではなく、犯罪者にも多様性が広がっているので偏見を持たないことが重要だというご意見もいただきました。」

 

「社会における保護司の位置づけやイメージと実際に活動している人たちとの間にかなり乖離があるのではないか。おそらく実際に保護司として活動している方とお会いする機会がないからではないかという意見がありました。

 重大な事件の加害者に対する葛藤があるという話にもなりました。一つあるのは、被害者への支援の不足があるのではないか。加害者の更生と被害者のケアを両立させる上では、講演の中にあった『社会の不条理や不正義を変えたいという思いを大切に実現に向けて更生していく』というのは、おそらく被害者が実現したい社会とも共通していると思いますので、そこは一致できるのではないかと思いました。

 私たちができることとして、今、失敗を非常に許容しがたい社会――一度犯罪をしたら復帰が難しいとか、正社員からドロップアウトしたら難しいなど――になっているので、そこから排除されない社会や、その包摂される出会い等の場面をつくっていくのが、加害者の背景を踏まえた更生と被害者のケアにつながっていくのではないか。」

 

「質問があります。アクセプト・インターナショナルが紛争地域での活動に使っているモデル(脱過激化・社会復帰アプローチ=RPAモデル)についてもう少しご説明いただければと思います。

 また、田口さんのお話の最後で、保護司制度へのIT導入が出ましたが、具体的などういうふうに保護司さん確保につなげるのか教えてください。AIに保護司さんの経験を読み込ませて対応させるのか、保護司さんがオンラインで対応しようとしているのでしょうか。

 保護司等を長く続けていらっしゃる方々が辞める場合に、例えば中澤さんから十島さんにバトンタッチが成り立ったことは素晴らしいことですが、他の多くの場合にはそういうバトンタッチがきちんと動いているわけではないでしょう。結果的に、保護司は全体の定員を一応設けているのですが、保護司はだんだん減ってしまうだろうから、定員を取り払ってより多くの人に関わっていただいたほうがよいのではないかという提案もありました。

 少年非行の内部事情等について、みんなよく知らないという状況を無視できない。例えば大学教員の中には、学生をつれて少年院や鑑別所を見学できることはあり、やはりインパクトがあるということでした。」

 

「社会を変えていくのは君なんだよ。一緒に社会を変えようよ」 保護司活動に通じるアクションフェーズ

田口敏広さん) アクセプト・インターナショナルへの質問にお答えしたいと思います。

 私たちが行ってきた海外事業のRPAモデル(上掲図)は、いわゆるテロや紛争に対する従来のアプローチは武力的であるのに対して、平和的なアプローチで、対話を通じて彼らの社会復帰や更生を応援していくことが特長です。

 この活動をしてきて日本で何ができるのかと考えた時に、保護司さんの役割に近いものがあるのではないかと考えました。保護司という制度は、民間の篤志家の思いから始まった活動で、かつ全国に4万~5万人という方がいらっしゃるということで、その保護司制度自体に何かよい変化を私たちの経験から起こしていくことがまず僕たちにできることなのではないかと思って現在活動しております。

 ITの意味については、今、コロナ禍ということで保護司さんの活動も制限されています。そこで、このようなZoomやメール、カレンダーの共有など簡単なITツールを使うことにより保護司活動をより円滑に、また負担を少なくしていくことです。ひいてはそれが、若い世代で仕事をされている方が保護司の活動と両立しやすくなることにつながるのではないかという仮説をもとにITツールの導入を実施しようとしております。保護司活動の負担軽減と若い保護司の増加につなげていければと考えております。 

永井陽右さん) ひとつ補足させてください。RPAモデルは、紛争地におけるテロ組織から降参した投降兵の方と逮捕者の方の脱過激化の画期的なモデルになっています。我々の現場の実務に依拠するエビデンスからつくられたアプローチで国際社会から注目されています。

 これまで、イスラム系の過激派組織にいたテロリストといわれる方々への脱過激化プログラムは基本的に宗教再教育をベースとしたものになっていましたので、一方的に彼らの価値観を上塗りしていくという発想が主流でしたが、それだと意外とさらに過激化することがけっこうありました。

 ですので、彼らの考えややったことや支持していたことを否定するのではなく、むしろ言い換えていく。「どんな問題意識があったのですか」というところの向社会的な面を抽出して、それを「胸を張ってやっていきましょうよ」と。刑務所にいる期間は何か「下向いてやれ」ではなく、新しいアイデンティティ、新しい自分のその価値観に向けて準備していくのです。

 そして刑務所を出た後がこのアクションフェーズ、まさに保護司の方が出てくる領域のフェーズです。釈放後も「お天道様の下に出てくるなよ」ではなくて、むしろ「社会を変えていくのは君なんだよ。一緒に社会を変えようよ」という形で押し出していく、そこを支えていくアプローチになっています。こちらの方が、実際に脱過激化の状態を持続できています。これが私たちの仮説から始まった実践に基づくアプローチです。

 このアクションのところ、いろんな視点から支えていく、このフェーズが実際の保護司の活動に通じるところであるという理解でした。

 

参加者) 傾聴することは実際に本当に難しいと思います。誰でも偏見はありますし、加害者への葛藤という言葉もありましたが、なかなか共感できないことをひたすら聴くことは難しいことだと思っています。じっさい今のグループ発表ではどなたも長く話されていて、自分を話したい方はとても多く、逆に人のことを聴くことはとても難しいことだと認識しています。

 中澤さんは、保護司の活動としてどのように上手く聴くことをなさっているのかお聞きしたいです。

 中澤照子さん) 本当に聴くことは難しいですね。辛抱がいりますね。ひたすら聴き出す。それは疲れることなのですね。保護司会でも3分でまとめて下さいと言われてもなかなか3分でまとまらず話し出すと長くなり、聴く方は疲れてしまう。これはどこでもあることです。

 でも保護司の対象者に関しては、これが最初の手作業だと思います。地面でいえば土起こしみたいなものですから。聴こうと思っても、話したがらない人もいますから。時間をかけながらボソボソという形で聴き出すというところがありますので、辛抱強く聴き取る形になります。

 だからといって、変にうなずいたり、相槌を打ったりすることも相手が不愉快になることがありますので、非常に何気ない中で神経を使ってきました。

 

保護司的な気持ちの人が多くなってくれれば

参加者) 日本には保護司というユニークな制度があると思いますが、反面、一度犯罪をした人をなかなか許容できない社会でもあると思っています。このギャップをみなさんはどうお考えですか。保護司制度がもっと広まらなければいけないとお考えですか。

中澤照子さん) 保護司的な気持ちの人が多くなってくれれば、それが一番よいことですね。

 若い人の保護司を発掘するということは、若い人たちの力を借りたいということもありますが、ある程度の年齢でいろいろ経験をしていないと対応できないこともあるのです。対象者の後ろには親御さんがいるわけです。原因が親御さんや家族にあることもあるので、受け持った人よりも親御さんとの接触を多くしないこともありますので。年齢的な枠組みではなく、総合的にいろいろな人のお力を借りながら。

 日本の保護司制度は世界に誇る制度らしいですね。先日、諸外国の人に会ったら、日本の保護司はすごいとさんざん褒めていただいたことがありました。せっかく、こういう無給でやっている人たちが日本に大勢いるわけですから、裾野を広げていきたいと思います。

田口さん) グループ発表でもありましたが、「見えない」ということが一つあると思います。他の差別問題でもそうですが、肌の色など目に見えることへの差別に対して、政治の問題など目に見えない問題があり、加害をした背景というのは目に見えない問題であるので、どうしても恐怖感を覚えやすいのではないかと思います。

 この問題は非常に複雑で、発表の中にあったように、障害や貧困、家庭内暴力、いじめ、学校や職場の問題などいろいろな要素が絡んで人は犯罪に至るのかなと思います。そういった複雑な要因がある中で、なぜ人は犯罪をするかを簡単に考えようとする時、本人に原因を求める考えに陥りがちではないか。複雑な要因にまで考えが至るにはエネルギーがいるのではないか。本日のこのような時間がないと、そういうところまで考えるのはなかなか難しいのではないかと思いました。

永井さん) 無給でここまでやる保護司制度はなかなかない。ある種、日本人らしい。

 同時に日本人は少し排他的で、非行や犯罪をした方を受け入れることが社会として成熟していない。それも島国魂的なところであり、みなさん余裕が無いところでもあるでしょう。また、一つシミが点いていると、ずっとそこを指摘され、レッテルを貼られたらそのスティグマだけを見られる。

 それらが同時にあると感じます。 

  

大河内秀人さん) 最後に、ゲストの方々から一言ずつ頂戴したいと思います。

中澤さん) こういう形で参加させていただいて、非常に社会が広がった感じで、ありがとうございました。

十島さん) 正直、保護司の制度は、変わっていく時代の中で続けていくことは難しいと思います。でも必要なことだと思うのです。だから少しでも多くの人に分かってもらって、多くの人に保護司に興味を持ってもらって、となっていければと思いました。ありがとうございました。 

永井さん) 中澤さんがおっしゃっていた「人差し指って、小っさいけど結構すごいぞ」というお話がとても心に残っています。アクセプト・インターナショナルは大きくはないですが、私たち一人ひとり、まずは私として自らの人差し指をどんな形で使えるのか、こんなに小さいけどこれでも何かできるんだ、誰かを支えられるんだということを改めて考えていければと思いました。

田口さん) 今まで無かったような観点や、普段接しないような社会の立場にいらっしゃる方からのご意見を頂戴して大変勉強になりました。

 この問題については正解のない分野だと思います。一人ひとりの地域での関りが長期的に社会の雰囲気や文化になっていくのかなと思いました。

 私たちアクセプト・インターナショナルは若いことが取り柄でありますし、声を大きくして言っていくことが取り柄だと思っておりますので、保護司の方々にもお世話になりながら、いわゆる犯罪をしてしまった方々が社会復帰をあきらめないで済むような社会の実現にむけて今後とも精一杯活動していきます。     ■

 

 

●次回のアドボカシーカフェご案内★参加者募集★
あなたがある日突然、外国人だと言われたら
―インド・アッサム州における市民権問題―

【ゲスト】木村真希子さん(津田塾大学教授/ジュマ・ネット運営委員)
     日下部尚徳さん(立教大学准教授/ジュマ・ネット運営委員)
     土肥潤也さん(NPO法人わかもののまち代表理事)*コーディネータ
【日時】2021年5月15日(土) 13:30~16:00 
【会場】オンライン開催
詳細・お申込みこちらから

 

 

※今回21年4月17日のアドボカシーカフェのご案内チラシはこちらから(ご参考)

 

 

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