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ソーシャル・ジャスティス基金(SJF)アドボカシーカフェ第66回開催報告

忘れられた小児甲状腺がん患者たち

~声を上げられない当事者にどう寄り添い、可視化するのか~

 

 2020年10月3日、千葉親子さん(甲状腺がん支援グループ・あじさいの会事務局長)、太陽さん(小児甲状腺がん患者)、白石草さん(OurPlanet-TV代表)をお迎えしたアドボカシーカフェを、SJFはオンラインで開催しました。
 

 「原発事故とは関係ない」と、甲状腺がんを告知される時に患者たちは医師から言われている実態が千葉さんと白石さんから明かされました。それは、口封じを強いるプレッシャーとなって患者たちを孤立させていきました。「甲状腺がん」という言葉がマスメディアに出ると復興における「安全」のイメージを損ねるために、国策的にコントロールして封印されている構造が説かれました。

 そういった立場に置かれてきた患者さんたちの多くは一人で不安を抱えたまま声を上げられずに何年も過ごしてきました。その中で「自分だけではない」と知ることができ、気持ちが少し楽になった経験を、太陽さんは語りました。そして、声を上げにくい人のサポートになればと、メディアに発信することを始めたそうです。今回の企画の一般参加者の中には太陽さんと同年代で同じく甲状腺がんの手術を受けた方もいらっしゃって、その方とグループ対話で話す機会を得た太陽さんは、自分と同じように前向きな考え方で生活をなさっていて、そういう人が今後増えていければとの思いを表しました。

 病気を隠さなくていいという安心感のある家族会を、孤立していた患者やその家族とともに千葉さんはつくってきました。つながりを持ち、信頼し合える仲間と出会え、力づけられてきました。

 甲状腺がんは10代・20代の若い患者が多く、白石さんは「NPO法人3.11甲状腺がん子ども基金」が設立当初に実施した患者さんたちへのアンケート結果を紹介。進学や就職の計画を断念せざるを得なかったり、手術の傷跡のために服装を制限せざるを得なかったりする患者の思いを話しました。中には、甲状腺がんを発症したことを家族にすら伝えられないでいる方もおられました。勤務先や友達に伝えることができた方はさらに少数でした。

 あたかも問題はなかったかのように、封印しようとする構造。本来被害者であるはずの患者が声を上げるとバッシングをする世間。そうしてとりつくろわれてきた平穏。患者が生きていく社会に関わっている私たち一人ひとりが自分事として問題を捉え、みんなの問題として取り組み、多様な人が生きやすい社会にしていくことが大事だと呼びかけられました。

 詳しくは以下をご覧ください。

※コーディネータは、大河内秀人(SJF企画委員)

 
――白石草さん(OurPlanet-TV代表)のお話―― 

 我々OurPlanet-TVというNPO団体は、2013年にチェルノブイリに行って『チェルノブイリ28年目の子どもたち』というドキュメンタリーを制作しました。

 そして、チェルノブイリで子どもたちの甲状腺がんが増えたという背景を踏まえて、福島原発事故後、福島県内では甲状腺がんの検査が行われてきたのですが、県外では検査ができないということが決まったので、では県外でどのような取り組みがされているかを調査するという活動を行い、岩波ブックレットから一つ出版させていただいております。

 その後しばらく経ちまして、小児甲状腺がんの当事者の声を可視化するための映像をつくろうということで現在取り組んでおります。

 

 今は甲状腺がんについてテレビや新聞で報道がされなくなってきていますので、状況をアップデートしていただいた上で、小児甲状腺がんになった方々が感じていることについて共有できればと思います。

 まず、甲状腺がんがチェルノブイリ原発事故後、多くの子どもたちに見つかったということで、日本政府も動きまして、2011年11月以降、福島県内では、事故当時18歳以下だった福島県民38万人を対象に甲状腺エコー検査を実施しております。18歳以下の方は2年毎に検査を行っていて、新型コロナの影響で検査が止まっていましたが、20年9月から5巡目の検査が始まっています。

 甲状腺は喉仏の下あたりにある小さな臓器で、昆布や魚介類といった食物中に含まれている「ヨウ素」を吸収して、からだ全体の新陳代謝を促進するホルモンを分泌したり、また子どもの成長や出産の際にも大きな働きをしています。ここが、食品の「ヨウ素」ではなく、「放射性ヨウ素」を吸収してしまうとガンができてしまうというわけです。

 エコー検査でしこりがみつかり、ガンの疑いのある方は、そのしこりに針を刺して顕微鏡でがんかどうかを調べる検査「穿刺細胞診」をします。この検査がとても痛いそうです。

 今どのぐらいの人たちに甲状腺がんが見つかっているかというと、穿刺細胞診の結果、悪性がんの疑いが高いという方が246名いらっしゃって、そのうち200名の方が手術を既に済ませていて、うち一人の方は良性でしたが、残り199名の方が甲状腺がん確定となっています。

 ただ、この数字は公式に発表されているデータで、まだこの集計に含まれていない方がたくさんいると見られています。ですが、いまは闇の中にあるというのが、事故から9年半以上経った現時点の状況です。

 今、新型コロナウィルス感染症の患者さんが増えていますが、福島県の子どもにおいては圧倒的にまだ甲状腺がんの患者の方が多いです。原発事故前は、100万人に1人か2人と言われていた甲状腺がんですが、今はこれだけの数が見つかっているのに、なぜか社会では封印されてほとんど語られていない状況です。

 甲状腺がんの患者数は福島県内でも地域差があります。最初から4つの区域にわけて検査等のプログラムが組まれ、その区域の甲状腺がん患者の発見率を比較するというのが当初の計画でした。昨年7月に解析し終えた2回目の検査結果がこの図です。(下図参照)。

Kaida SJF

 

 これだけ地域差が出ているということは、原発事故の影響が出ているのではないかと考えるのが一般的かと思いますが、そうはいかないのが専門家で、福島県の専門家会議では、地域差が出るのはおかしいので解析方法を変えようということになりました。結果、国連科学委員会(UNSCEAR)が2013年に公表している原発事故初期の推計甲状腺吸収線量を用いて、甲状腺がんの発見率との関係を市町村ごとに地域分けして調べた結果、地域差が出なかったので、「被曝の影響ではない」という結論になっています。

 とはいえ、地域の他のガン登録数と比較すると、数十倍のオーダーで甲状腺がんは多発しています。数が増えている原因に説明がつかないと言われています。それに対して今言われているのが、「過剰診断」です。精密な検査のしすぎにより、将来治療の必要のないガンを見つけてしまっている可能性が高いという議論が進んでいます。福島県の専門家会議では、検査を中止すべき、あるいは縮小すべきであり、学校の中で行われている集団検査はやめるべきだという声が強まっていて、前回20年8月に開催された専門家の会議で、学校に対してヒアリングをする方針が確認されました。このヒアリングを誰に対して行うかについては、養護の先生がいいとか、学校の検査を担当している先生がいいと言う方と、校長先生に聞くべきだと言う方とで議論が対立していましたが、福島県としては、養護の先生ないし教頭先生に直接面談して、この検査を継続することについてどう考えているか、授業の邪魔になっていないか、運用がどうなっているか等についてヒアリングしようということで進められています。

 このように「一生見つけなくてもよいガンが見つけている」と言われているわけですが、手術の実態がどうなっているかについて、県はどんなにこちらが発表を求めても公表しない形になっています。ですから実際は、学会で時々公表されるデータから知るしかありません。

 この手術のほとんどを実施しているのが、福島県立医科大学の鈴木眞一先生です。鈴木先生は、当初は検査の責任者として、先述の福島県の専門家会議に参加しておられたのですが、2016年以降、姿を現さなくなり、学会の中で症例を発表なさるようになりました。2019年5月12日に鈴木先生が日本内分泌学会で、その前年までに手術を終えた180人の手術症例を公表しました。8割の方がリンパ節転移および1センチ以上であり、肺転移が3例、低分化がんが1例、皮膜外浸潤(甲状腺の外に広がっているガン)は多数あり、再発例は11例と発表されました(数を発表したのは2019年10月12日の日本甲状腺学会において)。

 このように、早期の適切な治療が必要なガンの発見がかなりあると私は認識しています。後でお話いただく太陽さんは、手術までの「経過観察」期間が長かった方ですが、このように、手術に至るまでには、個人個人様々な異なる経過を辿っていると思います。

 

若い甲状腺がん患者たちの不安 進学就職の計画変更や断念 服装への制約

 甲状腺がん患者の200人、実際には300人以上いると思っていますが、その人たちがどういう思いでいるかはなかなか伝わっていかず、それが最大の障壁だと思っています。

 NPO法人の「3.11甲状腺がん子ども基金」が2016年に設立され、政府が支援事業をしないので、甲状腺がんの手術を受けた方々に10万円の給付金を出す事業を展開しています。患者さん全てではないですが、ある程度の患者さんとつながり、声をすくい上げることができています。

 この基金が患者さんに行ったアンケート結果をプレスリリースしていますので紹介します。患者さんの多くは10代・20代の若い方々です。患者さんたちが不安に感じたことや悩みは、一番多いのが「結婚」。それから、治療費の問題、学業、就職など、これからどのような人生を歩んでいこうかという段階でこの病気になって、悩んでおられる様子がわかります。 

 差別に不安を感じている方々もいます(下図参照)。棒グラフの濃い青色は福島県内の方、薄い青色は他県の方の人数です。差別については、不安に感じている福島県内の方の割合がとくに高い様子がわかります。

Kaida SJF

 

 「甲状腺がんと診断された後、進学や就職など予定していた計画を変更したり、断念したことがあるか」との質問に対しては、4人に1人が「ある」と回答しました。

 学業については、「進学校をやめ、高校も中退」した方もいて、高校を中退するのは大変なことで、その後どういう日々を送っておられるのでしょうか。「精神的ショックを受け、大学3年生の時、1年間休学した」。「学校を休むことが多くなった」。「入院・手術により、学業や部活・習い事を今までと同じようにできない期間が生じた」。

 就職にも大きな影響が表れています。「就職面接の時、がんというだけで内定取り消しになった」。これは複数の方から耳にしたことがあります。それから、「就職試験のために手術日を延期した。試験の断念も考えたが、苦渋の判断をした」。今世の中で、学生は一番忙しいですよね。高校・大学生とアポを取ろうとしても難しいです。日々いろんなことをしていて、そこに手術という大変なイベントが入ってきて、安静にしなければいけない期間もあり、大変な日々を送っているわけです。

 「公務員学校に通学していたがショックで勉強する意欲を失い通学できなくなった」。「就職が決まっていた地元テレビ局を辞退し、勤務時間が一定の東京の会社に就職した」。太陽さんは元気ですが、人によって手術後の体調はまちまちで、非常に不安定な心身状況になる方も多く、ハードな仕事が難しい方もおられます。「手術前に仕事をやめ、実家に戻った」。「勤務内容を多忙でない仕事に変更した」。「就職を遅らせ大学院まで行くことにした」。

 日常生活に関しては、「肌を露出する服が着られなくなった」。10代・20代は自分の好きな服を着て、いろんなファッションを楽しむことが人生のなかで大切な年代でしょう。それが首を手術して傷ができてしまうことで、「海やプールに行けない」とか、「成人式の写真撮影の日程を手術前に変更した」等、若いキラキラした年代をこういう手術に費やさなければならないことは切ないと思います。

 知りたいことは、「予後について」や、なんでこんな珍しい病気になったのかという「甲状腺がん発症の原因」が多いです。また、18歳はこども保険から大人の保険に切り替える時期であり「医療保険などの情報」を知りたい方も多いです。

 

患者がバッシングをうける日本

 今日の話のメイン、これからの議論に重要な部分を最後にご覧いただきたいと思います。それは、病気を知らせている人たちについてです。「家族」が一番多いですが、知らせていない人が30%程いることが気になります。一方、勤務先や一般的な友人に知らせている人たちが極めて少ないことが今の特徴だと思います。私たちが、甲状腺がんの200人も300人もいるかもしれない人たちに出会えない最大の理由は、患者さんが不安を抱えて、それを話すことにとても強い抵抗感があることだと思います(下図参照)。

Kaida SJF

 

 今年6月、「『コロナ感染は自業自得』日本は11%、米英の10倍・・・阪大教授など調査」(読売新聞2020/06/29)という報道がありました。阪大の三浦麻子教授たちが、日本・米国・英国・イタリア・中国で各約400~500人を対象にインターネットで調査したところ、他の国では、コロナ感染は自業自得だとは全くそう思わない人が60~70%だったのに対して、日本は29.25%と少なかったのです。

 日本はなんでこう被害者がバッシングを受けることになっているのでしょう。三浦教授はこう仰っています。

 「日本ではコロナに限らず、本来なら『被害者』のはずの人が過剰に責められる傾向が強い。通り魔事件に遭った女性が、『深夜に出歩くほうが悪い』などと責められることもある。こうした意識が、感染は本人の責任とみなす考えにつながっている可能性がある」。

 日本では、何か声を上げた被害者に対して、助けようと手を伸ばすのではなく、バッシングをする。本当に怖いなと思います。これは、甲状腺がんや、水俣等の公害、あるいは薬害をめぐる社会状況にも通じると思います。ぜひ後のグループディスカッションで話していただければと思います。

 福島原発事故後の放射性ヨウ素の汚染マップを見れば、東日本のみんなが被害を受けてもおかしくない状況にあるので、甲状腺がんをめぐるこの状況を共有して、全てを自分のこととして一緒に寄り添って、声を上げることを後押しできたらいいなと思います。

 

 次にお話しいただく千葉親子さんや私が関わっている「あじさいの会」は、県に要望書を出す活動もしています。本人たちが孤立しないよう、つながり合いながら、いろんなことを話し合うことでエンパワーしていけると感じておりますので、みなさんと対話できればと思います。

 

 

―千葉親子さん(甲状腺がん支援グループ・あじさいの会事務局長)のお話―  

 私からは、つながることの大切さと、どのようにつながってきたかを、あじさいの会の活動を通してお話したいと思います。

Kaida SJF

 始めに9年半前、苛酷な原発事故が起きました。赤ちゃんからお年寄りまで約200万の福島県民、そして近隣県の住民が、放射線が降り注ぐ中で生活をしていた。このことが全ての始まりだと最初に申し上げておきたいと思います。

 100万人に1人か2人と言われている甲状腺がんが、事故から6年目の2016年、1巡目検査で116名、2巡目では56人に見つかり、甲状腺がんはほとんど耳にしたことのない病気でしたが、甲状腺がんを宣告されたご家族の悩みや苦しみに出会う機会がありました。

 私は20数年前から、精神を患った方とのボランティア活動を通じて、家族会を立ち上げてきました。人に知られたくない、家族にも話せない、兄弟にも黙っていようという状況が、甲状腺がんのご家族の間での話からも伝わってきまして、とても似たような状況だなと思いました。

 同じような悩みを持つ方、同じような立場の方が親睦を深めて、気兼ねなく話し合う場所がこれから大事だと思い、16年の3月に「3.11甲状腺がん家族の会」というのを設立しました。大々的に記者会見をして、共同代表として活動を始めましたが、家族会ができたということで要望が多くなりまして、本来の家族同士の交流ができない状況になってきて、意見の齟齬もあり、わずかな期間の活動で会を離れることとなりました。ご家族の方も半分くらい会を離れられて、その方たちと集まりを持っていたのですが、「いろんな人が、いろんな考えを寄せあい、集まって会をつくっていく」ということで「あじさい」という名前を付けました。

 

病気を隠さなくていい安心感を甲状腺がんの患者や家族にも

 あじさいの会は大きく3本の柱を立てていて、①親睦を深めるためにもカフェ事業をきちんとしよう、②いろんな人に働きかけ、アウトリーチをしよう、③私たちの権利がきちんと守られるためのアドボカシーをしようということで活動してきました。

 ここまでやってきた思いとしては、同じ病気の患者の家族どうしが話し合うことの大切さがあります。家族・当事者・支援者で情報公開や医師相談会の世話人に牛山元美医師がおられ医師相談会や料理講習会、体操、押し花講習会、講演会、あと先ほどお話にありました「医療保険はどうなるの?」ということで保険の勉強会など、いろいろグループの中で話し合いわからないことなどの勉強会をしてきました。

 「アットホームな雰囲気に癒され、ここでは何でも話ができて、何でも聞いてもらえるという安心感がある」という家族の方からの声と、「主治医とは違うお医者さんからのお話が聞けたり、相談できたり、何より会の終わりに『またね』というのがとてもうれしい」という声も聞きました。

 最初のころは、支援者からいただいたお野菜などをお届けしながら、それぞれのご家族のところにお届けをしたり、じゃがいもやお野菜、お米などの支援物資で料理講習会や食事会などをしながら活動してきました。

 そんな活動のなかでとても記憶に残るお話をさせていただきたいと思います。

 3年前から手作り味噌を作ることになりました。私は地元で二十数年前から「手作り味噌の会」をやっておりましたので、あじさいの会も交ざって一緒に作ることになりました。その3年前の味噌づくりの時も、家族も患者本人もたくさん、ほとんど全員参加で楽しい一日を過ごしました。

 そのなかに原発事故時4歳だったお子さんの参加もありました。甲状腺がんの手術をされてようやく家庭に戻ってきたばかりの子で、とっても喜んで参加していました。

 その時、すでに甲状腺がんを手術して、日の経っていたお姉さん格の患者さんが、その子と遊んでいて、「心配ないよ。ほら、私も切っているんだよ。声も出るようになるから大丈夫だよ」と、自分の傷跡を見せながら話しかけていました。この情景を思い出すといつも胸がいっぱいになってきます。

 私たちがいくらその子を励まそうと思っても、教えてあげようと思っても、何より、自分と同じ立場の人が、同じようなことで悩んでいた時に伝えあえるということは、何にも代えがたい大きな安心になるし、慰めになるのではないかとすごく思いました。

 

「なぜ私が甲状腺がんになったのか知りたい」 信頼しあっている仲間と上げた声

 会員どうしで情報交換も行っています。自分を取り巻く理不尽なことや、ほかの会員が思っていることを話し合うことで、甲状腺がん検査縮小の問題や、サポート事業のこと、福島県は18歳までは医療費が無料なのですが、それ以降は保険診療になり医療費がかかることになります。医療費の個人負担分をサポートするという事業が出来ました。複雑な手続きの問題点、甲状腺がんの過小評価の問題などいろいろ話題になります。

 国や県は、被曝と甲状腺がんとの因果関係は認められないと、また一部の学者グループは、過剰診断でガンを見つけていると主張しています。それらのことを、県民健康調査検討委員会では、優先的に取り入れているようです。

 患者当事者は、それはおかしいよねと仰います。「私は検査で見つけてもらって今こうしていられるのだから、次に続くいろんな子どもたちのためにも検査は続けるべきだ」と、いつも話されています。

 あじさいの会は県の担当部と意見交換を何度か行いました。甲状腺がん検査の縮小を進めている福島県に対して、検査の継続や理不尽な制度の改善を要求してきました。

 この時も、ご家族や患者さんが「千葉さんたちだけではあれでしょ。私たちも連れて行ってください」と申し出てくれて、本当に心強く、あじさいの会をつくりながら来た4年間の皆さんの成長と、「隠さなくていいんだ」という安心感のもとに、このように申し出てくれたのかなと感動しています。

 当日参加された患者さんは、べらべらと県は説明するのですが、その課長に対して、「待ってください。私たちの話を聴いてください」と制止して、自分の思いを話されました。「何としても、甲状腺がんの原因が何だったのか、なぜ私が甲状腺がんになったのか知りたい」「甲状腺検査は、国策として進めてきた原発事故があったから検査を始めたのでしょ。だからきちんと検査をして結果を公表する責任が国にあるのではないですか」と訴えました。

 あじさいの会の会員が、仲間を信頼しあっているからこそできたのかなと思っています。自分たちの力をつけるということが、そういうところから生まれるのであって、周りがあれこれ言うことも大事かもしれませんが、やはり自発的な行動につながる関係をこれからも作っていきたいと思っています。

 

 ご家族の人からの声として、今日臨むにあたって話を聞いてきました。

 患者当事者は、主治医以外とはほとんど話す機会がないので、あじさいの会で主治医以外のお医者さんがいたことはとても話しやすくて心強かったそうです。そのお医者さんと話し合えた後は、不安なく主治医と向かい合うことができたという声もありました。

 そして、告知のされ方、そのショック。いくら子どもでも甲状腺がんは大変な病気ではないと言われても、がんはがんなのだということ。告知のされ方の問題を指摘する話もありました。

 

 

――太陽さん(小児甲状腺がん患者)と千葉さん・白石さんとの対談――

白石さん) ご紹介しますと、太陽さんは今もう会社員でいらっしゃいます。少し前には顔を出して国内外の取材を受けたこともあり、積極的に取材に対応しても構わないという立場で少しずつ取り組まれています。たくさんの患者さんがいるにもかかわらず勇気をもって声を出していくことがすごく難しい中で、お話ししていいよと太陽さんが言ってくださったから今回こういう企画を開けました。まず今日参加してくださったことに、お礼を申し上げたいと思います。 

 それでは自己紹介がてら、事故後、検査を受けてから手術に至るまで、少し教えていただけますか。

Kaida SJF

太陽さん) あらためて、よろしくお願いいたします。

 最初に発覚したのが高校生の一斉検査の時でした。その時は何もわからず不安な状態でずっと過ごしてきました。頼れるのは親だけで、他の誰にも言えませんでした。

その後、大学に行って、経過観察という形でずっと様子を見ていたのですが、次第に腫瘍が大きくなっていって、大学4年生の時に、これ以上大きくなると転移の可能性もあるということで手術いたしました。

 今のところ、病院で定期検査はしていますが、とくに再発はなく、健康状態に問題はないという状態です。

白石さん) 最初の一斉検査ということは、学校で受けたということですか。

太陽さん) 学校ではなく大きな施設でみんな集まって受けました。

白石さん) そして自分のところに二次検査の通知が来て、その後に福島医大か会津の病院かに行って詳細な検査を受けて、ということですね。

太陽さん) そうですね。

白石さん) 二次検査の時には、さらにエコーの検査をしたり、悪性かどうかを見るには穿刺細胞診という私が聞いた限りではかなり痛い検査を受けたりして、告知を受けるというプロセスがあると思います。高校生の時は頼れるのが親だけという話でしたが、その時の気持ちや検査の様子などを教えていただけますか。

太陽さん) 穿刺細胞診は本当に針を刺すのですが、その時のお医者さんの腕が悪かったというか、本当は一回で済むのですが、3・4回ぐらい刺されて、その時点で本当に嫌になった記憶があるのですけど。

白石さん) 痛かった。

太陽さん) 痛かったです。

白石さん) 刺されて痛いというのもあるし、不安なのですか、やはり。

太陽さん) なんでそんなに刺すの? という感じでした。当時何もわからなかったので。

白石さん) 検査を受けた状態だと、その結果を聞くまで不安でしょうし、実際に検査の結果を聞く時、心外な言い方をされたお子さんもいますし、いろいろなケースがありますが、太陽さんはどうでした?

太陽さん) 告知を受けるまでは、ひたすらネットで同じような症状を調べていました。

白石さん) どういうのがありました?

太陽さん) ずっと様子見で何もない人もいれば、だんだん大きくなって手術している人もいました。手術自体は失敗率もそんなに高くないという情報もあったので、そんなに不安はありませんでした。症状に関しても、そこまで悪化するわけでもないので、不安なのは転移するかどうかだと思ったので、転移ギリギリの症状になるまでは様子を見ようかと考えていました。また、親が医療従事者なのでそこまで不安があったかと言えば、そうでもないかなという状態でした。

白石さん) 高校生の時に、悪性の腫瘍があるというのは先生から直接お聞きになったのですか。

太陽さん) そうですね。

白石さん) どういう感じで言われたのですか。

太陽さん) 普通に「悪性ですね。でもまだまだ小さいので特に問題はないですね。様子を見ましょう」という感じですね。

白石さん) ずっと半年おきぐらいの頻度で診ていたのですか。

太陽さん) そうですね。半年に一回ぐらいずつ。

白石さん) 血液検査をしたりエコーをしたりして。でも結構長いですよね、6・7年待ったということですよね。経過観察が6・7年というのは心理的には、若い年代ですし、不安は大きいかな。早く取ってしまった方がよいかと、いろいろ悩んだかと思います。ネットで調べたりしていたのかもしれませんが。最後は、手術しようと自分で決めたのですか。

太陽さん) 親は手術しないという方針だったのですが、僕はもう手術したくて、という感じでした。

白石さん) 手術しないというのは、お医者さんではなくお母さんの方針だったのですね。

太陽さん) そうですね。ただ、僕としては、そういう不安なものがいつまでもあるのは嫌なので、早く取ってしまった方がよいと思っていました。

白石さん) あまり症状もないとは言っても、悪性という診断を受けているから、いろいろな意味で将来に不安を感じたことはありましたか。

太陽さん) 不安はありましたけれども、幸い会社の方にも、周りにもそういうことを理解してくれる人たちがいましたので、就職に関してはそこまで不安はなかったかと思います。

 

自分がメディアに発信することで、声を上げにくい人のサポートになれば

白石さん) 私は太陽さんへのフランスのメディア取材に同行したこともありましたし、皆さんの中にはNHKの太陽さんが取材を受けた番組を見た方がいらっしゃるかと思いますが、取材に対して積極的に対応していこうという姿勢だと思います。何かそうやっていこうかなと思ったきっかけがあったのでしょうか。自分としてどういう思いで対応されているのでしょうか。

太陽さん) 「手のひらサポート」の存在を知るまでは、他に自分と同じような人がいるとは思っていなかったので、そこまでメディアにどうのこうのとは思わなかったのですが、少し「手のひらサポート」に関わって行く中で、僕みたいに気楽な性格の人もいれば、引っ込み思案というか家に引きこもっているような人もいるという話を聞いて、じゃあ僕の話でそういう人のサポートになればなあという気持ちが出てきたので、あまり顔は出していないのですが声でメディアに発信できたらなあ、と思って今この場にいます。

Kaida SJF

白石さん) やはり他の声を上げにくい人がいるとしたら、代弁までいかないかもしれないけど、声を出せる立場だったら、そういうことをやって行こうかなという感じでしょうか。

太陽さん) そうですね。

 

自分だけではないと、そういう存在を知れば、少し気持ちは楽に

白石さん) 他の患者さんに会ったことがあると思います。他の患者さんの気持ちに対して何か感じたりとか、病状についても個人差がありますが、何か感じたりしますか。私や千葉さんが感じえないことで、太陽さんが他の患者さんに感じていることがあるかなと思いまして。

太陽さん) 実際にお会いした方はみな外に行っているような方なので、最初は不安があれど、周りの理解を得て、いい気持ちで今は生活をしているなと感じました。 

白石さん) ということは、最小行為、第一歩を踏み出せれば、次につながるということなのでしょうか。

太陽さん) 自分だけではないと、そういう存在を知れば、少し気持ちは楽になるのかなという感じはします。

大河内さん) 当事者同士の横のつながりがあって、実際にあじさいの会や手のひらサポートがあり、患者となった方々が頼れる部分が出てくるとしても、行政や病院といったところで、患者さんに対するメンタルのケアとか、フォローアップやサポートなど力になってくれると感じたことはありますか。

太陽さん) そこまで感じたことは無いですね。ただ僕がそこまでメンタルケアが必要かと言われると、そこまでではなかったので、必要ないと判断されたのかもしれませんけど。

大河内さん) なかなか表に出られない人は、家族には話せても友達や学校の先生には悩みがあると伝えられない中で、実際に話ができるのはたぶん医療関係者、主治医などの関係者だと思いますが、そういう人たちがサポートしてくれているという状況ではないのでしょうか。他に行き場のない人たちに対して。

太陽さん) そうですねえ。そんな感じはしますね。

大河内さん) 本当に孤立してしまうということですね。太陽さんのようにカミングアウトすることができない、前向きにできない人は孤立するしかないという状況なのですね。

太陽さん) だと思いますね。

大河内さん) 千葉さんは、例えば患者さんご本人はなかなか表に出られないけれど、ご家族はある程度つながっている方もいらっしゃるかと思いますが、どのような感じでしょうか。

千葉さん) あじさいの会は最初からご家族、主にお母さんたちの集まりのようになっていたのですが、回を重ねて、いろいろイベントを開催する中で、それぞれの患者さんが自分の得意なことを持ち寄って集まるようになって、現在は当事者も集まる会になってきています。そういう意味では、きっかけがあれば、太陽さんが手のひらサポートの集まりに行って「自分だけではなかった」と感じたように、その感覚をもって集まる。そして、あじさいの会でもお母さんだけではなくて当事者の方たちも集まる。

 時間はかかりますが、そういう集まる場所が、隠さなくてもいいという場になってくると思います。

 家族の間でさえも隠すという話を聞いたことがあります。子どもさんが3人おられて、一人の子どもさんが甲状腺がんになった。私たちが関わろうと手立てをした経験がありましたが、ご家族は「これは自分の家のことだから、構わないでくれ」と言いました。

Kaida SJF

 

「原発事故とは関係ない」と甲状腺がんを告知 口封じ圧力により患者が孤立する構造

千葉さん) 「甲状腺がんですよ」とお医者さんに告知をされる時に、私が聞いたほとんどの患者さんがお医者さんに「これは、原発とは関係ないから。放射能とは関係ないですよ」と言われているのです。そうなると、私たちのあじさいの会は、原発事故以後に甲状腺がんになられた方の集まりなので、「私は関係ない」と拒絶し自分だけの問題として抱えでしまうということがあるのではないかなと思っています。

 原因がわからないでいるのに、なぜ主治医は告知するときに「これは原発とは関係ないですよ」と言うのだろうかと非常に疑問ですし、おかしいのではないかと思っています。

 太陽さんのお母さんとお話しする機会があり、「いつが一番つらかったですか」と聞いたら、経過観察の期間だったそうです。誰にも相談できないし話せず、経過観察の期間がとても長く感じられたそうです。いま太陽さんのお話を聞いて、ああその時期が本当に太陽さんもお母さんもつらい時期だったんだろうなと思いました。孤立したような時期だったんだろうなと思いました。

 だから、どこかでそういう人たちと私たちは出会いたいなと思っています。

大河内さん) その「原発事故とは関係ない」というのは、政策として決まっているからということでしょうか。行政の方針ということで上から指示されているのでしょうか。

白石さん) 普通、がんになった時に「これが原因ですよ」とは、肺がんの小細胞がんだったりすると煙草が原因ですよと言えるかもしれませんが、たいていの場合には何が原因かは言えないので、手術前後に原因について言及すること自体がおかしい、押しつけがましいと思います。

 口止め的に敢えて「原発事故とは関係ない」と言っているのだと思います。みんな疑っているわけです。気にしていない方もいらっしゃるかと思いますが、これは被曝の影響なのではないかと思っている方が比較的多い中で、敢えてそういうことを言うのは、口封じだと思っています。

 「これは原発事故の影響ではないですよ」と言うことが上から決まっているかは別にしても、患者に「あなたはもう他の人にもう言うなよ。そういうことを吹聴するなよ」と口封じの一つかなと思えます。

 

 実は、このあいだ判決の出ました黒い雨。黒い雨の原告の方何人かに、広島で数年前にお話を伺いびっくりしました。黒い雨の地域としてまだ認められていない地域で、原爆投下からだいぶたって1949年位ですが、地域の自治会で「ここは黒い雨が降ったと言うと、差別されるから言うなよ」というようなお触れが回っていた。役場からそういうふうに言われたと。黒い雨の原告さんたちは当時まだ中学生になるかならないかの小さい年代でしたが、みなさん覚えていて、「あの時に役場の上の人たちがそう言っていたよね」という話が初めて出てきたのです。

 いま福島で被曝があったとか言うだけで風評被害だと言われるではないですか。黒い雨の原告の方の話は、これと同じだと思います。被害はあったのですよ。しかも原爆も原発も自然災害ではない人為的なものですが、それに対して敢えて言うと、「おまえ、それは言うな」という圧力がすごくあります。

 これは、たくさんのお金を電通などに支払って、何十億・何百億もかけて「安全だ」というキャンペーンをして、その中で「甲状腺がん」はNGワードNo.1として認定されているのです。「甲状腺がん」という言葉が新聞やテレビに出るとみんなが不安になるので、そういう言葉がなるべく新聞やテレビに踊らないようにコントロール、封印がなされているのです。こういうことが広告代理店を中心に福島県内で実施されているという文脈があっての、患者さんが置かれている立場があります。

 患者さん一人ひとりのメンタルが弱いとかではなくて、政策的・国策的な構造で、完全にプレッシャーを受けるところに患者さんは置かれているのです。「僕はゆるっとしている」と言える太陽さんはよっぽどにポジティブです。

 この問題が噴出しないように、みんなが声を上げられないように、すごく怖く封印工作がなされているので、通常のマインドだとみんなやられてしまう。一人でも何か国に歯向かうような訴えをする人、「私は原発事故でやられました」と言うような人が出てきては困るという中に患者さんは置かれていると思います。

 「これは原発事故と関係ない」とわざわざ医者から言われるというのは、「それは他の人に言ってはダメよ」という意味合いを含んでいると思います。ですので、太陽さん、今日はここに出てきてくださって、ありがとうございます。

大河内さん) 疫学的な問題でもあるので、もしかしたら本当に原発事故とは関係ない患者さんが100万人に1人や2人はいるとは思いますが、だからこそ実態を数としてとらえることも今後重要だと思います。

 

参加者) 太陽さんは経過観察後の手術ということで県民健康検査の報告対象にはなっていないのでしょうか。

白石さん) まず太陽さんご自身ではこの点の認識はありますか。

太陽さん) いえ、全くわかりませんね。当時は親に任せていたので。

白石さん) ちなみに何回エコー検査をしましたか。

太陽さん) 1回か2回、結構前なのであまり覚えていませんが。

白石さん) そうすると、「悪性疑い」というデータの数字には含まれているかもしれませんが、「手術」のケースには含まれていないかと思います。

 

参加者) 経過観察でずっと潜在がんとされていることは、患者さんにとってどのようなお気持ちなのでしょうか。

太陽さん) がんの種類によるかと思いますが、僕の場合は乳頭がんだったので、がん自体は悪い影響がそこまで無いので、不安は少なかったかなという感じはします。できるだけ大きくならないでと祈るばかりの日々でした。

白石さん) でも少しずつ大きくなって、判断としては、1センチを超えたから切ることにしたのでしょうか。 

太陽さん) というよりは、「大きくなってリンパ節に近づいているから、そこから転移するかもしれません」ということだったと思います。

白石さん) 手術された時は、リンパ節への転移はゼロだったのですか。

太陽さん) ゼロでした。

大河内さん) 鈴木教授の最初のころの発表では、リンパ節転移の率が高かった、半分以上だったかと思います。リンパ節転移すると、甲状腺がんとは別のがんの扱いにデータ上はなるのでしょうか。

白石さん) 甲状腺がんの場合は、甲状腺がんが原因で転移したがんは全て、がん化した甲状腺組織が転移したがんとして、どこに転移しても甲状腺がんなのです。転移するのは普通まずリンパ節です。その次に転移しやすいのが肺です。次いで骨、最後が脳です。骨と脳に転移したら亡くなる可能性が高くなります。

 先程、鈴木先生の手術症例をご覧いただきましたが、リンパ節に転移している方は8割程いらして、再発している方が公表で11例、肺転移されている方も私が知っている限りで4名いらっしゃいます。他のガンのようにステージの表現はしないのですが、肺まで転移すると治療が大変になってきて、放射線ヨウ素を大量に服用して、体から大量の放射性物質が出てしまうような治療を受けるので、隔離されて他の人と全く接触できない形で過ごすことになります。 

 太陽さんは検査で見つかり早期の段階で治療できて、リンパ節に転移する前に摘出できたのでそういうリスクは減っている状態だと思いますが、同じ乳頭がんでも見つかる時点が遅くて悪化度合いが進んでしまっている子はいて、あじさいの会の中にも再手術を受ける患者さんがいます。そうなると甲状腺を全部摘出しなければならない(甲状腺は二つあり太陽さんは半分摘出)。それから、放射線ヨウ素を大量に服用する治療を受けなければならない。そして、チラージンというホルモン剤を一生服用しなければならない。とくに女性の場合は出産期に全部ホルモン剤で体をコントロールしないと正常な妊娠出産が難しい。そういう段階に近い患者さんもいらっしゃって、そういう患者さんたちが表に出てくるのは簡単ではありません。

 そういう方々の存在は、県の専門家会議では完全に覆われてしまっているという現状かと思います。

 

千葉さん) 私はいま郡山を中心に活動していますが、あじさいの会のように小さいグループでも、いろんな所にいろんな形でサークル活動ができるような組織があればいいなと思っています。なぜならば、私たちは数十名集まるだけでも県内広い範囲から集まっていますので、“今”を共有することが難しいのです。ですから小さなグループでも、そういう核になるようなサークル活動ができるような組織が各地域にあればいいかな、そしてそれらが一つにまとまっていろいろ考えられれば、制度的なことも含めて変えていけるのかなと思っています。

 何より、原発事故を脇においてこの問題を議論することはできないし、すべきでないと思っています。

 

大河内さん) この問題(病気自体)は個人的な問題であるかもしれないけれども、そこにはいろいろな社会的背景があります。病気自体の原因はありますが、病気を抱えながら生きていく社会の問題も大きい。多くの人たちが当事者性を持ち、他人事ではなくて自分事として、一市民としてその問題をとらえ、みんなで取り組んで社会化して、いろいろな人が少しでも生きやすい社会にしていくということが大事だと思っています。

 

 

――グループ対話とグループ発表、ゲストからのコメント―― 

※グループに出演者も加わり、グループの方々に感想や意見、ご質問を話し合っていただいた後、会場全体で共有するために印象に残ったことを各グループから発表いただきました。

参加者)

「私は日本で原発事故が起きた時に日本におりませんで、海外で報道を聞きました。日本人として心配だという気持ちとともに、日本人として誇らしくなるほど、福島県民の方々が素晴らしい対応をなさったという報道がされていて、県や日本のために原発で働いていた方々が自分を犠牲にして後始末に回っていることが海外で報道されていました。素晴らしい精神性をお持ちの方々だと感じていました。日本に2年前に帰ってまいりまして詳しいことを知らず、日本の国や周りがそういう方々を多少なりともサポートしているのであろうという希望だけで今までいました。

 今回いろいろな話を伺い、国レベルで、被害者の方々を取り囲む専門家のレベルで、私たち一般国民レベルで、全然福島の方々、被害を受けた方々をサポートしていないことに大変なショックを受けました。私も多少科学に携わる者として専門家レベルでのひどさ、そして日本だけでなく、原発が動くということで国際的なお金と政治ということで、国際的な学会の言動がコントロールされていることの驚きと、国民のレベルでの福島の方々が『がんになった』と言えない、自己責任では全くなく、被害者なのに言えないという日本のひどい状況に愕然としております。」

 

「まず福島県の県民健康調査のゆがみが上がりました。いったん県民健康調査の枠に入ってしまうと、県立医大の他の病院に行って甲状腺を診てもらうことがなかなかできなくなっていて、セカンドオピニオンを得られない。それも医者の間でお触れが回っていて、あそこの患者は診るなというようなことがあったそうです。最近は改善されてきたそうですが、やはり最初の県民健康調査と県立医大がつくった仕組みにひずみがあったそうです。福島出身の参加者は、県民健康調査への不信感があったので、そこに自分のデータを差し出すのは気分が悪く、納得できないので参加せず、他の先生にお世話になっているそうです。

 がんの告知をするときに『これは原発事故と関係ない』と必ず言われる中で、結局がんの原因について宙ぶらりんのまま、手術して治療を受けざるを得ないわけで、その心持ちについて千葉さんに改めてお伺いしました。何のために県民健康調査を始めたのかと。それは原発事故と紐づいているだろうと。それで、がんという症例が出たのであれば原因をきっちりと追及すべきであると。

 責任を持ったシステムの立ち上げと、運用と、その結果に対する責任というものが有耶無耶になっていて、県民はデータを取られるだけで落ち着かない、やり場がない、納得がいかないと。責任の所在が曖昧なまま進んでいて、いま検査が縮小の方向になっていることについておかしいのではないかという思いが県民の中にあるそうです。検査はやり続けるべきだという話をしました。」

 

太陽さん)「県民健康調査の件で上から圧力がかかっている話や、医療被曝の話などいろいろ伺いました。

 とくに印象深かったのが、僕と同年代で、同じく甲状腺がんの手術を受けた方がグループの中にいらっしゃいまして、その方も僕と同じようにポジティブ、前向きな考え方で生活をしていらっしゃいましたので、そういう人が今後増えていければなと感じていました。」

 

「『言えない』というところが一番印象に残っています。私自身、東日本大震災で東海地域に避難してきた方々の支援に関わらせてもらっているのですが、避難されてきた方々も『言えない』というところをずっと抱えています。差別を受けてしまうかもしれないから避難をしたことを隠していて、甲状腺がんになられた方は数も少ないので更に言えないという状況があると感じています。

 太陽さんから『他に自分と同じような方がいるとは知らなかった』という言葉もあって、そういう同じような方と会えていなくて言えていないから孤立している方もいらっしゃるのではないかと感じます。こういうふうに当事者に話していただく機会のなかで徐々に知っている方を増やしていって、話せる場が増えていくといいなと今日参加させていただいて感じました。」

 

「専門家と言われる人たちのいい加減さが指摘されました。専門家が果たしている機能は、分断ではないかと。たとえば病状を発症してしまった患者さんのことも、原発事故と関係ないと切り捨てている。これは今はやっているコロナの話も含めてですが、PCR検査をなぜしなかったのかということに関して、ハンセン病の時に検査をしたことにより差別につながったことがあったから、PCR検査で擬陽性が出てしまうとその方の人権侵害につながりかねないからだったという見方がある。これは検査の段階でノイズを除去すれば擬陽性は出てこないので、それは児玉龍彦先生という東大先端研の先生が仰っていますが、こういう専門家は排除されてしまう。国会で児玉先生が、緊急に対応しなければいけないと発言なさったのですが無視されてしまうということがありました。IAEA(国際原子力機関)やICRP(国際放射線防護委員会)は原発推進派なのでそういう方向でしか物を見ていないのではないか。

 患者当事者が非常な勇気をもって発言してくださることによって、患者でない我々もどういうことが実際に被害に遭われた方々、発症されてしまった方々の身に起きているのかを一次情報として知ることができる。このことがとても大切で、専門家と言われる人たちが政治的な判断によって事実を矮小化したり無いことにしたりという修正を加えていることに対して、事実だけが反論の論拠になる。

 ガリレオやコペルニクスも最初はそれぞれ一人で言い出したわけです。ですが事実が事実であるがために結局今ではほとんどの人が地動説を信じる世の中になりました。ということの大切さ。

 マスコミによる報道については、原発事故からずいぶん後になって核物質がどれぐらい放出されたのかが新聞に載りました。ところがその報道は、実際に爆発が起きてから約1週間後の日を起算日にしているのです。この放射性物質ヨウ素131は半減期が8日間ですから、起算日を1週間ずらすと、放射性ヨウ素が降り注いだ分を少なくすることができるので、こういった報道がもたらす害も問題にしなければならないだろう。」

 

「当事者の太陽さんのお話を聴けたのが貴重な体験になりました。

 実態が分からないと前に進めない。現状を把握する必要がある。政府批判だけをしても解決にならず、反省しない日本人、というコメントがありました。戦争の反省が無いという話や、政治と生活についての話も出ました。

 養護教諭をされている参加者がいらして、ご自身の立場からの意見として、太陽さんのような方が一人で『陽性』や『悪性』という医師の診断を聞くのではなく、カウンセラーや付き添いがいたほうがよいという話もありました。」

 

千葉さん) 多くのみなさんの思いを聴かせていただいて、ありがとうございました。

 孤立せざるを得ない環境は、今回のコロナでも同じように、病気について人の目や噂が気になるという社会的なものが非常に強いと思います。そういった点もみなさんと共有しながら活動を続けられればと思います。

Kaida SJF(あじさいの会作成 押花はがき)

 

白石さん) 当事者が声を少しでも上げやすくなる、隠さなくて済む、普通に口に出せるように、輪を広げていくには、いろんな理解とやり方があると思います。私は私でいろんな方に話を聴くことを今後も行って広げていきたいですし、ぜひこのお話を聴かれたみなさんも周りに広げていただきたいです。もっともっと患者さんがいるかもしれない中で、十分に声を上げられていない人がいるということ自体を共有していただきたいです。

 もし関連のニュースに触れる機会があったら、インターネット・テレビ・新聞などで頻繁ではないですが時々出ていますので、誤った報道でしたら文句を書いていただきたいですし、そうでないものには称賛を寄せていただきたいと思います。

 どのメディアもこの問題の記事を書けなくなっているのです。書こうとすると上から止められるということで難しくなっています。少しでも可視化されるように協力いただければと思います。

 

 あじさいの会と今後もコンタクトしていただき、会が作成した押し花を購入していただいたりカンパいただいたり、いろんな形でご支援いただければありがたいです。

 

太陽さん) 僕自身もこういう発言をする機会はなかなか無くて、いい経験になったかなと思います。さまざまな人の意見も聞けて、大変勉強になりました。今後も微力ながらこういう場で何かできていければなと思っています。本日はありがとうございました。

大河内さん) 本日は、可視化するというテーマで、見えないものをみなさんが想像力を発揮していただいて、さらに問題に踏み込んでいただけたのではないかと思います。ありがとうございました。 ■

 

 

※今回20年10月3日のアドボカシーカフェのご案内チラシはこちらから(ご参考)

 

 

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