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ソーシャル・ジャスティス基金メールマガジン(22年6月15日配信)巻頭言「委員長のひとりごと」より

現実の問題に取り組みながら、きちんとした歴史認識に向き合うこと

-ロシアのウクライナ侵攻と昨今の日本社会を考える-

上村英明(SJF運営委員長)

 2022年2月に始まった、ロシアのプーチン政権によるウクライナへの軍事侵攻は、ある国家による他国への侵略戦争であり、国連憲章をはじめとする国際法への明確な違反である。その点に議論の余地はない。しかし、この戦争をどのように停戦に持ち込み、ロシア軍の撤兵を実現させるかという問題になると、こうした現実の背景に対する歴史認識が不可欠な要因となる。

 その点、日本における問題の把握が表層的にみえる理由のひとつが、日本の市民のほとんどがこのウクライナが属する東ヨローッパに関する歴史認識を基本的に共有できていないことにある。

 

 古くは、最大時北は白海から南は黒海に至る、882年のキエフ大公国の成立を現在のウクライナの原点とする。990年代には東ローマ帝国からキリスト教の影響を受ける一方、1240年代にはモンゴル帝国の侵攻を受けた。その後、1560年代に、ポーランド・リトアニアが連合共和国を結成すると、ウクライナの西部・北部・中部はこの支配下に入り、南部にはクリミア・ハン国があり、東部はロシアの領土となった。

 1640年代以降、英雄フメリニツキー将軍によるポーランドからの独立戦争で、コサック国家が成立するが、1689年にはロシアとポーランド・リトアニアによって、ウクライナは再分割された。

 1917年に革命によってロシアの帝政が崩壊すると、ウクライナ人民共和国が宣言されるが、ウクライナ・ソビエト戦争が勃発し、ウクライナは1920年までにソ連邦を構成する1共和国となった。しかし、ウクライナでは農業の集団化に反対する農民が多く、1930年代にはスターリンによる粛清が始められた。

 結果的に、第二次世界大戦では、ソ連側で戦う者の他、ナチス・ドイツを支援する者、あるいは反ソ・反独の蜂起軍も結成された。ナチス・ドイツの敗戦によって、ウクライナはソ連の衛星国の地位に戻ったが、戦後の国連では、ソ連に対する特別待遇で、連邦内の白ロシア(現ベラルーシ)とともに、国連加盟国となった。

 その後、1954年にはロシアとウクライナ・コサックの条約締結300周年を記念して、クリミア半島がフルシチョフ政権によってウクライナに返還された。そして、ゴルバチョフ政権の下でのソ連邦の崩壊の中、1991年、ウクライナはこの連邦から離脱し、完全独立を達成した。

 こうした歴史の中で、極東に移動を余儀なくされたウクライナ人も少なくない。日本で大横綱と呼ばれる大鵬関は樺太生まれで従来「ロシア系」と紹介されてきたが、父親はウクライナ人で、コサック騎兵の出身であった。また、巨人軍にも所属しプロ野球選手として有名なヴィクトル・スタルヒンもウクライナ人と言われている。

 

 2000年代に入ると、ウクライナは、欧米の働きかけによるEUやNATOへの接近と経済の改善やエネルギー資源確保のためのロシアと友好関係維持に揺れた。

 2014年2月には、米国が関与したとされる、親ロ政権の転覆でウクライナ紛争(マイダン革命)が始まり、直後には報復的にロシアによるクリミア併合が行われた。また、同年5月にはオデッサでロシア系住民に対する虐殺(オデッサの悲劇)も勃発した。それ以来、東部のロシア語圏ドンバスとルガンスク地域を中心とする内戦に拡大し、その結果が、2022年2月のウクライナ・ロシア戦争あるいはロシア軍のウクライナ侵攻である。

 ロシアばかりでなく、欧米とウクライナの関係も複雑であり、停戦や撤退に有効な関わりを持ちたいのであれば、この地域に関する歴史認識の確立は不可欠だろう。

 

 他方、日本では、ウクライナ・ロシア戦争にこじつける形で、軍事力の増強や軍事費の増加が叫ばれるようになった。2020年以来、近隣諸国からのミサイル攻撃に対処するため、相手国の領域内にある軍事拠点を攻撃する「敵基地攻撃能力」の保有が議論されるようになった。2022年には、「(自衛的)反撃能力」に名称が変更され、安全保障政策上の重要な論点とされている(2022年4月21日NHK Web news)。また、2022年になり、米国に核兵器を配備してもらい、これを有事に使用する「核の共有論」や現在の防衛費を約2倍に拡大する「防衛費のGDP比2%への増額」なども安全保障政策の「見直し」という文脈の中で主張されるようになった。

 ここでも、目先の事象に左右されるのではなく、自らの社会が辿ってきた歴史に改めて思いを馳せるべきではないか。ウクライナと違って、それは足元の歴史認識である。

 

 近代日本は、「財政支出の中で軍事費の占める割合が高い」国家であった(大蔵省昭和財政史編集室編『昭和財政史第4巻-臨時軍事費』東洋経済新報社、1955年)。一般会計と臨時軍事会計に対する直接軍事費は、1894年の日清戦争開戦の年に69.2%であり、その後1945年まで30%を切ったのは、1902年、1925年~1930年の7年間しかない。1904年には81.8%、1919年65.0%、1938年76.8%、1944年85.5%などで、国家予算のほとんどは民生には回されず、政府は軍備拡張や戦争に明け暮れ、1945年8月には国内300万人、海外数千万人の犠牲者を出して、敗戦を迎えた。

 こうした国家のあり方の反省の上に、軍国主義への道を繰り返さないよう、第二次世界大戦後の日本ではいくつかの歯止めが設けられた。例えば、日本国憲法前文と第9条による平和主義、原子力平和利用三原則と非核三原則、武器輸出三原則、防衛費のGDP1%原則などである。

 1947年に確立した平和主義は、国際紛争の解決には、戦前とは異なり軍事力を用いず、外交と国際協調でこれに対処しようというものだ。しかし、自衛権の発想から1954年に自衛隊が発足すると、憲法の平和主義とのバランスの中で、1955年以来「専守防衛」が防衛政策の基本とされてきた(第22国会衆議院内閣委員会防衛庁長官答弁)。先制攻撃を行わず、相手国の攻撃を受けてから自国領土またはその周辺で、防衛に徹するという考え方で、「敵基地攻撃能力」とは対極のものである。

 「敵基地攻撃能力」の行使は、1941年の真珠湾攻撃がその実例であり、その後を考えれば、これが戦争の抑止になるとは極めて考え難い。少なくとも、「専守防衛」という1955年以来の基本防衛政策の転換を図ろうとするのであれば、広範囲な議論が不可欠である。

 

 第二次世界大戦末期、軍事技術は核エネルギーの利用にまで到達し、日本でも原子爆弾の研究・開発が進められた。しかし、米国が一足早く実戦配備すると、1945年8月に広島・長崎は核攻撃の標的となり、最初の被爆国として多くの市民が無差別に犠牲となった。

 こうした歴史的経験の下、1954年には日本学術会議の声明として「公開、民主、自主」の「原子力平和利用三原則」が発表され、日本は核の軍事利用に決別した。

 この流れの中で、1967年佐藤栄作内閣によって、「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」の「非核三原則」が表明され、また、1978年には日本の国是として、この三原則が国会で改めて決議されている。

 この三原則の内、「持ち込ませず」の原則を大きく後退させ、むしろ消滅させようという主張が、2022年3月に安倍晋三元首相らによって主張され始めた「核の共有論」である。確かに、米国はNATO(北大西洋条約機構)のいくつかの国(ベルギー、イタリア、ドイツ、トルコなど)と核兵器の共有政策をもっているが、被爆体験や「原子力平和利用三原則」、「非核三原則」を基本方針としてきた日本の核政策をなし崩しにし、あたかもNATOに加盟するかのような主張は暴論といえないだろうか。

 

 最後に、指摘した軍事費にも歯止めがあった。先述した戦前の大規模な軍事予算に対する反省から、1976年三木武夫内閣は、年間の防衛費の上限をGNP(国民総生産)の1%とする閣議決定を行った。この政策は、1986年にこれを解除する閣議決定が行われたが、その後も、2010年度を除いて、1%の原則は事実上守られてきた。

 これに対し、2022年4月に提出された与党の安全保障調査会の提案は、NATO主要国と並び、日本の防衛費の上限を対GDP(国内総生産)比で2%以上に増額することを求めている(2022年4月21日NHK Web news)。基本的に1%から2%への増額は、実質防衛費が倍増することを意味し、大規模な軍拡政策であることは誰の目にも明らかだろう。5月23日の岸田・バイデン会談でも、日本の「防衛費の相当な増額」が国際的な約束とされている(毎日新聞<社説>2022年5月24日朝刊)。

 

 政策には、それぞれの国に固有の歴史的背景がある。とくに安全保障政策には、その色合いが強い。その背景を無視しあるいはその歴史的努力を棚上げにしての政策議論の表層化に深刻な懸念を感じるのは、私だけだろうか。

 日本であれば、その平和主義、非核政策、そして防衛費の抑制政策には、その歴史的根拠と歴史的努力の積み重ねが存在している。こうした重要な問題を、遠くウクライナの現実への対応という浅い思考だけで、変更することの意味が問われている。とくに、参議院議員選挙を直前にして、懸念はますます大きくなっているし、市民社会の深い洞察がこれまで以上に必要とされているようだ。(了)

 

 

 

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