ソーシャル・ジャスティス基金(SJF)アドボカシーカフェ第63回開催報告
“LGBT”をきっかけとして
人権・多様性について“自分ごと”で考える対話
2020年9月5日、NPO法人ASTAの性的マイノリティ当事者やその家族・友人たちをお迎えしたアドボカシーカフェを、SJFはオンラインで開催しました。
「私の周りにLGBTの人はいないよ」というよく言われる言葉。「いない」のではなく、「見えない」存在なのだとASTAの共同代表・久保勝さんは強調しました。差別や偏見が危惧される環境でカミングアウトできず、周囲は存在を知らないまま何気ない言動で傷つけ、さらにカミングアウトしにくくなっています。この負のループを断ち切るにはどうしたらよいのでしょうか。
最もカミングアウトしにくい「親」との関係も問われました。ありのままの子どもを受け入れられない親のありようが世代間連鎖で伝わることが指摘される一方で、10年近く子どもの性自認を受け入れられなかった母親がついに子どもの味方となれたきっかけの話もありました。
性的指向と性自認は、誰もが持つアイデンティティの一つであり、SOGI(Sexual Orientation & Gender Identity)/ソジという世界的に高まっているインクルーシブな考え方が提示されました。G7・先進7か国でパートナー関係を承認する法制度がない国は日本だけであり、先行して各地の自治体で条例化等の取り組みが進んでいます。
性的マイノリティの方から、マジョリティに属していると気づきにくい優位性があると話されました。参加した大学生からは、そうしたところにも感性を働かせて、価値観を育んで、問題を当事者の方もそうでない方も考えていく社会づくりが大事であり、それは、社会で居場所となるところがもっと増えることにつながるのではないかと感想が述べられました。みんな少なくとも一つはマイノリティの面を持っているという感想もありました。
誰が当事者なのかと分断するのではなく、誰もが安心して楽しく生活できる社会へ。久保さんの提言が心に響いた企画となりました。
詳しくは以下をご覧ください。
※コーディネータは、土屋真美子(SJF運営委員・企画委員)
――久保勝さん(NPO法人ASTA共同代表)のお話――
※はじめとグループ対話の後で2回参加者アンケートをとり、変化や気づきを問わせていただきました。
私たちASTAは、名古屋市の教育現場を中心に活動しています。主な活動には3つ、「LGBT出張授業」、「LGBT講演会」、「LBGT成人式」があります。
出張授業は、教育現場の教職員の方を始め、保護者の方、児童生徒へ行っています。大事にしておりますのが、「対話」になります。当事者、当事者の親、あるいはその友人が、LGBTをきっかけに、広いテーマで人権や多様性を考えるグループワークを設けており、本日後ほど皆さまにもご体験いただければと思います。
自主講演会は、いまはオンライン形式で企画しております。
LGBT成人式は、全国各地で行われていますが、その名古屋会場を運営企画しております。毎年2月・3月に行っておりますのでご注目いただければと思います。
(写真=ゲスト・久保勝さん{右}とコーディネータ・土屋真美子さん{左})
はじめに、次のスライドの7人は全てASTAのメンバーですが、このなかでLGBTの方は何人いると思いますか。答えは、6人がLGBT当事者だと本人が自認されている数となります。
これは、この7人のなかで誰が当事者なのかというお話ではなく、「LGBTは私の周りにはいないよ」とよく私も言われますが、「いない」のではなく、いかに「見えない」存在なのかというお話をこの後も再三させていただくかと思います。
私は名古屋市出身で今も住んでおります。普段の自己紹介ではまずしないであろう伏線をお話しいたしますと、右利きでA型です。
私自身がどういう立場で活動をし続けているかと申しますと、ALLY(アライ)という立場です。後ほど詳しくお話しますが、LGBTの当事者かどうかと聞かれれば――まずこういうふうに分けるのがとても嫌ですが――便宜的にはLGBT当事者ではない立場で活動を始め、続けています。
「LGBT」とは、次の4つの頭文字をとったセクシュアルマイノリティの総称の一つです。レズビアン(女性同性愛者)のL、ゲイ(男性同性愛者)のG、バイセクシュアル(両性愛者)のB、トランスジェンダー(身体の性と心の性に違和感がある/一致していない人)のTです。ここで、「総称の一つ」と少し婉曲的な表現をしているのは、LGBTの4つ以外にも様々なセクシュアリティ、性のあり方があるためです。
レズビアンに対して「レズ」、ゲイに対して「ホモ」や「おかま」といった言葉を使うことは、差別的な意味合いを持つ場合が多くございます。もちろん当事者の方が一人称として言う場合はありますが、他の方が当事者の方に対して悪意を持って言う場面が見られますので、これらの言葉には注意していただきたいと思います。
LGBTなどのセクシュアルマイノリティの割合は、何人に1人とみなさんは聞いたことがありますでしょうか。13人に1人、約7.6%と言われています(電通LGBT調査2015)。もちろん調査によって人数の多い少ないはありますが、世界的には5%から8%で推移していると言われています。ですので、私たちは教育現場を主に回らせていただいていますが、クラスに1人から3人くらいいるはずの存在なのだということを大前提としてお聞きいただきたいと思います。
みなさんは、この13人に1人という割合を多い、あるいは少ないと思いますか。例えば、先ほど私は右利きでA型だと申しましたが、左利きの人口やAB型の人口と同じくらいの割合です。また、日本の六大名字である佐藤さん・鈴木さん・高橋さん・田中さん・伊藤さん・渡辺さんという方たちの人口を合わせた数より多いと言われています。あるいは、愛知県の人口、約751万人より多く、日本で約965万人――これは神奈川県の人口と同じぐらい――だと言われています。僕は、多いなと直感的に感じました。
一方で、「いない」と言われる方が自分の周りにも多いのですが、81%の人が「誰からもカミングアウトされておらず、周囲にカミングアウトしたという人も聞かない」といった調査(LGBTに関する職場の意識調査2016年)もありまして、やはり最初に申し上げたように「いない」のではなく「見えない」存在であり、見えなくなっている理由はどこにあるのかを後で紐解いていきたいと思います。
誰もが持つアイデンティティ SOGI グラデーションのある性的指向と性自認
LGBTを考えるにあたって最初にベースとなる知識を見ていきたいと思います。
セクシュアリティ(性のありかた)には、戸籍の性(法律上の性)が生まれたときに割り当てられる性として一つ目にあり、今の日本ではこれをベースに考えられているかと思います。二つ目は、こころの性(性自認)、自分の性別をどのように認識しているかです。このこころの性以下が大事になってきます。三つ目が、好きになる性(性的指向)、自分の恋愛や性愛の感情がどの性別に向くか、あるいは向かないかがあります。四つ目に、表現する性(性表現)としまして、社会的にどのようにふるまうのかがあります。例えば「俺」や「私」などの一人称や服装でどのように表現するかがあります。
まず見ていきたいのがヘテロセクシュアル(異性愛者)です。例えば、こころの性は自分を女性として自認し、性的指向は男性を好きになる。あるいは、男性として自認し、女性を好きになる。LGBTの当事者ではないと自認している方の多くが、これに当てはまると思います。私自身もヘテロセクシュアルです。
それに対してレズビアンの方は、女性であると自認し、女性を好きになる方。ゲイの方は男性として男性を好きになる方。バイセクシュアルの方は、女性も男性も好きになる方。この他、アセクシュアルという、好きになる性を持たない方もいらっしゃいます。
自分自身の性別をどのように思うのか、自認にする性別は何なのかについてさらに見ていきたいと思います。
「シスジェンダー」は、自身の性に違和感がない。例えば、心の性が女性で戸籍の性も女性である場合や、心の性が男性で戸籍の性も男性である場合が含まれます。こちらもLGBTの当事者ではないと思われる方が多くなります。私自身もシスジェンダーです。
それに対して「トランスジェンダー」の方は、例えば、心の性が女性で戸籍上の性が男性である場合や、あるいはその逆で、心の性が男性で戸籍上の性が女性の方がいらっしゃいます。さらに、「Xジェンダー」と呼ばれる、男女どちらでもある、あるいはどちらでもない、中間的であるなどのように自認される方もいらっしゃいます。このXジェンダーの方も含めてトランスジェンダーと呼んでおります。
ですので、シスジェンダーに対するトランスジェンダーという捉え方でお話を聴いていただければと思います。
ここで大事な点があります。例えば、戸籍の性が男性で、心の性(性自認)が女性というトランスジェンダーの方が、加えて、好きになる性(性的指向)は女性ですとレズビアンでもあります。このように、LGBとTは考える次元が異なりますので、混同しないことが大事になります。性的指向と性自認はそれぞれ独立したものです。
先ほどLGBT以外にも様々なセクシュアリティ(性のあり方)があると申しました。これまでお話した他にも、インターセックス(体の性がどちらかに統一されていない、または判別しにくい人)、クエスチョニング(特定の枠に属さない、わからない、典型的な男性・女性ではないと感じる人)、パンセクシュアル(全性愛、好きになる性が性別にとらわれない人)、ノンセクシュアル(非性愛、恋愛感情を持っていても、性的欲求を持たない人)もありますが、これらに分類できないほどのセクシュアルティが存在します。
みなさん自分事として、ご自身の性を考えていただければと思います。人それぞれであり、他人に決めつけられるものではない性的指向と性自認です。
みなさん戸籍上の性や、心の性、好きになる性、そして表現する性の軸上で(スライド上の)どこに自分の円を持ってきますか。その円は横長かもしれませんし、真ん中なのか、片側によっているのか、あるいはどこにも乗らないのか。そういったところを自分自身で考えてみていただければと思います。これは、Zoomで映し出している隣の人のパネルと一致しますか、と考えた時に必ずしもそうとは限らないのではないかと思います。
その考え方を表すものとして、「グラデーション」と性別のことをよく表現します。自分の性別はどのあたりだろうと指した先はみなさん一致しないことが多いのではないかと思います。みなさんそれぞれ性別を持っている。それを大前提に考えていきたいと思います。
それを端的に言葉として表現しているのが「ソジ(SOGI)」です。「Sexual Orientation & Gender Identity」(性的指向と性自認)の頭文字をとった言葉になります。LGBTの当事者かどうかではなく、だれもが持つ、ここのZoomに参加していただいている皆さんがもつアイデンティティだと思います。例えば性的指向についても、自分が好きになる性を持たない場合も含めて、自分の性に関する軸そのものの話をしていますので、そこを考えることは、すべての人の生きやすさにつながります。そこをベースとして、学校など教育現場、社会全体について考えていきたいと思います。
世界的にも、LGBTよりSOGI(ソジ)という言葉で表されるインクルーシブな考え方が高まっています。
G7でパートナー関係を承認する法制度がない国は日本だけ 進む自治体での取り組み
性的指向に関する世界地図(スライド下)をご覧ください。青色のところが、先進国に多いのですが、同性パートナーシップあるいはそれに準じる規定がある国。それに対して、赤色や茶色のところは場合によっては刑罰があり、一番厳しいところでは死刑となっています。日本はいわゆる先進国と言われますが灰色で、何も手を付けられていないというのが世界的な日本の立ち位置となります。G7の中でパートナー関係の承認がない国は日本だけとなっており、世界的に見ても日本は今取り組んでいかなければならない局面なのかなと思います。
同性婚を認めると「出生率が下がる」というのは本当でしょうか。同性婚が認められている国の出生率の変化を、同性婚が認められる以前と以後とで比べてみますと、出生率が下がるという科学的根拠はないかと思います。というのも、同性婚を認めていないからと言って、例えば同性愛の人が異性愛者になるわけではないことは先ほど申し上げた通りです。みなさんも周りでこういう話題になった時には、この点を考えてみてほしいと思います。
日本はこのように国としての法律はございませんので、各自治体で取り組みが進められている状態です。パートナーシップ条例に類する制度を持つ自治体は2020年6月時点で、51自治体あり、1052組のパートナーシップが認められています(NPO法人虹色ダイバーシティ2020)。愛知県では、西尾市と豊明市があります。みなさんが住まわれている全国の自治体でも動きがあるかもしれません。
「いない」のではなく「見えない」存在の少数派
カミングアウトできない・何気ない言動で傷つけるという負のループを断ち切るには
教育の現場を見ていきたいと思います。文部科学省から出ている参考資料(「性同一性障害や性的指向・性自認に係る、児童生徒に対するきめ細やかな対応等の実施について」平成28年4月1日)でLGBTに関することが情報としては下りてきていますが、実際に理解が深まっているかというと疑問があると、私たちは現場を回っていて思っております。
どんなところで「きめ細やかな対応等」が必要かと申しますと、制服、持ち物の色、更衣室、トイレ、健康診断、音楽のパート分け、保健の授業、呼称、恋愛や男らしさ・女らしさやライフプランについての話題などが挙げられています。この後のグループ対話でASTAのメンバーに詳しく聞いていただければと思います。
なかなか理解が進まないことによって、悲しい数字が並んでいます。LGBTの子どもの約6割が教育現場でいじめや暴力を受けたことがあり、教職員が加害者となっているケースもあります。私自身、学生時代、教員養成の大学に通っていて、教育実習に中学校に行った時に、私は社会科の教員免許だったのですが、指導教官から「織田信長はホモと言っておけば生徒たちは笑うぞ」と謎の有難いお言葉をいただきました。もちろんその先生も悪意があるわけではなく、教室を和ませるための話題として言っているだけで、知らないが故に傷つけるという状況かと思います。
トランスジェンダー(性同一性障害など)の約7割が自殺念慮を抱いたことがあると言われています。学校現場見ると、教室のなかを想定しがちですが、職員室の中にもいらっしゃるはずの存在です。本日も当事者の方も参加されていると思ってお話しておりますが、やはり全員が自分の近くに当事者がいる、あるいは自分が当事者ということを前提に考えていければと思います。
学校教育で、同性愛についての知識を一切習っていないのは約7割で、異常なものとして習った、あるいは否定的な情報を得たというのは2割を超えています(「Reach Online 2016 for Sexual Minorities」日高康晴、LGBT当事者の意識調査)。さらに、先生がいじめの解決に役立ったかについては、役立ったのは13.6%しかありません(同上調査)。
カミングアウトの状況については、本日、当事者の親であるASTAのメンバーも参加していますが、親へのカミングアウトは行いにくいものであり、職場や学校でのカミングアウトより少なくなっています。また都市部のほうが多い傾向があります(同上調査)。
そのようにカミングアウトしづらい家族関係ですが、家族が言った言葉の一例として次のようなものがあります。本当に子どもに投げかけた言葉なのかと疑いたくなりますが、「産まなきゃよかった」、「産んでごめんね」、「気持ち悪い!」、「治るの?」、「手術するなら家から出て行って」等が実際にあります。
こういった言葉の背景として、「突然すぎて何を言ったか覚えてない」、「心の準備ができていなかった」、「何も習っていない、知らなかった」、「治せるものだと思っていた」、「普通じゃないと思っていた」等が今の親御さんの世代には特にあります。ですが、言われた子どもにとっては、それがその後の人生のなかで残り続ける言葉になっています。
一方で、「凛と顔を上げて生きていきなさい」、「それがどうした?」、「気が付かなくて悪かったなあ」といった言葉をかける親御さんもいらっしゃいます。
でも、子どもを傷つけるような上記のような言葉を言う方がまだ多いのではないかという状況です。
ALLY(アライ) 一人の人間として「ありのまま」の姿を大切にできる方
「私の周りにLGBTの人はいないよ」というよく言われる言葉がありますが、LGBTは見た目ではわかりません。見えない存在なのだという前提で身の回り、あるいはご自身について考えていただければと思います。
ではなぜ「見えない」のか。負のループがあります。カミングアウトをできない、そうすると周りはLGBTを知らず何気ない言動で傷つける、そうするとさらに言いづらくなる。このように少数派の当事者が見えないということは、LGBTに限らないかと思います。
こういった悲しいループがある現状を断ち切るためにはどうしたらよいでしょうか。ALLY(アライ)という存在が大切だとASTAは伝えています。支援者、同盟、味方という意味で、LGBTの味方になりたいと思う人です。ALLYが増えると、LGBTがカミングアウトしやすくなる、あるいはカミングアウトしなくても安心して生活できるようになると言われておりますが、これは、LGBTだけでなく、すべての「ちがい」に対してという風に私たちASTAは言っています。
Google先生にALLYの意味を聞いてみますと、「LGBT当事者ではない人がLGBTの味方になりたいと思うこと、あるいはその考え方」というふうに書かれているのですが、それは、人を全て分断して、当事者でない人が当事者を助けるというニュアンスを感じてしまう人がいるかと思います。
そうではなく、あくまで一人ひとりを一人の人間として、すべての違いに対して、例えばレズビアンの人がゲイの人、ゲイの人が耳の聞こえづらい人に対して等、そしてそれらの属性をも超えて、一人ひとりがお互いを尊重して考えることが大事で、味方になりたいとまず思える人のことをALLYと私たちは呼んでいます。
ALLYになるための3つのステップは、まず「知る」。LGBTやLGBTの置かれている現状を知ることです。次が「変わる」。普段の何気ない言動、例えば「普通は」と言う時に何をもっての普通なのかを考えて気を付ける。あるいは「ホモ」や「おかま」といった差別用語を使わない。また飲み会などで――今飲み会がなかなか無い(新型コロナウィルス感染症拡大防止のため)かもしれませんが――、「それは私の友達で聞いたひとが嫌だと言っていたよ」と言ってあげる。そして「表明する」。今日学ばれたこと、感じられたことを周りに共有することも大事かと思っています。またレインボーアイテムを身に着けてみることもそうでしょう。例えば企業ではロゴを虹色にしているところもあります。
誰が当事者なのかではなく、誰もが安心して楽しく生活できる社会へ
カミングアウトされたら、まず「 」と伝える。あえてこのカギカッコの中は空けています。カミングアウトそのものは、相手を信頼したから言えることであり、勇気が必要です。自分を信頼してカミングアウトしてくれたことに対して、例えば「ありがとう」といった感謝や共感を伝えるような言葉がいいかと思っています。
二つ目は、何に困っているのか、どうしてほしいのかを同じ目線に立って聞いていただきたいと思います。決めつけるような上からの目線ではない言葉がいいと思います。LGBTに限らず大事なのかなと思います。
三つ目は、誰にまで話しているのか、共有可能な範囲を確認することです。アウティングをしないでください。
この「アウティング」というのは、本人の同意なく第三者にその人のセクシュアリティを伝えることで、出張授業等でも子どもたちにダメだと伝えています。これは、居場所を奪いますし、命まで奪いかねない危険な行為ですので本当に注意してほしいと思います。ただし、自殺や自傷行為など生命の危険や緊急性があるときにはその限りではありませんので、アウティングの危険性を念頭に置きながらも、どうしてもという時には対応していただければと思います。
「あぶり出し」もダメだと、出張授業等でいつも子どもたちに伝えています。とくに13人に1人という話をすると、「あの子そうなんじゃない?」とまるで犯人捜しのように、誰が当事者なのかを気にすることがあります。ですが、ここまでお伝えしてきたように、誰が当事者なのかではなく、「誰もが安心して楽しく生活できる学校」あるいは職場、社会全体が大事です。みなさんはそういう犯人捜し的なことはしないかもしれませんが、子どもたちがそういうことを言った時に、周りの大人としてしっかり注意できる存在でいていただけたらと思います。
最後にまとめます。
「いない」のではなく「見えない」存在であることを前提にしてください。
親の何倍も何倍も悩み苦しんでいるのは子どもです。限界を超えてカミングアウトする子どももいますので、もし保護者の立場で本日参加しておられる方がいらっしゃいましたらグループ対話で聞いていただければと思います。
親の方が、自分の育て方が悪い?と責めるような問題ではありません。
同性愛も性別の違和感も趣味嗜好ではありませんので、偏見を持たないようにお願いいたします。偏見や差別があると、今後みなさん自身が当事者になる可能性があり、ある瞬間から同性への恋愛感情を持つことがあるかもしれませんが、その時、自分自身への差別になります。そういう視点でも考えていただければと思います。
性自認も性的指向もグラデーションです。決めつけないでください。心の変化が起きる人もいて、とくにお子さんを決めつけないでください。
この中には当事者の方もいらっしゃると思います。自分の周りに当事者の方がいるという方もいらっしゃると思います。その一人ひとりの「ありのまま」の姿を、LGBT当事者かどうかは関係なく、自分自身がまず誇りに思って大切にしてください、と思いますし僕自身もそうしたいと思います。
土屋さん) いろんな課題に共通しているのが、「いない」のではなく、「見えない」ということです。ASTAのみなさんは、それをできるだけ見える化しようと様々な形で努力されています。ありがとうございました。
――グループ対話とグループ発表、ゲストからのコメント――
※グループ対話を3セッション行い、ASTAのメンバーがファシリテーターとして各回異なるグループに参加し、自身のライフヒストリー等をお話しした後、グループの方々に自由に感想や意見、質問等を話し合って頂きました。
参加者)
「高校3年生です。自分はLGBTをあまり理解していなかったので今回すごく勉強になりました。ASTAのドラママのお話が共感を持てました。というのは、LGBTの問題は当事者からするとすごく深刻な問題だと思いますので、当事者から聞くと『深刻だね』という受け止め方になってしまいますが、ドラママの意見を聴いた時に、周りの人はフラットな感じで受け止めてくれるような気がしました。
自分も学校ではスポーツバリバリのクラスに所属していて、男同士がすごく仲良かったり、女子が『俺』と自称したりする日常があります。でも自分はLGBTということをあまり知らなかったので、それが普通の日常だったのです。カミングアウトというようなことはなかったのですが、もしカミングアウトされたら、『普通だよ』と受け止めるという立場でもいいのではないかと感じました。
知らないとカミングアウトされた時に深刻にとらえてしまうと思います。でも知っているからこそ、カミングアウトされた時に『LGBTなんだ、自分も理解しているから大丈夫だよ』のようにフラットな形で受け止めてあげて、一緒だよとアットホームな環境があるといいなと思いました。今日LGBTのことを知れて、その子がLGBTかどうかというより、そういう価値観もあるというように、そういうことが普通である世界であってほしいと思いました。」
「ASTAの松岡さんのお話の時には、3歳児健診に『人権』という項目を入れてほしいという話を伺って、確かにそうだなと思いました。保護者が人権を理解していないと、次の時代の子どもたちを育てる一番身近な人が、偏見を植え付けてしまったり、子どもが保護者にカミングアウトできなかったりするので、きちんと知識を持つ、それも早い段階で身に付けることが大事だと思い、伝えていきたいと思いました。
ASTAの久保さんの時にはALLYの話になって、最初にLGBTと接点を持ったのが松岡さんのお子さんだったそうですが、それをうまく受け止められたのは久保さんの素質もあったと思いました。素直に受け止められたというのは、それまでに培ったものがあったのかなと思いました。
LGBTの情報を置くのは図書館がよいのかなと思っていたのですが、保健室にグッズを置いて人知れず手に取れるというアイディアはよいと思いました。みんなが知るということは大事ですし、当事者が情報を得るツールはたくさんあった方がよいと思います。保健室はプライバシーも守られるのでいい場所だと改めて知ることができました。
ASTAのドラちゃんとの話では、高齢者にどう伝えますか?と聞きました。私もALLYとしての活動をしたときに、高齢者から心無い言葉を聞いてがっかりすることがあるのです。高齢者にも少しは分かっていただきたいと私は話をしてきたのですが、若い人にALLYを増やすことにエネルギーを注ぎたいというドラちゃんの気持ちがよくわかりました。
いろんな意味で発見や知識を得た会でした。」
「いま大学2年生です。LGBTの問題への認識や知識は、学校で問題を取り上げられたこともあり、持っていたのですが、当事者としてとらえたことがなかったので、自分の問題としてとらえたいと思って今回参加させていただきました。
知識とか、問題としてあるということは、表面的な理解として、高校生や大学生はたぶん持っていると思います。自分もそうだったと思うのですが、問題をもっと身近にとらえている子は少なくて、差別的な用語が飛び交っているところはあったと思います。
そういうところに身を置いていた者としては、ASTAのクニさんの最後のお言葉が身に染みたのでここで紹介させてください。
マジョリティ、多数派に属していると気づきにくい優位性がある。社会において優位的な立場にいることに気づきにくいことがある。
確かにそうだなと感じました。表面的な理解にとどまらず、もっと深い理解で、マジョリティに属する自分はもしかしたら社会的に優位な立場にあるかもしれないというところにも感性を働かせて、価値観を育んで、問題を当事者の方もそうでない方も考えていく社会づくり。それは、ASTAのドラちゃんが仰っていた『居場所の確保』、社会で居場所となるところがもっと増えることにつながるのかなと思いました。」
「当事者の方や関係者の話を聴く機会がこれまでなかったのでとても勉強になりました。『性的少数者』と言われていますが、言われるほど少数者ではないし、話を聴いていると、これは語弊があるかもしれませんが、『何でもない普通の人』だと実感しました。
私は、自分らしく生きることに対する周りの正しい理解が必要だと考えるので、実際に当事者の意見を聴いたり会ってみたりするとよいと思ったので参加しました。こうした機会が教育現場などいろいろな所でもっと設けられて行けばよいなと思いました。」
「何が普通で、何が普通じゃないか。何が当たり前で、何が当たり前でないか。そういうことを議論していること自体がおかしいよねという話になりました。みんなそれぞれが人間らしく生きているということを認めあえれば、みんなが生きやすい世界になるのではないかという話になりました。
大人が変わっていかなければならないということも話になりました。世代間連鎖がすごく強く、自分の子どもたちに負の話をすれば、その負の話をする子どもができるので、負の連鎖を断ち切ることが大事です。それができるには、血のつながっていない大人たちが関わっていくこと、教育者や近所のおじちゃん・おばちゃんたち等みんなが関わって、『いいんだよ、いいんだよ』と言える社会になることが大事だと思います。」
「最初にASTAのカズキさんとお話しさせていただいた時に、都会と地方では社会問題に対する感度が違うという話題になりました。いま情報格差が無い中でもそういうことが生まれる背景として、一つの仮説ですが、地方だと良くも悪くも個々人のつながりが強く、一方で都会は『人は人』というのがあって、その結果、地方だと目が行き届く分、今までの自分のメジャーでは測りきれないものに対して困惑を生んでいるということがあるのではないか。一方で都会の人だと、我関知せずと、良くも悪くも興味がないということがあるのではないか。
次にASTAの松岡さんとお話しさせていただいた時には、お仲間にご自身のお子さんが当事者だったのだけれどお子さんに対して10年間受け入れられなかったお母さまがいらっしゃると伺いました。把手をお子さんが触ると消毒していた程のお母さまだそうです。そこで、何がトリガーとなってそのお子さんを受け入れられることができたのですかとお聞きした時の印象深かったお話があります。
お子さんがとある席で自分が当事者だということを、親戚縁者だったら誰かかばってくれるのではないかとカミングアウトしたところ総スカンを食ったと。でもそこで唯一味方になってくれたのが、それまで受け入れてくれなかった母親だったと。そこに、人間のもつ本能、愛の大事さ、人間悪くないなと感じたというお話を聴かせていただきました。
最後にASTAの久保さんとお話しさせていただいた時には、個人の方同士で広める中で、僕もサステイナブルという文脈でいろんな人と話す時に正論めいたことを言うと拒絶されるという話をしたら、久保さんからのお話で気づきとなったことがありました。それは、久保さんはLGBT当事者でないですが、そんな自分だからこそ俯瞰した立場でできることがあると仰っていたことです。いわゆるマジョリティの位置にいる自分にできることがあると。当事者だとやりづらいこともあるので、そうじゃないところにいる自分だからこそできることがあると。
また、企業で一生懸命やっているところもいらっしゃるけれども、例えばLGBTQのイベントをやっているところに参加している企業のアンケートに『男・女』しかないこともある。法で追いついている部分もありますが、企業が率先してやっていくシステムになるといいですねという話もいたしました。」
久保勝さん) グループ発表をとても参考にさせていただきました。自分のことに触れていただいたところがあるので、せっかくなので触れさせていただきたいのですが、「受ける側の素質がある」とのお褒めの言葉をいただきありがとうございます。
素質というかわかりませんが、そのタイミングに自分は巡り合ったかなと思います。皆さんの中には人権にかかわる活動などをしている方がいらっしゃるかもしれませんが、活動をしていない人が悪いわけではなく、そのタイミングで動ける方が動けばいいと思います。
私はあるきっかけがあったからこそ活動ができているし、逆にそのきっかけが無い人を責めようとも思わない。例えば、今日このことをきっかけとして、LGBTのことを知って動く方が一人でもいればうれしいです。
「普通」という言葉も取り上げられましたが、その「普通」という言葉そのものが悪いのではなく、みんなの中で「普通」がよりよいものになるといいなと感じています。
最後に一つだけご案内をさせてください。
「レインボーパズル」(写真上)といったものを、ASTAへの募金に対するリターンとしてお渡しをしております。LGBTについて、まずは少なくとも味方になりたいと思う人たちをALLYと今日呼んできましたが、その表明の一つとして、普段のお仕事の場所やご家庭にレインボーパズルを飾っていただけるだけで想像以上の反応があったりします。こちらぜひご協力をいただければ有難いと思います。■
●次回のアドボカシーカフェご案内★参加者募集★
『忘れられた小児甲状腺がん患者たち
~声を上げられない当事者にどう寄り添い、可視化するのか~』
【ゲスト】千葉親子さん(甲状腺がん支援グループ・あじさいの会事務局長)
太陽さん(小児甲状腺がん患者)
白石草さん(NPO法人OurPlanet-TV代表理事)
【日時】2020年10月3日(土) 13:30~16:00
【会場】オンライン開催
【詳細・お申込み】こちらから
※今回20年9月5日のアドボカシーカフェのご案内チラシはこちらから(ご参考)