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報告=ソーシャル・ジャスティス基金(SJF)アドボカシーカフェ第30回 

 

 次回アドボカシーカフェ予告 ◆  

『外国人と生活保護』
 【日時】10月14日(火)18:30~21:00
 【会場】新宿区若松地域センター 
 【登壇】奥貫妃文さん(相模女子大学人間社会学部社会マネジメント学科専任講師)
        大川昭博さん(移住労働者と連帯する全国ネットワーク運営委員
                                      ソーシャルワーカー

 *詳細・お申込みはこちらから。

 

 

「多様な学び」―子どもたちがエンパワーメントできる政策実践

 

 

 201494日、SJFは第30回アドボカシーカフェを四ツ谷地域センター(東京)にて開催しました。

 平成27年度文部科学関係概算要求(828日)では、「不登校児童生徒が学んでいるフリースクール等の取組の調査研究」(新しい時代にふさわしい教育制度の柔軟化の推進)や「フリースクールを含めた不登校の受入れ施設における指導」(いじめ対策等総合推進事業)に予算を付けることが明示されました。これに先立ち、政府の教育再生実行会議第5次提言(73日)では、フリースクールなどの学校外の教育機会の位置付けについて、就学義務や公費負担のあり方を含め検討することが明記され、多様な学びの保障実現にむけた進展が見られます。こういった政府の動きの背景に、フリースクールを応援しようという「超党派フリースクール等議員連盟」があり、6月に設立されています。

 今回ゲストにお迎えした高橋克法氏(自民党参議院議員)は、その議連に参加していますが、10年以上前に「ひよこの家」という公設民営のフリースクールを栃木県高根沢町に町長として開設し、以来、町内外から子どもたちが自主的に参加し、自己肯定感を持って約100名が卒業していきました。その施策の根底には、不登校の子どもたちを主人公として考え、人間が生きていく本来の意味にこたえられるような学びを町として支援していこうという一念があったと高橋氏は語りました。「ひよこの家」は、公が多くの方々の理解と協力を得ながら実践されてきた「多様な学び」の場ですが、公が保障する意義を、“お上意識”から解き放つ数々の施策と共に示してきたことについて、同ゲストの奥地圭子氏(東京シューレ学園理事長)は、全国のモデルにしたいと賛同しました。

 「不登校」の小中学生が6年ぶりに増加し、前2012年度より約7千人増えたことが、文部科学省の学校基本調査速報(87日)で報告されました。不登校の児童子どもの自殺が2学期開始前の8月に急増するという取材結果(全国不登校新聞社)を奥地氏は示しながら、子どもたちにとって学校が苦しい所となっている現状を真剣に変えていかなければいけないと強調しました。奥地氏は、わが子の不登校を機に、画一的な文化的・社会的基盤に安心感を抱くような意識が子どもによって変えられ、多様性を受け入れる人になったと語りました。「悩みこそ救いだ」との思いで、子どもの非常な苦しみに寄り添い、子どもが自分らしく生きる主体性を取り戻せるよう育む日々を経てのことだそうです。

 子どもは命であり、命は多様――子どもが育つとは多様なものが育つことであり、抑えつけず自然に命に添う学びであれば、「多様な学び」になるはずだと奥地氏は言います。日本国憲法は、子どもの学ぶ権利を「基本的人権」即ち生きるために不可欠の権利としており、私たちの意識、地域レベル・国レベルの社会の仕組みが変わり、子どもたちが自分らしく、学び、成長できる社会になるよう、「多様な学び保障法」が早く実現されることの重要性が強調されました。

ゲスト写真

◆ 主なプログラム ◆
 ◇ 講演:高橋克法さん(自民党参議院議員/前栃木県高根沢町町長/
               超党派フリースクール議員連盟)
    奥地圭子さん(「多様な学び保障法を実現する会」共同代表/
      東京シューレ学園理事長/フリースクール全国ネットワーク代表理事)
 ◇ パネラー対話と質疑応答
 ◇ グループ対話
 ◇ 講演者との対話
 ◆ モデレーター:樋口蓉子(草の根市民基金「ぐらん」運営委員長/
              認定NPO法人まちぽっと副理事長/SJF運営委員)

 

◆ 概要 ◆ (敬称略) 

――「多様な学び保障法」が実現したら

◇ 「多様な学び保障法を実現する会」は「フリースクール環境整備推進議員連盟」の窓口だった。昨年、解散したが、新たに6月、「フリースクール議員連盟」が結成され、その設立総会で高橋克法さんと会うことができた。
 「多様な学び保障法」が実現したら、学び場を選べるようになり、小学校入学前に自分にふさわしい学びを選べ、通っている学校が合わなかった場合にも自分に合った方法を考えられ、いろいろな道があるので追いつめられないようになる。
 保障の仕組みとして、多様な学び場に通いたい場合には、(1)親子で話し合い、学び場を相談し、(2)学習支援センターのコーディネーターと相談し情報を得ることができ、(3)見学等して多様な学び場から選び、(4)自治体に通う先を届け出し、(5)自治体はその学び場が家庭の代理受領する学習支援金を出す。また、ホーム エデュケーションを選んだ場合には、同じく自治体に届け出をし、自治体は家庭に学習支援金をだし、学習支援センターの支援を受けられる。
 変化としては、(1)財政面では、多様な学び場に通う場合にも通学定期や学生割引が適用される等の面からも家庭の費用負担が減り、(2)卒業資格については、学校教育法の1条項以外の多様な学び場にも卒業に当たる資格が出され、(3)学校に行っていない子どもは、多様な学び場が認められることで堂々と通え、気持ちが安定し自己肯定感が高まる。また、子どもが持っている色々なニーズにあわせて物事に取り組むことができるようになる。(4)学校は、子どもが非常に苦しい時に無理に「学校に来なさい」と言う必要がなくなり、先生が多様な学び方の相談にのったり、子どもに休んで今後のことを考えることをすすめたりしやすくなる。また、指定された学校と実際に学んでいる所とに二重に在籍するために発生する卒業等の問題が解消され、自治体に届け出している学びたい所のみに籍があることになる。
 このように保障法が実現することで、多様な価値観や人生観が広がっていき、進学や就職でも学歴だけではない価値観が浸透し、子どもと親にとって安心な社会となる。保障法を通じて社会の仕組みがかわることで、多様な学びや育ちを選びやすくなり、子どもたちが自分らしく、学び、成長できる社会になる。(奥地)

◇ 子どもたちが学ぶ権利を実現する人としての意識や素養が、フリースクールのスタッフと、学校の教員とで同等にあるとよいと思う。学習支援センターのコーディネーターの役割は重要で、子どもの話をきちんと聴いて学びの場につなぐことまで出来るような素養やネットワークが必要だと思う。(参加者)

◇  教員やスタッフの養成において、フリースクールでの現場経験を必須とする等、多様な教育養成をなされると良い。学習支援センターは、子どもの権利条約の考えを身につけて運営してほしい。(奥地)

◇ 実現したら、学校の先生が「学びは学校だけではありません」、「ゆっくり休んで今後のことも考えてみては」等と実際に言うようになるのか。(参加者)

◇ 学校の先生は公のものでないと紹介しない。教育相談所の紹介先にはフリースクールを入れてもらえない。国の制度で支援されれば堂々と紹介先に入れてもらえるだろう。多様な学びの場を紹介しないとむしろ問題だという認識が広まると良いと思う。(中村/多様な学び保障法を実現する会事務局長)

 

――主人公は不登校の子どもたち、公と民が対等に連携したフリースクール「ひよこの家」

◇ 1998年、栃木県高根沢町の町長になったばかりの頃、不登校新聞(現 “Fonte”)のサンプルが来ており職員が見せてくれた。それを見たとき、雷に打たれたような感覚に襲われた。折しも、町の教育現場では、不登校の子どもが20名程いたが、「適応指導教室」には1人しか来ていなかった。善意の制度のはずだろうが、どうして適応指導教室に子どもたちは来ないのだろうか、制度自体を変える必要があるのではないかと、学校教育課の係長と模索していた折だった。不登校新聞は、市町村長部局と教育委員会部局で購読するようになった。

 不登校の子どもに対して「どうして学校に行かないんだ」と言う前提には、学校に行かないことは間違っているという認識があり、「適応指導教室」という名前が示すのは、適応できるように指導してやるという子どもに対する上から目線だ。そこを根本的に改めるよう、町の教育委員会として議論した。その大前提として、不登校になった子どもたちを主人公として考えた。学校復帰だけではない選択肢を創り、学ぶ権利という生きる権利を満たす仕組みを町が創ろうと始めたのが「ひよこの家」だ。
 公設の意味は、登校扱いになること、学校給食があること、校長先生や担任がそういう観点で職務にあたること、“お上”が認めているところに行っている子どもとして世間の見る目が変わること、だと実際に取り組んで思った。田舎の町では、子どもが不登校になると、家族や近所の方は“とんでもないこと”と受けとめ、祖父母は可愛い孫の不登校の全責任を嫁に負わせ、その母親の姿を見ている子どもは余計に自分を責めるようになるという、負のスパイラルに陥っていた。その苦しみを少しは解放できたと思う。「ひよこの家」には毎日のように行き、子どもと炭焼きやキャッチボールをし、町民が選んだ町長が「ひよこの家」を認めている、という姿を町民に意識的に広めた。また、給食は、当初お弁当持参にしたところ、生活困窮の問題を抱えている家庭の子どもがいることに気付き、導入したものだ。
 内部の運営は、役人や教員がやっても上手くいかないだろうから、NPO法人等と共同で行い、指定管理方式はとらず、対等な官民連携で行うことにした。場所も、公共施設の一角では、子どもたちは学校と同様の縛りを敏感に感じ取るだろうから、600坪・築90年の古民家を町内で借り、田舎のおばあちゃんの所のような居場所を目指した。
 開設したのは20039月だが、町長と学校教育課係長で一軒一軒まわって町民に理解をお願いした。1年もたたないうちに、農作物を提供する町民が出てくる等、地域一体となった意識が広がっていった。また、町外からも子どもを受け入れるようになった。歩いて10分の小学校に通えない子どもの父親から、何とか通わせたいと相談を受けて始めたことだが、その子が自転車と電車で90分かけて中学卒業まで一度も休まず通ってきたことは示唆に富んでいる。
 11年目の今年で100名近い卒業生がおり、1人を除く全ての卒業生が高等学校に進んでいる。「ひよこの家」は小中学校の括りしかなく、高等学校は都道府県の権限となり難しいが、不登校の問題を、高校やその後の問題も含めて考えなければいけないと思っている。
 教育委員会や文部科学省も少しずつ変わってきている。奥地さんが言われたような「多様な学び保障法」を実現する人間の強さや可能性があると思う。超党派のフリースクール議員連盟に参加しているが、人間が生きていくという本来の意味にこたえられるような社会の仕組みを創っていけるよう努力を続けたい。(高橋

 

◇ 町長の立場で、ここまで子どもの立場におりて、しかも公がやる意味を町民に町長自ら実践的に示してきたことは、不登校の子どもやその家族にとって計り知れない応援になっている。公は概して上から目線で不登校に対して既存の学校に適応させようとするが、そういった既成概念を解かしたからこそ、素晴らしい青年が育っていった。公こそが多様な学びの場を実現できることを示すモデルだ。(奥地)

◇ 不登校の子どもへの理解が広まり、深まり、「多様な学び保障法」という制度につながるとよいと思う。(樋口)

◇ 地方の組長の権限でできることと異なり、国で法律を作るということになると、総論で賛成でも各論では相違が出てきたり、民間の自由な意見をどこまで取り入れられるのか疑問になったりと、現実的にのりこえなければいけない問題が色々あると思うがその点についてはどうか。(参加者)

◇ フリースクール議連は政府に対し、多様な学びについて考え方を発信してきた。政府の教育再生実行会議は各界・各層の方で構成されており、7月3日の第5次提言に、「国は、小学校及び中学校における不登校の児童生徒が学んでいるフリースクールや、国際化に対応した教育を行うインターナショナルスクールなどの学校外の教育機会の現状を踏まえ、その位置付けについて、就学義務や公費負担のあり方を含め検討する。」との文言が明記された。このように、やらなければいけないことと宣言されたことは非常な進展だ。組織が陳腐化しないようご心配のことを心配しながらも、奥地さんから概算要求の話が紹介されたが、確実に前に進んでいるのではないだろうか。(高橋)

◇ フリースクール議連の設立総会は、予想以上にフリースクールに理解があり温かかった。「学習権」という言葉が自民党議員からも幾度も発言された。「多様な学び保障法」の実現にむけた壁は堅いかと思っていたが、子どもの権利条約20周年という世界的な動きや、いじめ問題が重点課題とされていること等を背景に、実現に追い風が吹いている。(奥地)

  

――自己肯定感をもつ子どもたち

◇ 手探りで子どもたちと「ひよこの家」で向き合ってきた。子どもが傷ついた羽をまずここで癒せるよう、それでいいんだよと認め、自己肯定感を持てるよう支援する、そこから始めるという方針でやってきた。ここにいれば大丈夫だと子どもが気付くことが大切で、子どもがやりたいことを支援し、何もしたくなければ何もしなくていいよと伝えた。そのうち、「学校に戻ってみてもいいかな」という子どもが出てくると、戻ってみればいい――いやになったら、またここに戻って来ればいい、と伝えた。こうして、「多様な学び」の小さな形での実践をしてきたのかなと思う。(高橋)

◇ 子どもは傷ついた心が癒されると、そこから急速に伸びる。(参加者)

 2013年の10周年では、卒業生のお子さんたちは自身の不登校をどのようにとらえていたのか。(樋口)

 「不登校したからこそ、今の僕があります」と、10周年実行委員長の子どもが挨拶した。この言葉に全てが尽くされていると思う。
 町の教育委員に、NPO法人「栃木県若年者支援機構」の中野謙作を任命した。彼は、「ひよこの家」の中身・ソフト面を組み立てた人だ。公設民営の施設として町とNPOが対等に運営にあたっているが、役所が本能的に“お上”意識の縛りをかけてしまわないよう、議会の過半数を得て、教育委員会にも入ってもらった。こうして「ひよこの家」の存在意義を確かにし、職員に対する重石としてきた。(高橋)

◇ 世界フリースクール大会が7月に韓国で開催されたそうだが、外国での不登校の状況や参考になる事例はあるか。(参加者)

◇ 海外では、政府により学校に求められる要件が緩い国が多く、例えば韓国では国がやっている教育に対してフリースクールは「代案教育」と呼ばれている。また、不登校という呼び方はなく、フリースクールは、“不登校の子どもが行っている所”ではなく“自分が選んで行っている学校”として認識されている。(奥地)

 不登校・引きこもりの子どもたちがどうやって学校に行けるようになるかをテーマに講座を開こうとしていたが、視点の違いに気付かされた。グループ対話で、子どもが不登校になっても東京シューレと出会って不安どころかワクワクしたという方の話も大変参考になった。最初に社会課題のサインを表しているのが子どもだと思う。不登校の子どもによりそった多様な学びをどう実現していくかという視点に気付き、考え方が変化した。(参加者)

◇ そういった変化が日本のあちらこちらで起こるとよいと思う。(樋口)

 

――「多様性」、多様な価値観や人生観を認め合うことが人権を満たす共通基盤

◇ 子どもは命であり、命は多様だ。子どもが育つとは多様なものが育つはずであり、さもなければ、どこかで抑えつけているはずだ。教育が自然に命に添うとしたら多様なものになるはずだ。日本国憲法は、子どもの学ぶ権利を基本的人権として生きる為に不可欠のものとしている。子どもが個性を大事にされ、かけがえのない存在として育てられているかという原点に立ち返り、教育こそ変えるべきだ。政府や議員だけでなく、日本の人たち皆さんから、子どもの多様な学びに理解が広まっていくことが大切だ。(奥地)

◇ 法律ができたとしても、地域レベルで子どもたちの支援を進めていくことが大事だ。そうすることで、子どもたち自身が、学ぶ権利を自覚化できる。(参加者)

◇ 公立小の水泳授業で、帽子を忘れた子が炎天下のプールサイドで見学をさせられている。子どもは当たり前として受け入れる息苦しい状況だ。学校自体に「学習権」という意識がなく、子ども自身にも権利意識がない。厳罰化で子どもたち自信が些細なことで咎め合ってしまい、泳ぎを習うという学習権を満たそうという発想に至らない。子どもたちは現に育っていて猶予がなく、早く救うにはどうしたらよいのか。(参加者)

◇ 私の子も変な罰を受けていた。音楽の授業で子どもたちが騒がしいからと、先生が子どもたちを仰向けに寝転ばせ足上げさせ足の下に画びょうを置いて歌わせていた。私はその先生に、音楽の素晴らしさが子どもに伝わるような授業であれば自ずと集中するはずだと、こんなことの為に学校に通わせているのではないと、改めないなら校長に直談判すると話したところ改めたが、やがて別の罰を作っていた。対策には直ぐにできることと時間のかかることとがあるだろうが、校長に談判したり地域教育の会等と連携したりするのは一策だろう。それでも子どもを守れないと思ったら、不登校はお薦めだ。苦しんでいる子どもがいて、学校が苦しい所となっている状況は大人の責任であり、真剣に変えていかなればいけない。(奥地)

◇ 日本の教育システムを変える必要があるのではないか。1つのレールを外れた時に救われるような多様性が認められるような仕組みが必要であり、同化を求める教育や悪い所に注目する原点主義を変えていくことが必要だ。地域ぐるみで取り組めば解決するものもあるだろうが、コミュニティーに濃淡があり、国レベルで「多様な学び保障法」が実現し、支援する仕組みづくりや各セクター間の連携が進むと良いと思う。(参加者)

◇ 英米で滞在していたが、ダイバーシティ(多様性)を社会的にも企業でも重視していた。日本でダイバーシティを進めるにはどうしたらよいだろうか。(参加者)

◇ 欧米的な個人主義の強い社会に対し、日本は地域の強い結びつきの中で社会を営んできており、窮屈でも守ろうとする道徳規範があり、この歴史的文脈の違いを取り込んで考える必要があるのではないか。(参加者)

◇ 過去に官僚的な大企業に勤務していたが、国力増強のための兵士を育てるような画一的な所だった。しかし今は、画一性が良いと思っている企業はないだろうが、惰性で抜け切れていないのではないか。世の中、多様性を必要としていると思う。(参加者)

◇ わが子の不登校を機に、画一的な文化的・社会的基盤に安心感を抱くような意識が子どもによって変えられ、多様性を受け入れる人になった。子どもは非常に苦しんでいたが、「悩みこそ救いだ」との思いで子どもに寄り添い、子どもが自分らしく生きる主体性を取り戻すステップを経た。多様性を認める社会になるには時間はかかるだろうが、あまり悲観はしていない。(奥地)

◇ ソーシャル・ジャスティス基金は「多様性」を1つのキーワードに支援してきた。様々な人権を満たそうとする時に共通してあることなのかもしれない。日本が子どもの権利条約に批准して20周年だが、子どもの権利条約にある学ぶ権利を保障し、日本の子どもが抱える問題が解決されていくとよいと思う。(樋口)

 

 

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 【日時】10月14日(火)18:30~21:00
 【会場】新宿区若松地域センター 
 【登壇】奥貫妃文さん(相模女子大学人間社会学部社会マネジメント学科専任講師)
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2014年9月4日企画のご案内資料はこちらから(ご参考)

 

 

 

 

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