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ソーシャル・ジャスティス基金(SJF)アドボカシーカフェ第61回開催報告

 

知ってほしい 一人ひとりの子どもの声

~マイノリティの子どもたちのリアル~

 

 2019年12月14日、甲斐田万智子さん(国際子ども権利センター[シーライツ]代表理事)と、遠藤まめたさん(にじーず代表)、彦田来留未さん(東京シューレ非常勤スタッフ)をお迎えしたアドボカシーカフェを、SJFは東京都文京区にて開催しました。

 多様な性の人がいることが当たり前の居場所をつくっている遠藤さんは、LGBTかもしれない子どもにとってのキーパーソンは理解ある同級生だと話しました。学校の先生は子どもの気づきや意見を一緒に考えて、だれもが生きやすい環境づくりを、と提言しました。しかし、「怖くて言えない」、「聞いてもらいにくい」との思いを抱える子どもたちは実はたくさんいます。

 「学校に行きたくない」と言うことは許されないと思っていたと、彦田さんは話しました。「自分以外にも不登校の人っているんだ」と思えた時、初めて何年もの疲れが癒されたそうです。「苦しい」が当たり前、「頑張る」が当たり前になっている人もいて、「つらい」と感じる限界は人それぞれであり、死ぬほどつらくなくても「休む権利」があると強調されました。

 声を上げる負担感があると彦田さんは話しました。声をキャッチして広めてくれる人がたくさんいる世の中が望まれています。甲斐田さんは、子ども自身に「自分の思いを伝えていいんだよ」と知ってもらい、子どもの思いをすくい上げ、子どもと一緒に社会を変えていきたいと行っている子どもアドボカシーの実践を報告しました。

 子どもの権利条約にも示されているように子どもには「参加の権利」がありますが、まずは子どもの声を聴いて、子どもの意見を尊重するというグローバルスタンダードが日本各地で実現されるにはどうしたらよいのでしょうか。スウェーデンでは、小学校から子どもたちがみんなで学校のさまざまなことについて意見を言い、実際に学校が変わるという経験を重ねており、それが民主主義教育の第一歩となっていることが遠藤さんから紹介されました。大人もオープンに考えられる出会いや、意見を言いやすい環境があるといいと提言されました。

 無関心は人を傷つけます。傷ついていることが無かったかのごとく看過されてしまう。悩んでいる人の気持ちに思いが至らない。無関心は、子どものころから何か自分の思いや意見を発表すると叩かれるような社会で育ち、何かを知って行動する人との乖離が進んでしまうことが原因の一つなのではないかと、参加者から問題が提起されました。

 詳しくは以下をご覧ください。

※コーディネータは、大河内秀人(SJF企画委員)

 

Kaida SJF

 

――甲斐田万智子さんのお話――

 

 シーライツは子どもに優しい社会を目指しています。これまでは国際協力団体としてカンボジア、それ以前にはインド、フィリピンで子どもを支援してきました。今後は、少し軸足を国内の子どもの権利へ移していこうと思っています。これまでも子どもの権利を普及させていたのですけれども、一緒に活動する子どもたちを見つけて具体的に何かやりたいなと思い始めて、ずっと考えて議論した結果、マイノリティの子どもたちのことをやりたいね、となりました。

 今年は何よりも子ども権利条約30周年ということで、ぜんぜん知られていない子どもの権利を、子ども自身にも知ってほしいし、学校の先生にも親にも知ってほしいと、本『子どもが自分たちの権利を守る30の方法』を10月に発行しました。この本の一部を使って、とくにLGBTの子どもたち、不登校の子どもたち、外国につながる子どもたちに子どもの権利を知ってもらい、先生方にも知ってもらって、そういった子どもの権利を守ってほしいという思いから事業を行いました。

 この本の8章は「ベトナムからやってきたタンちゃんは授業についていけません」というタイトルで、実際そういう子どもたちに日ごろ接している当事者のサラーンさんが書いてくださいました。

 それから、シーライツの副代表理事で大阪に住んでいる人に「LGBTをふくむすべての子どもは安心して自分らしくいられる場が与えられます」というタイトルの11章を書いてもらいました。この箇所も<にじーず>という居場所で子どもたちに読んでもらいながら子どもの権利について考えてもらいました。

 そして、フリースクールで代表的な<東京シューレ>のスタッフにもこの本のコラムを書いてもらいました。本当は今日お配りしている「不登校の子どもの権利宣言」も本に入れたかったのですがスペースの関係で入れられず、QRコードを載せることで広めていこうとしています。

 

子ども自身に「自分の思いを伝えていいんだよ」と知ってもらう 子どもの参加の権利を守る

 どんなことを思って、マイノリティの子どもを支援する団体と取り組んできたかをご紹介させていただきます。

 まず、シーライツはカンボジアやインドで子どもの権利、とくに子どもの参加の権利――子ども自身が子どもの権利を知って、意見を言って社会に働きかけていく――ということを、児童労働や人身売買、子どもに対する暴力という問題に関して、子どもと一緒に取り組んできました。その結果、子どもたちがエンパワーされると、社会に対して訴えたいという気持ちになってアクションを起こしていけるということがわかりましたので、同じような方法を日本の子どもにも使えないかと考えました。もともとライツ・ベース・アプローチですとか、子どもの参加を重要だと考えて活動してきたので、そういった方法を日本の子どもとともに日本の子どもの権利を守るためにもできないかと考えたのです。

 最も大事だと考えているのが、「子ども自身が意見を言う権利」です。親や教員、社会にこういった権利を知っていただいて、子ども自身にも「自分の思いを伝えていいんだよ」と知らせ、子どもの思いをきちんとおとなに聴いてもらって、その声に基づいて子どもに関わることが決定されていくということが日本でもできないかと考えました。

 

子どもアドボカシーで社会を変える

 みなさん、子どものころに子どもの権利についてしっかり学びましたか? 子どもの時に子どもの権利について学んでいないと使えません。にもかかわらず学べていない子どもたちが日本には多いというのは本当に残念だと思います。それはそもそも、子どもの権利を教えられる教員がいないということに原因があると思います。それで先述の本の出版を考えたのです。

 とくにマイノリティの子どもたちにとっては、本当は一番守ってくれるはずの親が実は子どもの権利を知らずにいるために、後で遠藤さんのお話にもあると思いますが、LGBTであることだけで心が傷ついたり、家庭にいづらかったりということがあると思います。

 「ありのままでいられる権利」が子どもにはあるんだよということを、もっともっとマイノリティの子どもたち、そして周りの人たちに知ってほしいと思って事業を始めました。

 子どもが権利を知って参加することでエンパワーされるということを大事にしているので、一言では「子どもアドボカシー」と言えるかと思いますが、それによって社会を変えていきたいと思って事業をしています。

 

マイノリティの想いをすくい上げ、子どもと接する大人に届けたい

 では、なぜ外国にルーツをもつ子どものことに取り組みたいと思ったかというと、言葉ができないことで教員からかなりひどいことを言われたり、つらいことを話しても理解されなかったり、そもそもつらいことを話せる教員がいなかったりということがあります。親や社会も、外国につながる子どもには特別な権利を保障しなければならないと条約で規定されているにもかかわらず、それが理解されていないため、他の子どもたちよりもつらい思いをしている現実があるからです。

 LGBTの子どもたちとのワークショップを通じ、今回初めて多くの子どもや若者と話をさせてもらう機会がありました。まだまだ教員が性的マイノリティについて理解していなくて、教員自身が、イジメている同級生と一緒になってイジメる側になったり、正確な知識を持っていないために「一時的なものだ」と言ったりするということがありました。また、政府の対応も変わってきてはいますが、自殺対策としてのみLGBTの問題が扱われているということがあります。

 不登校の子どもの権利保障は、教育機会確保法ができて変わってきてはいますが、教育委員会まで下りてきても、教育委員会から学校までは法律の内容がおりてきていません。つまり、学校に行かなくても他の場所で学べる権利があると本当は不登校の子どもたちに知らせるべきなのですが、まだまだ学校に戻ってくるべきだと、学校を唯一の選択肢として通わせようとすることがあります。親も最近だと、最初は「いいよ、学校に行かなくていいよ」と言っていても、だんだん「学校に戻ってほしい」という思いを態度で示してしまうことがあると聞いています。社会がまだまだホームエデュケーションなど多様な学び方を認めようとしていません。

 そういう子どもたちに寄り添って活動している3つのグループと一緒に何かできたらと考えました。

 <すたんどばいみー>は、当事者の子どもたちが子どもの時につくったNPOです。彼女・彼らは教育支援を受けてはいたのですが、自分たちで「こうしたい」「ああしたい」と言ってもなかなか受け入れてもらえず不十分だったので、「じゃあ自分たちでつくろう」ということでできたグループです。

 <にじーず>は、今日登壇される遠藤まめたさんと知り合って、この文京学院大学でも教員研修や1年生全員に話をしていただくなかで、子どもたち自身のことを一番わかっているということからコンタクトパーソンとしてお願いして、池袋と埼玉のにじーずでワークショップをさせていただくことになりました。

 <東京シューレ>では、私がシーライツで活動する前から友人がたくさん働いていたこともあって、子どもが自由に意見を言う権利や、自由に学ぶ権利を本当に大切にしているところなので、不登校のことで苦しんでいる子どもの声を一緒に上げていけるのではないかと声をかけさせてもらいました。

 

 

 具体的にどのようなことをしたか少しお話しします。

 東京シューレの子どもたちについては、何度かスタッフの方とお話ししたのですが、ちょうど新しい子どもたちが入ってきたばかりで、まだ外部の人に自分の悩みを打ち明けられる段階ではない、もう少し時間が必要だということで、残念ながらワークショップは行えませんでした。今回は、彦田来留未さんが若者として「不登校の子どもの権利宣言」を普及する活動をしているので、ご一緒させていただきました。

 <すたんどばいみー>と<にじーず>では数回ずつワークショップを行うことができました。具体的には、まずは子どもに子どもの権利を知ってもらうことをアクティビティを使って行いました。

 子どもたちに知ってもらいたいと思ったことは、自分たちの声が、がんばれば、あるいは大人のサポートが得られれば、政府に届かなくても、国連子どもの権利委員会に届けることができて、それを読んでくれた国連子どもの権利委員会が日本政府に勧告してくれて、日本政府のやり方を変えることもできるんだ、そういうメカニズムが子どもの権利条約にはあるんだということです。

 そうして子どもの権利を知ってもらったうえで、「君たちには意見表明権があるんだけれども、どんな先生だったらいいかな、どんな学校だったらいいかな」ということを話してもらいました。

 <すたんどばいみー>のワークショップは子どもの権利について、いちょう団地というカンボジア難民やベトナム難民の子どもたちがたくさん住んでいるところで学習支援をしている教室で行いました。始めはいきなり外部の人が入ったので難しい面もありましたが、だんだん、子どもが楽しみながら自分たちの権利を知ってもらったり、自分たちの人生のなかで本当はこんなふうにしてほしかったということがあるんじゃないかということを、子どもの権利すごろくゲーム――大阪でよく活用されているものの真似――で考えてもらいました。3回目のワークショップで、先ほど紹介したタンちゃんというベトナムから来た女の子が先生と触れ合う中でどんな体験をしていったかということが書かれているスゴロク盤を読みながら、サイコロを振り、本当はもっとこうしてもらいたかったといったことを子どもたちに考えてもらいました。

 

 <にじーず>の子どもたちにも、NGOと一緒にオルタナティブレポートを書くと国連子どもの権利委員会に届けられることを話しました。子どもの権利にランキングはつけられませんが、自分にとっては何が一番大事かなと考えてもらってランキングをつけることによって、こんな権利もあるんだと子どもたちに知ってもらえるようにしました。子どもたちから、ランキングをつけながら話してもらったら、大人が気づかないようなことを言ってくれました。

 例えば、「カミングアウトしていない子ども学校には多いけれども、カミングアウトしてから慌てて対応するのでは遅いと思う」とあって、いつでもカミングアウトできる環境を前もって学校につくることが大事なんだなと思いました。

 「子どもの権利を知ってから、どんな気持ちになりましたか」という質問に対しては、「参加の権利について、子どもにも相手の権利を守ってほしいし、そのように教育できる大人が増えるといいと思う」という意見が出たり、「子どもの権利についてじっくり考えたことがなかったから難しかったけれども、大事だと思った」とか、「ランキングによって、人によって大事だと思える権利が違って興味深かった」という意見が出ました。

 最後に「いままでいろいろつらい思いをしてきたと思いますが、どんな学校だったら、どんな教育だったらよかったでしょうか。そして理解してほしいことはどんなことでしょうか」という点についてもアンケートに書いてもらったところ、公表してほしいという人の回答には、「同性愛についてクラスメートたちが差別的な発言をしたときに、一緒になってからかうようなことをしない先生」、「当事者のことを聴いてくれる先生」、「LGBTが求めることについて理解してほしい。秘密を守ってとか、発言気をつけてと生徒に言ってほしい」などがありました。やはり、相談できる先生、すぐに対応してくれるような先生や学校であることが願いとして多くの若者が上げていることかと思います。

 

 当事者と当事者でない子どもたちとも一緒のワークショップも行いましたので、また後でお話させていただきます。

 

 

 

――遠藤まめたさんのお話――

 

 <にじーず>というLGBTの居場所をやっています。甲斐田さんからワークショップのお話を少ししてもらいました。最初の2回は、うちに普段来ている子どもたちはのんびりしに来ている子たちが多いので、ワークショップでは、ボーっとしている人と一生懸命な人などいろいろな人が混ざっていました。3回目でワークショップだけで募集をして、当事者の人もそうでない人も来られる会にしたときは、「付箋にみんなが考えていることを書いて」と言ったら、始めた瞬間ぶわーと書き始めて、すごいなと思いました。

 

Kaida SJF(写真=グループ対話で参加者の話を聴く遠藤さん)

 

 

 思春期のLGBTと子どもの権利との関係や、普段取り組んでいることなどについてお話ししたいと思います。

 

 にじーずを紹介する絵は、参加者で絵の上手な子がいて、書いてもらいました。

 にじーずでは、普段は毎月1回、東京の池袋、埼玉、札幌の全国3か所で、いつ来ても帰ってもいい無料の居場所をやっています。お喋りをしてもいいし、レゴで遊んだり、マンガを読んだり、好きに過ごせるという場所です。10歳から23歳までのLGBTの子ども・若者が参加しています。年齢を区切っているのは、中高生の子たちから若者向けの方が参加しやすいという声があったからです。

 毎月1回しか<にじーず>はやっていませんが、他の日も学校と家以外の場所に行きたいという子たちはいて、池袋ですと池袋保健所の1階にもともと「エイズ知ろう館」という若者の性の健康に知ってもらう場所があって、20代のスタッフがいて、普段は雑談できたりダラダラできたりする場所で、そこと提携してやっています。だから、毎月1回の<にじーず>の日以外でも、月の半分くらいは、ここに行くといろんな話ができ、部活の話とか、今度アルバイトをしてみたいといった話とか、一緒に履歴書を書いたりできる場所になっています。

 札幌に関しては、札幌ユースセンターという毎日夜10時までやっている、フードバンクと提携してご飯を食べられる場所でやっています。

 地域のいろいろな団体や外資系と一緒に行っていることが特徴になっています。

 

多様な性の人がいることが当たり前の場所づくり

 参加者の声については、毎年アンケートをとるといろいろ書いてくれます。ここに参加する子は、最初は緊張していることが多いです。これまでの生活のなかで自分以外のLGBTの人を見たことがない、LGBTだと名乗っている人を見たことがない人がけっこういるので、いったいどんな人たちがいるのか怖い子もいるようです。また、ここに参加することで、自分がLGBTだということが決まってしまうのではないかという恐怖や、決めなければいけないのではないかとか、いろいろな気持ちを抱えて参加する子が多いです。最初は、同性愛かもしれないとか決めなければいけないのかと緊張していた人も、参加してみると、趣味もいろいろで円周率が20桁まで言える人がいたりして拍子抜けというか、「いろいろな人がいるよね」という感じになります。

 今年8月に活動報告会を行った時に参加者の子が話していたのは、「最初は緊張していたけれども、最近はダラダラするために参加している。なかなかのんびりできる場所がない」ということでした。

 

 毎年11月に池袋で若者が集まるエイズフェスという性や性感染症について知ってもらうイベントがあるのですが、そこにブースを出して、レインボーアクセサリーといういろいろな色のアクセサリーを販売しています。

 

LGBTかもしれない子どもにとって理解ある同級生がキーパーソン

 LGBTの子どもたちには5・6歳の子たちもいるのですが、ここでは思春期、うちに来るだいたい中高生ぐらいの年齢かそれ以上の子たちについて話します。

 うちにくる子どもたちが、そうかもしれないと思った時に最初にうちあけるのは、同級生です。そして、いちばん打ち明けづらいのはだいたい家族です。というのは、家族の場合はもし分かってくれたら一番うれしいし、いちばん心強いですが、もし分かってもらえなかったら、いちばん悲しい人だから打ち明けにくいというのがあります。

 学校の研修によく行きますが、先生方は生徒の悩みに対してだいたいいつも「信頼できる大人に打ち明けてね」と言いますが、この年代のLGBTに関して言えば、最初に打ち明けるのは8割と圧倒的に同級生です。大人に話すかというと話しません。だから「信頼できる大人に打ち明けてね」というのは限界があります。

 どうしたらよいかというと、同級生がこの問題について理解があるかどうかが大きい発効要素になります。キーパーソンは同級生です。

 またよく、個別支援をしたらよいのではないかと言われるのですが、それもできません。なぜかというと、だれがそうだか分からないし、自分がそうだと言ってくれないからです。なので、そうかもしれない子を大人が見つけ出して、その子の話を聞くということも実際にはなかなかできません。たまに、明らかにそうかもしれないという子がいる場合もありますが、9割位の子は分からないでしょう。

 環境がもともとLGBTなど多様な性の人がいることが当たり前の場所になっていないといけない、環境を変えないといけないと思います。

 

若者同士の力を役立てて生きやすい環境づくりを

 二つの考え方があると思います。

 一つは、ハイリスク層としてこの年代のLGBTの子どもたちをとらえる考え方があると思います。実際にいろいろなことがデータから言われています。

 制服が主な原因ですが、学校に行けなくなる。性同一性障害という診断を持っている人、診断を受けようとする人の3人から4人に1人は、制服が主な原因で不登校になります。最近は制服を選べる学校が少しずつ増えてきましたが。

 ゲイやバイセクシュアルの男性に関しても自殺のハイリスク層だと言われています。その背景には、平均21歳になるまで自分みたいな人の友達ができないことがあります。これは数千人への調査結果です。でも自分がゲイかもしれないと最初に思うのは平均13歳ぐらいだそうです。13歳から21歳までの8年間、自分みたいな友達が見つからないから孤独だったりとか、もしそのことを周りに話したらいったいどういうリアクションをされるか分からない不安だったりして、メンタルヘルスが悪くなることが指摘されています。これがハイリスク層としての捉え方です。

 

 もう一つの考え方が、若者を資源としてとらえる考え方です。先述のように、若者のLGBTに関してはキーパーソンは圧倒的に若者です。なので、若者同士の力をどうやって上手く使うかが、生きやすい環境づくりのうえで非常に重要になってきます。自分がそうだと打ち明けた場合に「ああそうなんだ」とそのまま友達でいるのか、それとも、他の人にばらしてしまうのかによって全然違ってきます。若者がどういう状況であるかが非常に重要です。

 各種統計で言われていることですが、若い世代の方がLGBTに関して圧倒的に好意的にとらえています。たとえば同性婚について賛成か反対かというアンケートがありますが、20代・30代の人は78%が賛成です。そしておそらく10代では8割から9割が賛成でしょう。これは世代が上がるほど反対の人が増えていきます。圧倒的に若い世代の人は、自分が好きなユーチューバーや声優さん、漫画・映画などでLGBTの人に身近に触れていますから、関心の高い人が多いです。

 ある企業で研修をさせていただきました時、そこの人事部長が、ゲイを描いた『弟の夫』という研修で使ったマンガを家で読んでいたら、10代の娘に「ああ、お父さんて、こんな本読むんだ!」と言われて「会社で使うから読んでるんだよ」と言ったら「私はそれを3年前に読んだ」と自慢されて、うっと思ったそうです。

 若い世代の方が関心の高い人が多いので、クラスに何人かいるであろう興味のある子に役立ってもらえるとよいのではないかと思います。マンガなど参考になる資料を学校に置いてもらって、若者で感心のある子に話題にしてもらえるような環境をつくることも考えられます。

 

先生にお願いしたいこと 包括的な視点からも

 『先生にお願いしたいことリスト』を、今年の3月に高校生と一緒に作りました。面白いのは、LGBTに限った話ではなかったことです。「女はこうしろ、と決めつけないで」というのLGBTに限った話ではないですし、「修学旅行の時のお風呂を、理由を言わないでも個室入浴可にしてほしい」というのも、LGBTに限らず中高生に聞くとお風呂を他の人と一緒に入るのは嫌だという人は結構いるのです。先生にこれを言って断られる時の理由は、他の子も一人で入りたがるからダメだというものです。他の子も一人で入りたいなら、みんな一人で入れるようにしたら、その子も幸せなんじゃないかと思いますが。「理由を言わないでも個室入浴可ということを情報として教えてもらえたら行くかどうか自分で決められるといい」みたいな意見もあって、なかなか面白かったです。「実はLGBTに限らずいろんな子が生きやすい環境になるんじゃない」みたいに、より包括的なLGBTに限らないことを考えている子が割りといました。「根本的に制服っているの」という意見も出ました。根本的な意見が出ると先生は焦ったりしますが。そういう意見がでるのは若者の特徴だと思います。

 

「怖くて言えない」「聞いてもらいにくい」――子どもの権利を侵害していませんか

 子どもの権利との絡みで考えるといろんなところに関わってきます。

 「教育を受ける権利」に関しては、先ほど制服が着られず学校に行けなくなるという話をしましたが、そんなことで学校に行くことを制限されることは非常によくない。このあいだ聞いた話では、男子トイレに行けなくなって学校に行かなくなった子もいました。そういう環境でいくらでもどうとでもなることで制限されることは好ましくない。

 「表現の自由」ですね。自分がLGBTであることを怖くて言えないというのは、自由に自分らしく日ごろ過ごすということが偏見などによって阻まれている状況だと思います。

 「集会結社の自由」も、けっきょく隣の席の子が同じようにゲイかもしれなくても、怖くてみんな黙っているから友達になれないわけです。みんな自分は一人だと思ってしまう。なので、怖くて言えないということは集会結社の自由の制限につながる可能性があります。

 プライバシーや名誉に関しても、プライバシーは意外と守られません。勝手に家族にしゃべってしまう先生とか、勝手に担任の先生にしゃべってしまう保健室の先生とか、たまに話題になることがあって、それをされると怖くて誰にも話せなくなるので、これも重要かと思います。

 「意見を表す権利」ですね。これは表現の自由と似ている部分はありますが、そもそも自分がそうだということを言うことが難しいし、気がついたことがあっても気がついたことを言い出しづらい。たとえば、制服を変えたいと言ったとしても、聞き入れられるとは限らないので、意見を表現しづらかったり、聞いてもらいにくかったりします。

 

先生も子どもたちと一緒に学ぼう 大人にもオープンに考えられる出会いと言いやすい環境を

 日々、学校に行ったりして思うことが多くあります。

 一つ目は、大人は知らないことを子どもたちに教えることは難しいですし、まず自分がそのことを知らないと、学校の環境をよくすることは難しいと思います。なので、まず、子どもたちも言っていますけれども、大人、学校だったら先生が、こういうことについて学ぶ機会が必要だと思います。

 知らないことを前提にして、大人が知らないことをどういうふうに学ぶかという姿勢は、子どもたちにとって勉強になります。授業で教える際にも、先生がなぜこのことに興味を持つようになったかを話すと、子どもたちはちゃんと聞きます。たとえば、先生に実は昔LGBTの友達がいてという話をしたりとか、卒業生でLGBTの子がいてという話をしたりすると、子どもたちはちゃんと聞きます。一緒に学ぶ姿勢を見せる。先生が何もかも正しいことを知って教えるということではなく、クラスの中にいる詳しい子と一緒に、みんなが見て勉強になることって何だろうと考えることもいいと思います。子どもの方が詳しいことも結構あります。

 「彼氏いるの? 彼女いるの?」ととりあえず聞くのは止めましょうとか本を見ると書いてあり、それは重要なことですが、好ましい身につけたほうが良いことと、本当にそれを心の底から理解していることがセットでないと長続きせず、教えることは難しいと思います。

 ああしちゃいけない、こうしちゃいけないということだけだと、どうしたらよいか分からなくなる。どうしたらよいかということをオープンに考えられるような、いろんな人と出会って学習したりできるとよいと思います。

 大人の間でも理解度が異なります。A先生はよく分かっているけれどB先生は分かっていなくて、その学校では無理だと思う、みたいな場合があります。大人同士でも「私はこう思う」と言えるような環境がないと、学校では難しいのかなと思います。

 

子どもの気づきや意見を先生が一緒に考え、よりよい環境づくりを

 にじーずで子どもたちは「学校はクソだ」とか言うのです。「何がクソなの?」と聞くと、「中学校にLGBTの本が一冊もない」、「先生が授業中にLGBTの本がキモイと言ったので、シャーペンの芯でガジガジガジとやって抗議した、そういうこと言うの止めてほしい」とか言うのです。図書館に本をリクエストするのは名前を書かなくてもできるのです。リスクが少なく、自分がLGBTだと言わなくても図書館に本をリクエストできるわけです。リクエストすると案外、本が入ったりするのです。それで本が入ったら、その子はむかつくだけでなく、やってよかったなと思える。その本が入っていないことをクラスで気づいているのはその子だけかもしれない。その子の気づきは他の子にも役に立つわけです。そうやって気がついた時に何かアクションができないかということを一緒に周りの人が考えることは、その子のエンパワーになります。

 学校でLGBTについて教えてほしいと高校生で先生にお願いしに行った人がいて、学校でやってくれたのです。意見を言って通らないことも多々ありますが、意見を言って通りそうな場面では、それを子どもと一緒に考えて実現できると、子どもの力をつかって非常によい環境がつくれると思います。

 

 

 

――彦田来留未さんのお話――  

 

 私自身の不登校の体験が軸となって活動をずっと続けているので、まず私自身の話をさせてください。不登校を経験した一人の人の話だと思って聞いていただけたらなと思います。

 

 私は小学校4年生の時に不登校になりました。不登校になった理由は、転校先の学校でなじめなかったことです。そこでは嫌がらせをする子が多くて、すごく緊張した状態で学校に通っていました。私は嫌がらせをされたりしていたと思っていたけど、私だけでなくクラスのいろんな人が嫌がらせをされたり物が無くなったりという毎日で、騒いだりする子がいて授業があまり成り立たず学級崩壊のようなクラスで学校に通っていました。先生もイライラしていて、私は質問があっても聞きだせないような緊張感が常にある状態でした。

 1学期の間はがんばって学校に通ったのですが、2学期の始まる9月1日は学校が苦しくて自殺する子が多いと言われていますが、私も9月に学校に行くことがしんどくて、ある時、月曜日に学校に行けなくて、そこから学校に行けなくなりました。そして、学校に行ったり行かなかったりすることを繰り返すようになりました。

Kaida SJF

「学校に行きたくない」と言うことは許されないと思っていた

 みんなが学校に行っている時間帯に家にいることの罪悪感がたくさんあって、学校を休んでいるのですが全然休まらない状態で毎日をすごしていました。半年ほど、学校に行ったり行かなかったりする日が続きましたが、その間じゅう、「私は学校に行きたい」と言い続けていました。学校に行きたくないのが本当の気持ちだけど、学校に行っていない人なんて自分以外に見たことがないし、「行かない」「行きたくない」と言うことは許されないと思っていて、「学校に行きたい」と毎日言っていました。母もそれを受けて、私が学校に行けるように一緒にがんばってくれるのですが、本当は行きたくないから、行ったり行かなかったりを繰り返す。学校に行くと体調を崩す、学校に行こうとするとお腹が痛くなる、熱を出すという身体症状がありました。学校に毎日行っていた時から、もう既に、朝早く起きてしまったり、ご飯が食べられなかったり、ストレスによって不眠状態や食欲が無いなど、体力がぎりぎりの状態でがんばって学校に行っていました。

 あるとき母が「もう、いいんじゃない」と言ってくれて、私は本当にこんな状態で学校に行きたいんだろうかと、母の言葉で私は「学校を休もう」と思うようになりました。そこから、学校を半年ほど家で休むのですが、その間じゅう、やはり不安いっぱいで、「学校に行っていない自分はなんて最低なんだ」と思って、「学校に行っていない自分はもう生きている価値はないんだ」と思い、小さなことで自分を何時間も責め続けて泣いたりという生活でした。

 

「自分以外にも不登校の人っているんだ」と思い初めて何年もの疲れがとれた

 そこから、フリースクールの東京シューレに出会うのですが、そこで初めて、「自分の楽しい時間を過ごしていいんだ。学校に行かないで生きている人がいるんだ。笑って過ごしていいんだ」と初めて心から思えた瞬間でした。始めて行った日に、私はこれから東京シューレに通うんだと思って、そこからメンバーになりました。それまで、学校に行かずに育って大人になった人に出会ったこともなく、学校以外の場所に通っている人がいることも知らなくて、そこでやっと安心できた思いでした。

 安心できたことによって初めて、「休んだ」と感じました。それまで、どんなに眠っても家にいても休まらなかったのが、「自分以外にも不登校の人っているんだ」と思って初めてやっと休めた形で、何年も学校でつらかった疲れがやっと取れた感覚でした。

 そしてフリースクール・東京シューレに通っていろんな活動をしていくのですが、ホームエデュケーションで育った時期もあって、中学校とその後の年齢の3年ちょっとの間も家でずっと過ごして育ちました。ほとんど家を出ないけれども、シューレで出会った人とつながって交流しながら暮らしていたという経験を持っています。

 その後、東京シューレにまた通うようになって、みんなといろんな活動をしました。シューレはミーティングで活動を決めていきますが、そのなかに、子どもの権利を学ぶ講座ができました。私もそこで初めて子どもの権利を考える時間ができました。

 

 子どもの権利条約のなかで不登校と照らし合わせて当てはまることや関わることはたくさんあります。

 「子どもの最善の利益」、「教育への権利」「休息の権利」などがあります。「子どもは教育を受ける権利を持っている。それを満たすために学校に行く。でもさまざまな理由で不登校状態になる子どもがたくさんいる」。私たちは学校が苦しいという思いをしていて、たくさん傷つきました。学校でも傷ついたし、学校に行かなくなったことによって社会から傷つけられるようなことがあったり、先生からだったり、親からだったり、いろんな場面で傷つく場面がありました。そうやって傷つきながら苦しい思いをして不登校になって初めてフリースクール等、学校以外の生き方を知るのです。そういう子がほとんどで、私もそうでした。

 「子どもの最善の利益は学校に行くことなの?」。これは私たちが子どもの権利を深めていくなかで、「学校以外の生き方、不登校の子どもの権利を知ってほしいよね」という思いにつながっていきます。

 子どもの権利を学び始めたきっかけは、ユニセフハウスというところに行って、ユニセフの活動をみんなで身に行こうという企画がありました。その時、ガイドをしている人に、「日本に生まれて育っている君たちは恵まれているんだよ」と言われました。でもそれを言われた時に、「確かに日本は恵まれている場面もたくさんあるけれども、自分たちは学校でこんなに苦しい思いをして、子どもの権利が守られてない状況がいっぱいあったんじゃないか」と思ったことがきっかけとなって子どもの権利を学んでいこうとなりました。

 子どもの権利を学んだことで、「自分たちの不登校の子どもの権利を伝えたいよね」と思うと、「子どもの権利条約が全然知られていない、子どもの権利を知ってほしい」との思いで、『不登校の子どもの権利宣言』を作りました。

 

安心してすごせる居場所を

 『不登校の子どもの権利宣言』は前文から13条まであります。また、各条文の解説文として自分たちの経験談を書いたものもあります。どの条文も大事ですが、少し抜粋して説明をします。

 最初の「教育への権利」のところでは、「義務教育は、子どもが学校に行くことが義務じゃないんだ」ということを示しています。義務教育というのは子どもが学校に行くことが義務なんだと勘違いしている子どもがたくさん今でもいます。フリースクールに通っているけれども自分たちは義務違反をしていると思い込んで来ている子がいます。そうではなく、私たちには教育への権利があって、学校へ行く行かないを自身で決める権利があります。そういう誤解を解きたくて最初に入っています。

 3つ目に「学び・育ちのあり方を選ぶ権利」があり、「学校以外のいろんなところで学んでもいんだ、それはみんなが持っている権利なんだよ」と説明しています。

 「4.安心して休む権利」があり、私は一番大事なのではないかと思っています。先ほど甲斐田さんの話にもありましたが、たとえば学校に半年ぐらい休んだら親が「そろそろ学校に行けば」となってしまうこともあります。たとえば一週間ぐらい体調が悪いから休んだ時、「一週間休んだんだから、じゃあ学校に行きなさい」ではなくて、私自身がそうであったように、何年もかからないと学校での苦しさが癒えない人もいるし、安心して休むというのは、安心して休める環境で「安心していいんだよ」と言ってくれる人がいて初めて休める、ということを伝えたくて、権利宣言に入っています。

 「6.差別を受けない権利」は誰しもが当たり前に持っているはずなのだけれども、不登校をしたことによって突然無くなってしまう権利があると思います。「学校に行っていないから、あの子と遊んじゃだめだよ」と言われる子がいたり、きょうだいの中でも学校に行っていない自分だけ差別されてしまったりすることもあります。

 「9.プライバシーの権利」も似たような感じで、不登校になったとたんにプライバシーがなくなるという感覚。たとえば、自分が家で過ごしていて一日中寝ていた、ゲームをしていた、テレビを見ていたということを親が勝手に先生に話してしまうことは誰しも嫌なはずだけれども、心配しているからこそ言ってしまう親の気持ちや聞いてしまう先生の気持ちもあるとは思いますが、でも私たちにはプライバシーの権利が不登校をしていてもあるんだよ、ということです。それから、不登校になったことで、親が心配で、携帯や机の引き出しを勝手に見てしまうということもあります。

 

 私たちは、この『不登校の子どもの権利宣言』を作って10年間、広める活動をしてきました。この普及活動を続けてきて10周年を記念して作った映画、『不登校の歴史と今』がありDVDとなっています。

 今日はこの10周年のもう一つの企画、フリースクールに通う子どもたちがつくった動画があるので、見ていただけたらなと思っています。この動画は子どもから子どもに伝えたいこと、それから親から親に伝えたいことが込められています。「子どもは親が理解してくれないと安心して過ごせないんだ、家が居場所にならないんだ」みたいなことを意見に出してくれました。これはいまフリースクールに通っている子どもたち自身が意見を出し合って作っていった動画になっています。

(※この動画はYoutubeからご覧いただけます https://youtu.be/m7KKzvkST8s )

 この動画はみなさんからも活用していただきたくて広めてもらえたら嬉しいなと思います。

 

「苦しい」が当たり前、「頑張る」が当たり前になっている人もいる 休む権利を

 いま、動画に出てくれたメンバーと子どもの権利について考える時間を東京シューレで持っています。また、この10年間、『不登校の子どもの権利宣言』を普及する活動を一緒にしてきたメンバーのいろいろな意見を紹介します。

 不登校を経験したみんなの声で、感じたこと・思ったこと・今思うことです。

 「なまけ、ずるい、大変だね、不良などのイメージを持たれる」。けれども、逆に、「不登校は楽だと思われる。大変なこともあるのに」もあります。

 「“あなたのためを思って”言ってくる(勉強や学校のことなど)」。

 「休まらない」の話では、「家にいると『何かやらなきゃいけない』と思ったり、何かを言われて気持ちが休まらない」。例えば、「家にいるんだったら勉強しなさい」とか「お手伝いしなさい」とか言われて休まらない。

 「学校を休み始めたら、子どもはもう限界なんだ」。

 「先生が不登校について知らない、理解していない、知る姿勢がない」という厳しい意見もあります。

 「社会性がどうだとよく言われるが、家もひとつの社会」。

 「病気にならないと不登校になってはいけない、誰かの許可がないと休めない、と思っていた」

 「マンガ、アニメ、小説などでの不登校のとらえ方がまだまだ古い」については、マンガ等だと、「学校にがんばって行こう。がんばって行けたね、やったー!」で終わってしまうみたいなものが多い。

 

 こうだったらいいなと思うことについても聞きました。

 「学校外の選択肢や生き方を知らないから子も親も不安になる。もっと教えてほしい」、「学校に行かなくなった、その先の生き方を教えてほしい」。これは、国の仕組みや考え方は変わってきているけれども、多くの人の価値観が変わらないと難しいし、いろんな生き方があることを知らないと安心できないということです。

 「先生から、フリースクールやホームエデュケーションについて知らせてほしい。でも、先生だって大変。先生が学べるような仕組みをつくる必要がある」。これも子どもから出た意見です。

 「教員を目指す人たちに、不登校のことをちゃんと理解して考えてほしい」。

 「ただ休ませて“あげる”のではなく、子ども自身が自分に、休む権利があると感じられることが大事」。

 「苦しさのレベルは人それぞれ、限界まで頑張らなきゃいけないの?」これは、いまテレビで「死ぬぐらいつらいなら学校を休んでいいよ」というメッセージも出ているけれども、そうではなくて、「ちょっとの辛さでも休んでいいんだ」ということを言ってほしい。

 つらさの度合いは人それぞれですし、「自分は学校につらくて行けないんだ」と思えない人もいる。というのは、「苦しかったら学校を休んでいいよ」と言われても、「苦しい」が当たり前になっていて、「頑張る」が当たり前になっている人にとって、「自分は本当は休みたいけれども、休んでいいんだ」と思えるかどうかと言ったら、どうなのかな、休めないんじゃないかな、「自分はつらいんだ」とか「苦しいんだ」と表現できないんじゃないかなという意見が出ていました。

 

不登校の子が声をあげる負担感 声をキャッチし広めてくれる人がたくさんいる世の中を

 不登校について発信することについての意見です。

 「子どもから声をあげにくい」。

 「『出る杭は打たれる』という感じがする」。やはり不登校のことで知ってもらいたくて発信してインターネットで叩かれている人の姿を見ていると、自分たちは言いにくいし、自分たちも言うと嫌なことを言われたりすることがあるとのことです。

 「発信しても、届かない」。

 「声を上げるにも、お金がかかる」。インターネットだけでなく、自分たちが足を延ばしていろんな所に発信しに行っているけれども、それはすごく個人個人の負担が大きいよねということ。私は、精神的にも金銭面でも個人の負担を感じているのではないかと感じます。

 一人ひとりが意見をもって発信することができるとは思うけれども、社会を変えていくために自分たちが必ず声を上げないといけないのかな。もちろん声を上げなければ社会は変わっていかないというのはあるけれども、変わってほしい、だったら自分たちだけがこんな思いをして頑張らなければいけないのかというと、本当はそうじゃないのではないかな。

 不登校の人たち一人ひとりがこんなふうに苦しんで思いを発信するのではなく、みんなが声を上げていけるような世の中、あと、子どもたちが出した声をキャッチして一緒に広めてくれる人がたくさんいるような世の中だったらいいなと思っています。

 

 

 

――パネル対話―― 

 

甲斐田さん) お二人ともとても大事なメッセージをたくさん伝えてくださいました。私も彦田さんがそんな思いで不登校の生活を送っていたんだというのは初めてじっくり聞いて、彦田さんですら「自分は最低、生きる価値がないんだ」と思っていたんだなと改めて知りましたが、そう思わせてしまう私たちの社会というのがあるんだろうなと思いました。

Kaida SJF

 

多様なマイノリティに共通する思いや要望に気づきエンパワー

 二つ考えさせられました。

 一つは、この3つのグループと関わって、3つのグループの求めていることがとても関連していると思いました。

 たとえばLGBTの子どもたちが求めていること――先述の『先生にお願いしたいことリスト』――に書かれていたことが、じつは大多数の子どもたちも求めていることだったりする。お風呂の個室入浴を求めることなどもそうだと思います。

 『不登校の子どもの権利宣言』にも、大多数の子どもたちが求めていることがたくさんあると思います。安心して休める権利や、プライバシーの権利などもそうだと思います。

 一方で、複合差別というのでしょうか、いくつもの差別を受けている子どもたちがいます。最近、子どもの権利条約フォーラムがあった時にLGBT当事者のNGOの方がおっしゃっていたのですけれども、「交差性」または「インターセクション」、差別が交差するということがあると。たとえば、LGBTの子どもたちがトイレに行けず学校に行けなくなったとなると、LGBTであり不登校であるという二重に苦しい思いをしていることになります。もしかしたら、外国につながる子どもたちが、LGBTで学校に行けなくなる場合があるかもしれませんが、三重にも苦しい思いをしたり差別を受けたりすることがあるのかなと思いました。

 その意味で、マイノリティの子どもたちが、お互いに違う状況であったり、違う多様性ではあったりするけれども、同じ苦しい思いをしていたり、求めることが同じだったりするときに、それを普遍化し、一般化することができるのではないか。不登校の子どもだけじゃない、LGBTの子どもだけじゃない、外国につながる子どもだけじゃない、もっともっと広く訴えていける子どもの権利なんだと共に気づきあって、エンパワーしあうことができるのかなと、今のお二人の話を聞いて思いましたし、子どもたちに会った時も思いました。

 似たような経験があったのは、私がインドに住んでいた時に、児童労働の問題に直面している子どもたちが全国大会でインドからだけでなく、ネパール・バングラデシュから集まったことがありました。子どもたちが互いの話を聞いているうちに、「自分と同じような体験をしているんだ」と気づき合っていったのです。それで、「じゃあ一緒に闘うことが大事なんだ。自分だけがひどい扱いを受けているのではなくて他にも同じような体験をしている子どもがたくさんいるんだ、じゃあ一緒になって運動を起こしていこう」と考えていく場面に立ち会いました。

 こうした思いを持てるという意味で、マイノリティの子ども同士がつながっていくともっといいんじゃないかなと思いました。

 現実問題としては、自分たちのことで精いっぱいで、学校でも家庭でも苦しい思いをしていた子どもたちが、ほっとする場所が<にじーず>だったり、東京シューレだったりするので、まずはほっとして本来持っている力を回復することが大事だと思います。でも、その先にエンパワーメントがなされていったら、そういった連帯ができるのかなと思いました。

 

マイノリティかマジョリティかを超えて

 もう一つは、当事者と当事者でない子どもたちが一緒になってワークショップを行うことの重要さも感じています。「LGBTQが安心して過ごせる学校について考えよう」というワークショップを子ども・若者向けに行ったことがあります。

 当事者の子どもだけの居場所はとても大事だと思います。安心して意見を言える、仲間だけで居られる安心できる場を確保することは大事です。でもそれだけでなく、もっと自分の意見を言ってみたい、他の人とも知り合いたいという子どもたちの場として、そのワークショップを設けました。

 さまざまな非当事者の子どもがそこに参加していて、特に興味があったわけではないけど知りたくて参加したという高校生もいたのですが、自己紹介の時に「自分の周りにLGBTの子どもはいなかったのですが、もっと知りたいと思って参加しました」と言っている最中に「あれ、いるかもしれない」気づいたのです。遠藤まめたさんがその子のことを見ていて「今、気づいたね」と言う場面がありました。

 そういうふうに、子どもは障害を持った人たちと学ぶなかで――インクルーシブ教育が日本では少なくて問題だと思いますが――、出会いによって気づくことはたくさんあると思っています。マジョリティの子どもたちが理解を深めていって、一緒になって運動を起こしていくことによって変わることがあるのではないかと思います。子どもたちの理解が増えれば、「学校に行っていなくて、ずるい」と思うのではなくて、「今の学校がそんなに嫌だと思う学校になっている、ということを一緒に考えようよ」となっていったり、「LGBTの子たちが学校ではそんなに嫌な思いをしているのだったら、どういう学校が行きやすい学校なのかな」と考えるようになっていき、それはもしかしたら、一人ひとりにとって行きやすい学校、楽しい学校になるのではないかなと考えました。

 

 

遠藤さん) 補足をすると、LGBTも お互いのことを分かっていないことが多発します。たとえばレズビアンの女の子と思われる子が部屋に入っていて「わぁ、女子率、高ー!」と言って、帰る時に「今日は初参加で、女子率高いと最初は言ったのですけど、そうやって性別を決めつけるのはよくないと思うので、謝ります」と言ってくれました。そういうことがポイントである集団だとは思います。

 

 一つ質問ですが、学校と家族の話が多かったと思いますが、子ども食堂など最近増えているサードプレイスみたいな地域の資源をこれまで子どもたちと利用してみてどうだった、というような話は出ていますか。

 

彦田さん) 私の身近では出ていないです。というのは不登校の子どもが地域につながるのが、すごく難しいです。やはり学校に行っていないで地域の人と会うと「あの子学校に行っていないね」という話が出てしまうと思うとなかなか通いづらいし、その地域の友達と関わりにくい。東京シューレに通ってくる子たちは、だいたいは家から少し離れているから安心して通って来られるというのはあると思います。

 

遠藤さん) ありがとうございます。じつは<にじーず>でも子ども食堂とかいって、お節介をやかれるのです。放っておいてほしいという意見が出ていて、一方で行っている子もいるのです。そういう距離感はどの辺がいいのかなといつも悩ましい。それこそ「彼女いるの?」と聞かれた瞬間に、近所の人とご飯をつくって食べるよりは、もっと一人にしておいてほしいという意見も出たりするので、地域の人との関わり方を研究していきたいと思っています。

 

甲斐田さん) いま学校も文科省から通達があったりして、LGBTの子どもたちに配慮しなければいけなくなり、先生も変わっていかなくちゃと思っているところがあると思います。

 にじーずの「先生にお願いしたいことリスト」を使って、先述の当事者と非当事者の子ども・若者たちが一緒にワークショップをした時に、「こうした対策や要望があるけれども、自分にとって一番大切なものは赤シール、2番目に大切なものは青シール、3番目に大切なものは黄シールを貼ってください」と言ったら、みんな大事だから選べなかったようで、ほとんどの項目にシールがつきました。みなさんにも、遠藤さんと彦田さんの話を聞いて身近なところから大事だと思うことなど考えていただけたらと思います。学校や先生にとって、どのように変わっていったらよいか指針になると思います。

 

 

 

――グループ発表とゲストのコメント―― 

~グループ対話を行い、それを会場全体で共有するために発表しあい、ゲストにコメントいただきました~

 

(参加者)

「子どものキーパーソンは子どもだね、若者の力で子どもがエンパワメントされていくことができるのではないか、という意見が出ました。一つのキーワードだと思っています。それから、子どもがエンパワメントされるには、まず大人が子どもに選ばれる大人になることが必要だよね、ということ。だけど頭が固い大人に何をしたらよいかというと、研修だよね。その研修が目指すものは何かと言ったら、スペシャリスト像というものを作っていくと行政も研修に予算をつけやすいという話。だけどスペシャリスト像というのが一つに固まっていないので、じつは『あんた可愛いいね』と言われるだけで傷つく子どもがいるということをまず知ってもらうという段階的なステップがあるということでいいんじゃないか、ということになりました。

 マイノリティが権利を主張することへの偏見やバッシングがあることが問題。でもそれは、エンターテインメントの力で解決できるかもしれない――これは若い方の発想だったのですが――、そういうところに私たちは期待したいね。これらがこのグループから出た大きな意見でした。」

 

「LGBTQの意味を遠藤さんに質問しました。Lがレズビアン、Gがゲイ、Bがバイセクシュアル、Tがトランスジェンダー、Qはクィアまたはクエスチョンの意味です。クィアは英語でオカマとか変態というもともと侮蔑的に使われていたものを当事者が肯定的に使うようになったもので、クエスチョニングは性のあり方を決められない、決めたくないという方です。レズビアン・ゲイ・バイセクシュアルは誰が好きかということで自分の性別は関係ない。トランスジェンダーは自分の性に違和感がある、体と心の性が違う。

 そういうふうに苦しんでいる子どもについて、一つ印象的な事例が出て、ソフトボール部で活躍している女の子がいたと。でも制服はズボンを履きたいと。そしたら『あんた、女子ソフトボール部にいるの、おかしいんじゃないの』と言われて、すごく運動が好きな子なのに、ソフトボール部にいづらくなったという事例を教えていただきました。そういう生きづらさがあるんだなと思いました。

その子が自分で『自分はこちら』と選んで、周りがそれを『いいんじゃない』のとみんなが受け入れてくれて生きていけば、誰も苦しまず、誰の不都合もなく生きていけるのにねという結論になりました。それはすべてのこと、学校のことや性別のことだとか、いろんなマイノリティの人たちが自分の選択も言えて、それを周りが自然に受け入れてくれるという世の中が一番生きやすいという結論になりました。」

 

「教員や保護者もいま大変な状況にあるので、何々をしてくれないとか、何々ができないとか言うと大変なんじゃないか。そういう人たちも含めて、どういう形でしていくのがいいのかと話し合いました。

 子ども食堂をしている方もいらして、地域で子どもを育てたいという話がありつつも、先ほども話が出ましたが、別のところから、少し遠いところのサードプレイスに行って安心できることもあり、子どもが自然に選べるようになればいいのではないか、自分の地域にある居場所を選ばなくてもよくて、子どもが選べるようになればいいという話もありました。

 LGBTのことや不登校のこと、子どもの権利そのものが知られていないという話もありつつ、じつは先生や保護者が知っている場合もある。腑に落ちていないケースはあるかもしれないけれども、一方で腑に落ちていて知っているんだけど、それを動かせない、現場で生かせないという人たちもすごくいる。それは制度の問題でなかなかできなかったり、予算の問題でトイレが男女に分かれたままだったり、組織の力関係のなかで判断されたりしていることもあるだろうと。でもそこは希望でもあるよねという話もありました。

 子どもの権利そのものが、社会の中に浸透していない。LGBTの話とか、不登校の話は聞くことがあるし、上からやれということもあるけど、子どもの権利となると知られていない。本当は、子どもの権利がしっかり知られて生かされていれば、個別の話で対応するのではなく全体的に網羅した形での対応に生かせるのにという話もありました。」

 

「困った時とか、親御さんが子どもに何かあれっと思って、情報を得ようと思ったとき、必要な情報にアクセスするのが難しい。でも相談先はたくさんないですか。にじーずや東京シューレさんのように代わりの手段もあるにもかかわらず、なかなかそのことを知ることができない。長い期間たってから、そんな自分にあった場所があったんだと知る。情報がたくさんありすぎる。選択肢がたくさんありすぎることも、良し悪しの判断が難しくなってしまうという意見もありました。

 子どもが小さい時は保健所など専門的な知識を持った方にお話しができる場所がいろいろあったのが、小学校に入ったとたん、そういう場所がなくなる。学校で先生に聞けば何とかしてくれるだろうと。第三者に意見を聴ける場所が、小学生や下手したら大人になっても、あるといいのではないか。 

 同調圧力が本当に強くて、意見を言った人へのバッシングにつながっている。若い人がとくに感じていますが、大人も集団や組織のなかで生きていくと見えないけれども感じている。これが無くなっていくと言いやすくなって、周りも言ってくれれば気づくので、それぞれ自分がしたいことや変えたいことがかなえられて、みんなが生きやすい世の中になっていくのではないか、となりました。」

 

「多様な生き方がもっと広がると、それが子どもたちに届くといいですね。とはいえ子どもたちが夢を持った時に、こんな生き方をしたいとなった時に、学歴や資格などいろんな課題が出てきて、それが無いと認められない社会が変わっていくといいね。子どもたちが多様な生き方を目指したときにそれをサポートできるルールがまだ足りないねという話になりました。

 にじーずの話を聞いて、不登校の子どもたちと共通点が多い。いちいち理由を求められてしまうしんどさとか。

 不登校の子ども権利宣言は、“不登校”というカギカッコをつけずに、いろんな人たちに当てはめて読んでほしいという願いを彦田さんから聞きました。この宣言が10年たって、社会の法整備や理解が進む一方で、地域格差がまだまだあるそうです。居場所が都心では増えても地方ではまだまだ少ないという課題もあり、それはLGBTQの活動とも重なるのかなと思いました。

 問題は見えにくい。傷ついていることが無かったことにされてしまう。まずは知ることが大切ではないか。知っている人は理解を深めるが、無関心な人にどう関心を持っていただけるか。無関心は、子どものころから自分の意見を持ってはいけないような、出る杭は打たれるという話もありましたが、何か自分の思いや意見を発表すると叩かれるような社会もあるので、何かを知って行動する人との乖離が進んでしまうのではないか、という意見もありました。」

 

「現状として、学校だったら教員が子どもの権利条約を知らない。学校でも海外ではトイレが男女を完全に分けていない世界もあるのに、日本ではそういうことがない。認識の違い、関心のない人がずっと関心のないままであることが問題だと思います」

 

「学校の制服について、制服でスカートとかズボンと決められていて、LGBTQの当事者でなくても、スカートが寒い時に履きたくないという問題があるのですが、一方で、金銭面や選ばなくて済むという事情で制服は必要なのではないかという意見もあって、ズボンかスカートか金銭面の問題はありますが、履きたい時にどちらかを履ける教育があるといい。あと、制服でネクタイを締めていないとかちょっと乱れているだけで厳しく言われることもおかしいのではないか。ネクタイや髪型を校則でいちいち決められるのはおかしいのではないか。校則がなぜ必要なのかをきちんと説明されていないのに強制されるので納得ができないですし、教師側も決まりだからダメというだけで、詳しい理由を理解していないのではないか。子どもの意見が反映されていないから、校則にも子どもの意見を取り入れてほしいという意見が出ました。

 教育ではあまり“嫌”と言ってはダメな風潮があって、我慢こそ美徳みたいな風潮があって、“嫌”と言える教育もしたほうがいいのではないか。やはり社会ではパワハラやセクハラに嫌と言えない人たちがいて、そこから変えていくとよいのではないかという話も出ました。」

 

 

悩んでいる人の気持ちに立てるには 意見を言いやすい社会になるには

彦田さん) グループ対話で、知ることが必要だよねという話が出た中で、どんなことであってもなのですが、障害を持っていても、LGBTQであったり、不登校であったり、いろいろなジャンルで悩んでいる人の、その人たちの気持ちに立つことをみんなができたら良いのだけれど、それを知ることができなかったり、それこそ関心がある人は知っているかもしれないけれども、関心がない場合には知れない。

 みんなが知って考え合うことはみんなが生きやすい社会になっていくとは思いますが、じゃあそれで社会がどう変わっていくかは難しいよね、という話も出ました。どういうふうにしたら社会が変わっていくのかな。今ここに参加されているみなさんとつながって、大きな力になっていくことは大切なことだし、私にとっても力になります。でもこれだけでなく、もっと力強いプッシュがあるようなサポートを受けながら自分たちが意見をいいやすい社会になるにはどうやっていけばいいのかな。私の一つの関心です。

 

みんなで意見を言って学校が変わる経験が民主主義教育の第一歩

遠藤さん) スウェーデンに今年3月に行って小学校の話を聞いて面白かったことがあります。小学校に給食委員会があるのです。日本と違って、給食に対していろいろ意見を言うのです。「お皿にデザートをぐちゃっと盛るのをやめてください」とか言うのです。そうすると、デザートはちゃんと盛られるようになる。小学校1年生から食べ物にうるさくて「さすがに3食連続、魚はない」とか言うのです。日本だと「感謝して食べなさい」で終わってしまうだろうに、すごいなと思いました。それは、民主主義教育の第一歩みたいで、みんなで意見を言って学校が変わる。5・6年になると、「時計が小さいから変えてください」とか別の要求も出てきます。その延長線上に、「環境に優しいようにリサイクルボックスを置いてください」といった意見も出てくるようになります。

 要望するときは何か理由を言わないといけないことが日本では多いですが、もっといろんな次元で要望や意見が言えるようになると状況が変わってくると思います。

 

子どもの権利条約から30年、グローバルスタンダードに遅れる日本 子どもの意見の尊重を

甲斐田さん) 私は子どもの権利のことを仕事にしているので、なるべく自分の子供にも意見を聞くようにしています。私の両親と子供(両親にとっては孫)と一緒に暮らすことがあったのですけれども、私が「今日のご飯何がいい?」とか生活の細かなレベルまで子どもに聞くと、父(子供の祖父)に「何を言ってるんだ、そんなことは親が決めればいいんだ」と言われてしまって、うーんと思いました。先のLGBTの話もそうですが、父の世代と私の世代と、私の子供の世代(20代後半)、それから今の子どもたちの世代、その4世代で全然違ってきている。自分で決めていいんだとか、先ほどの「No」と言っていいだとか。それなのに学校は未だに子どもには「Noと言っていけない」、「従わなくてはいけない」となっているし、やはり「“和”を大事にしなくてはいけない」、「空気を読め」だとか、ずいぶんそれぞれの場所によって違ってきていると思うのです。

 先ほど、校則でブラック校則はおかしいという話がありましたが、#KuTooの話(日本の職場で女性がハイヒールおよびパンプスの着用を義務づけられていることへの抗議)も、靴を自由に履かせてほしいと言っているだけなのにバッシングがすごいじゃないですか。そんなに女性は従わなければいけないことなのかと驚きますね。社会の「何を若い女の子が言っているんだ」、「何を子どものグレタが言ってるんだ」みたいな、意見を言うことに対するバッシングがすごく強い。

 それは、子どものころから自分の意見を言うことが当たり前になされてこなかったことがあると思います。子どもの権利条約から30年もたっているのに、子どもが意見を言うことが当たり前でない日本社会はどうなんだろうと改めて思いました。

 グローバルスダンダート、国連で決められている基準をもっとみなさんに知ってもらって、マジョリティの子どもにも意見を言ってほしいです。マイノリティの子どもに特別に保障すべき権利がいろいろあって、それを逆に差別して抑え込んでいるのが日本社会だと思います。子どもの権利条約では差別の禁止が大原則であるのに日本ではマイノリティの子どもが差別され続けていることに対して、国連子どもの権利委員会から何度も勧告されています。今年の最新の総括所見という勧告でも、いまだにマイノリティの子どもに対する差別が非常に深刻な状況であることが指摘されていて、しかも子どもの意見が尊重されていないことも毎回指摘されています。

 日本社会にいると「子どもは従わなくてはいけない」、「意見なんか許してはいけない」というマジョリティの意見にかき消されてしまいますが、グローバルな基準を見ると日本はとても遅れていて、むしろ逆行していることがあるということを、子ども自身にも知ってほしいし、子どもスペシャリスト研修で子どもに関わる人すべて、教員やボランティアも含めて知ってほしい。メディアももっと報道してほしいですし、自治体も、文科省ができないのであれば都道府県レベルからでいいので議会などでもっと議論して、そこから変わってほしいと思います。

 

 今後の課題としては、これまで聴いてきた子どもたちの声をどこにどのように伝えるかということがまだできていません。せっかく聴いた声を生かさないと無責任だと思っています。どの教育委員会にどう伝えていったらよいか。先ほど参加者の方から、「まず、すべて学校図書館にLGBTの本を置こうよという運動は明日からでもできるんじゃないか」と仰ってくださって、本当にそうだと思います。そういう一人ひとりができることをやると同時に、大きな国の政策を変えていったり、自治体の政策を変えていったり、そのためにはメディアが発信して社会の意識を変えていくことも必要だと思います。
 ぜひ今日集まったみなさんが、一人ひとりできることをやっていただけたらなと思います。

 

 私たちがやっていて限界だなと思ったことは、3つのグループにはそれぞれの目的があって、たとえば<にじーず>だったら、家庭や学校で傷ついたり緊張したりしている子どもたちがほっとできる居場所なので、私たちが子どもの権利をやろうと言っても、「それはちょっと」と子どもがなるのは当然だと思います。なので、それ以外の場所で、社会を変えていこうと思っている当事者の子どもと非当事者の子どもが一緒にワークショップをやっていくのは、これからも可能性としてよいのではないかと思っています。

 不登校の子どもたちに関わっている理事もシーライツにおり、オルタナティブ教育はもっと日本で認められる必要があり、それには子どもの声を取り入れていきたい。私が好きなLGBT当事者の歌手もホームエデュケーションだけで立派な青年になっています。

 外国につながる子どもはこれから増えていくにもかかわらず、それに対応できる大人が足りないので、研修を増やしていきたいと思っています。

 ボランティアを大募集中ですので、興味のある方、連携していただける人は、ぜひご連絡ください。

 このような場で、皆さんに集まっていただいて、私たちのメッセージを伝えられたこと本当に感謝いたしております。ありがとうございました。 

 

 

大河内) マイノリティの子どもたちがテーマでございましたが、私たちもそういう伝わりにくい、または広がりにくい声をどうやって表に出していくか。それはもちろん当事者の方たちも一生懸命にされていますが、このアドボカシーカフェに来てくださったみなさんもそれぞれ、話を聞きに来るだけでなく、いろいろなヒントをどう出してくださるか、あるいは気づかなかった問題を提起してくださるか、それも大きなアドボカシーのベースになっているわけでございます。

 以前、アドボカシーカフェで障害者をゲストに招いたことがありましたが、障害を持っている方こそ本来もっと声を出していかないと理解が進まないのですが、参加者が、どうしても自分たちは劣等感を持ってしまうので差別に対して声を出しにくいということをおっしゃっていました。むしろ、そういった人たちの声がもっと社会で大きくなるよう、甲斐田さんのお話にあったように人権のグローバルスタンダートを日本のなかで持ち上げていく方向に進められればと思います。

 

 最後に、ゲストの方々からご著書などの宣伝をふくめメッセージをいただきたいと思います。

 

彦田さん) 『不登校の歴史と今』というDVDは、不登校の経験者のお話と、不登校の子どもの権利を守る活動をしてきた方々のお話が入っています。見ていただいた方々からは、ぜひ大学の授業で使いたいとおっしゃっていただきましたので、みなさんにも活用していただけたら嬉しいです。

 絵本は私が書いた本で、絵の勉強をしたとかではなく、ホームエデュケーションをしている中で毎日書いたことがつながりました。元気な気持ちになってもらいたいなという思いを込めてつくりました。

 

遠藤さん) 『先生と親のためのLGBTガイド』という本はとても基本的な本で、一から勉強するのにいいかなと思います。また『オレは絶対にワタシじゃない』というコラムの本もあります。

 <にじーず>の参加者が書いてくれた絵でつくった絵葉書をお持ちしています。全国に3か所しかスペースがなく、居場所を増やそうと思っているのでご支援いただけたら嬉しいです。

 

甲斐田さん) 遠藤まめたさんの『先生と親のためのLGBTガイド』という本は学校の図書館に1冊ずつあるといいと思います。『オレは絶対にワタシじゃない』は遠藤さんが赤裸々にユーモアも含めて書かれていてお勧めです。

 私たちの本『子どもが自分たちの権利を守る30の方法』は、一つひとつの子どもの権利とSDGsの目標を関連付けています。また、「参加の権利」を最初に持ってきたことが特長です。

 

子どもの声を聴いて

 私は実は、子どもに対する暴力撤廃にも関わっています。他の国では、子どもに対する暴力を子ども自身が定義づけている。これも子どもに対する暴力だよね、と話し合いをする中で、じゃあそれをどう無くしていくかということで国別の撤廃行動計画をつくっているのです。とくに固い頭の方々が政府や官僚にいたりするので、 私が、子どもにも意見を聴いて行動計画をつくることを提案した時に、そんなことは子どもにはできないだろうといった意見が出たのです。子どもの頃から意見を求められたら、だんだんできるようになっていくのであって、こちら大人側から機会を与えないで出来ないというのは無責任だなと思っています。

 でも行動計画をつくるためというよりも、まずは子どもに対する暴力に対して意見を言ってください、という「子どもパブコメ」をユニセフとヤフーが共同でやったら、本当にたくさんの意見が子どもたちから出てきました。「大人は、児童虐待とはどういうことなのか、児童相談所とはどういうところなのか、もっと教えてほしい。なぜなら、私はずっとそれが児童虐待だと知らないで受けてきました」、そういう声があったのです。子どもから声を聴くことで私たちはどういう情報を与えたらよいかが分かるので、とにかく聴いてほしい。

 そのプロジェクトをやっているがために、今回のワークショップのアンケートでも「暴力を受けたことがありますか」と聞いたら、やはり「言葉の暴力とか受けてきた」という回答がありました。

 いまシーライツの理事と一緒に、子どもに対する暴力の論文を書いており、彦田さんの話を聞いていて思ったことですが、休む権利を否定されることも、子どもの権利の視点からみれば、子どもに対する暴力だなと、改めて思い、参考になりました。

 

 

 

ソーシャル・ジャスティス基金(SJF)助成発表フォーラム第8回のご案内★参加者募集★
【日時】2020年110 13001630 (開場12:30)

【会場】生活クラブ館(東京都世田谷区)

詳細こちらから

 

 

 

*** 今回の2019年12月14日の企画ご案内状はこちら(ご参考)***

 

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