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ソーシャル・ジャスティス基金(SJF)アドボカシーカフェ第60回開催報告

家族と暮らせない子どもをひとりぼっちにしないために

~児童養護施設退所者等のサポートを~

 

 2019年7月23日、庄司洋子さん(NPO法人学生支援ハウスようこそ理事長/立教大学名誉教授)と、坪井節子さん(社会福祉法人カリヨン子どもセンター理事長/弁護士)をお迎えしたアドボカシーカフェ第60回を、SJFは東京都新宿区にて開催しました。

 

 子どもは親を選べません。親がどうであれ不平等にならない社会という人権の視点にしっかり立つ必要性を庄司さんは強調しました。社会全体が生み出すさまざまな問題を背負ってきた若者たちがいます。すべての若者が失敗や挫折が当たり前の「青年期」を伴走者と共にすごせるよう、学生支援ハウスようこそは社会的養護出身者等に就学支援を行っています。

 若者支援政策が日本には乏しく、しかも社会福祉政策と住宅政策が分断しているため、庄司さんたちが運営している学生の支援付きシェアハウスは中古住宅のリフォームに公的な支援を受けられませんでした。ハウス運営3年を経たいま、就学型自立援助ホームの制度化の必要を感じています。自立援助ホームは、親元に帰らない選択をせざるをえなかった子どもたちが生きていくための制度だと坪井さんは、話しました。児童支援から若者支援へきちんとバトンタッチできる制度への現場ニーズも坪井さんから提言されました。

 社会的養護の支援すら得られない子どもたちと出会った弁護士たちが設立した子どもシェルターから始まったカリヨン子どもセンター。シェルターに逃げてきた子ども一人ひとりの意見表明権を保障することを理念として共有しています。

 子どもと大人の「対等かつ全面的なパートナーシップ」が子どもの権利保障の前提となると、坪井さんは現場活動の経験から語りました。すさまじい人生を生き抜いてきた子どもたちの人生に対して敬意を表することはあっても、支援する人たちが上に立って子どもたちを引っ張ってあげるというのは思い上がりだとも坪井さんは話しました。パートナーシップというのは、「ひとりぼっちにしないよ、一緒にここにいるよ。私もあがきながら一緒に悩んで生きているよ」という人がいることで、傷ついた人が自分で立ち上がろうと思える力になることが大事です。

 傷ついた子どもを真ん中にして多機関がスクラム連携する支援の重要性も強調されました。多分野の人たちの支援が織りなして、闇の中にひとりぼっちで落ち込んでいこうとしていた子どもが支えられていく。社会的養護等を卒業した後もパーソナルサポーターがついて、たとえいくつかの支援の糸が切れても大丈夫な、蜘蛛の巣のような支援ネットワークをつくっていくために、つながっていっていただきたいと呼びかけられました。

 詳しくは以下をご覧ください。   ※コーディネータは、大河内秀人(SJF企画委員)

AllGuest20190723SJF

 

――庄司洋子さんのお話――

 私たちが行っているのは実にささやかな活動です。非常に小さい組織、かつ制度の外で無認可といいますか、NPO法人として運営している小さな支援付きシェアハウスです。活動を始めてまだ4年目というところですので、こういうところで皆さんに知っていただき、一緒に考えていただくことは大変うれしく思います。

 また、今日ご一緒していただくカリヨンの坪井先生、今日は活動仲間、問題意識を共有させていただく仲間として、あえて坪井さんとお呼びさせてください。別の所で活動を通じて個人的にもご縁がありましたが、いまこういう活動を私たちも始めてみまして、坪井さんのところでは自立援助ホームや子どもシェルターなど、本当に多様に、社会福祉法人としてとても多くの協力を得ながらやっておられる。まだまだ駆け出しの私たちがそういうところとご一緒にお話させていただくことはありがたいことです。

 

 私たちの活動は個人の私生活を支えるということでして、個人の個別具体的な支援についてすべてはお話できませんし、ハウスの所在地も一般公開しておりませんので、そういう立場でお話させていただくことをご理解いただければと思います。

 今日のお話は、主に「社会的養護と高卒後の進学―学生支援の必要性」という観点でまずお話し、そして、私たちは活動から多くのことを学んで前に進まなければと思いますので「活動から学ぶこと」と、いま毎日が修行の日々みたいに大変な状況にありますから、これからの「課題と目標」をどこに据えていくかということに簡単に触れさせていただきたいと思います。

 

 社会的養護といわれている児童養護施設や里親家庭などで高校卒業まで過ごした学生の進学率はかなり低いです。全国的にいいますと、一般家庭という言葉がいいかどうかわかりませんが、親元から、あるいは親の支援で進学を考える学生は非常に多いわけです。そのなかで、社会的養護出身者との格差が非常に大きいことがまず一番大きい問題になるかと思います。

 進学率の全国平均の最近のデータでは、短大も大学のカテゴリーに入りますが、約60%が大学に進学します。専門学校も入れますと70%から80%ぐらいはこれらの上級学校に進学しています。ですが、社会的養護出身者となりますと、大学・短大・専門学校で10%から20%くらいと、一般家庭とは非常に格差があります。1980年代から90年代位には、中卒で就職というのが社会的養護の子どもたちの一般的なルートで、15歳で社会的に自立をさせていくという時代でした。すでに当時から、一般的には高校は徐々に義務教育に等しくなりつつあり、ほとんどの子どもは高校を卒業しておりましたので、社会的養護の子どもたちの中卒問題というのがずっとありました。

 最近ようやく、児童養護施設や里親家庭から高校に進学するルートが保障されるようになってきました。しかしそれ以上の進学については進学率が低く、それに加えて進学した後も卒業にたどり着けない問題を、私たちは非常に重大視しております。この3年余りの支援活動のなかで、どういうところにつまずくのだろう、なぜ卒業に至らないのだろうということについて非常に考えさせられるようになりました。

 大学進学率の地域間格差もかなりあります。たとえば、東京では65%位の高校生が大学に進学しているのに対し、沖縄では40%位です。これはいろいろな要因があると思います。自宅から通える進学先がたくさんあるところかどうか、といった点もあるかと思います。

 これは施設ではもっと影響を受けます。今では「措置延長」という形で、高校を卒業すれば措置を延長してさらに施設から進学できるという形になりましたが、近くに通える進学先がなければその制度は生きないわけです。そういう地域間格差は大きいと思います。

 

 もっと私が感じますのは、施設による格差といいますか、施設によって進学問題の考え方とか、熱の入れ方とか、そういった点に違いがあるということです。また、中学や高校の時に先輩たちをモデルとしてどう見ているかの違いも非常に大きいと思っております。これは家庭あるいは地域でもそうですが、みんなが進学を当たり前だと思っているような環境で育つと進学を当たり前と思いますが、施設によってはそういうモデルを見られず、その結果、高校を卒業すると就職するものだと思ってしまいがちです。

 また、奨学金の制度も多様に出てまいりましたけれども、基本、その多くは、奨学金といっても貸付で利子が付き、返還の義務があり、それ自体が非常に重い。うまく卒業までたどり着ければ返還が免除されるとか、国の制度では、卒業後、就職を5年以上継続できれば返還が免除されるのもありますが、そうすると成功者には有難い制度ですけれども、挫折や失敗があると重い借金を背負う制度になっている。矛盾がいっぱいある。

 だから施設によっては、せっかく進学させても中退率が高いので、借金を背負わせたくないから進学を勧めない。そうはっきり仰っている施設長さんにもお目にかかったことがあります。このように、進学を勧めること自体が非常に厳しい現実に立ち向かうことになるという状況があります。

 

失敗や挫折が当たり前の青年期を伴走者とともに 就学支援を社会的養護出身者にも

 学歴や資格はやはりこの時代に人生をいろいろ条件よく生きるために重視されている。そういうなかで、社会的養護出身者は生きていく上での親から与えられる資源が非常に乏しいわけですから、そういう人たちこそむしろ学歴や資格が重視されるべきだ、そういう応援が特別に必要だ、と感じております。

 さらに進学というのは、単に学歴や資格という人生を有利に生きるための資源となるだけではなく、「青年期」を生きる、という考え方が非常に重要だと思っております。学生になるということは、自由度を得まして、教員や友人との新しい出会いや、多少の冒険とか、大人と子どもの間にある期間、モラトリアムという言葉もありますが、ここを存分に楽しむことによって、その後の生き方の蓄えにしていくことが大事だと思います。残念ながら、そういうチャンスが社会的養護出身者には豊かに与えられていないと思います。

 就職し自立していくという、子どもから大人にわたる青年期は、人生の本当の勝負の助走期間のような段階だと思いますので、そこを重視して、余裕のある助走期間をとらせてあげたい、という気持ちがあります。そこには、伴走者・支援者が、一緒に悩み考え歩いてくれるような支えが絶対に必要ではないかなと思っております。

 誰にとっても助走期間は重要ですが、社会的養護出身の若者から見ると、施設から解放されたいという気持ちもあります。その反面、そういう支えを失う不安もあり、ものすごく葛藤を抱えています。私たちのハウスにはこういうルールがあると話すと、やっぱり一人でやりたくなって入居をお断りになる方もおられます。もっともなことで施設に限ったことではないですが、どこの家庭の若者もこの時期は親と戦ったり嘘をついたり、親も騙されたり騙された振りをしたり、そういう時期だと思います。

 その辺の難しさもあって、したがって、失敗や挫折は当たり前の期間であると思います。そういう意味では、「立ち直り支援」という考え方も必要なのではないかと感じているところです。

 じっさい私たちのハウスでも、今年でまだ4年目ですから、大学1年生の時に入居した人はようやく卒業年度ですし、専門学校や大学の途中で進路変更などいろいろな事情でハウスを退去していった人たちもいますけれども、こういった人たちの退去の後の様子を知ったりつながりを保つことも大事だと思っており、退去する時には一緒にお部屋を探すといったところまでしています。

 

一緒にくらす 見守る時も相談にのる時も

 卒業まで支えるということは本当に大変です。最初はシェアハウスという言葉を使えば通じるかと思っていましたが、最近は、支援付きシェアハウスと「支援付き」を強調しています。いまシェアハウスは商売にもなっていたり、若者たちが自分たちの好きなように暮らすという形のものも増えていますので、「支援付き」というのが私たちのハウスの特長です。これがまた学生からはうっとうしがられているところかもしれない。うっとうしがられても仕方がないようなことも随分やっております。

 安心できる住まい、おいしい食事、は生活の基本です。学生生活を続けるというのは、やはり暮らす場所、暮らせる条件があって初めて学生生活を全うできると思います。とくに私たちは安く暮らせることを重視していて、4年目にかかる少し前から、当初から見ると大幅な家賃の値下げをいたしました。いま2食付きで月3万円、厳密にいうと家賃3万円、2食は無料、という破格で、無理をしているかなと言われても仕方ないような形で頑張っています。私たちの活動は非常にボランティア性が高い活動だと思います。

 学生によっては本当に一人で暮らしたい人もいるかと思いますが、一人というのは心地よい面もある反面、つまずいた時にそこから立ち直るのは難しい面があります。ですから私たちは、誰かと一緒に暮らすという感じを大事にしています。とくに必要があれば相談にのる。必要がなければ遠巻きに見守る。そういう形で、大人が関わっていることを大事にしています。学生がつまづいた時には、少々学生からきらわれてもがんばりたいと、そういう気持ちでやっております。

 

若者支援政策が乏しい日本 支援付きシェアハウスが支援を受けられない社会福祉政策と住宅政策の分断

 活動から学ぶこととして、実際に活動をやってみて、何が一番新しい気づきであったのか、どんなことに困っているかについて簡単に申し上げます。

 日本の政策全体のなかで、若者支援、青年期支援という視点で積極的に取り組まれていることは少ないのではないか。とくに健康な若者に何の支援が必要かという感じです。そもそも健康とはどういう状態なのかといこともあります。

 就学保障ということが前提になっている国では、たとえばヨーロッパの一部、北欧などでは、大学は授業料が無料で、かつ大学生である期間は生活費も出る。そういう国もあるなかで、日本の大学の授業料は高く、専門学校はさらに授業料が高いところもあります。職種によっては、その専門職養成のために、特別に学校が支援を厚くしているところもありますが、全体としてはびっくりするような授業料の高さです。

 居住支援が日本ではごく一部の必要な人にしか行われていないのではないか。住宅セーフティーネット法というのが2015年にできまして、これは、住宅を確保するにあたって特別に配慮が必要な人を助けますという法律ですが、要するに、空き家を活用して賃貸に転用していくことを中心にしたものです。そこでも、福祉政策と居住支援が日本では結びついていなかった。ようやく「サービス付き高齢者住宅」が、高齢者福祉と住宅政策の接点になったという感じです。

 住宅セーフティーネット法でも、セーフティーネットと言いながら、私どもがハウスを立ち上げようとして国や東京都にあたってこの制度を利用して空き家をリフォームする費用を支援してもらえないか と交渉したとき、やはり健康な若者、元気な若者が対象となるような制度ではありませんと言われて失望しました。

 いま少し改善されて、各地域に居住支援協議会ができまして、そこが住まい探しに苦労している人にいろいろなところから手立てをして探してあげましょうとなってきています。しかし、それでも十分ではない。「居住の重視」が弱いということを痛感しております。

 

親がどうであれ不平等のない社会に

 社会的養護の出身であるからということが具体的にどういうふうに問題になりうるのか。何もかもが社会的養護の出身であるからという見方をすることは、非常に間違っているとこの数年間で感じるようになりました。つまり若者一般がこういう問題に直面しているなということがたくさんあります。冒険をしてみたいとか、羽目を外してみたいとか、ちょっと大人に反抗したいとか、むしろ失敗や挫折をする権利をきちんと認められていい時期なのですが、そういう見方がされないと、社会的養護の出身者だからとバイアスのかかった見方がされるのではないかと心配しております。

 じっさいには、経済的に非常に大きな不安があります。施設や里親家庭にいたときには不要だった苦労が、そこを出ますと一気にのしかかってきます。アルバイトは、私たちの門限、夜12時ぎりぎり5分前に帰ってくる学生は少なくありません。本当に深刻です。

 あまたある社会関係のなかで、親子関係というものほど始末の悪いものはない。私は家族問題を専門分野として勉強してきて、そういうことを感じてはおりましたけれども、いま本当にそのことを確認する気持ちになっております。子どもの立場から見ますと、子どもは親を選ぶことができない、取り換えることができない、親子関係を解消することはできない。こういう形で、親との関係にしばられて生まれ育ち、生きることになりますから、私たちは「親がどうであれ不平等のない社会に」という人権の視点にしっかり立たないといけないのではないかと強く感じます。

 深刻な家族関係のなかで、心に深い傷を受けてくる子ども・若者たちは、心を治療していく必要を抱えている可能性が高いです。それから、高校卒業以降も親に今の住所を知らせることができない学生が少なくありません。そういう意味では、青年期一般が遭遇する問題に加えて、非常に厳しい状況を抱えているという理解が必要だと思っています。

 

就学型自立援助ホームの制度化を

 課題と目標についてお話します。

 このように学生を支える活動を実際にやっていきますと、私たちのように制度外の非常に不安定な活動基盤のなかで、いったいいつまで続けられるのかなと不安を感じます。いただいている寄附や会費だけでやっていて、仕事をしている方々にも無償ボランティアや有償ボランティア的な形の謝金を払うという形でお願いしておりますが、当然限界があるだろうということで、やはり坪井さんたちがやっておられるような自立援助ホームとしてやっていくことを私たちにも認めてもらえないかという方向で進めています。

 とくに就労青年と学生ではライフスタイルや日々の課題が異なり、同居しながらそれぞれの課題や目標を支えるのは非常に難しい実態がありますから、私たちとしては「就学型自立援助ホーム」というのを、新しく制度に乗せていけないかと考えているのです。

 社会福祉制度には、無認可の民間の活動から生まれ育って、やがてそれが制度化されていくというものが多いですから、私たちもそういう活動として頑張りたいと思っている次第です。

 財政的に非常に苦労しておりまして、会費・寄付のほか、いろいろな助成金も応募できるものはどんどん応募して何とかやっています。今はたまたま家賃を払わない形で、リフォームした家を使っているので何とかなっておりますが、スタッフを正規に雇用するという形にはなっておりませんので、その辺をしっかりして安定性のある活動にしたいと思っています。ハウスの運営に関しては、ハウスの運営に責任を負っている理事、湯澤直美さんもいらしていますし、他のスタッフも各テーブルに加わらせていただいておりますので、ご質問などあればお尋ねいただきたいと思っております。

 

仲間を増やせるモデルに

 やはり一番大事なのは、お金ではなく、人だということが身に染みて分かってきました。

 何気ない上手な伴走、見守りには非常に水準の高い専門性が必要だということもわかってきました。もちろん知らんぷりはできないけれども関わりすぎたら喜ばれない、そういう年齢に固有の支援のしかたを追究しなければいけない。

 いい内容で運営していくためには、やればやるほど事務量が増えていく。いまはそういうもの全てボランティア、自前でやっています。事務室も無く、スタッフが寝泊まりする部屋に事務的なスペースを少し持っている状態です。無いない尽くしで頑張っています。

 この活動を始めます時には、こういう活動をしているところが他にもたくさんあって、つながりを持ってやっていけるものだと思っていましたが、全国的に調べても、ニーズがあると思うのに、やっているところが少ない。やってみてわかりました。こんな大変なことは誰もやってくれないのではないかと。

 ですから私たちとしては、他の方々がやろうと思えばやれるというモデルになりたいと思っています。ハウスとして使用している住宅も、信じられないくらい古い住宅をリフォームしたのですが、そのリフォーム代金も個人的に負担するというのではなく、何とか返済して完結できるモデルにしたい。最初は20年で返すという話があったのですが、私たちシニア層が多数参画している団体なので、20年では誰もいなくなってしまうということで、10年で返すという形になりました。こういうのをどなたかやりませんかと、お仲間を増やせるモデルになっていきたい。とはいえ連携できる団体が少ないので、今は自立援助ホームや居住支援をしている団体とお付き合いさせていただいている状況です。

 

 

――坪井節子さんのお話――

 みなさん、こんにちは。社会福祉法人カリヨン子どもセンターの弁護士をしております。どうぞよろしくお願いいたします。庄司さんのお話を聞いていただいて、社会的養護を卒業した若者が抱える困難についてかなりのみなさんが共有してくださったと思います。

 

Tuboi20190723SJF

 

社会的養護の支援すら得られない子どもたちと共に

 社会的養護という枠組みからすら支援してもらえない子どもたちと出会ってしまった弁護士たちが「いったいどうしたらいいんだろう」というところの現場から、私たちの活動は始まりました。  私を含む東京弁護士会には、子どもの人権救済センターというのがありまして、約150名の弁護士が毎日交代で午後1時半から夜8時まで子どもたちからの電話相談・面接相談を無料で受けています。それが1986年位から始まっているので30数年になる活動なのですが、当初は不登校やいじめの相談が90%位を占めていた。それが1990年代の中ごろから虐待で苦しむ子どもたちからの相談がここにも舞い込むようになってきた。

 「今晩、泊まるところがないんだよ」という10代後半の子どもたちから相談がきても、私たちにはどうすることもできない、そういう現場だった。「児童相談所に行ってごらんなさい、あそこには一時保護所があって、18歳未満の子どもたちは保護されるはず」。「はず」なんです。そこを紹介するしかない。じっさいには、一時保護所に行けば、そこは野戦病院の状態で、虐待された小さな子どもたちがあふれかえっていて、到底16・17歳の子どもたちが保護してもらえる状態ではないし、18・19歳になればもう一時保護ということすらしてもらえない。

 

子どもシェルターへの壁を乗り越えて

 子どもシェルターがほしいと思った。「今晩、泊まるところがない」という子どもを24時間、安心してかくまってくれて、三度のご飯を一緒に食べてくれる人がいて、ゆっくり寝かせてくれて、ずっと話を聞いてくれて、お医者さんにも一緒に行ってくれる。そうやって子どもたちが安心して暮らしている間に、私たち弁護士が子どもの代理人として外で親と交渉したり、あるいは児童相談所や、少年非行でしたら更生保護の関係者と交渉したり、そうしたことをしながら、子どもたちの行き先を探すことであれば、私たち弁護士も役立てることがあるのではないか。私たちが24時間子どもたちを抱えて、三度のご飯を一緒に食べるのはできないのです。なので、そうした子どもシェルターがないかなあと思い始めたわけです。

 女性シェルターがどんどん広がっていく中で、女性シェルターの草分けだった民間の方に、子どもシェルターをつくってもらえないですかと頼みに行ったのです。そうしたら「子どもシェルターには2つ大きな壁があるよ」と言われました。

 まず、子どもたちには親権者がいる。この親権者から、民間のシェルターが子どもを守りますと言って、親権者から誘拐だと言われたら、民間では子どもを守れません。これをやれるのは児童相談所しかないんだと言われて、ここは厳しいと思いました。

 もう一つはお金の問題です。女性シェルターでしたら、大人たちはお金を持って逃げてきますし、成人であれば何とか仕事を見つけたり、生活保護を受けたり、何とか道を見つけていけるのですが、子どもたちは丸裸で逃げてくる。何もお金を持っていない。子どもシェルターが全て賄わなければいけない。生活費もそうですし、家賃からスタッフの人件費から、それを民間でやるのは無理ですよねと言われました。

 子どもシェルターを実現するためにはこの二つの壁を越えなければいけないと分かったわけです。こんなことを弁護士だけでうじうじ言っていてもできやしない。もっとたくさんの人たちと夢を共有できないかと私たちは思っていました。

 

子どもと弁護士がつくるお芝居にこめた夢の実現 『カリヨン子どもセンター』

 弁護士会が毎年やっている『もがれた翼』というお芝居がありまして、子どもたちと弁護士がつくるお芝居で、子どもの権利条約が採択された1994年から毎年一つずつ作ってきています。弁護士が実際に出会ってきた、いじめや虐待や少年非行など、現場の子どもたちの声をとにかく多くの人に伝えたい。そのためにはどうしたらよいか。お芝居にしてしまおうと始めて、こんなに続くとは思っていませんでした。

 その9年目、2002年にこちら、『カリヨン子どもセンター』というお芝居をしました。日本にはない子どもシェルターがあったらいいな、子どもシェルターがあったらこんなことができるんだよ、という夢を描いたお芝居でした。1000人位の方がみてくださる大きなお芝居になりました。そのお芝居を観てくださった市民の方々たちが、「こんな子どもシェルターが日本に無いなんて思いませんでした」、「こんなものはとうにあると思っていた」「自分のそばにも子どもシェルターがあるなら直ぐにも教えたい子どもがいるんです」、児童養護施設の職員の方たちが「『失敗した』、『住むところがなくなった』と言って養護施設に戻ってきても入れてあげられないんですよ、どうしたらいいんですか」、児童相談所の方たちも「『僕は泊まるところがないんだ』、『私は今日泊めてほしい』とやってきた子どもたちを、『一時保護所は満杯です。17歳の子どもは入れないんです。そんなわがままを言わないで親の元に帰りなさい』と追い返してきた、あの子どもは今どうしているのだろう」。そういう思いに駆られている人たちがたくさんおられた。弁護士だけじゃない、この願いを持っている方は他にもたくさんおられるんだ、ということがそのお芝居をきっかけに分かりました。

 子どもシェルターを本当につくろうよという話になってしまって、2002年のお芝居の次の月から毎月1回ずつ、弁護士や市民や、お医者さんや児童福祉司や、企業の方などたくさんの方に集まっていただいて喧々諤々の議論を1年半続けていったわけです。そして夢であった子どもシェルターが、本当にお芝居の名前のまま、カリヨン子どもセンターとして、2004年6月発足し、今年で15年になります。

 子どもの権利条約批准30年、カリヨン子どもセンター15周年と謳っています。

 この間にカリヨンに逃げてきた子どもたちには、最初は東京の子どもだけではなく、関東圏、さらに大阪も、四国や九州、北海道の子どももいました。「こんなに遠くから子どもが逃げてこなければいけないのはおかしいよね。それぞれの地域で子どもたちが自分の足で行ける場所にシェルターがあれば、この子たちが救われるのに」という思いをいだいた地元の市民が、弁護士も社会福祉司も、「カリヨンもできるんだから、自分たちもできるよね」と立ち上がっていきました。

 子どもシェルター全国ネットワーク会議をつくることができ、今はたくさんの都道府県で子どもシェルターが開設されて、みんな本当に苦労しながらですが、15歳から20歳位の「今晩泊まるところがないんだよ」という子どもたちを支援しています。

 

虐待されても家族から逃げられない女の子たち

 卒業していった子どもたちは400人を超えました。当初、男女兼用で始めたのですが、私たちの目論見では、男の子のほうが多いと思っていました。なぜなら弁護士が少年事件として出会う非行少年と言われる子どもたちは圧倒的に男の子が多いのです。非行少年は虐待されてきた子どもたち、虐待されて行く場所がなくてSOSのために非行に陥っている。そして、その後とても大変な人生を送っているのです。だから、家に帰るところがない子どもは男の子が多いと思っていました。ところが、実際に開けてみたら、来る子来る子は女の子たちで、今までの400数人の子どもの4分の3は女の子です。どうしてなんだろうと思いました。

 女の子たちは虐待を受けても非行という形で外に逃げられないのです。やはり一歩外に出ると、すぐに性被害にあう。体を売るか、あるいは輪姦されたりして取り込まれるかという形になってしまう。女の子は、虐待に耐え抜くか、さもなくば外に出て危険に遭うかの2択しかない。なので、我慢に我慢を重ねた挙句、「シェルターがある」と知って、家族から逃げてくる女の子が圧倒的に多い。私たちは、家出をして、転々として私たちの所に来るのではと思っていたのですが、家族から直接逃げてくる高校生・大学生が、東京ではとくに多いのが現実です。

 その子たちの家にはお父さん・お母さんがいて、ちゃんと収入があって、立派なお家があって、立派な高校や大学に行っていたりする場合も結構ある。これを「教育虐待」と私たちは秘かに呼んできました。今は「教育虐待」という言葉がいろんなところで使われるようになりました。教育という名の下で子どもたちを虐待している親たちも結構いる。そういうことがわかってきました。

 ですから男女兼用シェルターだったのですが、女の子が多くなって男の子が入れなくなっていた。それで今まであった建物を「ガールズ」として、もう一つ別に「ボーイズ」として、現在は2件の子どもシェルターを運営するようになったわけです。

 

親元に帰らない選択をした子どもたちが生きていくための制度 「自立援助ホーム」

 シェルターに逃げてきた子どもたちを、最初の2か月間はとにかく、かくまう。

 必ずしも親が追いかけてくる子どもばかりというわけではありません。もう親は「勝手にどこにでも行け」と全然関知しない、ただ居場所がないというだけのお子さんもいると思います。それに対して、シェルターを必要とする子どもは、親に追いかけられる心配、あるいは暴力団から逃げてきて、「かくまってもらう」ニーズがある子どもたちです。そういうことで、2か月ぐらい、非公開の場所で、携帯電話も預からせてもらい、外に出るときは必ずスタッフか弁護士が付き添う。閉じ込めるわけではなく、毎日のように出かけます。必ず大人と一緒で、どこかで親に会ってもすぐに逃げられる状態で、2か月くらい過ごす。

 その後、子どもが帰る先を探すわけですが、児童福祉司や弁護士が親と交渉し、親の元に帰れた子どもたちは、6・7人に1人ぐらいしかいません。ほとんどの子どもたちが家に帰らない選択をします。親も「帰ってくるなら、

今まで通り親の言うことをきちんと聞け」とか「親が言う通りの学校に行け」と、自分たちが虐待をしていたことを認めてくれません。そういう親の元に帰っても同じことが繰り返されると、子どもたちは帰らない選択をする。

 親元に帰らない選択をした子どもたちが、16・17歳位でどうやって独り立ちできるか。アルバイトをしたこともない子どももいますし、そもそも中卒の資格で就職できる場所はなかなかありません。一人で暮らして、生活費を稼いで、衣食住を自分で全部やって、自立してやっていけるなんて子どもは稀です。

 16・17・18・19歳の子どもたちが親元に帰らないで生きていくためにある制度として「自立援助ホーム」があります。カリヨンをはじめ、東京都内には自立援助ホームが多く、現在は18か所位あり、他の府県から見れば恵まれていますが、それでもカリヨンのシェルターから自立援助ホームにすぐに移れる空きがあるとは限りません。

 

シェルターに逃げてきた子どもの意見表明権を保障する

 一番ネックだったのが、子どもシェルターは親権者から子どもたちを守るために、先述のように一人ひとりの子どもに弁護士を付けるというシステムをつくったことです。スタッフは親とは一切交渉しない、外枠の親との交渉は弁護士がするという形にしました。「誘拐だ」、「不法行為だ」とくる親にスタッフが対応していたら、スタッフはとてもじゃないがやっていけない、怖くて子どもを守れない。外壁は弁護士が守り、子どもを親権者から守るという制度にしました。カリヨンには子ども一人ひとりに弁護士が選任されている。このシステムは弁護士会と協定してつくったわけです。

 私たちが目指してきた「子ども一人ひとりに弁護士をつけ、その子どもの意見をきちんと代弁して、子どもの意見表明権を保障する」という理念をシェルターでは貫くことにしました。でもこの状態で自立援助ホームに行ったら、当時の児童福祉の現場では、子ども一人ひとりに代弁者がついていて子どもの要望を代弁者が伝えるなんて「面倒くさい」となるわけです。「劣等処遇」という言葉があり、今はそれではいけないと言われていますが、「可哀そうな場所に生まれてきた子どもたちは、他の子どもたちより可哀そうであっても仕方がないではないか。不平不満を言うな。選択肢がないんだからそこで我慢しろ、あんたたちの意見を聞いていたら福祉は回らない」、こういう感覚がずっと続いてきたのです。子どもたちが「あそこの施設には行きたくない」、「この施設にはこりごりだ」、「他の施設に移りたい」とかいろいろ言いだしたら児童相談所や施設は困ってしまう、という発想だったのです。だから、カリヨンのシェルターから来る子どもはみんな弁護士がついていて、いちいち職員の対応について文句があるとか言われたら面倒くさいというのがあって、なかなか他の自立援助ホームに受け入れてもらえませんでした。

 自立援助ホームであっても、きちっと児童福祉の現場の中で子どもの意見表明権が守られる、そうした児童福祉の制度に変えていってほしい。だったら自分たちで自立援助ホームをつくろう。弁護士がいることに文句を言わない自立援助ホームをつくろうと、「カリヨンとびらの家」、「カリヨン夕やけ荘」という形を自分たちでつくりました。私たちに力があったわけではありません。あちこちから降ってきたのです。お家が降ってきたり、お金が降ってきたり、それでできているんです。たくさんの人たちのご支援のなかでできてきた。

 今では東京の自立援助ホームは、弁護士さんが一人ひとりについている子どもたちが来ることに何の抵抗もなくなりました。かえって、弁護士さんがいることで助かっていると。親が押し寄せてきたとか、親が借金を残して死んでしまったとか、学校で問題が起きた、あるいはクビになったとか、パワハラがあったとか、男から捨てられた、DVに遭った、いろんな何かがあったという時に弁護士が来てくれるのはありがたいと。

 

多機関の人たちが一人ひとりの子どもを支える仕組み

 子どもシェルターや自立援助ホームの活動のなかで子どもの権利保障できる体制をつくっていきました。こうした形で現場のなかで、子どものニーズを知り、子どもの声に耳を傾け、何をこの子たちは必要としているのか、そうした子どもたちのためどういうふうに援助の仕組みを構築していけばいいのか、私たちは現場の試行錯誤の繰り返しのなかで作り上げてきました。

 ヒントになったことがありました。1995年から96年、私たちは、フィリピンやタイで子ども買春という形で小さな子どもたちが性的売買の対象となっている事案、とくに国外、日本や欧米から来る男性に子どもたちが買われている現場に遭遇することになり、タイやフィリピンで日本人男性に虐待されていた子どもたちの権利回復をする仕事をしました。その過程で、国連の人たちと一緒にタイやフィリピンでそうした子どもたちが保護されている施設をいくつも回らせていただく機会がありました。フィリピンで出会ったマリラックという国立施設を訪ねた時、私は非常にショックを受けました。

 広々としたところに庁舎があって、教育をする場所があって、就労支援をする場所があって、それぞれの場所に子どもたちが自由に行き来していて、たくさんのスタッフがいて、カウンセラーも医者も、弁護士も常駐していました。子どもたちの傷つけられた様々な人権を、法的支援という形で回復する仕事を弁護士がしていました。つまり、多機関のたくさんの人たちが一人の子どものまわりに集まっていて、子どもたちはあちこちに行かなくてよく、支援の方が集まってきている。医療的支援、教育的支援、就労支援、法的支援、いろんなことがそこで行われる。 

 しかも、そこでのスタッフたちの子どもたちへの対応に本当にびっくりしました。上から目線ではない。子どもの話を聞きたいと言うと、「だれだれさん、日本から来た弁護士があなたの話を聞きたいと言っていますが、どうしますか。あなたの話をしてあげられますか、じゃあ、してあげてくださいね」と言って、子どもと私たちを残して部屋を出ていきました。

 子どもたち一人ひとりが自分の人生を自分で歩んでいくということを、スタッフも支援者もみんなで体現している。すごいと思いました。私は日本の人権に関するところで、こういう場面を見たことがなかったので、日本はなんて遅れているんだろうと思いました。

 子どもシェルターを私が考え出した遠因にはこれがあったと思っています。たくさんの人たちが一人ひとりの子どもを支えるために集まって、しかも子どもの権利を常に保障していくという、フィリピンの施設からの学びは大きかったと思っています。

 

子どもの権利保障 3つの柱

 私たちが常に大切にしてきたことは、子どもの権利保障です。いじめの場合でも少年非行でも、様々な場面で子どもの権利保障と言ってきていますが、今日の場合では、社会的養護のなかに暮らしている子どもたちの権利保障ということだと思います。

 理念はとても大事です。理念がなければ一緒にやる人たちの協働目的が見えません。何のために私たちは一緒に働くのか。そしてそれをどう実現していくのか。みんないろんな思いで関わってくるのですが、何のためなのか。支援者の自己実現のためではないのです。やはり、ニーズを持ってそこに来た子どもの権利保障のためであることを、言葉化し、それをきちっとスタッフで共有していく。たくさんの人たちが関わるので、理念をきちっと共有化していることが活動していくために大事です。

 さらに継続していくことが大事。明日私は倒れるかもしれない。坪井のカリヨンではない。私は今年で理事長を辞めると言っているのですが、私がいなくてもカリヨンは永続しないといけない。そのためには、たくさんの人たちが理念を共有化して組織化し継続していく。それは空疎な理念ではなく、実践の裏付けがないとだめ。私たちの場合は実践が先にあったのですが、それをどう理念化して言葉化するか、子どもたちから教わったことを言葉化していきました。

 そのなかで私たちがつかんできたことは、子どもの人権保障には3つの柱があるということ。ひとつ目は、「生まれてきてよかったね。あなたはそのままで生きていていいんだよ」このことを子どもたちにきちんと保障する。二つ目が、あまりにもひとりぼっちで生きてきたこどもたちに「ひとりぼっちじゃないんだよ、私たちはあなたの人生をどうしてあげることもできない、でもひとりにはしない、ここにいるよ」。そして三つ目が、「あなたの人生はあなたにしか歩けない。私たちは代わって生きてあげられない。どんなに傷ついて、どんなにつらくても、生きるのはあなたなんだ」、それこそ子どものプライドですが、それを保障していく。これを現場の理念として共有している。

 

子どもと大人の「対等かつ全面的なパートナーシップ」を土台に

 その背景には子どもの権利条約があります。子どもの権利条約のカタログを私はいつでも持ち歩いています。何かあったら子どもの権利条約を見ます。それは私たちを本当に励ましてくれます。こういう虐待を受けた子、学校にいけない子、障害を持った子、非行に陥った子、薬物中毒になった子、その子たちにどんな支援が必要かを、子どもの権利条約はカタログに書いてくれている。それを参考にいつも検討していく。

そのなかで今とくに大事だと思うのは、「子どもの意見表明権の保障」。児童養護施設あるいは社会的養護にある子どもたちの意見表明権をどう保障していくかは私たちの大きなテーマになっています。

 さらに「対等かつ全面的なパートナーシップ」。これは子どもの権利条約が採択された翌年に国連が出したリヤド・ガイドライン、「少年非行予防のための国連ガイドライン」の中のキーワードです。「子どもと大人は対等かつ全面的なパートナーである。子どもの上に大人は立たない。大人は子どもを支配し服従させるものではない。子どもと大人は人間として対等なパートナーとして共に敬意を払いながら共に手を取り合って歩く」。このことを現場で実現していくことは、私たちの大切な理念です。

 「子どもと大人のパートナーシップ」と言っていますが、子どもと大人がパートナーになれる前提としては、職員同士がパートナーでないといけない、上下関係があってはだめ。みんながパートナーとしてお互いに話を聞きあい、ちゃんと意見を言って議論をする。だけど、ともに手を取り合うパートナーでないといけない。私は理事長ですが上下関係は全くない。役割が分担されているだけ。私にはみなさんの仕事はできないし、みなさんは私の仕事ができないだけで、だから役割を分担して、パートナーとして生きていきましょう、と言葉で言います。そういいながら、私はパワハラしていることはあるかもしれないですから、「パートナーなんだ」と自分の頭にたたきつけないといけない。これは、一法人の職員間だけではなく、児童相談所の児童福祉司さん、あるいは外からくる弁護士さん、あるいは支援をしてくださる方、みんなと常に対等なパートナー関係を築く。それができなければ、子どもと大人は対等なパートナーになれない、子どもの権利保障はできない。

 

 「子どもを真ん中にした、多機関とのスクラム連携」という言葉をそういった中でつくってきました。いろんな機関の人が一人の子どもを真ん中にしてスクラムを組んで、ぎゅっと子どもを抱きしめ続ける。これが子どもシェルターの役割だねと言っています。どうして「スクラム」と言うか。よく児童虐待の場合の子どもの権利保障は「多機関連携」というのですが、手に手を取り合って位では、子どものすさまじいエネルギー、爆風にふわっと手が離れてしまうのです。大人に虐待されてきたこどもたちの大人への不信感、試し行為、自暴自棄、死にたいんだよと本当に死のうとする、その子どもを目の前にした大人はオロオロです。ひとりでは倒れてしまいます。だから、子どもの人生に対して無力な私たちがぎゅっと腕を組んで、子どもたちのすさまじい爆風にあっても多機関の連携が切れない、その覚悟で子どもたちを見守り続けなければいけません。それが「スクラム連携」という言葉になりました。しかも、常にその真ん中には子どもがいなければ意味がない。カリヨンのケース会議では、必ず子ども自身が参加をする。自分の人生を自分で決めるためのケース会議、大人だけで議論をしない。そのように、いろんなところで「子どもを真ん中にした、多機関のスクラム連携」という理念を実践しています。

 

児童支援から若者支援へバトンタッチできる制度を

こういう場所を離れていったとき、困難を抱える若者への支援として本当に欲しいなと思っている3つのポイントがあります。

 一つは、さきほど、学生支援ハウスようこその話を聴いていただきましたが、そういう若者たちのニーズがあって、困難を抱えている若者たちがこの日本にあふれているんだという現実を理解して、その人たちと共に生きようとする人たちの輪が地域社会に広がっていくことです。私たちがシェルターをつくった時も、みなさん虐待というと、小さな子どもが対象だと思っている。小さな子どもを救えというところにはどっと行ったけれども、「15・16・17歳にもなれば自分で何とかできるでしょ、殴る親は自分で殴れ」という感覚でした。15・16・17歳に、虐待されてこんなに苦しんでいる子どもたちがこんなにいるなんて知ってもらえなかった。でもそういう子たちがたくさんいるんだということが分かっていって、シェルターへの理解が広がっていった。

 そして同じように、シェルターから出た後の本当に大変な困難、家族が支援をしてくれない若者が社会的養護から卒業して30歳位までの間、この10年間を生きていくのがどんなに大変か、それをまず知ってもらう。そしてその人たちと共に生きようと思う人たち、上から目線ではなく、そういう人たちの支援の輪が地域社会に広がっていってほしい。

 二つ目は、様々な支援、困窮者支援や、就労支援などが立ち上がってきてはいますが、若者が支援してもらえるところまでなかなかたどり着けない。しかも、一人の人が就労支援だけで済まないのです。医療支援も必要だったり、教育支援も必要だったりします。その窓口がばらばらで、あちこちの公的機関やNPOがやっている。

 本当に欲しいのはポータルサイト。例えば、目黒区にはこれだけのNPOがあり、目黒区が提供している支援窓口にはこういうものがあり、そこではこういう活動をしていて、実績としてはこういうことがあり、ということが一か所でわかるようなポータルサイトがないかなと思います。そうしたら、この人にとってどんなことをこの地域が支援できるか、ということを顔が見える関係で相談したい。こういう情報の集約と提供ができるものを作ってほしいと思います。

 三つ目は、パーソナルサポーターです。ポータルサイトのようなものがあったところで、本当に困難を抱えている若者が自分で支援にたどり着けるかというと、すごく難しい。自分の抱えている困難をちゃんと行政の窓口に行って、支援を引き出してくるのは至難の業です。やはり、一人ひとりについて一緒に支援の窓口に回り、そしてその人の周りに支援の多機関連携のスクラムを構築するコーディネートをしてくれる、そういうパーソナルサポーターがほしいと思います。カリヨンの場合ですと弁護士がその役割をするわけですが、子ども担当弁護士を「子担」と呼んでいます。その次は若者担当弁護士、「若担」だと言っています――どこにもお金がないのでできないでいるのですが――。弁護士でなくてもいいのです。さまざまな人が、他にお仕事をしながらパーソナルサポーターとしてその人のために動くというようなシステムができないかな。

 そういう形で社会的養護を卒業してからの10年間ぐらいをサポートしていける制度がほしい。もちろんニーズのある子どもに対してだけでいいです、すべての子どもにおせっかいをしようというのではありません。だけど、ニーズのある人たちについて、とくに社会的養護から卒業する時にパーソナルサポーターにつながって支援につながるという児童支援から若者支援へきちっとバトンタッチできるような制度がほしいなと思っています。ありがとうございました。

 

大河内) ありがとうございました。お二方のお話をうかがって、これからのグループ対話の前にご質問はございますか。

 

参加者) 先日、「子どもアドボケイト」というイギリスの仕組みを勉強する機会がありました。イギリスでは、社会的養護下にある子どものための独立したアドボケイトが、子どもがどういった支援に関わるかとか、どのような人生を歩んでいくか等について、必ず独立した子どもアドボケイトが、子どもの意見を尊重できるように、すべての支援者にその声を反映させていく、聞かせるという仕組みがあると伺いました。

 また友人からは、アメリカでは施設入所する子どもについて措置の判断を家庭裁判所が行っているので、必ず弁護士さんが子どもの支援を考えていくと聞きました。

 第三者の目で、法律上のことなど専門的なこともふまえながら、子どもの声をきちんと生かしていく。それは、子どもが選んだ道が必ずしも子どもの最善の利益に結びつかなかったとしても、それが子どもの意見表明権を確保するうえで大事だということで、子どもアドボケイトに意義があると伺い、確かにそうだなと思いました。またそれが、子どもの意見と反していたとしても、こういう状況でこういうふうに考えているからこの選択をした場合はどうなるかと、子どもにちゃんと事情を説明して、子どももその先のことを考えられるようにするそうです。それが大事だと思います。

 日本でそういうことができないのかな。いまカリヨンさんは独自でやられようとしているとのことですが、日本で実現するとしたらどのような制度上の壁があるのかお伺いしたいです。

 

 また、パーソナルサポーターの必要性についてですが、いま私は社会福祉の勉強をしていて、やはり子ども分野での子どものためのソーシャルワーカーが少ないですし、制度として確立していないのかなと思いました。私も実情がよくわからないのですが、子ども一人ひとりにパーソナルサポーターがつかないのは、縦割り行政で支援するなかで、ソーシャルワーカーや子どもを見る人たちがどうしても施設ごとで縦割りになってしまう問題なのかな、ということをお伺いしたいと思います。

 

坪井さん) イギリスの子どもアドボケイト制度、アメリカの施設入所する子どもの弁護士関与、こうしたことをこちらこそ学びたいです。

 人権ということに関しての、子どもたちには一人の人間として意見表明権があり、その子どもに関する選択は子ども自身が行うという、この理念の徹底の仕方が全然違う。日本では、子どもがまず一人の人間として自分自身が選択権をもっているとか、意見表明権があり選択権があるということすら、子どもの権利条約に批准してからの30年間で何とか広がってきましたが、まだまだ、「生意気なことを言うんじゃないよ、お前にはわからないんだから、お前の人生はお父さんが決めてあげるからその通りにしなさい」という感覚が日本社会では圧倒的に強いと思います。

 一人ひとりの個人が、社会的に弱い立場にある人が、自分の意見をきちんと社会の中で発言していい。これは子どもに限らず、弱者であるとされている人が意見を表明するということが本当に認められていない。人権が保障されていない社会だからこそだと思う。だけどこれを嘆いていても仕方ないので、いまのような制度があることを学び、私たちが日本社会でどう実現していくか。小さいところから実現していくという努力なのだろうと思います。

 

 パーソナルサポーター制度ですけれども、「一人ひとりの子どもに代弁者をつけるなんで費用対効果を考えろ、そんなお金を出せるか」という発想になってしまうのだと思います。

 でも例えば、法律援助、法テラスというところがあります。弁護士を使いたいけれども使えない方たちのためにお金を援助する仕組み、法律扶助制度があります。日本ですと、子どものための法律扶助はわずかで、ほとんどが大人の法律扶助ですが、オーストラリア等では法律扶助の3分の1は子どものためなのです。子どもたち一人ひとりに、とくに家庭的に代弁者がいない、親が代弁してくれない子どもたちに弁護士をきちんとつけるというのは、社会でもニーズとしてわかっているし、お金の面でもそういう制度ができている。

 それでいいんだという理解者が社会に増えることが必要だと思います。子どもの代弁者は弁護士だけでなくてもいいと思います。それこそ弁護士でも子どもの人権を侵害してしまう人はいますし、私もいっぱい失敗してきました。一人ひとりの専門性が行かされればと思います。法的な問題があるときは弁護士がいいでしょうが、そうでないときは行政に詳しい人や、医療関係者、社会福祉の方にもやっていただけるといいと思います。あるいは、高校の教員だった退職者の方々、思春期の子どもたちと一緒に戦っていらした心ある先生たちが、パーソナルサポーターのような活動はないだろうかと言ってくださっています。社会のなかで、やっていいよと思っているいろんな人たちと何とかそういうシステムができないかなと思っています。まだ考え詰められていないので、みなさんと一緒に考えていきたいと思います。

 

 

参加者) いま自分自身のことを学ぶため、自分のような経験をしてきた子どもたちを救うため、そのような子どもたちが増えないために、その人たちの未来のために今いろいろ学ばせていただいています。

その中で、先ほど質問されていた方のアドボカケイトのことや、アドボカシーのことも学んでいます。でも、まだアドボケイトという仕組みがまだきちんとできていないからか、パーソナルサポーターとアドボケイトの違いがよくわかりません。

 また、いま子どもたちに関わっている人たち全員が、子どもの権利や、アドボカシーというものをちゃんとわかっていて、それをちゃんと尊重しようと思っていたら、そういうパーソナルサポーターという仕組みをシステム化するのは不要なのではないかと思ってしまいました。

 

坪井さん) おっしゃる通りだと思います。子どもに関わっている一人ひとりが、子どもとの間にアドボケイトの感覚を持ち、その子どもと共に生きるということができていれば、別にパーソナルサポーターを外から連れてくる必要はないのです。通常の家族の中で親御さんがいて、共に生きていて虐待の無い家庭があれば、親がアドボケイトしているわけです。子どもの支援をし、必要があれば子どもの代弁をし、そこにアドボケイトは必要がない。

ただ、社会的養護の中にいる間、カリヨンもそうなのですが、カリヨンにいる間アドボケイトしてもらってきて、そこを出た後、社会に独り立ちをしました、自立援助ホームを出て歩き始めました、とします。自立援助ホームはアフターケアが役割なのでいろんな問題について自立援助ホームの職員に相談が来るわけです。それはアフターケア事業として職員は走り回っています。結婚した後も、子どもが生まれた後も、いろんなところで走り回っています。

例えば子どもシェルターから直接出ていって自立援助ホームに行かなかった子どもたちには、自立援助ホームの職員と出会う場もないわけです。子どもシェルターの職員は、シェルターの秘匿性があるために、出ていった後の子どもたちと自由に会えるわけではないし、実家として帰ってきていいよというわけにはいかない。その子どもたちが結局どうするかというと、今は子ども担当弁護士を頼るか、カリヨンの事務局にSOSを出してくる。私たちは子どもシェルターを出ていった子どもたちのアドボケイトの制度や、パーソナルサポーター制度がないから、誰かが、事務局の人たちなどが走り回るわけです。DVがあったとか、子供を虐待しそうだとか、クビになったとか、いろいろなことが起きると走り回る。その場その場にいた人たちが走り回るしかない。

社会的養護を出た後、こういう形で自立援助ホームや児童養護施設の職員が走り回ってくれている間はいいけど、それを30歳までできるかというとできない。その時に、パーソナルサポーターのような人たちがいて一緒に動いてくれたらいいなと、現場のニーズとしては思っている。

 

参加者) 虐待とか何かあった時、どうしようとなった時に、カリヨンに電話してきている子たちは、カリヨンをすごく信用していて、カリヨンの人たちなら何とかしてくれると思うからカリヨンに電話しているのだと思う。

 でも突然、カリヨンを出たから今度はこの人に何でも相談してくださいという人が来ても、たぶん話さないと思う。システム化となった時に、そこが難しいなと感じます。 

 

坪井さん)そこを一緒に工夫してもらいたい。私一人では発案できない。そういうアイディアをまとめていきたいのです。

 例えば、この人はシェルターから社会へ出ていこうとしている。だったらシェルターにいる間に、この人のパーソナルサポーターになる人と一緒に暮らす場をいろいろ持ってもらい、もし相性がよくてうまくいく人だったら、その人がこの人の支援者としてその先相談にのってあげてくださいね、みたいな制度ができないか。つまり、突然にあなたこの人のサポーターね、という形は思っていません。サポーターになってくれる人たちのプールがあって、この人が必要になりそうだなという時にちゃんと紹介して言っておく、そして、もしものことがあったらその人が動いてくれる。なんかそういう制度ができないかなと思っています。 

 

 

――グループ発表とゲストのコメント―― 

グループ対話を行い、それを会場全体で共有するために発表しあい、ゲストにコメントいただきました

Shoji20190723SJF
      グループ対話に参加する庄司洋子さん

 

参加者

「不登校の問題、引きこもりの問題、先日の川崎の事件のような人も、パーソナルサポーターに出会っていれば何とかなったのではないか、そういう人と出会えるような窓口が欲しい、保険の窓口のような気軽にアクセスできる窓口があるといいという意見がありました。」

 

「庄司先生がおっしゃった、子どもには親を換えられる権利がない、選ぶ権利がない、親子関係を解消する権利がないということが印象に残りました。

 坪井先生がおっしゃった、子どもと大人は対等かつ全面的なパートナーシップであるということが印象に残りました。

 緊急一時保護の話も出ました。緊急一時保護で傷ついた子どもたちがSOSを発信しているのを受け入れるのは里親家庭だけでなく、みなさんのご家庭でも、一晩寝るところを提供してあげたりできたらいいねという話が出ました。傷ついた羽を休められるよう、ちょっとした期間、緊急一時保護所内ではなく家庭で過ごさせてあげられるように、みなさんでチーム養育できたらいい。緊急一時保護は混合処遇ですので、一時保護所内で行うのではなく、学校に通えるよう、地域から引きはがされることのないよう、皆さんのお力をお借りできたらと思いました。」

 

「地域における子ども支援の組織化の重要性がテーマになりました。

 今まちにある子ども110番は、緊急避難的な形の対応ができる場所であって、それが支援につながることはなかなかないですが、そのような形で子どもが駆け込める場所が地域にたくさんあるといいという意見がありました。そういったところから、ファミサポなど家庭への介入が可能な機関にどうつなげていけるのか。

 学校と地域のつながりという点で、スクールソーシャルワーカーやスクールカウンセラーを通して地域に子どもをつなげていけることができるのではないかという意見も出ました。

 CAPの活動を以前していた方からは、子ども自身がSOSを発信できる、そして自分自身が生きていていいのだという意識や力を持てることが非常に大切なのではないかという発言がありました。それに関して、子どもが自分で助けを求められる機関の情報を入手できることが大切だろうという話になりました。

 子どもに関わる大人の立場としては、子ども自身がどうしたいか、たくさんの選択肢を与えてあげる必要があるのではないか。また、子どもが自分の意志を示すことができるように、どう大人が対応していくことがよいのか。そして、そのような社会になっていくためには、私たちに何ができるのか、という話になりました。

 最近では、SNS相談の利用が増えていますが、その相談から実際に支援機関につながっていき、支援のネットワークにつながるかが大切だという意見もありました。」

 

「子どもの支援にあたって専門家や有資格者ができることと、そうでなくてもできることがあるのではないか。虐待については児童相談所への批判などありますが、そこだけでは機能が十分に果たせていないところがありますので、多様なステークホルダーが関わるNPO等ができることがもう少し広がり、誰が何をできるのかが明らかになるといいのではないかという意見が出ました。

 子どもの権利のことを分かっている人がまだまだ少なく、子どもの権利についての教育がどういうところで行われているかがもっと普及するといいという点も話し合いました。」

 

「施設を経験してこられた方たちは社会経験など他の人たちが経験してきたことを経験していないことが多いので、いろいろな形でのサポートが必要だろう。一方で、学生になって自由にやっていきたいというその人の成長の過程もある。そういった支援も必要だけど自由にやっていきたいという、その微妙なバランスのなかで、どうやってお節介をしながら、その人を尊重しながらやっていくかという難しさが浮き彫りになりました。

 施設は、庄司さんの学生支援シェアハウスのお話のなかでも、いろいろスタッフの方の手配の苦労やお金が足りないといった苦労もあり、一生懸命やっているのだけれども弱いというところがあり、大学の学生相談も意外と重要な大きな機能を果たしていると分かりました。

 素人としてまとめますと、いろんな人たちがどうやって適度にお節介をしながら関わりを増やしていくことができるのかという点が大事だろうと感じました。」

 

「施設につながれる子はまだいいのですが、周りでも支援につながっていない子や、支援についての情報を持っていない情報弱者の子どもたちもいるので、逃げていいんだよと子どもに伝えたり、困難を抱えている子どもを見つけてサポートできるようになることが課題ではないかとの話をしました。このグループに加わった坪井先生からは、子どもの電話相談の案内を雑誌のジャンプなどに載せるなど、いろいろな方法でサポート情報を子どもたちにアナウンスしていたと伺いました。

 どうやったら支援を必要とする子どもが適切な大人にアクセスできるかは、普段から友達、子ども同士で仲がよかったりすると、友達が困っていたらその友達の情報を大人に伝えてきたりするので、子どもたち同士のネットワークをうまく生かして大人が関わっていけるといいのではないかという意見もありました。

 20代から30代ぐらいまでは、一人で生きていくのはなかなか大変だと思うので、何か困った時に助けられるよう、普段から顔を知っている関係というのはとても大事だという話になりました。」  

 

「伴走者が必要だよねという話になりました。

 子どもの権利を子どもに関わる人全員が知っていることが理想だけれど、その理想に近づくためには知識が必要で、研修をしたほうがよく、他の支援制度を知らなかったら、伴走者はその子を救えないし、救えないからこそ他の支援制度につなげる必要があるので、研修は必要だという話が出ました。

 研修をする人手が足りないなら、学校で授業として取り入れたら、いま学校に行っている子どもたちが大人になった時に後に続く子どもたちを救えるから、いいという話がでました。学校で取り入れるためには、子どもが子ども自身の権利を知って、実感して生活していくことが大事だという話も出ました。

 パーソナルサポーターをつくるとしたら、いろんな人たちが集まっている中で子ども自身が選べるように、いろんな人がそのシステムに参加していることが必要だよねいう話が出ました。」

 

「共通する課題が浮き上がってきました。引きこもりや若者ニートを支援されている方や、修復的司法の分野でNPOをなさっている方や、議員さん、再生可能エネルギー分野の民間会社にお勤めの方や、この分野に関心のある高校生などバックグラウンドが様々な方のグループでしたが、驚くほど課題は共通しているよねと話し合いました。みなさんそれぞれの分野で抱えておられる課題と重ね合わせながら、今日のテーマを自分自身のこととして引き受けてくださった印象を受けました。

 例えば、修復的司法の分野からは、刑を犯した方が帰ってきた先での住まいの場所や暮らす場所がないという時の保証人の問題が出てきて、外国人留学生の支援をなさっていた方からは、外国人が日本に来た時に日本語も日本文化もわからない状況で頼れる人がいず住まいの保証人がつかないという問題が出て、課題が共通していることが分かってきました。

 課題が共通しているのであれば、そういった様々な課題をワンストップで相談できるような相談窓口の必要性があるというのが一つ目のポイントです。

 二つ目は、あらゆる分野でパーソナルサポーターが必要だという意見が出ました。その人をバックアップして見守れる体制は、どの分野でも共通している課題だよねというとが確認されました。

 もっと踏み込んで行くと、人材の成り手が育っていないという課題が出ました。ワンストップ相談窓口にしても、パーソナルサポーターにしても、どの分野でも人材の育成も大切にしていかなければいけないよねと話しあいました。」

 

大河内)みなさん共通する課題や、それぞれの感想もあったかと思います。ゲストのお二方からコメントを頂戴したいと思います。

 

社会全体が生み出す問題を背負っている若者たち 何かあったら頼りにしてね

庄司洋子さん) 坪井さんの話を伺っていて本当にいいなと思ったことの一つは、「対等かつ全面的なパートナーシップ」という話です。私も、この年頃の若者、そして学生という立場にある人たちとどういう関わりがいいのかなという時の大切な視点として、子どもの権利条約に謳われている権利を尊重するのは言うまでもないことですが、「いい関係」という時に何を大切にしたいか、考えております。

 私たちは準備の段階を経て、当然ながら何等かのつながりがあってまとまってきた人たちと一緒に活動するなかで、私などは大学の教員生活が長かったためにみなさんから「先生」と呼ばれることが多かったのですが、私は「このハウスでは先生でも何でもないんだから」と繰り返し言ってようやく定着して、いまでは私を「庄司さん」とどなたも呼でくださる。

 学生は施設にいた時は職員を「先生」と呼んできたことが多いです。それから大学や専門学校でも「先生と学生」という立場。そしてハウスに帰ってきても、またごちゃごちゃ「先生」がいるというのはよくないと本当に感じます。私は学生の前で絶対に「先生」と呼ばれたくない。そういった繊細な気づきが暮らしの場ではとても大事だと思うようになり、いろんなところで考えさせられ教えられることが増えています。

 

 いろんな意味で私たちの活動は、吹けば飛ぶような側面があります。なんの制度にも乗らずに毎日毎日なんだかんだと心配しながら頑張ってようやくここまで来ている。そういうところの良さ、弱さを強みにしていくみたいな知恵があってもよいのかなと、むしろ自分を一生懸命に励ますためにそういうことばかり考えています。

 たとえば、私たちのハウスの宿泊体制は複雑で、ハウスアテンダントという立場で泊数を多くこなしていただいている4人の方に加えて、月に1泊とか2泊とかの方にも協力いただいています。学生さんから見ると一泊の方は覚えられないこともあるかもしれません。ただ、私たちが工夫しながらやっているなかでこういう状態になっていても、これが大人の世界であり、大人たちがたくさん関わっていることも捨てたもんじゃないというように捉えていく捉え返しがあってもいいのではないかと思うようになりました。学生さんによっては、あのスタッフさんは苦手だけれど、このスタッフさんには話してもいいかなとか、年齢が高くなるとそういうことがあってもいいと思うのです。いろんな人がいる、それが大人の世界、でもそういう中で、何年先でもいいから、いろんな大人がいたな、そのなかにいい人いたなという形で振り返ってもらえればと思います。いま少々、ちょっとなあという関係に仮になったとしてもですね。

 そんなにすぐに私たちの努力が実るわけではなく、社会全体がいろいろな問題を生み出しているわけですから、それを背負ってくれている若者がいるという面もあるわけです。何をよすがに頑張ろうかなという時に、私たち大人たちがいて、いろいろな若者たちがいて、そこでさりげない関係をつくりながら、でも何かあったら頼りにしてね、そのぐらいの関係でまたやっていこうかなという気持ちになりました。本当に今日はありがとうございました。

 

 

坪井節子さん) いろんな方たちがいらして、いろんなお立場からご発言をいただけるのは、本当に意義がある、貴重なことだと伺わせていただいていました。

 先ほど「先生」という言い方をやめましょうという話がありましたが、私たちも、子どもの権利委員会の弁護士たちの間で、弁護士はなぜか先生と呼び合うのですが止めようと。私もその委員会で一番上に近い年齢になってしまっているので、私を先生と呼んだら許さないと言ってきました。少なくとも「もがれた翼チーム」という「もがれた翼」の劇団みたいな中だけでも「とにかく、坪井さんと呼んで」と。「さん」と呼び合えると、気持ちいいですよね。子どもたちも一緒にお芝居をやりますが、みんな「さん」と呼んでくれます。

 「先生」と呼ばれて気持ちがいいという自分がいたんじゃないかな、そうじゃないところに自分を突き落として、対等になるという経験を積んだことがよかったなと思っています。

 

ひとりぼっちにしない人がいることが自分で立ち上がろうと思う力に

 「私たちは無力なんだよ」とカリヨンの職員や弁護士たちといつも言い合っています。「無力でいい、無力なんだから」と。援助しようとする人たちが陥りがちなのですが、「何かこの人たちにしてあげられる、してあげたい」という形で入ってくると、無力感ではなく、自分に能力があるからそれを使って助けてあげようという感じになってしまう。そうすると、途端に上下関係ができてしまって、支援する人と支援される人が上下になって、パートナー関係がなくなってしまう。

 この子どもたちは、すさまじい人生を生き抜いてきた。その子どもたちの人生なんて、とてもじゃないけど私は生きてきていないのです。その子どもたちの人生に対して頭が下がる、敬意を表することはあっても、自分たちが上に立ってこの子たちを引っ張ってあげられるなんて思い上がり。これを常に自分たちに言い聞かせている。そうしないとバテてしまう。何かができると思っていたら、何もできないから自分に力がないと燃え尽きてしまう。だから、初めから自分たちは無力なんだと。

 パートナーというのは、その人を支配してよくしてあげる、育て上げる、成長させる、立ち上がらせる、そういうことではないのです。立ち上がるのはその人自身で、成長するのもその人自身で、歩いていくのもその人自身です。ただ、ひとりぼっちにしないことだけが大事で、「ひとりぼっちにしないよ、一緒にここにいるよ。私もあがきながら一緒に悩んで生きているよ」という人がいることで、傷ついた人が自分で立ち上がろうと思える力になるわけです。

 子どもたちが上から目線の大人に再び支配されないよう、私たちは無力だといい合っています。

 

蜘蛛の巣ネットワーク

 カリヨンのはじめのころ19歳でシェルターに来て今30歳位になっている方がいて、それこそカリヨンを卒業してから10年間の間いろんなことがあったのですが、その人が言ってくれたことがあります。

 「自分の周りにクモの巣ネットワークがこの10年間の間にできてきた。はじめは、ひとりぼっちで、どこにもすがるところがなく闇の中に落ちていこうとしていた時に、まずカリヨンでふっと一本の支えができた。落っこちないでいいよ、一緒にここにいていいよという支えができた」。

 その人は、お医者さんにもつながりましたし、いろんな方たちにつながっていきました。そのなかで、仕事ができるようになりました。カリヨンのなかにデイケアの場をつくっていて、一対一でボランティアの人に遊んでもらったり、勉強を見てもらったり、鍼灸治療を受けることもできます。その子も、鍼灸治療を受けるなかで仕事ができるようになり、やがて鍼灸師になりたいと言い出して、当時はまだ奨学金制度が十分でなかったのですが、その子は自分で教育ローンを組んで鍼灸師の専門学校の夜学に行き、国家試験に通り鍼灸師になり、今ではカリヨンの子どもたちや私に鍼灸治療をしてくれます。

 その人が「蜘蛛の巣ネットワーク」と言っているのです。一本のカリヨンとの線から始まり、そこからお医者さんにつながり、仕事場での上司に恵まれ、そこから広がって広がって、鍼灸師の学校で先生につながり、彼氏にも出会い、結婚もでき、今は鍼灸治療院を開いています。

 「そういうところに蜘蛛の巣が広がっていった。蜘蛛の巣の真ん中に自分がいて、このネットワークは、どこかが切れても落っこちない。すべての人が助け続けられなくても、一本か二本、糸が切れても、自分はもう下に落ちていかない、それを実感する」と言うのです。こういうように、たくさんの人たちの支援が織りなして、闇の中にひとりぼっちで落ち込んでいこうとしていた子どもが支えられていく、10年もかかって。こういうのをつくっていきたいなと思っています。

 

 子ども同士から身近な大人へSOSを出せるようにという意見があり、本当にそう思います。それぞれの施設がパーソナルサポーターになってもいいよという人たちのグループに集まってもらって、子どもが学校で生活をしている時から交流があって、子どもたちと顔見知りになっていって、子どもから「困っちゃったよ」「死にたいんだよ」と出てきた時に、その友達が顔見知りの誰かにつなぐ。相性のいい人が、パーソナルサポーターとして、20歳になっても25歳になっても、「どうしてる、大丈夫?」と言えるような、そういう仕組みをつくれたらいいのかなと、今日みなさんの意見を聞いていて思いました。地域的にというのは最初からはなかなか難しいので、一つの施設ごとにそういう仕組みを持っていて、そのパーソナルサポーターがうまく機能するようになったら他の施設でもそれを一緒にやってみようか、そんなふうに増えていくといいのかなと、今日はヒントをいただきました。

 どうかみなさん、一緒にそうした蜘蛛の巣ネットワークをつくっていくために、つながっていっていただきたいと思います。よろしくお願いします。

 

大河内) 日本にはない支援の仕組みをつくっていく大変さ、運営していく大変さを伺いながら、それぞれのフィールドを持った方々にこれだけ話し合っていただけたこと、希望だと思います。

 今年は子どもの権利条約30周年ですが、どれだけ日本のなかで進展したのか。理念を共有できる人たちが広がっていく中で、誰かがやったことが同じ理念で同じ思いで広がっていきますことを思っています。

 

 

  • ソーシャル・ジャスティス基金(SJF)助成公募第8回のご案内

~いまの世論大勢や政策・法制度では見逃されがちだが、大切な問題にとりくむ市民活動を、資金助成と社会対話の場づくりを両輪として支援します~

助成申請 受付期間】 2019年 9月 1日から9月 20日  

助成金額】 1案件の助成上限は100万円です。

       ※自己資金充当、費用項目について条件はありません(助成金は人件費にも充当可能)。

詳細http://socialjustice.jp/p/2019fund/ 

 

 

*** 今回の2019年7月23日の企画ご案内状はこちら(ご参考)***

 

 

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