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   ソーシャル・ジャスティス基金(SJF)ダイアローグ開催報告

 

ソーシャルジャスティス

ダイアローグ2016 

 

 2016年88日、東京都新宿区にて、ソーシャル・ジャスティス基金(SJF)第4回目の助成先である3つのNPO(僕らの一歩が日本を変える、OurPlanet-TVWorldOpenHeartをお迎えし、いまどのような壁を乗り越え、社会的課題を解決しようとしているのか、実践的なお話しをうかがいながら、課題を共有し、今後を展望しました。多分野の活動団体が一堂に会することで、新たに気づきあい活動が発展するきっかけが生まれました。 

 続いて、会場のみなさんと<貧困>をテーマに、「生活保護とパチンコ?」と題して対話交流しました。この話題提供は、SJF3回助成先の生活保護問題対策全国会議代表幹事の尾藤廣喜弁護士からいただきました。困難を抱える人を信頼し尊敬する社会、困難を抱える人の声が政治に生かされる社会、公正な社会を考える糸口を、さまざまな立場から見いだした対話の場となりました。

集合写真20160808

 

1;第4回 助成先の中間報告

※総合司会・土屋真美子SJF運営委員 

NPO法人僕らの一歩が日本を変える。後藤寛勝さん(代表理事)(SJF担当委員=上村英明)

若者と政治に新しい出会いを届ける『票育』授業プログラム=助成事業名

 

後藤寛勝さん)今回助成を1月からいただいておりまして、半期ということでその成果の報告と今後の展望をお話しします。

 最初に、僕たちの活動について簡単に説明します。

 僕たちは、「票育」という授業を行っております。これは、18歳選挙権が成立して若者の政治参加の必要性が再認識されています。このムーブメントが起きていて、これに対して、若者が政治につながる機会と場づくりの新しい政治教育プログラムが「票育」です。票育は二つの力を養うことを目的としています。それは「自分の住んでいる地域の課題を見出す力」と「その課題を解決する選択肢を見出す力」です。

 票育は一つとして同じプログラムはありません。なぜなら、その授業を実施する地域の課題にそったテーマで行うからです。財政破綻や社会保障などの国の大きなテーマを中高生になげかけるのではなく、自分が住んでいる地域の課題についてどう自分がアクションをできるのかを学んでもらうプログラムだからです。これが票育のいちばんの特徴になっています。

 じっさいの授業のかたちは単なる出前授業ではありません。ぼくたちが授業をつくって届けに行くというプログラム体系ではございません。

 地方自治体の人材育成の一環として政治教育を行うというのが票育の特徴です。まず地方自治体から業務委託を受けます。そして地域の22歳以下の若者が、政治教育の担い手になる仕組みづくりを行っているのが僕たちの票育プログラムです。じっさいに「票育クルー」に登録してもらった地域の若者に僕たちがつくった研修プログラムを受けてもらいます。その研修では、1カ月・2か月、その地域の調査をしてもらいます。その調査をした学習成果を票育クルーが票育の授業という形に変えて、自分の地域の中高生に届けていくというのが票育の仕組みです。その票育の担い手を育てる仕組みを「票育クルーシップ制度」と呼んでいます。

 ぼくいち後藤さん20160808

 具体的な成果のお話しを4ついたします。

 一つは、地方自治体と業務提携をしました。

 もう一つは、この4月から70件を超えるメディア露出がありました。ぼくたちは若くて政治参加をがんばっていることが、メディアが注目するポイントであることを押さえて、票育の大切さや若者の政治参加を訴えるきっかけとしてメディア露出させていただいております。

 三つめは、4月から月平均で千人の子どもたちが票育プログラムを実行したことになりました。

 四つめは、本を出版させていただきました。18歳選挙権にともなって、政治教育の大切さや、選挙の時だけでなく、つねに自分たちの生活をどうやって政治に結びつけるのか、そして自分たちは何が出来るのか、その論点と選択肢を提示する本、『18歳からの選択』を出版させていただきました。僕たちが業務提携をした自治体の首長の方々や、著名人の方、教育関係者の方からコメントや推薦をいただきました。

 このように多くの方々から支援をいただきながら活動を続けています。

 

地方自治体を担う若者を育てる「票育」

 3つの自治体で具体的に何をしたかをお話したいと思います。

 宮崎県日南市で票育を行っています。日南学園高校と宮崎県日南市と僕たちNPO「僕らの一歩が日本を変える。」の3つが業務提携をして、日南市1期の「票育クルー」が発足しました。ここの票育クルーは10代の子たちです。票育クルーは、自分たちの学習成果をこの6月に高校3年生たちに票育授業として届け、現在も研修や授業づくりを継続していて、後期も票育の授業枠が用意されています。ぼくたちが現地に行かなくても、票育クルーが票育授業をお届けする担い手となっています。票育クルーは自治体の認定のもと地域活動を続けていて、じっさいに多くの生徒会の子たちや自分の同じクラスの子たちに授業枠のなかで票育をお届けしています。

 岐阜県美濃加茂市とも業務提携を結びました。美濃加茂市は最年少の市長です。票育を通して人材育成を使用ということで、調印式に参加させていただいて調印をしました。じっさいに票育クルーを組成するという段階になっています。そこに若手の行政職員さんが協力し、票育クルーを統括していくということを行っています。議会を通すということで、議長と副議長、そして議員の方々と市長がいるなかで、票育や票育クルーシップの必要性をお話しさせていただきました。

 長崎県大村市ではNPOとして地域人材育成アドバイザーに任命いただき業務提携いたしました。票育クルーシップ制度の採用をしていただいています。日南市や美濃加茂市と同様に、票育クルーをどうしたら多くの人に届けられるかということを行政と学校と連携しながら行っています。じっさいにこの5月に同市内の高校で僕たちが票育を行い、1000人もの子どもたちが学んでくれて嬉しいなと思っています。この9月には票育クルーの1期が発足して、11月以降に、票育クルーが票育授業を届けることになっています。

 

地域課題への当事者意識を高めることから、社会全体を考え行動できる人間を育てる

 今後の展開についてお話しします。

 政治教育には担い手が必要だと思っています。中高生の子たちは政治のことを投げかけられる時に、ものすごく大きな枠組みから自分たちのことに落とせと言われているのが現状です。学校で衆議院と参議院の枠組みしか教えてもらえないにもかかわらず、財政破たんをどう考えますか、そして社会保障をどう考えますかと問いかけられています。でも基本的に、大きなことから自分のことに落とし込むことはとても難しいことです。

 これを逆方向に進めることが大事だと考えています。つまり、まずは票育クルーになる。そして地域のことを知る。地域のために活動をする。これらによって自分たちの当事者性を高めてもらいます。地域の担い手としての意識を高めてもらいます。これが票育クルーの子たち、同世代の子たちが、自治体のお墨付きのもと、自治体から責任を負わされて段階で、地域で活動することがステージ1のポイントです。

 そして、自分たちが学んできたことがきちんと地方自治体に反映されていく、学校で票育を学んだ人が何人いるということだけでなくて、そこにたどり着くまでに学んできたことが地方自治体の政策に反映されていく、ということをステージ2では想定しています。そして最後に、その票育や地方自治体での段階を踏まえたうえで初めて、日本や社会全体について考える若者が育まれると僕たちはとらえています。そういうモデルケースを僕たちは多くの自治体でつくる、つまりステージ2をひたすらやり続けていくことが、日本全体の政治教育を変えていくこととして地域を起こす人間を育てていくことだと思っています。

 

若者が地域で学んだ成果を政治に反映させる枠組みを

 票育で一番大切にしていることはアウトプットです。けっきょく自分たちが文献調査や地域ヒアリングをして地域について学んだところで、それを発揮する場がなければ意味がないと。いままでの政治教育、そして政治に関することは、けっきょく政治に関心を持ってもそれを発揮し形にする出口がないことが、若者が政治に関心を持てない一番の問題だと思っています。ですから、そのアウトプット、出口の枠組みを自治体が用意することが、若者の居場所を政治のなかにつくることにつながっています。それを参加型でやるのが票育のポイントになっています。これを3つの自治体で行っています。

 ステージ1から3それぞれのアウトプットはどういう形になるか。ステージ1では、学習成果を票育でアウトプットします。22歳の若者による若者のための政治教育を行って、同世代に成果を還元するのです。

 ステージ2では、その学習成果を授業だけでなくて自治体の政策にアウトプットしていく、自治体に還元していく段階です。

 ステージ3では、社会に若者の受け皿をつくっていく、若者が政治から役割を与えられた上で、活動できる土台をつくってもらった上で、ひたすらアクションしていくという段階です。

 先の3つの自治体で至っている段階はおそらく、ステージ2.5あたりだと思っています。学習成果を票育でアウトプットすることはどの自治体でも行われています。でもじっさい1カ月・2か月間フィールドワークして研修で学んだことが、自治体のためになっているか、自治体の声に反映されているか。そこはまだ課題として残っています。

 ですから今後、市長の諮問機関や、若者の委員会を自治体のなかに設置しようと思っています。前期では、まず票育クルーという地域の担い手をまず育み、そしてそれを自治体に認定してもらうことが課題でした。これは業務提携によって票育クルーの子たちは自治体で正式に任命されて地域で活動できる母体になっています。この母体を正式に流動させるために、自治体のなかにしっかりとした枠組みや制度として落とし込んでいくのが、ステージ2のポイントになっています。業務提携の契約期限である来年3月末までに、諮問機関や委員会などの制度や枠組みをつくりこんで、そこから自治体に還元して流動していきたいと思っています。

 このように政治教育から発展したモデルケースをつくれればいいなと思って活動してきました。

 今後も地方自治体を対象とすることがメインになっていくと思います。

 若者の投票率、参議院選挙で18歳は51%、19歳は39%、全体の投票率は54%で低いんじゃないかとメディアではとらえられていますが、僕自身はとても前向きにとらえています。18歳選挙権の成立から投票日まで突発的なキャンペーンや教育が多かったなかで、この投票率を僕は前向きにとらえています。だからこそこの投票率を下げない、上げていくことを当たり前にするために、政治教育を学校の中だけで終わらせない、地方自治体を巻き込んだ仕組みとして政治教育に挑んでいくことが課題だと思っています。

 また次の3月にも良い報告ができるように邁進していきたいと思っていますので、これからもよろしくお願いいたします。

 

土屋)ありがとうございました。ソーシャル・ジャスティス基金の特徴として、助成のお金を出すだけでなく、必ず担当がついてフォローをします。この団体の担当は上村英明、ソーシャル・ジャスティス基金の運営委員長です。

 

地元から政治に参加、ナショナルな問題とどう向き合うか

上村)二日前にタイのバンコクから帰ってきました。ご存じのように、タイは軍政を容認する新憲法が成立しました。また世界で危ない展開があるなと。ソーシャル・ジャスティスという一つの視点から見たときに、いい方向にいっていないなというのが、日本だけの話ではなくグローバル化しています。

 このようななかで、少なくとも日本の課題をどう扱うか。後藤くんたちが取り組んでいることは非常に重要なことだと思っています。

 後藤君たちは戦略がだんだん明確になってきたと見ています。後藤君たちは、自分たちの地元のところから実践体験や成功体験を積み上げていって、将来的に上のレベルに揚げていく。時間はかかるけれども、戦略として明確で、非常に貴重なものだと思っています。

 PARC(パルク)が『18歳選挙権』という啓発ビデオをつくりました。そのなかで、「僕らの一歩が日本を変える。」も紹介されています。見て非常におもしろかったです。じつは18歳選挙権について文科省と総務省がつくったマニュアルがあるのですけれども、マニュアルはやはり実践体験や成功体験に結びつかない。後藤君たちと同じようなことをやっているように見えて、じつはクオリティがかなり違うというのが、あらためて僕が感動したところです。文科省や総務省は、模擬投票、模擬請願。悪い言い方をすれば、やらせ。練習しましょうねといって本論には触れない。でも後藤君たちがやったことは、最終的に自治体にどこまで落とし込めるか。また、議論をするときに、地域の問題をきちんと洗い出していく。パルクのビデオに出たのは、地元にある大事な問題をスタッフたちが丁寧に回って問題を整理し、これをめぐって候補者がいたら投票はどうなるかという、かなりしっかりしたモデルになっていました。

 

 今後の展望、あと半年ぐらいについて二つお話しします。

 一つは、お話しにあったように3つの自治体で進んでいますが、これが日本社会全体に広がっていくためにはどうしたらよいのか、そろそろみんなで考えてもいいのかな。この日本が集中して一番大事な政治について激論した時代に活動した成果をちょっとまとめてほしいなと思っています。

 もう一点は、地元、足元から政治に参加し、体験学習と成功体験を積み上げていくというアプローチだと、逆にナショナルな問題に達した時にどうなるのかな。ナショナルな問題になると権力とぶつかりますから、そういうなかでの日本の政治教育をどう展望するのかなというのは、もう一つの課題だと思っています。これは後藤君たちだけに押しつけるのではなく、日本の市民社会全体で考えていかなければいけないことです。先ほどお話しにあったように、ナショナルなレベルでの難しい問題を下に分からせるというと、やっぱり分からないよねと崩壊してしまった日本の民主主義の問題に、ある種の貢献ができるのではないかなと期待をしています。

 会場からご質問などありますか。

 

参加者)ステージ2の自治体への課題のお話しが出ました。具体的にどのような課題があがっていったのか少し教えてください。

 

後藤さん)上村さんがおっしゃった葛飾区でいうと、「商店街のコミュニケーション不足」を課題に扱いました。

 当初インターネットや文献で調べるとシャッター街になっていくなどの課題が出てきますが、実際に足を運んでみると、お店とお店のコミュニケーションがとれていなかったから意外と「防災」について不安があるという人が多かったです。その課題をじっさいに葛飾区では題材にして授業を行いました。

 また、宮崎県日南市の課題としては、伝統地区として指定されている地域で空き家が多くなっていると。日本全国の課題でもあると思いますが、伝統地区にある空き家はものすごく処理しにくいのです。この空き家をどうやって若者の居場所にしていくか。地域の人たちを愛して、自治体のためになるようどう変革していくか、を考える授業をしました。

 こういう形で、ネットや文献で調べたものと、実際に足を運んでみてわかったことのギャップが生まれた時に初めて、若者は政治に関心を持ったり、気づきや発見が生まれたりするので、そこを大事にしながら中高生に議論してもらうようにしています。

 

参加者)日本を変えるというテーマは難しいと思いますがやりがいはありますか。また、地方だけでなく東京の人間を変えてほしいのですが、東京を舞台に活躍すると危ないですか。助成金は難しいですか。

 

後藤さん)非常にやりがいを感じています。じっさいに地方自治体や現場に足を運んで大切だなと感じるのは二つあります。一つは人です。そこにいる人たちを僕たちは好きになりますし、すごく人に可能性を感じています。もう一つは文化です。じつはその地域にしかない飯を食べるのがいちばん楽しいです。人と文化という一生つづいていくであろうものを、僕たちは政治教育や人材育成を使いながら再発見していけるのだろうと考えている時が楽しいです。

 ぼくはマスを一気に変えるのはとても難しいと思っています。効率を重視したほうがよいと思います。小さい地方自治体でも政治教育で人材育成が進み若者の政治参加が進むというモデルを、多くの自治体、日本に示すことができれば、そのモデルが大きく波及していくという考えを僕たちは持っています。

 東京でやると、One of Them になってしまうのです。この大きな東京という一つの国みたいなところで新しいことをやろうとしても、壁が厚くてなかなか受け入れられないので、それよりハードルが低い地方自治体でよいモデルを構築したほうが、波及性が強いと考えています。

 

学校外の人を入れて政治教育への不信感を払拭

上村) PARCの監督さんとお話して――白石草さんも協力したらしいのですが――、高校という教育現場でじゅうらいの教師がいかに政治教育について不信感を持っているかがよく分かりました。票育で地域の課題を出しながらある種の模擬選挙をやっていくときに、政治なんか考えたくない高校生たちが最後には、こうやって政治を考えて選挙しなければいけないよねと、どんどん変わっていく。これはやはり、学校の外にいる人たちがいかに学校に入っていくか、逆にいえば、今の学校はいかに内部だけでかたまっているかが、後藤君たちがやっていることの一つの重要なポイントではないかと思いました。

 

 

NPO法人 OurPlanet-TV 白石草さん(代表理事) (SJF担当委員=佐々木貴子)
Support and Survey on Young GenerationsSOYプロジェクト~保健室および地域の健診データ記録・蓄積化~=助成事業名

 

白石草さん)こんばんは。

 先のお話しに出た、PARC(パルク)のビデオをつくったのは私です。票育はとっても大変なことをやっているのですけれども楽しそうで、ビデオに出ている葛飾区の高校で少しぐれているような子がたくさんいるなかで、おもしろい授業を展開しているなと思っています。

 私たちのプロジェクトも「学校」がひとつのキーワードです。SOY(ソイ)プロジェクトといいます。

 福島第一原発事故が起きて、本来であれば一定の基準のもとで健診が行われるべきなのですが――チェルノブイリではCs137(セシウム137)37Bq(ベクレル)m2以上の汚染地域では健診を行うといった基準があるのですが――、日本では行われていない。しかも、福島県では健診を縮小しようとする動きのなかで、一体どうしたらいいのかという問題意識があります。

 前回のプロジェクトではチェルノブイリでは学校がどういう取り組みをしているか、取材しDVDを作成して対話の糸口にしました。

 今回のプロジェクトでは、もう国がどうにもならんと。「僕らの一歩が日本を変える。」の話と相通じる。国がやらないのであれば、自治体で少し、あるいは市民レベルでいろいろな取り組みがなされているので、どうにかしてその現在行われているもののなかでより良いものを抽出して他で使える形、あるいは十分に共有されていないような知識を共有化する形で、健診のモデルを作っていこうとしています。そして記録の蓄積という意義(目的のために)で、学校の保健室で何ができるのかという取り組みもしています。

 プロジェクトの主なメンバーの一人に、養護の先生を育てる先生として、たくさんの教え子が学校現場で養護の先生をしておられる大谷尚子さんがいます。またチェルノブイリの現地で調査や支援をしている吉田由布子さんとも一緒に取り組んでいます。

 OurPlanetTV白石さん20160808

原発事故から30年後、財政難でも支援するチェルノブイリ地域、次世代の子どもも健診

 チェルノブイリでは被災地が現在、ロシア・ウクライナ・ベラルーシと三か国に分かれていますが、事故から5年経った時に、チェルノブイリ法という包括的に被災者を支援する基本的な法律ができました。

 放射能が一定基準よりも強い地域に住んでいた人たちを支援するモデルがあります。また、事故の後に生まれた次世代の子どもについても健診を行っています。ウクライナはいま大変な財政難なのですけれども、事故から30年たったいまも、子どもたちの健診率は98%、一般の大人たちは90%、作業員は95%という大変高い受診率となっています。さまざまな早期発見・早期治療のしくみがあります。さらにデータの蓄積もウクライナだけで240万人。3か国あわせて700万人のデータの蓄積があります。

 日本ではこれらが全く行われていません。福島県のなかだけ、それも一元的でない形で、東京電力と環境省、経産省資源エネルギー庁が出したお金を元手に、避難区域の人たちの健康診査、福島県内の子どもたち38万人を対象とした甲状腺検査、外部被ばく線量の推計を中心とする県民健診、事故収束作業者・除染作業者の健診とデータ保管がいまは行われています。福島県内の人たちはこの検査のことをよく知っていますが、県外の人たちはあまり知らないという、いびつな状態です。

 チェルノブイリでは子どもたちに関してもきめ細やかな指針をつくって健康管理を行っています。日本では国からお金が出ないなかでも、学校現場や自治体現場で私たちは具体的にどういうことができるのか、あるいは市民団体がいまやっている検査もよりよく改善できないかと取り組んでいます。

 

 この半年間何をしてきたかお話しします。

 養護の先生がそれぞれどのような取り組みを実際にしているのか・していないのか、どういう問題意識を持っているかについて意見交換をしています。

 また、福島県内外の自治体で、検診をしてほしいという住民の声をベースに、独自の――国がやらないから仕方がなく――取り組みをしているところがありますので、そういったところを調査しています。

 

独自に放射線健康管理体制を行っている福島県の自治体――浪江町――、町民も健康管理委員会に参加

 自治体のヒアリングから先進事例を紹介します。

 福島県浪江町をとりあげます。福島第一原発から北方向にあります。SPEEDIが公開されなかったために非常に高い線量の津島地区に誤って住民みんなが避難してしまい、福島県内でも最も高い被曝をしている自治体です。そこの健康保険課のみなさんにお話しをうかがいました。

 浪江町は福島県内でも独自の追加的健診を行っています。ホールボディカウンターを福島県全体より早く開始し、染色体で将来的に健康について何か問題がないかを調べる検査も実施しています。最も重要なのは、放射線健康管理手帳を交付していることです。ほんらい一定基準以上の汚染地域では全て交付すべきものですが、日本では自治体で一本化して行っているのは浪江町だけだと思います。

 広島・長崎での原爆投下から50年たった1995年に被爆者援護法ができ被爆者健康管理手帳が交付されていますが、浪江町は国に対して、それと同等の法整備とそれに基づく手帳交付と検診体制の整備を求めています。でも国は何もやってくれないので、20128月に独自の放射線健康管理手帳をつくって、事故当時の住民すべてに交付しています。紛失したら再発行もできます。浪江町はこの手帳に住民それぞれに固有の番号を付し、町独自の健診結果を記録し、町独自の健康管理システムのデータベースと連動させています。

 じつはどこの自治体もふだんの検診情報はひとつのデータベースで管理しています。浪江町はそれを拡張し「総合保健情報システム」に追加する形で予算をかけずに構築しています。浪江町のこのデータベースには、一般健康診査、特定健診、がん検診、そして被曝に関する検診――ホールボディカウンターによる内部被曝検査結果・ガラスバッチによる外部被曝検査結果・甲状腺検査結果・初期被曝検査結果および避難状況など――などが入力され、連動して管理されています。

 課題としては、学校検診・乳幼児健診・妊産婦検診が、日本では法律がばらばらになっているために、これらと他の健診結果の管理とが一本化しにくいことです。これらも一本化できるかできるかは今後の大きな課題だと思っています。

 また、浪江町のなかに放射線による健康管理検討委員会を設置しています。その委員会には、専門家・医大の先生・保健所の医師・PTAの役員・主婦など町民が入って、健康の課題について話し合っています。ただし、PTAは入っていますが、学校の先生や校長先生は入っていません。

 いつもこういった委員会について思うのですが、専門家だけで会議を構成している自治体と、町民や学校関係者を交ぜている自治体とがあって、明らかに後者、市民が入っている委員会のほうが市民のニーズに積極的で、健診などをかなりフォローアップしていこうという姿勢が強いです。専門家だけの会議を設置しているところは、最初からそういう期待なのかもしれませんが、なるべく原発事故関係の健診はさせたくないという方に動きます。この点については最終的な調査結果でも明らかにできればと思っています。

 

甲状腺検査を住民、教育関係者もふくめた自治体協議会で決定、再検査者を細やかにフォロー

 こんどは北茨城市という、福島県に隣接している県外の事例です。こちらは去年・一昨年と甲状腺検査を独自に設けている自治体です。じつは甲状腺検査をしてほしいという声は、福島県外の多くの自治体から上がっています。そのなかで北茨城市は協議会を設置して、甲状腺検査をやると決定しました。北茨城市の協議会の特徴は、教育関係者がかなりの数入っているところです。また女性団体の代表も入っています。専門家が構成する協議会を設置している自治体――たとえば栃木県下の自治体など――では、被曝影響が少ないから検査をやらないと最終的に決定していますが、北茨城市の場合には、住民の声を生かそうということで、検査をする方向で決定しました。  

 北茨城市の検査では、去年・一昨年と原発事故当時4歳以下の子どもたちを対象に行っています。それから去年は当時4歳から18歳だった子どもたちを対象に行っています。ここのユニークな点は、スクリーニング検査をおこない要精密検査、つまり癌かもしれないということで専門の病院に行かなければいけないという人については、保健師さんがその全ての家庭を訪問して、どういう状態なのか、もし再検査で癌がみつかったとしてもどういうことか、検査結果についての通知を直接運んで説明しています。これは手間がかかり大変なことですが、素晴らしいことです。

 福島県では検査結果の通知の出し方が県民の反発を招いているということを、北茨城市ではそれを反面教師にして、検査結果の総合所見が悪い全てのご家庭を訪問して直接説明しているのです。

 結果として、北茨城市で健診を受けた方のうち、3人が甲状腺癌と診断されて手術を受けています。

 このように北茨城市は、1次検査と2次検査の間に保健師さんが直接説明に行くところは非常に高く評価できます。また、検査費用はうまく国の復興交付金を使っていて、市独自の予算を使わずに国から出させているところも重要です。ただ、検査結果は、本人には通知していますが、学校には通知していません。また、癌と診断された子どものフォローアップはなされていません。そこは、たとえば保健師さんがさらに訪問を続けたり、学校保健室の養護の先生がフォローアップしたりといった体制がとれれば、さらに良いのかなと思います。

 以上が、行政についての報告で、さらに情報を蓄積しているところです。

 

保健室の養護教諭被曝の健康影響にも目を配る――宮城県大崎地区

 いっぽう養護の先生については、福島・宮城・茨城の3つの県を訪ね、意見交換をしています。

 じつは宮城県の一部の養護の先生以外は、被曝の健康影響という視点をお持ちの養護の先生が少ないということが分かりました。とりわけ福島県では、その問題を考えること自体が押さえこまれているようで、子どもたちの健康面で何かあるかもしれないという視点で見ている養護の先生方が非常に少ないです。

 今回、私たちが参考にできる好事例として、宮城の北部にある大崎地区をご紹介します。ちょっと線量が高いところです。汚染状況重点調査地域という年間1ミリシーベルトを超えるところではなく、東京ぐらいの汚染状況の地域です。この地域では、保健教育研究部を設けて、2011年から「放射能と健康問題」をテーマにすえて、計画的に活動を行っています。研究会のなかでは、子どもや保護者の反応、学校の教育、学校便り・保健便り――保健便りも非常に素晴らしく、たくさんの注意事項が書かれています――、体の変化などについて記録しなければという意識を持って、常に議論をしています。また学校現場では、とくに子どもたちに対して、被曝を避けるような生活が送れるように、学校ではどういうところが危ないか、何を食べると危ないか、保健室に掲示しています。小学校・中学校それぞれ工夫した指導がなされています。

 他のほとんどの地域では、「心のケア」・「リスク・コミュニケーション」という形で、被曝の影響は起こらないから心配させるなと、上から偉い先生や専門家が学校に来て研修等が行われています。

 そういったなかで、この宮城県大崎地区は、非常に子どもの健康変化に目を配っています。いま大崎地区で重視されているのが、パルス・オキシメーターの活用を始めることです。このメーターは、指にはめると体内の酸素濃度がすぐに測れるという有意義な機器で、1万5千円ほどです。たとえば熱中症になりそうな日にメーターで見て、数値が悪ければ速やかに対策をとることができます。被曝影響だけでなく、心筋梗塞などで子どもが学校で突然亡くなるリスクへの対策として、この地域ではみんな買うことにして、体育の時などなるべく早く子どもたちの不調を察知して対応しています。

 いま私たちとしては、宮城県の好事例を丹念にまとめて、養護教員がすぐに活用できるものを作っていきたいと考えております。

 今後の方向性についてお話します。

 学校の養護の先生たちが、わたしがウクライナの学校に行って見てきた向こうの先生のように、子どもたちに変化があるかどうかという目線で物事を見て把握しているかというと、残念ながらかなり実践されていない。

 いっぽう、行政で独自の検診を求める声とともに実施している例はあります。でも、学校と行政の間で、全く連携がなく、情報も交換されていない。ここにどうにか回路をつくっていって、よりよい取り組みをしているところもありますので、それらをきちっと可視化していく必要があると思っています。書籍のかたちで、養護の先生がすぐに活用できるようなものを作成していければなと思っています。

 

佐々木) ナショナルな課題に対して、でもソフトに、問題解決についてどういった方法があるか、真摯にフィールドワークを通して模索してくださっています。いまお話しされたような情報すらも私たちの記憶から日々消されつつあります。メディアでも、昨年と今年はチェルノブイリから30年ということで12回は連載等で出されたところもあったのですが、それ以外では2011年以降どれぐらい頻繁にこのことを取り上げたでしょうか。国連人権委員会の勧告(グローバー勧告)、子どもたちの健康被害・大人たちの健康被害についても、日本の体制は無視に近いですね。

 ロシアもすぐに全ての支援をしたわけではないでしょうけれども、チェルノブイリで白石さんたちがしっかりと視察してまとめられたように、ロシアは日本のようにすぐに住まいや保養事業、健康管理の支援を打ち切らず、支援や保障をいまだに続けています。対象の広さ、長期的な時間軸、国家責任が日本とは全然違うと思います。

 因果関係を見えるようにしていくことはこれからもとても大変な面があると思いますが、さらに進めていただきたいと思っています。養護教員の方、自治体の方としっかりと手を結びながら、子どもたちが安心して未来を壊されることなく健康に過ごす権利を、大人がどうやって責任を持って保障していくか、みなさんとアドボカシーカフェ等で考えていければと思います。

 会場からご質問は。

 

水俣・広島・長崎の経験から学ぼう、ポイントを押さえた健診調査を連携して

尾藤廣喜さん)  じつは私は、水俣病の県外被害者の救済問題と原爆症の認定訴訟を過去30年担当してきていますので、水俣の問題点と放射線被害の検診の必要性について、少しは知識を持っていると思います。いまの福島の状況はそういう点から言うと、最悪です。被害者側は、まったく水俣の経験から学んでいないし、広島の経験にも学んでいません。

 検診手帳の話が出ましたが、それは一部でしか行われていません。

 健診体制をとるとすれば、ひとつはデータ項目の問題があります。共通の項目で一致してやらなければ、必ず行政からも原因者からもケチをつけられます。

 それから、疫学調査は全数調査でなければ、恣意的な調査だから信用性がないと必ずケチがつけられますので、この点も注意してやらなければいけません。

 もう一つの問題は、非曝露地域と対照する検査でやらなければいけないこと。影響ないだろうから非曝露地域をやらないというのはとんでもない話です。疫学データというのは、曝露地域と非曝露地域との比較しなければならないわけですから。

 それから、被曝の問題は、甲状腺だけではありません。肝臓にも影響してきますし、先ほど話しに出た心筋梗塞の原因にもなりますし、糖尿病の原因にもなります。しかも、こういう全身症状は10年・20年・30年してから明らかになってくるわけで、それを意識した調査を今からやっておかないと取り返しがつかないことになります。10年・20年・30年したら東電にしても国にしても因果関係を必ず争ってきます。いまでも争ってきているわけですから。

 そういう意味でも、健診の必要性をもっと世論として高めていかなければいけないし、いろいろな形で健診をしているボランティア団体――私は京都ですが、京都でもやっています――がみな連携をとりながら理想的な健診体制をどうやって作っていくのか考えていかなければいけません。チェルノブイリの経験も大事ですけれども、ぜひとも広島・長崎の被爆者の経過がどうだったのかということと、水俣でどういうことをやられて漁場汚染が長年どうなっているのか、検診が十分でなかったために水俣は60年経っても未解決になっている状況も把握していただければと思います。

 いろいろなところで一生懸命なされているのですが、お互いの連携がなされていないことを心配しております。

 

 

NPO法人WorldOpenHeart 阿部恭子さん(理事長) (SJF担当委員=大河内秀人)
加害者家族の現状と支援を考えるシンポジウムの開催=助成事業名

 

阿部恭子さん)みなさんこんばんは。

 あなたは加害者にならない? 

 私たちは、現在まで600件以上のありとあらゆる加害者の家族をサポートしてきました。日本を震撼させた事件の家族もおります。どちらかというと故意犯のほうが過失犯より相談者が多く、いままで報道で取り上げていただいたのは全て殺人事件の加害者家族でした。近年、交通事故案件が増えております。

 WorldOpenHeart阿部さん20160808

加害者性を遠ざけず、人権教育のなかでも

 交通事故が怖いのは、加害者が故意ではないにもかかわらず、複数の被害者が出ているケースが多いことです。自動車ですから、2人のお子さんが亡くなってしまうケースもあります。こうした死亡事故の加害者とその家族が背負っていく十字架は重いのです。

 みなさん人との関わりあいのなかで生きているので、大事な方がいらっしゃると思います。その大事な方が被害者側ではなく加害者側だという場合、とても心を痛められると思います。

 被害者との比較の問題では決してありませんが、被害者のほうは法律もありまして、みなさん万が一、被害者になってしまった時には、警察に行っていただければ、いろいろな支援を受けられる体制が整っております。

 ただ、加害者――被疑者被告人とか受刑者とか――は権利があるので弁護士さんも付きますし何らかの制度に則っていますが、その家族という人を支援してくれる制度がありません。世界的にも、判決が確定する前の未決の段階から、国の制度で支援をしているところはないと思います。それでも海外では、キリスト教団体とかいろいろな市民団体が支援をカバーしています。日本ではまだ、私たちWorldOpenHeart2008年から始めているところです。

 夏なので、みなさん旅行に車などで出かけるとき、交通事故には気をつけてください。また子どもが学校でお友達を傷つけてしまったといったケースもよくあることです。いま自転車事故も危ないですから。保険にきちんと入っておかないと、高額な損害賠償額を負担することにもなりかねません。

 加害者性を遠ざけず、できるだけ当事者意識を持っていただきたいです。加害者の立場になって考えようというのは、なかなか難しいでしょう。これまでは遠ざけてきたことかもしれませんが、できれば、こういった話題を学校教育や人権教育のなかで取り上げ、浸透していけばいいなと思っているところです。

 

犯罪加害者家族の問題は人権問題

 東北弁護士会連合会で、加害者家族の問題は人権問題なんだと取り上げられました。いわゆるケアの問題として語られてきたことはありますが、人権問題であるという社会的認識が必要です。

 家族が加害者になった412人の方からのデータでは、約90%が自殺を考えています。また約40%の人が、結婚の破断や転居を余儀なくされています。そして半数ぐらいが家族のプライバシー(家族がどこに勤めているだとか、兄弟はこの人ですよとか)をインターネット等で曝露されています。学校もひどい状況です。報道が犯人の子どもが通っている小学校にまで押し寄せて、学校も対応が大変だったのでしょうけれど、その子は転校を学校側から催促されるということが行われています。でも泣き寝入りするしかなかった。加害者家族という立場で憲法違反などと主張することは容易ではありません。こうした事実がようやく明らかになってきました。

 弁護士とくに刑事弁護人と被疑者被告人の家族とは少し微妙な関係にあるのですけれども、東北の弁護士さんたちが重い腰を上げてくれた。東北弁護士連合会でこの問題を弁護士がやらなければいけないと言ってくれたことは非常に大きなことだと思います。これを全国に広めていただきたいなと思っています。

 

被害者支援と対立する関係にはない

 被害者支援も十分ではありません。そのなかで、なぜ加害者側を支援しなければいけないのか、という疑問は当然あると思います。

 でも一つの犯罪から、加害者家族が自殺するケースなどがあります。この自殺をしてしまうことによって、更生の支え手である大切な家族がいなくなってしまい、犯罪の原因の解明もできなくなり、責任を果たすこともできなくなります。ですから、一つの事件からそれ以上、犠牲者を出さないという意味では、被害者支援と対立する関係にはありません。そういう点も含めて、アドボカシーカフェで、犯罪被害者支援の片山徒有さんと一緒に登壇させていただき、非常に反響がよかったです。

 そうしたシンポジウム、市民と一緒に考えるイベントを、ぜひ全国各地で開催していきたいと思っています。私は仙台に住んでいますが、相談は東北からの事例が多いわけではなく、全国から来ています。いままでも、全国的にサポートをしてきました。

 だいたい5箇所くらいでシンポジウムを開催したいと考えております。いま、大阪にも同じような団体ができていて、福岡にもいろいろ協力者がいて、そこで開催することはできますが、できればこれまで協力の土壌がないところで開催してみたいと思います。地元の弁護士さんが協力してくださると非常にやりやすいです。ぜひ我がまちにとか、我が地域にという方はいらっしゃいませんでしょうか。

 開催日は、124日から10日の1週間に集めようと思います。これは、法務省の人権擁護週間なのです。わたしたちWorldOpenHeartは、成果目標を高いところに置いています。人権問題として、法務省のホーム―ページで人権擁護として、DV止めましょうとか、ハラスメント止めましょうとか載っています。そこに、親が犯罪者の子どもに対する差別をも盛り込みたいのです。そうすると学校の人権教育でも取り入れてもらえるようになると思います。みなさんぜひご協力の程お願いいたします。

 

大河内) 気がつかなかったところに気がつかされてきました。突発的にいつ自分に降りかかってくるか分からない問題として考えてみると、いろいろなケースに想いが巡るのですね。私自身をみても、たとえば自分の子どもが何かしでかすことは不思議なことではないですし、学校内に犯罪者のお子さんがいるケースは当然ありますし、家庭内での虐待という形での加害者と被害者が一緒に暮らしているケースもあります。

 人をどう見ていくのか、支え合っていくのか、更生、いろいろテーマがあると思います。阿部さんのお話を聞いて、身近な問題になったと思います。

 WorldOpenHeartでシンポジウムを地方で開催したいという話がありました。おそらくコミュニティーの閉鎖的な地域でのほうが、より問題は深刻かもしれません。

 メディアと人権という観点からもあわせて考えていきたいと思っています。このアドボカシーカフェの際に思ったのですが、加害者の家族が被害を受ける背景には、メディアの存在も大きいのではないでしょうか。

 個人的には、寺の住職が生業でして、犯罪をその後どういうふうに乗り越えていくかということについて、ひとつは「赦し」という部分が大きいのではないかと思っております。そういう意味では、宗教的なアプローチというのも重要ではないかと考えているところです。

 みなさんには今日はじめて犯罪加害者家族の問題を認識された方もいらっしゃると思いますが、ご質問などありますか。

 

参加者)罪を犯す方というのは被害者以上に屈折した問題があって、加害者の家族の方たちもさまざまな被害を受けてきたのではないでしょうか。

 

問題を可視化し、当事者意識をもって考える機会を

阿部さん) ふつうの家庭からも犯罪者が出ています。私たち600件くらいのケースを支援してきたデータでは、その半数は家族が定職についていて、ふつうの社会生活を送ってきた人たちです。暴力団のような特殊な人々はほとんどいない。一見ふつうの家庭からも犯罪が出ている。データを偏見なく見ていただきたいです。こういう人が犯罪者になるといった見方は当てはまらないのではないかなと思います。いままで、犯罪加害者の家族の問題が可視化されてこなかっただけで、当事者性を持って考える機会をつくっていきたいと思っております。

 

参加者)いかに身近だという例としてお話しさせてください。私自身は、自転車で人をはねてしまったことがあります。相手はご高齢の女性で、倒れられ、救急車を呼びました。警察署のすぐ目の前で起きて、状況は見えていました。結果的にそんなに大事にいたらなくてよかったのですが、加害者になるのは普通のことだと思います。

 もうひとつは、私の家内はオレオレ詐欺の被害者です。いまから10年くらい前ですが、お宅のご主人が交通事故を起こしましたと、電話がかかってきたのです。家内は頭の中が真っ白になって、お金を入れてしまったと。少し違うはなしかもしれませんが、お話ししたかったことは、確かに遠い存在ではなくて、身近だなということです。

 

阿部さん)私もその通りだと思います。ありがとうございます。

 

参加者)ゆがんだ正義感がエスカレートした結果、こうした人権問題が起きている社会なのではないかなと感じました。冤罪加害者も、犯罪のニュースが出ると村八部になってしまうということも昔からよく聞きました。い多くの問題性をはらんでいると感じました。

 犯罪者の実名報道については、メディアのリテラシーも課題なのではないかと思うのですが、それは法務省の人権問題に載っていない課題なのでしょうか。

 

報道でも人権問題意識を

阿部さん) 報道被害の問題はテーマの一つです。メディア・スクラムが加害者側に押し寄せる。みなさんも報道を注意して見ていただきたいのですが、ほとんどが、事件直後、捜査段階での報道なのです。その段階では、おそらく被疑者自身もなぜそのような事件が起きたのか理解できていないケースもあるでしょう。シンポジウムには、報道の方も呼んで、人権問題意識を高められればと思っています。

 

大河内) 犯罪加害者の家族が被害者になってしまう。それを被害者にしてしまうのは何なのか。それは周囲の人権意識なのではないでしょうか。みんなの課題として、みんなで支えていければと思いました。

 

  

【第2部;対話交流会】 『<貧困>から問う公正な社会とは――生活保護とパチンコ?』

 コーディネータ=上村英明SJF運営委員長

 上村) 私たちが直面している問題は、じつはいろいろな分野に亘っているのですが、だんだんみなさん専門家になってしまって、他の分野との経験交流が少なくなってきていると思います。私たち助成団体としての強みを活かせるとしたら、せっかくいろんな分野の方がここにいらっしゃるなかで、それぞれの経験を失敗例もふくめてお互い交流できる機会を持てたらよいなというのが、この第2部の発想の原点であります。まさに先ほど尾藤さんが、福島原発事故の問題について、水俣や広島・長崎の経験を活かしたらどうですかとお話しくださいました。みなさんそれぞれが持っていらっしゃるご経験を議論に生かして交流していただければと思います。

 貧困の問題というのは考えている以上にいろいろなところで問題を起こしていることをふまえて、尾藤さんに問題提起をお願いしました。尾藤さんのお話をベースにしながら、みなさんいろいろな想いを持ってご参加くださっていると思いますので、ご意見いただければと思います。

 

尾藤廣喜さん) 私は京都をベースに、貧困問題をこの国からどうやってなくしていくかと考えたり運動したりしている団体、生活保護問題対策全国会議で代表幹事をしております。こういう機会を与えていただきまして本当にありがたいと思っています。

 「生活保護とパチンコ?」をテーマに話してくださいと言われました。この問題は、論理的にはきちんと説明できるのですが、それを社会的合意として作ることは難しいテーマです。他の国ではどうかというと、こういう議論はそうは出てこないのではないか。これは、日本の社会状況を反映している課題ではないか。まさに、今日的な問題だと思って、喜んでお話しさせていただきます。

 尾藤廣喜弁護士20160808

生活保護受給者は飲酒とパチンコを慎まなければ保護停止? 

 生活保護を受けている人たちはいい身分だと。昼間っから酒飲んで、パチンコ行って、国からお金もらって遊んでいるという批判がよく寄せられます。

 最近ですと、千葉県の四街道市で、「生活保護受給者は過度の飲酒とパチンコを慎むように」というポスターを市役所に掲示し、ビラを配って、指導に従わなければ生活保護を停止しますということを言っているとのことです。さすがに厚生労働省もこれを見かねて、生活保護法上まったく根拠の無いこういう指導は止めるようにと言っています。

 しかし、これは単発的に千葉県であった話ではありません。大分県の別府市と中津市が昨2015年に、生活保護利用者9名に対し、パチンコ店・競輪場への複数回の入場入店を理由として、生活保護費の一部を不支給とする処分が行われました。組織的に別府と中津のケースワーカーが、生活保護支給日にパチンコ店と競輪場を点検して回りまして、生活保護受給者がいたら注意をするだけでなく、生活保護費を減額したというのです。

 また、条例化している市がありまして、兵庫県の小野市は全国に先駆けて「福祉給付制度適正化条例」を制定しました。「生活保護受給者は、給付された金銭を、パチンコ、競輪、競馬その他の遊技、遊興、賭博等に費消し、その後の生活の維持、安定向上を図ることができなくなるような事態を招いてはならない」ということを条例で定めまして、市民のみなさんに呼び掛けて、情報の提供を求めると。情報の提供があれば然るべき措置をとりますと、密告を勧める条例を制定したわけです。

 この小野市の条例の施行の前には、パブリックコメントを募集しました。私達も、これは全く根拠がないし止めるべきだという意見を、法的に構成して意見書として出しましたけれども、約70%の人が賛成、反対は約20%。これを見ても、日本の生活保護に対するイメージ、それから権利性についての理解の程度が推し量れるなと思いました。

 かように生活保護が問題になった場合には、マスコミにはじめに取り上げられるのは、不正受給問題か、パチンコ・競輪競馬問題か、アルコール依存の問題とかが多く、生活保護を充実するなんてとんでもないというものが多いのです。私のところにも電話も手紙もしょっちゅう来ます。弁護士が不正受給者の擁護をしているのはどういうことか、そういう活動は止めなさいという声です。 

 

将来の生活のために学ぶ費用も生活保護費で――子どもに同じ思いをさせたくない親の想いから

 次に、こういう事例についてどう考えますかと問題提起をして、みなさんから後の議論で言っていただければと思います。

 ある生活保護を利用している家庭で、子どもたちの高校進学のため、生活保護費のなかから学資保険を毎月少しずつ掛けていました。これは、高校進学の費用が生活保護費から当時は全く出ませんでしたので、学資保険を掛けなければ、子どもを高校に進学させることはできなかった。自分が生活保護を利用している状況はやむを得ないけれども、子どもにだけは同じ思いをさせたくないので、教育だけは受けさせたい。そのためには、非常に少ない保護費だけれども、そこから一定程度の保険を掛けて、子どもの将来に備えたいという両親の気持ちです。私は、親として当然の想いであったことだと思うのですけれども、福祉事務所の見解は、保護費は支給された全額を当月に使うべきであって、保険に回すのは貯蓄だ。したがって、学資保険は貯金なのだから解約しなさいと。解約した上で保護費の支給を減額しますということをやったわけです。いかがお考えになりますでしょうか。この事件は最高裁まで争われました。裁判の途中で、お父さんとお母さんは病気だったのでお亡くなりになって、学資保険を掛けられた子どもさんご本人が訴訟承継をして最高裁まで争って、勝訴しました。

 この裁判の結果、高校進学のための費用も生活保護費で出そうということになりまして、ただしこれは教育扶助ではなく、生業扶助という形で、将来の生活のために糧を得る準備ということで出されるようになりました。  

 

 次の事例です。

 生活保護をお金で給付したら何に使うか分からない――パチンコに使うこともあるでしょうし、ぜいたくな料理やお酒の飲み食いに使うかもしれない――ので、プリペイドカードで支払いましょう。プリペイドカードでしたら、どこで何に使ったかが分かりますから、それを福祉事務所で管理して適正に使うように指導しましょう。これは現にやられたことで、やったのは有名な橋下さん(元大阪市長)です。私達は強硬に反対しましたが、一時試験的に強行されました。その後、結局はうまく行かず中止となりました。 

 

 その次です。保護費を蓄えた預貯金がある場合には生活費に使うべきで、預貯金を収入として認定して保護費は減額すべきであるとの判断。貯金を見つけたら使い切ってもらわなければ困る。生活保護を受けている人が貯金をつくるなんて贅沢だと。余裕があるからそうなっているのであって、そういうものは最低生活の維持に使うべきであって、これから支給する保護費は減額する。これも裁判になりました。裁判所からは、一度支給された金銭は生活保護法に違反しない限り自由に使っていいわけだから、そのような福祉事務所の扱いは許されないとの判決が出ています。ただし厚生労働省は今でも、それが余りにも多額になった場合には収入として認定すべきだという通達を出しまして、年に1回は預貯金や資産の報告をしなさいといっています。預貯金が一定程度――つまり100万円とか――を超えてきたら収入認定をして生活保護費の減額に使いますよと。 

 

 4番目です。生活保護についてはお金で支払うのではなく、現物で支給しなさい。お金で払うから、ギャンブルに使ったり競馬に突っ込んだり、お酒飲んだりするわけだから。現物の食糧、つまりお弁当を支給すればいいんじゃないかと。これは夢物語ではありません。これは自由民主党の公約です。配布するのは、全ての受給世帯を回って配布するんですかというと、一定の地域に閉じ込めて住んでもらってそこで支給すればいいんじゃないですかとのこと。そういうのを社会保障というのでしょうか。 

 

ギャンブル依存症の生活保護受給者にも、信頼し敬意をもって立ち直りを支援――スウェーデン

 いっぽうスウェーデンでは、ギャンブルやお酒に過度にお金をつぎ込んでいる人への「生計援助」――スウェーデンでは制度を利用しやすいように、生活保護という名前を使わない――利用者は、「治療が必要な人」つまり「リハビリが必要な人」と位置づけています。リハビリ部門はケースワーカーが担当していまして、その方の相談にのって、なぜそういう状況になっているのか、どうしたらよいのかということで、お医者さんの医療的ケアと結びつけたり、セルフヘルプ団体――日本でいうと自助会――のようなところと連携をとったりしながら、治療する観点に立ってやっています。ですから、ケースワーカーが生活保護利用者を担当する件数は非常に少なく、だいたい1人で10件から20件です。日本のケースワーカーの法定の担当件数は一人80件となっていますが、守れていなくて約130件です。ですから、ほとんどケースワークがなされていません。

 また、そういう方たちについても、社会のためには復帰して就労をしてもらう必要があるということで、就労のためには、いきなり仕事をさせるのではなくステップ・バイ・ステップで援助しながらやっていきましょうとしています。

 そこでのキーワードは「信頼と尊敬」です。あらゆる人間の可能性を信頼して、敬意をもって生計援助を受給している人に当たらなければ、その人が立ち直ることはないでしょうと。ケースワークの基本原理のもとで「信頼と尊敬」をキーワードにして行われています。 

 

自立につまずいている人が立ち直る援助を

 生活保護とギャンブルの話で、私が弁護士としてどう考えるか。

 法律論でいえば、憲法25条は、健康で文化的な最低限度の生活を保障している。それは権利としてあるわけだから、一定金額の給付を受けるのは権利なので、どんな生活を送っていようとこれを減額させられることは有り得なない。これは憲法上の要請だということはもちろん言えます。

 生活保護法1条には、憲法25条の「生存権保障の原理」、最低限度の生活を保障するためにあるのだと、それが何より大事だと書いてあります。自立の助長も目的とするのだとしています。

 「自立」というのは、「本人が主体的に生き抜く力をつける」という意味ですから、もしそういう形でつまずいている人がいるとしたら、福祉事務所は応援していって立ち直れるような援助をすることが求められることではないかと思います。

 同法2条には、「無差別平等の原理」が書いてあります。その人がいままでどんな悪戯をしていようが、犯罪加害者であろうが、刑務所に入った人であろうが、現に生活に困っているのであれば国の責任で生活を保障するというのが、無差別平等の原理。これこそ憲法に基づく権利なんだと書いてあります。

 しかも同法36条には「金銭給付の原則」と書いてありますから、お金で給付しなければなりません。自民党さんが言うような現物給付をやる場合には、生活保護法を根本的に変えなければなりません。

 それから先ほどの学資保険の裁判では、福岡の高裁判決で、「給付されたお金の使途については原則自由。その人が主体的な生き方によって選択して使うということが、お金で給付されていることの眼目なのだから、そういった形で使うということを守らなければ、いまの制度は崩壊する」という趣旨のことが書かれています。非常に格調高い判決文です。 

 

ギャンブル依存症の治療プログラム、主体性の回復を主眼に

 もう一つ言っておきたいのは、ほんとうにそのギャンブルや飲酒に依存している人たち――しょっちゅうパチンコやっていたりする人たち――というのは収入が少なくて家計が維持できないことを分かっていながらギャンブルにお金をつぎ込んでいるわけですから、依存症の状態になっているわけです。

 そういう依存症の人たちに、たとえばアルコール依存症の人に対して、お酒飲んでいるから生活保護を切りますということでアルコール依存が無くなるでしょうか。アルコール依存の人に必要なのは治療なのです。セルフヘルプグループと連携し、どうやってアルコールを断たせるかということについては、自覚的な主体性の確立が必要なのです。ギャンブルでも同じことです。

 ほんとうの意味で科学的な対応をするためには、スウェーデンが行っているように、リハビリ部門がそれなりのきちっとした科学的なプログラムを組んで、それに則って、本人さんを信頼し、尊敬の念を持ちながら主体性の回復を考えることこそが、社会保障の意味ではないか。

 だからギャンブルしている人、お酒飲んでいる人について、生活保護切りますよと、そんなことで解決できるのだったら楽ですよね。お金が無くったってサラ金で借りてでもお酒を飲むというのがアルコール依存の方です。ギャンブル依存だってそうです。 

 

格差が信頼感を下げている、だれでも社会保障の給付をうけられる普遍主義へ

 スウェーデンと日本を比べると、日本がお粗末でどうしようもないと思われるかもしれませんが、日本がそうなっているのにはそれなりの意味があるのです。

 

 信頼と格差の相関図
 こちら(上掲)は、OECDの統計を表にしたものです。

 ジニ係数というのは、所得格差を示す係数で、0に近いほど格差が無い――0だと全ての人が同じとなり有りえない――、1に近いと非常に格差が広がっているということです。0.3を超えると格差が激しい国ということになります。日本もかつては0.3以下の時代があったのですが、いまは非常にジニ係数の高い国となっています。

 それと、相互信頼の大きさ。さきほど「尊敬と信頼」と申しましたけれども、他人を、お隣さんを信頼できますかということですね。

 この2つの相関関係を調べたものです。非常にはっきりとした相関関係があります。私が挙げましたスウェーデンは左のほうでジニ係数が小さくて相互信頼が高くなっている。アメリカは最大の貧困国と言われていますけれども、スペインよりも格差が広がっていて信頼関係も弱い。

 

 みんなのなかに貧困と格差が広がっていて、お隣の人と比較したらなんで自分だけこうなっているんだろうと思う人が増えていて、生活保護を受けている人は国からお金をもらって恵まれているという意識が非常に強まってきているわけですね。

 ドイツや韓国では、そういう思いを避けるために工夫をしています。生活保護という名前を使わない。

 ドイツは可働年齢層の「社会扶助」(生活保護に相当)については「失業手当2」という名前にしていて、偏見を生まないように工夫している。韓国も「国民基礎生活保障法」と法律名を変えました。韓国は非常に儒教の強い国ですけれども、そういう偏見を減らすような努力を政府がしています。

 反対に、日本は「生活保護バッシング」のように、アルコールやギャンブルを過大に宣伝して、生活保護を受けている人たちは恵まれているという形でターゲットにあげて叩いて、生活保護費を削減しています。さらに、たとえば年金の額も生活保護が下がったのだからという論理で削減されるという形になっています。 

 

 一番大きい日本とスウェーデンの違いは、社会保障制度において、普遍主義なのか選別主義なのかということです。

 選別主義は、ごく限られた人だけを福祉の対象にするものです。そうすると日本のように、生活保護を受けるためには非常に厳しい審査が必要となり、あれ持っていたらダメこれ持っていたらダメ、あるいは申請の窓口に行ったら地べたに這いつくばって頭を下げなければダメ、生活保護の申請を親族に知らせて「あなた扶養できませんか」という調査も徹底していくことになる。

 普遍主義は、スウェーデンのように、だれでも社会保障給付は受けられるという考え方です。高齢の人も生活保護を受けられますが、年金があるので受ける人は少ないです。でも、だれでも受けられる。教育はみんな無償だ。中間所得層、高額所得層でも基礎的な保障はぜんぶ社会保障として受けられる制度となっている。

 ごく限られた人に限られた内容で社会保障を給付しているとなると、非常に偏見は強まっていくのではないかなと思います。

 

参加者) ぼくも生活保護者とたくさん関わって、それぞれいろいろあるのですが、尾藤弁護士が言うように生活保護は権利だと重ねて言いたいです。

 パチンコをする生活保護者は、パチンコをする以上に楽しいことがないですね。パチンコメーカーの努力成果というのもあって、パチンコ屋さんに吸いつけられている。パチンコ依存症やギャンブル依存症になった方は、生活保護費すら全額使いこんで、最後は福祉事務所の非常食で食いつないで、GAというギャンブル依存症の集まりに顔を出すようになるんですね。そこで慣れてくると、フェローといって、ギャンブル依存症の人たちはその共同体でもって「餃子を作りますよ」といったイベントで楽しいものをいろいろ出してくるんですね。

 またこういうのも知らない人から見ると叩かれる要因になるのですが、まずアルコールだろうがギャンブルだろうが、そうやって生活保護費で遊んでいるように見えても、治療にとって大切なカリキュラムでもって、やがては社会に復帰するためにいろいろ努力しています。

 生活保護費の預金ですが、100万円でもって生活保護が打ち切りになるケースを多々見てきました。でも、貯金は技術です。100万円貯まったのならば、それをもって離陸して、生活保護から脱却してもらえばよいと思うのです。それを使いこんでしまったら、また生活保護に戻ってきて、やり直せばよいと思うのです。

 現物給付は、やはり施設への囲い込みになって、悪徳な業者の取り込みになる危険があるので、やはり個人宅でできるだけ自立につながるような環境を整えることが大切だと思います。

 

教育への投資、未来への投資、貧困の問題に関係

後藤寛勝さん) お話し、ありがとうございました。僕は22歳の大学4年生なのですけれども、若い人と政治をつなぐ活動をしていくなかで、生活保護の問題は、いろいろな自治体や地域のなかで僕たちも触れる課題です。そのなかで二つ思ったことを述べさせていただきます。

 僕は、この過度な飲酒やパチンコに関しては、憲法25条で健康で文化的な最低限度の生活を尊重されているという観点でみても、娯楽なのかなという考え方がありました。でも今のお話を聞いて、これは娯楽ではなく、必然的なものであって、それに対する治療に注力されていくべきではないかと思いました。なので、それに対する批判に対しては、生活保護のなかで行うことではなくて、保険料を見直していくべきことなのではないかと思いました。そこは厚生労働省にがんばってほしいなと思っています。

 OECDの格差と信頼を比較した図を見て思ったのですが、高かったデンマークについて勉強をしたことがあっって、共通点として、教育の指数がすごく高いのです。世界で1位ぐらいにデンマークは教育指数が高く、日本でも最近導入されて話題になっている国際バカロレアや、職業教育が中学高校から充実していて、政府が教育に対する投資、未来への投資をどこまでできているかが、貧困との関係性が高いと思っています。

 教育への投資を日本政府がきちんとやっていくことが、生活保護の問題や貧困の問題に深く関わってくるのではないかと思っています。

 

普遍的に教育の無償化、税金の透明性を高める教育、足を引っ張り合いバッシングする社会を変える

尾藤さん) ありがとうございました。先ほど後藤さんの報告を聞いていて、じつはいま後藤さんたちがなさっていることは、私は、スウェーデンへ行ったときに、すべての学校で行われていることを知りました。

 教科書じたいが全然違いますから、身近なところから政治の話をしています。みなさん方の、たとえば税金の話も、集めた税金がどういうふうに使われているかということを社会科でまず教えるわけです。スウェーデンは確かに消費税が25%と高いですが、透明性があって何に使われているかが分かるので、みなさん納得しておられるのです。

 学校教育のなかで、もともと、そういうお金の使い方、社会保障の考え方、これが権利としてあるんだということや、労働組合のつくり方から労働者の権利も、小学校の段階から教えるだけでなくて、子どもたちがお互い議論をしているわけです。教育の中身も教え方もまったく違う。

 さきほどの普遍主義の観点からしますと、スウェーデンは就学前教育がもちろん無償です。それから義務教育(小中高)も全部無償です。大学教育だけは少し授業料を払わなければなりませんが、貸与制と無利息の奨学金がありまして授業料だけでなく生活費も出ますから、30歳になって、私やっぱり大学で医学を学びたいなと思った人も奨学金を受けながら行けるわけです。これらはぜんぶ税金でやっていて、税金は高いわけですけれども、普遍主義で、お金を持っている人も均等に受けられる。

 ところが社会保障が選別主義になってしまうと、中間層は、われわれは税金を払っているけれど何の見返りも無いよねということになる。ほんとうは中間層の人たちにも見返りは有るのですけれども、説明もないから無いよねと。それなのにあの人たちは全生活を税金で賄ってもらっているんだ――これも誤解なのですけれども、生活保護というのは収入があって最低基準があって足りない分しか出ません――と。

 普遍主義があって、教育もきちんと無償になっているという実態があれば、理解も変わってくるし、お互いに足を引っ張り合うとかバッシングするとかいう世の中ではなくて、お互いに信頼しあい尊敬しあうという立場になるでしょう。そうならないと、権利性は出てこないと思うのです。弁護士がいくら懸命に「憲法に保障された権利です。生活保護法には権利が書いてあります」と何度言っても、「そうじゃない」と本音のところで思われるのは、実態が理解されていないことと普遍主義でないことからだと思います。みんなが受益している社会保障になっていないからだと思います。

 

パチンコをする生活保護受給者への反論の元、不平等感の実態は

参加者) 尾藤さんがおっしゃったなかで、学資保険が預貯金であるという説明を当局がやったという話ですけれども、どう考えても保険というのは預貯金ではないので、概念を全く間違えていると思うのですが、日本ではなぜかそういうふうに受け取られています。これじたいが、社会保障制度がもうほとんど機能していないことを表していると思います。

 パチンコの問題などについて、すこし妙な図式になっています。厚生労働省は基本的に権利性があるから(パチンコなどを理由に生活保護費を減額するのは)ダメですと言っているのです。むしろ地元やさまざまな地方当局、なんといっても世論が、それに対して激烈な反論をしている。別府はじつは私の仕事場の一つで、パチンコ店もよく知っていているのですが、明らかにケースワーカーが別府市・中津市ともとても少ない。ですから調査費という名目で予算をとってケースワーカーを増やしているという側面はあります。ただパチンコがどうして悪いかという議論がないままに、非常に多くの人が激烈な反論をするかというのは、尾藤さんがおっしゃったように日本特有の現象であり、これを私たちはどう考えるのかと問題を立てないと、政策がおかしいからというだけで説明がつかない。

 教え子が一人いま就労支援をしています。就労支援のところに生活保護が回ってくることがあるのですが、それはケースワーカーが持ってくるのです。ところがケースワーカーにしても役所にしても重要視しているのは住宅支援と資産調査なのです。就労支援をあまり気にしていない。就労支援員に話を持ってくる時には「何でもいいから働かしてくれ」とくるわけです。覚せい剤常用経験のある人が就労支援につなげられても、その覚せい剤のことは就労支援員に伝えられない。その教え子に「ダルクにつなげなよ」と言うのですが、「ダルクにつなげたい」ということをケースワーカーは全く受けつけない。このくらい現場じたいが切り刻まれる状態だと思います。このように現場や世論に代表されてくるのだと思います。

 なんで世論がこんなにも反論するのかなというと、多くの人たちのいろいろな意見を聞いていると「不平等感」を出すのです。これはあくまでも幻想的な不平等感なのですが、その時に不平等感が使われるという実態を私たちはもっと真剣に考えるべきなんじゃないか。

 この社会を変えないとまずい。そこに一番ゆがみがきているという気がしています。片々的なことをいじってもたぶんこれは改善しないという気がしています。おっしゃる通り、普遍主義が重要なのですけれども、そういう大きな政策変更をやるためにも、そこが非常に重要だと思います。

 

参加者)関連して質問します。厚労省の方からすると、制度じたいの信頼を回復するのを損なうようなことを自治体が行うということだと思います。ドイツや韓国の議論は当然、厚労省も知っていると思います。ということは厚労省のなかで普遍主義か選別主義かという議論をしていると思うのですが、でもなぜそこは動いていかないのか。それは言われたような世論などが気になって動かないのか。でもじっさいには制度への信頼を回復しないと動かないと理解しているはずなので、どういった展開なのか。おうかがいできますでしょうか。

 

生活保護受給者をバッシングして保護費削減、財政保持の構造

尾藤さん) じつは私は3年間だけですが厚生省にいましたので、そのへんの議論、状況も少しはわかっています。

 普遍主義の議論は率直に申し上げて、厚生省にほとんどありませんでした。

 私がいたころ普遍主義の議論は、保険で行けるのではないかということ。つまり国民皆保険をすることによって日本に普遍主義が定着するのではないかという幻想がありました。しかし、当時、私は反対でした。保険主義ということは保険料が払えない人が必ず出てくるし、その人たちについてどうするかということを考えないと、むしろ不平等になるだろうと。だからもっと大胆に公的な負担を取り入れて普遍主義を採らなければいけないと言いましたけれども、そんなのはごく僅かな人間でした。

 厚生労働省がいままで本格的に普遍主義を検討したことはないはずです。それは一から十まで財政問題です。社会保障を充実したら財政がもう持たない、普遍主義は採れないという幻想に取りつかれているわけです。それを払しょくしなければいけない。ほんとうに財源はないのかという問題も議論しなければいけない。

 100年前はスウェーデンと日本は同じような状況だったわけです。それが世論を少しずつ変えていくなかで、いまこれだけ差ができてしまったので、たしかに一朝一夕ではできませんけれども、そのように持っていけないかと言うとそうではないと思います。

 ただし、今、政府はバッシングを使って、社会保障を利用する人たちを攻撃することによって、財政を少なくしようという政策をとっています。年金受給者にしても金額を下げようと。最低賃金を安倍さんは上げようと言っていますが、生活保護費と比べてどちらが高いかとの議論に終始しているわけですから話にならない。そこを変えなければならない。

 ではどうすればよいのか。われわれがもっと大胆に、いろんな形で社会保障の必要性、普遍主義の必要性を訴えなければならないと思っています。

 生活保護を必要な人はみんな受けましょうということ。いま年金財政を充実させない理由はわかりますか。年金を下げられる理由はわかりますか。いざとなったら生活保護を受けたらいいという理屈になっているのですよ。ほんらいなら年金を充実すれば生活保護を受けなくて済むのですから、年金を充実させればいいと思うのですが、生活保護があるから年金を充実しなくていいという立場に立っているわけです。年金だったら国に保険料が入るわけですから、100%公費より、財政的には、そのほうがいいはずなのに、なぜだか分りますか。

 バッシングするからです。生活保護を受けている人はとんでもない人間だと喧伝して、我慢させて受けさせない。ですから年金を下げたって財政がもつわけです。その辺の構造を分からなければいけない。そのためには、みんな生活保護をどんどん受けましょう。例えば、そのために生活保護財政がもう破綻してしまうという状況になったら、やっぱり年金を充実させないと、という議論になると思うのです。私は、そういうことで生活保護の捕捉率100%という運動をしています。

 

上村) じつは社会のかなり大きなモデル論もふくめて日本で本質的な議論をみんなでしなければいけないと思う。なんでアメリカモデルばかりで、スウェーデンやデンマーク、ドイツのモデルももっと議論しないのか。大きな枠組みの議論をしないままに出てくるモグラをたたいているから、どんどん悪化してしまうと改めて感じました。

 なぜソーシャル・ジャスティス基金は、ソーシャル・ジャスティス――社会正義という言葉を使ったか。目の前にある問題はもちろん大事なのと同時に、もっと大きな枠組み、制度の問題にみなさんが関わっていかないと、物事は変わらないんじゃないかと考えたからです。

 社会のなかで議論を高めながら社会の大きな構成を変えていくというところまで行かないと、日本の民主主義は場当たり的となって、そこに政府が入ってきて管理主義になってしまう。そういう悪循環を膨らませてしまうのではないか。そういうことをあらためて考えさせられました。ありがとうございました。

 

  

*** この2016年8月8日の企画ご案内状はこちらから(ご参考)***

 

 

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