ソーシャル・ジャスティス基金(SJF)アドボカシーカフェ第84回開催報告
性的マイノリティ女性の生きにくさを変えるオンラインの挑戦
―自己受容から、声をあげて社会に変化を求めるまで―
2024年5月14日、ソーシャル・ジャスティス基金(SJF)は、中谷衣里さん(北海道レインボー・リソースセンターL-Port代表理事)、杉浦郁子さん(立教大学社会学部教員)、鳩貝啓美さん(レインボーコミュニティcoLLabo代表理事)をゲストに迎えてSJFアドボカシーカフェを開催しました。
同性愛への偏見と差別に晒され続け、同性愛の自分に対する嫌悪を内包してしまった10歳代を過ごした中谷さんが、でも一歩踏み出せたきっかけは、その葬り去りたかった自分の経験談が「すごく力がある、大切な話」と言われたことでした。個人的な負の経験と社会課題のつながりに、性的マイノリティ交流会で気づけた中谷さんは、ありのままで生きられる人を増やしたいと活動をはじめました。このように自分の経験を社会構造や歴史的背景と結び付けて考えられる社会学的想像力がアクションを生むと杉浦さんは説明しました。
小さなアクションでも挑戦したライフストーリーと出会える「みらいふWeb」の開設を鳩貝さんは披露し、性的マイノリティ女性のロールモデルを発信することへの想いを語りました。秘匿され廃棄されやすい性的マイノリティ女性の経験の記録が、エンパワーメントのために必要な情報だと杉浦さんは説明し、「みらいふWeb」がネットワーク形成やアクションのプラットフォームであるコミュニケーション・メディアになると期待を寄せました。「みらいふWeb」に自分のストーリーを快く寄せた中谷さんは、かつて自分は何者かを知りたくて検索を掛けた時にこのようなサイトに出会っていれば、もっと早く自分のセクシュアリティにプライドをもって生きられただろうと語りました。
不可視化されていた人たちのライフストーリーは、困難を抱えている人への想像力を社会に促す効果や、法制度の変化への関心を高める効果もあるだろうと鳩貝さんは展望しました。市民が生きづらいと感じた時、社会を連携して変えていく希望の道筋が見えた場となりました。
詳しくは以下をご覧ください。 ※コーディネーターは朴君愛さん(SJF運営委員)
——鳩貝啓美さんのお話——
皆さん、今日はお集まりいただき、ありがとうございます。
私は心理と社会福祉というバックグラウンドを持つ者ですが、レズビアン当事者として90年代の終わりから活動をしています。今日は前半で私たちのこれまでの取り組みについて、後半で4月に正式に公開をしたウェブサイトのご紹介をさせていただこうと思います。
タイトルに「挑戦」という言葉を入れましたが、現代の性的マイノリティ女性たちは誰もが人生の挑戦者だろうと思っています。また私たちにとっても、これまでリアルな場で活動してきたので、オンラインというのは挑戦でもあります。
「レインボーコミュニティcoLLabo」は、レズビアンと多様な女性たちがセクシュアリティを肯定し、自尊心を持ち、隠すことなく生きていける社会を実現するというミッションで活動しているグループです。
よくLGBTと一括りにされますが、私たちは中でも女性特有の困難に着目したかったことと、女性であるというピアな場を求める人が多かったことから、女性について重視しています。
この「多様な女性」という言葉ですが、自分のことをレズビアンやバイセクシュアル女性と捉えてはいない方でも、女性と生きていきたい女性もいます。そういったアイデンティティや名乗りで分けないように、この言葉を使いました。
そして同性愛者のカミングアウトプロセスという考え方を参照すると、性的マイノリティ女性のコミュニティにも、実にいろいろな段階やアイデンティティの人が集まってきます。このセクシュアリティに戸惑っているような段階では、相談やピアサポートが役に立ちます。そこでは「自分だけではなかった」という安堵感が生まれて、友達や恋人との出会いが欲しいといったニーズが出てきたりもします。
年齢を重ねて同性の恋人と出会いや先の人生のことを考えようといった段階になりましたら、「レズビアン・ライフ・スタディ」という勉強会も行ってきました。同性カップルは当時も今も法的な結婚ができません。ですから、どうやって生きていけるのかということを学び合う時間が必要だと考えました。テーマはパートナーシップから始まり病気や医療、介護の制度のこと、住まいについてなどもありました。弁護士さんと共に学ぶ、困り事や希望をシェアする会といったものもありました。
「婦人科」という切り口で社会を変えていく
そして2015年、「LGBT元年」と言われるように、社会の変化を実感する出来事がとても数多くあった年です。私たちも社会の変化を加速する活動に力を入れていきたいと考えました。先述の一緒に勉強をした弁護士さんたちは「人権救済申し立て」という法律家の立場を生かした国を動かす活動を展開し始めていた年です。
一方、私たちは「婦人科」という切り口で社会を変えていく試みをしました。レズビアンやセクシュアルマイノリティ女性が受診しやすいクリニックの開拓を目指したこの活動は、性的マイノリティ女性を取り巻く社会の一部を変える試みとしては手応えを感じました。
この中で「婦人科・乳腺科アンケート」というのを行っています。これはセクシュアルマイノリティ女性の受診の実態や医療に求めていることなどを調べるために行ったものです。この時の調査はオンラインも併用していたので、当事者91名の声を把握することができたのですが、この少し前の時期、2013年頃ですとプログラムの参加者に直にアンケートをして136名の回答を得た調査も経験しています。しかし、いずれも数は少ないし、サンプルは偏っていると思ってきました。
セクシュアルマイノリティ女性を対象とした調査は顕在化がされにくく、集団が小さいために一般化には限界があるといった指摘があり、なかなか進みません。このことには現場でも本当に頭を抱えています。
性的マイノリティ女性のロールモデルを発信 人生の可能性を信じられることを願って
設立10周年を機にミッションを具体化し、目指す社会の形を「同性パートナーを持つ・持ちたい女性が生きやすい社会」というふうに絞り込みました。そして、現在の社会にはないもの、足りていないものを考えて、「社会的な意識で行動する人を増やしていこう」、「目に見えるロールモデルを増やすために発信しよう」という方向性になりました。
コロナを経験したので、発信はオンライン、ウェブで行うことが定まっていきました。特にこの時期は、地方からの相談で届く「女性同士で生きていく未来なんて想像できません」という声もあり、それがオンラインで活動すべきだろうという考えにつながりました。
そして、性的マイノリティ女性が生きていく上での課題を2つ。まずセクシュアリティの受容。これは以前より葛藤は減ったかもしれませんが、なお困難があります。そしてセクシュアリティを受容した先にも、日々の生活や人生というものが続くわけですが、これが「個人の努力によって生き抜いている」と見える現状があります。しかも、各自が個人の問題として取り組んでいます。中にはSNSを使ってつぶやく人もいますが、みんなが発信者を担うわけではありません。情報も流れていきやすいですし、当事者には十分伝わっていない。さらには、社会にはもっと見えにくいものになっていると考えました。
こうした状況を変えていくために、地域をまたぎ、どこに住んでいる人にもアクセスしてもらえる「みらいふWeb」で性的マイノリティ女性のリアルを発信していくことにしたわけです。
「みらいふWeb」 多様な女性たちの参加型サイト 困難を抱えている人への想像力を社会に促す
こちら(下図)が4月に正式公開した「みらいふWeb」のトップページになります。
「みらいふWeb」は4つのコンテンツからなります。メインは「みらいふストーリー」です。多様な女性たちのライフをリアルに紹介する記事を発信していきます。セクシュアリティを受容してからのコミュニティとの接点や周辺との関係、セクシュアルマイノリティ女性としての困り事から始まった挑戦などを紹介しています。現在はこちらからお願いをして、カップルや家族で暮らしている多様な女性たちのストーリーから先に発信を始めています。
ウェブに参加する方法としては、①みらいふWeb参加エントリー、②みらいふシェア(ストーリーをシェア)、③みらいふストーリー(トライストーリーにコメント)というように用意しているのですが、「みらいふ」に連動するプログラムからの参加というものも作っております。例えば、介護についてやパートナーが病気になった時について話すというプログラムを昨年度は行いました。
この①の「みらいふWeb参加エントリー」された方々の実際を一部ご紹介していこうと思います。年代は40代が多く、30代、50代と続きます。これはセクシュアリティを受容した後で生活や人生を進めている、直面しやすい世代でもあると思います。地域については、現在は私どもから顔の見える範囲で声をかけていることもあって、首都圏が多くなっております。セクシュアリティについては、ご本人の名乗るアイデンティティを取り上げているのですが、セクシュアリティは近年どんどん細分化が進んでいると感じています。
この先の人生で関心があるテーマについては、自分の老後やシニア期、将来のライフプランといったものが多かったです。ライフステージによるものなのかもしれないですが、自分の性的指向や性自認に関すること、またはカップリングについて関心がある方もいれば、具体的な人生の事柄も選ばれていて、仕事やお金についても上位に続いています。
性的マイノリティ女性の特徴の一つとして経済格差が挙げられることが言われてきました。一方でレズビアンには「レズビアンプレミアム」という収入が高い現象を指摘する調査もあります。それらは欧米の調査であったり、またサンプルの偏りではないのかとも思われますし、むしろ人生を乗り越えるための自助努力によるプレミアムなのかもしれません。背景を見て、数字を考察し、経済の問題を捉えていく必要があるだろうと考えています。肌感覚では二極化しているのではないかという仮説を持っています。
また、親の介護や、健康といったテーマも上がっていますが、マイノリティに限らず女性特有で、女性全般が注目しているテーマだとも思います。では、女性一般の情報ではカバーされないのか、性的マイノリティ女性が発信する意味はなんなのかを明確にしていきたいと考えています。
ここからは、パートナーがいて同居している方が12組いますので、それについて見ていきたいと思います。同居の期間は2年から26年と大変幅がありました。
2人の関係を守る既存の制度の中で利用したものについては、自治体のパートナーシップ制度を利用した方が8組と多くなりました。これまで結婚のできない身を守る制度としては「公正証書」が知られていましたが、これについて取り組んでいるカップルは少なかったです。
制度以外で利用したり取り組んだりしていることについては、緊急連絡先カードの連絡先をパートナーにしたというのが最も多くなりました。同性カップルは、法的に結婚していないことで、自分に事故があった時など、いざという時にパートナーに連絡が行くのかについてすら不安に感じるのです。そこで、カードに連絡先など情報を書いて財布に入れておく方法は取り組みやすく、普及を進めたNPOもあったので実践されていると思われます。この他にも、住まいや、保険の受取人についてとか、カミングアウトを伴うもの、会社、地域、子どもの学校なども上がっていますし、結婚や子どもに関する挑戦などもありました。
日々の疑問や困りごとの延長にある挑戦ストーリー 関連タグで検索できる「みらいふストーリー」
では「みらいふストーリー」についてお話をします。ストーリーの記事には、関連するタグをつけて検索しやすいようにしています。このようなタグ(下図)のストーリーを現在発信しようとしています。
このオレンジ色で塗られているセルは、現在すでに発信が始まっているテーマのタグで、記事としてはまだ半分弱です。他の白いセルは、こういった困り事があるんじゃないか、挑戦もあるんじゃないか、こういうストーリーもぜひ紹介していきたいとこちらが思うものについて、まだ体験者の話は聞けていないですが、タグとして用意しているものです。文字がオレンジになっているセルは、この後お話になる中谷さんのストーリーにつけられているタグです。
今後、誰かの経験ストーリーによって新たなタグが生まれてくると思います。先日は、里子を育てている男性カップルが苗字をパートナーに合わせるという申し立てを行って、それが家裁に認められたというニュースが流れました。そういう挑戦をしている方がこれから増えていけば、新たなストーリーとして紹介できるかなと思っています。また、「みらいふWeb」の存在を知った方から、「どこで暮らすか、移住のストーリーなども読みたい」というご意見も頂きました。そのように困りごとを解決する方法や生き抜く術がわかれば、タグを増やしていきたいと思っています。そして、おひとりで生きる人生の挑戦をしている方々のタグも増えていくと思っています。
みらいふストーリーでは、プロフィールをご紹介しています。そして、カップルであれば、その馴れ初めとか、現在に至る歩みとか、挑戦、未来への展望についてもご紹介していきます。読み手のライフステージによって関心が違うことに配慮しています。さらに、それぞれがトライした体験については、何本かのストーリーに分けて、より詳しくお話をしていただく形をとっています。中谷さんたちの場合では、同性婚訴訟、親族へのカミングアウト、職場へのカミングアウト、パートナーシップ制度の活用といったものが現在、記事として用意されています。
ここでお伝えしておきたいことがあります。ストーリーの発信者には、中谷さんのように同性婚裁判の原告に立っている人もいます。でも初めから裁判だったわけではなく、日々の挑戦の延長にそういう行動があるということです。発信できるような特別な人が動けばいいとか、社会が変わるのを待っていればいいではなくて、日常の疑問や困り感の延長にいろいろな挑戦がある。同性婚訴訟もその一つだということを知っていただきたいと思っています。
ライフストーリーをコミュニティの資源に 法制度の変化への関心を高める効果も
最後に、みらいふWebの今後の展望や目標、課題についてお話します。
まず個人にとって、読み手の方がロールモデルと出会えたり、自分が困っているということを認められるようになったり、人生の可能性を信じることができるようになったりするといいなと思います。「こういう解決方法があるのか」とWebをご覧になって思って、「自分も真似してみよう」というところから、社会資源の開拓にトライする人が増えていくといいなと思っています。
それから、見えないことで伝わらなかった当事者のリアリティを、当事者以外の社会の方が想像するきっかけの一つになればとも思っています。
制度レベルでは、同性パートナーシップ制度を使う動きが推進することや、同性婚を求める動きへの関心が増えるということも挙げられます。これは私自身も同性婚裁判の原告をしていますが、国の法制度の変化、その波及効果というものはとても大きいものがあると思っています。ですので、社会全体に関心が増すといいなと思っています。
オンラインにした意義としては、地域や情報リテラシーなどの差が減ること、ストーリーが蓄積されていって、アーカイブ的な機能を持つこと。今日もきっとどこかの街のコミュニティで語られていて、個人がSNSで発信している挑戦というのがあると思うのです。それをコミュニティの資源としてしっかり蓄えていくような場になれたらなと思っています。このような効果を目指して進んでいるところです。
今後の課題としては、みらいふWebはできたてなので、まず知っていただいて、読み手の方が増えるということ。それから、参加する方や発信する方を全国に広げていきたいなと思っております。
—中谷衣里さんのお話:レズビアン当事者としての原体験と活動の繋がり—
私が14歳で自分がレズビアンであると自認してからのことと、現在行っているLGBTQ+をはじめとする多様な性を生きる方の支援活動や、「結婚の自由をすべての人に」という公共訴訟の活動についてお話しさせていただきます。
最初に、今私が行っている2つの活動についてお話しします。
一つ目はNPO法人「北海道レインボー・リソースセンターL-Port」という団体で行っている支援活動や啓発活動についてです。NPO法人L-Portは2012年3月11日に設立された団体で、札幌に拠点を置き、北海道内で活動を始めて13年目になりました。
L-Portは現在、3つの柱で活動しています。一つ目の柱がセクシュアリティ専門LINE相談「にじいろtalk-talk」です。こちらは月に2回、夜に3時間、開設しており、主なターゲットを10代~20代のLGBTQ+や、そうかもしれないと考える子ども若者に設定しています。2018年に全国で初めてセクシュアリティについてLINEで相談できる相談場所を開設し、現在は10名の相談員が全国から相談を受けています。1回の相談開設で平均17件ほどの相談が寄せられています。
2つ目は、少人数型の当事者交流会「にじいろ談話室」です。札幌市と旭川で開催しています。コミュニティに参加するハードルを下げるため、参加者は少人数でスタッフの数は手厚くし、当事者同士で交流できればと設けています。旭川市ではLGBTQ+の中でも若年層支援に重きを置いて25歳以下という年齢制限を設けています。
最後が講師派遣事業です。L-Portでは、LGBTQ+の当事者が講師として教育機関などに出向いています。お声をかけていただけたら北海道内どこでも伺うことをモットーにしています。
続いてご紹介する活動は「結婚の自由をすべての人に訴訟」です。ニュースなどで何度も報じられ、ご存知の方が多いかと思います。報道では「同性婚訴訟」と表されることが多いです。「同性同士が結婚できないのは憲法に違反している」と主張し、同性婚の法制化を求めて私と私のパートナーは交際17年目のレズビアンカップルとして、この訴訟の原告をしています。
今年の3月14日には、他地域の高裁に先駆け、札幌高等裁判所で判決が出ました。 札幌高裁では、現在の民法と戸籍法は憲法14条1項、24条1項および24条2項に違反するという判決を出しています。現在、北海道訴訟の原告団と弁護団は最高裁判所に上告をしています。
同性愛への偏見と差別にさらされ続け、同性愛嫌悪を自分の中に内包してしまった10代
さて、私がL-Portの活動に関わるようになったのは25歳からで、「結婚の自由をすべての人に訴訟」を始めたのは28歳の時ですが、そもそもなぜ私がこれらの活動を始めたのか、その原点についてお話ししたいと思います。
その原点は10代の頃に経験したことが大きく影響しています。私は中学2年生の時、14歳でレズビアンであることを自認しましたが、レズビアンであることで10代の時は特に悩みました。私の中学高校生時代を一言で表すなら、「みんなといるけど、いつも孤独だった学生時代」だと思っています。
高校2年生で初めて両親にカミングアウトした時は、母親に「お姉ちゃんが同性愛者だと下のきょうだいに悪影響を及ぼす」と言われ、自分のセクシュアリティを隠すように強制されました。高校へ行くと、担任がゲイを笑い者にする発言をして、クラスメイトもみんなそれに笑っていました。私も笑っておかないとクラスで浮いてしまうので一緒に笑っていましたが、心の中はレズビアンである自分自身を否定し、笑い者にする言葉でいっぱいでした。友達にアウティングをされて、私のセクシュアリティを人づてに知った同級生が「レズきもい、無理」と話しているのを聞きました。
私の周囲にはカミングアウトしている同性愛者やトランスジェンダーはおらず、住んでいる町で女子が好きな女子は私だけと思っていました。私がレズビアンであると気づいたその時から覚悟していたのは、「レズビアンとして生きていくならば、結婚することも、誰かと家族になることも、子どもを産み育てることも諦めて一人で死んでいかなければならない」ということでした。自分のセクシュアリティを安心して話せる相手がいない、大人も含めて周りに当事者がいない。
同性愛への偏見や差別にさらされる数年間の中で、私は同性愛嫌悪をすっかり自分の中に内包していました。大人になってから私の経験を整理してみると、レズビアンであると自認した10代が無いない尽くしに置かれている状態だったと気づきました。
レズビアンとして生きることイコール孤独死だと捉えていた私は、幸せに生きていくために必要な情報を得ることができませんでした。それどころか高校生の時に情報を求めてインターネットで「レズビアン」と検索するとアダルトビデオのタイトルしかヒットせず、このまま大人になったら性的に搾取されて終わってしまう未来しか見えませんでした。
その当時も今も私に大切なパートナーができても、結婚はできないどころか、私たちの関係を守ってくれる制度や法律はありませんでした。レズビアンとして生きる大人がいなかったということも、ロールモデルを見つけられず、将来の希望を失わせました。
高校までの教育では、多様な性について授業で取り扱われることはなく、学校の図書館には一冊も関係書籍がありませんでした。
このような無いない尽くしが当事者の孤独感を強め、ひいてはそれが生きづらさや自己否定につながっていくのだと実感しました。このような気持ちが引き起こすのは希死念慮や自殺企図と自殺未遂です。私自身も20歳の時は一番レズビアンとして生きることが苦しく、「さっさといなくなりたい」と冷たい気持ちを抱えていました。
私が無いない尽くしに陥っていたのは、もう15年近く前ですが、今、LINE相談や居場所交流会で中高生と関わっていて、この当事者を取り巻く負のループ構造はあまり変わっていないと感じています。
個人的な負の経験と社会課題のつながりに気づく セクシュアルマイノリティ交流会をきっかけに
その私に転機が訪れたのは、大学3年生、21歳のときでした。初めてセクシュアルマイノリティの交流会に参加したのです。それがNPO法人L-Portで当時開催されていた交流会でした。交流会に参加するのも一苦労で、月1回、札幌市内の公共施設で開催される交流会へ向かっても、活動室の前で足が止まってしまいました。ノックをすればそこに入れるのに、ノックしようとすると、これまで私がレズビアンであることでつらかった思い出が頭に浮かんできて入ることができませんでした。2カ月間、活動室の前で立ち止まって交流会へ入らずに家へ帰るということを繰り返して、3カ月目でようやくノックすることができました。
その交流会で初めて、自分よりも10歳~20歳年上のレズビアンや女性同士で生きるカップルと出会うことができました。「大人の中にも自分と同じ人が本当にいたんだ」ととても嬉しかったのを覚えています。ここで初めて、17歳から抱えていた両親との軋轢やカミングアウトをしないで生活する大変さを人に打ち明けることができました。交流会の時間だけはパートナーのことを「彼氏」と置き換えずに話をすることができました。
25歳でL-Portとの活動に本格的に関わり始め、私の経験したことは、より俯瞰して社会的な目線で見ると、同性愛の子ども若者が周囲の大人が持つ間違った知識に翻弄されたり、異性愛中心主義を打ち立てる教室で孤独感に苛まれたり、偏見・差別・ヘイトスピーチを真正面から受ける環境に置かれ、ロールモデルや仲間が見えなくなっている状況であると気づきました。個人的な経験が社会の課題につながっていることに気づいたときに、この社会ではセクシュアルマイノリティの子ども若者はありのままの自分で大人になることができないと思い、「ありままで生きられる人を増やしたい」と今の活動につながっていきました。
しんどい人に寄り添う活動と、制度的・文化慣習的差別を低減させる活動を両輪に
私が行っている活動は、制度的差別と文化慣習的差別がかみ合った歯車を差別が低減される方向へ回しつつ、今しんどいと思っている人に寄り添っていくことです。
本当にこの社会が変わるスピードは非常にゆっくりです。訴訟や出前授業などで社会に訴えていくだけでは、社会が変わる前に生きることを諦めてしまう当事者が後を絶ちません。ですから、今傷ついている当事者に寄り添い、セーフティーネットを作ることも必要だと思い、LINE相談や居場所づくりも行っています。
自分が何者なのか知りたいときに出会いたい「みらいふWeb」
最後にcoLLaboさんが作成された「みらいふWeb」への思いについてお話ししたいと思います。
去年の夏、みらいふモデルのご依頼をいただいたとき、私とパートナーは二つ返事で承諾しました。なぜなら、私たちがもっと若かったときに、このようなウェブサイトが欲しかったと心から思ったからです。高校生の時に自分が何者なのか知りたくて検索をかけたとき、もし「みらいふ」のホームページにつながることができたら、もっと早く自分のセクシュアリティにプライドを持って生きられたのだろうかと思います。たとえ自分の住んでいる町に仲間がいるようには思えなくとも、「みらいふ」を見れば多様な女性が生きている、そんなロールモデルと出会えたのだろうと思います。なので、みらいふモデルに仲間入りさせていただけたことは、まるで15年前の自分自身をケアしているような気持ちで、とても嬉しかったです。
「みらいふ」のような当事者の声や経験を乗せたウェブサイトは今も必要だと思っています。2年前、ある大学で出前授業に行った際、授業の終わりに1人の女性の学生さんにこのようなことを言われました。「私は前に女の子と付き合っていたことがあって、でも結婚もできない関係だし、付き合っていても未来が無いから、別れようと2人で決めて別れました。だから、同性婚の裁判をしてくれて、ありがとうございます」と泣きながら話してくれたのです。もしあの時、あの学生さんに「みらいふ」のことを伝えられたらと思っています。
女性として女性を好きになると気づいた時に、一緒に生きていきたいと思ったパートナーが同性だった時に悩まなくていい社会になってほしいなと思っています。そのためには自分以外にも当事者がいると思えることが重要です。「みらいふ」を運営されているcoLLaboさんの取り組みは、セクマイ女性とその周囲を取り巻く環境を変える大きなきっかけになると思っています。
—杉浦郁子さんのお話:
性的マイノリティ女性の経験を記録することと「コミュニティ」—
最初に私の研究テーマを簡単にご紹介いたします。
日本における性的マイノリティの市民運動を調べております。今行っているのは具体的には3つの研究で、一つ目は1970年代から90年代にかけて日本で展開していたセクシュアルマイノリティ女性の運動の歴史を記述することです。セクシュアルマイノリティの運動の歴史といいますと、やはり首都圏でなされた目立つゲイ男性の歴史が記述されてきており、セクシュアルマイノリティ女性の動きは記録されにくいということがあります。そういう現状に穴を開けたいという狙いでやっています。
二つ目は、コミュニティ資料のアーカイビングです。歴史を調べていく中で、運動に関わった人にインタビューをしたり、運動体が発行したドキュメント資料を集めたりしていますが、それをウェブ上で公開していきたい、そしてそれを蓄積して活用できるようにしたいということに取り組んでいます。
もう一つは、性的マイノリティの市民運動と地方についてです。東北6県で2018年から2019年にかけて、地方で場づくりをしている人たちに活動についてインタビューをしました。その記録もウェブ上で読めるようになっています。これから何かやりたい人には大きなヒントになるものだと思っています。
性的マイノリティ女性の自由な自己表現の場「ミニコミ」 生き延びるための知恵に
性的マイノリティの女性の経験を表現して、それを記録に留めて、仲間に届けるという実践は、実は日本では50年ぐらい前から存在しています。具体的には「ミニコミ」というメディアを活用して、自由な自己表現がなされてきました。それらのミニコミは、今読んでみても、本当に多くの気づきや励ましをもらえる内容になっています。ミニコミの役割について簡単に紹介したいと思います。
ミニコミが存在したのは1970年代から2000年代の初めぐらいまでです。その時と比べれば、性的マイノリティの権利回復は進んだと思います。ですが、今でもミニコミと同じような役割を果たすようなコミュニケーション・メディアが必要であると思います。なぜなら、性的マイノリティ女性の経験が記録されにくい状況がいまだにあるから、また、男女の経験の違いが大きすぎる社会だからということが挙げられます。ですので、性的マイノリティ女性の経験を意識的に収集して記録していく必要が相変わらずあるのです。
ミニコミというメディアを用いた運動、1970年から90年代のレズビアン・コミュニティについてお話します。レズビアンの解放を明確に掲げた集合的な動きは1970年代の半ばぐらいからありました。1976年にあるミニコミが発行されます。タイトルは『レズビアンの女たちから全ての女たちにおくる雑誌 すばらしい女たち』です。これを皮切りにして90年代後半ぐらいまではレズビアンのコミュニケーションの中心にミニコミがありました。
ミニコミは自主制作された少部数の出版物のことです。これは会員など限られた人に向けた会報やニュースレターなどを指します。私の手元にあるものは、所蔵情報をウェブで公開していますので、よろしければご覧ください(https://l-archives.jp/zine/)。
ミニコミは自由な自己表現の場でした。個々の記事や作品は、等身大の自己表現という感じで、日々の生活の中での気づき、仲間とつながったことの喜び、人間関係の悩み、自分らしく生きるためになされる自己・他者・社会との対話などが綴られています。本当にいろんな表現が自由になされていました。そういったものが読み手の誰かに届いて、生き延びるための知恵になっていったわけです。
自分の経験を社会構造や歴史的背景と結び付けて考えられるメディアを介したネットワークから生まれるアクション
これはインターネット前、あるいは携帯電話を誰もが持つようになる前の時代の話ですが、その頃はミニコミを通して自前で生存と抵抗の技法を育てて蓄積していった。そして、それを流通させていった。
ミニコミはレズビアンたちのネットワークを作り出しました。ミニコミを通してお互いの関係が作られて、それが維持されて、そういったネットワークによってレズビアン・コミュニティというふうに呼ばれるようなものを現象させたわけです。
ここで「コミュニティ」というのは「帰属や連帯の経験を求める人々が作り出す社会的ネットワーク」と捉えています。例えばネットワークの一員であるという帰属意識、それから何らかの目的を共有しているという連帯感。これは何らかのコミュニケーションへの参加を通して作られ、維持されるものですが、そういったものを作り出したのがコミュニケーション・メディアとしてのミニコミだったと思います。情報を創出・発信・蓄積するコミュニケーション・メディア、これを介して人々がつながることで、レズビアン・コミュニティというものが形成された。そして、ミニコミを介して人々が集うような場所が作られたり、そこが自律的に運営されるようになったりして、その中から社会的な課題にアプローチする人が出てきたのです。
当時のミニコミを読んでいると、自分の経験を社会の中に位置づけてアクションを起こすために必要なものが詰まっていると感じます。それは例えば、エンパワーメント。もちろん困難や生きづらさ、躓いた話もあるけれども、生活者としての喜びや楽しみ、強靭さや希望などが表現されていて、そこから励ましや勇気をもらえるのです。
それから、「社会学的想像力」。これは社会学の概念ですけれども、個人の選択や経験、私たちが当たり前と受け止めているような出来事などを、より大きな社会構造や歴史的背景と結びつけて考える知性や能力です。これが発揮されていて、それを受け取ることができる。
さらに、市民が社会をつくる、あるいは市民が世界を変える自治の手法と精神、時間はかかるけれども社会は変わっていく手応え。
これらをミニコミから得られる。私たちが30年から40年前の媒体から学べるものは非常にたくさんあると思っています。
「レズビアンやバイセクシャル女性のため」を謳った紙媒体のコミュニケーション・メディアを挙げてみました(下図)。だいたい2000年の前半ぐらいまで発行されていました。2010年代に入るとつながるためのツールがウェブやSNSに移っていたということだと思います。私自身はこれらのミニコミや雑誌を集めて整理して活用できるようにしたいと思っているのですが、その作業をしている中でいろいろな難しさを感じています。そもそも記録が少ないのです。
秘匿され廃棄されやすい性的マイノリティ女性の経験の記録が必要 エンパワーメントやアクションに踏み出すための情報に
ここからは性的マイノリティの女性の経験が記録されにくい状況があるという話、それを意識的に収集・記録していく必要があるというお話をしていきたいと思います。
性的マイノリティ女性の経験は記録されにくかったし、今もされにくい状況があると認識しているのですが、それはなぜかを考えてみたいと思います。
まずは、ジェンダー規範や経済力の非対称性に起因して活動が少ないという問題を指摘できます。例えば「女性は能動的な性欲に乏しい(はずだ)」というジェンダー規範がありますが、こういった規範の影響で性的指向を認識しづらく、アイデンティティを獲得するのが難しい、遅れるといった問題があると思います。
それから、これは歴史を調べている前川直哉さんが指摘しているのですけれども、レズビアンに比べるとゲイ男性の方が性に関する情報を取得しやすく、自分の性について考えたり、語り合ったりすることが歴史的に容易であったため、ゲイ男性はレズビアンより早く自分たちの語りの場や出会いの場、メディアを手に入れて、物質的・人的資源を投じてそれらを維持してきた、と指摘しています。
1970年代から90年代までは性的マイノリティ女性のミニコミがあって、そこに女性の経験が蓄積されてきましたが、そういうミニコミが保全されにくいという問題があります。それは、そもそもミニコミが少部数しか発行されていないからということがあるのですが、マイノリティの資料ですのでマジョリティの視点からは廃棄されやすい資料だということがあるのです。ではマイノリティ自身が保持し続けるかというと、そうとも限らなくて、その理由の一つに、個人で所蔵しておくと露見のリスクが伴うということがあると思います。セクマイ女性のためのスペースにはこういった資料が保管されてきましたが、スペースの維持には相当な苦労が伴います。1995年6月の創設から26年間、性的マイノリティ女性のためにスペースを提供し、ライブラリーを保持してきた「LOUD」も、2021年7月に閉鎖しました。また、ミニコミは製本されてないので、整理するのも保管するのも煩雑で散逸しやすいこともあります。
ミニコミより残りやすい商業誌は1990年代以降にまとまって発行されています。でも、いずれも短命に終わっています。ゲイ男性と比べるとマーケットが小さくて、女性たちもなかなか買い支えられないということがある。
体験談を話したり公開したりすることへの不安は、もしかしたら女性の方が大きいかもしれないという印象を持っています。これは過去だけではなくて、今にも通じることですが、バックラッシュが激しく、SNSでマイノリティの問題やフェミニズム的な発言をすることに対する恐れや抵抗感はあると思います。叩かれているところを見るわけですから。女性の政治家もそうで、目立つ女性への攻撃がひどくて、その女性を守る体制が脆弱だったりする。露出することへの不安というのは、男性より女性の方があるのかもしれないという気がしています。
インタビューの経験から感じていることとしては、ジェンダー規範も関係しているかもしれないです。控えめであるとか、一歩下がるということが、女性のジェンダーと結びついているような社会ですので、注目を浴びるのが嫌だと思っている人もいるかもしれませんし、そもそも自分の経験を話すことに意味があると思えないという人もいらっしゃいます。
また、女性の経験はそれほど注目されてきませんでした。女性の経験を聞いて、それを残そうという動きが男性と比べると鈍い。男性の書き手が男性の経験や活動に注目して記録を残してきたということがあります。活動の記録の乏しさはレズビアン・コミュニティに関する実証研究の乏しさにもつながっています。
これは私自身が経験したことですが、「性的マイノリティ」や「LGBT」というような包括的な括りで資料を集めようとすると、ゲイ男性や異性装(女装)の資料収集が先行してしまって、そこに自分のエネルギーが吸い取られてしまうことがありました。
以上のことを踏まえると、意識的にセクマイ女性の資料を収集し記録し、発信していく必要があると思います。セクシュアルマイノリティ女性の経験や運動は埋もれやすいし、秘匿されやすいし、廃棄されやすい。そういう状況ですので、エンパワーメントのための情報や、何かアクションに一歩踏み出すための情報が非常に不十分だと思っています。
もう一つ、女性に絞ったほうがいいと思う理由は、女性の経験と男性の経験のギャップが大きいという日本社会の状況があります。男女で経験できること、可能なライフスタイルなどが相当違うということがありますので、性的指向が同じでもゲイ男性の経験がそこまで参考にならないことがある。少なくとも現状ではそうだろうと思っています。
参考までに、日本では性的指向よりも性別の影響が大きいかもしれないことを示す研究がありますので紹介しておきたいと思います。性的指向・性自認と収入格差に関する研究(「性的マイノリティの自殺・うつによる社会的損失の試算と非当事者との収入格差に関するサーベイ」岩本健良ほか 2019 https://www.jil.go.jp/institute/discussion/2019/documents/DP19-05.pdf)がなされています。鳩貝さんも紹介していましたけれども、欧米諸国においては、ゲイ男性は異性愛男性と比べると賃金が低い傾向が見いだされているそうです。これを「ゲイペナルティ」と言う。その一方で、レズビアンは異性愛女性と比べると賃金が高い傾向にあり、これを「レズビアンプレミアム」と言います。
では、日本ではどうかというと、そうではないのです。ゲイ男性だけではなくレズビアンも異性愛者と比べると賃金が低い可能性が示唆されています。つまり、あの性的指向と比べて性別の方が賃金に対する影響が強いことが示唆されているわけです(編者注:欧米ではレズビアンは、異性愛女性で男性に養ってもらえる人より高収入の仕事に就く意思が働き実行できる場合が多いのに対し、日本ではレズビアンがそのように働こうとしても女性という性別であることによる障壁が大きくて低収入の仕事に留められてしまう場合が多いことなどによる)。日本は、性別の方がライフコースに与える影響が大きい社会なのではないかと想像させるわけです。
性的マイノリティ女性のコミュニケーション・メディアとして期待される「みらいふWeb」
こういう状況を踏まえて、女性にターゲットを絞った情報を生産したり発信したり蓄積していくことが重要なのではないかと思っています。性的マイノリティ女性としての経験を語ることのできるプラットフォームが今でも必要で、coLLaboさんの「みらいふWeb」はそういう役割を担うコミュニケーション・メディアになることが期待されていると思います。
——パネル対話——
朴君愛さん) 杉浦さんのお話にあったセクマイ女性の経験を記録することにまつわる困難から、今の日本社会の構造というものを改めて感じました。3人の方から私自身もたくさんのことを新たに学びました。ありがとうございます。
杉浦さんのお話を聞かれて、鳩貝さん、中谷さん、ご感想やコメントがあれば、伺いたいと思います。
鳩貝啓美さん) 全体的な感想では、中谷さんのお話は、ご自身の原体験と活動との連なりが本当にわかりやすかったです。私はもう活動を始めていた頃なのに、悲しいことに、その頃に悩んでいた中谷さんがいると思うと、この変化のゆっくりさというものをまた実感させられました。後でもしお時間あったら答えていただきたいのですけど、LINE相談をやってらっしゃる中で、性的マイノリティ女性ということで何か特徴があるようであれば教えていただきたいと思いました。
それから、杉浦さん、私も90年代の半ばぐらいにレズビアン・コミュニティに出てきた者なので、そういう意味ではミニコミの歴史の最後の部分をオンタイムで経験しているのですけれども、改めて今日振り返らせていただくと、70年代のミニコミが当時20代の私には昔話に見えてしまって、過去から学ぶ視点を持ってなかったことに気づかされました。
社会学的な想像力を持っていた時代だったというご指摘もあったのですけど、フェミニズムから始まったレズビアンのコミュニティと何かどこかで線が引かれてしまっているような、上と下の世代が切れてしまっているようなことを振り返りながら伺っていました。
中谷衣里さん) まず、あの杉浦さんのご発表の感想ですけれども、私はミニコミ誌が全盛だった時には年齢的にまだ自分がレズビアン女性であることをはっきりと自認していなかったのかなと思っています。なので、ミニコミ誌の歴史について今日知ることができたのはとても良かったなと思いました。その一方で、日本のジェンダー格差の影響がレズビアン女性にも強く、もしかすると異性愛女性よりも強く影響しているのではないかということも感じました。
現在はもうミニコミ誌はほとんど発行されていなくてウェブに変化していったということもおっしゃっていたと思うけれども、ウェブでも衰退があってウェブはそのホームページがなくなってしまったら研究をすることもできなくなってしまうので、ミニコミ誌からウェブ、他の形態にコミュニティが移った時に、どんなふうにセクマイ女性たちや研究者の方がそれを保存し、活用していくのかが、次の視点で求められることかなと感じました。
杉浦郁子さん) 質問と感想をありがとうございます。まず鳩貝さんのお話を伺って、coLLaboさんはずっと対面という場にこだわってきたことを改めて確認して、オンラインが「挑戦」というのはその通りだなと思いました。おそらく、オンラインの難しさとか、これから課題を認識していく段階なのだと想像しますが、「みらいふWeb」を見ると本当によくできたプラットフォームだな、考え抜かれているな、どういうふうに準備を進めていったのかなとすごく興味を持ちました。
まだまだこれからだと思いますが、どれくらいの人がそこで発信できるのか、参加者をどうやって巻き込んでいくのか。どのあたりに課題を感じているのかも聞いてみたいと思いました。
中谷さんの話では、私は母親の世代とまではいかないけれどもけっこう年が離れているのに、まだそういう状況だったのかというのはかなりショックでした。
ウェブにある情報が不正確だったり、あるいは検索がうまくヒットせず正確な情報やエンパワーメントを得られるような情報を得られなかったりする問題は大きいなと思いました。鳩貝さんもおそらくその辺を感じられて今回のプロジェクトをやっていると思います。ウェブは情報が分散するので、ターゲットが設定された系統立った情報をどうやって流通させていくのかが大きな課題で、しかも現代的な課題だと思いました。
中谷さんは、社会学の言葉で言う「社会学的想像力」を発揮していると思ったのですが、そのような想像力を得たきっかけみとかエピソードがあれば聞きたいと思いました。頭では理解していて、そういう問題があるとわかっていて、関心がないわけじゃないけれども、あるいは結構自分の問題だったりするのだけど、一歩踏み出すことがなかなかできない、という人も多いと思います。どこでその一歩を踏み出したのか、エピソードがあったら聞きたいと思いました。
一歩踏み出せたきっかけ 葬り去りたかった自分の経験が「すごく力がある、大切な話」と言われたこと
中谷さん) 社会学的想像力の獲得をしたきっかけですね。私がL-Portの活動に関わり始めたのが大学3年生の頃で、ちょうどそのときに1代目の代表が立ち上げて運営をしていて、その代表との出会いが一番大きなきっかけだったかなと思います。今、私は2代目の代表です。
大学4年生のある時、突然その代表から「今から、大学の先生で女性で母親をしている人たちの勉強会にLGBTのことを話しに行くから、一緒に遊びに行こう」と誘われて行ったところで、私が高校生の時に体験した話を話させられたのです。まさかそんなことになるとは思ってなかったのですけれども、その話が終わった後、代表が言ったのは「あなたの話には、すごく力がある。すごく大切な話をしている」。初めてそのような言葉をかけられて、私はその言葉を掛けられるまで、ずっと自分の経験は「もう早く葬りさりたい、早く忘れたい、こんなことは誰にも言ってはならない」と思っていたのです。そんな経験がすごく大事なことだって言ってもらえたのが、エンパワーメントされましたし、「自分の経験で社会的なことと実は繋がってるんだ」と考えさせられる原点だったと考えています。
鳩貝さん) 課題については、どれだけ認知を広げて、まず参加いただいたり、発信者になっていただいたりできるかが大きいと思っています。最初の作りとしては、カップルさんであるならば、どちらかだけでも顔を出して、それがリアリティを伝えていく一つである、つまり写真の持つ力も重視していることから、現在をやっているので、お断りされてしまうことも多いです。ゆくゆくは必ずしも顔出しということだけではなく経験のシェアは可能である、あるいは杉浦さんの地方のご研究にもあったように思いますが、カミングアウトをしないでもできる社会的なアクションについても踏まえると、顔を出すということへのこだわりはいずれ調整しながら全体として作っていくことになるかなと思っています。
写真とも関わるのですが、社会にどう働きかけて個人を支援するかというところで、中谷さんの活動と私の歩みは似たものを感じます。本当に同じことを繰り返し続けていくと、だんだん疲労してくる中で、今回オンラインというツールを使っていくことで新たな力に参加していただく。その一つがウェブで発信するというストーリーを作れる方、記事を発信できる方、例えばライターの方とか、デザインの力がある方である方とか、そういう方との出会いを一年目に経験させていただくことができました。これからもそういう方たちのお力を発掘して繋って助けてもらっていきたいと思っています。
朴さん) ありがとうございます。鳩貝さんにはご自身がこの社会学的想像力、私も今日その意味を学びましたけれども、何かその一歩となるお話はございますか。中谷さんより人生の先輩だということで、より厳しい時代を生きてこられたのかなと思いますので。
当事者と研究者が連携しあう活動形態を模索
鳩貝さん) 中谷さんも言われていたように、誰と出会い、どのような言葉をかけてもらったかによるところが大きいと思うのです。読書家や勉強熱心な方であれば、自力でも切り開いていくところがあるとは思うのですが、中谷さんのお話にあった、自分の中にあるホモフォビアゆえにカミングアウトできないとか自分には何もできないとか、杉浦さんの話にあったように女性ジェンダーゆえに追い込まれている自分なんかには価値がないみたいなところから抜け出して、「希望を持っていいんだよ」ということに気づけた時に始める一歩が大きいのかなと思っているのです。
社会学的視座にはなっていないかもしれないですが、そういう部分に逆に研究者の方に理論的な言葉をいただいて、それによってすごく力付けられることがあるだろうと思っています。実態調査を進めていくのは悩ましいものがあって、他の方々や他の団体と連携していく方がいいなというところに今至りつつあるのですが、そういう点においても研究者の方と現場にいるNPOが連携し合う、当事者と研究者が連携し合うような形での活動をこれから模索したいと思っております。
――グループ対話とグループ発表を経て、ゲストからのコメント――
※グループにゲストも加わり、グループの方々に感想や意見、ご質問を話し合っていただいた後、会場全体で共有するために印象に残ったことを各グループから発表いただき、出演者のみなさまからコメントをいただきました。
朴君愛さん) 一言だけぜひ皆様にお伝えしたくて。私自身が朝鮮半島出身の3世です。残念ながら民族差別を受けてきました。ヘイトスピーチのターゲットにもなりました。一方で、自分が女性としての差別も受けざるを得なくて。そういう複合的な差別を受ける立場にあります。
グループ発表で、インターセクショナリティの話もありましたが、まさにセクシュアルマイノリティの女性と重なる状況、経験がありました。民族差別の運動をしている人たちは男性が中心で、男の声だけが語られてきて女性の経験は語られない。そして日本の女性運動の中では、日本の女性以外の人たちが視野に本当に入っているのだろうかというような経験をする。というわけで、自分たちがどちらの側からも滑り落ちてしまって、まさにおっしゃっていた可視化されない存在でした。
さらに言えば、在日コリアン女性の中にもセクシュアルマイノリティの方はいらっしゃるということが、自分たちはやっぱり当たり前ではなくて、異性愛が当然であったし、セクマイ女性がいることを前提にした話し合いができていなかったことに非常に頭を打たれました。学び直しをしなくてはいけないという思いで今日参加をしました。今日のお話を聞きながら、自分の体験と重なる部分に共感しつつ、私がマジョリティとして考えなければいけない部分の両方を学ぶことができたと思っています。
鳩貝啓美さん) 皆さん、ありがとうございました。中谷さんと杉浦さんからもいっぱいエールをいただいたと思いますし、それぞれのグループからも「みらいふWebがんばれ」というエールをいただいたような気持ちでおります。
私が参加したグループでは、ちっぽけな市民ができることって何だろうっていう話も出ました。例えば、議会などを傍聴すること一つとってみても、傍聴して地に足をついた生活の身近なテーマにも目を向けようとしない市民の主権者意識ってどういうことだろうというのを聞いて、それは本当に性的マイノリティ女性の生き方を考えていく上でも重要なテーマだし、もう全市民に共通していることだなと思って、頭を抱える方向に行ってしまいました。
「連帯」というキーワードもグループ対話で出まして、いろいろなマイノリティ同士が連帯をして、例えば「就労」という共通するテーマの中でも、マイノリティ間の共通事項があるところでの連帯の可能性といったご指摘がありました。まさにそれは、いわゆるLGBTQの運動の中でも現在起きてきているテーマではあると思うのです。障害の問題だったり、就労支援だったり、学校教育現場だったりについても、LGBTQでやっている団体さんがどんどん啓発をし、連携をし、社会を変えていく動きを起こしているのだと思うのです。
では、より男女格差があるジェンダーの問題を抱えた性的マイノリティ女性の私たちは、どこでどう連帯したらいいだろう。従来の運動でいうと昔のレズビアンの70年代の活動家たちは多分「これは女性問題だ。だから女性という切り口で頑張る」と言って、フェミニズム運動とか、女性に関わる主なテーマ、暴力のこと等に取り組んでこられた方が多かったように聞いています。それを頭では自分として理解しているのですが、女性問題を解決できないと性的マイノリティ女性問題も解決できないのかというと、それは私たちの人生が進んでしまっていますから、というところで自分たち独自の課題としてできることは何かと考えたいと思っていました。
そんな中で、市民意識というか、可能性を信じられる方法を、そこは連帯して広げていきたいなと思いました。今日の短い時間の中にも、いろんなマイノリティ性やいろんな立場の方が参加されたことだけでも、横のつながりを感じられたので、自分が今、女性問題にパンと入っていかなかったとしても、この道を地道に歩んでいこうかなということを確認した時間になりました。どうもありがとうございました。
中谷衣里さん) 私の入ったグループはいろんな属性や、いろんなところに住んでいる方、いろんな背景を持った方がミックスになって話をさせていただきました。例えば、遠くに住んでいる方の地域の特徴のお話だったり、障害をお持ちの方のコミュニティの中でのコミュニケーションの方法だったり、私自身が今まで知らなかったことも今回たくさん教えていただけました。それと同時に、自分がどこに住んでいるかとか、どんなセクシャリティであるのかとか、他にどんな属性があるのかによって、生きづらい人がいたり、幸せになれない人がいたりするという社会は変えていかなければならないという気持ちを新たに感じた機会でもありました。
自分がどこで誰とどんなふうにどんな仕事をして、どんな暮らし方をして生きていくか、それが自分にとっていかに幸せなのかを感じられる機会や、いろんな生き方の選択肢があって、それを自分で選び取って主体的に生きていける社会というのが、どんな属性を持つ人にとっても必要不可欠だし、もちろんセクマイ女性にとっても必要だなと改めて感じました。
その上で、これまでのミニコミ誌の歴史の中で、私は全盛期にはいなかったですけれども、今の時代にミニコミを先輩方から見せてもらって、こんなふうに女性と生きる女性たちが一緒に、いろんな制度がない中でも工夫して暮らしてきた、こんなふうに当時の人は考えていたと思えて、時代がつながっているという実感を覚えました。
私が今、同性婚訴訟で原告ができているのも、過去10年~20年前にセクマイ女性として暮らして生きてこられた方が積み上げてきたものの現れだと思っているので、そういった意味でも今日、鳩貝さんと杉浦さんからもお話を聞けてよかったなと思いますし、皆さんと対話の機会もいただけてよかったなと思っております。本日はありがとうございました。
杉浦郁子さん) いろいろな背景を持つ方、いろいろな問題に取り組んでいる方とお話ができるというのはありがたいと思います。普段いる自分の世界が本当に狭いことを改めて確認することができます。とても素晴らしい場だと思います。
グループ対話では、「社会には顔出しができない人もいて、顔を出して発信できるような人は相対的な強者であろうことを理解しておかなければいけない」というお話は、その通りだなと思いました。
ミニコミをご紹介しましたけれども、やはりミニコミを作った女性たちは比較的高学歴の女性たちだったということはあると思いますし、首都圏に出て来られる人とか、家族から離れて自分らしく生きていけた人たちとか、いろいろな幸運が重なった人たちが記録を残してくれたという感じはします。
だから、発信できない人や、記録を残したいけれども残せない人たちに対する想像力はいつも持っていないといけないと思いました。今日のこの場もそうですけれども、平日の午後にこれだけ潤沢な時間を作れる人は限られるだろうとも思いました。
私は、運動体はある程度テーマを設定してターゲットを絞ってやらないと意味がないと思っていますので、鳩貝さんのやり方に共感しています。また、鳩貝さんが「「みらいふWeb」にタグをいっぱい設定して、さらにタグをこれから増やしていこうと言っていたことも、様々な立場の人たちを包摂しながら、様々な人たちが抱えている問題を発信しようとする方向性を感じ、素晴らしいと思いました。
「みらいふWeb」は、切り口はセクシュアルマイノリティの女性ですけれども、当然その中に外国籍の人がいたり、障害がある人がいたり、地方の人や、いろんな脆弱な立場にある人たちがいるというのは明らかなので、 その人たちの声も吸い上げて発信できるような、そういったプラットフォームになるのではないかと期待をしています。お手伝いできることはぜひやらせていただきたいと思いました。応援しております。
中谷さんの活動も、裁判も、何かできることがあればと常々思っています。
今日はお2人のお話も聞けてとても嬉しかったです。ありがとうございました。
朴さん) 本当にありがとうございました。今日が新たな出会いということで、次の出会いがあることを願います。それぞれの現場で少しずつでも日本社会を望む方向に変えていきながら、再会できたらいいなと思っております。
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