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ソーシャル・ジャスティス基金(SJF)アドボカシーカフェ第62回開催報告

生きる―重い罪を犯した人の社会復帰と刑罰のあり方-

 

 2021年3月2日、古畑恒雄さん(弁護士/更生保護法人更新会理事長)、マヒル・リラックスさん(トランスジェンダー コラムニスト)、塩田祐子さん(監獄人権センター職員)をお迎えしたアドボカシーカフェを、SJFはオンラインで開催しました。

 「人は変わりうる存在である」との信念で、無期懲役囚等に寄り添う活動を古畑さんは続けておられます。無期刑受刑者の社会復帰の機会となる仮釈放の萎縮化が進んでいることを古畑さんは指摘し、その背景として、最高検次長の内部通達等により無期刑が「運用による終身刑化」していることが懸念され、「改善更生」を刑罰の目的とする法と逆行する運用だと批判されました。

 長期受刑を経験したマヒルさんは、現在はLGBTであることをカミングアウトすることができ、肩の力を抜いて過ごすようになったら道が開けたと語りました。その更生は、昔のすべてを絶たざるを得なかった時に新しく支えてくれている人たちと積み重ねられたものでした。マヒルさんは、刑務所内での懲役として行った仕事が、やりがいが感じられて、最低賃金程度が支給されて出所後の生活に向けて蓄えることができれば、再犯はもっと減ると強調しました。

 更生は、味方になってくれる人、本人を受け止めてくれる人との出会いが重要だと塩田さんは語り、人間を愛することができる弁護士と接せられることがきっかけになると古畑さんは話しました。保護司の熱心な支援と本人の努力により更生した死刑台からの生還者の話も紹介されました。

 犯罪を個人の問題にするだけでなく、社会がどうその犯罪を食い止められたか。たとえ罪を犯してしまった人であっても「誰一人取り残さない」で社会復帰へと導く、寄り添う視点がとても必要であり、それは社会の豊かさが試されているだろう。という参加した方々の意見も共有されました。

 ネルソン・マンデラ(南アフリカ共和国元大統領)の名前を冠した刑務所内処遇に関するルールが最後に紹介されました。その国の人権状況を一番よくわかるには、その国の刑務所を見なさい。その刑務所の中がきちんと人間が生活できるようになっていれば、人間を生かす国だと。しかし、そうなっていなければ、そこに問題が全部集約されているはずだという趣旨のマンデラの言葉を受け継ぐものです。

 詳しくは以下をご覧ください。      ※コーディネータは、寺中誠(SJF企画委員)

Kaida SJF

 

――塩田祐子さん(監獄人権センター職員)のお話

        ~重い罪を犯した人からの手紙相談~――

 「NHKドキュメンタリー『日本一長く服役した男』をめぐって」というオンライントーク&ティーチインを3月28日に、このドキュメンタリーを制作したNHK取材班の皆様を講師に迎えて開催します。NPO法人監獄人権センターのホームページ(http://www.cpr.jca.apc.org/about/event)でご案内中です。

 

 監獄人権センターについてご説明させていただきます。私どもは1995年に、弁護士・研究者・市民が中心となって設立した団体です。NPO法人を取得したのは2002年です。

・生まれながらの「犯罪者」はいない。

・犯罪者を社会から排除するだけでは問題は解決しない。

・誰もが生きやすい社会をつくる。

 という理念に基づいて、活動しております。

 一番の基盤である事業は、手紙相談です。全国の刑務所や拘置所に入所中の人から年間1200通位の手紙が来ます。それに対してボランティアスタッフがお返事をしています。ご相談の内容としては、社会復帰のことで困っている、医療のこと――体の具合が悪くて刑務作業を休みたいと言っても認めてもらえない、薬を出してもらえない――といったご相談があります。

 社会復帰に関しては、「社会復帰のためのハンドブック」を制作し、相談者の皆さんにお送りしています。このハンドブックは監獄人権センターのホームページから無料でダウンロードできるので、ぜひご利用ください。

http://www.cpr.jca.apc.org/sites/all/themes/cpr_dummy/Doc/handbook.pdf

 無期懲役(無期刑)の受刑者の方からは、次のような相談がきました。

・無期刑、収監されて9 年目。家族とも音信不通状態。生きている目的さえ失いつつある。 (2012年5月 千葉刑務所)

・無期懲役で24年間服役している。年金が口座に振り込まれているが、現金の引き出しができない。刑務所に頼んでも出来ないとのこと。他に頼める人はいない。(2012年10月 千葉刑務所)

・無期懲役で服役13年目。高齢の母。空き家になってしまいそうな家など心配。(2013年 1月 宮城刑務所)

・無期刑で服役7年目。兄弟が居るが、腹違いで関係が良くないので身元引受人は無理。領置金も無い。(2013年1月 岐阜刑務所)

・被害者への償い方を知りたい。(2013年11月 大分刑務所)

・60 代で無期懲役。委員面接も終了し、更生保護施設に身柄引き受けを願い出たところ、ある施設から職員が来てくれた。「個室を用意している」と言われ感謝をした。ところが後になって「引き受けられない」と返事が来た。理由を教えて貰えない。全国 20 以上の保護施設にお願いをしたがどこも引き受けてくれない。(2017年8月 千葉刑務所)

 

Kaida SJF

 

 無期懲役(無期刑)とは、どんな刑罰でしょうか。

 「無期懲役は期間を定めないのだから、いつかは出てくるのですよね」と言われる方もおられますが、実際は逆かなと思います。「無期刑」とは、受刑者が死亡するまで終わらない刑罰です。「仮釈放」が許されなければ、死亡するまで刑事施設で過ごします。仮釈放となった後は一生「保護観察」が続き、国の監督下に置かれます。勝手に引っ越したり、勝手に長期の旅行に行くことはできないという状況が続きます。

 

仮釈放のない終身刑 どう罪を償って生きていくのか 改善更生の可能性は

 2018年に「日本の死刑制度の今後を考える議員の会」という議員連盟ができました。国会で、死刑制度の在り方について、死刑制度に賛成の議員も反対の議員も一緒に考えていこうというものです。日本では、死刑制度「賛成」の世論が根強く、廃止するかどうかまではなかなか議論されませんが、国会でこのような動きがあるという事は、死刑制度のあり方をあらためて再考し、もしも死刑を廃止した場合どうなるのか、検討が始まったという事です。

 死刑の代替刑として「仮釈放のない終身刑」が導入される可能性があります。仮釈放のない終身刑は、先ほどの無期懲役と違って、本人がいくら更生しても、亡くなるまで出所が認められない刑罰です。

 「仮釈放のない終身刑」を言い渡された受刑者は、どのように罪を償って生きていくのか。更生の可能性についても考えたいと思っております。

 

 無期懲役の判決はどのようにして出るのか、判決文を見ていただきます。これは裁判所のホームページからどなたでもご覧になれるものです。名前等は仮名になっていますが、実際に起きた事件です。

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/146/006146_hanrei.pdf

 「主文 被告人を無期懲役に処する」とあります。そして、犯行に至る経緯が書かれています。この方は二度の服役をした後、三度目の服役で無期懲役になっていて、今回で2回目の無期懲役の判決という方です。

 検察官は死刑を求刑していて、この量刑の事情として、「強盗殺人罪により無期懲役の言渡しを受け、約19年4か月服役して仮出獄を許された被告人が、そのわずか1年足らずの後に犯した殺人、死体損壊・遺棄の事案である」とあります。

 これに対する裁判所の意見として、「検察官はこの点をとらえて、被告人には前科である強盗殺人の犯行についての真摯な自覚と反省がないと糾弾するが、被告人が社会生活になじめず、自立して生計を営むことがおよそ不可能というほかないような日常生活を送っていたことについては、被告人が生い立ちに恵まれず、家庭において愛情に基づく基本的なしつけを受けることがないままに幼少期のかなりの期間を施設で過ごした点や、成人して後もその大半を刑務所で過ごしてきたことなどを考慮すると、ある程度やむを得ない面があり」とあります。

 被告人の精神鑑定をした医師の意見としては、「治療者と治療環境に恵まれれば、将来は性格の矯正も不可能ではない」、「理解のある治療者に恵まれ、そのカウンセリングなどを通して人格の成熟を遂げることができれば、同じような状況にまたなっても、殺すまでのことはしないだろうと予測できる」とあります。

 最後に裁判所の判断として、「被告人は被害者を殺害した事実自体は認めて謝罪の言葉を述べてはいるのであって、本件について何らの反省の態度も示していないわけではない」と。誠に重大な事案であるけれども、死刑まで選ぶものではないと。「被告人に対しては無期懲役刑をもって臨むのが相当である」というのが判決になります。

 

 一方、死刑判決を受けた方についてはどうなっているか。

 「主文 被告人を死刑に処する」に続いて、犯行状況などが述べられた後、裁判所の意見としては、「人命軽視の態度は甚だしい」、「改善可能性は乏しいと言わざるを得ない」、「被告人に対しては、死刑をもって臨むことはやむを得ない」という決定となりました。

 

 無期懲役の方が出所するまでには、平均で36年間服役するというデータがあります(法務省:無期刑の執行状況及び無期刑受刑者に係る仮釈放の運用状況について)。最も長い方で60年以上になります。私からの最初の話はここまでにしたいと思います。

 

 

―マヒル・リラックスさん(トランスジェンダー コラムニスト)のお話 

 私自身トランスジェンダー、LGBTのTになります。現在こういった形でカミングアウトして生活しておりますが、昔20代から30代にかけて、特定危険指定暴力団に在籍しておりました。

 私が受刑したのは、熊本刑務所(LB施設)そして不良押送(おうそう)になって同じくLB施設の徳島刑務所で受刑することになりました。他にも短期刑務所の府中刑務所にも行っておりますが、今回は長期刑がテーマということでLB刑務所に関してお話したいと思います。

 LB刑務所とは、Lは長期「Long」の刑で、Bは再犯の方や暴力関係者の方などが受刑するところです。私は最初の受刑の時に暴力団に入っていたこともあり、事件が大きな事件でもあり、当時は7年以上の刑でLB刑務所に入りました。

 

社会復帰が困難になる刑務所環境 自分を反省しづらい時空

 刑務所に入って、こんなに社会と常識が違うのだなと痛感しました。もちろん、社会の常識を守れないから教育や罰を受刑するわけですけれども、置かれる環境や、刑務所の中で求められる節度はあまりにも一般的な社会とかけ離れすぎていて、長期刑になればなるほど、社会との距離感が大きくなる。もちろん年数という意味でも時代は変わっていきます。

 一般社会でない環境に慣れすぎてしまうと、逆に本当に社会復帰が困難なのです。私自身もそうでした。社会の波に乗れなくなるのです。

 出所したら、ちゃんと就職して、自分の生活を自立させて、もちろん罪を犯さずに過ごす、そこをみんな思っているのですけれども、とにかく上手くいかないことだらけ。それが甘えだと言われれば仕方ないですし、そこを乗り越えていかなければいけないのが現実なのですけれども。

 刑務所自体、出口に向かっていく教育でない部分が多いのです。例えば、刑務所に入れば工場作業をやります。それが懲役刑なので。ですが、そこに勤労意欲の向上だとか、社会生活のサイクルという教育はあるのですが、そもそも内容自体が社会の仕事の流れと全然違う。

 生活にしても、工場での仕事にしても、常に担当からの目、何より同囚からの目――いかにイジメられずに過ごすか、目を付けられずに過ごすか――を気にして24時間気を張り詰めなければいけないような所で、正直、自分と向き合う時間が取れないことが多々あります。受刑者の日々は、反省して自分を見つめ直すという状況下にありません。とくに、雑居房、今で言う共同室での生活は、自分の時間、自分一人できちんと何かを考えられる時間というのは、消灯になって布団に入った時間だけです。その時間ですら周りに気を遣ったりしなければなりません。

 

Kaida SJF

 

寺中誠さん) その雑居房には、何人ぐらいが入っていたのですか。

マヒルさん) 刑務所の収容人数が多い時期で、定員7名のところに10名入っていた時期もありました。それこそ、1人1畳位のイメージで居室は作られているのですが、そこに全員は布団を敷けないので、ベッドを上に渡して2段ベッドのような形で無理やり8名以上が入っていた時期もあります。ただ私が出所する頃には、7人部屋に4・5人というぐらいでした。

 

寺中さん) 同じ房に居る人はだいたい同じ工場に行くイメージですか。

マヒルさん) はい、そうですね。すべて工場単位で、舎房も、運動も、入浴も全て動きます。

 

寺中さん) いらっしゃった工場はどのくらいの人数でしたか。

マヒルさん) 作業によって異なります。私も金属、木工、印刷などいろいろ行きましたので。多いところで100人位、少ないところで30人位ですね。木工など大きい機械があるところは人数が少なくなっていき、洋裁のミシンなど小さい機械で済むところは人数が多くなっていきます。

寺中さん) 例えばトイレに行きたいという場合には、手を挙げて許可を得るという状態ですね。

マヒルさん) ええ。

 

寺中さん) マヒルさんご自身が病気になって工場に出られないということはありましたか。

マヒルさん) はい、入病というのはありました。

寺中さん) そういう時はどういうことになるのですか。

マヒルさん) 病舎という、社会でいう病院の入院施設があり、そこに移動して、工場に出られるようになるまで過ごすことになります。

 

寺中さん) それ以外に、他のところに出られるということはありましたか。

マヒルさん) 厳正独居や保護房ということはありました。

 「厳正独居」というのは、工場に出ずに部屋の中で作業も生活も送る一人部屋です。ここは刑務所の方から工場に出せないということで入れられるパターンと、雑居や工場で上手くやっていけないパターン――これが一番多いと思いますが、私自身もそうでしたけど、他の受刑者と過ごすのが精神的な意味できつくなった時のシェルター的な意味――があります。

 「保護房」は、一番多いのは喧嘩の事案等で警備隊に取り押さえられたり、刑務官に犯行して手や声を上げてしまったりした受刑者を入れる場所です。保護房という文字からすると、まるで受刑者自身を保護するイメージですが、全く逆で、刑務官や周りの者から隔離して過ごさせる部屋です。塀の中の塀の中と言っていいぐらいの、社会の目からは本当に届かないようなことが行われているところです。

 

寺中さん) 24時間ずっと監視体制に置かれるのですよね。それはどのような感じでしたか。

マヒルさん) まず保護房と厳正独居の中間点みたいな部屋があります。そこは、廊下に接する面のアクリル板が二重になっていて、大声を出しても外に聞こえず、緊急の場合には何か叫んでも外に聞こえないデメリットもある所です。監視カメラが付いています。机や食器などは全て発泡スチロールや紙でできていて、トイレは普通の洋式トイレをベニヤ版で覆われていて穴のある所に座るイメージです。

 そして保護房は24時間、蛍光灯で煌々と照らされています。普通の舎房は、夜中は常夜灯になるのですが。周りの壁はクッション材のようなもの、床はコンクリートです。トイレは自由に流せません。1日数回自動で流れるだけなので、小さい方をしようと大きい方をしようと自動で流れるまで待つしかありません。トイレで使うチリ紙も、通常ですと官物支給は法律で決まっていると思うのですが、2枚・3枚しか支給されなかったりします。当然これでは大きい方をした時に拭けないので、保護房に入った人たちは食事が出ても自ら絶食して極力トイレに行かないようにします。これは官も分かっていることです。寝具は、普通は中綿も入っているのですが、保護房になると、掛け布団も敷布団も中綿が全く入っていない単なる布切れです。とくに床はコンクリートでただでさえ冷える中、その寝具で過ごしました。このように夜中も寒くてまぶしくて寝具をかぶろうものなら、音声マイクでたたき起こされる生活でした。

寺中さん) 舎房にはエアコンは入らないのですよね。

マヒルさん) もちろん。

寺中さん) 夏は本当に暑くて、冬は本当に寒い状態になるわけですね。

マヒルさん) はい。

 

再犯防止へ 刑務所内の仕事にやりがいと最低賃金を
昔の全てを絶った時に新しく支えてくれる人たち

寺中さん) マヒルさんが外に出られる状態になった時に、一番大変だったことは何でしょうか。それから、結局外で上手くいかなくてもう一度入ってしまったという部分は何かございますか。

マヒルさん) 長い間刑務所にいると、今度出たら自分の生活はこうしよう、仕事に就いてやり直そうという気持ち、そして自分の思いがその年数分どんどん積み重なってくるので、本当に刑務所から出た時に空回りしがちです。

 受刑者でないとわからないと思いますが、社会に出たらまず興奮して眠れないし、何もかもが新鮮で、ついていくのがやっとなのです。地に足がついていない状態です。

 その中で、就職や住居のことや、社会的ないろいろな手続きに追われて一杯いっぱいになって、少しでも早く就職しよう、生活を安定させようと思えば思うほど、一番問題になってくるのがお金の面です。家を借りるにしても、就職するにしても、スーツを買うだとか現場に行くなら作業着を買うだとか、その日はくパンツ一枚から買い揃えないといけないですから。

 刑務所の作業報奨金はあまりにも少なすぎて、出てから必要な物がとてもじゃないですが買えない。社会復帰に向けて、もしこの作業報奨金が例えば社会でいう最低賃金のように、刑務所内でもきちんと仕事をしてお給料を得られて、やりがいも得られて貯蓄もできるということになれば、再犯はものすごく減少すると思うのです。最初にお金の問題で行き詰まる人がほとんどだと思います。

 行き詰った時に頼ろうとするのは昔の悪い友達、昔のつながり。私自身、暴力団関係者でしたからそうなのですが、暴力団関係者、また反社の人、そういうアンダーグラウンドで生活している方はいい言い方をすれば面倒見がいいのです。一般社会の人たちより冷たくない部分がある。だから、どうしてもそっちに寄りかかってしまう。行き詰った時、お金に困った時、仕事で嫌なことがあった時、悔しいことがあった時、一番に相談してしまうのは昔のつながりだったりします。

 でも私自身が覚せい剤もやめて今こうしていられるのは、そういう昔の関係を全て絶っていたからです。それが大きかったです。全てを絶った時に新しく支えてくれる人たち、監獄人権センターの塩田さんもそうですし、新しい世界、新しい自分の生活のなかで新たに支えてくれる人たちの存在が大きかったです。

 

 

――古畑恒雄さん(弁護士/更生保護法人更新会理事長)のお話――

 私は、もともとは検事でございまして、1960年、第一次安保の時に検事になりました。それから33年間務めましてその後、公証人を経て、2003年に弁護士になりまして今年で18年余りになります。それだけに、長い間、日本の刑事政策を見続けてきました。

 弁護士の仕事としては受刑者の権利擁護に関する「寄り添い弁護士」の活動をしてまいりました。そのかたわら、1999年から東京の西早稲田にございます「更新会」の理事長も務め、20年余りになります。

 その縁で、現在日本弁護士連合会の刑事拘禁の本部や死刑廃止の本部の委員も務めております。

 これまでにお世話した受刑者は延べ50人くらいで、そのなかには、参議院議員の鈴木宗男さんや堀江貴文さんのような著名の方もいますが、大多数は無名な方です。

 無期懲役の方2人を除けば、あとは有期懲役の方です。無期懲役の一人は元過激派の72歳の男性、もう一人は大学卒の50代前半の女性で、いずれも主要な罪名は殺人です。

 

Kaida SJF

 

「寛容と共生」であるべき刑事政策の逆行

 日本の刑事政策の目指すべき姿は「寛容と共生」でなければならないと思っていますが、実際には「不寛容と排除」の方向に向かっているように感じます。現象面から見れば、厳罰化、刑罰の長期化に向いております。死刑制度それ自体を見ましても、日本は世界で数少ない存置国の一つです。

 具体的なことを申しますと、2004年の法律で刑法12条が改正になり、有期懲役刑の上限がそれまでは15年であったものが20年になり、併合罪加重しますと20年の5割増しの30年まで懲役刑を言い渡せるようになりました。これは大きな変革でした。同じころ、犯罪被害者等基本法ができ、司法も被害者のことを考えて重い刑を言い渡すようになりました。また、行政もこれに追随し、2019年10月の即位の礼にあたり行われた特別基準恩赦において被害者側の心情に配慮して減刑を採用しませんでした。それ以前の恩赦では、無期懲役刑の方を懲役15年に一律減刑するといった思い切った恩赦もなされていました。みなさんは恩赦のことにあまりご関心が無いかもしれませんが、実は受刑者にとって減刑は大きな関心事だったのです。

 このような重罰化の傾向は、無期懲役の終身刑化をもたらしました。ここで数字を少し紹介しますと、2019年中の無期懲役刑の新規仮釈放は16人です。前年末の在所者が1789人ですから0.8%の方しか仮釈放が許されていないというのが現実です。0.8%というのは1000人に8人ということですから100人に1人にも満たないという大変厳しい数字です。一方、2019年中に刑事施設の中で亡くなった無期懲役の方は21人です。仮釈放の数より多いのです。しかも、この年の無期懲役囚の平均受刑在所期間は36年です。36年と聞きますと、それだけで、長いなという感じを受けるかもしれませんが、これは受刑を開始してからの期間でして、その前に裁判の期間があるわけです。今は裁判員制度のおかげで少し早くなりましたけれども、過去には最高裁まで10年位争う事件が少なくなかったですから、実際には受刑期間プラス10年という拘束期間になり、身柄拘束の期間としてははなはだ長いのが現実です。

 

無期懲役囚の心のケア 社会復帰を願った裁判長 

 私自身は2人の無期懲役の方のお世話をしておりますが、そのうち1人は、元過激派で「革命戦士」を自称していた人物でした。本人は、殺人を含む数々の凶悪な事件を犯しましが、第一審の裁判中に本人の気付きと周囲の人々の支えにより罪を悔い改めたことから、裁判所は検察官の死刑の求刑に対し、無期懲役を言い渡しました、この第一審判決に対しては検察官が控訴しましたが、無期懲役が維持され、本人は最高裁に上告しないで、満34歳で服役を開始し、以来38年が過ぎ、今や72歳となりました。本人が逮捕されてからは、49年が過ぎており、来年2月には50年を超えます。受刑の成績は優良で、いわゆる「模範囚」です。しかし、なぜか本人が仮釈放になりそうな動きは一切ありません。

 この人の心のケアをどうしたらよいのか、私は非常に悩んでおります。そのためには、彼と2カ月に1回の面会に行き、週に1回の文通を通じて励ましています。彼も古稀を超え、食道・胃・前立腺などに変調を来し、最近、本人から、もう癌で死ぬのではないかという手紙を受けとり、「決して希望を捨てるな」と返事を書いたのですけれども、私自身非常に悩むところでます。

 ここで、本人についての逸話を申し上げたいと思います。

 第一審の裁判長は退官後、本人の両親を通じ、本人にあて、社会復帰を願って聖書を送りました。その後、元裁判長は亡くなられましたが、没後間もなく元裁判長の未亡人から、本人の父親を通じ、元裁判長の遺志として、本人あてに形見の遺影と愛用の腕時計が送られてきました。元裁判長の遺志は、「どうかこの腕時計を、社会に復帰した時にはめて活躍してほしいと。」ということにあったと思われますが、その思いはかなえられていません。

 

 もう一人の無期刑受刑者はいま50代前半の女性で、妻子のある職場の上司の男性と恋愛して妊娠させられ、2回にわたり妊娠中絶をして、その心理的ショックから、相手の男性の家にガソリンをまいて放火し、男性の子2人を殺してしまったという悲惨な事件でして、受刑開始から今年でちょうど20年になります。かつて私が保護局長をしていた時代には、20年経てば無期懲役の受刑者は、だいたい仮釈放されていたのですが、この方も今では終身刑型の処遇を受けており、仮釈放の目途が立っていません。その間、両親も高齢となり、身元引受環境が劣化するという問題状況が発生しております。

 

 この二人はたまたま私が担当した方の例でけれども、現在、刑事施設に収容されている1789人の無期刑受刑者の方たちは、それぞれ深刻な問題状況を抱えているのではないかと推測しております。

 

無期刑の「運用による終身刑化」への転換点となった最高検次長の内部通達

 では、ここで、どうしてこんなに無期刑の終身刑化が進んでしまったのか、その原因について私なりにいくつか考えてみました。

 無期刑仮釈放がこんなに萎縮化・消極化してしまったのかという理由について、私は二つの国の通達があるからだという説明をさせていただきたいと思います。

 一つは「マル特無期通達」というものです。これは1998年6月18日に最高検の次長検事発ということで出された非公開の通達です。題名は「特に犯情悪質等の無期懲役刑確定者に対する刑の執行指揮及びそれらの者の仮出獄に対する検察官の意見をより適正にする方策について」というものです。

 二つ目はこれに沿う内容の保護局長通達です。これは公開されていてインターネットでも見られます。一つ目の通達は情報開示で取り寄せなければ分からない内部通達です。二つ目の通達は、保護局長が地方更生保護委員会や保護観察所の長に対して発出した内部通達で、名前は「無期刑受刑者に係る仮釈放審理に関する事務の運用について」です。

 

 先ず、この「マル特通達」について説明いたします。無期懲役刑が確定した事件のうち、検察官が「特に犯情等が悪質」と判断したものにつき、「相当長期間にわたり服役」を求めるという内容です。犯情等が悪質というものの中には、先ほどの元過激派の事件のように死刑を求刑されて無期懲役になった者が当然含まれてくるわけです。そういった者は相当長期間にわたり受刑すべきであって、終身の受刑もあり得るとされております。日本の検察は、実は、この通達によって、ひそかに終身刑を導入したのではないかということも伺えるわけです。この通達は、 1998年7月から実施され、既に20年を超え、現在も生きています。

 しかし、この通達は、施行後しばらくの間、法務・検察の部内者のほかは、誰も知りませんでした。ところが、朝日新聞の2002年1月8日付け夕刊のトップニュースとしてスクープされたのです。そこには、「やり方次第では事実上の終身刑となる」という論評がみられます。そうであれば、検察は、1998年の段階で無期刑受刑者に対して「運用による終身刑の導入」を考えていたことになり、重罰を指向する刑罰制度への重大な転換を示すものではないかと思われます。

 

 次に保護局長通達について。これはマル特無期通達の運用を補充するもので、無期刑受刑者の仮釈放審理に当たっては、検察官の意見を聴き、かつ、被害者等については面接等調査をすること、無期刑受刑者の仮釈放審理は刑事施設の長からの申し出が無い場合であっても、刑の執行開始日から30年経過したときは、経過の日から1年以内に職権による仮釈放審理を行うことを定めたものです。

 このため、長期刑の刑務所の取扱いとして、マル特通達に該当するケースについては、もともと仮釈放の申し出を地方更生保護委員会にしないと聞いており、そうなりますと、地方更生保護委員会が職権で仮釈放審理を行うという異例な扱いをせざるを得ないことになりますが、私はこれまで、寡聞にして職権で仮釈放が許可された例を知りません。

 この保護局長通達にも、マル特通達と同趣旨の「無期刑受刑者については、重大な犯罪をしたことにより終身にわたって刑事施設に収容され得る」という文言がみられ、法務、検察は、無期刑の中に「運用による終身刑」という社会復帰の理念に逆行するような刑罰類型の導入に踏み切ったと思われてなりません。

 

無期刑受刑者の仮釈放の萎縮化 「改善更生」を刑罰の目的とする法と逆行する運用

 こうした「運用による終身刑化」による問題点を述べます。

 検察・法務による「運用による終身刑化」が行われていきますと、無期刑受刑者の仮釈放を地方更生保護委員会が自由に判断していた、かつて私が法務省におりました1980年代の緩やかな仮釈放の時代が全く夢のような感じがします。今や、無期刑受刑者の仮釈放の全般的な萎縮化、消極化が際立った現象として見られるようになりました。

 最高裁判事でありました故・団藤重光博士は、「人は本人の気づきと周囲の支えによって変わりうる存在である」と述べておられますが、人の改善更生が仮釈放の運用に反映していないのは問題です。

 この点に関し、マル特通達の発出後に制定された「刑事施設収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律」(2006年施行)の第30条は受刑者の処遇の原則を「改善更生」にあるとし、その後に制定された更生保護の基本法ともいうべき更生保護法(2008年施行)の第1条にも法の目的として「改善更生」を掲げています。

 無期刑につき仮釈放のほとんど認められない現行の運用は、果たして、これらの法律の志向する受刑者の「改善更生」を考えているのでしょうか。法律と現実の運用は背馳している、逆行しているということを私は指摘せざるを得ないのです。

 

「人は変わりうる存在である」 死刑台からの生還 保護司の支援活動と本人の努力

 「人は変わりうる存在である」という私自身の体験を最後に話したいと思います。

 私は1991年から1年余り法務省の保護局長を務めましたが、在任中のある日、決裁書類の中に、こんなケースを経験しました。

 それは、終戦直後に強盗で受刑をしていて、看守を殺して脱獄した後、殺人、加重逃走という罪で死刑を言い渡された男性に対し、1952年にサンフランシスコ講和条約に伴う恩赦がありまして、その恩赦でなんと死刑から無期刑に減刑されたのです。当時すでに彼は十数年服役していたもので、すぐに仮釈放になりました。その後、社会内で保護観察を受けておりましたところ、担当の保護司さんが大変熱心な方で、その方の指導が行き届き、本人の興した事業が成功して、刑の執行免除ということで保護観察を受ける必要もなくなり、その後、さらに復権――恩赦の中にある資格を取れるという制度――まで認められたという事案でした。

 この経過報告を読みまして、私は、この例こそ、まさに「死刑台からの生還」であり、「人は変わりうる存在だ」という実例に接した思いがいたしました。この事案は、本人の更生に向けての努力もさることながら、担当の保護司さんの熱心な支援活動に感動いたしました。

 なお、当時、講和条約で死一等を減じられた者は、全国でなんと二桁の数の人がいたようです。しかし、その大多数の人は自ら努力して再犯もせず、立派に社会復帰を遂げたという事実があったのです。こうした思い切った恩赦は、その後ありません。

 かつての日本人は官民を問わず他人に寛容で、「赦し」を知っていたのではないかと思われてなりません。

 

 

――パネル対談―― 

更生――人間を愛することができる人との触れ合いから

塩田さん) 古畑さんにお聞きしたいのですが、「人は変わりうる存在」だということで、古畑さんが検察官または弁護人として関わられたケースで、「この人は更生できるな」と思えるのは、どんな時でしょうか。

古畑さん) きっかけでございましょうか。本人との継続的な接触を通じて立直りの感触を得ることができます。それには、本人が良い弁護士に恵まれることが大切です。

 弁護士にもいろいろな方がおられましょうが、本当にその人の心の中に入り込んでいけるような方、そして労を惜しまぬ方、人間を愛することができる人、そういう人であれば訴えることができると思います。

 現に、詐欺で服役していた方が「勉強したい」と言った時に、「よし、やりなさい。司法試験を受けなさい」と言い、本人が出所後、数年して合格した例があります。

 先述の女性の無期刑受刑者とは、私自身が俳句をやるものですから、「俳句を作りなさい」と言って、俳句をお互いに交換しあってお互いに批評し合うようなことを毎月繰り返しております。

何か一味違った触れ合いの機会を考えたらよいと思います。

 

塩田さん) 古畑さんに以前お聞きしたところでは、社会福祉士の方も受刑者の面会に行ってくださっているそうですが、具体的にどのような活動をされているか、お聞かせいただけますか。

古畑さん) 実は、私の長女は社会福祉士ですが、私の事務所を連絡先とし、私と一緒に受刑者との面会に行っているのです。

 先述の2人の無期懲役囚のところには長女を連れて行っています。具体的な社会復帰プランを彼女に作らせているのです。それを保護司さんに渡して、保護司さんから観察所に届けていただき、観察所から地方更生保護委員会に届けてもらうということもやっています。

 でも受刑者に対してというのは、まだまだ社会福祉士会のほうでもそこまでの職域に手を伸ばしていらっしゃらないのではないかという気がいたしますが、私は先手を打ちまして社会福祉士の娘を連れて刑務所の面会にいっているわけです。

 

塩田さん) 社会復帰のプランというのはどういうものでしょうか。

古畑さん)具体的には、先述の元過激派の受刑者のケースでは、身元引受人の適任者が他にいなかったため、私自身が身元引受人となり、保護司さんと協議し、社会復帰支援計画をつくり、そのなかで、仮釈放が可能となった場合には、 陶芸工房を立ち上げるというような社会復帰支援計画を立てています。彼は、「陶芸の仕事が得意である。誰にも負けない。私は出てきてから窯を作って陶芸の仕事をやって、お店を出したい。」と言うので、それに沿った社会復帰の具体的な計画を立てて、保護観察所、地方更生保護委員会などに繋いでいます。

 

受刑後の社会復帰の世間一般的な構図に自分を追い込まなくなったら道が開けた

塩田さん) マヒルさんに先ほど出所されてからのご苦労もお聞きしたのですが、最初の受刑が終わって、何度か受刑されて、最後の受刑を終えた後に「あ、自分が変わったな」、「なんとか社会で頑張れそうだな」と思った瞬間というのはありましたでしょうか。

マヒルさん) 今まで何回も「こんど出所したら頑張って社会復帰しよう。二度と刑務所に来ないように、こんなふうになりたい、あんなふうに」とメチャクチャ頑張ってきて、行き詰って、つまずいて、再犯してというのを繰り返していて、今回、初めての受刑から今に至るまでこんなに長く社会にいたことは無いのですけれども、頑張ることを辞めたら、つまずかなくなりました。

 世間一般的によくある、出所して、就職して、立ち直ってという、その構図にならなきゃと自分を追い込むことを辞めて、肩の力を抜いて過ごすようになって、何か自然と道が開かれた感じがします。

 

 

――グループ対話とグループ発表を経て、ゲストからのコメント―― 

※グループに出演者も加わり、グループの方々に感想や意見、ご質問を話し合っていただいた後、会場全体で共有するために印象に残ったことを各グループから発表いただき、ゲストの方々からコメントをいただきました。

参加者)

「複雑な問題ですが、深堀りするとある程度まとめられると思いました。悪いことは悪いということに間違いないのですが、現象や出来事だけをカテゴライズすると、それはかなり危ういのではないかというところは、みなさん話していました。

 一定の罰は絶対に必要ですが、動機やプロセスなどを見ているようで全然見ていないのですよ。実際、司法も警察も、深く調査しているようで全然していない場合が多い。ですから、本当に深く検証して、どういったことでどう悪かったのかを知る必要がある。

 司法自体が犯罪ではないかという話も出ました。被告人は加害者であるから当然償わなければならないというのがあっても、刑務所は相当悲惨なもので、殺すためにつくったものかという位だということを聞いて、本当に社会復帰のためにつくったのかという話も聞きました。

 本当にその人が変わって社会復帰できて、償いも必要ですが、本当によい社会をつくるための場所でなくてはいけないのではないかと。自分も本当にそう思います。

 世界で死刑制度がない国も出てきていて、みんなが幸せになるためにはどうしたらよいかを考えなければなりませんが、そこを司法こそが一番わかっていないといけないと思います。

 被害者を優遇する、支援するというのは当然ですが、どちらにも偏らず、どちらの意見も聞いて、どうすれば一番いいのか、まだできていないと思います。僕は学生で、これはプロの方でないと分からないかもしれませんが、こうした市民活動も理解を深めるためにはすごく重要な場だなと思いました。」

 

「保護司制度に問題があるのではないかという話が出たので、次回4月17日のSJFアドボカシーカフェで話せればと思います。

 古畑先生と同じグループで、日弁連が終身刑の導入と引き換えに死刑廃止をというような動きがあると古畑先生からお話しいただきましたが、日弁連の内部ではまだ意見が分かれていて検討中であることはお含みおきくださいとのことでした。

 社会福祉関係の参加者がいましたので、犯罪に至ってしまうところの原因、その方の育ちや背景、障害や貧困など社会福祉的な課題にどのようにアプローチしていくのが必要なのかという話も出ました。

 被害者支援との両輪で回って行かないと、加害者への支援は世論の理解を得ることが難しく進みづらいと思っています。」

 

「マヒルさんと同じグループでした。マヒルさんへの質問として集中したのが、刑事施設での処遇関連法の立法目的と刑務所内での処遇の実態が合っているのかどうかです。

 マヒルさんのお話をまとめると、監獄法改正までは、5分間内省する時間があって、そこでいろいろ振り返ることができたのだけれど、監獄法が改正されてしまったと同時にそれが廃止された。その理由は、受刑は常に反省している日々であるからそういった内省の時間は不要であるという趣旨だそうです。実際に2週間に1回、講話を聴いたりラジオ教材を聴いたりして感想文を書くそうですが、共同室では他の人たちの目があったり、受刑者同士の見栄の張り合いもあることから振り返ることが難しいという話も伺いました。ですので、教育プログラムの問題点もあるのではないかと考えましたが、マヒルさんが答えてくださったのは、薬物離脱プログラムや断酒教育などそれなりのプログラムがあり、あるいは教誨師さんの役割が心の拠り所になったそうです。

 社会復帰のプログラムは実際どの部分が役にたって、どの部分が問題点なのか。法律上の立法目的と整合性のない点はどこなのかを明らかにする必要があると思いました。」

 

(塩田さん参加のグループより)

「元受刑者の方が講演にいらっしゃると私は、『立ち直りのきっかけは何でしたか』と皆さんにわかりやすくするためについ聞いてしまうのですが、それは非常に酷な質問であることを分かりつつ聞いてしまうのですが、ご意見として出たのは、環境ではないかと。

 本人を認めてくれる人、味方になってくれる人、本人を受け止めてくれる方との出会いではないかという意見がみなさんから出ました。

 では、そういった方とどうやって出会うのか。難しいですよね。『自分を受け止めてくれる人と、どうやって会いましたか?』と元受刑者の方に聞いたことがあります。マヒルさんにも聞いたことがあります。どうやって探すかは誰にもわからず、ご本人ががんばって探すしかない。でも、がんばっても見つからないことはもちろんあります。そのような場合は、周りの人が考えていかなければならない。薬物依存の方が依存症回復施設に入ったからといって問題が解決しない場合もあります。自分自身に“フィット”する助けを、ご本人が探していかなければいけないということで、非常に難しい問題だと思いました。

 保護司をされている方からもご意見が出ました。保護司になるきっかけは、もともと保護司をしている方が自分の知っている範囲の中から探すので、地域の住民が『私、保護司やりたいです』と突然来ることはほとんどないそうです。そのため、保護司に適している人を広く探す仕組みが無いのかという意見もありました。」

「保護司をしていますが、検討委員会の中で探していくという形です。」

「保護司をしています。私は自分から手を挙げました。非常に珍しいと言われました。社会福祉士なので、社会福祉士のホームページに載っていたので、保護局に電話をかけたところ、住んでいる区の会長さんから連絡が来ると言われました。身上書等を提出する必要がありました。

 今実際に担当しているケースがあり、環境調整を終えたところです。保護司の方は自宅だけでなく喫茶店をつかって面接する場合もあるようです。

 私の保護司のなり方は特別で、かなり壁を感じていて、みなさんオンライン研修などほとんどなく、刑務所に見学に行ったこともない人が多いですが、地元の名士は多く、本人の就職活動を世話するのにはよいかと思いますので、力をつけなければと思っています。」

 

犯罪を個人の問題にするだけでなく、社会がどうその犯罪を食い止められたか。また実際に犯罪をしてしまった人に対して、社会復帰をどう社会が支えられるのかも大事だろうという意見が出ました。

 単純に刑務所で懲らしめを中心とした刑罰をやるだけでなく、既にいろいろな更生プログラムは実施されてはいますが、より社会復帰や矯正、トレーニング、教育、治療に力を注いでいった方が、広い目でみたら本当に安全な社会を築けるのではないかという話になりました。

 特に今、国連で推進されているSDGsも、『誰一人取り残さない』という目標を掲げていますから、そういった観点からも、たとえ罪を犯してしまった人であっても誰一人取り残さず社会復帰へと導く、寄り添う視点がとても必要だろうし、それは社会の豊かさが試されているだろうと感じました。

 古畑先生のようにビジネスの枠を超えて、人と人の接し方で寄り添われている方がいる一方で、保護司のみなさんはボランティアベースであったりご高齢であったりするわけです。そういった点、善意ある人がボランティアで頑張ってどうこうというのも尊いのですが、社会のシステムとしてどう環境を整備していくかということも同時に大切ではないかと思いました。」

 

「古畑先生の言葉に本当に感動しまして、労を惜しまない人、愛する人、こういう人間形成がどうできるかだと思います。

 こういうNPO法人まちぽっとの活動がもっと広がっていくことが大事なのではないかという思いを深くいたしました。我々自身が学習だけでなく幅を広げていくことが大事だなということが思わされました。」

 

Kaida SJF

 

受刑者への寄り添い活動を制度的なものに

古畑恒雄さん) 入口支援や出口支援はかなり制度的に地方公共団体等も入ってできつつありますが、受刑している方の寄り添い活動はあまり活発でないように思います。

 寄り添い活動は非常に大事なことだと思います。監獄人権センターの方では海渡先生も大変熱心に取り組んでいらっしゃるのですけれども、やはり全国的なものにしていかなければいけないのではないか。今は私自身の個人的な情熱でやるようなものでない方が良いと思います。制度的なものに徐々にしていった方が良いと思います。入口支援・出口支援並みに受刑者のことも考えていただきたいと思います。

 

更生の時が絶対に来ると信じて見守って

マヒル・リラックスさん) 犯罪をした人は社会に戻ってほしくないという意見があって当然だと思います。私自身を客観的に見て、今も日々、犯罪をしている・していないということ以上に、自分自身がちゃんと更生社会復帰できているのだろうか、自分でもまだ分からずにいます。

 近くで見てくれている、塩田さんだったり、周りで助けていただいている、新しい出会い、新しい環境、そういう方との出会いだったり、更生のきっかけは運命というか、本当にタイミングだと思います。もし皆さんの周りで、せっかく支援したのにまた同じことを繰り返してという人がいても、支援のやり甲斐が無かったと全然思わずに、たまたまこのタイミングではなかったのだと、またそういう時が絶対に来ると信じてあげて見守っていただけたらうれしいと思います。

 

寺中誠さん) おそらく、「更生」や「改善社会復帰」とはいったい何なのか、ということについて明確な答えを持っている人はいないのではないか。それぞれの人が自分たちで「これが更生だ」とか「これが改善社会復帰だ」と考えながら進めていく。すると社会の中では上手くはそれが合わないこともあり得る。すると葛藤がいろいろ発生するかもしれない。

 でも、自分の中での「更生」、「改善社会復帰」というのを自分がどう思っているかというところに最終的には帰着させないと。

 たとえば一般的な基準をつくり、こうなったら改善社会復帰がなったという尺度をつくって、全世界の刑務所等で効果を測ると、これは若干の想像が入っていますが、刑務所という制度は改善社会復帰にはほぼ役に立たないという結論が出ると思います。だから外側からきちんと尺度を作って判断するのだと、最近流行のエビデンスベースでやると、最終的な解は「刑務所に入れない方がいい」という話になるだろう。

 僕らはその上で勉強したり研究したりしているのですが、「それなのになぜ刑務所制度はあるのか。それは、改善社会復帰とは違うところから来ている要請ではないか」と考えながらこの問題に付き合っていかないと、下手をすると、刑務所に入ったからこの人は排除するという安易な排除感覚にいろいろな人が流されてしまうかもしれない。

 その排除感覚をできる限り持たせないためには、まず一つ、例えばマヒルさんも今社会で生活できている。「これほど長く社会に居られたことは無かった」と先ほど仰いましたけれども、「やった、これだけ長く社会にいられたぞ」というのが一つの成功体験ですね。こうした成功体験を一つひとつ積み重ねていく。

 場合によっては実は失敗することもあり得る。たくさん失敗した人を私も知っていますが、失敗した時に、「あ、失敗しちゃったね。これからがんばろうね。また一から積み重ねていこうね」と前向きに考えられるようになっていくというのが、社会の周りの人の役割でもあり、そうなっていければいいのだろうと思います。

 

塩田祐子さん) 先日、監獄人権センターで事務局会議を行いました。協力弁護士のみなさんと事務局スタッフで今月の活動を振り返って、来月の活動計画を立てるのですが、ちょうど会議中に、FAXが送られてきました。

 受刑中の方のご家族からでした。「主人が刑務所の中で間もなく死ぬのです」と。重病でもう余命数カ月なので、刑務所から「最後に会いに来てください」と言われたと。ご家族としては、そんな状態であればもう外に出したいと。重い病気等を理由に、「刑の執行停止」が認められれば、受刑を一旦停止して獄外の病院に入院することができます。

 会議でこのFAXを読み上げましたところ、2名の弁護士が、「刑の執行停止の申し立ての書類を作って直ぐに刑務所に送ろう」と、その日のうちに対応してくれました。

 本人が入院できる病院を家族が探してくることが前提となりますが、良い結果に繋がることを願っています。寄り添い弁護士の活動にはこのようなケースもあります。

 一人ひとりの方にしっかり寄り添うというのはなかなか難しいと思いますし、今はボランティアに頼るしかない状況ですが、このような活動が、今後広がっていくことを願っています。

 ※監獄人権センターでは、寄り添い弁護士の方々の活動を事例集にまとめました。

 「被収容者を支える人のためのヘルスケア・サポートガイド」

http://www.cpr.jca.apc.org/sites/all/themes/cpr_dummy/Doc/support.pdf 

 

ネルソン・マンデラ・ルールズ 刑務所の中にいる人も「誰一人取り残さない」

寺中さん) どんな人も取り残さないというのが「基本的人権」です。刑務所の中にいる人というのが一番取り残されてはならない人たち。これは、ネルソン・マンデラが言ったことです。その国の人権状況を一番よくわかるには、その国の刑務所を見なさい。その刑務所の中がきちんと人間が生活できるようになっていれば、人間をちゃんと生かす国だと。しかし、そうなっていなければ、そこに問題が全部集約されているはずだと。

 ネルソン・マンデラは南アフリカ共和国の元大統領で、あのアパルトヘイトを終わらせて現在の状態を作った。そのマンデラの名前を冠して作った刑務所の中でのルール、「ネルソン・マンデラ・ルールズ」というのがございます。マンデラルールズは監獄人権センターで日本語に訳されて閲覧できるようになっています( 閲覧はこちらから )。

 

 日の当たらない世界と言われているところの話ですが、そこで生活している人たち、生きている人たちがいる。そしてそこから日の当たる世界に移る人もいる。ところが、日の当たる世界で今度は非常に光を浴びることによって上手く生活できなくなってしまう難しさも場合によっては抱えてしまう。この辺りの複雑な問題について、ぜひ皆さんと今後も考え続けられればと思います。

 もう一つ皆さんから「被害者の問題」というのが出てきました。実は私はいくつかの大学で授業をさせていただくのですが、中には留学生のクラスもあり、留学生にその話をしますと、「被害者の気持ちを考えると」という考え方をあまりしないのです。だから「被害者の気持ちを考えると」という論理が出てくるのは日本特有の現象なのかと私は思っているところがあります。例えばアメリカ等も同じように死刑がある国ですが、死刑の問題を扱う場合でも、「被害者の気持ち」ということはあまり言われない。日本は刑務所の場合でも「被害者の心情を」と。もちろんこれは一つの要素ではあるけれども、他の国では日本ほどその部分で「被害者・遺族の気持ちを考えると」と強調されるものではなさそうです。その辺、日本の刑務所制度を取り巻く状況の特殊性があるのではないかと思います。 ■

 

 

次回のアドボカシーカフェご案内★参加者募集★
『非行少年と保護司~やり直しを支援できる社会へ~』

【ゲスト】田口敏広さん(アクセプト・インターナショナル国内事業局長)
     中澤照子さん(元保護司/Cafe運営)
     十島和也さん(プロレスラー/保護司)
【日時】2021年4月17日(土) 13:30~16:00 
【会場】オンライン開催
詳細・お申込みこちらから

 

 

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