ソーシャル・ジャスティス基金(SJF)
助成発表フォーラム第8回
2020年1月10日、ソーシャル・ジャスティス基金(SJF)は、公募により審査決定した第8回目の助成先7団体(NPO法人ASTA、NPO法人OurPlanet-TV、NPO法人ピッコラーレ、ジャーナリストを目指す日韓学生フォーラム実行委員会、NPO法人メコン・ウォッチ、NPO法人監獄人権センター、アプロ・未来を創造する在日コリアン女性ネットワーク)を迎えた助成発表フォーラムを東京都世田谷区にて開催しました。
「透明人間みたい」とつぶやいた若年妊婦。復興五輪の陰で問題が無かったことにされそうな小児甲状腺がんの子ども。顔も出せず、声も上げられない人の思いを社会につたえ、社会を変えていこうとする活動があります。
言葉や国境を越えて人間と人間の魂がふれあう学びの場をつくる若手ジャーナリストたち。日本が加害と向き合わないまま被害意識が先立ち悪化する隣国との関係をどう変えていくか、私たちは問われています。
加害を償うとは何か。被害から本当に回復するには。更生とは。終身刑の導入が検討され始めた中、正解のない問いに、犯罪者の声も聴き市民と対話していく、監獄の中の人権を守る活動が進められています。
参政権がなく、声を上げても政府に無視されてきた在日コリアン女性。「やっと私たちも声を上げていい」と思えるようになり、隠して生きざるをえなかった人たちの声を国連に報告し、日本への勧告に生かそうとしています。その先にどう社会を変えるか、挑戦し続けています。
日本の開発援助により被害を受けても、声を上げられなかった現地住民。ビジネスと人権の両立をどう日本社会に根付かせるか、日本の消費者の問題意識が問われています。
性の多様性を認め合う社会を目指し、教育現場・行政・市民のネットワークを構築する活動があります。「当事者」という線引きを一切せず、みんなで社会を動かそうとしています。
このような人たち一人ひとりの力も引き出し、生かしてこそ、民主主義社会は持続可能でしょう。「社会の中にいていいんだ」、「もっと幸せに生きていていいんだ」と誰もが思える社会を、地道に作っている活動がここにあります。詳細は以下をご覧ください。
――開会挨拶――
上村英明・SJF審査委員長) ソーシャル・ジャスティス基金が生まれたのは2011年になります。今年で8回目の助成事業になります。
大きな目的は、市民活動、本当に市民社会をつくりたいという活動にお金を流していくことです。そうしないと、日本の市民社会が細くなって無くなってしまうという危機感があります。お金に色はないと言う方もいますが、残念ながら企業や政府のお金では、この分野にはつかないという分野があることがはっきりしているなかで、日本社会でほとんど注目を浴びないけれども非常に重要なところにどうやってお金を流していくかということで始めた活動です。
今回は、庭野平和財団とオープン・ソサエティ財団にご助力いただいて7団体に助成をすることができ、運営委員長として本当によかったなと考えています。
私たちの基金はみなさんの活動を支援させていただくのですが、一番の目的は、日本社会のなかに民主主義をしっかり作ることです。ですから、それぞれのみなさんのプロジェクトはとても大事だと思っていますが、同時に、それが日本の民主主義にとってどういうふうに役立つかということを改めてお考えになり、できるだけプロジェクトを広げてください。
みなさんご存知のように、年末から年始にかけてまた日本社会、国際社会が良くない方向に動きそうな気配があり、個々の団体だけでは難しい面もありますので、私たちがいい意味で協力しながら、日本の民主主義を作っていければと思います。民主主義を再建と言いたいところですが、再建するほどもともと日本に民主主義はなかったのだろうと、最近思います。あらためて私たちの社会に民主主義をつくるために助成金を使っていただければと思います。
それぞれの事業をどのようにつなげられるのかを考える時間としても、今日の時間を楽しんでいただければと思います。
――第8回助成事業 発表――
◇オープン・ソサエティ財団 東アジアプログラム職員からのご挨拶
(オープン・ソサエティ財団より500万円の指定枠をいただき、SJF審査委員会は公募により以下の5団体への助成を決定いたしました)
※東アジアプログラム職員からは、オープン・ソサエティ財団の概要及び、同財団と日本とのかかわり、本助成プロジェクトの意義、助成先への期待等について説明がありました。
※次いで、助成先の報告の後、他の助成先とミニパネル対話を行いました。
◆ NPO法人ASTA 久保勝さん(共同代表理事)
『性の多様性を認め合う社会の実現に向けた地域ネットワーク構築事業』
LGBTをメインテーマとして、愛知県・中部地域を中心に活動している団体です。まず私たちの団体についてご説明します。主に教育現場でのLGBTをきっかけとした多様性や人権に関する啓発活動を行っております。また、直接今回の事業に関わるところではないですが、名古屋LGBT成人式の運営を行っています。とくにトランスジェンダーの方の中には、自分が着たい服を着られなかったり、成人式に行きたくても行けなかったりする方が一定数いらっしゃいます。そういった方たちをはじめとして、「成りたい人になる」といったことをテーマに、「自分らしく生きる」ことを祝福する一日として企画しております。このように、外部へのLGBTをきっかけとした人権の啓発活動をする一方で、LGBT当事者やその周囲の方々の中部地域のコミュニティーにおいても役割を担っている団体です。
「LGBT出張授業」、多様な人の個性の一つとしてセクシュアリティをとらえる
今回の事業に主に関わってくる「LGBT出張授業」で、私たちはどのようなことを行っているのかご説明します。学校現場の教職員、そして保護者を対象とした研修、児童生徒を対象とした出張授業を展開しております。一貫しているのは、当事者あるいは当事者の親の複数の声を届けるといったことです。
私たちが大事にしているのは、出張授業に行った時に、一人で話すことはしないということです。LGBTと言ってもいろんな方がいて、たとえばゲイの方でもそれぞれが感じられていることは違うかと思います。それを画一的に私たちが捉えてしまっては多様性が失われます。ですので、同じ出張授業の中で、グループワークを基本的に3回実施させていただきまして、当事者や当事者の親、あるいはその支援者・アライという立場のメンバーがそれぞれのグループを交代で回ります。たとえばみなさんが最初「レズビアンのAさんだ」という認識を持たれる場合でも、対話を重ねていくと、「Aさんは好きな食べ物は〇〇で、血液型はA型で、ちなみにレズビアンなんだ」といった発想の転換を起こせるような働きかけをしています。LGBTはあくまで一つの個性で、その人の全てではないととらえてもらえるように話しています。
「LGBT」という言葉について、私たちはセクシュアルマイノリティ、性的マイノリティの総称の一つとして使わせていただいています。LGBT以外にも性的マイノリティの方はいらっしゃいます。ただ、日本ではLGBTという言葉が浸透していますので、今回はこの言葉を使いますことをご承知おきください。
当事者かどうか線引きせず、みんなで社会を動かす
本事業の目的をお話しします。私たちの法人は今年で4年目になります。「点から線、そして面へ」とネットワークを拡大していきたいと考えています。現在年間で80件から100件の学校や行政を中心に回らせていただいております。それらは点であって、少しずつ線になってきている部分もありますが、同じ自治体・地域でつながっているかと言うと、まだまだなのかなと感じることがあります。そういった意味で「面」を意識して、それが自立的に動いていく仕組みをこの事業でつくりたいと考えております。
前提となる姿勢としては、ポイントは「当事者かどうかにかかわらず」ということです。これは私の個人的な思いも強いのですが、5年前、中学時代からの友人にゲイであることをカミングアウトされました。当時13人に1人という割合でLGBTの方がいらっしゃると聞いたのですが、活動を始めてみたら、活動をしている方のほとんどが当事者の方でした。仮に13人に1人という数字が正しいとすると、その割合の方が動いているだけで、社会が動くのか。いや、そうじゃないだろう。13人に12人、むしろ13人の13人、みんなで動いていく中で、社会を動かしていけるのではないかと感じました。私たちは、当事者かどうかという線引きは一切しません。私がこのように話していると「あなたはゲイですよね?」と言われることがありますが、「だったら、どうなのですか?」と問い返したいと思います。「あなたはLGBTですね」ではなくて、当事者かどうかに関わらず社会を前進させるきっかけ作りを今後も継続していきたいと思います。
教育現場、行政、市民のネットワークを構築し、性の多様性を認め合う社会へ
課題および解決の方策についてお話します。
自治体には、たとえば同性パートナーシップに取り組む自治体が増えている一方で、そもそもLGBTという言葉が浸透していない自治体も多くいらっしゃいます。そうした自治体のつながり、ネットワークをつくっていくという事業を行います。
内容としては、実際に市民ネットワークを構築していきます。また、現在出張授業を年間100件近く行っていますので、そこで教職員や保護者を中心に、行政の方を交えてつないでいきます。こうして中部地域が結束して社会を前進させられるような取り組みをしていきたいと思います。特に地方ではLGBTがカミングアウトしにくいという現状がありますので、今回は北陸地方にもアウトリーチし活動を広げていきたいと考えています。
出張授業からネットワークを構築し、継続的なネットワーク拡張を行います。私たちの最終的な目的は、笑顔で解散することです。私たちの活動がなくても自立して地域が動いていくように、今はその働きかけのために自分たちの活動が必要だと思っておりますので、しっかりと役割を果たせるように本事業に取り組んでいきたいと思います。
アプロ・未来を創造する在日コリアン女性ネットワーク 朴君愛さん) ASTAの活動を始めて知ることができ、また20代の若さがまぶしく、お話を聴いて元気をいただき、新しい出会いをうれしく思っています。私は60歳を超えたのですが、LGBTという言葉はこの20年でようやく聞くようになった世界で、存在は知っていたけれども、いい出会いを得たのもこの10年になるかならないかくらいで。久保さんに教えてくださいとの思いを新たにいたしました。
ただ要請に応じて学習の機会を提供するだけでなく、ネットワークを構築するというところに興味を持ちました。実際にはどのようなネットワークのイメージなのか、どのような活動をされているのかもう少し知りたいと思いました。
ネットワークの構築では、企業や学校等さまざまなセクターにアプローチしているエネルギーもすごいと思いながら、個人としては企業や行政でも素晴らしい方々に出会えるのですが、組織としての意思決定によりコンソーシアムへの参加となると難しいところもあると思います。この辺りをどう工夫しておられるのでしょうか。
また、一人では出張授業で話さないという話がありましたが、活動資金はどのようにしているのでしょうか。学校現場の講師料は予算が少ないと思います。しかも平日の昼間、仕事との両立の難しさもあると思います。そういうなかで、スタッフの方は生活とどう両立しているのかなと、素朴な疑問を持ちました。
教材開発は、どのように工夫されたのでしょうか。児童や生徒、教職員などそれぞれ知識のレベルや、対象者に獲得してもらいたいものが異なると思いますが、どのように工夫したのか教えていただければと思います。
大きな地区が動く踏み台になる自治体をつなぐ役割を果たす
久保さん) ネットワークについては、例えば愛知県の豊明市様が3年前よりASTAと連携し、協働でLGBTに関する取り組みを行っています。しかし、いわゆるLGBTというテーマはさまざまな議論を呼ぶことが多く、行政の取り組みに何らかの不足があると、すぐにSNSで否定的なとらえ方も含めて話題となり、結果的に行政が委縮して初めの一歩を踏み出せないという流れが強いのが事実です。豊明市様がその取り組みを始めた時も、実際に問題になったこともありましたが、その時に市長さんがおっしゃっていたのは、この取り組みを豊明市が始めることで名古屋など大きな地区が動く一歩、きっかけになりたいということでした。日本全国にはそうした市長さんもいらっしゃいます。そういう勇気ある自治体をつないでいく活動をしています。ほかにも、岐阜県の関市様や、同性パートナーシップの取り組みを始めた西尾市様などもいらっしゃいます。ただ、先に申し上げた理由でそれぞれが独立、孤立した取り組みになってしまいがちなので、それらをつないでいく役割を私たちが果たしていきたいと考えています。
資金については頭が痛いところです。学校に予算が少ないというのはおっしゃるとおりです。行政にもなかなか予算がないのが現状で、これまで印象的だったのは、5名以上のメンバーで出張授業を行ったにもかかわらず、講師料は図書カードで何千円ということもありました。ボランティアということで、みなさんそれぞれ感じておられることもあるかと思いますが、やはり「ボランティア」という響きが、無意識に「無償でやってくれるもの」という認識を連想させているような気がしています。お金のことを考慮に入れず依頼をくださる学校や行政も一定数いらっしゃいます。そういった背景もあり、いろいろな団体と連携しながら、このように助成金もいただきながら活動しております。
また、ASTAにはさまざまなメンバーが所属しており、私自身も平日は会社員として働いております。平日の出張授業の参加メンバーは、パート勤務であることが多い当事者の親の方々が中心になっています。平日働いている人たちが活動しやすいかというと、私自身も平日は現場に赴くことがなかなか難しく、そのあたりは一つの課題だと感じています。
保守的な名古屋でも性の多様性を尊重する企業をつないでいく
教材開発については、東京の方はLGBTの活動がかなり盛んだと愛知県から見ているととくに感じています。なので、東京などの団体と連携しながら、学ばせていただいた知識を愛知県の方にも広げていけるように、継続的な学習の機会を団体内にも設けています。出張授業の形式も発達段階によることが多く、たとえば小学校だとそもそもLGBTという言葉を使う必要がなかったりするので、性や多様性、人権の話をいかに馴染みやすいように伝えるか、学んでは試行錯誤しています。
名古屋の特性、東京かそれ以外かの特性かもしれませんが、例えばプライドパレードが実施されている地域があり、名古屋だとASTAのメンバーが、いろんなイベントのスタッフをしているのです。つまり、活動をしている当事者や親、近しい人間が一部しかいないため、パレードのボランティアスタッフは、その多くが知り合いのメンバーだったりします。また、企業や行政などの組織との連携についてですが、組織からなかなかバックアップが得られないことも多く、自分自身も会社のなかで理解を得られるかというと、大切なのはわかるけど、最重要課題ではないといった企業判断がされたりします。歯がゆさを感じながらも、現状は多くの企業、組織ではそういった認識なのかなと感じています。
最初のネットワーク構築の話につながりますが、それでも一歩踏み出す企業や行政はいらっしゃいます。そこをつないで、つないで、保守的な名古屋といわれますが、逆にどこか大きなところが動き出したら芋づる式に動く地域だと思っていますので、引き続き尽力したいと考えています。
参加者) 学校での活動が主になっている。そうすると、どうしてもLGBT以外の問題、教育そのものの問題も関わってくると思いますが、そういうのは最初から包括的に考えていらっしゃいますか。
久保さん) LGBTの方は自殺念慮の率が高いというデータがあります。実際に学校に関わると、依頼をいただく学校には大きく二つのパターンがあって、なるべく早く教職員や保護者が学習すべきだと依頼する前向きな学校と、逆に当事者の児童生徒がカミングアウトしてきたためどのような対応すればよいかと、対症療法的な対応で依頼される学校もいらっしゃいます。そして、後者だと対応が後手に回ることが多いのも事実です。周りの子どもから噂をされていて、教職員の意識としても学校の体制が追いついていない。そういった形にならないように、事前に私たちが働きかけをできるような仕組み作りが必要になっています。
いじめの問題にどう取り組んでいくかについては、出張授業を実施したからといって、そこで解決できる問題ではないと思っています。あくまで自分たちは、種まき、きっかけづくりをして、その後どういったことができるのかという継続的な対応については、適切な団体や機関へつなぐことを意識しています。
すぐに成果が出るところではないですが、今の教育現場、先生に研修を行って、その先生の教育を受ける子どもたちがこの後につくっていく社会で、少しずつでもすべての人が生きやすい未来に変わっていく。やはり教育は循環するものだと思いますので、若い世代の子どもたちに次にこの思いをさせないために、私たち大人が今やらなければいけないことだと感じています。
◆ NPO法人OurPlanet-TV 白石草さん(代表理事)
『ビデオ・プロジェクト~甲状腺がんになった私たちの声を聞いてください~』
今回は助成をいただくのが3度目になります。今回の事業はこれまでの2回と実はつながっております。
1回目は2013年、「チェルノブイリの28年目の子どもたち」という事業で、チェルノブイリに取材に赴きまして、実際に原発事故から28年経った地域で、子どもたちがどのような様子なのか、国がどのような政策をしているのかを調査し、映像化しました。これは非常に幅広く多くの方々に見ていただいて、おそらく裁判の証拠に使われて、あるいは多くの方々の判断材料に使われているかと思います。最近これがリバイバルブームのように、講演の依頼が多く来ています。
次に、国が十分な健康調査を原発事故後に行っていない一方で、ただし地域や学校の中で取り組みをしている方々を調査してまとめる事業を行いまして、最終的に岩波ブックレットの『3.11後の子どもと健康』という内容でまとめさせていただきました。これは、事故初期にとくに放射性ヨウ素が拡散したのは、北は秋田県あるいは岩手県から、南は愛知県に入るか入らないか静岡県位までという、その位幅広く放射性物質が広がったわけですが、そうした地域の方々には非常に影響を与えることができました。
顔も出せず声もあげられない小児甲状腺がんの子どもの思いを可視化するには
今回のプロジェクトは、その間にずっと取り組んできた小児甲状腺がんがテーマです。
いま公表されている数字で、231人の方々が福島県で小児甲状腺がんと診断されています。
今回、7団体がこのSJF助成金を受けてらっしゃって、先ほどのLGBTもそうですが、なかなかカミングアウトしたり、社会に訴えて実情を伝えたり、社会に理解されることが非常に難しい分野が多いと思います。とくにこの分野は当事者が主に子どもです。しかも「復興五輪」が掲げられる中、福島県などでは、「甲状腺がん」というワードが風評被害を招くネガティブワードNo.1と位置付けられており、大掛かりな復興キャンペーンが展開されています。その結果、福島県内でも県外でも、ほとんど何が今起きているか分からないし、子どもたちがどのように過ごしているか想像がつかないという実情にあります。
当然、本人たちは全然声を上げられないし、社会に広げることができないどころか、お隣、クラス、担任の先生にまで言っていない。手術も春休みや冬休み・夏休みに密かに受けて、家族の中だけで抱えているという状態がもうすでに7年も続いています。
この3年ぐらい、この状況をどうやって可視化するか考えてきましたが、このプロジェクトは、こうした小児甲状腺がん患者の声を、映像を通じて社会に伝えることを目指しています。
オリンピックの陰で忘れ去られそうな原発事故被害者の思いや状況を映像で表現
もういよいよ今年は五輪。今年の3月には、オリンピックの聖火リレーが始まるとともに、福島県では避難指示が解除されます。双葉町・大熊町の帰宅困難地域も避難指示が解除され、大掛かりな復興キャンペーンがなされていくということを甲状腺がんの患者や家族はとてもよく理解しています。
今回の事業でつくるビデオは、本人のプライバシーを守りながらも、当事者の思いや状況を表現できればと考えています。ビデオが完成した暁には、ぜひ多くの方に見ていただきたいと思います。
監獄人権センター 塩田祐子さん) 「甲状腺がん」という言葉は、たぶん問題が起きた当時に、人権をやっている方は、1回は聞いたことがあると思います。でもその時にはそういうものがあるんだとは思ったと思いますが、それをずっと記憶して何かできているかというと、なかなかできていないと思います。
支援対象が子どもさんであるのに、なぜあまり知られていないのかがよくわかりました。人にまず言えないということで、大変な問題だと思います。
3回目の助成だということで、1回目・2回目をビデオや岩波ブックレットなど、広く活用できる形にしていることがすごいなと思いました。助成金をいただいた時に、なかなかそれを後で使って何かやるという形に行かないので素晴らしいと思いました。
今回つくられるビデオは、どのような形で見ることができるのか、動画サイトのようなところから見られるのか、上映会場などで見られるのか気になりました。
対象者の方に取材させてくださいと行かれると思いますが、「いいです」と言う方もいれば「いやです」と言った方もいると思います。「いやです」と言われた方にはもう取材に行かないのか、それとも「いやです」と言っていた方がだんだん心を開いてお話をしてくれることがあるとしたら、それはどのようなきっかけなのか教えていただければと思います。
白石さん)この1年間で公開したいと考えているのは、10分から20分程度のビデオで、YouTubeで見られて、キャッチーなもので、伝わるものをきちっと作ることです。上映会も視野に入れてはいます。
朴さん) 私は申し訳ない気持ちで今います。大阪でこの助成事業のタイトルだけを見た時は、まったく原発事故で被ばくした子どもたちと結びつかなくて、いま衝撃を受けています。私と同世代の甲状腺がんによくかかる女性たちの話かと想像していた自分の鈍感さ、私たちが風化させてしまっていることの証人に自分がなってしまっていることを受け止めて帰らなければならないと思いました。
◆ NPO法人ピッコラーレ 松下清美さん(理事/相談支援員/社会福祉士)
『若年妊婦のアドボカシー促進のための白書作成事業』
(ASTA・久保さんからの質問に耳を傾ける松下さん=写真一番右)
私たちピッコラーレは、「にんしんにまつわる全ての困ったどうしように寄り添う」をミッションに、2015年12月に妊娠葛藤相談窓口「にんしんSOS東京」を開設し、その後、2018年に「にんしんSOS埼玉」と「にんしんSOS千葉」をそれぞれ埼玉県と千葉県から受託し、現在3つの相談窓口を運営しております。これまでに受けた相談件数は「にんしんSOS東京」だけで延べ1万4千件以上、相談者数はおよそ3千人になります。現在もこの数は増え続けていまして、2019年の1年間だけで見ると延べ5604件、新規の相談者の方は1292人、つまり毎月新しい方が100人程度相談に来てくださっていることになります。
今日は、まず、私たちの相談窓口につながる方たちが、どんな方たち何かを紹介したいと思います。なお、ここで紹介するケースは個人を特定できないようにしています。
孤立する若年妊婦のSOSに寄り添う
「生理が遅れていて、検査薬を試したら、陽性でした。親にも相手にも絶対に言えません。どうしたらよいかもう本当にわからないのです。毎日、死にたい気持ちでいます」。
これは、私たちの相談窓口に寄せられる典型的な相談です。そのほとんどは10代から20代の若年者です。ピッコラーレに寄せられる相談者の年齢を見ると、3割が10代、さらに3割が20代となっています。
彼女たちからのSOSを受け、これからどうしていくかを一緒に考えていくうちに、思いがけない妊娠、ことに若年妊娠がいかに社会から排除され、孤立させられているかを思い知らされることになりました。そして、思いがけない妊娠をするずっと前から、彼女たちは、たくさんの困難を抱えて生きていたということも知るようになったのです。
若年妊娠の背景にある安心安全でない育成環境
「家出して妊娠しました。病院にはまだ行けていません。産むつもりもありません。助けてください」。
この声を届けてくれたのも10代です。両親からのひどい虐待があり、身の危険を感じて家出したのですが、住むところもお金もありませんでした。生きていく手段として選んだのが、SNSで知り合った暴力男の家で暮らすことでした。胎児の父親はこの男です。
平成30年の人口動態統計の概況によると、日本の10代は1日に37人が中絶し、24人が出産しています。その中でも、もっと詳しく見ていくと、15歳から19歳までで第3子以上を出産したのが年間で53人もいるのです。つまり、若年のうちから、妊娠をなんども繰り返しているということです。
「風俗で働いていたときに妊娠しました。今はネットカフェ難民をしています。お腹が大きくなってきて、心配になって相談しました」。
彼女は20 代前半。話を聞くうちに、この妊娠は4人目だということがわかりました。高校在学中に親の虐待から逃げて、ずっと働いていた風俗の仕事を辞めて、1日8000円程度の日雇い派遣で働き始めてしばらくしてから、妊娠に気付いたのです。
彼女たちの妊娠は、彼女たちの生まれた家庭が安心で安全な場所ではなかったから、そして、自分の身を守るために家を飛び出した彼女たちを受け止める場所が、この社会には、暴力男や風俗、そしてネカフェしかなかった結果です。
私たちは、どうにかして、社会に彼女たちの居場所を作ろうと、社会資源や人的資源を探します。だけど、まだまだ資源は足りません。あったとしても若年の彼女たちには利用しにくいことなども知りました。医療につながり、ほっとした彼女が、医療者にとってはおそらく何気ない一言かもしれない言葉に傷つき、表情をくもらせる姿も見てきました。
思いがけない妊娠の中絶が遅れる背景 若年妊婦と虐待死率の高さの潜在要因を注視
厚生労働省の「子ども虐待による死亡事例等の検証結果等について第14次報告」には、日本の全出生数のうち母親の年齢が10 代の割合は約 1.3%前後である一方で、心中以外の虐待死を見ると、10代妊娠の平均割合は17.0%。また、10代の妊娠は「未婚で、子の父親や家族からの支援がなく、地域社会との接触も殆ど無い等、周囲の協力が得られにくい場合も多く、母親が妊娠・出産について、周囲に相談できず、出産直後に子どもを遺棄した事例もみられた。このことから、若年層についても妊娠に関する相談ができる体制を身近な場所に整備し、相談窓口を若年層にも周知することが重要である。」とあります。
この調査からも、彼女たちを受け止める受け皿が、この社会にないことがわかります。
もう一つ皆さんにお伝えしたいことは、思いがけない妊娠をしてしまった時、妊娠を中断する方法が、日本には中絶手術しかない、ということです。手術をするには、十数万円から数十万円が必要になってきます。そのお金を用意することができずに、中絶できる期限が過ぎてしまい、産む選択しかなくなってしまう。そういう背景があることを知って欲しいと思います。日本では中絶薬が認可されていませんが、中絶薬があれば出産は回避できたかもしれない。日本は、孤立した妊婦を救う安全網の網目があまりにも大きすぎるのだと思います。
居所を持たず、ネットカフェ生活をしていて、おそらく妊娠後期と思われる未受診の妊婦に、「あした、病院に行こう」と誘っても、「明日はダメ。来週の何曜日だったら仕事を休めるから、そこまで行けない」と言われることは少なくありません。なぜ、すぐに受診ができないのか。それは、受診費用の数万円を払ってしまうと、明日・明後日をネットカフェで暮らすための費用がなくなってしまうという恐怖があるからです。受診費用を支払ってもネットカフェで夜を過ごすことができるだけの算段をしてからでないと病院へ行くこともできない。もしかすると、明日体調が激変してしまうかもしれないのに、です。それは、彼女たちの生存権すら脅かされているということにならないでしょうか。
「若年妊娠は虐待が多い」と、一括りにするのではなく、その背後にある課題をもっとしっかり見なければならない、と思います。
妊娠葛藤の相談をデータ化、分析し、可視化する白書作成事業 多様性に富んだ相談員体制が土台
「私ってさ、透明人間みたいな気がするんだよね」。
同行支援した女の子の言葉です。彼女が持っている社会に対してのあきらめを感じました。
やっとの思いで電話やメールを届けてくれた彼女たちを、透明人間にしてはいけない。社会の中にいて、生きていてもいいのだ、生きていてよかった、と感じられる時間、嬉しい気持ちでいられる時間がもっともっと増えて欲しい。彼女たちが、自分自身を諦めなくて良いように、社会に彼女たちの居場所を作る必要があります。そのためには、社会課題として、若年の妊娠葛藤があることを社会に広く伝えなくてはならない、と考えるようになりました。
社会に広く伝える方法の一つとして選んだのが、今回の事業、私たちの窓口に寄せられた相談記録を元にした白書の作成です。相談窓口に寄せられた声を整理し、データ化し、分析することで、「透明人間」にされている若年妊婦が置かれている状況を客観的に提示し、彼女たちを取り囲む現代社会の問題点を明確化していきたいと考えています。
ここで、私たちの相談窓口の体制や記録の方法についてお知らせします。
私たちの相談員は多様なセクシュアリティ、多様な職種で構成していす。相談者も多様なので、相談員も多様であることは必須で、多様であることに価値を置いています。
窓口は毎日、16時から24時まで開設しています。今は、電話とメールが主ですが、そう遠くない時期に、LINEでの相談も受けられるようにする予定です。また、電話番号を持っていない相談者のために、Wi-Fi環境があれば繋がる電話アプリもあります。必要に応じて、面談、同行支援も実施しています。
相談員は子育て中のメンバーが多いことや、深夜までの相談になることから、それぞれの自宅で相談を受けられるように、電子カルテシステムやコールセンターシステムを開発し、相談員がそれぞれの家にいてもリモートで情報共有できるようにしています。この電子カルテシステムを作ったことで、量的データ分析――たとえば何歳の人が何%いるか、相談内容や地域・年齢の分布などの抽出――を容易にできることに加え、カルテは逐語での語りも多く記録しているため、質的分析にも耐えられるデータとなっています。
これらのデータをもとに、白書を作成します。白書は、3部構成。
第1部:妊娠葛藤相談体制の現状(日本の社会の中での現状)
- 妊娠葛藤相談とは何か
- 妊娠葛藤相談窓口の広がりと課題
- 特定妊婦と児童虐待
第2部:妊娠葛藤を抱える女性の実態:ピッコラーレの相談窓口から
- ピッコラーレ相談窓口体制
- ピッコラーレ相談窓口から見える妊娠葛藤及び妊娠葛藤を抱える女性の実態
第3部:【特集】社会から排除される若年妊娠
- ピッコラーレ相談窓口に繋がった若年妊婦データ
- 相談事例分析
- 相談事例から見えてきた社会課題
第1部は、妊娠葛藤相談体制がいま日本のなかでどのようになっているかを分析します。リプロダクティブ・ヘルス&ライツの視点から見た課題についてもここに入ってくると思います。
第2部は、ピッコラーレの相談窓口の数的データを分析する中で見えてきたことを記します。
第3部は、この白書の中心課題である、若年妊婦を取り上げます。
監修を、立教大学の湯沢直美先生にお願いしています。
若年妊婦への社会のまなざしを変え 包摂した法制度を
私たちは、この白書の完成だけを目標としているわけではありません。この白書をもとに、若年妊婦の妊娠葛藤を広く社会に伝えるための啓発イベントを開催することを考えています。若年妊婦や、妊娠葛藤、という課題があることを知らない人たちに向けて開きたいと考えています。何気なく、ワンクリックで購入したその商品を梱包したのは、通販業者の倉庫で衣料梱包のバイトをしながら、なんとか一日を生き延び、ネットカフェで生活している妊婦かもしれないのです。つまり、この課題はどこか知らないところで起きているのではなく、見ようとすれば、すぐ身近で起きていることだと、たくさんの人たちに感じて考えていただきたいのです。そして、それこそが、若年妊婦への社会のまなざしの変容につながり、彼女たちに社会の居場所を作ることに繋がっていくのだと考えています。
また、彼女たちの妊娠葛藤を掬いとるには、彼女たちの葛藤を包摂した法律や制度が必要です。その政策提言のため、白書を使い、同じような課題を持つ団体、たとえば、性暴力に関する活動を行っている団体や、性教育を行っている団体、そして行政機関などとも連携しながら、ロビイング活動も行っていきたいと考えています。
最後に、私たちの窓口につながった人たちがつぶやいた言葉がいくつかあるので、それをつないで映像にまとめたものがあるので、みなさんに見ていただきたいと思います。(※内容は会場限りとします)
映像にあったように、彼らに「生きている意味はなに?」と言わせ、「ごめんなさい」と言わせてしまうこの社会に私は、大きな憤りを感じます。だけれど、同時に、そんな社会をつくってしまったのも私なのだと思います。こんな社会を変えたいと思っています。
妊娠をきっかけに私たちにつながってくれたこの方たちが、せめて、これからは、孤立することなく、自由に幸せに自分らしく生きていけるような、社会の実現を目指して、この白書を制作します。
NPO法人ASTA 久保勝さん) 最後の映像を見させていただいて、それぞれみなさん深く刺さるものがあったのかなと思います。同じく性に取り組んでいる団体の者として、やはり、いかに「生」であったり、「性」であったり、今の話ですと妊娠や出産に関わることが、人間の中核に関わることになるのかと深く感じました。
その中で自分が気になることとして4つほどお伺いします。
私たちの活動だと、学校現場で先生方に話を伺うことが多いのですが、特に性に関しては養護教諭の先生に関連することが多いです。
女子児童に初潮教育を小学校5年生ぐらいに行いますが、私の当時の記憶だとなぜか男子だけは隔離されてドッヂボールをするような時間だったのですが、最近それがすごく気になって、養護教諭の先生に聞いたのです。すると、今でもそうなっているそうですが、そのような授業の形式は、あくまで学校の慣例的なもののようで、男子・女子に分けるような明確な規定があるわけではないそうです。ただ、男子児童に聞かせると、女子児童の立場を考えてもセンシティブな内容なので分けているとのことです。たしかにその配慮は理解できますが、それが男子児童に指導しない根拠にならないと思いますので、学校現場もまだその認識が不足しているのかなと感じます。
また、性教育に関して、どう思われるか伺いたいです。
中絶薬の話があり、不勉強で申し訳ないですが、日本では中絶薬が無いということでしたが、そこの裏には、どのような中絶に関する世間の見方、受け止め方があるのか伺いたいです。
多様なセクシュアリティのことも話しておられましたが、相談者の方に性的マイノリティ当事者の方もいるかと思いますので、そちらについても教えていただきたいです。
最後に、相談を受けたそれぞれの事案に対する最終的なゴールはどういうところにあるのでしょうか。
オーダーメイドの性教育を
松下さん) ありがとうございます。ご質問いただいたことは、どれも私たちが日々課題として感じていることばかりです。
まず、性教育についてです。
実は、相談者の16%から17%は若年の男性からです。高校生が多い印象があります。内容は、「コンドームが破れてしまった」「彼女が妊娠したかもしれない」、「彼女の生理が来ない」、「精子のついた手で性器を触ってしまった、妊娠しますか」など。
そんな相談が入った時、私たちは「チャンス到来」と思います。「オーダーメイドの性教育」ができると思うからです。コンドームをどのように装着するか、そして、いつ装着するのか、妊娠とはどういうことなのか、生理はどういうことなのか、着床するとはどういうことなのか、などなどを一つひとつ教えていきます。性病や、中絶の実際についても話します。妊娠発覚から中絶までにしなければならないことを一つひとつあげていくと、避妊なし(コンドーム無し)のセックスは怖くてできない、と思うようになる子どもたちは多いです。また、彼女に何が起きているかがよく分かったので僕はこれから○○をしようと思う、と今後について思いを巡らすようになることもあります。
性について科学的に、また実践的に「知る」ということは本当に大事です。私たちのメンバーには、助産師も多く、それぞれ個別に小学校、中学校、高等学校に招いていただき、性について話す機会をいただいていますが、今後は、「ピッコラーレ版性教育」を作り、それぞれの学校教育現場に届けられるようにできたら、と、考えています。
若年妊娠を排除する自己責任論 経済的負担が大きすぎる中絶
中絶については、世間の目によるスティグマがあるのは事実です。けれど、それよりも気になっていることがあります。それは、妊娠したのは自分のせいだと思っている中学・高校生の子がとても多いことです。ある高校生からの相談でした。「妊娠の陽性反応が出た」と言うので、「そのこと、彼にも話してる?」と聞くと「話さない」と言う。「どうして?」と聞くと「妊娠は私の体に起こったことだから、私が何とかしなければいけないと思う」と言うのです。今、日本の社会を覆っている、自己責任論の「なれの果て」がこれなのだろうと私は思いました。そして、「あなたの体はあなたのもの」も、非常に歪んで受け止められている。私はこんなことを言わせる社会に怒りを覚えますが、「自分で何とかしなくちゃいけない」と思っている子どもたちは多いです。
それから、「中絶は、命を殺すこと。それは悪いこと」と、ほとんどの子どもたちが言います。「それはそうかもしれない。だけど、あなたは、まだ子ども。なりたい自分になるためのスタートラインについたばかりだよね。その、なりたい自分を優先することは、絶対に悪いことじゃないよ」と私は伝えます。これも、「命は大事」教育の弊害かもしれないと思っています。誰の命が大事なのかと言ったら、あなた自身の命である、ということを、もしかしたら、誰も教えてくれていないのではないかと思うのです。
制度的にも中絶はしにくいもの、してはいけないもののようになっています。
まず、費用が高額。11週までの初期中絶でも、15万円以上かかることもあります。妊娠12週以降の中期になると、中絶を受けてくれる病院が極端に減ることに加えて、費用も40万〜60万円と、出産と同じくらいかかってしまいます。経済的に余裕がないと、中絶することができなくなってしまいます。なぜ、こんなに費用がかかるのか。中絶薬を認可したら、妊婦の経済的負担はここまでにはならないでしょう。日本でなかなか中絶薬が認可されないことの背景には。さまざまな問題が潜んでいると感じます。
緊急避妊薬についても、海外では手軽で安価に手に入れることができますが、日本では、医師の処方が必要です。以前、高校生同士で緊急避妊薬を処方してもらいに病院に行った際に、保護者同伴でないと処方できない、といわれたという相談がありました。緊急避妊薬を処方するのが遅れて妊娠をしてしまったら、その医者はどうやってその責任を取るつもりなのでしょう。
多様なセクシュアリティについては、まだ数は少ない、というか、把握できていないだけなのかもしれませんが、セクシュアルマイノリティの方からの相談もあります。じつは私たちの相談員には男性もいますし、トランスジェンダーの仲間もいます。そのことは、私たちの相談窓口の強みだと思っています。
「project HOME」 居場所を見つけるサポート
ご質問の最後、相談のゴールについてです。
ゴールはどこにあるのか、何をゴールとするのか、それは、私たちでは決められないことなのかもしれないな、と思います。私たちは相談者の全てを知っているわけではなく、ほんの一部のところと関わっているのだと思います。ただ、そのほんの一部の関わりを大事にしつつ、その人本人が自分の居場所を見つけることができるようにサポートしていくことが、私たちの仕事だと考えています。
その実現のために、私たちは「project HOME」という居場所づくりプロジェクトを開始しました。一軒家を借りて始まったばかりですが、居場所をもたない妊婦が安心して安全に休むことのできる場所と時間を提供し、彼女たちが抱えている困難を一つ一つ手放すことができるように一緒に考え支え、彼女たちが社会と安全につながることができるように、また社会に希望が持てるように、 いくつものつながり先を確保し、彼女たちの存在を社会に伝え続ける発信地にしたいと考えています。 そして、いつか自分のHOMEを彼女自身が見つけられる日が来た時、それが、相談のゴールなのかもしれません。
◆ ジャーナリストを目指す日韓学生フォーラム実行委員会 植村隆さん
『ジャーナリストを目指す日韓学生フォーラム』
2017年の秋に立ち上げました。日本と韓国のジャーナリストを目指す学生たちの交流を行っています。一緒に合宿をし、一緒にいろんな取材テーマをこなし、夜は語り合う。そして最後の日に、自分が取材したいろんなテーマの中のベストショットをみんなに見せながらプレゼンテーションをするという行事です。
今回2020年度のプロジェクトに助成をいただくことになり、感謝しております。
取り組みを始めることになったきっかけを報告させていただきたいと思います。
私自身はいま週刊金曜日の発行人兼社長をやっておりますが、もともとは朝日新聞の記者を32年間やっておりました。2014年当時、朝日新聞の函館支局長をやっておりましたが、若いジャーナリスト志望の学生を育てたいという思いが前々からあり、50代になってそういう若者を教える機会がないかと探しておりました。たまたま神戸の大学でジャーナリズムを教える教員を募集するということで合格しまして、大学でジャーナリズムを教えるという話になっておりました。
しかし、2014年1月末でしたが、週刊文春という雑誌が、私が朝日新聞大阪社会部時代に「慰安婦の女性が証言を始めた」という記事を書いたことに対して、それが捏造記事だという誹謗中傷の報道をしました。激しいバッシングを受けまして、就職予定の大学も契約はしておったのですが、大学も激しい攻撃を受け、大学から「もう来ないでくれ」と言われて行けなくなりました。そして、非常勤で勤めていた地元札幌の北星学園大学にもそういう卑劣な攻撃がありました。
もちろん私はそういう捏造記事は書いていないのですが、私の連れ合いが韓国人で、娘が韓国人と日本人のハーフですね。そういうことで私の記事を捏造だというバッシングがインターネットにあふれまして、その中には娘に対するヘイトスピーチもありました。
そして、私は右派のジャーナリストを称する人たちに対して名誉棄損訴訟を始めました。その訴訟に関して、日本の新聞労連、JCJという団体が組織的に支援してくれまして、捏造でもないような記事をそういうふうにキャンペーンされて20何年前の記事で攻撃されて記者生命を失うことはこういう時代に誰にでも起きることだということで、いま裁判闘争を続けています。
そういう問題がなんで起きたかと言ったら、結局、世の中にすごく蔓延しているヘイトスピーチや排外主義が根っこにあるとみんなで考えました。裁判で闘うと同時に、やはり隣国に対する敬意や理解、知ろうとする努力を、それぞれの世代、若い世代がやっていかなければならないのではないかと考えました。
私の裁判を支援してくださっているのが、新聞労連やJCJ等のベテランジャーナリストやジャーナリストOBの大学教員でした。私自身も日本では大学教員にはなれませんでしたが、韓国のカトリック大学で2016年から教鞭をとることになりました。そういう中で、韓国のジャーナリスト志望の学生たちと出会うようになりましたので、合宿してやろうと。すぐ隣の国の韓国と日本、まず友達になろうぜと。そして、ジャーナリズムを一緒に語り、記者になっても国家と国家を超えて、人間として隣の国にジャーナリストの友達がいるということは、世の中を複眼的に見られるのではないかと2017年に始めました。
言葉を超えた人間と人間の魂のふれあい 隣国を知る
始めたら、これが非常に面白いのです。2017年11月に、ソウル市長、朴元淳(パクウォンスン)さんという人権派の弁護士なのですが、この方にアポをとって、日本と韓国の学生が、歴史認識の問題や、ソウル市がどういうふうに取り組んでいくかという問題を取材しました。
この時は、元日本軍慰安婦が暮らす「ナヌムの家」に学生を連れて行き、そこに住む元慰安婦の女性にお話を聞くことができました。といっても、もう90歳を超えていまして昔みたいにお話はできないわけです。でも学生たちを連れて行って、おばあさん(ハルモニ)がいらっしゃることを見るだけでも意味があるだろうと。
すると、学生たちと話す中で、ハルモニが突然非常に元気になりまして、「おまえ、ちょっと質問は待て。自分の話を聞け」と、自分の体験をずっと喋り始めたのです。もちろん韓国語でしたけれども、それを韓国に留学したことのある若い日本人の学生が通訳をしてくれました。ところが、途中で近くにいた私に「植村先生、もう通訳、辛くてできない」とか言うわけです。通訳できないのは困ったなと思いましたが、「わかった。通訳無しで、おばあさんの韓国語をそのまま聴こう」と聴いたら、通訳は無いのですが、聞いている日本人の学生の中に涙を浮かべる子がいるわけです。それは話の流れが分かるから、どういう辛いことか分かるわけです。
言葉を超えた、人間と人間の魂のふれあい、共鳴のようなものがあるのだと思います。僕もやっていて、通訳無くてもよかったなと思える位のシーンがありました。結局、こういう若い者を現場に連れていくのはとても意味があることだなと思いました。
日本の加害と向き合わないままの被害意識
次の年は広島に行きました。広島市長の平岡敬さんという元中国新聞の記者で、若いころは韓国人・朝鮮人の被爆者問題をずっと追いかけていた方にお話を聞きました。戦後、日本はそれまで植民地時代は日本人と呼んでいた朝鮮人労働者が被ばくしても、戦後は国が違うということで、ほったらかしにしていたのです。それを、当時若かった平岡さんは発掘してキャンペーンを始めた。そして今では、朝鮮人・韓国人被爆者にもちゃんとした援護ができるようになったわけです。そういう話を学生にしたら、平岡さんがお弁当を食べる間も学生から質問攻めにあうくらい盛り上がりました。
平岡さんは1995年、広島市長として初めてアジア侵略に対して謝罪したのです。それまで、広島市長は「被害者だ、被害者だ」とだけ言っていて、アジア侵略に対して謝罪していなかった。それを平岡さんはやらなければいかんとやったら、右翼が随分来て家を囲んで大変だったと言っていました。
こういうふうに先達の大先輩のジャーナリストから話を聴くということもやっています。
第3回は、那覇で行いました。私と一緒に日韓学生フォーラムをやっている新崎盛吾さんという、新崎盛暉さんという沖縄現代史の専門家の息子さんで、新聞労連の元委員長の方が沖縄を案内してくれました。
第4回、2018年5月には、韓国の光州に行きまして、韓国の光州事件、1980年に民主化を求めた学生や市民たちに対して戒厳軍が発砲して多数の犠牲者が出た事件、民主化要求を弾圧した事件の現場を訪ね、死者の眠る墓地に行って、どういう事件でこの人々がどういうふうに死んだのかを聞きました。
その後ソウルに行き、映画で去年日本でもヒットしましたが、1987年という韓国の民主化運動のクライマックスの時期を中心にした映画があり、その映画のテーマになった人権弾圧事件、ソウル大生が水拷問されて殺された事件を縮小隠蔽したことを告発した元ジャーナリストの話を聴きました。
「平和と人権を守る」ジャーナリストを育てる 日韓の学生が歴史舞台を相互訪問
そういうふうに、日本と韓国を交互に行き、現代史の舞台を訪れ、日韓の学生たちがそれを見て、学び、取材し、語り合うことをしています。
そして第5回は、今年の1月末に、福岡・筑豊地方を中心に訪れ、熊本の水俣市にも行き、林えいだいさん、石牟礼道子さん、上野英信さんの3人の足取りをたどりながら、どういう記録を彼らがしていったのかを学ぼうと思っています。
すべてのプログラムに共通するのは、ジャーナリストの原点は――それは人間の原点でもありますが、ジャーナリズムを目指す若者を育てるということなので――何よりも「平和と人権を守る」ことだと思っている。これを守れない人はジャーナリストだとは思っていない。それを守る人々を育てたいと思い活動しています。
今までは、ジャーナリストのOBが若い学生を連れていく修学旅行のようなもので、全部自腹でやっており、どんぶり勘定でやっていました。学生の参加費は実費のみという形でした。今回は助成金をいただけて、きちんと会計計画書や企画書をつくってやらなければならず報告書も提出するということで、いろいろ学べてありがたかったです。応募も公募に気づいたのが応募の締め切り当日でした。新聞記者をやっていましたから、その日が締め切りということは毎日やっていましたが、公募でありがたかったのが消印有効。なんとか作成して、こういう形で助成を受けられることとなり、神様と皆様に感謝しております。
助成金の一部を、参加する学生のバス代の補助にも使おうかなと思っています。今回はバスを借りて九州を半周ぐらい回ることになりますので、学生の負担を軽減できればと思っています。また、8月には韓国で行おうと思っていますので、その時の費用にも充てたいと思っております。
今、日韓関係が非常に悪い中で貴重なことをやっていると韓国のメディアが関心をもってくれまして、韓国でニュースになりましたので紹介します(※韓国ニュース動画を流しながら解説しました)。
1987年のソウル大生の水拷問事件を日本と韓国の学生が学んでいる様子が紹介されています。水拷問など人権弾圧された現場が今は人権記念館になって公開されています。この拷問に怒った学生たちによって大きなデモが起き、民主化運動の元になりました。
ソウルのユースホステルは、もともとはKCIA(大韓民国中央情報部)の本部でした。拷問事件の獄中でそのニュースを知って暴露した東亜日報の記者・李富栄さんのお話を聴きました。今では韓国は大統領を監獄に送れるぐらい民主化が進んでいるとお話しされました。
「慰安婦女性たちの追憶の場」というのがソウル市にあり、私が説明しました。
このように韓国に行き、過去について勉強しました。
日韓関係が変わる契機に
根本課題があります。日本の学生はJCJや新聞労連を通じて募集できるのですが、韓国の学生は私の教え子が参加してくれるぐらいで、広報が足りていません。1月のフォーラムへの申し込みは現時点で韓国から3人、日本に来ている韓国人あるいは朝鮮大学校出身者で計5人ぐらいが韓国の学生ですが、もうちょっと増やしたい。韓国の学生は就職戦争が厳しくて、いつも勉強させられて余裕がない。また通訳の問題もあり、なかなか言葉が通じない。何人か通訳を準備していますが、今後の課題としては、片言の韓国語を日本の学生には勉強してほしい。
この企画で大きい成果の一つは、韓国に関心を持って、韓国に留学する学生もいることです。そして韓国語をマスターしてきた。こういうのを何年か続けたら日韓関係はもっと変わっていくのではないかなと思っています。
今後の課題としては、もっといろいろな場所でやっていきたい。例えば日本と韓国の学生が中国にも行って、中国の歴史の現場を旅しながら語り合う、そういうこともやってみたい。始まったばかりの団体で、NPOでもない団体の素朴な活動ですが、皆さんからも学んで、近代的な組織に強化して、きちんとしたパンフレットができるような活動をしたいと思っています。
OurPlanet-TV 白石草さん) 今回一つはジャーナリストを志望する学生ということですが、実際に見たところ、問題意識のある学生とそうでない学生とのすごい格差が生じていて、逆に問題意識のある学生さんが学校のなかで非常に少数者になって行きづらいという問題があるかと思います。こういう場があれば仲間ができるのでプラスとは思います。
一方で、課題となっているのは、とりわけ韓国について非常に嫌悪しているような若い世代に対して、たとえば日韓学生フォーラムで学生と一緒に行くことで、もう少し影響を与えられないか。何か将来的な目標とか、若い世代に韓国に嫌悪があることに対して何かお考えがありますか。
若い世代の人たちをオーガナイズすることで、何か考えがありますか。例えばフォーラムを当事者同士が開くだけでなく、発表としてもうちょっと開かれた学生のイベントにするなどのお考えはないでしょうか。
ここに参加した若者たちが、もう2年・3年たって、今メディアで仕事されている人がいらっしゃるかわかりませんが、ここに参加して今実際にどういう成果がありますか。これはOurPlanet-TVにはたくさんのインターンが活動していて、だいたい大手のメディアに就職しているのですが、入った後、居場所がなくて、夜討ち朝駆けなどの日々で疲弊して早くに辞めてしまう若い記者もいるものですから、参加後の成果などをお聞きできればと思ったからです。
ジャーナリストに国境を無くしたい 意見の違う人たちにどう伝えるかは民主主義を守るかなめ
植村さん) 関心を持っている子はそれなりに接触するわけですが、関心持っていない子に対してどう働きかけていくかということだと思います。それは本当に難しいことだと思います。
我々ジャーナリズムに従事している人間が、自分たちの意見と違う人たちにどう伝えるかという問題だと思います。やはり日韓学生フォーラムに来ているような連中は少数者だと思うのです。いろんなメディア、テレビや大手新聞社や地方誌に行きますが、一緒に合宿しながらやっているので、会社を超えた仲間みたいなつながりが日本と韓国にあります。それぞれが現場に行った時に、しんどい思いをすると思うのです。そんな番組を作ろうとしたら弾圧を受けたりするのでしょうけど、それはそれでみんな頑張ってもらう。横のつながりでやる。
ジャーナリストは国境を越えるべきだと思う。国境とかは無い。「ジャーナリストはみんなきょうだいだ」みたいなことをみんな感じてもらいたいと思う。これは私の長らくのジャーナリストとしての海外特派員になった時の経験が元になっています。人権と平和を守ろうとするジャーナリストはきょうだいになれると思います。それを僕はみんなに伝えて、それぞれのところで苦労してもらえればと思います。
ただ今回助成を受ける中で、それをどう社会還元するかというテーマを与えられまして、それは我々がやっていることを今後どう伝えていくか、あるいは参加してくれていない若者たちにどう伝えていくかという大きな課題だと思いますので、いま直ぐに答えは出ませんが、伝えることは大事だと思っています。それも今回のプロジェクト計画に入っています。DVDを作ろうと思ったら、それは古いと言われまして、YouTubeを今回作らないといけないと思っています。それからパンフレットもいるなと思いました。
答えはありませんが、対社会、他の世代にも働きかけていこうと考えており、それをプロジェクトでやっていこうと思っています。
それから記者になった後も休みを取って参加してくれる子もいます。新聞社に入ると、若い時代はすごく休みを取りにくいのですが、それでも休みを取ってきてくれる。ただ今は昔に比べると有給休暇を取りやすくなって、休みを取らさないと責任者が怒られるようになり、有給を取り易くなっています。沖縄で開催した時、沖縄の料理屋の片隅からパソコンで原稿を打っているのです。それを見て感動した。そこまでして来てくれているのです。プロだから休みだからと言って自分の原稿を休むわけにはいかないので。そういう形で育っているなと感じています。
まだ始まったばかりで、どういう成果があったかは言えないのですが、参加者の中で、韓国に留学する日本の学生もいます。相互に隣国に対する親しみが広がっているなと思います。
わかっていない人にどう伝えていくかは、僕自身がジャーナリストとしての課題でもあります。週刊金曜日なんか正にそうで、わかっている人だけが読んでいて、どんどん部数が減っている。白石さんも同じテーマがあると思いますが、素人なりに考えていかないと、この国の民主主義が崩壊していくと思っています。
◆ NPO法人メコン・ウォッチ 木口由香さん(理事/事務局長)
『日本の開発援助による被害防止のために~JICA・JBICのガイドライン改定と適切な運用へ向けて~』
東南アジアの国際河川であるメコン川の、中国・ミャンマー・ラオス・タイ・カンボジア・ベトナムの開発援助の問題に取り組み、主に政策提言活動を行っています。
古い時代からの交易、戦争中の軍事進出、戦後も経済的な結びつきが非常に深い地域であるということで、日本がいろいろな影響を与えていた場であり、東南アジアで日本の援助が開発独裁を支え、起きてきた問題が再発することを懸念した人たちが立ち上げたのがメコン・ウォッチです。
(日韓学生フォーラムの植村さんからの質問をうかがう木口さん=写真上右)
環境社会配慮ガイドラインを日本の開発援助で適切に運用するために
助成事業について説明します。
いま、日本は開発援助として、主に政府が公的なお金を使って経済開発を「支援」という言葉で、世界中で行っています。特に日本の場合、歴史的に関連の深いメコン川流域を含む東南アジアに非常に多くのお金が流れています。いまアフリカも増えてきてはいますが、基本的に東南アジアに大きなつながりがあります。
ここで主に事業を担っている国際協力機構(JICA)や国際協力銀行(JBIC)がそれぞれ環境社会配慮ガイドラインを持っているのですが、その適切な運用を促進することと、このガイドラインの改定が去年からJICAで始まっており、これからJBICでも行われる予定なので、それに対して働きかけていきます。
みなさんが海外援助と聞いた時に思い浮かべるのはたぶん、青年海外協力隊とか、日本が支援して病院を作ったりするイメージだと思いますが、実態としては日本の援助は9割近くがお金を貸すことです。主にインフラ開発ですが、低利で貸して、ダムや道路をつくることにお金が使われています。規模は、2020年度概算要求では1兆4025億円、有償資金協力、つまり円借款です。この規模が大きいか小さいか。日本人一人当たりにするとそれほど大きな額ではないと考えることができるかもしれませんが、世界与えるインパクトは大きい金額かと思っています。
日本の海外開発援助による現地住民の人権侵害や環境破壊の問題に取り組む
ガイドラインができた経緯をお話します。
1980年代までに行われた日本の開発援助によっていろいろな被害が起きました。当時、東南アジアはほぼどこも独裁的な体制でした。それを経済的に支えていたのは日本だったということ等、いろいろな問題が80年代に明らかになりました。援助していると言いながら、相手国の一般人たちは日本の開発事業で苦しめられていたり、汚職につながっていたりしたことが明らかになりました。それを変えようという動きが市民から出てきたのです。
日本がお金を出しているのと同じように、世界にも世界銀行などいろいろな機関はありますが、そちらからも経済開発をする中で、人権や環境への影響を出しており、もっと人権や環境を配慮するセーフガードをつくれ、自分たちを縛る決まりをつくれという大きな世界的な運動がありました。
これらの両方が影響して、ガイドラインがつくられましたと考えます。
(日本側で)良かれと思って行った事業もあったと思いますが、当時、基本的に人権意識の低かったいわゆる途上国で行われた経済開発は、大きな被害を起こしていました。結果として、経済発展した国もありますが、そうした経済発展を遂げた国も、非常に格差が広がりました。
日本の中でいろいろな動きがあって、1990年代の終わりからガイドラインが整備されていきました。今は日本の援助は一定の基準のなかで行われているということになっていますが問題はあり、最近ではミャンマーで行われている経済特別区の開発事業で昔ながらの人権侵害が起き、以前SJFから支援いただいた事業でこの問題に取り組みました。
ガイドラインに実効性を 市民が現場の問題をガイドラインと照合して改善をもとめていく
ガイドラインでは、問題があればJBICがつくった第三者機関に訴えられる権利を現地住民には保障されていて、最近ベトナムでそれを探し出して訴えた住民がおられたのですが、現地事務所でその手続きが放置されていたことが、私たちの問い合わせで明らかになりました。JBICに関しては、ガイドラインの形骸化が懸念される状態です。
ガイドラインのような決まりがあるだけでは、その実効性が担保されない、最近のJBICを見ていると特にそう思います。市民が現場で起きている問題を知って、それを取り上げて、ガイドラインにあっているか確認して、あっていなければ改善を求めるということを繰り返していくことが大切です。ガイドラインを作った時に、10年ごとに改定されるという仕組みがあるので、その機会を生かして、過去の問題を次の改訂にさら反映し生かしていくということで、この活動を構築しています。
いま、非常に危機感を持っています。実は、JICAのガイドライン改訂は昨年から始まっていて、JICAが改訂を行う上で自分たちの仕事をレビューする調査があり、パブリックコメントも世界中に呼びかけられているのですが、その反応が私たちを含めて4件しかありませんでした。
これを何とかきちんと市民社会のなかで思い出してもらうことと、なるべく多くの方に関わっていただけるよう、自分たちが提言を続けることに加え、みなさんにもお伝えしていければと思っています。
市民が声をあげられない独裁的な国家で開発援助の被害をすくいあげるには
ただ、こういった仕組みがあっても、そこから抜け落ちてしまうことは必ずあります。とくに私たちが腐心しているのは活動地域で言えばベトナムです。ガイドラインを日本の機関は持っていて、相手国できちんと住民と対話してくださいとか、公聴会を開いてくださいとか、コンサルタントが入って確認していくのですが、相手国が独裁的な体制を持っている場合、そもそも市民が、国や大企業がやろうとしている事業に対して意見を言って安全であるはずがないのです。
そのなかでも声を上げた方がいます。これはベトナムのケースで、一昨年、非常に問題になったのですが、日本がお金を出している石炭火力発電所の建設で移転を拒んでいた方が一世帯いらっしゃって、90歳を過ぎたおばあさんが最後までそこに住んでいたのですが、強制的に家を取り壊されたため、裁判を起こしました。これは氷山の一角で、ガイドラインがあっても、こういったことが防げないことが今課題になっています。
民間企業の融資も集める開発援助 ガイドラインの趣旨を敷衍するには
公的基金を呼び水にして、民間の融資を集めるというスタイルがどんどん開発援助に入ってきているので、その割合が増えている中でガイドラインだけを見ていていいのかという課題はあります。
しかし、過去を振り返ると、意義を感じます。90年代始めに行われた事業でタイのケースですが、揚水発電所を造るということで円借款が入っていたのですが、ここで地元の企業と公的機関が工事を急ぐために爆破作業などをして、近隣に住んでいる方に健康被害が出ていたのです。それを住民の方と一緒に日本の側に訴えました。当時はガイドラインの対象になっていなかったので、この事業は問題がありますと言うと、「承りました」と話を聞いてはくれるのですが、その後タイ政府に働きかけることや融資先に何かを言うことも、日本の側に義務は無かったのです。
その義務を作り出したという点で、ガイドラインは非常に意味がありました。
法の支配が日本で確立しているのか、怪しく思える時代になってきましたが、市民社会が20年ぐらい前に作り出したことを守っていくことで、日本の民主主義を守る一助になればと思っています。
小さな団体ですし、皆さんの中に例えばJBICを知っていらっしゃる方がどれくらいいるかという話なので、非常に難しいことは分かっておりますが、何とか広めていけたらと思っています。
「中立性」を気にするジャーナリスト 日本の海外開発援助に対する感度の鈍り
ジャーナリストを目指す日韓学生フォーラム実行委員会 植村隆さん) メコン・ウォッチは非常に有名なNGOで名前は知っておりましたが、あらためて活動をうかがって尊敬の念を抱きました。この助成事業のタイトルは「日本の援助が現地住民に悪影響を及ぼさないための活動」。すごいですね。つまり日本の援助が現地の人の暮らしに悪影響を出している時代がずっとあったわけですね。
私自身も朝日新聞の外務部記者を長い間やっていまして、ODAの問題に関心があり、1990年代に韓国の取材に行ったことがありました。当時の韓国はまだ全斗煥や盧泰愚の独裁政権時代のわけですけれど、地域対立があり、金大中のいる全羅道と全斗煥や盧泰愚が出てきた慶尚道という地域が対立するのですが、そこでODAが両方に出ているので調べたら圧倒的に独裁体制側にODAがいるということがわかり憤慨したことがありました。
まさに、メコン・ウォッチはODAウォッチみたいなところから始まっているわけですよね。
90年代は日本のマスメディアもODAのことを現場報道してかなりやっていたと思いますが、今はあまりやっていない感じがあります。しかしまだ問題が続いている状況です。やはりマスメディアが90年代はある意味で国際連帯のような時代で、人権侵害や慰安婦の問題をいろんなところでやったのと同じような時にODAの問題をやっていたと思います。
だが、今のメディアは、日本政府が現地の人の暮らしに悪影響を及ぼさないようウォッチする活動に対してどれくらい関心があるのか。もしかするとメディアの感度が鈍っているのではないか。我々は反省しなければいけない点があるのではないか。
1993年ぐらいにできたということで、27年位になるわけですよね。すごく歴史があって、長らくやってこられたわけですが、どういうスタッフでどういう経営で続けてこられているのか。
若い世代がどういうふうにこの問題への取り組みに関心を持っているのかも伺いたいと思います。
木口さん) メディアの取り上げについて。私がメコン・ウォッチに関わり始めたのは2000年ぐらいからですが、自分が学生時代に聞いていたODAの問題がその10年後になってもまだ続いているんだと、驚いたのです。まだ今でも続いているのは残念なところです。
その時は、タイの中でいろんな問題が発覚し、タイは市民運動が強いので、その流れの中でかなり報道されたということはありました。でもその後、2005年・2006年ぐらいから落ち着いてきて、タイは東西冷戦の中で、日本の援助を一番受けていた国の一つだったのですが、タイが経済発展してODAを卒業する段階になったので、ODAが周りの国に移っていった。
旧共産圏だったところは、政府が非常に強権的で、カンボジアのように非常に混乱していた場所もありまして、なかなか実態がつかめないところが、報道が減っているところに結びついているかと思います。
また、個人的な感想ですが、10年ぐらい前から、若い記者の方と話しても、みなさん「中立性」みたいなものを非常に気にする。困っている住民と政府の間の中立性とは一体何なのかと私はいつも思います。大学に呼ばれて学生と話していてもそれを感じます。非常に力のあるものと全然力のない砂粒みたいな人たちの間に立とうとすることに、いったいどんな意味があるのだろうか。そういう人が確実に日本のなかに増えた印象があります。そういう方の中から優秀で大手の新聞社や大学に入られてジャーナリストになることを考えると、私たちの活動に関わるジャーナリストの方は減ったかなという印象がありました。
問題に関心のある人をつなぐ
最近また少し、人が戻ってきてくれているかなという印象はあります。
2000年ぐらいから2010年ぐらいまでは(日本の)大学院生がかなり東南アジアに留学していて、私たちの活動に関心を持ってくれましたが、日本の経済状況の変化もあり、勉強しても就職できないということで、がくんと減ってしまいました。
学部生で東南アジアにちょっと関心がありますという人は、わかりやすい問題に行かれることが多いようで、関わってくれる若い人が減ってしまいました。
今また少し、関心が持つ人がメコン・ウォッチに来るようになっています。こういう問題に関心があって大学の中で話したいけど話せないから、メコン・ウォッチに来て話しているという形になっています。非常によいセンスで問題をしっかり考えている若い方はたくさんいらっしゃいますが、そういう方たちが自分の所属しているコミュニティーではすごく孤立しているというのが日本の状況なのではないでしょうか。
組織運営について。1993年にメコン・ウォッチが立ち上がったころは、最初のネットワーク時代を含めてですが、インドシナ難民支援などをしていた団体の方たちが、カンボジア和平後に援助が一気にインドシナ半島に流れていくだろう。そうすると過去にインドネシア・タイ・フィリピンで起きていた開発に伴う問題が、インドネシア半島の国々でも起きていくだろうから、それを監視するためのネットワークをつくらなければならないということでメコン・ウォッチが立ち上がりました。
99年位から事務局員を置いて、海外から入ってくる情報で日本の援助やメコン川開発の問題を日本でお知らせする活動から始めました。今のような形になったのは2000年ごろからですが、英語ができて現地の状況を知っていて海外のNGOともつながっている、という人たちが、日本の援助政策を改善することで、海外の財団から資金を引っ張ってきて、事務局を持って、スタッフを置く形で活動ができるようになりました。
今、日本のプレゼンスが東南アジアでも下がっているので、私たちもあと何年活動を続けられるか分かりませんから、(今回の)助成金はありがたいのです。この助成金は人件費にも使えます。政策提言の仕事は何か物を作ったりするわけではないので、結局、人件費にかかる。関わる人間がサバイバルしていけるだけのお金をどこかから集めなければいけない。環境にお金を出す日本のファンドは結構あるのですが、スタッフの人件費にお金を出さないと決めているファンドが非常に多いです。誰が仕事をやるのかと思いますが、(無償)ボランティアでやりなさいと(ファンドが)決めてしまっているかのようです。
~・~・~・~・~
◇公益財団法人庭野平和財団 仲野省吾さんよりご挨拶
(庭野平和財団のご協力のもと、SJF審査委員会は公募によりNPO法人監獄人権センターへ100万円の助成を決定いたしました)
助成が決定されたみなさんおめでとうございます。
庭野平和財団は宗教法人である立正佼成会という組織が40周年の時に設立した公益の財団です。立正佼成会は宗教団体ですので、異なる宗教、自分の宗教だけでなくいろいろな宗教の方と協力して、社会や世界のために尽くすことをしていきたいと活動しておられたのですが、それだけではやはり社会に役立つことができないと。社会の中には宗教に関わりなくても平和のために活動されている方がたくさんおられる。その方々に裨益することで、本来の目的である社会や世界の平和に貢献できるのではないか、というのが庭野平和財団の設立の背景の一つでもあります。
事業の内容としては、主要なものとして、「宗教的精神」――宗教ではなく宗教的精神というのがみそですが――をもとにした平和的活動をしている組織や個人の方に、宗教宗派に関わりなく賞を授賞するという庭野平和賞の事業がございます。それ以外に、私が担当しております助成事業があり、社会で活動されるNPO・NGOのみなさんに財的な支援をしております。分野を限定しておりませんので、つい今日まで200件ぐらいの申請書を読まなければならず家に帰れない状態でした。小さい財団で、させていただけることは僅かですが、そうした事業を行っております。
本日は、挨拶をいろいろ考えてまいりましたが、前半のお話をきいて胸がいっぱいになりました。
私ごとですが、私には中学3年生で今年受験をする息子がいます。これまでスポーツも盛んにやってきたのですが、最近、心臓の動悸が激しく、学校からも早退することもでてきた。親としては、ただただ心配をするしかなく苦しい。私たちは日常生活の中でも様々な課題があり、抱えている事や悩み事があったりします。この時に、今日のまさに前半でもお話がありましたように、また本来的にソーシャル・ジャスティス基金さまが行っている「声なき人の声に耳を傾ける」ということを思い出すわけです。
「声なき人の声」、この声が聞こえるとは何かと申しますと、仏教のお釈迦さまが説いた教えのなかに、「縁起」ということがあります。簡単に言うと、手をパチッと合わせるとき、片方の手だけでは音が鳴らないわけです。もしもこの時、「右手のせいで音が鳴ったんだ」と左手が言ったり、「いや、左手のせいで音が鳴ったんだ」と右手が言ったりするとおかしな話になります。物事は両方がパチッと合うからこそ音が出る。これは両方に原因があるし、両方に条件が重なっているからこそ音が出る、そういった教えがございます。
これを、いま日常生活で私が心配していることにあてはめると、私は心配している息子のことを通して教えてもらっていることがある、私が何か気づくべきことがあるからこそ、目の前にこの現象がでてきている、それが縁起に当てはめた考え方となるわけです。私の場合は、息子のことをとおして、私の親が私のことをこのように心配しながら育ててきてくれたのではなかったか、と今は亡くなっている父親の「声」を聞かされているのかもしれません。出てきた現象、あるいは身の回りで起こることに絶対的な悪であるとか、絶対的な正義というのは無いと教えてもらっています。確かに、悪いことは直していかなければいけない、力を合わせて是正していかなければいけない。そして良いことは伸ばしていく社会でなければいけない。でもその現象を通して、自分はまず何を学べるのか、ということが大事なのかもしれません。
声なき人の声に、自分が心配している相手のことを通して気づく時がある。自分のことを心配してくれていた人の思いに気づく時がある。そのようなことを今日、お話を聞きながら考えました。
まさに、ソーシャル・ジャスティス基金さまがなされている活動のように、こんなに社会の人々の中の奥の深いところにある課題や悩みに触れている活動は本当になかなかないと感じています。そうしたソーシャル・ジャスティス基金さまに私たち財団が出会えて、初めて皆さんのような素晴らしい活動をしておられる方々の話も伺うことができました。このことを縁起ということに重ねて考えると、今日お話を通して、私自身、私たち財団自身がもっと努力して、民主主義のために、また人々の小さな声、声を出せない人が抱える課題のために、間接的でもお役に立てるよう努力しなければならないと反省した次第です。皆さんの取組みがすばらしいからこそ、オープン・ソサエティ財団さまという力強い応援も今回参入なされたのだと思います。私たち庭野平和財団も微力ですが努力致しますので、陰ながら応援して頂ければと思います。
※助成先の報告の後、他の助成先とミニパネル対話を行いました。
◆ NPO法人監獄人権センター 塩田祐子さん
『重い罪を犯した人の社会復帰と刑罰のあり方~無期刑・終身刑に関する政策提言~』
―庭野平和財団との協力による助成事業です―
1995年にできた団体で、もう20年以上やっております。
生まれながらの犯罪者はいないという理念のもと、全国の刑務所や拘置所に入っている方からの手紙相談を受けています。1年で1200通ぐらいの手紙が来ます。多いと感じられるかもしれませんが、全国の受刑者は5万人位おられますので、その数から言うと多くはないです。私たちの団体につながってこない方というのは、多少いやなことが中であっても、自分の人生こんなもんかなと思いながら暮らしている方が多いのかなと思います。普段の活動は、相談事業や政策提言をやっております。
終身刑の導入の検討が始まった日本 正解のない問いを市民と対話することから
今回2019年度助成をいただいた事業について説明いたします。
日本には、終身刑という刑罰はありません。死刑に次ぐ重い刑罰は、日本ではいま無期刑、無期懲役というものです。世界的に、終身刑には大きく分けて2種類あって、更生が認められれば仮釈放が認められるものと、一生涯釈放が認められないものもあります 。
日本でも終身刑がそう遠くない将来に導入されるのではないかと検討が始まっております。その時に、終身刑がどういう刑罰で、社会にどういう影響を与えるのかということを、市民のレベルで検討した活動がこれまで無かったということで、今回応募させていただきました。
海外ではいろいろな国で採用されている終身刑という刑罰について、導入した時にどのような影響が当事者にあるのか研究しているNGOがイギリスのピナル・リフォーム・インターナショナルです。そこの方々をお招きしてお話を聞くということもプロジェクトに含まれております。
私たちの活動理念として、重い罪を犯した方であっても、環境や対人関係が変わることによって、また本人の学びや気づきによって変わりうる存在であると考えています。それに基づいたプロジェクトを実施させていただきます。
具体的には、アメリカの終身刑をテーマにしたドキュメンタリー映画の上映と、それを見た後でみなさんに語り合ってもらうという企画も行います。
政策提言等も予定しております。
また、国際基準としての終身刑の在り方を学ぶために、イギリスのピナル・リフォーム・インターナショナルから講師の方をお招きしますが、この方々はNGOでありながら、国連の司法分野の意思決定の場でも意見を言うなど、間接的に関与している方々です。NGOでありながらなぜそのようなことが可能なのか、そういったこともお聞きしたいと思います。
罪の償いとは何か? 被害からの回復には? 更生とは? 犯罪者の声も聴きながら
このテーマで助成事業を応募しようと考えたのは、この基金自体がアドボカシーカフェでの対話を主軸に置いているということで、私たちが出したこのテーマは対話に向いていると思ったからです。
罪を犯した人の償いとは何か? その人が立ち直る、更生するとはどういうことなのか? 被害者が犯罪被害を受けて傷ついている状態からどうやったら回復するのか?当事者一人一人で違う、とくに正解がない問題です。だからこそ対話に向いていると思いました。
普段私どもは自分たちの主催でもイベントをやり、弁護士やこの分野の研究者の方とつながりはあるのですが、やはり似たような考えの人たちと集まっているという状態になることも少なくありません。アドボカシーカフェでいろいろな考え方の人に入っていただくことで、専門家でない人からの意見にこそ、むしろこちらがはっとするようなものもあります。
犯罪をやった側から何か意見を言おうとしても日本ではあまり受け入れられない。カルロス・ゴーンさんが、逃げた後にご自身の意見を発信されましたが、日本の世論は「そうは言っても、おまえ逃げているじゃないか」という感じですよね。犯罪がやった側、例えば殺人をした人が社会に何か発信しようとしても、「そうは言っても、おまえは人を殺しているじゃないか」と言われて終しまいで、その先までなかなか行かないことがあります。そういった問題を対面という形で、どう議論していけるのか、そのようなところにも希望を持っています。
年間2万人ぐらいの方が、刑務所から出て社会に戻っています。もしかしたら皆さんのご近所に住んでいる方が元当事者かもしれません。身近なところにあるかもしれない問題です。
3月3日に、アドボカシーカフェを開催します。4月18日には、イギリスからピナル・リフォーム・インターナショナルの方をお招きし、講演会を行うことが決まっています。
引っかかることをきっかけに 市民の気づきや声がガラッと社会を変える
メコン・ウォッチ 木口由香さん) やはり自分のなかにも犯罪をした人に対する恐れとか、本当に更生するのだろうかとか、システムが全然わかっていないので今どういう問題が起きているか全く知らないなと思いました。
弁護士さんなど法曹界の人にとっては、こういった議論は非常に意義が認められるということは、日ごろの社会活動で話を聞いているので、感覚的にわかるのですが、一般の方は馴染みがなく、そもそも対話をするだけの知見を社会が持っていない場合、それにどう向き合って行かれるのかという点が気になりました。
死刑制度の廃止という話も進んでいるかと思いますが、一般の方の感覚だと「えー、どうして」だと思います。「なんで悪い人を死刑にしていけないの」というのが日本の場合の多くの方の感覚だと思うのです。さらに、被害者の支援も日本はすごく遅れていると聞いております。そうした中で、あえて対話に踏み出すというところの意義、困難さについて伺えればと思います。
もう少しメディア教育のようなものも必要なのではないかと思います。死刑制度や犯罪者のことを考えるのはテレビドラマのようなものしか一般的には情報源が無いかと思いますし、そういうなかで偏見を助長するような内容がたくさんあると思います。そういったところを変えられると少しは世の中の流れが変わっていくのかなと思います。というのは、生活保護のことを見ていて、漫画やドラマになって、(あまりはやらなかったですが)少し違う見方をする人が増えたのではないかという印象を持ちましたので、メディアに対する働きかけについて個別具体的なことを予定しておられましたら教えていただきたいです。
以上質問としては2つで、メディアへの働きかけについてと、社会的な議論の元になるような何か、知見を広げるようなことや、被害者への配慮についてどう考えていらっしゃるか伺いたいと思いました。
塩田さん) メディアについては、ここ何年かで、夕方のニュースやドキュメンタリーで、刑務所の中を伝える報道がとても増えています。刑務所の中に高齢者や障害を持った方がたくさんいることや、その人たちが出所したらどうなるのだろうという構成が多いです。メディアの方にそういう意識が高まっているのか、視聴者にウケたから続けて報道しているのかは不明ですが、報道される機会が増えているとは感じております。また、私どもへの取材依頼も増えています。刑務所をテーマにした映画やドラマも増えています。刑務所を出た方がどう生きていくのかという内容が多いです。
イベントを行う際は、メディアの方も常に声掛けするようにしており、取り上げられる時もそうでない時もありますが、意識してお誘いするようにしています。
余りこの分野になじみのない方との対話について。
3月3日のアドボカシーカフェでも、日本にはこういう刑罰がありますよ、無期懲役とはこういうものですよと、一通り私からご説明はするのですが、お勉強みたいな感じにはしたくないと思っていて、聞かれた方の心に何か一つでも引っかかればいいなと思っています。
たとえば、刑務所で受刑中に出産する女性がいます。あまり数は多くないのですが、「え、そんなことがあるの」というところが引っかかってくれるだけでもいいのです。受刑中に出産される方は、以前は手錠をしたまま産まなければいけないという状況がありました。それは逃走するかもしれないという理由なのですが、なかなかお産をしながら逃げるというのは難しいかと思いますが、ただ法律で決まっていたので、ずっと続いていたのです。私どもが問合せをしても、法に基づいてやっているという回答しかない。
ところが、受刑中に出産する予定の方の夫が毎日新聞に投書したのです。こんなことになっていますと。それを毎日新聞が取り上げたら、法務省はすぐに手錠をやめたのです。たった一人が声を上げただけで、状況がガラッと変わるということが実際にあります。そういった、一般の市民の方の気づきで世の中が変わることがあると思います。
参加者)僕は、死刑は反対です。そういうことを言うと、被害者の立場になって考えたことがあるかと言われます。でも本気で考えたら、そんな単純な話でないし、被害者だけでなく加害者の立場に立って考えることも必要でしょう。
先ほどの若い女の子の妊娠の話もそうだけど、人は考えたくないということで見ない。
千葉市にある自主夜間中学に、僕は参加しているのだけなのですが、そこでいろいろ議論するのですが、ほんとうに議論するのは大事だなと思います。
◆ アプロ・未来を創造する在日コリアン女性ネットワーク 朴君愛さん(事務局/ヒューライツ大阪)
『在日コリアン女性に関する複合差別実態調査―第3回在日コリアン女性実態調査―』
メンバーは10人ぐらいのささやかな個人の集まりの団体です。大阪・神戸・京都が日本で一番大きな在日コリアンの集住地域ですが、メンバーは、東京にも北海道にもいますが、関西が中心に活動しております。
第3回の調査をぜひやりたいと考えておりました。助成金をいただいて調査をやるからには、今回の調査をやるということだけで自己満足で終わらないよう、意義ある調査にしたいとメンバーで話し合っています。
私たちは、朝鮮半島にルーツのあるコリアンかつ女性という立場の人たちの当事者団体です。悩ましいのは、「朝鮮語?韓国語?コリアンと言うてるのだからコリア語やろう」と。ここから問題が始まります。私たちは、戦後、植民地時代からずっと日本に留まらざるを得なかった人たちの子孫にあたります。東アジアの冷戦構造の中で政治の対立に巻き込まれて、自分たちの中でも言葉一つとってもずっともめてきました。ですので、今回の実態調査をするにも、「北なの? 南なの?」とまだ言われてしまうような経験もしました。
民族差別と女性差別の両方の課題に格闘
在日コリアンで女性であるということは、つまり民族的な差別と女性であることの差別、この複雑でねじれた差別を受ける存在であるということです。配布した活動紹介のチラシにもあるように、女性に対する暴力の問題や政治的・社会的不利益があります。就職の差別であったり、地域社会での排除であったり、何よりも納税の義務はあっても参政権が無い。
日本でかつて、在日コリアンを中心に地方参政権の運動をしたにもかかわらず、むしろ「それは絶対に認めない」という反対する日本人の声が大きくなってしまって、今では地方参政権のことは言えない状況にあります。
でも、一方、国際社会の各地でマイノリティの女性の活動があって、女性でかつ他のマイノリティ性を持った人たちの声を知ることができ、日本で「私たちも声を上げていいんや」と、この15年くらい、エンパワーしました。
日本社会からの差別もあるのですが、自分たちのコミュニティー内での女性差別も根強く存在します。東アジアの家父長制の共通の問題といえます。しかし民族差別がある故に家の中で伝統を守ろうとする。それは朝鮮半島の農村部の一世紀前の文化でもあるわけです。しかし、これを言うと、「それは、あなたたちの中の問題であり、そんな文化を持っているから日本で差別されるんや」と言われるのではないかと怖れ、なかなか言えないできた部分があります。非常に悩ましいところです。部落女性からも同じような意見を聞きました。日本社会からの問題と、自分たちのコミュニティーの問題の両方に対してものを申していかなければならないと考えています。
女性差別撤廃条約の日本報告を審査する国連会議に参加 政府に無視される女性たちの実態報告を目指す
今回、自分たちの手で実態調査をしようとしたのは、自分たちの地位向上のために何とか使えるツールはないか考えたところ、「女性差別撤廃条約」という国連人権システムの活用に希望が持てたことです。
日本社会の中のマイノリティ、数も少ないし政治にも参加できない中で、国際的な人権の基準、女性の人権のためにつくられたこの条約を活用できるのではないかということです。去年2019年は、この条約が採択されて40周年でした。今年は日本が批准して35年です。
女性差別撤廃条約には日本を含め国連加盟国のほとんどが加盟していますが、何年か毎に定期的にその国の政府に条約の実施の報告を出してもらい、女性差撤廃委員会との対話を通じて、報告を評価しようというシステムがあります。日本の第7回・8回の報告を審査するという機会が2016年2月にありました。
私たちがこの審査の場に参加できたのは、女性のなかでもより一層困難を抱えている女性たちのことにきちんと問題意識を持たなければ、全体的な女性の人権問題は解決しないということが、女性差別撤廃委員会でも議題になってきたからです。
反差別国際運動や、部落女性たちの運動などこの分野での活動の先輩たちとのネットワークで、国連にロビー活動のために行くことができました。日本女性差別撤廃条約NGOネットワークという全体をまとめているNGOのネットワーク組織がありますが、その参加メンバーとして他のマイノリティ女性たちとも一緒に活動しました。
日本政府は在日コリアンのことをほとんど無視していますが、「いやいや私たちの実態はこうですよ」ということを伝えたかったのですが、実態報告はこの時には間に合いませんでした。ですが、委員にいろいろなロビー活動をした結果、「在日コリアン」という固有名詞も出て、とりわけヘイトスピーチによる私たちの被害にも言及がありました、また障害女性、部落女性LBTなどのマイノリティ女性に対する多くの勧告が出ました。それは私たちにとって大きな励ましとなりましたが、その勧告を持って、この社会をどう変えるかという、一番の大きな課題に向かっていかなければいけません。勧告が出たということは深刻な差別があるからなのですが、その時、委員の方から「信頼できるデータをください。状況が分かる数字をください」と言われて、ぜひとも次回は頑張らなければあかんと思いました。
隠して生きざるをえない当事者へのアクセスが課題
私たちの第2回の実態調査は一冊800円でお分けしております。調査アンケートは約2000通配り、880通回収でき、一年半以上かかりましたが報告書を作り、初めてハングル版も作りました。質問項目は、あれもこれも聞きたいと、回答に30分以上もかかるアンケートをつくってしまいました。複合差別を明らかにしたかったのですが、複雑な構成のアンケートになり、報告書を作成するまで何か月も分析の作業にかかりました。
何よりも当事者へのアクセスが課題です。多くは在日コリアンであることを隠して生きざるを得ない状況があるなかで、コリアンで女性だということでアンケートに答えていいよという方となりますと、あの手この手を使った知り合いに渡す作戦しかありませんでした。結果として、集住地域の意識の高い人たちの回答が多くを占めることになるわけです。一番しんどい思いをして、一番その差別や抑圧を受けた人たちの声は、その後ろにあるのに拾えていないのではというジレンマがあります。
在日コリアン女性の高齢者やニューカマーの声を集め 孤立する当事者を励まし 次のアクションへ
私たちの第3回の調査が始動しました。当事者による当事者の実態調査を次回の女性差別撤廃委員会に提出できるようにしたいと考えております。日本政府は第9回の報告書について既に動き始めており、リスト オブ イシュー、つまり質問項目を決めることを国連と協議するそうです。
私たちに対する公的な実態調査は何もされていないという状況です。ヘイトスピーチ解消法ができたことはプラスとなり、初めて外国人差別について国の調査が法務省で行われました。外国人住民調査ということで結果をサイトで見られるのですが、ジェンダー統計を一切していないのです。世界では、こういう時にジェンダーに基づいて分析するのが常識だそうで、私たちもそれを要求したのですが、法務省は気がつかなかったので次回への反省材料にしたいということで終わりました。データはあるのですがそれが形にならないという残念な状況になっています。
高齢者や近い将来高齢者になる在日コリアン女性の多くが貧困または貧困の予備軍であることははっきりしています。第3回の調査では、この高齢者、そしてこの方たちを介護する女性たちの問題を明らかにしたいというのが一つです。もう一つは韓国からのニューカマーの女性の問題。80年代からのニューカマーは50代・60代になっており、いつまでニューカマーやねんとは思いますが、一様に「私たちは在日コリアンの経験とは違う」と言っています。母語が違い、自分たちの家族や親戚とは離れたところで暮らす移住女性であり、この人たちの声を丁寧に拾ってこなかったと思っています。
またアンケートという手法の限界もあり、インタビューの形でも高齢者やニューカマーの声を集めたいと思っています。この結果を、国連に持っていくとともに、広くいろんな形で発信して、ネットワークをつくって、孤立している当事者を励まし、次へのアクションにつなげたいと思っています。
ピッコラーレ・松下清美さん) 日本では、昨年、妊娠を理由に退学させてはいけない、という通達が文部科学省から出されましたが、韓国では、もっと前に、それも、当事者である高校生が、妊娠を理由での退学は教育を受ける権利に対する侵害である、と、国に訴えたことからこの課題が社会化され権利侵害であると認められたと聞きました。この一件だけをとってしても、韓国の人々は人権に対する意識がなんて高いのだろうと尊敬しています。
今の日本は、当事者が声をあげにくい社会であると感じています。特に女性の声は無視され、排除され、そして、声を上げることでさらに傷つけられてしまうことがあります。そのような中で、当事者が声を上げることはとてもエネルギーがいる大変なことではないかと報告を聞きながら思いました。そして、そんな大変なことをされているにもかかわらず、楽しそうに声をあげておられる。どうしたら、そのようにできるのか、その秘訣を教えてほしいです。
また、アンケートでどのような傾向が見られたのか少し伺えたらと思います。
朴さん) 日本政府の報告審査は何回かやっていますが、私は生まれて初めて行った国連の審査の場(ジュネーブ)で、自分たちとは意見が違う団体の参加もありました。緊張もしたし、正直怖かったです。それでも自分たちができることをやろうと思ったのは、支援してくれている人たちの顔、この人たちがいるということがはっきりと見えていたからです。孤立して差別しか知らない、隣の日本人には絶対に言えないという在日の女性たちを知っているだけに、こういうつながる場、安心して語れる場をつくることはとても大事やと思っています。
そういう場に今日来て、皆さんのお話をきかせていただいて、たくさんのエネルギーをいただき、もっと大変な現場で、それでも取り組んでいる方たちの背中というか表を見て、本当にありがたかったと思っています。
韓国のことで言うと、私は現在、日韓ひとり親家族の支援機関の調査プロジェクトに参加させていただいていますが、韓国は日本より結婚しないで子どもを産んだ人たちへの差別はきついです。家族からの断絶、職場からの断絶があり、日本以上に厳格に中絶は犯罪化されて何重にも大変です。だからこそ韓国は当事者がここまで運動せざるを得なかったということがあると思います。また韓国の市民社会からのうらやましいサポートがありことも痛切に感じました。
アンケートの特徴についてですが、自分が担当した自由記述のところについて紹介します。アンケートの最後に自由記述欄があって、多すぎる質問の後に書いてくれへんやろって思ったのですが、回答してくれた方の4人に1人、二百数十の人たちが書いてくれました。で、在日コリアンのコミュニティーの男性たちや組織に対してと厳しいコメントがいっぱい出ました。ヘイトスピーチ、民族差別、本名への思い、就職差別、選挙権が無いことへの怒り等たくさんの声がありました。それから複合的に民族差別と女性差別を体験したことが語られて、高齢の在日コリアン女性の生活不安の声がありました。
最後にお願いがあります。第3回の調査でアンケート用紙を送りたいと思っているので、在日コリアン女性を知っている方はぜひご協力ください。
――閉会挨拶――
大河内秀人・SJF企画委員) オープン・ソサエティ財団、庭野平和財団の多大なるご協力のもと、7団体の方々に一堂に会していただきまして、それぞれ、いま気づかれていないけれども本当に現実的で具体的な話を伺い、素晴らしい時間だったなと思っています。今回の公募では57件の応募をいただき、書類審査と面接審査を経て、この7団体に助成を決定させていただきました。
私も30数年間NGOで働いております。去年は子どもの権利条約採択30年、日本が批准して25年という年で、関連する取り組みを行う団体にもソーシャル・ジャスティス基金は助成し、先日アドボカシーカフェを行いましたが、30年たっても未だ子どもの権利が日本で十分に保障されていない。
ODAの問題についても30年前からODA大綱をつくる段階、あるいはNGOと外務省との定期協議などでいろいろな形でNGOからも意見を出してきたわけです。それからLGBTや性教育の話も出ましたが、30年ぐらい前にエイズ、HIVの問題が日本で初めて大きく取り上げられて、実際には同性愛者の方や性教育をめぐる問題に取り組むことがもっと必要なのではないかという気運が高まったこともありました。
では今どうなのかと考えると、私も30数年やってきて何も変わらなかったのではないか、私はこのまま死んでいくのかなという思いを抱いてしまします。しかし、そうはいっても今日、みなさんが一つ一つ丁寧に取り組んでおられる。そして今の時代だからこそ深められることもたくさんあるでしょう。何も変わっていないように見えても、小さなところで実践が積み上げられていて、それが一人一人の救いにもなってきているでしょう。それをこれからどう社会化していくか。
ソーシャル・ジャスティス基金としては、あえて「ソーシャル・ジャスティス」という言葉を高らかに謳って、この基金を運営していきたいと思っています。この基金では、資金援助とともに社会対話の場づくりを行っていて、対話事業としてアドボカシーカフェを主に助成先の方々と一緒に作っております。社会課題について賛成反対ということではなく、さまざまな関わりの立場の方からお話を伺って立体的に問題をとらえるとともに、詳しく知らなかった人とも実りのある対話をしております。ぜひ次回、3月3日のアドボカシーカフェにご参加ください。
●次回アドボカシーカフェのご案内
『生きる―重い罪を犯した人の社会復帰と刑罰のあり方―』
【登壇】古畑恒雄さん(弁護士・更生保護法人「更新会」理事長)
マヒル・リラックスさん(トランスジェンダー コラムニスト)
塩田祐子さん(監獄人権センター職員)
【日時】2020年3月3日(火) 13:30~16:00
【会場】文京シビックセンター 5階
【詳細】こちらから