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ソーシャル・ジャスティス基金(SJF)アドボカシーカフェ第50回開催報告

 

経済開発と格差

日本のミャンマー支援と現地の人々

 

2017年9月21日、木口由香さん(メコン・ウォッチ事務局長・理事)と黒田かをりさん(CSOネットワーク事務局長・理事)をお迎えしたアドボカシーカフェを、SJFは東京都新宿区にて開催しました。

経済開発の厳しい国際競争下で、環境規制や人権配慮をどう確保していけばよいのか。登壇者から、日本が官民をあげて開発に関与しているミャンマーの経済特区について、弱い立場におかれた現地住民の声や状況の報告をうけ、国際基準の「ビジネスと人権に関する指導原則」やそれを実施するための「国別行動計画」の最新状況と考え合わせました。

人権や環境に配慮したビジネスのためのガイドラインや指標は、世界的に投資家も含めて策定が進んでいますが、それらが実体として機能するには、世界のエリートのための経済発展をもたらすグローバリゼーションに対して、倫理のグローバリゼーションの構築がポイントであるとの意見が会場からありました。

また、開発は本当にその国民が内発的に必要とするものなのか、という視点が会場から提起されました。持続可能な開発に関してSDGsが話題になっていますが、開発をもちこむ外部者はそれを現地住民から学べるのではないかとの指摘がありました。

持続可能な開発を実現できるかは、開発によって被害を受ける人の声を聞く耳を持てるか、実体のある民主主義を構築できるかにかかっています。

※コーディネータは、上村英明(SJF運営委員長)

当日ALL

――木口由香さんのお話――

 日本が開発に関与しているミャンマーの二つの経済特別区、ティラワとダウェイの事業において、現地の住民がどのような経験しているのかなどをお話します。

 

冒頭のご挨拶の中でありましたが、私も日本のODA(政府開発援助)は未だ問題を起こしているの?という認識をしています。1980年代からニュースでマルコス疑惑などODAの問題をいろいろ見てきて、それが2000年位から(良い方に)変わり始めたのに、最近はどんどん後退し、80年代に逆戻りしつつあると思っています。

さらに、いままでなかった、軍事関係にも援助を出すようになってきています。非常に難しい局面に入りました。

ODAは完全に変質しています。それは数年前にODA大綱を変え、開発協力大綱にしたからです。

 

ティラワやダウェイのケースでは、いろいろな開発援助スキームが使われています。日本の企業をサポートしつつ海外に投資をして、日本の経済を活性化するという方向性を強く政府は打ち出しています。これは開発協力大綱に沿ったものです。

でも、事業内容については、いまさらと感じます。かつ、このお金の流れは実は大企業への「補助金」ではないかと最近私は思っています。専門家の方にご意見を聴いてみなければいけませんが。

個人的には、そもそも日本から雇用がどんどんなくなっているなかで、海外に工業団地をつくって、日本の大手企業が進出する、それに公金を使うことは妥当なのか、と思います。1980年代にはプラザ合意で円高が進んで日本企業が海外に進出せざるを得なかったのですが、(ミャンマーのお隣の)タイはそれで経済発展したが、日本の製造業は空洞化した。また、同じようにミャンマーに進出すればミャンマーも活気づくし日本の景気にとってもいいでしょう、という話の流れなのですが、今は本当にそういう時代なのでしょうか。

当日KIGUCHI

 

どのような開発が行われているか

ティラワの位置は、元首都のヤンゴンの近くです。ティラワ経済特別区の開発事業は、日本政府が推進している「パッケージ型インフラ事業」の一つで、製造業用地域や商業用地域等を総合的に開発する事業です。このパッケージ型インフラ事業は、日本政府が今、政策として力を入れているものです。ヤンゴンをより発展させるための玄関口として、ティラワを総合的に開発しようとしています。

主な経緯ですが、事業は2012年ごろから具体化し始めました。日本の企業が進出する先として「最後のフロンティア」といわれているミャンマーに、日本企業が進出していく足がかりを政府がつくるべきだという、経済界からの要望。また、ミャンマー側も、いわゆる「民政化」をするテインセイン大統領(当時)をサポートしてほしい、そこに日本のプレゼンスを見せてくださいという要請をしていたはずで、政治的な要素も強い案件だったと思います。民主党の野田政権時代に決まっていて、その後、安倍首相が関連インフラへの円借款の約束をして動き出しています。

この経済特区の予定地で約900世帯の人たちが、覚書が交わされた後、関連インフラに円借款が出る前に、強制立ち退きを通告されています。これが、私たちが問題にしていることです。

この事業はODAの様々なスキームを使い、かつ三菱・丸紅・住友という大手商社が合弁企業(MMST)をつくっています。事前調査は経済産業省が行っていたり、日本貿易保険(NEXI)の付保がされていたりと、日本の官民を挙げてこの事業に取り組んでいるのが分かると思います。

国際協力機構(JICA)は現地と日本で作った合弁企業へ出資を行っています。これは、民間セクターを通じた開発途上地域の開発促進をするための海外投融資、というもので、日本企業が海外進出する助けになるように、国が直接出資するというスキームです。これは、透明性が低いということで、一時廃止されていたのが、復活したものです。

 

もう一方の、ダウェイは南部で、むしろタイの首都・バンコクに近い位置関係であり、それがこの事業の地理的なポイントになります。

この地域は、漁業や農業で暮らしている方がほとんどです。ここに約2万ヘクタールというティラワの9倍ぐらいの広さの場所に、総合的なコンプレックス――深海港や発電所、造船所、石油精製コンプレックス、製鉄所など重工業をふくむ――を建設する計画です。

また、日本も支援している「南部経済回廊(注:南部経済回廊としてはベトナムのブンタオからバンコクまで)」というのがあり、ベトナムからタイが高速道路で横につながります。その延長として、インド洋に抜けるための道路を開発するという、地政学的にも注目されている事業もダウェイ開発の一部です。

工業団地の予定地は、整地されている部分もありますが、プランテーションが広がりかなり緑に覆われています。道路が通る山岳地、タイの側は国立公園になっている場所と繋がっています。野生の象もいるところです。

日本政府は2013年から会合に公式に参加し始めています。2015年7月に、第7回日本・メコン地域諸国首脳会談を行って、覚書に署名しました。同年12月には、国際協力銀行(JBIC)の「海外展開支援出資ファシリティ」という新しいスキームの一環として、この経済特区の開発全体を考える特別目的事業体(SPV)であるダウェイ経済特別区開発会社に、ミャンマー政府とタイ政府の機関(FERDとNEDA)が出資をしている額と同等に出資して日本も参画しています。

JICAは、道路リンクの調査を既にしており、2016年に「ミャンマー国南部経済回廊情報収集・確認調査報告書」を発表しています。この地域における情報収集や、日本の協力の在り方の検討などが行われています。しかし、先にタイ側が事業化を進めてしまっていたので、それとの整合性はないのです。また、新たに2017年に「タニンダーリ地域開発計画にかかる情報収集・確認調査」が始まりました。

しかし、JICAは現地住民に調査をすることを全く知らせていないのです。日本のODAでの、このような調査(注:実現可能性調査の前段階)では「当たり前」のことなのです。しかし、現地住民の方はJICAが調査をすることをNGO等から聞いて知っていますので、「JICAに、住民に会って説明をしたり、住民がどう思っているか聞いたりしてほしいと伝えて」と言っています。メコン・ウォッチではJICAにこの点を含め要請書を出しています。(要請書はこちらから

 

ここから、経済開発のパターンが見えると思います。つまり、地元の人は関係ない。(日本の援助は)要請主義だと表向きはなっていて、その国の政府が「このような開発をしたい」という希望が優先される。そこで、日本のコンサルタント等が調査をするのですが、その最初の段階には住民参加が全くない。地域住民がどう思っているか、住民がどのように開発したいかなどは全く聞かれないわけです。

地域開発にかかわる全体の青写真を描きたいということなのに、なぜ住民参加がないのか、とメコン・ウォッチはJICAに言っています。日本や相手国の政府にとって手続き上の問題はなくても、市民としては非常に問題だと考えています。

 

開発によって現地の人々に、何が起きたか――軍政が長く続いていたミャンマー

経済特区になるティラワの方たちはもともと農業や川での漁業をして広々とした場所で暮らしていました。経済特区の予定地には、住んでいる方たちがいて、計約2,400ヘクタールに住む、計1000世帯近くの人たちが移転させられるということでした。

ここを管理しているヤンゴン管区の政府は、最初、この人たちに移転地も用意しないし、補償もしないと決めていました。なぜなら、この人たちが「不法占拠者」という認識だったからです。さらに、ミャンマーは、土地は全て政府のものです。住民は土地の使用権をもっているだけで、だれも所有していません。カンボジアもラオスもそういう土地所有形態で、このようなことは東南アジアでは珍しくないことですが。

事業が再開し突然、2013年1月31日付けで、立ち退きが通告されました。2週間以内に立ち退かないと30日間拘禁すると。これは、現地で住民と一緒に問題に取り組んでいるNGOから、メコン・ウォッチに連絡があって、メコン・ウォッチから日本政府やJICAにこの動きを伝え、日本政府がミャンマー政府に申し入れをしたという経緯がありました。この時は、日本政府は動いてくれました。

日本政府とミャンマー政府の間で、開発の進め方の認識がかなり異なることを露呈したものでした。これまで、ミャンマーの軍事政権下では、このように立ち退きをするのがある種当たり前でした。ある日突然、住民は政府から立ち退けと言われる。しかし今、ミャンマーは諸外国からその改善を求められています。民主的な運営に改めなければいけない、という移行期にあります。そういう所に、日本政府や企業が入って開発していこうとしているのです。

 

ティラワでは、初めに68世帯が立ち退きました。(問題を認識した)JICAもいろいろ策を打って現地政府に働きかけていましたが、移転地で最初に提供された井戸水は汚濁が激しく、雨季には(道路よりも低い)家の側に水が入って泥だらけになったり、(各戸の裏庭にある)トイレが水没して水源が汚染されるなどしました。NGOと住民でそれらの状況を調べて、JICAに伝え、2、3年かけて、ようやくなんとか環境が改善されてきました。

しかし移転前には、家の間に余裕があってプライバシーがある状況だったのですが、移転先は家と家の間が非常に狭く、家の素材はよくなったものの、まるでスラムのようです。

住民はもともと農業をしていた方たちもいたのと、いわゆる貧困層の方たちもいて、家庭菜園をしないと、日々の食費が大変です。しかし、なかなか土地の使用権が渡されぬまま、家の前の道路を「勝手に」畑にしています。政府から見ると違法なのですが、住民からしたらそうしないと生きていけないのです。

移転後、職業訓練を受けて工業団地に雇ってもらえるという話もあったのですが、半年ぐらい研修を受けたぐらいではなかなか雇ってもらえないものです。入居企業がガードマンなど、住民ができる仕事で雇用してくれているようですが、NGOが住民と一緒にいろいろ伝えた結果なのかなと思わざるを得ないことがいろいろあります。

また子どもたちは、移転後一時的ですが、学校に通えませんでした。学校に行っても(受入れ体制が整っておらず)席がないから、大きい子どもの膝の上に小さい子どもは座って授業を受けたりしたそうです。住民から報告を受けたメコン・ウォッチがJICAに問題提起をして、対応してもらいました。また、学校が遠くなってしまい通学に費用や時間がかかる場合もありました。

家は綺麗になって、住民の方々はその点は満足しているのですが、しっかりした木の家になって家の中が暑くなってしまい、不慣れな生活で病気になった方もいます。

これらが日本の支援事業で起きたことです。私はこれらを見聞きして、今何年だっけ?という感じを持ちました。まるで、1980年代に戻ったようです。

 

一方、ダウェイも山岳地は、カレン民族の多い地域です。プランテーションを自分たちでやっています。びんろう(檳榔)という、噛みたばこに使う実を山で生産している。バナナなどの果樹も育てています。

ダウェイの道路建設でも問題が起きています。もうタイ企業が既に開発を始めていて、これから大きな道路を建設するためのアクセス道路を完成させました。非常に質の悪い道路で、地滑りや土壌侵食が起きて、畑に土砂が大量に流れ込んでしまったり、川の水を土砂で汚染し地元の水源がなくなったりしています。また、村人や象が歩いて移動していた元の道が道路建設で分断されてしまったりと、生活に支障を来しています。

経済特区の方では立ち退きを強制し、土地収用が行われても補償が適切に行われていないし、海辺で製塩業をしている村では、塩田が破壊されてしまいました。ダウェイの浜辺は、そのまま観光地にできそうなきれいな場所です。そこに大型船が入れるような深海港を開発しようとしています。私が訪ねた土砂の採掘現場近くの村では、水田に土砂が入ってきて使えなくなり、それを開発側に訴えたら今度は堰が作られ、結局水田に水が来なくなった、というところもありました。

この事業は、住民との合意形成を全然していません。これは移転住宅街の写真ですが、ここに1世帯しか住んでいないのです。住民の要望を聞かずにやっているだけでなく、そもそもどれだけの人たちが影響を受けるのかも分からなくなっています。地元のNGOの調査によると、2万2千人から4万3千人に影響が出ると推定されています。

 

誰のための環境規制や人権配慮か 「違法」と「合法」の意味

なぜこのようなことが起きるのでしょうか。

ミャンマー政府からすると、開発地の住民は「不法占拠者」なのです。ティラワで実は、1990年代に一度開発を計画して、住民に非常に少ない額ですが補償して移転をさせています。しかし、事業がとん挫し一部の住民たちは元の場所に戻り、家を再建しました。その後、政府が農業を奨励した時期があり、灌漑局に税金を払いながら農業を営み住んでいた方たちもいました。ですから住民としては、市民としての義務を果たしていたと思っているのですが、ミャンマー政府としては不法占拠者という認識でした。そこに乖離がありました。

 

ダウェイの場合はタイ企業のイタリアンタイ・ディベロップメント(ITD)という大きなゼネコンが1社で事業を受けました。驚くべきことに、ダウェイは開発サイズがティラワの10倍近い2万ヘクタールで現実的でありません。ティラワは日本の大手商社が3社、かつODAも入り2,400ヘクタールだというのに。

ある記事によると、これは、イタリアンタイの会長の開発案件への思い入れと、トップダウンの意思決定の速さで、軍事政権下で進んでしまったということのようです。非常に危うい事業です。また、タイはインド洋に抜ける港を持つことを国家として非常に重視しているので、進めてしまったのではないかと思います。

(経済特別区の支援の中では)過去の日本の支援の成功事例として、タイの工業団地が引き合いに出され、ダウェイもそれに比較して語られます。しかし、環境規制については、タイの工業団地と同じように規制しては製造優位性が薄れると――「公害が出てもいいよね」と言っているようにとれてしまうと思いますが――、日本企業も入っていけるようにいろいろな規制を設計しなければいけないと日本政府の調査レポートに書かれています。

以前、JICAのスタッフとお話したら、この事業は50年かかると言っていましたが、この事業は20世紀型の非常に古い工業団地開発の話です。これから公害を出しても、それでも発展しなければいけないとJICAの方々は思っているのでしょうか。

 

(先ほどの立ち退きの話であるように)途上国で「違法」や「合法」であることの意味は非常にあいまいです。住民、一人ひとりの希望も違います。政府がO.K.と言ったからと、投資や開発など企業活動が行われるのですが、人権侵害を助長してしまいます。工業団地に入る企業には便宜が図られるけれども、移転させられる住民は、先述のような状況に置かれること。それがいまだに起きています。

 

ガイドラインや指針は民主主義によって機能する

こういう人権侵害や環境破壊が相変わらず起きていますが、メコン・ウォッチ等のNGOがアドボカシー活動ができるのは、JICAは「環境社会配慮ガイドライン」を持っていて、強く働きかける「とっかかり」があるからです。ガイドラインは、何十年もの開発被害から、市民の働きかけの成果としてできたものです。

企業の活動を縛るものは、それ以外にも、コーポレートガバナンス・コードや、OECD多国籍企業行動指針、国連グローバル・コンパクト等、いろいろ作られています。人々の働きかけで問題が顕在化し、いろいろなスキームができています。

 

ダウェイでは、強制力はないのですがタイの国家人権委員会が勧告を出しています。国連のビジネスと人権の指導原則、これを使って少しでも改善していこうと動いています。しかし、タイが軍事政権下であることで非常に制限のあるなかで人権委員会は働いています。

 

タイの人権委員会は今年2月ごろに現地訪問をして、そのレポートが大々的にタイの現地誌(The Nation と Bangkok Post)に掲載されたのですが、その後、関係するタイの鉱山開発企業が、そのレポート書いた記者を訴えました。

 

ガイドラインやスキームがあっても、実際にそれが機能していくためには民主主義が必要で、その国の民度、民主化の度合いが非常に強く影響してしまいます。メコン河流域でいちばん民主的だと言われていたタイが、いま軍事政権に逆戻りしてしまったことで、周辺国に悪いサインを送っています。ミャンマーもそうですが、軍が後ろにいるわけです。カンボジアでもいろいろ弾圧が起きています。東南アジア全体が厳しい状態です。

私たち足元の日本でも、とうてい憲法が守られているとは思えない状況ですし、アメリカが変化したということも大きいと思います。今、世界中が転換期にあるんだなということで、後の議論をみなさんに預けたいと思います。

 

 

上村) 住民と敵対する開発プロジェクトは世界中にいっぱいあり、止まった活動もありました。いちばん敏感だったところは私の記憶だと、世界銀行でした。事業が止まることによって資金が焦げ付いてしまうことは、世銀にとってやはりプラスでないということで、ガイドラインを作る動きがありました。それを受けて、アジア開発銀行が真似して作ろうとするなかで、JBIC(国際協力銀行)やJICAが環境社会ガイドラインを作らなければならなくなりました。

私は、JBICのガイドラインを作る委員をしました。ガイドラインはNGOが異議申立をするための基準ではなく、開発にかかわっている企業がこれを守らなければいけないという基準として、当時熱心に議論しました。事前にどうやって合意をとるか、それは、相手先の国が法的に整備されていない場合もあるので、そこに日本がかかわっていく時、どうやってやるのかという点について議論しました。にもかかわらず、それらがいま生かされていないという状況があり、しかもそれが社会的に問題になっていない。そのことをどう問うべきかという思いがあります。そういった視点で、黒田さんからいろいろな知見をご紹介いただいて、今の我々の社会の在り方や、規制の在り方の課題についてお話いただきたいと思います。

 

 

 

――黒田かをりさんのお話――

私からは、企業のほうにもう少し視点を移す形で、いま、世界でどういうことが議論されているのかお話したいと思います。

ミャンマーのケースは、個社が企業の社会的責任を果たす以上に、ODAの案件であったり、政治が入っていたりと、ミャンマーという国の状況もあると思いますが、非常に複雑なものが絡んでいると思っています。私からは、ビジネスの視点からお話したいと思います。

当日KURODA

世界の供給網で――グローバル・サプライチェーンとILO等では言っていますが――、環境破壊や人権侵害がより複雑化した形で起きています。1980年代・90年代からさまざまなガイドラインができているにもかかわらず、経済開発の構造的な問題だと思いますが、そういった問題がなくならない状況にあります。

素材の生産から販売にいたるまで――サプライチェーンやバリューチェーンと呼びますが――、様々な段階で、そういった問題が起きています。

バングラデシュで首都ダッカ近くのダナ・プラザという商業ビルの倒壊事故が起き労働者の命が奪われたことはご記憶に新しいと思います。このビルが違法建築だったことも問題ですが、このビルの中に入っていた企業にはウォルトディズニー等がありました。そういった世界的に有名なブランドが、こういう所に生産委託していたことで、世界的に衝撃が与えられました。

家事労働をしている若い女性への人権侵害もあります。

メガスポーツといわれている、FIFAワールドカップや、オリンピックの建設現場で、非常に熱い中や、劣悪な労働環境の中で、労働を強いられていることもあります。

日本の新国立競技場の建設現場では、責任を負わされていた若い方が過労自死されたことが最近ニュースになりました。

このように労働人権に関するさまざまなガイドラインができています。今日は、国連の「ビジネスと人権に関する指導原則」についてと、英国で成立した「現代奴隷法」について少し触れたいと思います。

 

ビジネスにおける人権侵害 国家は法規制による保護を 企業は人権デューデリジェンスを

「ビジネスと人権に関する指導原則」については、基準・ガイドラインがあります。樹木に例えると、根幹に、世界人権宣言があり、国際人権規約がその上にあって、さらに「ILO中核的労働基準」があって、そういったものを基に、「ビジネスと人権に関する国連フレームワーク」や、「OECD多国籍企業行動指針」などがあります。

とくに、ILO中核的労働基準は、結社の自由および団体交渉権、強制労働の禁止、児童労働の実効的な廃止、雇用および職業における差別の排除ということで、日本はこのすべてに批准しているわけではありません。

ビジネスにおける人権侵害は減らないどころか、ますます深刻化しています。多国籍企業とNGOが対立する時期がありまして、それを克服しようということで、国連の事務総長特別代理として、ジョン・ラギー教授が任命されました。ラギー氏は、2008年に「人権の保護、尊重および救済枠組み」を提案し、人権理事会に満場一致で歓迎されました。ただし、2008年の文章と、その後、2011年の指導原則の間には、かなり乖離があって、そこには産業界からかなりプレッシャーがあって、人権NGOからすると不本意な形に少し変わったという話もあります。

「ビジネスと人権に関する指導原則」は、いまは、企業のガイドラインの基本的な指針になっていると思います。関連する規格やガイドラインに大きな影響を与えていて、「OECD多国籍企業ガイドライン」の改訂版に新しく「人権」の章が盛り込まれたり、「世界銀行グローバルスタンダード」、「赤道原則」(第3次改訂版)という銀行の投融資に関わるエクエーター原則、またILO「多国籍企業および社会政策に関する原則の三者宣言」の第5版(2017年3月)に、「ビジネスと人権に関する指導原則」が盛り込まれました。

 

この国連の「ビジネスと人権」に関する枠組みは、基本的に3つの柱からなります。まず、国家には企業を含む第三者からの人権侵害から保護する義務があります。企業は、バリューチェーンを通して人権尊重をすること。そして救済、じっさいに人権侵害にあった人たちを実効的に救済する手段に容易にアクセスできることを保障することです。この救済には、司法的なものと、非司法的なものとがあります。

まず国家が人権を保護する義務としては、「一般的な国家の規制および政策機能」や、「国家と企業のつながり」、「紛争影響地域において企業の人権尊重を支援すること」、「政策の一貫性を確保すること」といったことが書かれています。

二つ目に、企業が人権を尊重する責任があるということでは、「人権デューデリジェンス」が提示されています。まず企業が自分たちの長く伸びたサプライチェーン――途上国だけでなく国内にも外国人技能実習生などの問題があります――も含めて、まず問題がないかどうか、負の影響を特定し、実際にまだ人権侵害が起きていなくても人権侵害が起きるかもしれないという潜在的なものも含めて特定して分析する。

この際、市民社会とのエンゲージメント――市民社会ときちんと対話をすること――が非常に重要だと言われています。もし問題があればきちんと対処して、継続的に追跡調査して情報開示するというPDCAを回すようなものです。

ドイツでは、約500人超の従業員のいる会社の、少なくとも50%以上が人権デューデリジェンスを実施することを目標としています。日本は、政府が企業にこういった規制をかけることにものすごく後ろ向きですし、企業も規制をかけられることにものすごく反対しています。もっともこういう日本企業だけではないとは言われますが。

三つ目の救済については、苦情処理メカニズム(Grievance Mechanisms)をきちっと作らなければいけないということです。実効性を確保するための要件として、透明性があることや対話に基づくことなどが掲げられています。日本企業の多くは、ホットラインを持っていて、何か問題があった時に第三者的な弁護士につながったり、内部通報制度などはありますが、ここでいう苦情処理メカニズムはもっと広い意味です。たとえば住民であったり、その住民を支援しているNGOであったり、あるいは独立した労働組合、そういった人たちもアクセスできる仕組みです。日本の企業ではまだそれほどやられていないのではないかなと思います。

ご参考までですが、SDGs(持続可能な開発目標)は、いま企業でかなり話題になっています。「ビジネスが持続可能な開発への貢献を最大化するためには、持続可能な開発の人に関わる部分の核心において人権の尊重を促進する努力をしなければならない」(ジョン・ラギー教授)と提言されています。

 

「現代奴隷法」の対象となる日本企業

ビジネスと人権に関する指導原則や、OECD多国籍企業ガイドラインは、いわゆる法的拘束力の無いものなので、それをやらなかったからとして罰せられるものではありません。もちろん社会がそれを見ているということはあるかもしれませんが。

「現代奴隷法」がイギリスでそういったなか2015年に作られました。これは、米カリフォルニア州で2011年にできたサプライチェーン透明法を参考にしているといわれています。ここでいう「奴隷」の定義は、人身取引、強制労働、搾取(性的搾取、臓器提供の強制など)です。

この対象は、英国の企業だけでなく、英国で活動する、世界での売上高が3600万ポンドを超えるあらゆる企業です。多くの日本企業も含まれ、先ほどのティラワの工業団地に入る企業も対象になるところは多いでしょう。

「奴隷・人身取引声明」を、この対象となる企業は定める必要があります。あくまで情報開示をさせるものです。いま公共調達に関しても、報告要件に入れるという議論もされているようです。

 

投資家も支持するビジネスと人権指標

このほかにも、今いろいろ、ビジネスと人権に関する指標が――法的拘束力のないものですが――あります。

「企業の人権ベンチマーク」がいま話題になっていて、複数のNGOと投資家が開発し、合計5兆3億米ドルの資産を有する85人の投資家が支持しています。

「アパレル・製靴企業の透明性の誓約」。これはヒューマン・ライツ・ウォッチ等のNGOや、さまざまな国際的な労働組合が入っています。

「Know The Chain」も、サプライチェーンの人権問題に焦点を当てています。

これらは、基本的に、NGOが中心ですが、投資家も入ってきているのが最近の潮流なのかと思います。

 

日本政府も策定表明「国別行動計画」 人権侵害被害者や代弁者の声をもとに

指導原則は、法的拘束力がないので、これをもっとプッシュしていくために、条約化の議論が国連人権理事会で進んでいます。ただ、条約化にはとても時間がかかります。

一方、各国で国別行動計画(NAP)を作りましょうという動きがあります。2015年にドイツでG7サミットが開かれたときに、ドイツは労働者の権利に非常に取り組んでいる国ですので、首脳宣言のなかに「責任あるサプライチェーン」がしっかりと載りました。そのなかに「G7諸国は、国連ビジネスと人権に関する指導原則を強く支持し、実質的な国別行動計画を策定する努力を歓迎する」とあります。なお、その時点で国家行動計画を作っていなかった国は、カナダと日本だけでした。カナダは別の形で作っているという話でしたので、実質的には日本社会のみが作っていませんでした。

日本政府も、昨年(2016年)11月に、NAPを作りますよと発表しました。策定中または策定を表明している国のなかには、マレーシアやタイもあります。国家人権委員会がある国は、そこをベースに作っています。韓国の動きは情報共有しているのですが、韓国はかなり市民社会が主導するような形で作っていると聞いています。

 

国別行動計画のプロセスに関する指針としては、ビジネスと人権に関する指導原則に沿って作られることと、ステークホルダー・エンゲージメントが重要だとされています。最初にベースラインスタディーが重要になりますが、その際のエンゲージメントは、人権侵害の被害に遭う人たち、あるいは代弁者の声を吸い上げないと実際に何が起きているか分からないため特に重要です。国連・ビジネスと人権に関するワーキンググループが作っている指針のほかにも、ツールキットなどが作られていますが、そのどれを見ても、政府が勝手に作るものではないということがしっかりと書かれています。

日本政府に対して国別行動計画への提言を、ビジネスと人権NAP市民社会プラットフォームが行っています。同プラットフォームでは、社会的に脆弱な立場におかれた、または周縁化された人々へ視点と、平等および非差別の原則を重視することなどが提言しています。

 

開発の資金源 各基準に欠ける共通性

開発金融の人権に関する評価基準等は、「IFC環境社会パフォーマンススタンダード」が共通基準でしょうか。ほかに「ADB(アジア開発銀行)セーフガードポリシー」や、先ほどからJICAやJBICの話が出ていますが、「JICA環境社会配慮ガイドライン」などがあげられると思います。

公的輸出信用では、「OECD環境コモンアプローチ」や、「「JBICガイドライン」などがあります。

民間金融では、先述の「赤道原則」があり、日本の大手の市中銀行はこれにサインしています。

ティラワに限らず問題なのは、いまの開発案件には、政府資金だけというのはほぼ無く、JBICなどは必ず民間投資も引き入れる形でやっていますので、いろいろなお金が入っています。公的資金も、世銀のお金もIFCもJBICも入っていて、共通する基準がないので、それぞれがそれぞれの基準でやっているので、いろいろな穴が開いているといわれています。これは、木口さんのお話につながる問題点かもしれません。

 

 

――パネル対話――

当日UEMURA(上村英明)

上村)開発に関して、今の話にコメントいただけますか。

 

南北エリートのための経済開発に対する「倫理のグローバリゼーション」

参加者) ODA(政府開発援助)の内容、質が変わってきていると思います。ODAや開発が置かれている状況や環境が変わってきています。

1980年代は、南北という国境を線にして、豊かな北が貧しい南を助ける開発援助という位置付けだったのですが、今は木口さんの発表にあるティラワ等もそうだと思いますが、ちょっと違うのです。国境は関係なく、大メコン圏というタイ・ミャンマー・カンボジア・ラオス、その地域一帯をとらえてどう開発するか、になっています。

昔の国ベースでの開発だったら、たとえば首都に近い地域をどう開発するかという考え方をしていたと思います。でも今は違います。たとえばダウェイは、むしろタイに近い。それは、東西回路を考えた時に、そこが一番いい場所だという考え方で、国境を越えた開発になっています。

 

じつは、北のエリートと南のエリートがある種くっついて、北と南のエリートが、自分たちの生存適地をどうよりよくするか、そのためにそれを支えてくれる資源適地、土地や人を提供してくれる場所に一緒になって介入していき、そこで北と南に共通するエリートのための供給地を作ろうという形に代わってきています。それが、SEZ(経済特区)の開発で、まさしく人と土地の囲い込みです。

線の引かれ方が昔のように国境ではなく、南北のエリートと、そうではないところとの間をどういう関係にするかというなかでODAの案件があると思っています。

やっかいなのは、木口さんの話にもあったように、軍事援助のようなものが入るようになったことです。南北のエリートへの資源を提供してくれる人たちがいたとしたら、それへの抵抗は当然あって、それを抑え込むために、その地域にある治安部隊に適切に対応していただかなければ困るので、そのための協力をしましょうということです。

南北のエリートたちが自分たちの立場をどう確保するかということのなかで、昔ながらの「開発」という言葉で行われています。いまのODAは貧しい人を助けるという目的ではなく、南北のエリートが自分たちの経済成長をどう確保するためかの存在でしかなくなっています。これが、「開発」という文脈のなかで語られています。そういう理解をしているNGOが今だに多いと思いますが、ODAはもはや開発ではないと思った方がよいと思いますし、もしくは、それが開発だというストーリーがいまだに続いているのであれば、そのことを変えていかなければならないと思います。

 

黒田さんからビジネスと人権の話があり、これに対して私たちが無力かというと、決してそうではありません。

先述の南北のエリートとそうでない人たちとの間の対立は、ある種、グローバリゼーションのなかで起きていることです。

「倫理のグローバリゼーション」が、グローバリゼーションのもう一つの側面にあります。それがまさしく、黒田さんがお話になった点だと思います。そのなかには、人権のことや、気候変動のこともあるでしょう。そういう観点で、国境を越えて人々がつながっていくというグローバル化もあります。

そうではない南北のエリートがやろうとしていることに対して、私たちのグローバル化行動を推し進めていって、ちゃんとやってくださいよと言っていけるかは、たぶん大きな勝負のポイントになると思います。

 

 

上村) 気になるのは、日本の市民社会の関心が薄いことです。昔は、おかしいことが起きると、もっとムーブメントやレスポンスがあったと思うのです。その辺は、何が原因だと思いますか。

 

あふれる情報のなかで、判断し選択していく力は

木口さん) 大学で講義をさせていただいて、若い人の授業の感想を聞く機会がありました。グローバリゼーションがまさにテーマだったのですが、関心が余りないですね。ネットに情報があふれているので、そんなこと聞かなくても知っているよと言う人もいれば、自分には関係ないという人もいます。勉強する能力の問題というよりは、他人に対する共感度が下がってきていて問題だと感じない。一方、共感度が高い人もいて両極端になっているのが日本の全体状況としてあるのかなと思います。

日本の民主主義や市民活動は、「ある面」を見ないでもやってこられたところがあると思います。たとえば沖縄の問題。結局、沖縄に(基地の)負担を押し付けていたから、日本本土では平和を語れたけれど、実際には沖縄では憲法9条も守られていなかったではないか、といったことが明らかになってしまっていて。過去が否定されてしまったわけです。

アメリカが民主主義という価値観を広めようとした一方で、東西冷戦の時代に敵対する国にいろんな策略を仕掛けたり独裁政権を支持したりした。その流れの中で、日本も外交政策を行っていたという事実があるわけです。最近驚いたのは、カンボジアで市民運動への弾圧やメディアの封鎖等が起きていますが、野党の党首が逮捕され、その理由が「アメリカと共謀して国家を転覆させようとしている」でした。逆にそういう事がアメリカに言えるようになってきている、とも言えます。アメリカが「世界の警察を辞めますよ」といった影響もあるでしょう。

いままで私たちの市民活動は、アメリカの民主主義の理想に乗って行われてきた側面があります。理想を広げる活動をしていた人たちも当然いるけれども、その裏面で起きていたこともあったわけです。今、ソーシャルメディアでだれでも情報を発信し取れるようになり、いろいろなレベルの情報がぜんぶ表面に並ぶようになりました。情報が、自分なりの考えやポジションを作る前に押し寄せてきて、判断し選択して行く余裕もなく、安易な方向に流されやすくなっているのかなと感じます。

 

市場経済のなかで社会課題に向き合うには

黒田さん) NPOやNGO、市民社会と言われている人たちが、市場経済に反対するという動きがありましたが、いまは、そこはあまり問わずに、市場経済のなかで活動していこうという動きがあると思います。その使い方が問題です。

「社会課題をビジネスで解決しよう」という動きが日本にあって、若い人たちも、社会企業家はカッコいいという人たちがけっこういます。NPOやNGO自身も、企業と連携してWin-Win関係を作っていくとか、SDGsもそうですがビジネス機会でもあるので上手くそこにつながっていこうとする連携志向があると思います。

他の国では、企業への働きかけの仕方が市場経済の中で行うにしても日本とは違います。たとえば、年金基金を動かしてそこから企業にプレッシャーをかけるとか、消費者運動をしている人たちと連携して企業を突き上げるとかがあります。

先述のヒューマン・ライツ・ウォッチの動きでは、国際的な労働組合とNGOがタッグを組んで指標を作ったりしていますが、日本ではそういう動きがほとんどありません。日本の労働組合から、NPOやNGOと付き合うことを躊躇していると聞いたこともあります。

また意外と、消費者グループとNPO・NGOがつながっていなかったりします。最近少しつながるようになってきたのかなとは思いますが、非営利セクターのなかも分断されているように感じます。

 

 

――グループ発表とゲストのコメント――

~グループ対話を行い、それを会場全体で共有するために発表しあい、ゲストにコメントいただきました~

 

グループ発表1)「JICAの満鉄化」。

ダウェイという陸の孤島のような場所に、なぜ巨大なSEZ(経済特区)が作られなければならないのでしょう。ミャンマーの役に立ちようのない場所にあります。ミャンマーの首都からは陸路で行けませんし、バンコクからも鉄道は直結していません。やることも1960年代の計画です。造船、製鉄所、石油化学プラントの建設は、いまのグローバル経済で成立しえないような計画です。

それでもこれが進行しているのは、非常に政治的な思惑が大きいのではないか。そこに、JICAが加担して進めているというのは、「満鉄化」と考えた方が理解しやすい。

もちろん満鉄にも現場の技術者には非常に優秀で誠実な人もいた。それは、JICAも一緒です。でも組織としてどういう役割を担わされているかは、満鉄がどういう結果をたどったかをみれば分かるわけです。

 

JICAの国策会社化という意味です。JICAと協力していろいろなことをやりましたが、最近の様子を見て、国策会社化して満鉄化していると、ある時、思い浮かびました。

満鉄は、日本政府が周囲の都市開発をしながら、総合的な産業開発を起こしています。そのなかに岸信介がいて、鮎川財閥(現 日産)とタイアップして、総動員体制を作りあげた。その開発の中心的な存在が満鉄でした。

 

上村) 一回やり始めたプロジェクトを反省できない。これだけ投資したから、これだけ兵隊が死んだから絶対引けないという形で、破滅まで行ってしまう。この点も、満鉄や満州経営の基本にあって、今の開発も案外それに近いものがあるかもしれません。

 

参加者) いまの日本社会の状況が、満鉄を生み出した戦前の状況に似ていると、残念ながら言えると思います。

 

 

グループ発表2)日本社会でなかなか関心が持たれないのはなぜか。

報道がなされず、誰も知らないことが多い。また、開発している企業のCSRの方も知らずに、NGOから質問状が来て、驚いて調べて、こういう状況だったことに愕然とした方もいる。日本の生活水準全体が落ちてきて、他者に関心を向ける余裕が無くなっていて、自分の生活で精いっぱいなのではないか。国際協力や社会貢献をしている人への反発が起きているのではないか。

オレオレ詐欺がはやっているのも、自分たちの家族さえよければよいという感情がむき出しで、自分の子どもや孫を助けようとするあまり詐欺に引っ掛かるのではないか。

政府が国民の批判が無いことをいいことに、好き勝手をしてしまう状況があるのではないか。

お金で全てを解決する風潮があるのではないか。社会関係をお金で買う。介護や育児も。お金を出さない所には全く関心が行かず、日本の社会全体が直面している課題にも関心が薄いのではないか。

それをどう変えるか。今日お話しのあった人権基準やガイドラインをしっかり日本社会に広げていくという考えが出ました。

 

 

グループ発表3)なぜ、いまだに日本の国と企業が一緒になって、海外現地住民を苦しめるような開発を行っているのか。

国別行動計画(NAP)のような国連のスタンダードを利用して、チェックをしていくことが大切。

企業のCSRの重要性が言われて久しいが、まともになった企業もあれば変わっていない企業もある。

国や企業の権力に対する対抗勢力のつくり方が、日本の市民社会でなかなかできていないのではないか。

 

企業活動が人権侵害に結びつかないよう法規制 自主的な人権尊重は教育から

グループ発表4)全体として課題があるのは分かるが、方向性、どうすればいいのか、どっちへ向かっていけばよいのか、大きな疑問がある。

日本は、市民社会が弱い。国が決めて、そこに国営企業でなくても大企業がタッグを組んでいて、そこから物事が下りてくることを信頼する傾向があるのではないか。

 

ビジネスと人権に関して、原則とそれが実際に現場にどれだけ降りてくるかには、大きな乖離がある。やはり現場は、納期やコストカットに追われ、利益を上げなければならない制約のなかで動かなければならず、企業の自主性に任せるだけでは対応できないのではないか。第三者的な立場や、政府の規制が持つ役割が大事なのではないか。それぞれのセクターのもつ役割を考えなければならないのではないか。

 

 

木口さん) 私も企業で短い間ですが働いたことがあり、企業として競争のためにしなければならないことがあるのは分かります。それをどう人権侵害に結びつけないでやっていくか、そのためにいろいろな規制があるのは良いことだと思います。しかし、その規制を、社会の周縁にいるような立場の弱い方が効果的に使えるようになるには、サポーターがいないと難しい。そこにNGOの役割があると思って、私たちは活動をしています。ただ起きている出来事が大きすぎて、一石を投じるだけで、なかなか波紋が広がっていかないと感じています。

更に日本の人権意識の低さ、日本がだんだん民主的な国でなくなってしまっている危機感がありますが、今日はそれを共有できて少しほっとしました。

 

 

黒田さん) やはり、法律なのかなと思います。つまり、企業の自主性に任せるという段階ではもう問題が解決しないということで、法制化の動きが世界的に起きています。今そういった指導原則のようなものと、法制度とを組み合わせていくという話が出ています。法制化となれば、開示は格段に進むと思います。

一つの事例として、紛争鉱物というのは、レアメタルについても、どこから産出したものか情報開示しないといけないというアメリカの法律があり、日本企業にも大きな影響を及ぼしています。そのように、一定の枠組みが必要なのではないかなと思いました。

先ほど、人権侵害の特定をして評価をする、予防もして、問題があれば対応していくという一連のプロセスである人権デューデリジェンスの話をし、ドイツでは約500人超の従業員のいる企業での実施を目標としているというお話をしましたが、実施する企業が50%に満たない場合は、法的義務化も検討するようです。また、EUでは非財務情報の開示も義務付けしています。英国では現代奴隷法の話をしましたけれども、フランスでも同様の法律が作られています。

 

法務省のホームページを見ますと、人権というと、人権課題ごとにグルーピングをしているので、自分がそういうグループに入っていない、あるいは自分の周りにそういう人がいなければ、遠い世界のように思えてしまう。

けれども世界人権宣言をみると、教育の権利、政治の自由や文化、ありとあらゆる権利で、普遍的なもので、私たち一人ひとりが持っているものと書かれています。日本では人権の理解の仕方や教え方がそもそも違うのではないかと思うことがよくあります。そういうところに、国連の「ビジネスと人権に関する指導原則」を持ってきても、耕されていない畑にいくら種をまいて水をまいても芽が出てこないのと同じかなと思うこともあります。

 

参加者) 黒田さんがおっしゃった、法律に大賛成です。規制がなければ残念ながら変わっていかない中で、衆議院解散という話もあるので、人権について子どもの権利も含めて、いろいろ権利に関心のある人をみなさん選挙で選んでほしいなと。そこから始めないと、法律も作れないし、いい法律も提案されないし、提案されても否決されてしまう。近々のところでは、そういう選択肢が大事なのではないかなと思いました。

 

 

外発的な開発 持続可能な社会づくりを現地住民から学ぶ姿勢を

参加者) 開発が内発的か外部的なものか、というもう一つの視点が重要だと思う。とくに、ダウェイはそうです。ミャンマーが内発的に与して発展していく上でどうしてもやらなければいけない事業だとは到底思えない。勝手に外国から持ち込まれて、勝手に外国が資金を出して、おそらく環境破壊も人権侵害もやるだろう。そういう意味で、内発的かどうかという角度も必要だろう。

とくにミャンマーで感じるのは、銅鉱山で被害を受けた農民の「私はここにいたい。農業を続けたいんだ。農業をやめてティラワに行って、労働者になんかなりたくないよ」という発言が典型的だと思うのです。内発的というのは、彼らにとっては、自分が続けてきた営農が続けていけるかどうかが正にそうで、外から持ち込まれたダウェイのようなものは外発的なものです。

そういう意味で、ミャンマーにとって、国民経済にとって、本当に何が一番必要なのかという角度で見にいくことが必要だと感じました。

 

参加者) 内発的発展ということをおっしゃられたことについて。じつは私もアフリカのモザンビークのプロサバンナ事業の問題に関わっています。それも小規模農家の人たちがJICAがやろうとしている大規模開発に抵抗しているのです。彼らがおっしゃっているのはやはり、自分たちのやり方、自分たちのペースで農業や開発を続けていきたいし、十分に自分の息子たちを大学に出せているから、なにも外からそのようなものを持ちこまないでほしいと。

いま大型の開発が世界的に増えているので、抵抗する住民たちが増えていて、JICAはそれをただ単に抵抗しているとしか見ません。しかしいま話題になっているSDGsなどでやろうとしている持続可能な社会をどう創るかのヒントが、現地住民たちやっている生き方や開発の仕方に、たくさん隠されているのです。ですから、それを抵抗とだけ見るのではなく、そこから学ぶことがたくさんあると、なぜJICAの人たちは考えられないのだろうと思っています。「JICAの満鉄化」と言われるように、ぜんぜん学ぼうという姿勢がないけれども、もっとそういうところに目を向ける姿勢が必要だと思います。

 

 

実体のある民主主義の構築から

上村) 本当の民主主義をこれからどうやって再構築していけるのか、かなり深刻な問題を僕ら社会が共有していかないと、海外開発援助の問題は変わらないだろうなと思います。

じつは日本が戦後出発した時に、憲法が変わったと同時に教育基本法を変えたのです。問題は、教育基本法を変えてから成果がでてくるまでにタイムラグがあったことです。じつは1947年ぐらいに、日本でのアンケートがいくつかあるのですが、爆撃を受けていない都市で若者にとったアンケートでは、この戦争の問題が何かという問いに、60%位の人が「負けたことだ」と回答していたのです。自分たちの軍国主義などが問題なのではないのです。日教組はこの結果にびっくりして、どうやって日本で平和教育をしていくのかと。

よく考えれば、システムは変わったけれども、教員はすべて戦前のままなのです。戦前の教育を受けた教員、警察官、役人、そういうなかでどう平和を教えていくのかということに苦労して、今の社会までかろうじてたどり着いたわけです。法システムはそれを使う人間を同時に変えていかないと、社会の変化は実現しない。すごく難しい問題を抱えています。この場も今の一般の教育課程でやらないことを我々でやりましょうよという、ある種の教育システムであると思います。

今の状況を考えるに気をつけなければいけないのは、簡単な「市民参加」や簡単な「遵法精神」という言葉でごまかされないようにすることだと思います。たとえば僕がJICAの職員であれば、住民から賛成の人をたくさん連れてきて「こんな住民もいます。これが市民参加なんです。反対の人もいますけど、それは一部なんです」とやります。

また、政権は「法的には守られています。遵法です」というので、いろんな人たちが最高裁へ訴えても、すべて却下されるわけです。きれいな言葉に僕らはごまかされてしまう、そういう社会状況にあると思います。

民主主義を実体的に守っていくということはどんなことなのか、ということを社会システムのなかで再構築していかないとものすごく危機的だと思います。

海外開発援助に関する問題が、日本の影響下でやはり出てきてしまうということは、戦争から反省したとはいえ、その再構築が足りなかったからだと思うのです。この民主主義の再構築と同時に、ミャンマーの問題のように具体的な問題を解決していくことに結びつけていくことが一番重要だと改めて思いました。

 

 

 

 

●今後の企画ご案内 『ソーシャル・ジャスティス基金 助成発表フォーラム第6回』

【プレゼンター】第5回助成先・第6回助成先

【日時】2018年1月9(火) 18:30~21:00

【会場】都内

※第6回助成先が決定後、ホームページ等でご案内いたします。ご予定いただけましたら幸いです。

 

*** 今回の2017年9月21日の企画ご案内状はこちら(ご参考)***

 

 

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