ソーシャル・ジャスティス雑感(SJFメールマガジン2024年3月13日配信号より)
消費者としての市民と自律した市民
土屋真美子
自宅の近くに、池のある公園がある。あまり広い公園ではないが、近隣に園庭のない保育園が増えたこともあり、遊びに来る園児でにぎわっている。犬の散歩やラジオ体操をする人、未就学児とママたち、昼時にはベンチでお弁当を食べる人も多い。おしゃべりする仲良しさんたちに交じって、時々、サラリーマンらしき人がベンチでボーっとしていることもある。夕方には中高生らしい子どもたちが騒いでいる。つまり、朝から夕方まで、多種多様な人が利用している公園なのである。
そこに突然、区は「パークPFIをこの公園に導入します」という決定をした。パークPFIとは、国交省のHPによると「都市公園において飲食店、売店等の公園施設の設置または管理を行う民間業者を、公募により選定する手続き」とある。要は、民間活力導入により、そこでの収益を公園整備に還元する、というものである。私がパークPFIと聞いて思い浮かぶのは、宮下公園ぐらいである。ホームレスのたまり場だった公園に商業施設を建てて、おしゃれな若者の聖地になった、あそこである。だから当然、「住宅地の小さな公園で、なんでパークPFI?」と思った。
パークPFI導入に向けて、区は実証実験と称して、キッチンカーや出店によるイベントを公園で開催し、「この公園には何が欲しいですか?」というアンケートを実施した。イベントは大盛況で、2日間で1万2千人の参加者があったそうだが、その7割が地域外の人だった。そして、アンケートでは「レストランが欲しい」「毎日、キッチンカーがいると便利」など、多くの要望が寄せられた。実証実験とは公園を商業施設と見立てての、マーケティングなのか?
という批判が恐れてか、近隣町内会や商店街、そして住民たちにも説明会を開いた。その中には、ボランティアで公園管理に関わる人も含まれている。そこでの要望は、実証実験でのアンケートとは全く逆で、「このままで良い」「ぼんやりできる、貴重な場所」「今これだけ使われているのに、何をしたいのか?」というものだった。非日常として遊びに来る人と、日常で公園に関わっている人との違いであろうが、これだけ異なるニーズをどうすり合わせするのか、地域住民としては気になる。
市民と行政の関わりは、以前は市民が要望を行政に突き付け、対立することが多かった。その後、市民が参加して意見を施策に反映させる制度が整い、さらにNPOが公共事業の担い手になる「契約」関係が増え、それが協働という関係に進化していった。しかし、協働が成熟しないうちに、「民間活力」の導入として企業の資金力を行政があてにするようになってから、NPOという市民の集合体と行政との関係ではなく、消費者としての市民としての役割が全面に出てしまい、参加や協働は後退している感がある。市民参加のまちづくりそのものの停滞である。
最初に紹介したイベントの時に、一人の未就学児が「人が沢山いて、遊び場がない。いつもの公園の方が良い」と言ったという話を聞いた。彼女は、普段の公園を「私の公園」だと思っている。多分、彼女は公園を大事にする大人に育つだろうし、育ってほしい。彼女がそのつぶやきを大事にできる大人になるように、私たちは消費者ではなく、自律した市民としてまちづくりに参加したい。 ■
○コラム執筆者:土屋真美子
SJF運営委員・企画委員。NPO法人まちぽっと理事。 民設民営の市民活動情報/支援センターの草分け「まちづくり情報センターかながわ(アリスセンター)」の事務局長として、長年現場の様々なコーディネートを行う。その後、「ファイバーリサイクルネットワーク」「よこはま森のフォーラム」等の環境保全運動、NPOの評価システム研究など、幅広い分野で活躍。