委員長のひとり言(SJFメールマガジン21年1月20日配信号より)
2021年改めて社会的公正が実現できる市民社会の構築へ
-トランプ支持者の連邦議事堂乱入を考える-
上村英明(SJF運営委員長)
コロナ禍がどうであろうが、地球は太陽の周りを回り続け、世界は今年も新しい年になった。めでたいことだし、よい年にしたいが、現実はそう簡単にうまい方向に行きそうもない。COVID-19の新規感染者の急増や医療設備のひっ迫の中、日本政府は、1月8日、1都3県を対象に緊急事態宣言を発令し、14日には7府県が追加された。そして、日本におけるコロナ禍は天災としての側面と同時に政府の無為無策・誤った経済優先政策として人災の側面を拡大している。
それはさておき、いろいろ考えることが多かったのは、発令決定直前の1月6日(米国東部時間)米国の首都ワシントンDCで起きた事件だった。昨年の大統領選挙での敗北を認めないトランプ大統領の支持者が、連邦議事堂に大挙乱入したのである。その映像や写真は、これは何なのだと目を疑いつつ、2つの情景の記憶につながった。
ひとつは、1917年ロシアの10月革命で臨時政府が置かれたサンクトペテルブルクの冬宮へのボルシェヴィキと民衆の突入(映画『レッズ』1981年)であり、もうひとつは、1832年フランスにおける6月暴動でパリ市内に築かれたバリケードを守る市民の姿(映画『レ・ミゼラブル』2012年)であった。連邦議事堂にはためく旗やプラカード、あるいは、壁をよじ登り、ドアや窓を破る人々をみれば、その様相は酷似している。
しかし、よく考えれば、内実は逆ではないか。1月6日に連邦議事堂に突入したのは、米国の最高権力者であるトランプ大統領の支持者であり、彼らの闘う相手は、少なくとも民主的な手続きで選ばれた新大統領であり、連邦議会に代表される民主主義の制度そのものなのだ。
つまり、連邦議事堂に突入した集団は、圧政から立ち上がろうとしたロシアの民衆でもパリの市民でもない。むしろ、理不尽な権力者とともに、白人至上主義、反環境保護、反移民・難民で、自らの集団の既得権益を守ろうという権力側の市民に他ならない。
新大統領にまもなく就任するバイデン氏は、1月8日のテレビ演説で、こうした市民が権力側であることを明らかにするためか、「BLM(ブラック・ライブズ・マター:「黒人の命は大事だ」運動)の支持者による抗議だったら警察の対応は違っていた」(BBC News 2021/01/08)と表明した。今回の抗議集団が黒人を中心とした人々であれば、もっと多数が簡単に殺されていたという黒人活動家の意見も多い。(BBC News 2021/01/14)
もちろん、トランプ大統領の支持者には、Qアノンのような白人至上主義の陰謀論者(トランプ氏を、米国を乗っ取ろうとしている地下組織と闘う英雄とみなす)もいるが、その支持層の中心は、ラストベルト(Rust Belt:錆びた地帯)と呼ばれる地域の労働者や中西部の農民だと言われている。ラストベルトには、アパラチア炭田の石炭産業が位置し、デトロイト、ピッツバーグなどの自動車や鉄鋼などの重工業都市が連なり、かつては米国の中核的工業地帯のひとつだった。しかし、地球温暖化対策で化石燃料の見直しが行われ、重工業もグローバル化の中で外部委託が進んで、不況と失業にあえいできた。さらに、中西部の農民も、グローバル化による農産品の自由化の波に直面している。
こうした人々が、トランプ大統領の唱える「アメリカ・ファースト(アメリカを最優先に)」や「メイク・アメリカ・グレイト・アゲイン(アメリカをもう一度偉大に)」というスローガンに引かれ、白人至上主義や排外主義を標榜する市民に変貌するようになったと考えられる。
実は、この傾向は、トランプが大統領職に就いた2017年に始まったわけではない。彼の最初の大統領選挙への挑戦は、2000年の大統領選への米国改革党というマイナーな政党からの出馬に始まる。その時には予備選で撤退するが、この時期はグローバル化と市民社会の関係が極めて重要な時期でもあった。それは、1999年米国の西海岸北部シアトルで開催された、WTO(世界貿易機関)の第3回閣僚会議である。
WTOは、GATT(関税及び貿易に関する一般協定)の後継組織として1995年に設立されたが、自由貿易体制を促進することを目的とした機関、つまりグローバル化を推し進める中核機関である。そして、WTOの第3回閣僚会議は、他の要素もあったとはいえ、全米そして国際的な何万人というNGO・市民社会の抗議と連帯の中で失敗に終わった。
事件は、「シアトルの戦い」と特筆され、これを機に、1990年代に見直されるようになったNGO・市民社会の評価がさらに高まることとなる。しかし、「シアトルの戦い」は、WTOのトップダウン型のグローバル化には反対でも、それに代わる社会の構想を貿易・労働・環境・人権などの視点からみれば、NGO・市民社会はいろいろなグループの呉越同舟であったとも言われている。
化石燃料産業の労働者の組合には脱炭素社会を目指した環境保護は認めがたく、ブルーカラーの労働者には移民・難民は受入れ難い。途上国のNGOには植民地主義の清算は不可欠だが、先進国のNGOにはこの視点が弱い。
こうした市民社会の多様化あるいはこれを巧みに利用した権力による組織化を伴ってグローバル化が進む中で、排外主義的で暴力主義的な市民社会が成長し、彼らがトランプの支持者になったとすれば、この現象自体が一定程度グローバル化している。つまり、彼らはトランプの支持者であるとともに、日本の文脈では、安倍や菅政権の支持者である。安倍政権や菅政権は、美しく強く豊かな日本を強調し、米国の兵器を買い、オリンピックの開催に固執し、携帯電話料金の割引を進める。これらの政策がこうした市民の気持ちをくすぐるからである。
その意味で、改めて、ソーシャル・ジャスティス基金が目指す社会的公正の視点を持った市民社会の構築の重要性を強調しておきたい。グローバル化した社会では、グローバルな権力と国境を越えた市民社会の連帯が対峙するだけではない。社会的公正の視点を持った市民は、ある意味、排外主義的で権威主義になびく市民とも対峙しなければならない。
NGOの中でさえ状況は同じである。1998年以来日本でも制度化の下に置かれたNGOも、現在ではプロジェクトベースで政府と「協働」する一方、その背景にある政府の政策に異議を唱えることが少なくなったと感じることも多い。
ともかく、社会的公正に基づく市民社会の構築には、さらに、もうひとつの流れを作ることも必要だろう。少なくとも、日本では、排外主義的で権威主義的な市民社会の構成員になる人々の多くはその前段階で、基本的に政治あるいは政治的なものに無関心である。つまり、政治に無関心な市民層に、政治に関心をもつ、新しい動きを作らなければ、社会的公正の視点を持つ市民社会はエンパワーできない。
評論ではない新しい言論を作る必要である。いくつもの提案があるだろうが、この年初には、新しいコミュニケーションの手段で、政治に切り込む若い世代を紹介しておきたい。まず、沖縄在住のコメディアンで、「せやろがいおじさん」の名でYouTubeを使って政治を分かりやすく解説しているのが榎森耕助氏だ。2017年からドローン撮影を使って、「ワラしがみ」という配信を行っている。僕も「せやろがいおじさん」のスポーツタオルを持っているほど、ポイントがよく整理されて、論理展開も分かりやすい。
つぎに、朝日新聞の論座に2020年からハンドルネームで登場するようになったツイッターデモを駆使するインフルエンサー「Dr.ナイフ」氏である。彼は次のように書いている。「僕がまさにそうなんだけど、少し前まで政治にほとんど興味がなく、選挙もサボることが多く、誰が総理大臣になっても同じだと思っていた」人たちが周囲に多かった。そうした人々をツイッターで「今起きている政治の異様さに驚き、危機感を持ち、きちんと政治に向き合う」人に変えようという、ある種「架け橋」の仕事に取り組むようになった(「はじめまして、Dr.ナイフです。」『論座』2020/07/26)。
最後に、編集者でNGOの理事を務める一方、ブロガーでもあり、TBSラジオでパーソナリティもこなす「荻上チキ」氏がいる。彼の番組の企画もなかなかだ。その他にも多くの若い世代がいるが、いずれも新しいメディアで活躍している。ソーシャル・ジャスティス基金のネットワークも、こうした若い世代への影響力をさらに拡大するよう努めたいものだ。大学の教員やリベラル評論家は、僕も含めて、市民社会に語る言葉をもう少し分かりやすく、かつもう少し研ぎ澄ませた方がよいのかもしれない(笑)。