ソーシャル・ジャスティス雑感(SJFメールマガジン2020年9月16日配信号より)
慰霊から考える二つの平和
(大河内秀人/SJF企画委員)
平和には、向き合い方によって二種類ある。一つは既得権者が守ろうとする平和であり、もう一つは被抑圧者が獲得しようとする平和だ。今年も8月は戦争に関連した慰霊行事が各地で行われ、メディアでも平和をテーマにした番組や論説が流され紹介された。それらがどちらの側の意図で組まれたか、参加し受け止める人がどちらの側で共感するかでその意味は大きく違ってくる。
「今の私たちの平和は、戦争で亡くなられた人たちの尊い犠牲の上にある」という言葉も、慰霊の式典では必ずと言っていいほど出てくる。しかしその言葉は、国民的一体感を形成しつつ、一人ひとりの個別の無念さや悲劇に至る本当の原因を覆い隠す。
私が住職になった1983年当時、寺の総代世話人の多くは戦友会の役員であり、熱心に墓参に通うご婦人はいわゆる戦争未亡人が多く、戦争体験は苦労話として語られ、戦死者は「英霊」として慰められる。宗教者としては命の現実から正義や真実に救いを求めるべきであるが、国家の価値観の中に居場所のある年老いた善男善女の心情を慮らざるを得なかった。それでも彼らの話に耳を傾けることは意味があった。戦争の犠牲となった肉親の位牌や遺影、墓碑に向かう表情から、何に怒り、何に目を瞑り、何に納得しようとしているか、戦争を知らない世代の住職としてどんな供養を引き受けていくべきかが私のテーマになった。その思いが私を内戦下のカンボジアや占領下のパレスチナに向かわせ、わずかながらも戦争の只中にいる人々と時間と空間を共にすることができた。
平和には立場によって違う概念があると言葉として私に教えてくれたのは、1991年にエルサレムで出会ったユダヤ教のラビ(聖職者)だった。軍事占領に抵抗するパレスチナ人の暴力を抑え、イスラエルには平和に暮らす権利があるというこの主張は、圧倒的な力の差を前提として成り立つ。自分たちの安全=正義という論理ですべてが許され、石礫には機関銃、テロには最新鋭の戦闘機とミサイルで報復する。一方、占領下で移動も制限され、ライフラインも支配され、生活がずたずたにされたパレスチナ人にとって、人権の獲得、抑圧からの解放こそが求めている平和だ。イスラエルにもこの差別や人権状況を問題にし、真の和平をともに築こうという人々がおり、双方のNGOの努力も続けられている。しかしトランプ米大統領の政策をはじめ世界の状況は、人権や民主主義には逆風だ。
話を日本に戻すと、戦争当時の生存者も少なくなり、閉ざしていた口を近年になって開く人も出てきた。新たな歴史的事実も明らかになっている。しかし戦争体験者も減り、若者の政治への無関心が顕著になる一方、周辺国への憎悪が煽られ、敵基地攻撃能力の必要性まで語られている。
今一度、慰霊の意味を問い直し、国家の論理を超えた、いのちの本当の願いへの想像力を高め、まやかしの安全・繁栄ではない社会正義の実現に向けた平和を示していきたい。(記 2020年9月10日) ■