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ソーシャル・ジャスティス雑感(SJFメールマガジン2024年5月15日配信号より)

 

危険な英雄主義に抗うために

金子匡良

    

  • 英雄のいない国は不幸か?

 ブレヒトの戯曲『ガリレオの生涯』(谷川道子(訳)/光文社文庫)では、地動説を唱えて宗教裁判にかけられたガリレオ・ガリレイの生き方を通して、学問の社会的意義や、学問と権力との関係性が描かれている。この作品中、最も有名な場面は、英雄をめぐってガリレオと弟子のアンドレアの間で交わされる、次のやり取りであろう。教会に抵抗するガリレオを英雄視していたアンドレアは、ガリレオが圧力に屈して地動説を撤回したと知ると憤慨し、「英雄のいない国は不幸だ!」と嘆く。これを聞いたガリレオは、「違うぞ。英雄を必要とする国が不幸なのだよ」と答える。

 この場面の解釈は人それぞれであろうが、洋の東西を問わず、人びとは英雄を希求し、その活躍に陶酔を覚える。いわゆる英雄主義(ヒロイズム:heroism)である。これが「推し」レベルの心情であれば、日常のちょっとした楽しみ程度のものに過ぎないが、これに便乗して大衆を扇動すれば、ナポレオンやヒトラーの例を挙げるまでもなく、歴史を大きく動かす動力源となる。もちろん、社会改革を成し遂げた英雄も少なくないが、社会にとって英雄はいわば劇薬であり、極めて危険な副作用を孕んでいる。

 

  • 英雄主義の発生要因

 社会に閉塞感が蔓延していくと、それを打破してくれる存在として、人びとは英雄を求めがちになる。先に挙げたナポレオンやヒトラーは、まさにそうした社会状況の鬼子として生まれてきた。政治は人びとに、より良い生活を実現するための営為であり、選挙はそれに適した政策と政治家を選ぶ仕組みであるが、社会に盲目的英雄主義が広がると、政治や選挙の本質は見失われ、英雄の主張は絶対的真理となって、人びとは熱狂的にそれを支持するようになる。

 英雄への支持が陶酔となって快楽をもたらすようになれば、支持すること自体が自己目的化してしまうのである。アメリカの「トランプ現象」は決して遠い国の話ではない。私たちの中にある英雄主義に常に警戒していなければ、英雄は響きの良いキャッチフレーズを携えて、いつでも私たちの中から出現することになる。

 

  • 身近な英雄主義

 さて、この流れで引き合いに出すのは誠に恐縮であるが、身近な英雄主義として、大谷翔平選手と藤井聡太棋士への熱狂的支持が気になるところである。所属チームであるエンジェルスやドジャースの勝敗には関心を寄せず、大谷選手の活躍ばかりを報道するマスメディアに、盲目的英雄主義を感じるのは私だけであろうか。あるいは、藤井棋士の八冠達成を祈念するあまり、相手棋士の敗北をこぞって願うかのような雰囲気が、日本中に充満しているように感じたのは、私の思い過ごしであろうか。野球や将棋という競技そのものを楽しむのではなく、特定の競技者に自己の感情を過度に移入し、その活躍に陶酔的な悦楽を感じるのであれば、競技そのものの意義を見失うことになる。

 「そんな大袈裟な。たかが野球や将棋ではないか」と片付けるのではなく、こうした身近な英雄主義から一歩離れて身を置くクセをつけることが、英雄主義の社会的な副作用に対する耐性に繋がるのではないだろうか。「英雄を必要とする国が不幸なのだよ」とのガリレオの言葉は、英雄主義に対する警句として、私たちが常に意識しなければならないことである。英雄は自ら英雄となるのではなく、私たち自身が英雄を作り出すのであるから。

 

  • 英雄主義に抗うために

 では、危険な英雄主義を拡大させないためには、どうしたらよいのであろうか。英雄は、ことあるごとに上辺だけの社会の“一体感”を捏造しようとする。「民族」、「国民」、「歴史」、「伝統」などはそこで利用される常套句である。そして、その一体感に収まりきらない者を排除しようとする。

 そうであるからこそ、危険な英雄主義と対峙するためには、社会の多様性と弱者の声を訴え続ける必要がある。偽装された社会的一体感の中でかき消されそうになる女性の声を、性的マイノリティの声を、外国籍住民の声を、障害者の声を増幅し、社会に響かせることができれば、人びとは徐々に社会の多様性を受容するとともに、一体感を取り繕おうとする英雄主義者の言葉に疑念を覚えるようになるであろう。

 SJFの助成先は、社会の多様性を創造するための活動をしている団体が多く、こうした団体の活動が根づいていけば、盲目的な英雄主義を許さない社会に繋がるはずである。SJFには、社会的多数者が見たがる一体感の幻想をかき乱し、「私たちはここにいる!」と声を挙げる人びとを応援し続けることを期待する。      ■

 

 

○コラム執筆者:金子匡良

 SJF元運営委員。法政大学法学部教授。専門は、憲法・人権法・人権政策など。著書に『人権ってなんだろう?』等、共著に『人権の法構造と救済システム: 人権政策論の確立に向けて』等。NPO法人まちぽっと元理事。

 

 

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