ソーシャル・ジャスティス基金(SJF)アドボカシーカフェ第88回開催報告
精子提供・卵子提供・代理懐胎で親になる
~「親のエゴ」論の先に対話をひらく~
2024年8月31日、ソーシャル・ジャスティス基金(SJF)は、ふぁみいろネットワークより、戸井田かおりさん(共同代表/被精子提供家族)、綾原みなとさん(共同代表/被卵子提供家族)、大島海都さん(トランスジェンダー/被精子提供家族)、佐伯英子さん(共同代表/社会学者 専門:ジェンダー・家族社会学)を迎えてSJFアドボカシーカフェを開催しました。
「『かわいそう』ではない普通の子どもと同じ」だと、精子提供で生まれた娘がインタビューで答えたエピソードを戸井田さんは語りました。精子提供で子を産むことは親のエゴだという言葉が世間から投げられることがありますが、それは子ども自身の人生が幸せかどうかで示されるとの考えを戸井田さんは示しました。
第三者が関わる生殖を選択する権利を保障した国々では、それに関わる全ての人たちの人権を守る対策をとれることが佐伯さんから説明され、そのような人それぞれが尊重されることは子どもの幸せや福祉に直結するとの考えを綾原さんは示しました。
しかし、多様な家族や第三者提供による生殖を秘密事としてタブー視する社会では、親も子も誇りを持って自分のヒストリーを捉えられないとの懸念が多々出されました。トランスジェンダーが精子提供で子どもを授かった物語を、大島さんは子どもが幼い時から段階的に告知していることを語り、子どもを一人の人間として尊重し、子どもが理解できる道筋を考えて告知してきた結果、子どもはポジティブに受け止め、自分の意見をきちんと表明できるように育っていることが紹介されました。
そういった家庭のように理解ある安全な場を社会全体に広げるために、当事者の物語をジャッジせずに受け止める土壌を社会で培い、正しい情報にアクセスしやすくして偏見の蔓延を防ぎ、特権的立場にある人とも公正な対話に努め、法や医療制度を改善していくことが望まれました。
第三者が関わる生殖で誕生した子どもに寛容な社会に変えていきたいと微力でも自分も努めようと参加する人たちと共に、ふぁみいろネットワークの活動は広がり深まっています。社会問題の原因のどこかに必ず自分自身もいる現実に気づく対話の場となりました。
詳しくは以下をご覧ください。 ※コーディネーターは大河内秀人さん(SJF企画委員)
——戸井田かおりさんのお話——
まずは、私が夫の無精子症が理由で精子提供を受けて親になったという立場からお話をさせていただきます。自己紹介ですが、結婚後1年少し新婚生活を過ごした後、そろそろ子どもが欲しいと思っていた矢先に夫の無精子症が発覚しました。もともと子どもが欲しいと強く思っていた私にとって、世界から色が消えて、涙が常に流れてくるような、24時間そのことを考えているような、そんな日々が始まりました。楽天的な夫ですが、この時ばかりは夫も半月ほどかなり落ち込んでいる様子が見られました。
こういう状況になりますと、夫婦2人の人生もしくは養子もしくは精子提供という選択肢を突きつけられるのですけれども、夫婦で話し合い、精子提供の道に進むことにしました。我が家は幸運なことに慶応義塾大学病院の治療にてすぐ長女を授かりました。
当時は選択肢もなく、我が家のドナーさんたちは匿名です。とはいえ、精子提供・卵子提供・代理懐胎などの「特定生殖補助医療」に関して今後整備されようとしている法律では、子どもが知ることを保証されるドナーの情報というのは身長・血液型・年齢のみという状況です。優生思想の排除という名目のため、ドナーの人種さえ知ることができない法律になってしまいそうなのです。我が家のドナーは匿名ですけれども、血液型・人種・医学生であるということがわかっていて、正直そこだけを見ると何を持って開示ドナーというのだろうという疑問が残るところだと思っています。
長女を授かった3年後に同じく慶応義塾大学病院の治療で次女も授かりました。長女が6歳のときに自然な会話の流れで精子提供のことを本人に告知しました。その後は家族の中でたまに遺伝の話題になった時に自然と精子提供の話をしております。そういった話題になる時も、とても和やかな空気の中で我が家ではいたって普通の話題といった感じになっています。
その際、子どもたちには「どれだけ、あなたたちに会いたかったか」ということを何度も伝えましたし、「その手助けをしてくれたドナーさんにはとても感謝している」ということも何度も伝えました。精子提供の出自を伝えることは、もはや私の中では子どもに愛情を伝えることと同義になっている部分さえあります。父親と子どもたちの関係性も、他のご家庭となんら変わりなく良好で、子育てをしていく中で、家族とは何かについて子どもたちから逆に教わっている気がしています。
精子提供はこれまで長らく日本では告知をしないという文化が続いていたのもあって、精子提供の告知についての情報発信が当時皆無で、私自身とても不安だったので、自分ができることがあるはずだと思い、他の自助グループ活動を経て2022年に仲間たちと「ふぁみいろネットワーク」を立ち上げたという流れになります。
幼少期に出自の告知を受けて円満な家庭で育った子どもは健やかに成長する傾向
精子提供で子を産むことは親のエゴかどうかは子どもの人生が幸せかどうかで示される
では、親のエゴ論と子どもの幸せについてお話をさせていただきたいと思います。世の中、皆さんが精子提供・卵子提供・代理懐胎について得られる情報はほとんどメディアからになると思います。メディアでは、精子提供で生まれた子どもが大人になって出自を知り、アイデンティティが崩れて苦しんでいるという特集が度々されているので、精子提供で生まれた子どもたちは出自を知るとみんな苦しむのではないかと思っている方が少なくないかもしれません。実際、私も13~14年くらい前は全く情報がなかったため精子提供に進むにあたっていろいろ悩みました。
世間からは精子提供は親のエゴだという意見もあり、そうなのだろうかとも考えましたし、幼少期に告知を受けた子どもがまだ世界的に見ても成長していなかったのもあって、「告知を幼い頃にしたとしても子どもに何か重荷を背負わせてしまうのではないか、だとしたら自分としてはすごく辛い」と思っていろいろ調べる日々でした。
それから12~13年の月日が流れて、今では海外の提供治療で生まれた子どもたちが成長していて、大掛かりな研究も行われています。Susan Golombok先生というイギリスの家族研究者の方は、提供治療を受けた何百もの家族にインタビューをされていて、「精子提供・卵子提供・代理懐胎ともに幼少期に告知を受けた子どもは青年期においても心理的に健やかに成長していて、それは異性カップル・同性カップル・シングルのどの家族形態を見ても同じだ」というふうに結論づけた論文や本を出されています。
つまり、「提供治療で生まれた子ども」と一口に言っても多様で、大人になってから出自を知り苦しんでいる方も確かにいらっしゃる一方で、幼少期から告知を受けて円満な家庭で育った子どもたちは健やかに成長しているということが言えるということです。ただ、大人になってから出自を知ると皆がアイデンティティ・クライシスに陥って苦しいのかというと、円満な家庭の場合は大人になってからの告知であっても出自を肯定的に捉えている方もいらっしゃるので、告知の時期の問題と決めつけるのも危険なのではないかと個人的には感じています。
日本でも幼少期に告知を受けた子どもたちが成長してきているので、昨年度、ふぁみいろネットワークでアンケート調査を行いました。その結果、出自を否定的に捉えている様子のお子さんは1人もいらっしゃいませんでした(アンケート調査結果詳細はこちらから)。
加えて、我が家の長女の発言を一つご紹介したいと思います。私は長女が生まれてまだ0歳の時に一度メディアの取材を受けたことがあります。その放送を録画していたのですけれども、2年近く前に長女に初めてその録画を見せたことがありました。取材当時の私はかなり神妙な顔つきで「子どもが人生を終える時、精子提供で生まれた人生が幸せだったと思ってもらえるように寄り添って育てていこうと思っています」というようなことをインタビューに答えていて、これは実は私がずっと胸に誓っていたことでした。
「精子提供は親のエゴなのか」と、精子提供を検討している時はずっと考えていたのですが、もう私の中では、「その結論を他人が出せるわけはない。出せるのは我が家の子どもたちだけなので、子どもたちが人生を終えるときに『精子提供で生まれてよかった』と思ってもらえたならば、私たちの決断は親のエゴではないということになるのではないか。そうなるように誠心誠意子育てをしていくのみだ」と強く思っていたから、そういったセリフが出たのです。
しかしながら、その録画を見た長女がかなり呆れ顔で「ママ、なんでそんな暗い顔してるの?人生を終えるときに幸せとか大げさすぎ。幸せかどうかと精子提供は関係ないし」とスパッと私に指摘をしてきました。言われたら本当にその通りで、その言葉を聞いた時は、私の背負っていた覚悟がまた一つ、肩から下ろされた瞬間でもありました。
精子提供をめぐる世のなかからの辛い言葉と困難な治療環境
次に、私たちの抱える困りごとについてお話をさせていただきます。私たち親はどちらかというと子どもを傷つけている加害者のように捉えられることが多く、自分たちの困りごとを皆さんにお伝えできるような土壌は残念ながら日本にはないと思っていたのですけれども、本日のための打ち合わせの際に大河内さんから「困りごとを話してください」といただいて、「なんて温かい居場所なんだろう」と感激し、話させていただくことにした次第です。
困りことというのは二つに分けられ、世の中からの辛い言葉と、困難な治療環境です。まず、世の中からの辛い言葉ですが、原因の一つとしてメディアの報道があります。提供治療で幸せに暮らしている家族は実際とても多いけれども、視聴率などの関係でセンセーショナルな報道ばかりがされてしまって、皆さんにはこの治療は問題点だらけの印象があるのではないかと思います。
「自分だったらこの治療はしない、親のエゴだ」というような言葉を私たちはよく投げかけられます。私自身も昔はこういった治療に対して「そこまでするんだ」という驚きの感情を抱いていたことがあったので、自分が当事者になる前の話ですけれども、そう思う気持ちは分からなくはないです。
無精子症は100人に1人の割合でいますので、どのカップルにも起こり得ることです。実際に無精子症の人で精子提供を選ぶ割合が、実は意外に高いのです。これは、無精子症専門医のお話ですけれども、無精子症と診断されたカップルの半分近くが、養子や夫婦2人の生活ではなく、精子提供を選んでいるそうです。つまり、絶対的不妊を告げられて自分事としてこの問題と対峙すると、精子提供に進むという選択肢は一般的であり、結局はその立場に立ってみないと見えない感情があるのではないかと思います。
「なんで養子にしなかったのか?」と聞かれることもあります。こういう質問は、普通の方たちが子どもを産んだ後に聞かれることはないと思いますし、養子の方たちも「なんで精子提供にしなかったの?」なんて聞かれることはありません。私たちだけがこの質問を投げられるのです。安易に精子提供を否定する気持ちが見えてしまって、とても悲しい気持ちになります。
あと、精子バンクを利用したと言うと「デザイナーズベイビーを作りたかったのか」と聞かれて悲しいという話も度々聞きます。でも精子バンクを選ぶ理由として「理想の子どもが欲しい」なんて聞いたことがありません。人工授精では妊娠が難しくて体外受精をするとなると精子バンクという選択肢しかなかったとか、精子バンクでは子どもが出自を知る権利を保障されているので選んだとかいう方たちばかりです。きっとデザイナーズベイビーの報道の印象が強くて、こういうふうになってしまっているのかと思います。
病院で辛い経験をしているという話もよく聞きます。一般不妊治療の病院で精子提供に進みたいという旨を伝えると「そんな野蛮な治療の名前をここでは出さないでくれ」と言われてすごく辛かったというお話も聞きました。
治療についても様々な困りごとがあります。体外受精が認めておらず人工授精を繰り返す他にないことや、第三者が関わる不妊治療は保険治療とならないので高額ですし、対応可能な病院が非常に少なく新幹線や飛行機での遠方治療を余儀なくされることもあります。また、妊娠をしても産院への紹介状さえ書いてもらえないケースもあります。
結局、この治療が世の中の理解を得られていないことがこの治療の困難さにつながっていると感じることばかりです。
精子提供で生まれた子どもが「『かわいそう』ではない普通の子どもと同じ」と発言
2年ほど前に私がメディア取材を受けたことがあり、私一人で出演した際はyahoo!ニュースのコメントが大荒れでした。母親である私が幸せに暮らしていると説明しても信用してもらえないようで、「子どもが成長したら苦しむに違いない」とか、「子どもは親に気を遣って悩んでいない振りをしているだけだ」とか、「妻が暴走して夫がかわいそう」といったコメントばかりが何百も付いていました。そのコメント、私は読みたくなくて見なかったですし、夫も少ししか見なかったのですけど、子どもが一番見てしまっていました。夫と子どもは怒り半分、呆れ半分といった様子でした。
その後、別の番組に家族で出演したことがあり、その際は家族の和やかな様子が伝わったのかもしれませんし、子どもたちのコメントもあったので、それもyahoo!ニュースに載ったのですが、温かいコメントも多くありました。ただ、うちの子どもたちは匿名ドナーからなのでドナー情報を知ることができないのですけれども、それについて「辛い気持ち」とは一切言っていないにも関わらず、「ドナー情報を知ることができない可哀想な子ども」みたいな形で取り上げられて、子どもに対して申し訳なかったという気持ちが私の中にあります。
長女は世の中の精子提供に対する偏見も既に理解していて、かなり俯瞰して見ているところがあるのですけれども、とあるインタビューで突然こんなことを言い出しました。「日本の社会に言いたいことがある。精子提供で生まれた子どもを特別視しないでほしい。かわいそうではない普通の子どもと同じ」といった内容でした。精子提供治療で生まれた子どもたちも生きやすい社会にするためにも、世の中の理解がもっと得られるといいなと思っています。
——佐伯英子さんのお話——
ふぁみいろネットワークは精子提供・卵子提供・代理懐胎などに関わる当事者と研究者が一緒に活動しているところが特徴的で、私は研究者という立場の共同代表です。今日は研究者ならではの俯瞰的な視点で論点を整理することが私のミッションです。私は社会学を専門としていますが、その中でも家族社会学やジェンダー、特に生殖に関することを研究してきました。今日は、ここが対話の場であることを考え、一般的な学術的な論点を整理するというよりも、私が一人の研究者として、また一人の個人として――個人というのにもいろいろな側面があるわけですが、今日は特に市民・友人として――知ったことや考えたこと等をお話していきたいと思います。
私は「友人の立場で伴走する」ことをすごく大事にしています。これまで、哲学対話や対話一般を実践する中で、社会的な肩書きではなく、その立場も含めて一人の個人としてその場にいることがすごく大事だと学びました。だからこそ、安全な場所として対話が機能するのではないか、と思うわけです。そういった考えから、今回はこの「友人の立場で伴走する」ということで参加したいということをお伝えします。
精子提供・卵子提供・代理懐胎等に関わるドナー・子ども・代理母・親等の人権と尊厳が守られる社会へ
ふぁみいろネットワークは当事者と研究者が一緒に活動しており、一方で第三者が関わる生殖には精子提供や卵子提供や代理解体を含むさまざまな方法があり、それに至るまでの経緯や背景もさまざまな方がいらっしゃいます。そういった中で「違い」という垣根をしっかりと理解し尊重しながらも、その垣根を越えて一緒に活動し、対話と研究を一緒にやっていき、そこから政策提言や情報発信をしていこうとしています。
その目的は、精子提供・卵子提供・代理懐胎などに関わるすべての人々、ドナーや子どもや代理母や親などの人権と尊厳を守られる社会とはどういう形なのかを一緒に考えていくことです。その方法の一つとしてLINEオープンチャットを運営しており、約400人の方が集まってくださっています。
まず、第三者が関わる生殖、主に精子提供・卵子提供・代理懐胎の概要についてお話します。
精子提供に関しては、戦後すぐに1948年から始まっていて、この技術を使って生まれた人は推計で1万人以上と言われています(日本生殖医学会2009年)。知られてはいないけれども、それだけ多くの当事者がいらっしゃる。まだ法律はなく日本産婦人科学会のAID登録施設で実施が許可されていますが、実際にそれを行ったり患者としてそれを受けたりするとなると必ずしも簡単ではない状況です。
卵子提供に関しては、体外受精が1983年に成功すると、治療は技術的に可能になり、実際に主にドナーを自分で決めてお願いして親族間など非配偶者間でJISART(日本生殖補助医療標準化機関)加盟施設で行うとか、早期閉経等の医療的な理由から必要に迫られて卵子提供を望む方々へのマッチングを行うOD-NET(卵子提供登録支援団体)が使えるようになりました。しかし、この症例数はかなり少なく狭き門で、一般的にはエージェントを通して海外のサービスを受けることが多いです。
代理懐胎に関して、国内では難しいためエージェントを通して海外のサービスを受けるという状況になっています。
そういった第三者の関わる生殖をかなり多くの人たちが選択してきた歴史がありますが、実際何が起こっているのかは私たちがなかなか知ることができない状況です。この技術を使って親になった人たち――まだ子どもが小さかったり、成長している真最中だったりする人たち――はどんなことを考えてきたのか、どんな背景を持ち、どんなことを考えて、どんな選択を経験したのか、そしてどんな育児経験をして、子どもたちはどんなふうに感じ、どんなふうに育っているのか。そういったことがまだまだ分かっていない状況です。
なぜこの第三者が関わる生殖が一般的に知られていないのかというと、それは秘密として扱われてきた歴史が社会のレベルでも個人のレベルでもあって、医療の中でも無かったことのように扱われてきたから、親自身も子どもに伝えることが難しかったからです。だから子どもが知ることをできず、社会で対話というものがほとんどない状態で今まで来ている。ですから、私たちは、こういった対話の場があることに本当に心から感謝しています。
調査を行う中でわかってきたことは、第三者が関わる生殖にはすごく大きな多様性があることです。どんな技術や方法を選ぶのかもそうですけれども、そこに至る背景も多様です。無精子症は100人に1人の男性と言われていますが、早期閉経についても同じぐらいの確率で女性が経験しています。それ以外の医療的な理由もありますし、トランスジェンダーや同性カップルの方々もいらっしゃいます。選択的シングルとして生きていくことを選択する方々も特に最近は増えています。
方法に関しては、国内なのか海外なのか、どちらに関しても医療機関に行って治療を受けるのか、エージェントを通すのか、精子バンク等を使うのか使わないのか、ということで分かれます。個人間提供もあり、それは親戚や知り合いという形なのか、それともSNSのような形で知らない人からなのか、ということでも経験が分かれます。
ドナーや代理母として協力する人たちについても多様です。そもそもレシピエントがどのような方にお願いしたいかという選択肢があるのかということもありますし、選択できた場合でもどのような点について選ぶのか・選ばないのか、選ぶ場合はどんなことが大事になってくるのか。情報開示についても、匿名・非匿名ということもありますし、いつ・どんな情報が誰に分かるのか。さらには、そのドナーさんや代理母さんが分かった場合も、どんな形の関係性を築いていくのか、いけるのか・いけないのかについても人によってかなりの違いがあります。
子どもが生まれた後にも、子どもにどう伝えていくのか、伝えていかないのかという点で経験が分かれます。だんだんと告知をする人が増えてきましたけれども、いつ・誰が・どんなふうに伝えていくのかを、どういうふうに決めていくのかについても経験や選択にとても多様性があります。
第三者が関わる生殖の選択において、自分と他者の権利や尊厳を侵害しないよう両立可能な道は
第三者が関わる生殖を選択することの意味について考えていきたいと思います。これに対しては、それを選択の権利と捉えるかというところにしても議論があるので、そこに立ち返って考えたいと思います。
このテーマに関して特徴的なのは、生殖医療を選択するというのが単に個人の選択というだけではなく、子ども・ドナー・代理母さんといった他の人たちの選択や経験、人権にもリンクしていくことです。個人のリプロダクティブライツという観点からすると、WHO(世界保健機関)は「不妊治療を含む家族計画のための質の高いサービスの享受はSRHR(性と生殖に関する健康と権利/リプロダクティブライツ)の一部である」と言っていて、そのSRHRは人権の中の重要な一部であるということも言っています。
全ての人にそれを検討し選択していく権利があるわけですけれども、ここの重要なポイントとして考えるべきなのは、その中で他者の権利や尊厳を侵害してしまうことがあってはならないことで、その両立は可能なのかということです。この点を子ども・ドナー・代理母について検討していくと、子どもの場合は出自を知る権利を含む子どもの権利を考える必要があります。代理母やドナーに関しては、その人たちのSRHRが保障されているのか、搾取や侵襲性の排除がどれくらい可能なのか、どうしたらそれを排除できるのかについての議論がこれまでされてきました。
今日考えていきたいのが、まず両立が可能なのか、その場合はどうすればいいのか、レシピエント(受け取る)側の考えは実際どういったものなのか、子どもたち自身の経験はどういうものなのか、ということです。
最初に、この第三者の関わる生殖を選択してきた親たちの側について考えたいと思います。子どもの福祉や権利、子どもが健やかに成長することを大切に考えることは当然ですけれども、それに加えて、ドナーや代理母たちに身体的なリスクがあり侵襲性を含む医療が行われる時、どんなことを考えていたのか。
多くの人たちはそもそも第三者が関わる生殖を選んでいいのかで葛藤を経験していますし、もしそれを検討するとなった場合も、どのような方法、どのようなエージェントを選ぶかというところで、金額や自分の人生や選択としてどうなのかと考えるのと同時に、人によってはそれ以上にドナーや代理母たちが安全や人権、尊厳を守られているかを大事にしていることが調査からわかりました。ドナーや代理母の自己決定・インフォームドコンセント、医療の安全性、保険などの保障、謝礼、関係性といったことを丁寧に検討している人たちがたくさんいることがわかっています。
第三者が関わる生殖を選択する権利を保障した国々では関わる全ての人たちの人権を守る対策をとれる
両立は可能なのかということに関して、いろんな考え方や見方ができますが一つ重要なアプローチになっているのが、法や医療制度で枠組みをつくって人権を守るという点です。これにはいくつかの方法があり、一つは「禁止」であり、ドナーや代理母、子どもの権利がそもそもこの生殖では守られないという考え方に基づく選択肢です。もう一つは「選択する権利を保証する」という方法です。さらには「曖昧にしておく」という方法もあります。
国レベルで見ていくと、こういった違う方法を取った国々が、どんなことを経験したかを比較することができます。まず第一に、禁止しても実施を選択する人たちがいなくなるわけではなく、いわゆるグレーマーケットやメディカルツーリズムといった見えない形で行われていることがわかっています。このような状態では秘密やタブーとして扱われることから、結果として当事者たちが正しい情報や安全な医療にアクセスすることが難しいこと、当事者の孤立やスティグマや間違った情報の拡散が生じてしまうことがあります。
選択する権利を保障した国々がどうだったかを見ていくと、関わる全ての人たちの人権を守るための対策を取ることができることが分かります。それから、スティグマを取り除くことができるので親たちが告知するハードルが下がることにつながる。ここで一点付け加えなければならないのが、「選択する権利」というと「何でもあり」と思われてしまうことが時々あるけれども、それとは全く違って、こういった保障をしている国々も規制や規定といった決まりをいろいろつくっていて、その中で安全な形を模索していったのです。
日本は3つ目の「曖昧にしておく」になっています。戦後すぐに精子提供が始まって法制度を作るべきだという声が国内であったけれども、今でもできていないままにしてきました。結果的にどうなったのかというと、法的な処罰はなかったとしても国が「禁止」した時に起こっているようなことと類似したことが日本でも起こっていることが分かりました。
多様な家族や第三者提供による生殖にタブーやスティグマがある社会では、親が安心して子どもに告知できず、子どもは出自に関してネガティブな感情を経験しやすい
最後に、子どもたち自身の経験がどうであるかについてお話します。子どもたちの福祉は守られるのか、権利は守られるのかが論点になることがかなり多いですけれども、親子関係は大丈夫なのか、遺伝的なつながりがないことはどうなのか、アイデンティティを形成することに関して子どもたちが問題を抱えないかといったことが、これまで問われてきたことです。
日本に関しては、告知をして子どもを育てている世代の親たちが比較的まだ若くて子どもたちはまだ小さいので、イギリスの研究を簡単に紹介したいと思います。2000年から実施された第三者が関わる生殖を使って親になった人たちと、特に子どもたちに焦点を当てて、いろいろなステージで追跡調査をしているものです。
わかったこととして、第一に、親子の遺伝的なつながりと家族関係の良好さには全く関係がないということが研究で示されました。それに加えて、子どもたちがどのように捉えているのかに関しては、7歳・10歳の場合、その時点では「ニュートラル」もしくは「好奇心」が一般的。そして20歳になった時では、「ユニーク」――自分の特別なものとしてポジティブに捉えている――、もしくは「ニュートラル」であるということがわかっています。
これを基にした考察では、「第三者提供についてネガティブな感情がない理由は、幼い頃に知ることができたことと関係している」こと、またネガティブな感情(親子関係の悪化、アイデンティティ・クライシス、怒りや困惑等)を経験した人たちの特徴は「成長してから予期せぬタイミングで知ることと関係している」となっています。
では全てが親の責任なのかというと、そう言い切ることは全くできなくて、多様な家族や第三者提供に関してタブーやスティグマがある社会では親も安心して告知やテリングをすることができないので、当事者だけの問題というよりは社会的な家族の捉え方や、家族の多様性に関してどういうふうに私たちが考えていくかということと大きくリンクしていると言えると思います。
ふぁみいろネットワークは、先ほど戸井田さんからお話がありましたように、「出自を告知して、実際どう?」というアンケート調査をしました。調査対象の人数が限られているのは、母数も少なくアクセスが難しい部分もあるのですけれども、国内で行われた類似ケースは他にないので貴重なデータだと思います。ここからも子どもたちは肯定的、もしくはニュートラルに捉えているということがわかって、イギリスの調査と共通点のある結果が出ています。
私の話は以上になります。今回は私の方で用意した結論を皆さんに報告するというよりは、対話の材料としての情報提供をさせていただきたかったので、ここからは皆さんと一緒に私たちの社会に必要なのはどんなことなのかといったお話をできればと思います。
——パネル対話(綾原みなとさん・大島海都さん・戸井田かおりさん・佐伯英子さん)——
綾原みなとさん) 最初に私ともう一人、ふぁみいろネットワークから出席してくれている大島海都さんの自己紹介をします。まずは私から個人的な自己紹介と、ふぁみいろネットワークの成り立ちの話を、戸井田さんと佐伯さんに補足する形でお話したいと思います。
私は卵子提供を受けて子どもを育てている母親です。そこに至るまでにはいろいろあったけれども、若い時からの人生ヒストリーをお話します。私は大学を卒業した後の最初の関心事は、仕事ができる人間として一人前になりたいということであり、組織に忠実にガツガツ働いて仕事のスキルを上げていこうと頑張っていました。男性の同僚に混じって働いていると、ある時から生理が来なくなりました。そのことが便利に思えて、女性としては生理がないからラッキーみたいな感じ方だったのですけれども、そんな生活が長続きするわけもなく、30代の前半に過労で仕事を辞めるという展開になりました。その後に結婚して、生理が来なかったら直ぐには子どもができないかもしれないと思ったので婦人科に行ってみたところ、もう卵巣の中にほとんど卵子は無いということを突きつけられ、その時点で初めて、生理が無かったのは全然ラッキーではなく、命を燃やすみたいに働いた時に燃えていたのは私の卵だったことに気がついて愕然としました。
そのまま結果の出ない不妊治療を数年続けたのですけれども、どうしても自分の卵では不妊治療を続けることができないと次第にじわじわと自覚して、いろいろ調べた結果、諦めるとか養子縁組という選択肢に加えて卵子提供という道があることを知り、最終的には卵子提供を選ぶことにしました。
当時、一般的な文献から専門的な文献までいろいろ勉強して、自分が卵子提供を受けていいものか悩みました。一番気になったのが、卵子を提供するのは精子を提供するより提供者に負担が大きすぎるのではないかということです。卵子ドナーさんには多量の女性ホルモン注射が必要だったり、採卵を麻酔下であるいは麻酔を使わずに針を刺して卵巣から卵を吸い出するというプロセスが入ります。それらは私が自分自身の不妊治療のために経験した針の痛みでもあったので、これを見ず知らずの人にお願いしていいのかとすごく悩みました。
それで辛くなったのだけれども、そのことを周りの人に相談しにくかった。相談した時に、先ほど戸井田さんのお話に出てきたような心無いことを言われたら困るから、相手を選んで信頼できる友達だけにまずは言ったのですけど、その時に選んだ相手がさきほどお話しくださった佐伯英子さんでした。佐伯さんにカフェで「どうしよう。私、卵子提供を受けたいんだけど」と相談して友達として話を聞いてもらったことは、それ自体が癒される経験になりました。
そのように友達に批判されずに聞いてもらえたのはすごく支えになりました。卵子提供は受けていい技術なのかを専門的な文献も含めて勉強した時には、批判的な見解ばかりが既存の書籍や論文の中には書かれていて、ドナーさんに対する侵襲性とか、卵子提供と代理懐胎は共に女性を生殖の手段としてみなしているのではないかとか、経済的な格差を利用して搾取につながるのではないか、貧困ビジネスではないかとか、生まれる子どもの権利とか、本当に様々な懸念点や検討しなければいけない事項が挙がっていましたので、卵子提供を考える自分は倫理的に逸脱しすぎているのではないという苦しみがあったのです。
そういうことを諸々踏まえた上で、それでも子どもを諦められない気持ちをただ聞いてもらえたということと、研究する立場で分析する対象としてではなく、友達として「それは大変だね」とか「そのことで辛くなるのは当たり前だよ」と一緒に感じてくれたのが癒しになり、エンパワメントになりました。
ドナーの権利と安全を保障するエージェントに依頼して卵子提供を受ける
この治療は確かに問題が多いけれども、ドナーさんを搾取する形ではない、ドナーさんが医学的にも金銭的にも守られるような形で提供できるような仕組みを作っているエージェントさんに頼れば、卵子提供を受けることは悪ではないのではないかと考え方が変わりました。そのようなエージェントさん――営利企業ではあるけれども――に面談に行って、ドナーさんをちゃんと守ってくれているか根掘り葉掘り――医療保険がカバーされているかとか、ドナーさんの心のケアは大丈夫なのかとか――聞いて、ここなら大丈夫と思ったところにお願いをして、匿名のドナーさんから卵子を提供いただきました。
それで子どもを育て始めたら、悩み事というと普通のママとあまり変わらない。0歳児を育てている悩み、1歳児を育てている悩みに普通になってしまうけれども、これに紛れてしまったら「子どもに出自の告知をする」というとても大切なはずのミッションが日常の中に隠れてしまいそうと感じて、そうならないように卵子提供の育児をテーマとしたブログを書いたりし始めました。
ブログの友達とネット上で交流している中で知り合ったのが戸井田かおりさんです。戸井田さんは精子提供で子どもを授かったママで、卵子提供と精子提供はいろんな背景は違うけれども共通点も多いということで、交流を深めていきました。それまで精子提供と卵子提供を横断的にネットワークとしてつなぐ当事者団体というのは私の調べた限りではありませんでしたので、加えて私たち当事者を分析対象としてではなく一緒に悩んでくれる研究者と知恵を寄せ合うことで、私たちが発信できる内容に深みが出るのではないか、あるいは海外の知見とうまく接続していくきっかけになるのではないかという話になり、当事者の戸井田さんと私、そして研究者の佐伯さんの3人の共同代表という形で「ふぁみいろネットワーク」を結成しました。
私たち共同代表の3人ともシスヘテロの女性ですけれども、精子提供・卵子提供・代理懐胎は決してシスヘテロの婚姻している人たちだけのものではく、他のたくさんの人たちが人生の真剣な事柄として第三者提供医療を考えています。ふぁみいろネットワークはLGBTQや選択的シングルの方ともつながっていきたいという希望を最初から持っていて、ごく最初の頃から一緒に活動させていいただいているのが大島海都さんになります。
では、大島さんから自己紹介、よろしくお願いします。
トランスジェンダーが精子提供で子どもを授かったヒストリー 子どもが幼い時から段階的に告知
大島海都さん) ふぁみいろネットワークでピアサポーターをやっています。もともとは女性で生まれて性別変更をして男性になったトランスジェンダー当事者になります。
現在は5歳の子どもを育てているのですけれども、戸井田さんと同じように私と妻も慶応義塾大学病院でAID(非配偶者間人工授精)を受けました。 妻はそこで奇跡的に運良く妊娠することができ、息子が誕生しました。現在は都内にある病院で第二子を希望して治療を受けています。
今どんな生活しているのかというと、子どもが生まれてからは本当にごく普通の生活をしているのですけれども、子どもへの告知は2歳半ぐらいから、精子提供で生まれたということ、ドナーさんの手助けがあったことも含めて話をし始めてあります。 この夏に息子には私がトランスジェンダーであること、もともと生まれたのは女性だったということも話をしています。
そんな形で私自身のヒストリーも子どものヒストリーも含めてきちんと話し合って告知をして向き合っていくのを夫婦共に理想として追い求めながら子育てをしている感じです。
困りごととしては、生活の中にトランスジェンダーであることの障壁がやはり数々あり、そういったことに子育ての中で出くわすこともありますし、無精子症の方や卵子提供の方だと病気という原因があるとは思うのですけれども、私たちの場合はトランスジェンダーであることを病気とは思っていなくて、そういう別な理由で第三者提供によって出産しています。これは、世間から見たら第三者提供とは別に特別な家族として扱われやすいと思っています。こういったことを今後子どもに告知していく中で子どもがどう考えていくかというのは多少なりとも不安なところはあると思っています。
あと、トランスジェンダーの子育ては、なかなか情報がありません。もしかしたら、ずいぶん前からやっている方がいるかもしれないけれども公に出る方はいらっしゃらないので、お子さんがどういうふうに育ってきたのか、トランスジェンダーについて告知をして育てているのか、いろいろ調べてはいるけれども一切情報としては上がってこない。こういった手本がない状態での子育ては、楽しみもあるけれども、夫婦の中で心配事の一つであり、ちょっと頑張っていかなければいけないこと、よく話し合って進めていくべきことだと思っています。
今回のアドボカシーカフェでいろんな方とのお話ができることを楽しみにしております。どうぞよろしくお願いいたします。
卵子提供・精子提供・代理懐胎による誕生に関わる人それぞれが尊重されることが子どもの幸せや福祉に直結
綾原さん) はい、大島さんどうもありがとうございました。
この問題は論点が多いので、まず私たちが本当に何を大事にしたいのか、どこに立って今日これからの対話を築いていきたいのかを明確にする作業から始めたいと思います。佐伯さんが研究者の立場から網羅してくれたり、戸井田さんが社会で実際に子育てをして社会に向けて発信したりするときに、どういう体験をするかをそれぞれ語ってくれました。また大島さんからは、第三者提供というマイノリティであることに加えてセクシュアル・マイノリティという別の要素が物事をより複雑で難しく、子どもに語らないといけない要素が一個増えて複雑さが増えているという話がありました。論点が色々あって全部網羅すると発散してしまうので、最初に私たちは何が大事なのかを言葉にするところから始めたいと思います。
そのキーワードは、戸井田さんのスライドの中に出てきたように、「子どもに人生が幸せだと思ってもらいたい」、これに尽きるのですね。親として、いわゆる自然な形では授からなくてもそれでも子どもを願って、そういうことを願っていること自体を「親のエゴだ」と言われたら「その通りです」という感じだけれども、「子どもには幸せであってほしい」というのがみなさん共通の思いだろうと思います。そう最初に願ったときに、そこに付随して、子どもが生まれるために関わってくれた他の重要人物たちにも幸せであってもらいたいという思いがあります。具体的にはドナーさんであり代理母さんたちです。
子どもに、あなたは卵子提供あるいは代理懐胎で生まれたんだよ、ということを家族のハッピーな成り立ちとして語っていきたいと願っているからには、子どもの幸せをみんなが願ってドナーさんや代理母さんたちと医療者の人あるいはエージェントの方など様々な方が関わって私たちは家族形成を行おうとしていて、その時に踏みつけられた人がいないということが、子どもの幸せや福祉と直結した問題であると私は個人的に思っています。
ですので、卵子提供を考える時にも、ドナーさんに針を刺す問題というのを子どもにどう言えるのかをすごく考えて、「ドナーさんを大事にしてくれているエージェントさんが見つかったから、そこにお願いしたら素晴らしいドナーさんがいてくれたんだよ」というふうに伝えたいなと思っています。
子どもの幸せと関わる人、つまりドナー・代理母・子ども・親になる私たちそれぞれが、一人の人として尊重された形で家族形成を行っていけるということが私はとても大事であると思っています。
子どもの存在のおかげで親が幸せで前向きであることが子どもを幸せに
戸井田かおりさん) 「子どもの幸せを」と私はものすごく気負って出産育児を始めたのです。精子提供という面もあって、もう待望の子どもだったので、自分の中では「子どもが全て」みたいになってしまっていて、授乳期も夜中に自分の睡眠がいくら削られても自分のケアを怠って子どもを最優先にして――よくあることなのかもしれないですけど――自分がボロボロになっていってメンタルが不安定になって、結局、子どもにとってもそれは幸せにならない。子どもの幸せを考えるなら、まず自分の幸せを考えないといけないということに行きついた。
多分、精子提供も一緒なのではないかと思っていて、精子提供という選択肢はもともと望めたものではなかったかもしれないけど、それによって親が今ハッピーに――パパとママの家庭とか、ママとママの家庭とか、ママだけの家庭とかいろいろですけども――、この治療のおかげで、子どもの存在のおかげで親が幸せになっているだけで、子どもの幸せがついてくると最近思うようになりました。だから、子どものために何かをやってあげるのではなく、子どもに「あなたのおかげで親はこんなに幸せなんだよ」と言えるような家庭を作ることが子どもの幸せに直結するなと。子どもファースト、子ども真ん中だけではなく、私も以前はそんな感じだったので、今は違う視点を持ちたいなと思っています。
綾原さん) 飛行機で酸素マスクが必要になるときと同じですよね。子どもにマスクを当てるためには、まず当てる大人が生きていないといけない。親が自分を犠牲にしすぎない形で子どもの幸せを望んでいきたいし、そのことは精子提供でも卵子提供でも代理懐胎でも、ふたりママだったりふたりパパだったり、ママだけだったり、親がどういう組み合わせでいようが本当に普遍的な願いだと思います。
戸井田さん) そうなのです。アイデンティティ・クライシスに陥って苦しんでいる方たちの手記を読んでも、その親も幸せそうじゃないのです。そこに出てくる親たちも、精子提供について後ろめたく思っていて隠さないといけないという意識があるのです。
綾原さん) 主治医から治療のことを隠すように指導を受けていた時代が長かったですからね。
戸井田さん) 親が後ろめたく思っていてハッピーじゃない状況の中で、子どもがハッピーになり得るわけがないと思います。
早期告知で子どもが幸せだというのが研究などでわかってきていますけど、それも早期告知が幸せに直結しているとも言い切れない気もしていて、それよりは、その早期告知のために親たちがいろいろ向き合って学んで治療を前向きに捉えて、その前向きなものが子どもたち伝わっているからこそ、子どもたちも幸せな治療で自分たちが生まれたという意識になっているのではないかと思います。
子どもを幼い時から一人の人間として尊重し、子どもが理解できる道筋を考えて告知 子どもが親と自分のヒストリーをポジティブに受け止める
大島さん) 僕の場合は、子どもに2歳の時から話をしていて大事にしていることは、まだ通じないから適当に話せばいいやではなくて、どうやったらこの子がきちんと親や自分のストーリーを理解することができるのか、どういう道筋を立ててあげれば理解して受け入れていけるのかを考えるべきだと最近思っています。
子どもなりに毎日いろんなことを理解して、いろんなことを受け入れていると思うのです。なので、子どもを一人の人間としてきちんと尊重して告知をしていく事はすごく大事だと思っています。その思いが伝われば伝わる程、子どもは「自分って、この家族の一員として認められているんだ」と思えて、父親が女性だったと聞いても、「じゃ、パパってどういう思いでそういう道を進んだのかな」というふうに考えてもらえるかもしれないと思うのです。
つい最近、子どもに告知をした時に印象的だったのは、「パパは昔、生まれた時は女の人だったんだよ」と話をした時に、私も妻も何もヒントを与えなかったのですけど、子どもは「僕は、パパがそう言われても男の人だと思ってるよ」と自分から言ったのです。そういうふうに自分の意見をきちんと言えるのは、これまで一人の人間として尊重してやってこられたことが少しでも自分に返ってきたんだなと思って、すごく感動しました。そういったところを意識しながら、今後も子育てをしていきたいと思っています。
告知は子どもの理解に併せて日常生活のなかで伝える過程を丁寧に積み上げていく
綾原さん) ふぁみいろネットワークで当事者同士が集まっていると良いのは、お互い付き合いが長くなってくるとお互いの子どもも育っていくことです。
大島さんのお子さんも、私たちが最初に知り合った時と比べて大きくなって、ご家庭での告知の話が積み重なっていっている。大島さんがふぁみいろネットワークで話をする時に、話を山登りに例えてくださるのです。いろんな分かれ道があったりもするけれども、その山を家族全員で子どもの足で登っていけるスピードで登ように、パパとママが子どもを大事にしながら一歩一歩丁寧に過程を積み重ねている。
告知は日常生活の中で少しずつ子どもの理解に合わせて積み上がっていくように私たち親側の物語を子どもに伝えていくことだと思います。子どもが親の物語の中ですごく望まれて、新しい家族になっていく。子どもが幸せの真ん中にいてほしいという願いと共に子どもが生まれてきたことが伝わる物語として子どもに沁みとおってくれるように、家族の中での語りがいつでもどこでもチャンスがあった時にできるような形になっているのが、私たちが親として目指していきたい告知の形かなと思っています。
第三者が関わる生殖を秘密事としてタブー視する社会では誕生を親子が誇りを持って捉えられない
そうすると、秘密にして語ってはいけないものとしてこの技術が使われてきた歴史が反省点として思い出されます。かつては、精子提供を実施してきた病院のお医者さんたちが良かれと思って親に対して「このことは墓場まで持っていくように」というような指導をしていた時代もありました。そのような状況では子どもに誇りをもって伝えることができない。禁止されているから言えないし、言ってはいけないことという前提の中でタブーになってしまって、秘密にされる弊害があると思います。
その秘密の弊害のせいで苦しんだ方たちのアイデンティティ・クライシスの話が、私たち、今子育てをしている親たちは過去の重要な歴史上の経験として知ることができます。それは、秘密であった時代の当事者たちの思いを発信してくれた先人たち――アイデンティティ・クライシスに苦しんだ子ども側の当事者の皆さまと、それを研究者として世に問うてきてくれた研究者の先生方たちの努力の成果でもあります。そういった歴史上の経験からも学びつつ、この2020年代に子育てをしている私たちなりの大切にする価値観というのがあって、それは今、大島さんがまとめてくれたそのもののように私は思っています。
当事者個人のストーリーをジャッジせずに受け止める土壌の上にある安全な対話 それを基にした法・医療制度づくりへ
佐伯英子さん) 子どもがどういうふうにして前向きに捉えることができるか。子どもが大切にされるとか、それは個人の中で経験されることではあるけれども、私は社会学者として、個人の経験はすべて社会の構造に結びついていると考える傾向があります。そういった視点で考えると、なぜこれまで前向きに捉えることができない歴史があったのかについては、第三者が関わる生殖が社会の中で秘密にされていたということがあったと思うのです。
私は研究者として取り組んできた様々な問題において、社会で秘密にすべきだとされていることについて考えてきました。そういったところで共通しているのは、秘密にしている内容が倫理的にどう判断されてきたかよりも、「秘密にしなくてはいけない。だったら悪いことに違いないだろう」という思考が広く共有されているということです。それが故に安心して話すことが難しくなるのです。そういったメカニズムは、日本だけでなく、生殖の問題だけでなく、あると思います。
前向きに捉えることができるのは安心して伝えることできるからであり、では今、なぜ安心して伝えることが難しい状況がなぜあるかというと、社会的な構造の問題があります。マクロのところでは法制度や医療制度がどうなっているのかという問題があります。その法制度や医療制度を整えるとはどういう意味なのかを考えると、そこで必要な情報はいろいろな立場の当事者たちの経験であり、それをすくい上げるためには、当事者がそれに関する対話や議論ができる土壌が必要になるわけです。
そうすると、個人のストーリーがすごく大切になってくる。でも、社会的に秘密にしなくてはいけないという認識があると、当事者同士さえもつながることができなくて、それをどうにかしたいということがふぁみいろネットワークを作る最初にあった一つの思いでした。ふぁみいろネットワークの中では、だんだんと安全な対話やコミュニケーションができる場所が作られてきました。でも当事者の安全を社会全体で考えると、まだまだです。小さなコミュニティから社会全体への接続をどうするかが次の課題だと思います。そういう意味でも今回こういう機会いただけてありがたいと思います。
個人のレベルでも、メディアや他のいろいろな研究でも、個人のストーリーを当事者が語れるようにするためには、まずは聞き手がジャッジすることなく受け止められるような土壌が大切です。何が起こっているのかを、お互いに理解しようとする姿勢でつながることができたらいいなと考えながら聞いていました。
綾原さん) 最後に土壌の話が出てきましたが、今回のこのアドボカシーカフェの話をいただいた時に、大河内さんから「あなたたちの困りごとを語ってください」と言われて、「え、私たち、困りごとなんて言っていいのですか」と新鮮な驚きがありました。
これまで他では、私たちが子育てをしていることを話すと、「子どもが幸せになれる治療なの?」という疑問に対して最初に説明しなければいけなくて、「私たちは、子どもは幸せになれると信じて、未来のためにできる限りのことを育児の中でやっているのです」と弁解しなければいけなかった。子どもが幸せになれることをアピールしなければいけなくて、でもあまりアピールしすぎると、「そんなの親が言っているだけだ」と言われるジレンマがありました。そんな中で、「親のエゴでやっていることで、親のあなたたちが困っているなんて、子どもの困り方やドナーさんたちが負っているリスクに比べたら」という親のエゴ論を主張されて、私たちの困りごとは抑え込まなければいけないものだという気がしていました。これまで、親として私たちが困っていることを話せる土壌ではなかった。
それが、ここでは困りごとを語っていいと言われて、そんなことを聞いてもらえたのは初めてだったので、何をどう困っているかも分からないぐらい抑え込んできたので、ソーシャル・ジャスティス基金の懐の深さが驚きでもありました。
そこで、このパネル対談の後半部分で私たちの困り感をどう言っていいのかについて少し時間を使えたらと思います。戸井田さんいかがですか?私たち困っています?
当事者が研究者とつながり社会を俯瞰する視点を得て、不当な扱いに気づき問題提起へ
戸井田さん) 私はふぁみいろネットワークのみなさんと出会うまでは完全に当事者としての視点しかなかったのですが、今は研究者の方たちとつながれて俯瞰して見られるようになった気がしています。 10年以上前だと私たちは困っているという自覚さえも持てないぐらい必死な感じで、長女が生まれた直後にメディアからインタビュー受けた話を先ほどしましたが、そのメディアでの私の特集タイトルが「実の父を知らない子ども」だったかひどいタイトルをつけられていたのです。でも当時は疑問に思うことさえなく、自分たちをそう扱われる対象だと思っていて、怒りさえも湧いてこない状態でした。
何がおかしいかも分からなかった状況だったのが、今では研究者の方のお話を聞いたりしていく中で、「あ、そうか。おかしいと疑問を感じていいことだったんだ」と思えたことだけでも、私の中では大きな進歩でした。でも、当事者の中ではみんなで話をしますけど、一般の人にそんなことを伝えていいという意識まではまだ至っていなかったのが、「これからの時代は私たちの気持ちをもっと社会に伝えてもいい時代になっていくのかな」という嬉しさがあり、時代とともに変わってきたと感じています。
綾原さん) 今のメディアのタイトルの話に補足すると、第三者提供で生まれた子どものことを「実の親を知らない可哀そうな子」と言うことの何が問題かというと、例えば精子提供で生まれたお子さんのお父さんは誰かと言ったら、日々の子育てをしている無精子症の方だったり、トランスジェンダーのパパだったりします。なので、お父さんは家族の中にちゃんと存在していて、子どもはお父さんを知らないわけではない。知らないのはドナーの遺伝情報であって、ドナーさんと会えないこと自体が不幸の原因とは限らない。もちろん、そういうことを秘密にしないといけないのは、子どもの不幸につながり得るし、精子提供で生まれて可哀そうなどと言われることこそ問題だと思います。
何が子どもの生活を大変にさせ得るのかを切り分けていくと、それは「父がいない」ことではなくて、父はちゃんと存在している。だからこそ、そのメディアのタイトルのつけ方のセンセーショナルさに、今の私たちだったら悔しさを感じることができる。でも、本当に追い詰められている時は、そういうことを書かれても、その通りですみたいな気分になってしまいます。
それは、戸井田さんには10年前位の経験かもしれないけど、今でもそういう偏見に満ちた言葉をかけられて傷ついている当事者が現にたくさんいらっしゃいます。そういった方を含め約400名の当事者の方たちがLINE上のオンラインコミュニティとして、ふぁみいろネットワークのオープンチャットに参加されています。あと、対面やオンラインのお話会をふぁみいろネットワークとしても開催して、当事者の方たちとお話しする機会があります。
そういった機会に、「あなたが遭ったその体験は不当なことである」、「周りのあなたに対する言い分は不当である」とご本人が怒れなくても周りが怒ることによって、そういった怒り自体が癒しにつながる。「やっぱり、これは言われていい言葉ではなかった。自分はそんなふうに扱われていい人間ではない」と、当事者のエンパワメントにつながる部分もあります。上手に怒って上手に困っていくのは難しいなと思います。
大島さん、困ったり怒ったりできていますか?
第三者が関わる生殖で誕生した子どもに寛容な社会に変えていく
社会の理解が不十分でも俯瞰できる見方を伝えるのも告知
大島さん) 今の時点で困っていることは、トランスジェンダーであること自体については困っていることがもちろんあるけれども、未来も考えて困っていることは、世の中がまだまだ第三者提供に対して寛容ではなく理解が進んでいないことです。息子は自分がドナーという方に助けてもらって病院の力も借りて生まれてきたこと、パパは精子がなかったこと、パパがもともと女の人で途中から男の人になったことを理解はしていると思います。それに対してすごく嫌な気持ちになっている様子は見えませんので、このままきちんとお話をして、今後いろいろ反抗期はあると思いますけれども、お互い話し合っていこうと思っています。でも、それでうまくいったとしても、社会がそれを認めてなかったら子どもたちはすごく辛いのではないかと思っています。
ふぁみいろネットワークに入りたいと思って声をかけさせていただいた時に子どもはもういたのですけれども、そういうことすごく考え始めていた頃で、どうにかして自分の微微たる力でもう少し努力することによって少しでも社会が変わってくれて、子どもたちが大人になった時に「自分たちの生まれ方とか、自分たちの存在っていうのは当たり前のことなんだよ」と思ってもらえるようになってほしいと思ってふぁみいろネットワークに入ったのです。なので、社会がこのまま変わらないのであれば困り事だなと思っています。
戸井田さん) 我が家も上の子が12歳で精子提供についてもういろいろ分かっていて、世の中の偏見も分かっていて、私も覚悟のような肩の荷がかなり降りて、精子提供で問題なく幸せに暮らせそうだなと今思っているのですけど、これから一番心配なのは、世の中の人たちが精子提供で生まれた子どもたちに対して、卵子提供や代理懐胎もそうですけど、子どもたちに対して寛容なのか、可哀想な子ども扱いされてしまわないかはすごく心配です。
私たちにとって告知というのは精子提供で生まれたという出自や愛情を伝えることだけではなく、社会というのは常に完璧なものではなくて、時に歪んでしまっていることもあるし、勘違いの上に成り立っていることや至らないこともたくさんあって、理不尽なこともあるんだよって、その社会を伝えることも告知の一部だと私は思っています。社会に出て理解されないような言葉をかけられるかもしれないけど、そんな時にちょっと社会を俯瞰して見られるような物の見方を子どもに伝えるのも精子提供で子どもを産んだ親として告知する時に大事なことだと捉えています。
でも、それを、これから生まれてくる子どもたちの親がずっと告知の一部として伝えていかないといけないというのは悲しいので、社会を俯瞰する子どもへのいい教材であるとも言えるのかもしれないですけど、社会の理解が進んでそういったことは伝えなくてよい社会になったらと常々思っています。
綾原さん) 心の底から同感です。佐伯さんいかがですか?
理解ある安全な場を社会全体に広げるために正しい情報で偏見を防ぎ特権者とも対話を
佐伯さん) 本当にそうですね。家庭や当事者間では理解があって、友達や家族間では安全が守られている、それはとても大事だけれども、その先に、アライや理解する人たちとつながれて、さらにそこから広げていけたらと思います。でも、それを子どもたちや当事者たちだけに負わせておくのは社会としてどうなのか。それをどうにかしていかないといけないのは、どんな差別や周縁化の問題でもそうだと思うけれども、特権側にいる側の責任や役割が大きいと思いますので、そちら側との対話も大事になると思います。それは難しい部分があるかもしれないけれども、対話ができるためには、社会で正しい情報にアクセスできる状況が必要です。安全な場を広げていくためにも、偏見や誤解をなくすためにも、正しい情報が広がることが必要だと思います。
綾原さん) そういう安全な場として、このソーシャル:ジャスティス基金のアドボカシーカフェを設定していただいていることに改めて感謝しつつ、私たちのパネル対話はここまでとして、大河内さんよろしくお願いします。
社会問題の原因のどこかに必ず自分自身もいる現実に気づく対話の場
大河内秀人さん) はい、どうもありがとうございました。
お困りごとをお聞きしたというのは、SJFアドボカシーカフェをもう88回、10年以上やっている中で、様々な社会課題に関して取り組んでいらっしゃる方が当事者を中心に支援者の方も含めて何に困っているか、何に苦しんでいるかというのは当然まず当事者に伺うのです。それを聞いて、なぜそうなっているのかを考えた時に、必ずその社会問題の原因のどこかに自分自身がいるという現実に気づかされて、その問題を一緒に考えていくというのがSJFアドボカシーカフェに一番共通していることだからです。
「困っている」「じゃあ助けてあげましょう」というだけでは、問題を本当の意味では解決できないわけで、社会みんなの問題として、あるいは自分自身の問題として考えていく。問題解決の起点はそこにあるのかなと思ってお聞きしました。
――グループ対話とグループ発表を経て、ゲストからのコメント――
※グループにゲストも加わり、グループの方々に感想や意見、ご質問を話し合っていただいた後、会場全体で共有するために印象に残ったことを各グループから発表いただき、ゲストからコメントをいただきました。
綾原みなとさん) ブレイクアウトルームでは踏み込んだお話もすることができて、とてもいい経験になりました。「当事者が声を上げてくれて良かった」というようなことを言ってくださった方がいらして、私たちがむやみに声を上げると変な石が飛んできがちなので、安心して話せる場所が増えてくれることが声を上げる上での大きな励みになります。こういった形で88回目のSJFアドボカシーカフェの対話テーマとして私たちのことを選んでくださったこと本当にありがたく思っております。
それに、困っていることを話してくれと言ってもらえたことは、大河内さんにとっては何気ない一言だったと思うけれども、私はすごく嬉しかったです。困っていることって今まで誰にも聞いてもらっていなかったなと思ったので、一人の人として困ったり怒ったり連帯したり対話したりしながらやっていこうと、すごく存在を肯定されるきっかけになったご質問だったのでこれからも大事に温めていきたいと思っております。今回は本当にありがとうございました。
大島海都さん) 第三者提供の道を選んでいろんなことがありましたし、トランスジェンダーのことに関しては本当に差別も受けましたけれども、トランスジェンダーに関しても第三者提供に関しても当たり前になるのはすごく難しいと思いますし、道のりは長いとも思っています。
じゃあ、不可能かと思ったら不可能じゃないと思っています。私がトランスジェンダーだと思った時は20年以上前ですけれども、その時と比べたら世界がずいぶん変わりました。それはみんなが、当事者が努力してきたことももちろんあると思うけれども、周りの方々が理解しようといろいろな知識を取り入れて存在を受け入れようと努力してくれたからだと思うのです。
今回、たくさんの当事者じゃない方ともお話しさせていただきましたけれども、いろんな家族があっていいんだと思ってくださっている方がいる限り、この当たり前になるということは可能であると本当に気づかされました。今後もふぁみいろネットワークを通して一つ一つ積み重ねて、どんな形の家族どんな生まれ方であっても一人の子として存在し、かけがえのない存在であるということ、そして当たり前の存在であるということを社会に知っていただくようにこれからも頑張っていきたいと思います。今日はありがとうございました。
戸井田かおりさん) 私も最初は無精子症当事者という状況だけで、無精子症の夫婦のいろんな思いや悩みの事しか知らなかったのですけど、ふぁみいろネットワークで精子提供以外の卵子提供の人たちともつながった時に、皆ちょっと違うけど似たような思いを抱えていたり、卵子提供の方から学ぶことも多かったりしました。また、大島さんからいろいろ話を聞くと、精子提供の前にトランスジェンダーという大きな山があっていろんな経験をしていらっしゃって、そこで学んだことで精子提供を考えるために活きていることが多くあったり、研究者のお話を聞くことによって俯瞰することができたり、自分と違う人とつながることの素晴らしさをふぁみいろネットワークで感じました。
今日、当事者以外の前で話すのは初めてではないけどレアな経験だったのですけれども、自分たちと違うけど様々な関心事をお持ちでいろんなことを考えている方たちが参加してくださっていたので、そういった方たちとつながって対話ができることで視野が広がることは多いのだと改めて感じました。同じ当事者だけで固まるのではなく、そういったよいつながりをどんどん増やせていけたら素敵だと感じさせていただける素晴らしい時間を過ごさせていただきました。今日はどうもありがとうございました。
佐伯英子さん) 皆さんに参加していただいたことでいろいろな話ができ、本当に得ることの多い素晴らしい時間だったと思います。
最後のグループ対話の中で、子どもを持つ・持たないも含めて、もっと大きな意味で人生をどんなふうに生きていくかとか、どんな選択をするかというところで、いわゆる「普通」と言われているところに寄せていかないといけないようなことが起こっているという話も出ました。それは、「呪い」とか「呪縛」という言葉でキーワードになっていたのですけれども、そういうものが段々と解けていくことはすごく大事だなと思いました。
他のグループからは若い世代の人たちと活動されているという話も出てきました。一般的に生殖医療の話は高校生や大学生の頃から理解できると考えられているけれど、いろんな生き方や在り方が認められて尊重される社会が大切だというのは子どもが小さい時から伝えられると思います。その中で、お互いを尊重して全ての人が大切な一人であるということ認められていくことが大事だと思いました。それができる土壌があれば、たまたま友達が精子提供という形で生まれていても、子どもたちもきっとニュートラルに受け止められるようになっていくと思います。ネガティブなものではなく、人の個性の一つとして捉えられるようになるためには、いろんな世代の人たちが知り、いろんな人と話をしていくのが大事だと思いました。それを今日のグループ対話で感じることができ、本当に感謝だなと思っています。ありがとうございました。
大河内秀人さん) 今日はこのようなテーマに出会わせていただいて、皆さんの一つ一つの言葉を聞いて実りが多かったと思います。特に今日ご登壇いただいた方それぞれ当事者であり、お子さんに告知をされている中で、お子さん自身がそれを受け止めているということ、お子さん自身が当事者として自分自身に対して向き合ってこられたということ、家族同士、親御さんとの信頼関係があり、自分の存在に対する肯定感、自分が生きている喜びをきっとお子さんたちも深めていったのだと感じました。
お困り事がそれぞれまだあるだろうと思いますけれども、それもそんな中で乗り越えていき、私たちもこの社会を作っている当事者の一人として、あるいは偏見を形成する当事者の一人として、多くの人たちと対話を重ねていきたいと改めて感じさせていただきました。ありがとうございました。
●次回SJF企画のご案内★参加者募集★
『ソーシャル・ジャスティス 連携ダイアローグ2024.Autumn』
【日時】2024年11月16日(土)13:30~16:00
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※今回24年8月31日のアドボカシーカフェのご案内チラシはこちらから(ご参考)