このエントリーをはてなブックマークに追加
Share on Facebook
Post to Google Buzz
Bookmark this on Yahoo Bookmark
Bookmark this on Livedoor Clip
Share on FriendFeed
LINEで送る

ソーシャル・ジャスティス基金(SJF)アドボカシーカフェ第92回開催報告

 

「薬物依存×女性」

―尊厳をもって生きていくためにケアの視点を薬物政策に―

   

 2025年7月26日、ソーシャル・ジャスティス基金(SJF)は、大嶋栄子さん(NPO法人リカバリー代表/国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所客員研究員)、ともさん(「女子薬物回復支援センター」修了生)、ゆかりさん(AAやNA[依存症者の自助グループ]参加中)を迎えてSJFアドボカシーカフェを開催しました。

 

 薬物を使わざるを得ない背景にあるトラウマに特化し、生活に根差したケアをコミュニティベースで行っているNPO法人リカバリー。薬物依存で受刑した女性たちが出所後、自分自身と他者への信頼を回復し、相談できるようになるために、安心できる住環境や、段階的な就労復帰を支援しようとしています。

 女性が違法薬物を選択せざるを得ない状況に追い込まれる背景には、ジェンダー問題も複合し、差別や貧困、性暴力やDVを生む社会の構造的問題があることを大嶋さんは説明しました。

「ダメ、絶対」というだけの政策や教育では、薬物に一度依存してしまったら「もう人間として終わっている」というスティグマが社会から押され、本人もそう自分を線引きしてしまうことが体験から明かされました。そうして排除され孤独に陥る社会では、自分自身を大切にできず、自分は大事にされていい存在だとも思えず、尊厳をもって生きていくことが困難になると大嶋さんは強調しました。

 女子依存症回復支援センターを体験した「ともさん」と「ゆかりさん」。自分を見つめる時間をくれて、薬物を止めたい仲間が一緒に悩み考えられた場だと言います。「手仕事&アート」で作った“ことばの石”を大切にしている「ともさん」は、そのペイントを先生も仲間も一緒に考えてくれたことは、それまで生きて来た世界には無かった貴重な体験だったと語りました。

 依存症は依存先が極端に少なくなる病気だと捉え、安全な依存先を社会の中に作っていくことを大嶋さんは目指しています。自助グループに通い始めた「ゆかりさん」は、最初は発言できなかったけれど、苦しんできた仲間がハグや握手をしてくれて、少しずつ発言できるようになり、居心地のいい場所になってきたそうです。「ともさん」は、自分で課したタスクをこなせないことに苛立ち、自分が嫌いになると楽になる方法を探してしまい、選択肢として薬物があることと闘い続ける辛さに向き合っています。本人が自分の特性を理解して受け止め、社会生活でのプレッシャーを軽減できるような、特性ゆえの困難性を楽にやり過ごしていけるよう、みんなが“普通に”協力できる社会が望まれています。

詳しくは以下をご覧ください。   ※コーディネーターは朴君愛さん(SJF運営委員)。

 

 

 

——大嶋栄子さん(NPO法人リカバリー代表)のお話——

 皆さんこんにちは。北海道札幌市から参加しております。まず私の方から話をして、その後、当事者であるゆかりさんと、ともさんを交えて2人の体験を皆さんと共有していきたいと思います。

 今日は「尊厳を持って生きるためにケアの視点を薬物政策に」というテーマになっております。

 私は、東京都小平市にある国立精神神経医療研究センターの精神保健研究所の薬物研究部で、客員研究員もしております。主に女性の薬物依存の治療法の開発や、ケアをどういうふうに組み立てていけばいいのか研究し、実装し、報告をするという仕事をしております。

 

 

 

 

 

 

女性が違法薬物を選択せざるを得ない状況に追い込まれる社会という視点を

 さて、日本は特に違法薬物に関しては「ダメ、絶対」という政策をずっと続けてきました。

 私自身はバックグラウンドがソーシャルワークで、キャリアのスタートが精神科病院です。依存症専門病棟に入院されている女性たちとの出会いが、アディクション問題、依存症に関する私の見方を大きく変えました。『生き延びるためのアディクション』という本は、私の博士論文をもとに2019年に金剛出版から出版された本です。博士課程が終わったのは2011年なのですけれども、それから出版するまでに時間がかかりました。

 この「生き延びるためのアディクション」という視点が、日本の「ダメ、絶対」という政策の中には圧倒的に欠けているということを、まずお伝えしたいと思います。

 ご紹介するさまざまな女性をめぐる困難や現象は、ある意味、それをどうしてもせざるを得ない、選択せざるを得ないという状況に追い込まれた時に起こっているという視点がどのぐらいあるかということが非常に重要だと思います。本の内容を少し読みたいと思います。

「この国では、誰の目にも問題が無視できなくなって、ようやく制度が整備され、援助職が配置される。しかし、抜本的な制度全体の改革には至らない。」「しかも、こうした変化には多くの犠牲を伴ってきた。命を失った子ども、住み慣れた場所を捨てることになった女性、そして薬物依存の単純所持と使用で、治療や援助から排除されるだけでなく、犯罪者として収監される人。」

 これは何を言っているかというと、問題はずっとその前からあったのに、誰の目にも問題が無視できなくなって、たくさんの犠牲を伴って、ようやく制度が変わる。2000年代初頭に児童虐待防止法ができ、そしてDV防止法ができたのですが、抜本的な制度全体の改革には至らない。その1つとして今日話題にあげます薬物依存の問題があります。

「一方、いじめや虐待、常習性窃盗の背景にある暴力の連鎖、あるいは女性の貧困、それを生み出している構造も、最近では徐々に可視化されるようになった。社会におけるひずみが大きくなればなるほど、そのひずみが内包するマイナスのエネルギーの矛先は、力の弱い人へと向かいやすくなるメカニズムについて、多くの研究者が言及している。」「最も鋭利にそれが表される援助現場が、実はアディクション問題なのだが、この極めて社会的な文脈と共振しながら、だからこそ多くの知見と援助技術を総動員しつつ、しかも当事者と援助者が相互の資源となって、回復と成長への展開が見られるダイナミズムがあまりに知られていないことは残念である。」

 ということで、今日、私のお話だけではなく、お二人のゲストをお招きしている理由は、実は私たち援助職と言われている人たちも、当事者の生活の実態や内面の苦しさは意外と知らないということを、皆さんにも知っていただきたいからなのです。彼女たちが抱えている困難は、彼女たちの問題というよりは、私たちが暮らしている社会側の課題がかなり多い。だけど、たくさんの犠牲が払われなければ、制度がなかなか変わらないという状況にあるのだということをまずご理解いただけたらと思います。

 

 では、彼女たちはなぜ生き延びるために、たくさんのさまざまなアディクションが必要だったのでしょうか?

 皆さんのイメージとしては、やめられなくなる薬物の中には、今日のお二人のように非合法の薬物を使っている人もいらっしゃいますが、実は合法薬物を使っている方もたくさんいらっしゃいます。私としては、合法であるか違法であるかは正直なところあまり関係がない。それよりも、合法であれ違法であれ、なぜ彼女たちはそれを使わざるを得なかったのかというところに焦点を当てて付き合ってきました。

 3つの事例を紹介します。20代のaさんとbさん、そして30代のcさん。いずれも、さまざまな困難の掛け合わせの中でリカバリーにたどり着いた人たちです。自分たちに起こった出来事を本人はどういうふうに位置づけをしているかというと、「自分の責任である」、「自分の側に問題があったのだ」と受け止めがちです。だけれども私から見ると、重なる暴力被害があったり、性暴力被害がある上に家族の崩壊による早すぎる自立が必要だったり、家族間の葛藤と緊張があるなかで自我境界が曖昧であったりする環境の中で暮らさざるを得なくなった時に、やはり何か気分を変えるものを必要とするだろうと思います。

 残念ながら、彼ら彼女たちはその気分を変えるための何か、ここでは薬物になりますけれども、それらをちょうど良く使うことができなくなっていく状況に陥るわけです。でも、相変わらずそれは自分の問題だと受け止めてしまっていますし、周囲からはたくさん非難されるので、相談もできませんし、困り事は深まって大きくなっていくけれども、一向に状況は良くならない。しかも、「助けを求めていい」とはなかなか思えないのが現実です。

 

薬物を使わざるを得ない背景にあるトラウマに特化し、生活に根差したケアをコミュニティベースで行うNPOリカバリー

 ということで、私は精神科医療機関の中でキャリアをスタートさせたのですが、この問題は医療機関の中でなんとかできることではないと思いました。なので、医療機関をやめて、一旦大学院へ戻り、彼女たちの抱える社会的な課題としての「生き延びるためのアディクション」をどのようにサポートしていけばいいのか、まずは研究ペースで解明してきたわけです。その十数年間の医療機関での体験の中でたくさんの事例がありましたので、彼女たちのインタビュー調査を修士論文にまとめて、治療的・援助的なアプローチの組み立てを生み出していきました。

 そして、せっかくそこで分かったことを実装することが必要でした。2002年当時どういった枠組みを使うかは非常に議論が多いところではあったのですが、私は彼女たちと話していく中で、精神障害者という枠組みで――彼女たちの中の抵抗もあったのですが――助成金を行政からいただいてロングランで継続的に支援できるような組み立てを作っていきました。それが2002年だったわけです。

 たくさんの暴力被害が、彼女たちの薬物を使わざるをえない背景にあるのですが、こうしたトラウマに特化した生活に根差したケアをコミュニティベースで行うのは、おそらくリカバリーの取り組みが日本で初めてだと思います。これは長い支援になっていくだろうと思いましたので、根拠法によって行政から定期的に利用者数に応じた支援が受けられるような枠組みを使ってスタートしました。

 当初は精神障害者という枠組みを使っていたのですが、2015年に障害者総合支援法という法律が知的・精神・身体、そして難病という障害が統合されて1つの施策として行政からサービスを受けられるシステムに変わっていきます。この時に私たちの事業も障害福祉サービスの枠組みに入って、国からの給付金を利用者数に応じて得られるスタイルに変更しています。ただ、2002年にスタートしてから2015年までも主に行政の助成金を使っていましたので、システムとしてはそんなに大きく変わりませんでした。

 利用者数は2002年当初は月間約5名だったのが2020年以降は急激に増加しています。これは2016年に「相談室それいゆ」を開設して計画相談を作るためのサービスを始めていて、その利用者さんも含まれるためでもあり、現在は70名弱の人が利用しています。

 特に、違法薬物を使う女性たちの回復支援事業を、法務省からの事業委託を受けて2019年から2024年までの5年間、札幌刑務支所(女性の刑務所)の中で行っています。これについては後で述べると共に、今日のゲスト、ともさんとゆかりさんからこのセンターでの体験を対話の中で話していただく予定です。

 もう1つ、2016年に「相談室それいゆ」を開業してから10年程経ち、ご本人もかつてこのサービスのユーザーであった方、精神疾患――私たちの法人では主に依存の問題を抱えている、あるいは発達障害の背景を持っている――という当事者性のあるスタッフ、いわゆるピアスタッフを雇用し始めました。今11名のスタッフがおり、非常勤の4名は全員がピアスタッフです。ですので、国家資格を持つ援助職の私たちだけでは分かり得ない部分の多くをピアスタッフが担っているのは、リカバリーの支援の特徴とも言えます。

 

 さて、先ほどお話をしました2019年から24年まで5年間行ってきた刑務所の中の取り組みについて簡単にお話しします。「女子依存症回復支援センター」(以下センター)です。塀の中から外へ、途切れないように支援をつなげていくことをやっていました。

 まずは塀の中で、特別に用意された治療プログラムを受けていただいて、塀の外に出た時に、信頼できる人にいろいろ相談できるようにするシステムを構築しました。これは一定程度の成果を上げたのですけれども、依然として残っている課題も多くあります。

 実は、札幌の女子刑務所の中でセンターが立ち上がったのですが、収監される女性の約半分は関東圏に戻るのです。ですから、出た後の支援がなかなか届かないという課題が1つです。

 それともう1つ、私たちは2015年から根拠法に基づく障害福祉サービスの提供をやっているのですけれども、彼女たちの自己認識としては、自分にそういった障害はないという自己認識なのです。「自分は確かに覚醒剤の使用ということではコントロールができなかった時期はあるけれども、それ以外は特に困っていることない。私には“障害”はない」ということで、私たちのサービスは彼女たちにはピンとこなくて、自分には当てはまらないと認識してしまうことが多い。私たちから見ると、彼女たちの抱えている困難こそ、まさに障害だと思うのだけれども、彼女たち自身はそう思われない。この食い違いを、塀の中でも塀の外でも本当に彼女たちに分かってもらうのが難しかった。ですので、実際に出所して生活が始まってからようやく、彼女たちは自分の困難性を実感を伴って分かるということになります。

「塀の外と中をつなげる」というコンセプトで始まったプログラムではあったのですが、この塀の外に出てからの支援には全く予算がつかないのです。ということで多くの課題を残したまま、プログラムが5年で終わりました。

 

薬物依存を抱える女性たちが陥りがちな負のループ

 さて、今日は違法薬物にフォーカスをしてお話をしますが、薬物依存を抱える女性たちが陥りがちな負のループがあります。特にこの「ダメ、絶対」政策との兼ね合いで言うと、まず、「ダメ、絶対」ですから使用した薬物が違法薬物であれば逮捕されて、最初は執行猶予がつきます。ここでうまく止まるといいですが、例えば1年半の実刑・3年の執行猶予――今日のゲストのゆかりさんも最初、そういう判決をもらいました――という時、次に捕まると今度は刑務所に行くことは、ゆかりさんも重々わかっていました。だけど、執行猶予期間の3年は意外と長いのです。最初のうちは気をつけて生活をしていたかと思うけれども、だんだん薬物を使わざるを得ないような状況となります。ダメなことは分かっているけれども、少しずつ使い始める中でまたコントロールが難しくなり、結局捕まったわけです。

 そうなると実刑判決を受け、刑務作業中心の受刑生活となります。そこでは治療や社会復帰の支援はほとんどありせん。いきなり出所するわけです。みんな「いつ仮出所になるか」だけを考えて、日々淡々と刑務作業をしているのです。ゆかりさんも執行猶予判決を受けた時は一回家族のもとに戻りました。

 ご家族の方は心配してケアを提供しようとするけれども、薬物を再び使い始めてしまうと、どうしていいかわからなくなってしまいます。ご家族は、1回目は仮釈放をいただいて釈放されたにもかかわらず、再びの使用を止められなかったという現実を見てしまいますので、自分たちがケアをできるとは思えず、本人の身元引き受けを断ることはよく起こります。そうなると、出所後の不安定な住居環境や、無理な労働環境に飛び込んでしまって薬物の再使用を繰り返す、という負のループに入ってしまうのです。本人も自分のせいだと思い、家族もできることが少ないと思ってしまうという、この負のループに入ってしまうと、現状を変えることが難しくなります。

 

出所後、自分と他者への信頼を回復し相談できるようになるために 安心できる住環境、段階的な就労復帰 

 では彼女たちの尊厳を守りながら負のループを変えるのに私たちはどうしていったらいいのか、と考えました。

 まず、薬物使用により逮捕されて受刑生活に万が一なったとしても、罰ではなくて必要な治療を受けられる受刑生活。これがセンターでした。

 問題なのは出た後なのです。出た後、応援団からの援助を通じて自分だけではなく他の人への信頼を回復していくことが必要ですが、ここで大事なのは、安心して住める場所と、少しずつ就労に復帰していくということです。いきなりフルタイムとか、薬物への依存を全く知らない人たちの中で緊張感を持って働くということは、現実問題として短期間であればできなくはないです。けれども、それがまた大きなプレッシャーになって、結果として薬物を再使用してしまうことは残念ながらよくあることです。

 ですから、なぜ自分は薬物に依存せざるを得なかったのかというところを、よく彼女たちが理解し、それを塀の外に出てからも理解を続け、そして周囲からも理解をしてもらうというような体験の中で、ゆっくり生活を落ち着かせるということ。また自分の関心のある領域での労働体験を通じ、徐々に自分が「やっていけるな」というようなプラスの体験を積み重ねていくことが非常に重要になります。

 しかし、今日のともさんやゆかりさんのように、こういったサポートを受けるとかSOSを出すということが最初から上手にできるわけではありません。2人とも、何度もうまくいかないことがあって、いろいろな体験を経て、ようやく少しずつSOSを出すとか相談することができるようになっています。といっても、そもそも自分が何に困っているのかを、自分でよくわかっていないということもあります。たくさんの体験を積み重ね、生活が落ち着き、そして信頼できる関係ができて、ようやく少しずつ相談ができるようになっていくのです。

 安全な依存先を社会の中に少しずつ作っていくことができるようになるのが目指す姿だし、先ほどのマイナスのループから抜け出し、新しいプラスのループに入っていくということが重要になっていきます。私たちはこれを札幌をベースに障害福祉サービスという枠組みでやっています。けれども、これは彼女たちの実感からは遠いのです。なので、なんとか障害福祉サービスとは別の形で、新しい支援スタイルを構築できないかと私たちは模索してきました。

 この度、いくつかの助成金を獲得し、東京都の豊島区を拠点に、これを実装させるプロジェクトをスタートさせています。具体的には、1つは生活の場所としてのシェアハウス。これは定員が4名。1泊からでも利用は可能です。スタッフが常駐していて、困りごとに対応します。また、遊びに来たり、ちょっと愚痴をこぼしに来たりする居場所としても機能します。例えば更生保護施設を出た後、あるいは一旦アパートを借りたけど生活が立ち行かなくなった時、あるいは一緒に暮らしている人から暴力をまた受けるようになった時、そういう時にシェアハウスを一時的に使うのでもいいですし、6か月とか1年とか、自分の生活が次にスタートできるまで使うことのできる場所としてオープンさせようとしています。

 もう1つは、就労の場所としてのカフェです。これは札幌で既に素敵なカフェを20年近くやっておりますが、今度は東京で同じようにカフェを運営する予定です。こちらも同じく豊島区で、オーガニック野菜を売っているカフェと花屋さんを併設している“Farm to Farm”で、月に一度だけ就労の場所としてお借りしています。山手線駒込駅から徒歩1分ほどの非常に便利な場所にあります。毎回2人の当事者女性を雇い入れさせていただいています。彼女たちにとって、このシェアカフェを通じていろいろな仕事をしてみる機会になればとも思っています。また、そこでいただける賃金はシェアハウスの家賃や生活費に充当していだければと思っています。カフェで働いてみると、自分自身のエネルギーに気づいたり、自分事ではないと思っていた障害福祉サービスの利用を再スタートしたりするかもしれませんし、今度は違うフルタイムあるいはパートタイムの仕事をしてもいいと思うかもしれません。このシェアカフェ事業は今年の1月から月に1回、現在も行っています。これを実装させようという事業を「東京プロジェクト」と私たち呼んでいて、本格的な始動は来年の春を予定しております。

 NPO法人リカバリーはこれらの新しい取り組みを法人の独自財源で回していくので、行政からのお金は一銭も入ってきません。ということで、今年の6月からは、これらの取り組みを寄付で支えてくださるマンスリーサポート制度をスタートさせております。

 

 

 

(マンスリーサポート制度のQRコード)

 今、彼女たちはたくさんの傷を抱えながら生きていますけれども、傷を依存症という形で表明するのではなく、私たちもこの傷と一緒に彼女とたちと共に生きられるような社会をつくっていきたいと考えています。たくさんの方々にご協力いただけたらうれしく思います。

 

 

 

——パネル対話(ともさん・ゆかりさん・大嶋栄子さん——

大嶋栄子さん) ここからは、お二人の方をゲストにお招きして、お話をしていきたいと思います。

 今日、お二人にお話をしていただくにあたって、皆さんにご了解いただきたいことがあります。お二人は画面をオフにして、お名前だけ表示される形で、出演してくださることを了解くださいました。

 

 最初にともさんから簡単に自己紹介をしていただきます。ともさんと大嶋が出会ったのは塀の中です。先ほど私がお話したセンターにともさんが配属されて、そこで出会いました。実は、ともさんはセンター以外にも、受刑体験があります。ともさんが薬物の問題で受刑体験をされてきたのと、それからセンターで行っていた塀の中のプログラムを受講された体験に関して、どんなことが同じで、どんなことは違ったのかという辺りについてお話しいただきつつ、ともさんにご自分の紹介をしていただければと思います。それでは、ともさん、よろしくお願いします。

 

ともさん) よろしくお願いします。緊張しています。

 いきなり本題に入ってしまっていいのかなと思ってしまうけれども。

 

大嶋さん) いきなり本題の方が分かりやすいかな。

 

自分を見つめる時間をくれた「女子依存症回復支援センター」 薬物をやめたい仲間が一緒に悩み考えた場

ともさん) 今、大嶋さんが話したように、私は支援センターという場所の前にも一度、受刑生活がありました。その時は、依存症から回復するための専門プログラムは受けていません。ほとんどの受刑者はそういう生活をしています。普通の受刑生活というのは、規則正しい生活。朝起きて身支度を整えて工場へ行き、作業をして帰ってくるという毎日でした。それは、刑務所に来た原因に対して何かをするというわけではなかったし、判決裁判で受けた年数を消化することが受刑生活で主に考えていることでした。

 薬物依存で逮捕されて刑務所に入ってきた人に対し、薬物のプログラムが一応あって、選ばれた人が受講するのですが、それは個人に向けたものではなくて、薬物とはこんなものですよという勉強をする場です。それを受けたからといって何かが変わるわけではなく、覚醒剤とか薬物は怖いという学習はするけど、それ以上に大変なことがあって薬物を使った経緯が自分の中にはあるから、そのプログラムをやったところで何も感じない――と言ったらおかしいのかな、でも、そうでした――。そんな感じで、普通の受刑生活というのは時間を消化するためにいる感じですね。

 大嶋さんと出会った薬物依存症から回復するためのセンターは大変でした。本当に辛かったです。自分のダメなところとか分かっていたけど、そこから目をそらして生きてきたのに、それに目を向けなきゃいけなくて。でもそれをしないと、自分は、何がきっかけで、どうしてそこから離れられなかったのかということも根本的に分かっていなかったし、そういう、自分一人では気づけないことを、支援センターという場所が気づかせてくれました。自分を見つめる時間を与えてくれたことで、自分の薬物の問題だけじゃなく、いろんな問題を紐解いていったり、教えてもらったり、時には決断をさせられたり。支援センターはそういうところでした。センターは、自分と向き合い、薬物をやめたいと思っている仲間が一緒になって、お互いの問題について考えたり悩んだり、そういう場所でしたね。

 

大嶋さん) 言葉を使うプログラムが多かったから辛かったと思います。

 ともさんがアイコンにしてくれたこの写真について、少し説明してもらっていいでしょうか?

 

 

 

 

 

“落ち着く石” 先生も仲間も一緒に考えてくれた体験 生きてきた世界にはなかった

ともさん) 支援センターでは1週間のプログラムのタイムスケジュールが午前と午後で決まっています。アイコンにした写真は、「手仕事&アート」といって、午後に外部から講師の先生が来て、みんなで何かを作り上げる時間があります。これは“落ち着く石”です。“ことばの石”ともいって、自分にしっくりくる石を自分で選んで、そこに自分でペイントをするというものでした。私はそういうこと…あまり得意じゃないんです。手が汚れるのがすごく嫌だし、気持ち悪いんです。

 だけど、一生懸命一緒に考えてくれるんです。講師の先生もみんなも。こんなのいいじゃない、あんなのいいじゃないとか言って。そういうの、私が生きてきた世界では体験できなくて、本当に貴重な体験をさせていただきました。この石は刑務所の中で作った物なので持って帰れないという話を聞きましたが、この石というのは、どうしようと思った時や、スリップしてしまいそうな時とか、危ない時に、石を握って心を落ち着かせるという意味合いを持っているものだから、出所の時に持たせていただけて良かったです。

 私は一人で、孤独だったし、すごくしんどかったから、この“Me too”というメッセージを書きました。この言葉がその時にすごくしっくりきていたので作りました。

 

大嶋さん) ありがとうございます。

 次に、ゆかりさんに自己紹介をしていただきます。ゆかりさんはセンターに配属される前に既に刑務所にいらして、刑務作業中心の生活からセンターに移管されたのです。だから慣れるのにすごく苦労されていました。ゆかりさんは、1回目は執行猶予をいただいたけど薬物をまた使ってしまって刑務所に行くことになりました。普通の刑務所の方がゆかりさんには良かったと感じられることがあったかもしれないと思うので、その2つを比べて何を感じたかを、自己紹介を兼ねて教えてください。

 

ゆかりさん) よろしくお願いします。他の工場では、センターと違って一日中作業があるのですけど、センターでは一日の半分は刑務作業をして、もう半分はミーティングとかプログラムをするところだったので、まず慣れるのにすごい時間がかかってしまって。先生たちも、以前行った工場の先生たちよりも関係がまだ浅いから、あまり相談もできなくて。そんななかで規則違反をしてしまって、支援センターにいることができなくなってしまったのです。普通の工場はただ黙々と刑務作業をしていればいいけど、支援センターは言葉にしてくプログラムが多かったので、普通の工場に戻りたいという気持ちはありました。

 

塀の外に出てから 「事業所に毎日に行く」と自分で決めて、シラフで生きる今日1日

大嶋さん) ありがとうございました。ゆかりさんは言葉にするのは負担が大きかったみたいで、普通の受刑生活に戻って逆に良かったと思ったところもあったのかなと思います。

 ゆかりさん、続いてこのままお聞きしたいと思います。今日、ご参加されている皆さんは、違法薬物を使う女性たちの現状というのは、ほとんどご存知ないと思います。「捕まるような体験があったら止めるだろう」と普通は考えると思うけど、ゆかりさんは仮釈放された後、リカバリーが運営しておりますグループホームに入所しました。では、実際に薬物使用が止まったのかどうか、またALも含めた合法薬物もゆかりさんは必要があって使ってきた経緯があるのですが、この止める・止めないをめぐって、塀の外に出てから生活がどうなったかということについて教えてもらえますか? またその時どんな気持ちだったかということも教えてもらえると嬉しいです。

 

ゆかりさん) 塀の外に出てきてからも、処方薬やお金はグループホームの方で管理してもらっていたので、前みたいに自分でいっぱい飲みすぎることはなかったけれども、慣れない環境で、お酒や薬物を自分で手に入れるようになってしまって、もう使っていても使っていなくても、しんどいことばかりで。

 

大嶋さん) 実は、いろんなことはありましたけど、今は薬を使わないでいられています。この変化はどういうふうに起こったのか教えてもらっていいですか?

 

ゆかりさん) 今、ちょうど4カ月ぐらいのクリーンがあるのですけど、最後に違法薬物を使った時と、お酒を飲んだ時に、すごく怖い体験をしました。それが頭からまだ抜けなくて、違法薬物もお酒もうまく使うことはできないと思って、とりあえず「事業所に毎日行く」と決めて、今は断酒と断薬を頑張っています。

 

大嶋さん) ありがとうございます。しばらく使わないでいる毎日を送っているけど、一日を例えばどんな生活を送っているのか教えてもらっていいですか?

 

ゆかりさん) 朝はちゃんとした時間に起きて、時々4時とかに起きちゃうときもあるけど。B型(注:就労継続支援事業:就労に向けた準備をおこなう場所)の事業所に通っているので、時間になったら今住んでいるグループホームから出て、地下鉄で通っています。午後3時ぐらいまで事業所で日中過ごして、作業をしたり、支援センターでもあったような手仕事&アートみたいなプログラムをして過ごしています。

 

大嶋さん) 今、ゆかりさんはお仕事をする準備として、いろいろな作業をやっています。そういう体験の中で分かった、自分の得意なことや、自分があまり得意じゃないことは少し見えてきましたか?

 

ゆかりさん) はい。自分で思っているのは、集中力が欠けてしまって、苦手な作業とか、得意な作業があるんですけど、今カフェの仕事をさせてもらっていて、それが自分に合っているなあとは感じています。

 

大嶋さん) はい、ゆかりさんにはちょっとお休みいただいて、次、ともさんに伺っていきます。

 塀の外に出てから、ゆかりさんはグループホームという支援センターの延長にあるような支援が割りと手厚いところを選ばれたのですが、ともさんは、そうではない方向を選ばれました。実際に地域へ出てからいろんなことがあったけれども、話せる範囲で構わないので、出てからどんなことが大変でしたか?

 

ともさん) 私が大変だったのは、第一にレジが自動化していたことです。

 

大嶋さん) セルフレジですね。

 

ともさん) そうです。コロナの間に刑務所に行ったので、私が外にいたころはセルフレジが普及していなくて。だから、中にいた時に先生たちに「えっ、どうやってやるの?」と言って、みんなでロールプレイングをやってイメージトレーニングをしたし、やり方も覚えていったのに、目の前にすると上手くできなかった。それって、レジだけじゃなくて、いろんなことがそうだった。

 こういうことが起こるかもしれないって、いっぱい考えていったけど、残念ながら私に起きたことは全然想定していなかったことばかりで。例えば、妹の死だったり、自分の身体の変化も含め、センターの仲間の死だったり、そういう人の死に直面することが多かったです。それが、自分の気持ちと裏腹に、自分の心をどうにも持ち上げられない。心がダメだと身体もダメで。そんな時はいつも大嶋さんに電話していました。

 

大嶋さん) 本当に思いがけない出来事でした。2つともまさかそんなことが起こるなんて、これっぽっちも予想してないことが立て続けに起こって、すごくインパクトありましたね。

 

ともさん) そうですね。

 

自分で課したタスクをこなせない苛立ち 自分を嫌いになると楽になる方法をさがしてしまう 選択肢として薬物があることと闘い続ける辛さ

大嶋さん)  出所して暮らし始めてだいぶ時間が経ちましたが、今どうでしょうか?

 

ともさん) 妹の死があったけど、妹には今高校1年生の子どもがいるんです。その子、実は私が今育てていて、それがもう大変で。子育てなんてしたことないから、そこがしんどいですね。そこがしんどいと、他もしんどくて。こだわりが強い毎日を送っていたから、その一日のタスクをこなせないことに苛立ちも覚えるし、劣等感もあって。

 そこでまた悪循環が始まって、人に優しく接することができなくなっている自分を感じるし、そういうのを感じると、また自分も嫌になって。自分のことも嫌になったら、楽になる方法を探してしまいます。これは、多分ずっとこの先何十年もそうだろうけれども、辛い時の選択肢として薬物があるってことと常に闘っていなきゃいけないっていうのがもう辛いです。でも、薬物とか違法なことをすればいつかは捕まるだろうし、ましてや覚醒剤で捕まった前科があるとなると、目が届きやすい状態でもあるから。今の自分の生活を守るためには、やっちゃいけない。でも、もう自分の生活をどうしていいか分からない。やりたい、やれない、しんどいです。

 

大嶋さん) 支援センターの中でも、コアプログラムで、いろんな想定外のことが起こるという話をして、そういうことに出会ってしまった時に慌てるけど、慌てた時にどうやって立て直すかという話をみんなで一生懸命しました。ですが、ともさんの出来事が起こった時は、私も本当にびっくりして、どうしようと思って会いに行ったことがありました。

 

ともさん) ありがとうございます。

 

大嶋さん) なので、塀の外に出た後、引き続きコミュニケーションが取れる敷居の低い関係があるといいなと思ったのですが、その辺いかがでしょうか?

 

ともさん) 私は人に自分の心を打ち明けるのはあまり得意じゃないし、気持ちを言葉にして表現して伝えるというのが得意じゃないから、刑務所の中にいる時に、そういう関係がもうできていることは凄く良かったです。自分のことを知ってもらう時間もあるし、一緒に考えてもらう時間があるから、これから起こることを想定して準備する時間もあるから凄く心強いです。

 

大嶋さん) そういった意味ではセンターは役に立ったかもしれないですね。

 

ともさん) そういった意味以外にも役には立っているような気がします。けど、私には。

 

苦しんできた仲間がハグや握手してくれて、少しずつ発言できるように 居心地のいい場所になってきた自助グループ

大嶋さん) はい、ありがとうございます。

 さて、ゆかりさん、塀の外に出てからも、しばらく薬物の使用が続く時間もあって、自分ではもうどうすることもできなくなった。止めるのも大変、使うのも大変という状況になって、それがようやく今止まって数ヶ月経っているということですね。

 今、ゆかりさんはようやく、自助グループといいまして、同じ依存の問題を抱えている人たちのミーティングがあるのですが、そういうところへ足を運べるようになってきました。で、ゆかりさんは、そういった自助グループのミーティングを通じて、自分の話を少しできるようになっているでしょうか。自助グループの良さについて教えてください。

 

ゆかりさん) 私まだ週に2回しか行ってないけれども、行って発言をパスしてしまうことが多かったりしています。去年の9月から本格的に通い始めて、行くと言っている日に行けなかったりしています。「愚痴、聞いてるだけじゃん」とか最初は思っていたけど、ちょっとずつ、一言しか話せなかったのが二言話せるようになって。そこに来ている仲間がハグや握手してくれたりして、仲間だなあって。みんな同じことをしてきたし、苦しんできた仲間だと思えたら、居心地がいい場所には今ちょっとなってきています。

 

大嶋さん) それはすごく大きな変化だと思います。最初は“行かされている感”が満載だったと思うけど、ようやく自分で生活の中にミーティングを位置づけられてきたと思います。

 ゆかりさんはこれから、今はまだはっきりとしているわけではないですが、この先の自分の生活や暮らしについて何か希望していることや考えていることとかありますか?

 

ゆかりさん) 今はグループホームに一緒に居させていただいているので、それも利用期間が決められていますから、次はアパートを借りて一人暮らししながら事業所に通う形がいいかなと思っています。

 

「違法薬物はダメ、絶対」だけでは、辛いことを相談できなくなり、孤独に陥る悪循環

一緒に考えてほしい 普通に接してほしい

大嶋さん) はい、ありがとうございます。

 今日は、こういうことに関心を持っていて、どんなことが手助けできるかなと思ってくださっている人たちが、参加くださっているのですが、社会で暮らす一般の人たちに対して、今、お二人が希望すること、あるいはお願いしたいこと、あるいは止めてほしいと思うこと、何でもいいですけど、お話をしていただければと思います。

 でも、一般の人と言っても、ゆかりさんは、今の生活ではあまり会う機会がありません。ゆかりさんがどういう状態で、どんなことが得意で、どんなことは得意じゃなくてということを割と分かっている人たちに囲まれて暮らしているのですよね。それが、今度はそうではない人たちの中でも暮らすようになります。そうなった時に、一般の人のように見える人でもいろいろ抱えているとは思うけど、お二人みたいな壮絶な体験した人はそうはいないから、人からどう見られるのかというのも気になるとは思うのですが、薬物の体験とか全くない、自分の身には起こったことがないという人たちに向けて、何かお願いしたいことや、協力してほしいことがもしあれば教えてください。

 

ゆかりさん) 「違法薬物はダメだよ」とか、「止めたほうがいいよ」とか、そういうことを言うだけの人が多いのかな? 多くないかもしれないけど、それだけだと、どんどん孤独になっちゃったので・・・。

 

大嶋さん) 「どんどん孤独になる」というところが、分かりづらいのだと思います。声かけていいのかどうか、わからない人が多いのね。ほっといた方がいいのかなとか、声かけたら余計に刺激しちゃうんじゃないかと怖気づいてしまうとか。でも、本人にしたら、よけい孤独になるという。そんな時、どんなふうに接してほしいですか?

 

ゆかりさん) 普通に接してほしいです。私はそうですね、はい。

 

大嶋さん) あと、私は「ダメ、絶対」を止めてほしいと思うけど、ゆかりさんはどう?

 

ゆかりさん)それも、あまり意味がないでしょうと思うので止めてほしい。

 

大嶋さん) 怖がらせるだけで止めさせようというのはダメだよね。「ダメだ」とは違う理由で薬物を使っているからね。

 

ゆかりさん) はい。

 

大嶋さん) じゃあ、ともさんにも同じことを聞きます。今、ともさんは思いがけず甥っ子さんと生活をすることになりまして、いろんな一般の人と会わなければいけない、お話をしなければいけないという場面が増えています。そこで自分の体験を話せるわけではないと思うのですが、社会に住む人たちがそれぞれできることがあるとしたら、どんなことだろう。希望、願い、どんなことでも構わないので、教えてもらえますか?

 

ともさん) 多分、違法薬物をやった人ってみんなそうだと思うけど、ダメなのは分かってるんですでも、どうにもコントロールをできない自分がいて、自分を持ちこたえる時につい使うという、その流れができちゃっているから。それは自分が生きていくために必要であったと言うと、ちょっと大げさに聞こえるかもしれないけど、でもやっぱりそこです。それがなかったら今どうなっていただろうなって思うと分からないし。

だから、「そっとしておいて」って言えないんですよね。だって、私とどう関わっていいかを悩んでくれてる人に、「そっとしておいて」とは思わないし。でも、決めつけるとか、やってるんじゃないのとか疑われることは嫌。違法薬物ではあるけれども、違法っていうだけで、みんなが辛い時に頼るものと対処が一緒なんです、私の感覚では。だから、「辛い」って話せなくなるようなことは 言われたくないんです。それこそゆかりさんが言っていた「ダメだよ」とか。

 

大嶋さん) 「なんで使っちゃったの」とか。

 

ともさん) 使っちゃったことはどうにもならないんだから、その先を一緒に考えてほしいです。反省は十分しているんです。自分の中で。

 

大嶋さん) 「あんた何回やったら気が済むの」、「わかってないんじゃないの」、「いい加減にしなさいよ」と言われてきていますからね。

 

ともさん) そういうふうに言われたら、「もう、ほっといて」と思っちゃいます。

 

大嶋さん) そういうふうに追い込みをかけられたら、「あんたに何わかんのさ」って。

 

ともさん) 寄り添ってくれる人がいないで、ここまで行き着いたので。そういうことを言う人と関わると自分が疲れてくるから、いやです。

 

大嶋さん) 今日は、そういうお二人のことをどうやって理解していったらいいのかなと、関心のある人たちが集まっているかなと思いますけれどね。

 ともさんは他に頼るものが少なかったということだけど、ゆかりさんは割と頼る先のバリエーションいろいろある。合法薬物もちゃんと使えるから。だから私は、「合法だけにしな」とか、「一緒に使うな」とか、「使う時は1つにしろ」とか、「混ぜるな」とか、よく言います。「何が効いてるか分からなくなるから、単純にしな」って。薬物の処方とALを混ぜたりすると厄介になる。だから「どっちかにしな」とか「分かりやすくしな」とか言うのだけど、ともさんはそういった意味では依存先が他にはないの?薬物に関しては?

 

ともさん) 最初にシンナーから始まって、スライドして、最終的に自分に合うのを見つけていったって感じです。

 

大嶋さん) じゃあ覚醒剤が一番よく効いたんだね。

 

ともさん) そうですね。辛い時に自分で効き方コントロールできて、自分をいじめやすかったというか。

 

大嶋さん) なるほどね。じゃあ、今ほとんど使ってない中で、しんどいと思う時あるでしょう。乗り越えられるかなって不安になるじゃないですか。

 

ともさん) はい。

 

大嶋さん) そういう時、どうやってしのぐんですか?

 

ともさん) 私は、いつも大嶋さんに「助けて」でしたね。だけど、私は基本、お酒ですね。

 

大嶋さん) ちょっと、私、これ心配しているんですけど。ともさん、半端なく飲むもんね。

 

ともさん) そうなんです、お金かかるんですよ。

 

大嶋さん) そういうこと、めったにないけど、飲む時はがっつり飲むから。

 刑務所から出てきて間もなくの頃は、いきなり本命の薬物に戻るんじゃなくて、緊張をほどくのにちょっと飲んでいましたよね。

 

ともさん) そうですね。

 

大嶋さん) でも「緊張を解くのにいいんだって言って、どのぐらいのむの?」って聞いたら、結構な量だったから、肝臓が持つかなあと心配したことがありました。

 

ともさん) でも、適度なお酒の飲み方ってどのぐらいなのかよくわからない。

 

大嶋さん) だって酔わないでしょう? 覚醒剤はガツンとくる薬なんですよね。あのガツンをアルコールで得るには、相当使わないと無理です。

 

ともさん) でも、酔っ払って訳わかんなくなれる人も中にはいるじゃないですか。そういうふうになりたいのに、なれない。

 

大嶋さん) うん、なれないでしょう。いつまでも頭の芯はどっかで冷めてるじゃないですか、ともさんの場合は。

 

ともさん) そうなんですよ。

 

大嶋さん) あんまり効かなければ、諦めた方がいいですよね(笑)。

 

依存症は依存先が極端に少なくなる病気 安全な依存先を社会のなかに作っていく

  ということで、コアプログラムの中にも書いてあるんですが、依存症というのは、依存先がすごく少なくなる病気なんだと。その依存先が少なくなってしまうから、依存が深くなってしまって、コントロールが難しくなるんだと。だから、より安全に依存できる先を増やしていくことが大事だよって、塀の中ではみんなに伝えていました。だから、人に頼ることは恥ずかしいことでもなく、愚痴もいいんだよって。

 先程、ゆかりさん、愚痴の話をしていましたけど、「でも、大嶋さんは愚痴が3回続いたら、それ相談に持っていった方がいいよ」と。「同じ愚痴を3回言ってるってことは、根本的に愚痴だけではもう対応できなくなってるから、それは相談のタイミングだわ」とよく言っていました。

 だから、ともさんも困ったらLINEをくれます。私は説明をLINEで全部文字にしようとすると頭が爆発しそうになるから電話します。ああでもない、こうでもないといろいろ話が出てくるので、それをまとめて、どういう順番で考えるといいかなと整理して、少し腹落ちしたら、やってみるか、ということが多かったと思います。

 

自分の特性を理解して受け止めつつ、社会生活でのプレッシャーを軽減

ともさん) そうですね。自分が邪魔をするんです。何かを解決しようとして頑張っていても、自分の特性みたいなものが邪魔をして、せっかく綺麗にすっきりさせたはずなのに、時間が経つごとに問題が雪だるまみたいに増えてしまっている。自分を知ることができないと、そことうまく付き合っていけないんだろうって、最近つくづく思いますね。

 

大嶋さん)  なるほどね。

 実は、ともさんがセンターにいらっしゃる時から、私は、これは大変だということで、トラウマとアディクションを意識した個別セッションを定期的にやっていた時期があります。それともう1つは、発達の特性があるかもしれないから困ることが社会生活では多いかもしれないので時期が来たらこれについて考えていこうねということで、今何年か経ちました。

 先程ゆかりさんにも聞いたのですが、ともさんは今、甥っ子さんの養育という大きなお仕事をいただいて全力投球していて、ともさんは自分のこの先をどんなふうに過ごしていきたいですか、なにか希望はありますか? 甥っ子さんの子育てが一段落したら。

 

ともさん) 静かな暮らしをしたいですね。無音の世界に行きたいです。

 

大嶋さん) そうか、そうか。1人生活する人が増えるということは、生活の音がいっぱい入ってくるようになるでしょう。それが耳にこたえますね。

 

ともさん) そうですね。あと、すごく動くんですよ。目に見えるものとか、音とか、臭いとか、光とか全てに過敏なところがあるから、やっと慣れてきた自分の生活スタイルが変化してしまって、最初からやり直しなんです。今、それが辛いです。

 

大嶋さん) そうですね、調整に時間がかかりますものね。この調整の時期はかなり辛いと思います。そういった、ともさんの持ち味からくる困難性というのを、ともさんが楽にやり過ごしていけるように、協力をしてもらえるような。

 まず、本当に発達の特性があるのかどうかということを調べてもらって、その特性をともさんが自分で理解して受け止めつつ、これからの社会生活をどういうふうしていけたらプレッシャーが少ないかというようなことは大事ですね。

 

ともさん) プレッシャーはダメですよね。

 

大嶋さん) 環境の変化とプレッシャーに弱いじゃないですか、みんな。

 

ともさん) 弱いですね。あと、時間ですね。

 

大嶋さん) 「別に時間内に終わなくてもいいんじゃない」と私は軽く言っちゃうんですが、この“時間内に終わらないかもしれない問題”はともさんにとって大きいですね。

 

ともさん) そうですね。「大嶋さん、なんてこと言ってんだろう」と思った(笑)。仕事に行くために2時間以上前に起きて準備を始めるのに、いつも着く時間はギリギリなんですよ。時間をうまく使えなくて、隙間時間に何でも予定を入れちゃって、タスクが24時間じゃ終わらないんです。1つ遅れちゃうと全部遅れちゃう。

 

大嶋さん) これって、発達障害の特性を持つ方と付き合っている方はよくご存知だけど、ともさんから「1日24時間じゃ、大嶋さん、足りないんだわ」と言われて、私はすぐ分かるんですよ。予定を入れ過ぎたんだなって。「予定通りだったけど、ちょっとタバコ吸おうと思って休んだんだよ。そしたら3時間過ぎてるの。どういうこと?」と言われて、「3時間過ぎたんだね、客観的にはね」って。

 

ともさん) 今は落ち着いて煙草1本吸うって思ってるのに、煙草1本吸うと決めてから吸うまでに何時間も経ったりするんです。

 

大嶋さん) ということで、大嶋、今、環境の変化がともさんにかなり大きくかかっているということがわかったので、ちょっと暑さが通り過ぎたら、また会いに行こうと思っています。

 

違法薬物の強い効果 何かのきっかけで呼び起こされる使った時の感覚 止められるには 冷静な自分の頭に切り替えられる作業が必要

 一般の人たちにお願いしたいことは、一方的に責めたりしても意味ないよということですね。あと、一般の人たちに知っておいてほしいことがあれば、最後にちょっと。先程、ゆかりさんに私が質問を投げたように、一般の人は、「違法薬物で悪いと分かってるんだったら、どうして止めないのか」と思っている人がすごく多いのだけど、その辺りについてはどうですか。

 

ともさん) これ、私、すごくいい説明ができるんです。もし上手くできなかったら、ごめんなさい。

 薬物依存の人にとって違法薬物――私にとっては覚醒剤ですけれど――をなぜ止められないかというと、レモンなのです。たぶん皆さんも経験あると思うけれども、例えば酸っぱいレモンを食べているところを想像しただけで、あごのところがキュッと痛くなって唾液が出てくるという経験をしたことないでしょうか?

 

大嶋さん) あります。

 

ともさん) これなんです。

 

大嶋さん) 体が覚えているということですね。

 

ともさん) やりたいと思ってなくても、覚醒剤を使った時のきっかけみたいなものを見た時に――例えば、ペットボトルでもいいですし、注射器が入ってた袋の音でもいいですけど――、いきなりふっとフラッシュバックが来る。それが来たらもう大変です。ざわざわですね。薬を使っていないのに、薬をやった時みたいな感覚が呼び起こされて、思考回路が、それを使うためにどうしたらいいか一生懸命考え始めてしまう。

 そういう感じで頭が乗っ取られてしまうので、乗っ取られた頭をいつもの冷静な自分の頭に切り替えていく作業が必要です。

 

大嶋さん) それを上手くやれるか、やれないかで分かれますね。そのまま引っ張られるかどうか。この引っ張られる感じ、一般の人には分からないですから。

 

ともさん) 分からないですかね?

 

大嶋さん) 「梅干し」とか「レモン」と言った時に酸っぱくなるのは分かるけど、じゃあ、レモンを探しに行くかというと、別に探さないかもしれないでしょう?

 

ともさん) 例えば、深夜に、明日仕事も早いし、体も調子が悪いのに、いきなり夜中に唐揚げが食べたくなったと。唐揚げのテレビを見てて。こんな時間に自分の体には良くないって分かってるし、明日仕事もあるのにと考えても、どうしても買いに出かけてしまう時ってありますよね。

 

大嶋さん) ウーバー(Uber Eats)だな。

 

ともさん) ウーバーは最近じゃないですか。ポッキーひとつにしても、チョコレートひとつにしても、すごく食べたくて、買いに行きましたよね。

 

大嶋さん) はい、はい。

 

ともさん) それに近い。ただ、違法っていうだけ。

 

大嶋さん) みんなにとっては“違法”というところがすごくクローズアップされるが、ともさん・ゆかりさんは違法かどうかよりも、薬がそれだけの強い効果があったという体の記憶、それから気持ちの記憶、そういうのが強く呼び起こされて、それ以外の方法もあるということが、ぶっ飛んでしまうような状況になるということかしら。

 

ともさん) そうですね。それだけ強烈なもの。

 

大嶋さん) はい、ありがとうございました。

 いろんなお話をお二人にお聞きしました。このことがどうか、この後の皆さんのグループ対話の良い材料になるといいかなと思います。

 

 

 

――グループ対話とグループ発表を経て、出演者からのコメント―― 

※グループに出演者も加わり、グループの方々に感想や意見、ご質問を話し合っていただいた後、会場全体で共有するために印象に残ったことを各グループから発表いただき、ゲストからコメントをいただきました。

 

――「尊厳をもって生きていくために」という本企画のテーマに関して――

大嶋栄子さん) 「ダメ、絶対」がもたらすものはほとんど何もないと、グループ対話でも話しました。それは、この教育が始まってから脅かされる一方だからです。「一回でもそういうものに手を染めたら、人間として終わりだ」と教えるわけです。「ダメ、絶対」教育は日本でもう40年ぐらいずっと続けられていて、皆さんほとんどその世代で、脅かされた。例えば、警察官が来たり、怖いビデオを見せられたり、という記憶は皆さんある。

「ダメ、絶対」にも関わらず薬をやったのだから「もう人間として終わっている」というメッセージが伝えられるから、その教育を受けている子どもが大人になって何らかの形で違法薬物に接してしまった時に、本人たちが「あ、自分の人生はもう終わったんだな」と言っているのです。みんな、違法だと分かっていて、捕まるかもしれないものだから、もしそれを使い続けるとどうなるかというのを分かっている。

 一方で、世界を見ると、国連薬物事犯事務所(UNODC)という国際的な機関があって、毎年レポートを出していて今年のレポートも出ています。今、アメリカやカナダではフェンタニルという鎮痛剤の乱用が非常に大きな問題になっていますが、実はこれ、フェンタニルという薬剤の問題ではないです。なぜこんなに多くのオーバードーズ(過量摂取)がアメリカやカナダ、イギリスで出たかというと、フェンタニルに似せた合成麻薬をたくさん作って非合法に流すというのが、日本でいうと反社、欧米で行くとギャングたちの大切な資金源になっているからです。アメリカは国民皆保険はありませんから、正規のルートを通じてフェンタニルを手に入れられない人たちがターゲットにされて、それによるオーバードーズがすごく問題になりました。コロナの死者を超えたのです。フェンタルニルのオーバードーズによる死者が今、アメリカやカナダで最もホットな話題の一つです。

「ダメ、絶対」としてしまうと、「人生が終わってしまう」というようなことを意味して、脅かすだけだと、それを使ってしまった時に誰も相談できない。だけど、過去に使った経験のある人には話しやすい。つまり、自分と同じ体験をした人にしか話せないという状態に追い込んでしまうことになる。日本で、この「ダメ、絶対」教育がある意味で功を奏したとすれば、圧倒的にその生涯使用率、一生の期間に違法薬物を使う人の数は、アメリカやカナダ・ヨーロッパ・オーストラリアと比べて、ものすごく少ないことです。

 お酒の問題もあります。お酒は合法薬物ですよ。お酒により一家が離散したり、破壊されたり、暴力の温床になっていったりという数は、欧米に比べるとすごく多いです。でも、アルコールについては「ダメ、 絶対」政策ではない。

 私たちの社会は、特定の薬物を違法ということにして、それを使う人を徹底的に叩いて晒して、社会にいられない形にして、一方で、合法薬物のアルコールについては、ほとんど野放し状態です。今日の皆さんとの対話を通じて、すごくスティグマが強いということ、改めて違法薬物に関する先入観はすごいものがやはりあるということを感じました。

 お酒はかなり緩くしているけど、ある一線を越えるといきなり“アルコール依存症”とレッテルを貼ります。そして、「あなたと私たちは違うんだ」というところに境界線を引くのです。これは、本人の中でもそういう境界線を引くのです。

 合法薬物の代表であるアルコールであっても、たくさんの人が使用しています。コロナ禍、特に飲酒量が増えました。コロナ禍のアルコール依存症の患者さんたちと患者さんだろうと推定される人の数はすごく多いです。でも、実際に治療を受けるのは、その1/10にも満たない。

 私たちの社会は、依存症を自分とは違う世界のものだと、はっきりと境界線をつけて区別する考え方を長く続けてきました。自分の事としては捉えてこなかった。特に非合法の場合はそうですね。「そんなの見たこともないし、使う機会もない」と。だから、自分自身は選択肢の中に非合法薬物はなかったと思います。

 でも、刑務所に収監されている彼女たちの中には、それが当たり前に自分の日常にあった人も少なくない。それはどういう生活環境だったか想像してください。皆さんが非合法薬物を想像できない場合は、合法薬物を想像してください。

 今、子どもたちが使っている痛み止め、咳止め。それをストロングチューハイで飲むオーバードーズ。なぜ高校生の彼女たちは、ストロングチューハイを手に入れられるんでしょうか? 「ダメ、絶対」というのは、それでは片付けられない多くのものを見えなくさせているという意味で、私はその立場は取らないでやってきました。

 

 彼女たちが尊厳をもって生きていくために、線引きをされて排除されるような構造に追いやられない社会であることが必要だと思います。「お前なんか人間終わってるよ」と言われ続ける体験がもう基本形になっている人は、「自分が大事にされていい存在だ」とはなかなか思えないですよね。でも、それを想像することが難しい人も、私たちの社会にはまだたくさんいるということを、今日は改めて考えさせられました。

 

 

朴君愛さん) これまで見えていなかった薬物依存に対する政策の問題点、そしてその依存症の当事者をとりまく社会の問題を私たちに説得力を持って提起していただき、ありがとうございました。この場を信頼して声を伝えてくださった当事者のお二人と、それこそジェンダーの視点を持って伴走支援を続けてこられた大嶋さんをはじめとするリカバリーのみなさんからパワーをいただきました。

 私自身の新たな気づきで一番印象に残ったのが、私たちが「依存症」を考える時に法律で定まった違法か合法かにとらわれてきたことです。間違いなく本人の意志が弱いというような自己責任の問題ではなく、社会的構造の問題として理解しなければいけないこと。とりわけ女性の依存症の場合には、ジェンダーの視点が欠落すると問題は見えないことを深く再認識する時間となりました。

 最後に、大嶋さんが「合法」だけれども依存症の問題が深刻であるお酒(アルコール飲料)について触れられましたので、今日の直接のテーマとは話がずれますが在日コリアン・コミュニティのことで、つながった話があるので紹介させてください。私は60代の在日3世のコリアンですけれども、いわゆる「アル中」の問題は、かつての自分たちのコミュンティにとって日常に起きていました。“荒れるアボジに耐えるオモニ”というようなフレーズにうなずく私たちがいました。差別に負ける意思の弱い困った在日コリアン男性という非難を私はしておりました。こうやって学ぶ機会を得て、差別や貧困という社会の構造的問題を解決しないと、依存症の問題も解決しないということが見えてきます。そして、オモニが耐えるしかなかったのは、ジェンダー問題の理解が必要だったということも。

 改めて今、マイノリティーの人たちも含めた視野も持っていただけたらと思いました。本日は、ご参加いただき、大変ありがとうございました。

 

 

 

 

●次回SJFアドボカシーカフェのご案内★参加者募集★
トランスジェンダー差別から考える社会課題~アート作品を見ながら語り合う~

【日時】2025年8月30日(土)13:30~16:00
詳細・お申込み】 こちらから

 

 

 

※今回25年7月26日のアドボカシーカフェのご案内チラシはこちらから(ご参考)

 

 

 

このエントリーをはてなブックマークに追加
Share on Facebook
Post to Google Buzz
Bookmark this on Yahoo Bookmark
Bookmark this on Livedoor Clip
Share on FriendFeed
LINEで送る