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ソーシャル・ジャスティス基金(SJF)アドボカシーカフェ第90回開催報告

 

学校がインクルーシブになる社会づくり

~現場の先生や学生と共に考える~

 

 2025年5月17日、ソーシャル・ジャスティス基金(SJF)は、梶山陽菜さん(ミライエコール/文教大学教育学部生)、成島千尋さん(会津大学コンピュータ理工学部生)、筒井綸菜さん(京都府立清明高校生/清明ワーキンググループ)、NPO法人School Voice Projectから武田緑さん(事務局長・理事)と加藤陽介さんを迎えてSJFアドボカシーカフェを開催しました。

 「学校がインクルーシブになるために」というテーマで進められたパネル対話。児童や生徒をルールで縛るより、生徒がやってみたいことがあれば背中を押してくれる先生たちがいたり、叱る理由を納得できるように説明してくれて試行錯誤できたりすることがよりよい学校生活につながると成島さんは経験から語りました。とくに少数派の意見を大事にしてくれるように先生たちが変わり、生徒の雰囲気が温かくなったと筒井さんは振り返り、先生に「聴いてもらえている感じ」は「じゃあ、変えてみよう」という実現しそうな安心感を伴っていたと話しました。生徒のよさを引き出してくれた先生たちは筒井さんにとって何でも話せる存在になったそうです。受験命のような進学校でも、一人ひとりを尊重してくれる担任の存在に救われたという梶山さんは、「人として学ぶ」ことに重点を置いた学校づくりを展望しました。

 教育現場ひいては社会がインクルーシブになるには、少数派にこそ耳を傾けて、一人ひとりの個性を知ることが重要だと筒井さんは経験に基づいて述べました。何より、子ども同士がインクルーシブに学び合うには、教員は生徒を信じて、一旦手放し、見守るという覚悟が大事だということを、グループ対話で多様な参加者の意見を聴く中で学んだと梶山さんは強調しました。

 聴かれにくい子どもの声を聴いてバリアを取り除くことで、子どもは意見をより発しやすくなり、その意見によって学校をより幸せな場所にしていくことができるという好循環を提示した武田さんの基調講演は、当事者の梶山さん・成島さん・筒井さんが、加藤さんの一人ひとりの語りを徹底して尊重するコーディネートにより安心して話せたことによって、地に足の着いた対話の場となりました。

 詳しくは以下をご覧ください。  ※総合司会は鈴木貫司さん(NPO法人わかもののまち)

(写真=パネル対話:上左から時計回りで梶山陽菜さん,加藤陽介さん,成島千尋さん,筒井綸菜さん)

 

——基調講演:武田緑さん——

 私からは、SJFの助成をいただいている取り組みについて、ここまでの成果や整理してきたことをご紹介することで、後半のパネルトークにつなげたいと思っております。

 

 私たちは全ての子どもが包摂される学校を「インクルーシブな学校」と言っていました。障害の文脈で語られがちですが、それだけではなく、「全ての子ども」というところがポイントだと思っています。

 この間、他のNPO等の団体さんと一緒に1年間ほど議論して、進めていきたいことがまとまってきたので、それを話題提供したいと思います。

 School Voice Projectというのは、「学校をボトムアップで変えていくプラットフォーム」で、私は現職の学校関係者ではないですけれども、教職員の方たちを中心として学校現場の当事者で活動している団体です。

 行っていることには大きく二つの軸があると思っています。一つは、教職員主体の団体なので、自分の職場、学校を自分たちで作っていく、変えていくことです。半径1mで働き方を見直したり、授業を変えていったり、地域と連携したり、できるところからやるのが一つです。それをネットワークでコミュニティをつくって、相互に支え合いながら進めようとしています。もう一つが、現場の声を集めて仕組みや制度にアプローチしていくことで、ロビイングや政策提言の活動になります。今回、SJFから助成をいただいたのは、どちらかというとこの2番目の政策提言につなげていく活動です。この活動を「インクルプロジェクト」と団体内では呼んでいて、正式名称は「インクルーシブ教育/学校DE&I推進のためのアドボカシー活動~マイノリティ当事者/支援団体と教職員団体の対話・連帯を力に~」です。

 目的は、現場から声を上げて制度をつくっていく、変えていく基盤として、私たちの団体と多様なマイノリティの子ども・若者に関わっている団体さんとのネットワークを構築することです。具体的には、「プラットフォームミーティング」を重ねてきて、今年度はフォーラムや調査活動も予定しております。今年の12月までには実際に政治家や行政機関へのロビイングもスタートさせます。

 参加している団体の概要は、障害当事者のネットワーク団体や、性の多様性に関する事業を展開している団体、厳しい家庭環境にある子どもたちを支援している団体や、外国ルーツの子どもを支援している団体、不登校の子どもの保護者ら当事者ネットワーク等と一緒にやっています。

 

 

 

 

 まず、学校教育をめぐる現状を整理しておきたいと思います。この後がパネルトークで、当事者の若い人たちが出てくれるので、そちらで先生や生徒の生の声は出てくると思いますので、私からは学校教育の現状を概観した上で制度面についてお話したいと思います。

 現状の課題の一つ目は、不登校が増え続けていることです。人数的にも割合的にも右肩上がりになっています。不登校自体は問題行動ではないですけれども、結果として本人が傷ついたり様々な機会が保証されづらくなったりすることが多いのが課題です。家庭や本人の問題とされがちですけれども、学校のあり方を問い直していく必要があると思っています。

 二つ目は、マイノリティ性を持つ子どもたちが、特に厳しい状態に置かれていることです。これは、いくつかの調査から、障害があるとか、家庭環境が厳しいとか、性的にマイノリティであるとか、外国にルーツがあるとか、様々なマイノリティ性を持つ子どもたちが学校の中で排除されやすい現状があることが明らかだと思っています。

 三つ目は、特別支援教育を受ける児童生徒が急速に増えていることです。支援学校・支援学級・通級の三つが全部とても増えています。私たちとしては、特別支援教育で蓄積された支援の知見には、むしろ通常学級でもっと活かされて欲しいものがたくさんあるのです。一方で、特別支援教育ではない通常学級の中で標準とされている枠がとても狭くなっているのではないかということを問題提起したいと思います。いわゆるメインストリームのキャパが上がることで本来そこで共に学ぶことができる子はもっとたくさんいるはずだと思います。

 排除と包摂が入れ子構造になってセットで起きているのが現状だと思います。通常学級にいられない状況があるから、フリースクールや支援学級、支援学校といった場で受け止めている状態があります。もちろん、通常学級がいられない状況であることを考えれば受け止める場所は必要だとは思います。ですが、フリースクールや支援学級や支援学校があるから通常学級は変わらなくていいということではなく、メインストリームとなっている学びの場がもっと包摂性を高めることがどうしても必要であろうというのが私たちの認識です。

 

合理的配慮とあわせて基礎的環境整備を

 課題解決のポイントをお話します。一つは、障害の文脈で出てきた言葉ですが、「社会モデル」の発想で、学校や教室にあるバリアを取り除いていくことです。社会モデルに対するのが個人モデルや医学モデルで、これは、何か困り事や不適応などが起きた場合に、それを本人の障害や事情を理由だと捉えて、本人が努力や工夫をすることで問題解決しようという発想です。社会モデルは、そうではなく、今の社会や学校の「普通」や「当たり前」がその人たちのことを想定していないから、困りごとが起こっている、例えば、車椅子の人がいるのに階段しかない環境だから生活上困るのであり、社会の側を変えてバリアを取り除いていきましょうという考え方です。学校のいろんな問題を考える時も、この考え方は非常に重要ではないかと思っています。

 バリアを取り除く時に、「合理的配慮」という言葉は現場でもだいぶ知られるようになってきていますけれども、それに合わせて、「事前的改善措置」、「基礎的環境整備」というものをより重視していくべきです。合理的配慮というのは、困りごとが起こって、助けてくださいと言われた時に、事後的に個別的に行うものなのですが、基礎的環境整備や事前的改善措置というのは、あらかじめバリアフリーにしておくのです。多様な子がいることを前提に学校の授業や施設の在り方を考えておくのが事前的改善措置です。こうすることで、合理的配慮を十人にするよりも、学校の先生にとって持続可能になる可能性が高いです。また、本当に無理かどうか見極めている間に子どもたちが傷ついてしまうこともたくさんあります。あらかじめ多様な子に対応できる環境にしておくことで、そういった子たちが疎外感や劣等感を持たずに済むし、マジョリティの子たちも選択肢が増えてより幸せに学校生活を送れるようになることもあります。

 同様の意味でもう一つ言うと、多層的な支援システムという考え方があります。第1層支援として、全員を対象にしたユニバーサルな支援。安心安全な環境づくりとか、多くの人が困りにくいルール設定とかを考える。そして、それでは難しい子には第2層支援として、もう少し手厚い配慮や個別の調整をする。それでも難しい子には第3層支援として個別の支援をするという形です。この第3層支援、個別の支援をするには多くのリソース、人手もお金もかかるかもしれません。ですが、まずこの第1層支援を充実させることで、個別の支援が必要な子は減ると思います。困りごとが発生する前に、みんなにとって安全で参加しやすいルールや環境を作るという考え方で制度設計を考えていくべきではないかということです。

 

聴かれにくい子どもの声を聴いてバリアと取り除き、より多くの意見によって学校を幸せな場所にしていく好循環を

 子どもの権利の視点もとても重要だと思っています。先ほどから「マイノリティの子どもたちが」みたいな言い方をしてきましたが、学校によっては子どもたち全員がマイノリティです。学校のやり方やルール、何を学ぶか、学び方をどうするか、行事で何をするかとか、遠足でどこに行くかとか、すべて基本的には大人が設計しています。だから、大人がマジョリティで、子どもがマイノリティであるという視点が学校現場ではすごく重要だと思います。聴かれにくい子どもの声をしっかり聴いて、そこから見えてきたバリアを取り除くと、子どもたちにとっての安全や安心が高まって、もっと意見を言いやすくなる。すると、その意見の中にはまた学校をもっと幸せな場所にするためのヒントがある。こういう好循環をどう生み出すかがポイントだと思っています。

 

 ここから、制度や仕組みについて話したいと思います。他の団体さんとのプラットフォームミーティングで繰り返し議論しながら、みんなで考えてきたことです。

 まず、この学校だったからラッキーで対応してもらえたとか、この先生だったから合意的配慮を受けられたとかではなく、いつでもどこでも誰でも権利保障がされることが必要だと思っています。なので、その根拠となる法律がいると私たちは考えていて、新しい法律づくりをしたいと考えています。日本の学校教育の制度は、意外と現場裁量が大きく――現場はそう思っていないのですけど――、校長先生がやる気になったら結構できるところが実際あります。だから、制度の話を官僚の方などにすると、「今でもやろうと思ったらやれる」みたいに返されやすいのですけど、力のある管理職や意欲のある自治体等でしか実現できないのでは困るので、どこでもいつでもできる仕組みを考えるべきだと思います。

 二つ目に、性的マイノリティの子たちについての支援や基礎環境整備の法律や、障害のある子たちについての法律や、外国籍の子や日本語指導が要る子たちのための法律、というように制度は、属性別に縦割りで構築されやすく、それはそれで大事ですが、私たちとしてはまずは横串を刺すような、全ての子どもたちを対象に、全てのマイノリティを包含した仕組みにしていけるような構想でロビイングを進めたいと考えています。例えば、合理的配慮が法律で義務付けられているのは障害の分野だけであり、性的マイノリティの子どもたちにも合理的配慮は必要なのですけど、それは法的に制度化されてないのです。でも、それを政策提言していく時に、例えばLGBT理解増進法を改正しようとすることは縦割りで考えることになるので、そうではなく、分野別・属性別ではない横の連帯を作って、みんなでインクルーシブ教育を実現したいと考えています。

 三つ目は、特別支援学級や特別支援学校に在籍すると、人員やお金が付くという仕組みになっているのです。だから支援を受けたいと思っても、通常学級に在籍しているままだと受けられない仕組みになってしまっているのです。でも例えば、日本語指導が必要な子はだんだん日本語ができるようになったら支援がいらなくなっていきますし、家庭が厳しい状態にある子で今は不安定だからクールダウンで別の教室で学ぶ時間が欲しいけれども半年後ぐらいには要らないかもしれない、みたいなことはたくさんあるわけです。それなのに、固定的にラベリングして、特別支援学級や特別支援学校に在籍して支援を受けるというのが今の仕組みは前提になっている。もっとフレキシブルに、在籍しているかに関わらず、支援がつく状態にしていくのが最終的な理想だろうという話もしています。

 

 具体的に法律を作りたいと先ほど話しました。包括的インクルーシブ教育推進法なのか、学校DE&I法なのか、学校ウェルビーング法がいいのかといった話もしていますが、環境整備と合理的配慮をどのような方にもすることが前提になった法律を作りたいと思っています。

 そして、今ちょうど学習指導要領の改定の議論が文科省で進んでいて、子どもの状況に応じて柔軟にカリキュラムを組めるようにしようという話が進んでいるので、それをしっかり実現してほしいというロビイングが国への提言活動の2つ目です。

 自治体向けの提言に関しては、まず高校入試。入試で内申に対応しなければいけないために先生たちの対応が硬直化する部分もたくさんありますし、入試のことを考えて善意で頑張らせようとして、それが不登校につながることもあります。ですので、入試を柔軟化すること――内申が不問な枠を作るとか、入試における合理的配慮をもっとしっかりするとか――を、自治体によってばらつきがあるので徹底できるようにするということを考えています。

 また、子どもの権利条約とこども基本法の理念を実現するための仕組みを自治体ごとにガイドラインを作って実施して推進してくださいということも提言したいと考えています。

 それから、スクールソーシャルワーカーですね。カウンセラーも大事ですが、特にソーシャルワーカーの役割が大きいのではないかと私たちの団体では思っており、学校文化を変えていくという意味でもソーシャルワーカーを常勤化して配置を増やす――今は非常勤で週に1回しか来ないとか、拠点校にだけ来ていて他の学校には来ないということが多いので、それを変えたい――ことです。

 また、不登校やいじめ、さまざまな不適応など、児童生徒支援に専任で対応できる教員を増やしてほしいということも提言に含まれます。

 そして、社会モデルと子どもの権利の考え方をしっかり押さえられるような研修を必須で実施できる体制を作ってくださいということと、学校のインクルーシブ化の事例を幅広く紹介するサイト・事例集等の作成を含めた提言になっています。

 

 直近のアクションと今後の課題としては、以上のようなことを、プラットフォームとなるネットワーク型の任意団体を立ち上げて、動かしていきたい。なので、団体立ち上げに向けた準備と、指導要領の改定の議論が目下進行中で、そこに少しでもインパクト与えるためのロビイングをして、新法の制定に向けたロビイングをやっていきたいと思っています。

 現場の教職員の参画をこれからどう広げていくか。団体内もそうですし、まだつながっていないいろんな先生たちとどう一緒にやれるかというのが大きな課題です。そして、保護者や児童生徒の当事者の皆さんとどう一緒にやれるか。社会的なムーブメントの広がりをどう作るかが、ここからの課題だと思っています。

 

鈴木貫司さん) ありがとうございました。現状の課題整理から方向性の提示、どういった政策提言を今後していくのか話していただきました。特に自分自身が関わっているNPO法人わかもののまちは「子ども参画」がキーワードになって活動しているのですけれども、子どもたちの声など、当事者の声をしっかり聴いて、そこを政策に生かしていくところに、すごく賛同を覚えました。

 

 これからパネル対話ということで、小学校勤務の経験があってSchool Voice Projectにも関わっていらっしゃる加藤陽介さんにコーディネータをお願いしております。実際の学校現場はどうなのか、自分たちが体験してきた学校の話なども、加藤さんから深めていただきながら対話していただければと思います。では、よろしくお願いします。

 

 

—パネル対話(梶山陽菜さん,成島千尋さん,筒井綸菜さん,加藤陽介さん

学校がインクルーシブになるために

加藤陽介さん) テーマは、学校がインクルーシブになるために、ということで話していきたいと思います。皆さんがこれまで経験してきた学校社会というものの中で、どんな違和感や困り事があったかというような話や、逆に学校の中で安心を感じたり、居場所があったり、良かったところがあったりした話や、どんな学校になってほしかったかという願いや夢、それらを元にこれまで活動してきたことや今の活動にどうつながっているのかといった話をみんなでしていけたらと思っております。

 では最初に、自己紹介をそれぞれに回していこうかと思いますので、まず陽菜さん、よろしくお願いします。

 

梶山陽菜さん) 文教大学教育学部の2年生です。まず私のここまでの経歴を簡単にお話します。

 中学卒業と高校入学の春のタイミングでコロナ禍が始まり、高校の入学式がなく、遠足もなく、オンライン授業で、人と人との関係性がかなり希薄な状況で高校生活がスタートしました。

 そのストレスもあったのかと今は思うのですが、高校1年生の冬頃に適応障害と診断され、三学期に人生で初めて成績で1を取りました。高校2年生の時は、ストレス性の視覚過敏もあり、そのせいもあってなかなか授業についていけず、追試や追加課題、補習などでなんとかみんなと一緒に進級させてもらいました。高校3年になって、もともとは理系クラスだったのですが文転して文系クラスに編入する形になりました(大学で学びたいことが文系の分野であることが判明したため)。その7月頃から適応障害が悪化して、二学期にはほとんど学校に行けない状況になり、欠時を超えないように母や担任の先生などに助けてもらいながらギリギリ出席数が足りないことにはならずに卒業をみんなと一緒に迎えることができました。ですが、卒業式を迎える前の冬に燃え尽きからか、さらに体調が悪化して診断が鬱(うつ)に変わり、入院をすることになって卒業式には出られなかったのです。入院していたのでコロナの影響で外泊ができなくて式には出席はできなかったのですが、みんなと一緒に現役で卒業をすることができました。

 高校を卒業後、退院して、浪人という形だったのでアルバイトをしながら受験勉強をし、文教大学教育学部に合格して、今そこに通っています。現在は、小学校と中学校の教員免許を取るために教育学部で勉強をしながら学生団体「ミライエコール」で「ミラエコラジオ」というラジオを運営するリーダーという役割を中心にやらせていただいています。ミラエコラジオでは、「学生に学生の声を届ける」をコンセプトに活動を行っております。今もうつ病が続いており、支援が必要な状況なので、大学でも支援を受けながらなんとか授業を受けています。

 教育関係の勉強や活動をしている根幹には、「ハンデがあっても当たり前に学べる環境作りをしたい」という気持ちがあります。教育関係のいろんなところに参加させていただいて活動しております。

 高校時代の周りの寛容な雰囲気のおかげで、「学校に居づらい」という気持ちにはならなかったのですが、勉強したいのにできないという気持ちはありました。学校ですから勉強が常について回るので、しんどさを感じたことがあります。特に支援学級とかはなく、普通学級しかない学校だったので、集団行動の場ですから、個人に合わせた教材の提供は難しかったのかもしれません。

 でも今、GIGA(ギガ)スクール構想という、教育界に大きな変化が巻き起こっていることで、それがインクルーシブな教育にうまくフィットしていけるといいなと思っております。

 

加藤さん) ありがとうございます。皆様の自己紹介が終わった後にいろいろ話題にさせてもらいたいと思います。続いて綸菜さんお願いします。

 

筒井綸菜さん) 現在、京都府立清明高等学校に在籍をしています。年齢は今年度が19歳の年なのですけど、清明高校が4年での卒業が基本体制となっているため今年度まで在籍をして卒業する予定です。

 私の簡単な経歴を説明します。まず、幼稚園に通っていた時から、集団行動に対して苦手意識がすごくありました。小学校に入学した時に、「なんで学校に行かないといけないんだろう」とか、「なんで勉強しないといけないんだろう」、「なんで集団で動かないといけないんだろう」という違和感がありました。かつ、私が通っていた小学校と中学校が小規模校で、8年間ずっと同じ一クラスで、同じメンバーで授業を受けないといけなくて、8年間、苦手な人とも授業を受けないといけなかった。校長先生に何度も「学校を辞めたいです」と言っていました。

 中学校は小学校の隣にある形でしたけど、環境に慣れることができなくて、どんどん周りは成長しているのに自分だけ置いてきぼりの感じになって、中学1年生の夏休み明けから不登校になりました。1ヶ月半ぐらい不登校で、その後、別室登校で徐々に学校に行けるようになったけど、コロナ禍に入って、学校にそもそも行けないという時代になってしまいました。

 中学3年生の時に学校が統合することになって、もうクラスの数も6倍だし、全校生徒の数も10倍になって、規格外の大きさで、また不登校になってしまいました。そこで出た自分の症状として、チックがすごく出てきました。チックについては診断がついてないのですが、今でも不安になったりするとたまに出やすくなります。中学2年生の時まで通っていた学校から、中3で新しい学校に行くとなった時に、元通っていた中学校の先生が一部行ってくださることになって、その先生が適応障害を持っていらっしゃって、先生が「筒井は私と似ている部分があるよね」と教えてくれました。実際、診断はついていなかったけど、小学校・中学校はしんどい思いをしていました。

 

 現在は京都府立清明高等学校に通っていて、ワーキンググループ活動に参加をしています。ワーキンググループというのは、「つまずきのある人もない人も安心して生き生きと学ぶ」という清明高校のビジョンとDE&Iという考え方のもと、誰もが過ごしやすい学校づくりについて有志の教職員の方と生徒で活動しているグループになっています。

 具体的な活動としては、学期に一度、教職員・保護者・生徒向けにアンケートをとって、それをもとに変えられる校則やルールについて検討して、生徒会に持っていて、最後は教職員の方で話し合ってもらって実現する形になっています。また、多様な生徒が自分の困りごとについて先生や生徒向けに講演する「ダイバーシティピッチ」というイベントの企画運営や、授業での困りごとについて対話する会の企画運営も行っています。

 さらに、授業に安心して出席ができるようにするための「ちるグッズ」や、一人ひとりが落ち着くことのできるスペースである「ちるスペース」のあり方についても考えています。チルグッズには、ノイズキャンセリングヘッドホン――イヤーマフと呼ばれているもの――や、チェーンブランケットや、フィジェットトイという手の筋肉の緊張を和らげたり,ストレスの軽減を図る効果があるもの等があって、校内で実際にレンタルできます。ちるスペースというのは、教室と教室の間に少し狭い通路があって、そこに遮断できるような枠が置いてあって、その中に観葉植物やソファーが置いてあります。そこは、しんどくなったりした時などに落ち着けます。あと、センサリールームや歓談スペースというのも校内に5・6箇所ぐらい設置されています。

 私は昨年度、そのワーキンググループで活動をさせていただきました。私は聴覚過敏の症状があって、それを伝えるためにダイバーシティピッチに参加しました。あと、清明高校が会場となった北区ふれあい祭りで、カームダウンスペースの体験会とカームダウンスペースの認知度調査も実施しました。さらに、京都府内の高校生が探求してきたことを発表するイベントでは、清明高校代表としてワーキンググループでの活動について2回報告させていただきました。私自身も学校というものに対して違和感をずっと覚えてきた者であり、清明高校に入学して、清明高校が変わる前と変わった後というのを実際に知っている最後の世代なので、いろいろ皆さんと共有できればなと思っています。よろしくお願いします。

 

加藤さん) ありがとうございます。箱物としての学校の変化だけでなく、その中でどんなふうに変える環境が整ってきているのか、ワーキンググループなど具体的な話が参考になる方は多くいらっしゃるのではないかと思いました。

 はい、では成島千尋さん、お願いします。

 

成島千尋さん) よろしくお願いします。会津大学コンピュータ理工学部コンピュータ理工学科の1年生です。

 高校時代に鈴木貫司さんと「プラザきくる」という施設で「菊川市こども・わかもの参画宣言」の作成に携わらせてもらいました。その内容は、子どもの意見が大人の方に受け止められなかったり、子どもの意見を得たとしても「子どもの意見なんて」みたいな感じで実現されづらかったりする現状にあったので、それを改善する基盤として参画宣言を作りました。子どもの意見も大人の意見と同じように受け止めてもらえるような制度を作るために参画宣言を出しました。

 もともと自分も小中学生の頃は、どちらかというと人と話すのが好きなのですけど苦手というタイプでした。人の気に障ることを結構すぐ言ってしまうタイプで、先生や友達と衝突してしまうことが多くありました。それで、自分の意見を内に封じ込めて、立場が上の人や大人の言うことが全て正しいと信じ込んでしまう学校生活を送っていました。

 でもそれは「ダメなことなんだろうな」と心のどこかで思っていたので、いろんな人の意見を聴きたいと思って、地域の方とお話できる会に参加して、いろいろこのようなイベントにお誘いいただけたら積極的に参加して、自分の意見を持てるようにしていきたいと思っています。

 

加藤さん) ありがとうございました。

 ここからは、それぞれの活動や背景を深めていける時間にしたいと思います。

 まず、陽菜さんのお話しでは、参加なさっているミライエコールさんという団体でミラエコラジオをなさっているということでした。実は、School Voice Projectでもラジオを放送していて、私もラジオパーソナリティなのです。どんな話題が最近ミラエコラジオで出ているのか気になったので、ラジオの様子を教えてもらえますか。

 

梶山さん) ミラエコラジオ自体がまだ発足したばかりで、たくさんは投稿していないのですが、現在出ているトークテーマは、校則に関するトピックが多くて、例えば、「校則でスマホ禁止って本当に必要なの?」とか、「制服って本当に必要なの?」といった話題が既に投稿されている動画にはあります。あとは、中高生のメンバーもいるので、その子たちから大学生に向けた疑問を大学生が答えるという動画も投稿を予定しています。

 でも、「学校生活を変えるって、校則を変えるとかだけではなく、現に過ごしにくさとかを抱えている人もいるといった面からアプローチする必要があるのではないか」という議論がミライエコール内で最近タイムリーに巻き起こり、そういった内容もこれからどんどん発信していく方針になっているといった段階です。

 

加藤さん) それは、今こんなことで困っているみたいなことを、参加してくれた人に喋ってもらうという感じですか?

 

梶山さん) ミライエコールの中にラジオチームがあって、そのメンバーで一つのトークテーマを決めて、いろんな方面から議論をするというが主なもので、まだ、困り事を解決するために何か話し合うという段階まではいっていないです。でも、リスナーさんが増えて、お悩みメールが来るようになったら、そういうのをやりたいというまだ願望の段階ですけど、そういう方向に持っていきたいと思っているラジオです。

 

加藤さん) ありがとうございます。

 では、綸菜さん、学校がいろいろと変わっていったということを話してくださったけれども、変化する前から学校にいて、今ちょうど変革期にあるということですが、どうして学校が変わっていったのかな。なぜ、普通の学校は変わらないのに清明高校は具体的に変化していっているのか。何か声が上がったからなのか、誰か仕掛け人がいたのか、どういう過程で変わっていったのか話せますか?

 

先生たちが少数派の意見を大事にしてくれるように変わり、生徒の雰囲気が温かくなった

筒井さん) 私も当時はそもそもワーキンググループが発足していた訳ではなかったし、このような活動に参加していた訳でもなかったのですが、私が入学した年の秋ぐらいに「標準服試行期間」といって制服を着なくてもいい期間を設けようということになりました。当時の生徒支援部長の先生が清明高校での校則・ルールについて違和感を覚えていたそうです。そのうちの一つに服装・身だしなみというものがありました。ですが、その先生が校則を変えようとしたところなかなかうまくいかなかったそうです。ですが、清明高校は「生徒の主体性を大事にする」という理念があるため、生徒会に投げたところ、当時の生徒会メンバーのなかで一度試行期間を行ってもいいのではないかという意見が出たのが標準服試行期間の始まりでした。

 ただ、そういう標準服試行期間が設けられて、制服を学校に着て来なくてよくなったのは、例えば、感覚過敏で制服が重たいと感じてしまう生徒など多様な生徒がいて、多様性を大事にしようということになったからかと思います。普通に私服で登校してもいいし、体操服で登校してもいいし、髪染めもネイルもメイクもピアスもOKになったのが、入学して1年経った時でした。

 実際、そのように変わったことによって、生徒がなんか明るくなったと感じます。「多様性ってこういうことなんだな」と思えるように変わっていったし、先生たちも少数派の意見をより大事にしてくれるようになったと、変わった後ですごく感じています。大多数の意見は受け入れられがちだと思うけれど、少数派の意見を大事にしてくれるようになって、新たな視点も生まれました。例えば、「障害を持っていてこういうことができないから、こうしてほしい」ことは、結局、健常者——言い方が悪いかもしれないけど――からしてもいい方向になっていく、という考え方が徐々に広まっていきました。先生たちも変わったし、何より生徒の雰囲気が温かくなったと感じています。

 

「じゃあ、変えてみよう」という実現しそうな安心感を伴っている「聴いてもらえている感じ」

 中学と今の高校の違いを考えると、私は中学生の時に感覚過敏という症状に気づいていたわけではなくて、高校1年生の秋に気づいたのですが、義務教育と義務教育ではない学校の違いだとも思うのですけど、中学校は全てを強要されて、絶対に集団で行動しなさい――クラスも決まっていてクラスごとに授業を受けないといけない――、制服はきちんと着ないといけない――今でこそスラックスが認められる世の中になって徐々に変わりつつあると思うけれど――。実際に、私服化されている中学校はまだ少ないと思っています。私から見ると、中学に比べて、高校は「聴いてもらえている感じ」とか、「なんか変えていける安心感」とかがあります。「聴いてもらえる」というのは、「そうだよね」と話を聴くだけではなくて、「じゃあ、それを変えてみようよ」というふうに、実現しそうな安心感のようなものがあります。確かに清明高校は変わって、安心感は増えました。

 清明高校は校則なども生徒の主体性に委ねられていることが多いです。その分、多様性は大事にしているから、どんな生徒でも過ごしやすい環境になっています。例えば、車椅子の生徒もいるし、感覚過敏の生徒や、他の病気のある生徒も実際にいると思うので、そこは結構大きいと思います。

 

加藤さん) それに沿って、「学校が安心な場所になるために」とか、「こんな居場所があったら良かった」といったテーマで回してみたいのですが、千尋さんはどうですか?

 

生徒がやってみたいことがあれば背中を押してくれる先生たち

成島さん) 私の通った学校が私立の中高一貫でした。その高校は、自分がやりたいことはどんどん「やってみれば?」みたいな感じで、「自分が興味あることがあったら、先生も相談にのってくれるから、やっちゃう」みたいな感じでした。背中を押してくれる感じが強かったです。ダメな時はちゃんと叱るけど、生徒指導も寄り添う感じで、絶対ダメと厳しく叱りつけるのではなくて、「先生もわかるよ」みたいに最初に共感から入って、「こういう理由があるからダメだよ」という感じで指導してくれるらしいので、過ごしやすかったのかなと思います。

 ただ、多様性に関してはあまりわからないですね。自分がまだアンテナが低かった可能性があるので、何とも言えないけれども。

 

加藤さん) ありがとうございます。陽菜さんは、学校が安心な場所になったり、自分が居場所を感じていたりしたことや、学校のよかったところや、こんなふうになるといいのになっていうところ、どうでしょうか。

 

受験命の進学校でも、一人ひとりを尊重してくれる担任の存在に救われた

梶山さん) 私の高校が県内でも進学校でして、本当に「受験命」みたいな感じの学校だったのです。だから、学校全体の雰囲気は、MARCH以上に行って当たり前という風潮でした。

 でも、たまたま私の担任が3人ともそういう考えではない先生で、一人ひとりを尊重してくれました。学歴や成績にとらわれないタイプの先生が運よく担任になってくれて、寄り添ってくれるタイプだったので、その学校の風潮に流されなくて済みました。もし、学校のその風潮に流されていたら、「勉強に手をつけられない自分ってダメだな」と感じてしまったと思います。

 先生がそこに常にいてくれるというのが私にとって支えになりました。学校全体として何かがよかったと言うよりは、担任の先生方との縁がすごく救いだったという感じで。その先生たちがいてくれるだけで救われたので、そういう存在がいるというのも大切だと思います。

 

加藤さん) つながっているなと思ったところは、やっぱり校則はみんな従いなさいと揃えるじゃないですか。それで、いま話に出た、学校が進学校で一定基準のいい大学に入ることが当たり前みたいに、規則ではないけれども揃っているという話も、基準以上のところに揃えなければいけないという苦しさがあるわけですよね。そんな中でも、「自分は自分でいていいんだよ」とか、「自分の考えを持っていていいんだよ」ということが救いになったという話は、「揃える」というところがキーワードで、やりたいことがあったら「あなたが決めていいんだよ」と、揃えなくて大丈夫だよと背中を押してもらえたという千尋さんの話にもつながるのではないかな。

 この辺り、綸菜さんはどうでしょうか。安心していられる学校ってどういう感じですか?

 

筒井さん) 私が高校ですごくよかったなと思うのは、一人の先生に相談をしても全体に共有をしてくださることで、嬉しかったのです。1年生の時の担任の先生が好きで今でもお世話になっているのですけど、高校2年生の時に担任の先生が変わって人見知りを発揮してしまって、自分のしんどいことや相談したいことを話せなかったのです。でも、1年生の時の担任の先生に何でも授業のことも学校のことも個人的な相談もしたら、それについて必要な先生、例えば担任の先生や学年主任の先生も、保健の先生も、その他諸々の関係する先生に絶対に伝えてくれるのが安心につながりました。

 何でも話せる先生は大事だと思うし、いい意味で距離感が近いのが、私としてはありがたいなとは思っていました。

 

加藤さん)「いい意味で近い」というのは、もう少し教えてもらえますか?

 

生徒のよさを引き出してくれた先生たち 何でも話せる存在に

筒井さん) ベタベタするとかじゃなくて、なんて言うんだろう。私は、「本当に高校生活を楽しめるのかな」とか、中学の時にしんどい思いをしてきたから、「中学のことをずるずる引きずって、しんどい思いをしている状態のまま、高校を卒業しないよね」って、高校は楽しみたいという思いがあったので不安だったのですけど、先生たちはノリがいいというか、なんか温かくて。

 先生たちは、ワーキンググループとかで、「こういうこと、してみない?」とか「こういうこと興味ない?」とか積極的に声をかけてくださることによって、生徒のよさを引き出してくれました。私は高校1年生までは実はこういう活動は一切してきていなくて、去年からワーキンググループに参加して、いろんなイベントや今日のこのイベントに参加させていただいているのです。

 そういうふうに距離感が近いのが逆にしんどいと思う人もいるかもしれないですけど、私のように感覚過敏があっても、どういう事情を抱えていても、何でも話せる先生たちが高校にいるというのは安心できる。「絶対にこれは誰々には言わないで」と言ったことは絶対に守ってくれて、そういう安心感が今まで4年間、高校に在籍していることにつながったと思います。

 

加藤さん) 今日のイベントには現場の先生たちも参加されていると思うので、距離感、児童生徒との付き合い方、関係性の持ち方のとても参考になる話だったのではないかと思います。

 そろそろ、最後のトピックになるかなと思います。「もっとこんな学校になってほしいな」というところを皆さんに聞いていきたいと思います。今、皆さんの話を聞いていて、学校の中にこういう場所や仕組みがあるという「学校自体が変わる」という視点と、「先生が変わる」、「こんな先生いたらいいな」というところの、大きく二つの焦点があるかなと思います。千尋さん、どうでしたか?

 

先生が叱る理由を説明してくれたら納得できて、さらに試行錯誤してよりよく発展できる

成島さん) 先生が叱る時にちゃんと理由があって説明してくれたら納得できる。ダメな理由があれば、もう少し試行錯誤して、逆に、「こうすればいいんじゃないか」みたいに発展できるかなとも思いました。「昔からこういう伝統があるから、よくわからないけど、これはダメだよ」というのは、もう全部なくしていけたらいいかなとは思いました。

 

加藤さん) 「伝統だから」とか、「しきたりだから」とかで「守りなさい」ということに、どれだけの意味があるのかということを納得できればいいわけですよね。納得できるような説明が今までなかったところに、しんどさがあるのですよね。

 

成島さん) そうですね。夏場で授業中に暑くても、「(携帯)扇風機をつけてはダメ」とか、「手で扇いではダメ」とか。それは何故かというと、「先生が授業をしているのに、そういう行動はどうなのか」という、生徒の体調よりも先生の気分を優先するところがあったので、もう少しどうにかできないのかなというのが私の意見です。

 

加藤さん) なるほど。大事なポイントだと思いました。

 陽菜さんはどうですか? こんな学校、こんな先生、というところ。

 

一人ひとりが人として学ぶことに重点を置いた学校づくりを

梶山さん) 「学ぶ」ということに重きを置いた学校づくりや先生がいるといいなと思っています。具体的には、学校は、国語や数学といったお勉強や受験だけではなくて、人として成長するためのことや、対人関係や、リーダーシップを学ぶとか、何かを経験したりすることで学ぶこともいっぱいあると思います。学校のいづらさ、マイノリティな人が過ごしにくい原因の一つとして、学ぶことに重点を置かずにお勉強することに重点を置いている風潮があるのかなと思うので。

 一人ひとりが人として学ぶことに重点を置いてほしい。お勉強は、その要素の一つでしかないという捉え方の下で、合理的な理由で存在している校則なのであれば、その校則によって生徒が学ぶことができると思うのです。「学ぶ」という目的をもとに、手段としてお勉強や校則があるとか、何か集団行動がある学校になっていくといいなと思います。

 

加藤さん) ありがとうございます。校則も学びになるというのは、重要な視点だなと思います。校則を無くすか無くさないかの議論の中にも学びがあるということですよね。

 最後、ちょっと綸菜さん、どうでしょうか?

 

筒井さん) 私は、清明高校が居心地がいいと感じているので、清明高校みたいな高校が増えればなと思っています。その理由として、清明高校のホームページやインスタを見ていただけたらわかると思うのですけど、本当に大学みたいな感じです。学校は机と椅子というイメージが強いと思いますが、清明は校内で5箇所ぐらいにソファーが置いてあったり、ヨギボーが置いてあったり、床に座って勉強できたり、カウンターみたいなのが置いてあったりします。学校というものに対して違和感を覚えてきた生徒からしたら、学校イコール机と椅子で勉強をするというイメージがつきまとうと思いますが、私もそうで、「またあの教室に入らなければいけないのか」と思うことがあったのですけど、教室の中に机と椅子が無くてバランスボールが置いてあったりするのです。いい意味で学校らしくなくて、学校という枠自体をしんどく感じている人にとって、座席を自分で選んで学習できる授業も多いというのも、清明高校が行きやすい学校になっている理由の一つかなと思っています。

 あと、標準服化になったことによって、私服で行けば学校も気分転換になるし、友達からも「この服可愛いね」とか「このメイク似合っているよ」とか言われて、自己肯定感が上がりました。いい意味で学校らしくない学校だなというのが、清明高校に対して今思っていることの一つです。

 固定概念が学校は付きやすいので、そこを無くしていけば、よりインクルーシブな教育現場が広がるのではないかと思っています。

 

少数派にこそ耳を傾けて一人ひとりの個性を知ることが教育現場も社会もインクルーシブにつながる

加藤さん) あと、清明高校の多様性の考え方を、すべての学校に広げるために、教職ではない大人がどんなことができますかという質問を参加者からいただいています。

 

筒井さん) 知ってもらうことが一番大事なのかなと私は思います。

 ダイバーシティピッチで感覚過敏のことについて発表するまでは、「私は感覚過敏でプロジェクターから出る音がしんどいので合理的配慮を受けたいです」と言っても、一部の先生からは「ええ?感覚過敏?音が苦手なだけだろ」というふうに言われてしまって、「何で私はこんなにしんどい思いをしているのに理解をしてもらえないんだろう」と1年間ぐらいずっと悩み続けていました。でも、校内でのダイバーシティピッチや、外部のイベントに昨年2回参加させていただく中で「初めてこの言葉を知りました」と言ってもらえて、一人でも多くの人に少数派の私たちのことを知ってもらえたのが嬉しかったのです。

 少数派だから耳を傾けないのではなく、少数派だからこそ耳を傾けてほしいなと思います。一人ひとりの個性を知ってもらうことが、教育現場であっても、社会であっても、インクルーシブということにつながるのではないかと思います。

 

加藤さん) ありがとうございました。あっという間に時間となりまして、すごくいい話って、最後、まとめないのが私のスタイルなので、まとめずに、参加者の皆さんが感じたところをグッと胸に留めて、この3人の方に参加してもらえたことに感謝をして、ここを終わりたいと思います。

 

鈴木貫司さん) ありがとうございました。学校とは何なのか。多様性の中でどこまで生徒たちに決めさせるのか。意外と校則が緩くても大丈夫だよという話もあり、「手放す」というのが一つのキーワードかなと感じました。

 

 

 

 

 

 

 

――グループ対話とグループ発表を経て、ゲストからのコメント―― 

※グループにゲストも加わり、グループの方々に感想や意見、ご質問を話し合っていただいた後、会場全体で共有するために印象に残ったことを各グループから発表いただき、ゲストからコメントをいただきました。

 

筒井綸菜さん) 今日は皆さん、貴重なお時間いただき、ありがとうございました。私は高校生という立場で参加させていただいて、梶山さんや成島さんと対話させていただいて、グループ対話をしていく中で、今まで私たちが接してこなかった職種の方からも話を聞くことができ、今まで清明のワーキンググループの中でしか話してなかったことの視野がさらに広がって、すごくいい勉強になったと思います。これを清明高校に持ち帰って、みんなで共有して、よりよい学校作りを目指していきたいなと思います。

 今日はありがとうございました。

 

子ども同士がインクルーシブに学び合うには、教員は生徒を信じて手放し見守るという覚悟が大事

梶山陽菜さん) まずは、貴重なお話をいろんな方々から聞かせていただいて、本当にありがとうございました。グループ対話では、私は教育学部で学んでいるので、教員側の視点も入りつつ、学生の当事者としての視点も入りつつという感じでお話を聴かせていただいていました。

 集団行動で、ルールで縛るということについて、先生が楽だからみんなを縛るというお話が最初にあって、ということは教員の業務が多すぎることが問題なのではないかと最初は思ったのです。教員の業務が多すぎることで統制しないとやっていられないから、理不尽なルールや必要以上の縛りが出てきてしまって、いじめなどにつながるのではないかと、グループ対話の前半では思ったのです。

 でも後半で、先生が管理をしようとすると子ども同士の学び合いが生まれないという話があって、その通りだなと思いました。先生が子どもたちのことを管理することで、必然的に業務量も増えますし、ルールがどんどん生まれてしまってガチガチになってしまう。教員は一旦手放す、外から見守るという姿勢を取ることで、子ども同士が学び合うという話がすごく印象に残りました。

 私は、教員側の視点が多くなってしまったのですけど、インクルーシブを実現していくには教員が手放す、教員が生徒を信じるという覚悟、勇気を持つことが大事だというのを学ばせていただきました。

 そのために、今活動しているラジオで学生側のいろんな考えを発信していけたら、相乗効果が生まれていいなと思いました。今日は本当にありがとうございました。

 

成島千尋さん) 自分はずっと生徒会長で、生徒の意見を集めたりしていたので、完全に生徒側の意見としてこの話し合いの場に参加していたのですけれども、先生方も多く参加していらっしゃって、先生方にもいろんな負担がかかっていることが分かりました。小学校の時にやはり人間関係に困っていたのですが、先生方が多くの子どもたち一人ひとりにちゃんと寄り添っていくのは大変なんだなと強く思いました。なので、昔の自分に対して先生がどう行動していたのか振り返れるようになって、だいぶ面白かったです。ありがとうございました。

 

加藤陽介さん) 3人の話が面白くて、私も勉強になって、もっと話を聞きたかったなと思っています。

 最後に話をまとめなかったのは、教員はよく何かをまとめたがるのですけれども、まとめることによって、その人の言葉や、その人が伝えたかったことが削がれてしまうこともあるからです。今日はまさしく3人との話を私が価値付けたり、こういう話でしたとまとめたりするのは恐れ多いと思いました。もし進行について私自身が反省するとすれば、もう少し3人が自分で他の人に振るようにできたらよかったかなと思います。私が全部振っていたところは、任せてなかったなとか、もっと信じなきゃいけなかったなと反省しています。

 こういう対話ができるような場、本当の意味ないろいろな枠を超えて話ができるような空間がもっと広がって、大きな風になって波になって、社会が緩やかだけど変わっていけばいいなというイメージを持っています。と同時に、スピード感を持って変えなければいけないところは、変えられる人が自覚を持ったりアンテナを張ったりして変えていくことも大事なのではないかと思っています。その両方が絶対に必要なのではないかと、今日は参加させてもらいました。ありがとうございました。

 

武田緑さん) 今日は3人の大学生と高校生のみなさんのお話を聴いてもらえたことがとても価値のあることだったと思いますので、登壇に心から感謝をしたいと思います。ありがとうございました。やはり当事者の話を聴くということは、本当にみんなの思考と感情が動く起爆剤になります。大人だけでしゃべるより絶対深まったし、地に足のついた話になったと思うのです。こういう機会がすごく必要だなと思いました。そのそういう意味でも、当事者参加・子ども参加はとても必要だなと改めて実感をした時間でした。

 あと、「先生も大変なんですよね」という話は、School Voice Projectの人からはほぼしていないと思うのですけど、対話している中で自然と学校外の方たちが汲み取ったり、寄り添ったりしてくれたことも、とても印象に残っています。

 インクルーシブな学校にしていこうという時に、支え合いながらアプローチしていかないといけないということが、この場に空気感としてあるような気がして、心温まりました。こういう場を持つことで、そういう雰囲気が醸成されていくのだという気がしました。

 この場を持てて嬉しかったので引き続きつながれればと思うので、もしよかったらオンラインコミュニティ(「エンタク」)がありますので、教職員が中心ではありますが学校を支える市民の方たちも入っていただいているコミュニティですので、ぜひご参加ください。フォローをしていただけるだけでも、イベントの通知とかも来るようになっているので、よかったらと思います。若い人、大歓迎です。今日は本当にありがとうございました。

 

鈴木貫司さん) 皆さん、せっかく当事者の参加がすごく大事だと実感していただけたと思うので、皆さんそれぞれの現場で目の前の子どもたちと向き合って対話することで、いろんな声を聴いていただければと思います。

 School Voice Projectさんの事業で、教職員の方と当事者の児童生徒と地域の方たちが一緒に学校を変えていけるといいなと思っています。こども家庭庁の方で今、子どもの声を聴いてまちづくりをしていくという「こどもの意見聴取と政策への反映」に全自治体が取り組まないといけないことになっているので、この全国的な流れの中で、自分たちの団体のNPO法人わかもののまちも、学校も社会の一部としてきちんと子どもたちの声を聴くことに取り組んでいけるといいなと思います。

 本日は本当にありがとうございました。

 

 

●次回SJF企画のご案内★参加者募集★
核のごみ処分問題における対話の可能性―処分場の調査地域住民の声から共に考える―

【日時】2025年6月25日(水)13:30~16:00 
詳細・お申込み】 こちらから

 

 

※今回25年5月17日のアドボカシーカフェのご案内チラシはこちらから(ご参考)

 

 

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