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ソーシャル・ジャスティス雑感(SJFメールマガジン2023年9月20日配信号より)

 

国内人権機関の設立をめざす市民社会の新たなつながりを

朴君愛

 

 23年9月10日にSDGs採択8周年国際シンポジウム「国内人権機関の実現を!そして国際人権基準の人権保障を」を開催した。

 普段、私が接する市民団体の活動家の中には、国内人権機関という名前を聞いたことはあるがどういうものか具体的な活動を知らないという方も多く(日本に実現していないからであるが)、現場で具体的な人権問題の解決に追われている日々にあって人権全般の制度を作ることにあまり関心が持てないのかな、と感じることもある。

 一方で、国内人権機関の設立の必要性を確信する人たちとの新たな出会いがあった。日本社会でSDGsの推進に取り組む人たちの中で、国内人権機関への関心が高まりつつあるのだ。SDGsは、目標16「平和と公正をすべての人に」のグローバル指標16.a.1として「パリ原則に準拠した独立した国内人権機関の存在の有無」をあげている。

 今回のシンポを主催したのは、私の職場であるヒューライツ大阪((一財)アジア・太平洋人権情報センター)とSDGsジャパン((一社)SDGs市民社会ネットワーク)、関西NGO協議会の3団体であった。企画を練りながら、「国内人権機関ってそもそも何だろう? 何でそういう機関が必要なんだろう?」という人たちに、「国内人権機関を欠いたところでの人権の進展はありえない」という意識を共有したいと願っていた。

 シンポでは、メインのスピーカーとして、日本国内からは日弁連で1998年より国内人権機関の実現に取り組んでこられた弁護士の藤原精吾さん、海外からは国内人権機関の具体的な経験を学ぶべく韓国国家人権委員会委員や国連女性差別撤廃委員などを歴任された申蕙秀(しん・へす)さんを招いた。

 

 国内人権機関は、National Human Rights Institution(s)の日本語訳である。国連から繰り返しその設立を勧告されながら、日本は未だ設立の見通しは立っていない。世界ではすでに約120の国・地域に設立されている。例えば、藤原さんは講演の中でインド人権委員会やフィリピン人権委員会の状況について紹介されていた。

 私の理解では、国内人権機関は、個人が人権侵害されたときに容易にアクセスして相談ができ、費用がかからず迅速に救済に動いてくれる、法律や政府の人権政策が国際的な人権基準に合致しているのかチェックや助言をする、さらに市民啓発のみならず検察官や警察官・刑務官をはじめ公権力による人権侵害を起こす可能性のある公務員の人権教育も担う、などの機能を持つ組織である。つまり人権救済機関であることはもちろんのこと、さらに国内の人権が前進するための幅広い業務を担う人権の専門的な国家(公的)機関である。

 国連は各国に国内人権機関の設立を促すとともに、国内人権機関に関するガイドラインを制定している(「パリ原則」)。そのパリ原則の核心は、何よりも政府から独立した組織でなければならないことである。

 私の知る範囲で過去をふりかえると、日本で設立の動きがなかったわけではなく、部落解放運動や弁護士の団体などが長年にわたり設立に向けた活動を推進してきた。そうした流れの中、政府案が2度(2002年、2012年)国会に上程されるが、いずれも廃案となった。残念ながらどちらの法案も国内人権機関は法務省の外局に設置するというもので、パリ原則に合致したものではない。

 

 ありがたいことに、私は韓国国家人権委員会が設立されて間もない頃から人権委員会事務所を訪問したり、委員を日本に招いて話を伺ったりする機会が何度もあった。正直なところ、当初は日本の現行の人権擁護委員の制度と、国連が推奨する国内人権機関の違いさえよくわからなかった。(人権擁護委員は法務省が委嘱した民間のボランティアであり、現行の人権擁護委員制度は、国内人権機関ではない)。

 市民の力で民主化を果たした韓国は、民主化運動のシンボルでもあった金大中(きむ・でじゅん)元大統領が選挙公約の一つに国内人権機関の設立を掲げたことが実現の契機となった。

 2001年11月の国家人権委員会発足時に非常任委員として就任した鄭康子(ちょん・かんじゃ)さんとは個人的に長いお付き合いが続き、韓国の国家人権委員会の活動をはじめ、韓国の人権政策なども懇切丁寧に説明していただいた。

 大統領の公約とは言え、法務部(省)の当初の国内人権機関に関する法案は、法務部傘下の特殊法人として位置付けるというもので、政府からの独立というパリ原則に反するものであった。この点は、日本と問題が共通した。

 鄭康子さんは当時、韓国女性民友会という女性人権団体の共同代表をしておられたが、長く続いた軍事独裁政権下で特に警察や検察、軍隊など公権力による甚だしい人権侵害を経験してきた市民団体側としては、法務部の傘下に入ることは公権力の人権侵害にきちんと対処するためにも絶対認められなかったと熱く語っておられた。

 

 シンポでの申蕙秀さんの報告でも、設立までに3年にわたる市民社会と法務部との対立があり、市民団体側の活動家たちはハンストや座り込みも辞さずに運動し、国内人権機関の独立性を勝ち取ったという話が紹介された。鄭康子さんも申蕙秀さんもその市民団体側の活動家であったのだ。

 最終的に、行政・司法・立法から独立した国家人権委員会法が国会を通過するが、議員の賛成票と反対票の差がわずか4票という「薄氷の勝利」であった。

 韓国国家人権委員会は現在、パリ原則に則った国内人権機関であるという評価を世界の国内人権機関の協議体である国内人権機関世界連合(GANHRI)から受けているが、発足後20年間の間に、時の政権による大統領直属機関にしようとする企てや、組織や予算の縮小、人権の経験のない委員長人事(大統領が任名)など3度にわたる危機があった。その度市民社会が結束して、世論に訴えこの問題乗り越えてきたという。

 鄭康子さんも申蕙秀さんも一日も早い日本での国内人権機関の設立を願っていることは言うまでもない。

 

 翻って、日本の社会をみたときに、まずは、2012年の人権委員会設置法案が廃案になって以降、設立を求める機運は低くなっていると言わざるをえない状況がある。しかし、人権問題は山積である。様々な属性を理由とする私人間の差別やマイノリティや子どもへの人権侵害はもちろんこと、入管施設や刑務所などでの公権力による人権侵害の深刻さはメディアでも報道されている通りである。しかも日本の人権状況を審査した国連の各人権機関からの勧告に対し日本政府がおよそ誠実に対応しているとは思えない事態が続いている。

 シンポでは、参加者から、なぜ日本では設立が実現しないのか、どうすれば実現できるのかという質問を複数から受けた。今こそ、設立を求める市民の声を集めなければならない。そのために個別の課題に取り組んできた様々な分野の市民団体がつながることの重要性をあらためて認識する次第である。

 

 

<参考>

三輪敦子「SDGsと国内人権機関 ~SDGs指標16.a.1:パリ原則に準拠した独立した国内人権機関の有無」国際人権ひろば No.168(2023年03月発行号)

https://www.hurights.or.jp/archives/newsletter/section4/2023/03/content-1.html

「特集1:ヒューライツ大阪10周年記念事業 Part3国内人権機関と市民社会 – アジアの人権保障システムを考える」国際人権ひろば No.57(2004年09月発行号)

https://www.hurights.or.jp/archives/newsletter/section2/2004/09/—5.html 

日弁連のパンフレット「政府から独立した国内人権機関設立のために」(2018年5月)

https://www.nichibenren.or.jp/library/ja/publication/booklet/data/kokunaijinkenkikan.pdf

 

 

○コラム執筆者

朴君愛(ぱく・くね):SJF運営委員・審査委員。ヒューライツ大阪(一般財団法人アジア・太平洋人権情報センター)上席研究員、アプロ・未来を創造する在日コリアン女性ネットワークメンバー。

 

 

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