ソーシャル・ジャスティス基金(SJF)アドボカシーカフェ第78回開催報告
障害女性が受けている複合差別解消へ向けて
「性と生殖に関する健康と権利」選択の尊重と必要な支援を
2023年6月9日、ソーシャル・ジャスティス基金(SJF)は、藤原久美子さん(DPI女性障害者ネットワーク代表)、田中恵美子さん(東京家政大学人文学部教授)、曽田夏記さん(自立生活センターSTEPえどがわ職員)をゲストに迎えてSJFアドボカシーカフェを開催しました。
障害を持ってから妊娠したら、中絶を勧められ、初めて女性差別に気づけたという藤原さんは、国が障害女性の体を使って障害者を排除した優生保護法を撤廃するまでの道程を語りました。母体保護法の成立後も強制不妊手術の被害者が出ていることも示されました。障害女性や少女に対する子宮摘出の明示的な禁止を、国連・女性差別撤廃条約委員会による日本審査は強く勧告しています。
知的障害のある女性のゼロ歳児遺棄事件はなぜ起こったのか、19年から21年の3事件をもとに、田中さんは分析しました。障害女性本人が妊娠出産をめぐる選択を行えず、それが尊重されないなかで起きた事件でした。だれと相談したらよいかも含めた包括的性教育が喫緊の課題であり、それは特定妊婦の問題にもつながるとの意見が示されました。
1歳の子どもを育てている曽田さんは、妊娠してから今の情報化社会における優生思想を感じたそうです。障害女性の問題、特にリプロ(セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス/ライツ)の問題は、女性たち全てに関連するまさに縮図のようなものであり、優生保護法問題は単に障害者たちの昔の問題ではなく、今の全ての女性たちのリプロに関連する問題だと藤原さんは強調しました。
そして、障害者が子どもを産み育てる選択をしたとき、障害のある親が障害のない親と同じように子育てをする権利や、それを保障するために必要な公的サービスという親への視点が行政には欠如していることを曽田さんは経験に基づいて語り、「他の者との平等」という国連・障害者権利条約のコンセプトを強調しました。子育て中は、障害の有無や障害の種類にかかわらず、必要な支援の量は人によってグラデーションであると曽田さんは述べ、その公的サービスのあり方はやはり全ての人に関連する問題となっているとの考えが示されました。
障害者が子どもに関わることは、「やってあげよう」・「思いやり」・「法律に書いてあるから」ではない合理的配慮が自然に育まれるなど、実は豊かなことだと藤原さんは語りました。
詳しくは以下をご覧ください。 ※コーディネーターは寺中誠さん(SJF企画委員)
(写真=上左から時計回り、曽田夏記さん、寺中誠さん、藤原久美子さん、田中恵美子さん)
——藤原久美子さんのお話——
私は視覚障害者で、音声パソコンを使っています。
DPI女性障害者ネットワークは1986年に、優生保護法の撤廃と障害女性の自立促進、エンパワーメントを目指して設立されました。
障害のある女性の複合差別というのは、女性であり障害者であることで、性差別と障害者差別の両方を受けることによって、その困難が幾重にも重なり、複雑に絡み合ってその解消がさらに困難になることを言います。
障害女性の複合差別を可視化しようと、DPI女性障害者ネットワークは、2011年から障害女性にアンケートをとって、12年にキリン福祉財団さんからも助成をいただいて、障害のある女性の生活の困難、複合差別の実態調査報告書を発行しました。そして、今回SJFからはこの報告書の再編版の作成のための助成をいただくことになり、現在、発行に向けて完成を目指しているところです。この発行報告会も、来年度にかけて全国5カ所で開催していくことにしていますので、そちらにもぜひご参加ください。
そのアンケートで分かった障害女性の声を2例紹介します。義理の兄からのセクシュアルハラスメントや、国立病院で異性から介助を受けるといったことが起きています。でも何も言えない状況で、そこから逃げることもできない状況が分かりました。この11年のアンケートでは別に性被害に特化して聞いたわけではないですけれども、何かしらの性被害を回答者の35%の人が受けていたということがわかりました。
そのような異性介助が行われる中でも、介助を受ける立場の弱さがあります。障害者は収入がすごく低く、就労率も当然低いんですけれども、そういったことで自立ができないと、そこから逃れられないという弱さがあるということですね。
また、社会サービスへのアクセスが乏しいことや、性別のクロス集計データが乏しくて、障害女性の例えば意思決定過程への参画なんかもほとんど困難であるという、そういったいくつかの課題が浮かび上がってきました。
国が障害女性の体を使って障害者を排除した優生保護法 撤廃への道程
母体保護法成立後も強制不妊手術の被害者
特に、障害女性の妊娠出産育児というものが否定されがちであるというところに、やはり優生保護法の問題というのが大きくあるということがそのアンケート調査で分かりました。堕胎罪というのが百年以上前の刑法で残されたのですけれども、優生保護法は戦後の人口政策として中絶ができるように定めた法律です。そのため、優生保護法反対や撤廃というのは、中絶にも反対だと誤解されることがあります。
DPI女性ネットはずっと他の女性団体と共に堕胎罪の撤廃と優生保護法の撤廃も訴えてきました。
優生保護法というのは、不良な子孫の出生防止をすると共に母性の生命健康を保護することを目的としています。つまり、女性の身体を使って、人口の量と質を管理しようとしたのがこの法律です。障害者を不良な子孫と位置づけて、女性たちには健康な子供を産むことを強要してきました。こうして社会に優生思想を根付かせたのです。
そして優生保護法を背景に、例えば兵庫県では、不幸な子どもの生まれない運動というのが展開されて、当時行われ始めた出生前診断に県独自で予算をつけて推奨していました。
強制不妊手術の被害者は約16,500名で、その約7割が女性でした。そして、介助負担の軽減のために、この法律にも違反するような子宮摘出などが行われて、それは現在も行われている可能性があります。
DPI女性ネットの1994年から96年にかけての活動を米津知子さんがまとめてくださいました。私はその頃はまだDPI女性ネットのメンバーではありませんでした。米津さんは、「SOSHIREN 私のからだから」という女性団体のメンバーとしても活動されていて、そちらの機関誌から書き起こしてくださいました。DPI女性ネットや他の女性団体や障害者団体も一緒に活動してきたことがよくわかります。
1994年にカイロで開催された世界人口開発会議で、DPI女性ネットの初代メンバーでもある安積遊歩さんが、日本には優生保護法というひどい法律があるんだと発言して、それが海外のメディアでも大きく取り上げられて、国内外から批判の声があがったのです。
翌年には北京行動会議の国内行動計画として策定されるものに、NGOとしてDPI女性ネットとSOSHIREN共同で提言書も出しています。そこでもやはり堕胎罪と優生保護法の両方の撤廃を訴えています。その中の記述に、「社会が困れば、健康な子宮であっても摘出手術は必要である」と国立大学の教授が公言されたという報道の一部が載っていました。私も最初それを読んだ時は本当に驚きましたけれども、それが堂々と言われた。この後、田中恵美子さんからも話があると思いますが、北海道江差の事件から、そういうことが昔もあったということを思いました。
95年の末に、自民党が優生保護法の学習会を開いたりして、改正が近いのではないかということで、DPI女性ネットも活発に活動していきます。96年には、日本脳性マヒ者協会の「青い芝の会」という障害者団体の方が、「障害者差別と女性差別を同時に解放しなければならない」という要望書を出しています。優生保護法と刑法堕胎罪の同時撤廃を求めたということです。
障害者団体と女性団体は、出生前検査で、女性の権利か・障害者の権利かという対立があったと言われますけれども、そういった対立も乗り越えて共に行動しました。国が、障害女性の体を使って、障害者を排除していくようなことは、あってはならないことであるということで、協力したのです。
優先保護法の改正が国会で96年の6月に審議されて、その後は本当に流れが早かったのですが、残念なことに、同じ96年の6月に同じ青い芝の会が、「女性たちが改正において、自己決定権の反映(つまり母体保護法の案に配偶者同意などの反映)を求めているけれども、時期尚早である。それよりも、優生条項を無くす改正を急いでほしい」というような要望書を出されたのです。これは後になって、「やはり、女性を差別するものもきちんと同時に改正すべきだった」というようなメモ書きが残されているというのは聞きましたけれども、そういうことがありました。
そして、母体保護法が6月に成立しました。 7月には、女性団体や障害者団体も一緒になって、「『母体保護法!?』優生保護法改正って何だったの?―今後の展望を求めて―」というシンポジウムを開きました。
こうした経過で、母体保護法が6月に成立してその3ヶ月後の9月から施行されました。されたのだけれども、国会での議論というのがほとんどなくて、人々に大きく知らせなかったのです。改正されたことを知らない人たちがたくさんいた。例えば、医者とか親族に強引に不妊手術をされたという被害者もいらっしゃいます。また教科書でも、つまり優生保護法ができた1948年から母体保護法が施行されたというような誤った記述もあり、優生保護法は本当に闇に葬られた感じです。
障害女性や少女の子宮摘出の明示的禁止を強く勧告している国連女性差別撤廃条約の日本審査
改正後の97年には、「優生手術に対する謝罪を求める会」も設立されて、米津さんはじめDPI女性ネットのメンバーも何人か関わりました。その時、仙台の飯塚淳子さん(活動名)とつながって、国に謝罪を求めてさまざまな活動をしてきました。けれども、彼女の手術を証明するものが一切見つからなかったんです。それで、裁判は難しいだろうということで、2015年には日弁連に対して人権救済申し立てをしたり、翌年2016年の国連女性差別撤廃条約の本審査にもDPI女性ネットのメンバーや女性団体、求める会の人たちと一緒にこの問題を訴えたりしました。
そして2016年に国連から強い勧告が出たこともあって、知的障害のある宮城の女性、佐藤由美さん(仮名)の手術記録が見つかったということで、2018年1月に提訴することになりました。けれども、ずっと裁判で負け続けました。ずっと不当判決が出ています。これは、除斥期間の壁というものが立ち塞がったと。去年、2020年の2月に、大阪の高裁で、「除斥期間をこれほどの人権侵害に適用するのは、公正に反する」ということで、原告が逆転勝訴しました。
その後、熊本とか静岡、仙台の地裁で、勝訴判決が出ていました。この流れで、同年3月にはまた札幌高裁と兵庫の原告が控訴した大阪高裁でも逆転勝訴しました。つい先日、6月1日にまさに、この裁判の最初に訴えた佐藤由美さんと飯塚淳子さん、ずっとこの問題を訴えてきたお2人の控訴審があって、また除斥期間というものに阻まれてしまったということです。今、全国では38名の方が声を上げていらっしゃいます。ぜひ、裁判も注目していただければと思います。
これは本当にひどい人権侵害ということで、海外ではもうすでに謝罪や保障もされていて、障害者権利条約の初回審査が昨年あり、私たちは訴えてきました。そこでこのような勧告が出ています。17条で優生保護法のことを訴え、そちらには障害女性や少女の子宮摘出を明示的に禁止するようにという強い勧告が出ました。また、25条に健康という条項があり、そちらでは、包括的性教育もすごく重要なことで、そういったことをきちんと障害者にも行うようにという勧告が出ました。
障害を持ってから妊娠したら中絶を勧められ、初めて女性差別に気づけた
こうやってずっと話してきて、母体保護法改正以降というのは、女性たちが裁判になるまでずっと粘り強く頑張ってきたなというのが、よくわかると思います。
私自身も、私は中途障害ですけれども、やはり障害者になったことで、初めて女性差別を感じました。それまでは女性差別もいっぱい受けてきたのに、例えばずっと女は健康な子供を産めというようなことを言われてきていたのに、それが当たり前であり別に差別とも思ってなかったのです。実際、障害を持ってから妊娠したら中絶を勧められたことで、初めて女性差別にも気づけた。
障害女性の問題、特にリプロ(セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス/ライツ)の問題は女性たち全てに関連する、まさに縮図のようなものだなと思います。優生保護法の問題は単に障害者たちの昔の問題ではなく、今の全ての女性たちのリプロに関連する問題です。
——田中恵美子さんのお話——
私からは知的障害のある女性と、性と生殖に関する権利について事例を交えてお話しながら皆さんと一緒に考えていきたいと思っています。
今回取り上げるのは3つの事例です。 ゼロ歳児遺棄事件というのが、2019年から3年間続けて起こりました。報告書あるいは新聞報道、それから傍聴の記録を使用して、これからお話をさせていただきます。事件は本名で既に報じられておりますけれども、ここではアルファベットで表示しておきたいと思います。
知的障害のある女性のゼロ歳児遺棄事件はなぜ起こったのか―2019年から21年の3事件―
まず事件の概要です。一つ目の事件は19年の12月13日、知的障害のあるAさんが夕食時に自宅トイレ便槽内で子どもを産み落とし、そのまま遺棄したという事件です。汲み取り式のトイレでしたので20年1月6日に業者が子どもを発見して警察に通報し、1月8日にAさんは逮捕されています。量刑は懲役1年2カ月、執行猶予3年ということでした。
続いて、20年3月3日、知的障害のあるBさんが就労支援事業所のトイレで出産し、そのまま蓋を絞めて殺害した事件です。Bさんは当初は容疑を否認していましたけれども、その後認め、殺人罪で逮捕されています。量刑は一審が懲役3年、二審は懲役3年保護観察付執行猶予5年となりました。
最後のケースは21年12月11日、知的障害のあるCさんがグループホームの2階トイレで出産し、トイレの高窓から子どもを出して放し落下させて死亡させた事件です。3日後に作業中のガス会社職員に発見され、その日の午後、Cさんは職場で逮捕されました。量刑は懲役3年保護観察付執行猶予5年でした。
それぞれの交際相手支援及び家族の状況についてお伝えしておきます。Aさんの交際相手は特別支援学校の同級生でした。卒業後3年半後に交際を始め、事件当時はともに21歳でした。Aさんは特別支援学校高等部を卒業後、障害者雇用枠で一般就労をしており、障害者就業生活支援センターが支援に当たっていました。 Aさんは母方の祖母・父のお2人と同居していました。姉と弟の一人に知的障害がありました。
Bさんの交際相手は元職員でした。Bさんは職場での緊急連絡のために職員と連絡先を交換していました。その後、職員が17年に退職した後、Bさんから元職員に突然電話があり、話の流れから付き合うことになりました。Bさんは29歳、元職員は50代でした。Bさんは特別支援学校高等部卒業後、就労継続支援B型事業所に就職し、グループホームに住んでいました。家族は父母・弟2人で、別居していました。
Cさんの相手は、職場の同期の同僚でした。3年前の入社で、しばらくして交際を始めました。一般就労の障害者枠で働いていました。相談支援事業所にグループホームを探してもらい、20歳から実家を出て暮らしていました。家族は父母・妹2人で、このうちの一番下の妹は知的障害がありました。
事件は何故起こったのかということについて考えていきたいと思います。ここでは焦点を絞って、妊娠に気づいていたのか・いなかったのか、そしてそれを相談したのか・しなかったのかという点、さらに、なぜ気づかなかったのか・なぜ相談しなかったのかということで考えていきたいと思います。
最初に妊娠に気づいていたかどうかなんですが、Aさんは交際相手とともに妊娠検査薬を使って妊娠の事実を確認していました。2人とも妊娠については気づいていたのです。しかし、周囲の人は妊娠に気づいていませんでした。特にAさんは自宅で家族と同居しており、また娩出時は夕食中で、途中で抜けてトイレに行ったにもかかわらず、家族は子どもを出産していることについて気づきませんでした。職場は障害者雇用を積極的に行い、定期的に面談を実施していましたが内容は業務に関わることでプライベートな部分については介入していませんでした。
報告書によれば、もし気づいていたとしても、そうしたデリケートな話を本人からの相談を待たずに積極的に介入することはセクシャルハラスメントと受け止められる恐れもあり難しいところがあったと記されています。就業・生活支援センターも同様に気がついていませんでした。報告書は、センターは障害者の雇用促進等に関する法律に基づく機関であるため。 就業に関連する相談支援が中心となっており、本人からの相談がない限りは妊娠や出産といったプライベートな問題にまで踏み込んで支援していないとありました。 Aさんは出産後、交際相手に流産したみたいと連絡し、出産したと思っていませんでした。
続いてBさんです。Bさんは自分の妊娠に気づいていませんでした。 公判の席では交際相手も気づかなかったと証言しています。寮母は生理表をつけていたようですが、細かく管理をしていなかったと証言しています。職場の職員も妊娠に気づいていませんでした。また、「本人は割と秘密主義で、もし妊娠がわかっていれば2月の段階で私と一緒に温泉に入らないと思う」という証言もあり、本人も支援者も裸の姿を見ても妊娠に気づかなかったということがわかります。また、支援者の一人からは、このBさんが性的な行為を受け入れるとは思っていなかった、性行為は汚いものと受け止めていると思っていたという発言があって、Bが性についてあるいは性行為について正しい理解をしていないということは理解されていた、しかしそれを放置していたということが示されています。
家族の証言は母親がしています。母も妊娠には気づいていませんでした。12月に帰ってきた時に「ちょっと太ったね」と言うと「ピザとか甘いものが好きで、たくさん食べたら太っちゃった」と言っていた。で、それを信じていたというふうに言っていました。
続いてCさんです。Cさんは自分の妊娠には気づいて、交際相手に生理がきていないと伝えていますが、それが妊娠を意味しているということは説明しませんでした。交際相手は、生理がきていないと言われても意味が分からなかったので聞き流して、またコンドームも知らないと証言しています。 Cさんの周囲の人もCさんの妊娠は気づいていませんでした。家族はCさんから「交際相手がいる。優しい人だ」とは聞いていました。
職場では上司が11月頃、ふっくらしてきたと感じ、もしかして妊娠かも、と気にはなったけれども、妊娠の兆候が見られなかったので、コロナで太ったのかと確信が持てず、声をかけることはありませんでした。12月11日に子宮頸がんの検査があり、上司は同行しましたが、妊娠について医師には伝えませんでした。グループホームの世話人も気づいていませんでした。本人には以前から乳房痛があり、3月・4月・5月・8月と二つの乳腺外来に通っていましたが、どちらでも妊娠は発覚しませんでした。12月11日の子宮頸がん検査では、こぶのようなものがあるので精密検査を受けるようにという指示があり、12月18日に予約を入れていました。しかし、妊娠には気づかれませんでした。
だれと相談したらよいかを含めた包括的性教育を、本人の「選択」が尊重される社会へ
では、なぜ妊娠に気づかれなかったのでしょうか。
まず、BさんやCさんの交際相手のように、性についてあるいは性行為について、それから生殖機能について知識が無い、「無知」の状態があります。 あるいは、AさんやAさんの交際相手のように、一応、性や性行為の意味、生理が来なかったら妊娠しているという生殖機能については理解し、その確認のために妊娠検査薬を使うというところまでは理解できていましたが、妊娠のプロセスや手続きがわからない。大体10ヶ月で出産に至るとか、その間に病院に行き診察してもらう、あるいは母子手帳もらうなどということが理解できていなかったということです。
続いてこれは周囲の人たちですけれども、「無関心」や「思い込み」、「性的存在として知的障害の女性を見ていなかった」ということがあります。例えば、Aさんの家族は夕食を一緒に食べている途中に娘がトイレで出産していて、それに本当に気付かないのか。報告書によれば、兄弟2人にAさんよりも重い知的障害があり、両親はAさんに関わる機会が少なかったということがあります。
また、Bさんの職員の言葉には、Bさんが性行為をするわけがないという思い込みがあったことが示されました。
そしてCさんの場合は、複数の医師が、しかも妊娠に関係するような乳腺外来や子宮頸がん検査で関わったのに妊娠を疑っていないということがあり、そもそも知的障害のある女性を性的な存在として認識してなかったのではないかと思います。
続いて、なぜ相談しない・できないのかについてです。結果として、どのケースも相談できていませんでした。 妊娠に気づいていなかったBさんだけでなく、妊娠に気づいていたAさんもCさんも相談していません。
Cさんについては傍聴した記者が裁判でのやり取りを記録して記載しています。これによれば、裁判当初、起訴内容を認めて発言をしていたCさんが被告人質問に対し、何度も何十秒も黙り込み、証言台で固まっていました。そのことを裁判官が、「質問の意味がわからなければ聞き直して、答えたくなければ答えたくないと言ってください」と言い、Cさんの反応がなかったため、警察側の主張がそのまま認められるかと思いきや、ここで大きく流れを変えたのが精神鑑定の証言だったという記載があります。それは、女性のIQは 53。一見では伺い知れないが、感情を揺さぶられる体験が苦手で衝動性が高い、抽象化能力が低く、話を理解できても説明が苦手と証言していた。主任弁護人は、刑が比較的軽く済んだのは鑑定医の証言で障害が理解されたことが大きかったと振り返っています。
新聞記者は「供述弱者」という言葉でCさんの状況を表しています。確かに彼女には障害があります。そして、そういった特性を持っていたと思います。しかし、傍聴した私の感想としては、ああいった内容では誰でも固まるのではないかと思います。裁判では何度も性行為を想起される言葉が飛び交いました。それを「認めるか」とたくさんの人の前で聞かれ、彼氏とLINEでやりとりしているような言葉かもしれませんが日常で隠すようにあるいは言ってはいけない言葉として学んできた言葉を「やったのか」・「やらなかったのか」と迫られたら固まるのではないかと思います。
なぜ相談しなかったのかについて、Cさんは「誰に、なんて相談したらいいか分からなかった」と何度か繰り返していました。そして「今だったら、あるいはこれからは誰に相談するのか」という質問に、母親、女性の弁護士、支援者の名前を挙げました。同性のそういう人たちに話すべきだということを教わったからではないかと思います。
私がかつてインタビューした例では、知的障害のある親が子ども家庭支援センターの支援者に自分から相談を持ちかけられるようになるまで2年かかったと聞きました。「子育ては自分で」と言われて、それを必死にやってきた、そして必要に応じて相談することを学ぶのにそれぐらいの期間がかかったのではないかと思います。
最後に今回のタイトルにある「選択の尊重と必要な支援」ということについてお話したいと思います。
選択をするためには情報が必要です。「無知」のままでは選択できませんから、性教育は当たり前に必要だと思います。性に関すること、妊娠のプロセスに加え、誰と相談したらいいのか、性行為は愛する人との愛情表現でもあるけれども一方では利用されることもあるということも含めて、もっと子ども頃から、しかも包括的に知るべきだと思います。
これは知的障害のある人だけではないと思います。裁判の中で、「誰に相談したらいいか分からなかった」とCさんは言いましたが、この言葉は、他の乳児遺棄事件を起こした障害のない女性でも同じことを言います。そして、男性にも、男性こそ性教育が必要なのでは、と思います。AさんもBさんもCさんも、相手が違っていたらと思わずにはいられません。
必要な支援については、受け止めること、待つこと、適切な介入ですけれども、例えば先にあげたインタビュー例で言えば、子ども家庭支援センターの職員は知的障害のある女性の出産後1ヶ月、誰かが必ず家を訪問するようにと児童相談所の職員や民生委員、保健師と連携し、1ヶ月後検診で順調な子育てを確認するまで毎日誰かが訪問しました。 毎日誰かが来て、言葉をかけ、「いつでも相談してね」と言い続ける。それでも本人から要求を言うのに2年かかっています。
個別に違うと思いますが、「管理」とは違うと思います。みなさんご存知の昨年12月に発覚した「あすなろ福祉園」の不妊処置の事件、理事長はテレビの番組で、「親御さんが『一緒になると子どもができてしまうべや』という」と言っていました。だからできないようにする。その究極が不妊処置だった。「必要な支援だ」といっていますが、本当でしょうか。
すべてのケースで、知的障害のある女性は罪に問われました。でも私は他にももっと罪深い人がいると思っています。本当はもっと広く、この状態を放置している私たちみんなに、社会に責任があると思っています。
——曽田夏記さんのお話——
必要な支援があれば、どんな障害があっても、必ず子育てはできる
東京都の江戸川区にある自立生活センターの「STEPえどがわ」で働いています。車椅子ユーザーです。今回登壇させていただいたのは、現役で子育て中だからかなと思っています。
私自身は2021年の8月、コロナ禍真っ最中に初めての子どもを出産しまして、息子が今1歳9ヶ月になります。今日は実際にこれまで出産育児をする中で感じてきた壁などをお話ししたいです。
先ほどの田中さんのお話、藤原さんの話ともつながりますが、私が一番感じていること、伝えていきたいことは、「必要な支援があれば、どんな障害があっても、必ず子育てはできる」ということです。
妊娠してから感じた今の情報化社会における優生思想
最初にお話ししたいのが、妊娠してから感じた今の時代における優生思想というところです。先ほど藤原さんの話の中でも「優生保護法の問題は昔の問題ではなく、今につながっている」というお話があったと思います。女性たちに健康な子どもを産むことを強要した法律で、優生思想を社会に根付かせたものだという話がありましたが、今、情報社会の中で別の形でそういうプレッシャーがすごくかかっているというのを実際に感じました。
私も初めての妊娠で何も分からずに、妊娠の経過が学べるような人気のアプリ――初めて出産する方とかよくダウンロードされていると思いますけれども――を私も使い始めました。すると一日4~5本のコラムが出てくるんです。そこには、つわり対策や分娩の予約の仕方という一般的な知識に混ざって、普通に「つわりが弱いとダウン症」とか「お腹のふくらみ方がこうだと障害児」みたいなコラムがかなり頻繁に出てきます。まずそのことにすごく当事者としてはギョッとしました。
他にもアプリだけではなく、例えば、歯が妊娠している時に痛くなって、でも初めてのことなので、「あれ? 妊婦でも歯医者って行って問題ないのかな」と思ったんですね。それで普通にスマホで検索をしてみたら、「妊娠中の歯科受診について」みたいな記事がきたので普通にクリックしたら、その記事に跳ぶ前に急にポップアップで画像が出てきまして、「血液検査だけでダウン症を診断」というのが女性のイラストで「わぁ、それなら安心」という吹き出しと一緒に出てきました。それもすごくびっくりしました。それは、出生前検査を実施しているクリニックのホームページが初産の妊婦さんが調べそうな内容の記事をたくさん上げていて、そこの情報につながる仕組みになっていることをすごく感じました。
障害のある当事者として、先ほど藤原さんがお話されていたような歴史的なこともありますし、障害のある人たちの暮らしがしっかり知られていないままにこういう情報が障害の有る無しに限らず、今の妊婦さんたちにどんどん入ってくることの怖さを私自身は初めて妊娠する中ですごく感じました。
障害者が子どもを産み育てたい時に、自分の権利を知っていて、必要なサービスを受けられる体制を
その後、実際に出産をするんですけれども、出産した後に私がどういうサービスを受けてきたかということを少しお話したいと思います。
私自身はあの実家に頼れない事情がありましたので、あの出産後、退院した翌日から公的なサービスをフルに使って育児をしてきました。3つのサービスを使っていました。一つが障害福祉サービスで育児支援のサービスです。2つ目が、江戸川区でゼロ歳児の親御さんを対象に「よちよち応援隊」というサービスがあり、おうちに人が来てくれるものです。3番目が、東京都のベビーシッターのサービスで、年間144時間まで無料です。この三つを組み合わせて、どんどん同時に人に助けに来てもらっていた感じ、全部で15名ぐらいの方に関わってもらっています。
ただ、公的な支援を受けるまでの壁というのは大きかったなと思っています。私の場合は、沐浴の補助等の育児支援のために障害福祉のサービスを江戸川区に申請をしました。最初の区からの審査結果は、0時間、全く認めませんというもので、おかしいと思って、電話で理由を尋ねたところ最初に言われたのが「同居のご主人は、障害はないですよね」ということでした。「同居家族が健常者である場合は認めません」の一点張りだったんです。確かにえ、夫に障害はないけれども、サラリーマンで日中は家にいませんとか、「新生児を車椅子で、一人で育てるのは無理だ」と何度も伝えて、厚労省の通知なども踏まえて交渉をずっとして、ようやくサービスが認められた時には、もう私自身は臨月になっていたという状況でした。
私自身は今、障害者運動に関わっていて、法律的な知識や全国の事例にアクセスができますし、仲間もいたので区役所との交渉ができたと思います。数年前に自分が一般企業に勤めていた頃を思うと、そもそも障害福祉のサービスで育児支援が受けられることも知らなかったと思いますし、役所に申請ができていたとしても今回のように「旦那さんが障害者じゃなかったら出せませんよ」と言われたら「あ、そうなんだな」と思ってサービスを受けることを諦めていたかなと思います。
先ほどのその田中さんのお話の中でも、障害のある人たちが相談をでき、そういうことが必要だと見えるようになるまでにすごく時間が必要な現状という話があったと思います。やはり、障害のある人が子どもを産み育てたいと思った時に、自分の権利を知っていて、そのために必要なサービスを受けられる体制がすごく必要だと思っています。
「他の者との平等」:国連障害者権利条約のコンセプト
障害のある親が障害のない人と同じように子育てをする権利や、それを保障するために必要なサービスという親への視点が欠如している行政
最初に藤原さんから国連の障害者権利条約のお話もありましたけれども、そこで言われていることと比べて、今の支援制度が本当に不十分だなと思っています。
私の中で、権利条約で一番重要なコンセプトというのは、「他の者との平等」だと思っています。それは、教育を受けるとか、働くとか、子どもを産み育てるなど、何であってもいいんですけれども、それを実現する時に、障害のない人と同じレベルでそれができる権利が保証されていることが重要だと思っています。
私の場合は、先ほどお話しした居宅内での、お風呂に入れるといった育児支援は認められているんですけれども、居宅外、外出時の介助は今も認められていません。
子どもが6か月を過ぎた位の時に、やっぱり家の外に一緒に出たいなと思って、でも私がベビーカーを車いすで押したり、外でオムツ替えをしたりするのが難しかったので、介助者が必要になります。ただ、使っている居宅介護というサービスが家の中限定のサービスなので、それは認められない。
外出時のサービスに移動支援というものが例えばあるんですけれども、それも私の障害の等級が理由で認められないという結論になってしまいました。一番悔しかったのが、区役所に対して「私も他の親御さんと同じように自分の子どもを公園に連れて行ってあげたい」と話をした時に区役所から返ってきた答えが「あなたのお子さん、保育園に行っていますよね」で、「保育園に行っていなくて、ずっと家の中に閉じ込められているというのであれば可哀想だけれども、保育園で外遊びができているのであれば発達上は問題ないですよね」ということを言われて、サービスが認められなかったことです。私自身は、子どもの発達云々という話をしているのではなく、先ほど条約の話もしましたけれども、「他の親御さんが当たり前にしている子どもとの外出や公園で一緒に遊ぶこととを私も当たり前にやりたい。そのために介助者が必要だ」と言いたかったんですけれども、そこが全然噛み合わなかったのを覚えています。
先ほど、北海道のあすなろ事件の報道の中でも、「知的障害の親たちから生まれてくる子どものことも考えてあげないと」というような話が出ていました。私はそれを見聞きした時に、自分が公園に連れていくことを否定された時と同じような悔しさはすごく感じました。
それがなぜかと言うと、そこには障害のある親が障害のない人と同じように子育てをする権利や、それを保障するためにどういうサービスが必要かという親への視点が欠落しているからだと思います。さらに、そういう発言の裏に、障害のある親に育てられることが子どもにとって有害というようなメッセージすら私自身は暗に受け取って、内心はすごく傷ついた部分があると思っています。
去年の夏、母親が亡くなったんですけれども、危篤だという連絡を受けまして、平日だったので夫はすぐには来られないので、ゼロ歳児の子どもを連れて島根に飛行機ですぐに帰りたかったんです。普通に予約をできると思って航空会社に連絡をしたら、「自力歩行ができない人は、3歳未満の子どもを連れて単独搭乗はできません」と言われて、搭乗拒否をされました。理由は何かあった時に安全に避難できないからという、よくある理由で搭乗できなかったんです。
もちろん、自分は障害者運動をしてきているので、そのことに関しては腹も立つし、悔しいし、国交省などに交渉もする感じではあるんですけれども、一方で一人の親として、「何かあった時に、歩くことができないあなたは子どもを守り切れないでしょ」というメッセージを受けたような気がして、それに対して傷ついている自分もいるなあとすごく思います。
私の場合は、外出時の介助者は認められないのに、じゃあ飛行機に乗りたい時は介助者がいないと乗れません、というのではどうすればいいんだという話です。
こういうことからも、日本において障害のある人が育児をすることに対する人権のレベルはまだすごく低いなと感じています。 一方で、その人権のレベルを引き上げて行けるのも自分たち自身だなと思っています。
皆さん行かれたことがある方もいると思うけれども、私も近所にアリオというモールがあるんですね。初めてそこに行った時に、授乳室がありまして、「どうせ使えないんだろうな。車いすで」と思って入ったんです。そうしたら、オムツ替えの所に「車椅子ユーザーの方はこちらをお使いいただけます」と、車椅子でも入れる使いやすいオムツ替えがあったり、授乳室も車椅子でも入れる広さになっていて「お使いください」と書いてあったりして、それを見たときはすごく嬉しかったです。
同時に、先輩の車椅子ユーザーの方たちの影をそこに強く感じました。実際に使えなかったり、できなかったりで、悔しい思いをした人たちが実際にこういうものをつくってきたということも、その時すごく強く感じました。なので、私も子どもが生まれてから、自分より下の世代の子たちからメッセージをもらうことも増えてきたと思っており、まだまだ自分には障害があるから子どもを産み育てるのも難しいかなと思っている子たちが、それは子育てに限らないけれども、そういうふうに思っている下の世代の子たちはまだまだ多いなというのは感じています。
なので、自分も、自分の経験、嬉しいことも悔しかったことも含めてですけれども、それをエネルギーに変えて、必要な支援を得られて、どんな障害があっても子育てをしていける環境、社会をつくっていけたらいいなと思っています。
——パネル対話——
寺中誠さん:コーディネーター/SJF企画委員) 非常に我々の身近な話にもつながってくるところだったので、ありがとうございます。ゲストお三方同士の中で、補足したい、ご意見があるなど、コメントをお願いしたいところです。
「やってあげよう」・「思いやり」・「法律に書いてあるから」ではない合理的配慮の育み
藤原久美子さん) 私も、障害者に育てられた子どもロクな子に育たないというようなことをネットで書かれて、やっぱりすごく傷ついた経験があります。
何でしょうね。本当に障害者が子どもに関わることがすごい実は豊かなことで、子どもは私たちがいろんなサポートをもらっていることを見ているんですよね、身近で。例えば、席を譲ってもらっているだとか、いろんな助けてをもらっているところを見ているわけで、それは将来的にすごくいいんじゃないかなと、人は助けてくれるということを知っているということですから。
私の場合は視覚障害だから、視覚障害者へいわゆる合理的配慮なんかも、身近な人がいると、別に「やってあげよう」とか「思いやり」とか、それこそ「法律に書いてあるから」とか、そういう意識はなく、自然にできたりするんです。それが娘にとっての当たり前であるところではすごくいいことがあると、私は前向きに捉えようとしています。けれども、まだそういう理解が進んでいないのは、曽田さんの今の時代であっても本当にそうなんだなとは思います。
福祉の関わる人たちが本当に理解していないところも、田中さんの話でもそうですけど、やはり福祉現場の人たちにもっと知ってもらいたいなと思います。
田中恵美子さん) 曽田さんのお話は、今日初めて聞いてすごくびっくりしました。妊娠している時にサイトに跳ぶとか、こういう検査ができるよと情報がすぐに来るとか。多分それが差別だと全く思わないでやられているんだなと思うと恐ろしい。そして、それを見た人も「簡単にできるのね」みたいな感じで出生前検査を受けていくことで全く罪の意識もなく巻き込まれている状況を、私は全然知らなかったので、何てことが起きているのだという思いです。出生前の診断を病院などに限るなど制限的にしてきたことは全く何の意味も無かったのか。違法に行われているところもあるというのは十分知っていたけれども、それを煽るような社会の現象があることを聞いてショックを受けています。
あと、役所の対応で、せっかく育児支援について厚労省からも通達があるにもかかわらず、いつも家族を前面に出してくるというのが全然変わらないことに本当に憤りしかない。ここで諦めちゃいけないのですけど、本当にどうしてこうなんだろう。散歩もそうです。子どもと一緒に外出するなんて当たり前のことができない、親と外出することと保育士がやることは別だし、何しろ親がやりたいという気持ちをなんで阻害するんだ、家族でやれとかいろいろ言っておきながら、ここでは保育士がやればいいというなど矛盾もある。
曽田さんの話を聞いて、やっぱり現状を変えていかなきゃいけないと思いました。これは私も最後にお伝えしたことだったんですけど、このままでいいわけは当然ないので、どうやって変えていくかが大事と思っています。今日のこういうところでお話しができて、皆さんと一緒に考えられるのが、一つのチャンスだと思っています。
子育中、障害の有無や障害の種類に関わらず、必要な支援の量はグラデーション
曽田夏記さん) 今お二人の話を聞いて改めて思ったことですが、出生前検査の話にしても、やっぱりその知識が無い。例えば、障害があるにしても無いにしても、妊婦の方たちが「私には育てられないかも」みたいな、「一人で育てなきゃいけない。必要なサービスを受けられずに」というイメージが大きいとは思います。
その必要な支援を受けてという話を先ほどさせていただいたんですけれども、実際に子育てをする中で障害があるとか無いとか、どういう障害かに限らず、必要な支援の量はグラデーションだなとは感じました。
私は児童館によく子どもを連れて行っていたんですけれども、最初は私の子どもだけが先生に連れて入ってもらう等たくさん支援を受けていると感じていたんですけれども、よく見ていたら、子どもが3人・4人たくさん連れてきているお母さんが「ちょっとこの子、トイレ連れていくんで、下の子を見といてください」と言って出ていくとか、みんなそれぞれいろいろ大変さがあって、必要な支援を受けているんだなと思ったら、ちょっと肩の荷が下りた気持ちがした時がありました。
だから例えば、知的障害のあるカップル、2人とも知的障害があったらすごく支援の量が必要だろうと思われたりもするかもしれないけれど、その量は確かに多いかもしれないけれども、いろいろな環境で、シングルマザーであったり、子どもがたくさんいたり、双子だったり、そもそも特別な事情がなくてもすごく子育ては大変だと思うので、みんなで補い合いながら必要な支援は誰でも受けられるようになってほしいなとあらためて感じました。
寺中さん) 今おっしゃった、グラデーションがあるというのは全くその通りかなと思います。田中さんの先ほどのお話で出てきた3例。他にもたぶん似た例があると思うんですが、基本的にはこれらの事例は典型的に児童福祉法上いわゆる特定妊婦という制度が適用されなければいけないような状況だと思うのですが、それがどうして働かなかったのかについて、補う部分はございますか?
田中さん) 制度に乗るには気がつかれないといけないので、誰かが気がつかないといけなくて、誰も気がついてないんですね。そうすると、特定妊婦にもならない。もちろんその状況だったんでしょうけど、その状況ですということが誰かに気がつかれていなかった、誰にも気がつかれていなかったという状況だと思うんですね。そこが問題だとすごく思いますし、本当になんで気づかないんだろうと。私は今回事例を見ながら「無知」「無関心」「性的存在としてみていない」と、いろいろ理由をつくって先ほど報告しましたけど、私はその理由で納得しているわけでは全くないのです。本当は「どうして分からないんだよ」と言いたい気持ちです。
結局、本人たちが分かっていても相談もできなかったし、妊婦であるということに――全ての女性がそうなんですけど――、妊娠に気づいて、そこから役所に行くのは自分なんですよね。申請主義なので、全てが。だからといって、誰かに見つけてもらうというのもなかなか難しいと。確かにそうなんですけれど、この3つの事件について言えば、せめて周りの人がもうちょっと、とはすごく思いました。なんか全然答えになってないかもしれない。
寺中さん) すごく重要なポイントで、周りの人の中で一番重要なのは、本当は児童相談所ですよね。
田中さん) そうですね。
寺中さん) ですから、役所として責任を負わないといけないのはそこなのですが、そこの体制がきちんとできているかちいうと、そんなことはないというのが現状ですから。
田中さん) でも、児相に行く前が無いというか。児童相談所は相談されないと来ないんですよね。だから、何か通報があるとか、何か連絡があるとかが無いと、やっぱり難しい。(児相の方が)ウロウロしているわけじゃないので、だから本当に難しいですね。身近にいる人が最初に気づかないといけないところです。
障害福祉の関係者の人が誰かその3つの事件のどこにもいるんですけど、そういう想定がないという点は、一番大きいところでは確かにあると思います。
寺中さん) それから曽田のお話の中では、その状況自体をほとんど誰も想定してないという問題が、現実にはありますよね。例えば子どもを育てるとどういうことが起きるのかということについてのリアルな想定が全くあの制度設計の段階から無い。だから、自己責任で割降ってしまうというようなやり方が続いているのかなと、聞いていて思います。
藤原さんがおっしゃったように、いろんな制度がきちんと出来上がっているはずなんだけれども、動かないというところの話につながっていくと思います。
皆さんの本当にあのおかげをもちまして、これでお互いのお話については、今の段階ではひとまず共有できたかなと思います。
――グループ対話とグループ発表を経て、ゲストからのコメント――
※グループにゲストも加わり、グループの方々に感想や意見、ご質問を話し合っていただいた後、会場全体で共有するために印象に残ったことを各グループから発表いただき、ゲストからコメントをいただきました。
曽田夏記さん) 今日皆さんに話を聴いていただいて、コメントもいただけて、すごく良かったなと思います。
制度のところはすごく必要な部分ももちろんある一方で、分離されてしまう現状というのもあるかなと思います。私自身も公園に今もう単独で連れて行って、そこで結局、周りにいるお母さんたちが見てくれる等の現状に直面すると、もしヘルパーさんと一緒に来ていたら、こういう触れあいは無かったかもと思う部分もあります。
ただ一方で、障害者だからこそ侵害されている権利というのも厳然としてあり、それは強制不妊手術の話など、それ以外でもたくさんあると思います。自分たちが当たり前に人間らしく生きて行くために、そこのレベルまでのことを目指して求めて行かないといけない。制度や権利というのは厳然としてそこにはあると思っていますので、引き続き皆さんと一緒に活動していけたらいいなと思っています。ありがとうございました。
田中恵美子さん) ありがとうございました。
福祉職の人の性虐待、障害のある人を対象にした性虐待に関して、虐待した人をより懲罰的にしたり、刑を重くしたりするというような活動が今なされています。それと関連してくるかもしれませんけれど、福祉関連者は障害のある人が妊娠するかもしれない可能性についてのきちんとした知識を持つべきだというのは一つあると思います。
でもそれが管理的になってしまうのはダメだと思っています。あくまでも本人たちがどうしたら人間らしく、正に曽田さんがおっしゃっていたように、障害のない人と同じ権利を持てるように子どもを育てたい、育てられるための支援が必要だと思っています。
どんなふうにしたらいいのか分からないですけど、ここにいる皆さんとつながったことで、またこれからも考えていき、ぜひこのままにしない、動いていくことを続けたいなと思います。よろしくお願いします。
藤原久美子さん) 田中さんにお話しいただいたことについては、DPI女性ネットも意見書などを出していますので、ぜひホームページで見て頂ければと思います。これが、厚労省などでは児童虐待の視点なのです。あくまで障害女性が一人で何も相談できないことに対してどうするのかという視点に行かない状況があるという事もお話しておきます。今日はありがとうございました。
寺中誠さん) ありがとうございます。まさに児童虐待の話に全部回収されてしまう傾向は私もお話を伺って、そこが問題だなと思っていました。田中さんにぶつけた私の質問、特定妊婦もそうですよね。児童虐待の問題だからというふうにみんな考えているけれども、そうじゃなくて、そもそも普通の子育てでも重要だろうというのが、今日の曽田さんの話に一番表れていると思います。ありがとうございました。
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