ソーシャル・ジャスティス基金(SJF)アドボカシーカフェ第57回開催報告
食と農のグローバリゼーション
アフリカ・日本の農業と開発援助から考える
2018年11月2日、渡辺直子さん(モザンビーク開発を考える市民の会/JVC)、松平尚也さん(耕し歌ふぁーむ/京都大学農学研究科)、田中滋さん(アジア太平洋資料センター[PARC]事務局長・理事)をお迎えしたアドボカシーカフェを、SJFは東京都文京区にて開催しました。
貧しいから変わらなくてはいけない存在ではなく、自分たちの実践に基づいてどういう発展の方法があるのか決める主体になることをアフリカの農民たちは求めていると渡辺直子さんは強調しました。日本の食糧の安全保障のためにODA(政府開発援助)が計画されたモザンビークでの農業開発で、現地の農民たちは対話と意味のある参加を求めています。それは、次の世代のための闘いです。「農民は、生命や自然、地球の守護者である」、「農民の基礎(土壌の尊重と保全、適切で適性な技術の使用、参加型で相互関係に基づく農村開発)に基づいた生産モデルを提案する」と、モザンビーク最大の小農組織(UNAC)は「プロサバンナに関する声明」で謳っています。
ODAは、そういった共に考えていく関係性のなかにある国際協力であるべきだとの考えを渡辺さんは表明しました。ODAは誰のためかと、田中滋さんは問いかけました。ODAが、日本が国際的な地位を確立するための外交戦略として使われる構造や、「民間パートナーシップ」という名で企業進出をはかる構造が説明されました。重層化した「国益」のためのODA構造を分析することが重要だと田中さんは強調しました。
そのように日本がモザンビーク等で現地住民に犠牲を強いながら農業開発投資を進める背景には、日本の大豆の自給率が輸入自由化のなかで激減した経緯があることが松平尚也さんから説明されました。経済のグローバル化のなかで、私たちはどのような食と農の関係をめざすのかが問われています。日本の農業でも大規模企業化が進むなかで、地域の自然環境を熟知して農業を展開してきた人たちの知恵や技術を継承しなければ、日本での食糧の安定供給は難しいとの見方を松平さんは示しました。
持続可能な食、豊かな食は、先進国と途上国・開発する側とされる側というような関係ではなく、そこで食を育む人へのリスペクトに根差した、一人ひとりの「主権」が認められている関係性が土台となることが会場との対話のなかで浮き彫りになりました。ただ一人の命でも奪うようなODAは防ぎたいとの姿勢を田中さんは語り、権力構造のなかで抑圧されている人がいるのであれば、どういうふうに公正な社会をつくっていくのか、ソーシャル・ジャスティスという視点から問題と関わりたいとの渡辺さんの言葉が共感を呼びました。
※コーディネータは、上村英明(SJF運営委員長)
――渡辺直子さんの基調講演――
題材としてはアフリカのモザンビークという国の事例を扱います。モザンビークはアフリカの南部にある国です。日本のODA(政府開発援助)によって行われるプロサバンナ事業を取り上げます。今年11月下旬にブラジルとモザンビークから、農民あるいは社会のメンバーがやってきて3カ国民衆会議を行いますので、今何が起きていて何が問題なのか、背景もお話しさせていただいて、松平さんと田中さんからコメントいただければと考えています。
プロサバンナ事業というODA事業は、2009年に日本・ブラジル・モザンビークの3カ国で合意された農業開発プログラムです。モザンビークの北部3州、1100万ヘクタール(日本の耕作面積の2倍にあたる)という広さを対象に行われる大規模農業開発事業です。実施主体はJICAです。これが、対象地域の約400万人に――この地域に約700万人が暮らしていると言われていますが――直接利益をもたらすと謳われています。
モザンビークは首都マプトーがある南部が経済の中心で、民族も南北でぜんぜん違うというという状況にあります。この北部、タンザニアやマラウイとの国境沿いで、ザンビアとも近い地域で、日本は農業開発事業をやろうとしています。人口はいま約3000万人で、国土面積は日本の約2倍と言われています。7割以上が農村部に暮らしていて、労働人口の8割が小規模で自給的な農業に携わっている、農業に支えられて生きている国です。こういう国は、アフリカ南部では南アフリカ共和国以外で多いです。国連の2010年のデータによると――それ以降あまり変わっていないのですが――絶対的貧困は人口の52%ぐらい。国連開発計画(UNDP)が毎年出している人間開発指数では最下位のDRCコンゴとニジェールに次いで2番目に悪いと言われています。いっぽうで2007年以降は経済成長率が、ここ1・2年ぐらいは政府の債務隠しなどがあってガタガタになっていますが、それまではずっと7%を超えています。しかしこういったことが貧困層を裨益しないという状況になっています。なので国連のマクロデータでみるといわゆる貧困にあえいでいる国ということで、考えられたプロジェクトがこのプロサバンナ事業です。
なぜ現地の住民がこのプロサバンナ事業に反対の声が上げているのか
まずプロサバンナ事業がどういうものを前提として始められたのかを概観しておきます。一つは、この事業によって現地は一定雨量と広大な農業可能地に恵まれる。でも今は多くが未開墾地(有効活用されていない土地が余っている)である、ということが前提として言われていました。二つめとして、小規模農家の技術が伝統的で粗放的で簡素がゆえに、低投入・低生産性の自給自足型農業を余儀なくされているから貧困にあえいでいる、という方程式のもとにこの事業計画が成り立っています。三つ目として、ゆえにスケールの大きい農業開発が必要で、海外から農業分野の投資を呼び込みましょう。そういうもので400万人位に裨益しますよということです。
3カ国協力という言い方をしましたが、この事業の発想は、かつてJICAが1970年代にブラジルのセラード地域といわれるアマゾン地域のサバンナ地帯を一大穀倉地域に変えた事業があり、この「成功」をモザンビークの未開発の土地に持っていこうというものです。しかし、セラード開発は実際には、そこで暮らしていた人たちが土地を追われたり、今でも環境破壊、この地域にある南米大陸の水源が奪われたとして現地のNGOや住民に訴えられています。
こういう開発をするためにどういう構想だったかというと、地域ごとに特産物みたいのを上からかぶせて作っていきましょうというものです。
この地域はナカラ回廊といわれる地域なので、ナカラ回廊開発と一般的に言われています。インフラ整備として鉄道と道路、港湾の開発をして、農産物を外に出していきましょうという事業です。内陸部に炭鉱があって、沿岸部に天然ガスがあって、そういった資源を一切合財、外に持って行こうという開発です。
このナカラ回廊開発の一部がプロサバンナ事業と言われています。こういうことをすればこの地域に暮らす400万人に裨益するよと言われている農業開発ですが、実際には、現地の農民たちが反対をしているという状況にあります。これは2009年に3カ国合意された事業ですが、2012年に私たち日本の市民社会に現地の声、「何か現地でおかしなことが起きていて、自分たちの土地が奪われる可能性がこの事業をやるとあるのではないか、でもこの事業のことが何も見えてこないので調べてほしい」という声が届きました。
豊かな自然と食と分け合う生活 社会構造が生む貧困
現場で何が起きているのかということで、私たちは現地で調査をしたり提言活動をしてきました。調査に行った時のことを2点お話をさせていただきます。
この地域はサバンナで、年間降雨量が1200ml位あって雨が非常に豊富です。私が別の農業活動で行っている南アフリカは500ml位です。また森林も豊かで、水が非常に豊かです。大きい一級河川の支流が村の中まで入り込んでいて、農民たちは大きな灌漑設備がなくても、そういった小川で自分たちの畑まで水を引くことができています。いろんな物を多品目で作っています。ファーマー・トゥー・ファーマーで農業研修も始めていて、私は南アフリカやジンバブエ、エチオピア、スーダンなどで農業の活動をした経験があるのですが、そういう自分が見てきた経験からすると、非常にきちんと作られているという印象があります。
主食のお芋を食べていたり、ローカル・マーケットもあっていろんなものが売られていて、豆も十何種類もあって地元で食べられていて、ナッツ類もたくさん採れます。ポルトガルが植民地時代の旧宗主国で、ポルトガルから食生活の影響を受けていて、魚をよく食べる文化がありご飯も良く食べますので、私が農村部に調査に行っても食事面では苦労せず、ご飯と魚という組み合わせで食事がとれる点は好きなところです。自分たちで鳥を絞めたり、豆を加工して売ったりもしています。お料理もお皿自体はシンプルですが、キャッサバというイモ類からつくられた主食、シマといわれる豆料理、トウガラシとレモンでつくった美味しいプリプリというスパイスソースも自分たちで作っていて、私から見れば豊かでした。
豊かだったと思いつつも、農民たちから具体的に話を聞く――私たちのメンバーは10回位行っているのですが――と問題が見えてきます。
現地の農民は、自給作物だけでなく商品作物もつくっていて、単位面積当たりの収穫量は決して低くないのです。何が問題かというと、現金を持たない生活をしていることです。交通手段がないので、売りたいと思った時でも、マーケットの仲買人が来たときにしか売る方法がなく、それで買い叩かれて、そこが現金が得られない原因になっています。例えば男手があって外に売りに行ける体力がある場合には、少しずつ現金が入ってきて自転車を買えて、さらに作物を売ることができると現金が入って、バイクが買えて更に作物を売れるというように、生活を良くして行く手段が見えてくる。でも家族構成によってはなかなかそういうことができないところもあります。
彼らは、何をもって貧困といっているのかというと、学校や病院がないと。でも建物とか箱はあり、先生はいるのです。本当は無料で行けるのですが、公務員であるお医者さんや教員も国から給料がきちんと出ていないので、住民は賄賂を要求されて利用できないということがあります。
そうした問題がなければ、十分に生産できていて食べられており、社会構造によって貧しくされているのです。農民たちは、自分たちの貧しさを、農業の生産性の問題とはとらえていませんでした。それは私が感じたことと同じです。
また、土地が使われていないのではなく、低投入なので、同じ土地から同じものを生産してばかりいると土地が痛むので「休ませている」だけであって、使っていないのではない。肥料などを使用しないため土地が疲れたら移動する転作農業を行っています。自然資源が非常に豊かなので、そのように作れないときには、川や森から採取する生活をしています。
現金を使わない生活と先述しましたが、不作の年というのは、自分のところだけが不作なら隣の人から食べ物をわけてもらって、村が不作なら隣の村から分けてもらって、それでもだめならもう少し範囲を広げて分けてもらってというように段階を踏んでいて、それでもどうにもならなかった時に現金が初めて出てきて買うという話を聞きました。不作ならすぐに買うのではなく、広い範囲でそういったことが行われているのです。
地域のなかに多様性があって、狭い地域でもみんながいろんなものをリスク分散して作っている、非常に重要な社会構造になっています。
実際に国の状況を見てみると、小規模で自給的な農業は国内総生産の3割、食糧生産の8割を生みだしています。アフリカは実際のところ、アフリカの人たちが食べる食料の8割は小規模農民が生産しているのですが、分配の問題などがあって飢餓にあえいでいる人がいると全体的に言われています。この地域でもそういった問題は当てはまりますが、非常に肥沃な土地でこういうような農業がされていました。
農民の土地を奪う海外農業投資 政治と企業の密着が生む
もう一つ見えてきたのは、こういう農業をしている人たちの土地がどんどん奪われていることです。外から来た海外農業投資、アグリビジネスによって生活していた土地が収奪されることが起きている。
モザンビークには非常によい土地法があって――アフリカはだいたいそうなのですが――、土地の所有権を持たない。所有権というのは処分できる権利、売ったりや渡したりできる権利が付与されることです。所有権はないのですが、利用権はある。モザンビークは内戦の後に土地法がつくられて、そこで10年暮らし10年耕した人は生涯にわたりその土地を耕す権利があるということで、利用権が土地法の中で既に謳われています。ですから、海外から来た企業はその土地の農民たちにそこの農地を使わせてくださいと話し合いをしなければいけないことになっています。
では土地収奪がどういうふうに起きるか。先程、転作をすると言いました。ある範囲のうち、一部を農民が今使っていると、企業はその使っていない部分を使わせてくださいと言ってきます。最初のころは、企業が学校をつくってあげる、病院をつくってあげる、雇用を増やしてあげると言うので、人のいい農民たちは受け入れるのです。しかし企業は使わせてくださいと言った土地を拠点に、まだ農民が使っている土地でブルドーザーで木を伐採したりするのです。最悪の場合には、話し合いもなく、いきなりブルドーザーで農民の土地の作物や木をなぎ倒すということを始めたりします。補償もきちんとすべきなのですが、払われない。これをやった企業は、土地収奪をしていますよねと問われると、「伐採し始めたら彼らが怖くなって勝手に逃げていっただけだから土地収奪ではない」と。そういう論理でばんばん進めています。結局、そのなかで最初の病院や学校をつくるという約束も守られていないし、補償ももらえないし、雇用も生みだされないで、土地だけが奪われるという形で土地収奪が起きています。
なぜこういうことが起きるのか。国のガバナンスがよければ、モザンビーク政府が企業から住民を守ってくれるはずなのですが、企業の大株主が元大統領だったりということで政治と非常に密着していて、ぜんぜん守られない傾向にあります。
以前は1日4回食べられていて、象徴的にお金・富というのは畑から生み出されていて、そのお金で子どもたちは学校に通っていて、がんばれば大学に行けたし、バイクも買えたし、と農民は言っていました。また、漁場で魚を買って1年じゅうタンパク質が採れたと。
今回、3カ国民衆会議に来る男の子たちは、家族が農民です。そういう家族、親戚の協力を得て、大学まで行かせてもらって今の自分があるのだけれども、自分たちの国が今こういうふうになっているということで、農民組織で働いたり、命をかけつつ土地を守るような活動をしています。そういう若い方たちが今回の会議にけっこういらっしゃいます。
土地収奪は、栄養不良とされる国でこそ、世界的に起きています。そこにはモザンビークなどアフリカ南部の国が多く含まれます。そういうガバナンスが悪い国、貧困にあえいでいる国ほど、土地収奪が起きやすくなっています。
私たちの税金による海外開発 現地農民への敬意なく コミュニティーの分断を諮るJICA「コミュニケーション戦略」と「市民社会対話メカニズム」
小農たちがこういった状況のなかでプロサバンナ事業に対して何を言ってきているか。事業の透明性や、土地を奪われることへの懸念もあるのですが、農民のリーダーはこう言っています。
「私はここで何十年も土地を耕してきた。この土地に何が合うのか、自分たちが何を栽培し、何を食べたいのかは我々が一番よく知っている。だからまず我々に何が必要かを聞いてほしい。」
農民たちは、意味のある参加を求め、対話を求めている。
でもプロサバンナ事業下で何が行われてきたか。それは人権侵害です。モザンビークで行われた第2回目のある会議でモザンビークの農民リーダーが話していたことですが、人々がプロサバンナに対する不安を政府関係者の前で口にするとプロサバンナに反対する者がいたらそいつは投獄されるそうですし、じっさいに女性が何時間も拘束されてプロサバンナ事業への反対を翻すように脅迫されたということもあったそうです。
こういったことに対して私たちの税金が投入されているのすが、日本政府は何ら対応をしていません。モザンビーク政府は人権に配慮するようにと言っているだけで、結局なんら解決していません。
また、対話を求めてくるなかで、事業の透明性も求めてきたのですが、実際には、介入と分断がずっとこの間に行われてきています。
「プロサバンナ事業コミュニケーション戦略」というJICAが2013年にお金を払って現地コンサルタントを雇って作成された広報戦略のようなものがあります。こういったものは情報開示請求やリーク文書などで出てきます。この戦略書には、
「モザンビーク市民社会諸組織の重要性を奪うことによって、モザンビークで活動する外国NGOの力を削ぐことができる」とか、
「ブラジルのセラード(の経験)とナカラ回廊の結びつきを遠ざけることにより、これらの国際NGO(日本のNGO)が去年来使用してきた主要な論点のいくつかに関して信用を低下させることができる」とか、
「それでも、その影響力が継続するならば(中略)、外国の諸組織の役割について問題化する、あるいは批判する(この批判については、モザンビーク当局の側によって推進される)」
といったことが、JICAがお金を出した公文書に書かれている。そういうことがずっと行われていました。これは実際に現場で行われていて「日本のNGOのせいでモザンビークの農民は開発に反対させられている」という記事が政府系の新聞に何回も掲載されていました。これが私たちの税金を使って行われています。
もう一つ、介入と分断の例です。先程、農民たちはずっと対話を求めてきたと言いました。政府も対話をしなければいけないと言い出してはいますが、実際には、これもJICAがお金を出して現地のコンサルタントを雇って「市民社会関与プロジェクト」で、一個ずつ農民組織や協力しているNGOを回って組織を色分けしました。「プロサバンナに絶対反対」、「条件付きで対話に応じるだろう」、「関心がない/どちらかというと政府系で協力的だ」に分けるマッピングを行い、後二者だけを集めて、「市民社会対話メカニズム」をつくって、市民社会と対話していますよというのを行いました。その結果、農民組織は排除されて孤立化させられています。こういった責任も日本政府は何らとっていません。
日本の食糧の安全保障のための海外農業投資がうむ土地収奪 日本政府の投資と情報隠ぺい
プロサバンナ事業は、この抵抗運動があったが故に、じつはまだマスタープランといわれる大きな計画はできていません。
政府側の言い分としては、でもプロサバンナ事業は土地収奪を引き起こしていないんだという言い方をします。でも2009年にプロサバンナ事業の合意をされてから、ずっと投資呼び込みセミナーがブラジル・東京・モザンビークのマプトー等南部で行われていた。投資呼び込みセミナーで伊藤忠は、私たち日本人は伝統的に大豆をよく食べていて、大豆をモザンビークで栽培してくれたら絶対に私たちが買いますから大豆を栽培してくださいとプレゼンしていました。
これがどういうふうに関係があるかというと、先ほど見ていただいた土地収奪をしている企業はほとんどが大豆を栽培している企業です。投資セミナーを開始しているのが2011年や2012年です。なので2009年に合意されて、投資呼び込みセミナーを開始して、そこからこういう土地収奪がモザンビークで頻発するようになっています。科学的に証明できるかは分かりませんが、現地の人たちやメディア、そして我々も、プロサバンナ事業が現地の土地収奪を誘発したと認識しています。じっさいに事業下でも土地収奪が起きています。
なぜ大豆なのか。
「途上国の農業開発なしで維持できない日本の食生活」と、2010年のJICAワールドの記事に書かれています。日本の食の安全保障のために大豆を輸入するのだ、そのためにプロサバンナ事業を行うのだということが書かれています。なので、私たちの暮らしとも非常に関係のあることです。
情報隠ぺいも起きています。
この投資の話をJICAはずっと批判していました。「投資呼び込みをしていてやっていたでしょと、だから土地収奪が起きていますよね」というように言っていました。たとえば第2回ODA政策協議会では、ナカラ回廊ファンドという投資を集めるファンドがあるのですが、「日本政府としてこの(ナカラ回廊)ファンドに関与するつもりはございません」と言っていて、国会答弁などでもそのように説明していたのですが、どうもおかしいといろいろ情報開示請求をすると、ほとんど黒塗りで出てきました。一個ずつひっかけては何回も開示請求をし続けたところ、やはり日本政府はナカラ回廊ファンドに投資をしていた。ナカラ・ファンド発表会をJICA協賛で2012年に行っていて、FGVという現地のブラジルのコンサルタントをJICAはファンド発表会に招待していた。嘘をついていたし、情報を隠ぺいしていた。
対話を求める農民 参加型で相互関係のある農業開発モデルを提案 社会の在り方を長期ビジョンで問う
ではこういった状況に対して、農民や私たちは何をやってきているか。
農民は対話の機会を求めていると先述しました。事業の内容そのもの、土地を奪われる可能性があるということで懸念の声を農民は上げたのですが、その改善の話をするのではなく、策定のプロセスに農民はずっとこだわり続けています。
彼らの闘いは、ODAの1プログラムの枠を超えた、社会変革を視野にいれた抵抗運動なのです。どういう社会を目指すのか、自分たちや人々の声がきちんと取り入れられる社会の在り方とは何なのか、民主主義とは何なのか、平和な社会とか主権とは何なのか、そういうことをずっと問い続けています。
Jun Borras先生という、オランダISSでPeasants Studies(小農の研究)をしておられる方がいます。彼がよく言っているのは、こういう社会運動のやり方には大まかに言うと3種類あって、一つは「制度への反映を求める運動」、もう一つは「Win-Winを求める運動」(プロサバンナの事業の内容が良くなればいいよという運動)、そして「政策が出てくる背景にある社会の在り方そのものを問う運動」があるということですが、この最後の部分を農民がずっとやってきている。
それを農民がどういうふうにやっているかと言うと、これまで過去の農民や人々が闘ってきた蓄積があって、それが国際規範になっていて、国際人権規約だったり、「自由な意思に基づく事前の十分な情報を得た合意」という国連が先住民族の権利について定めた宣言文(FPIC)や、モザンビーク憲法で謳われている人権に関する言葉などを使いながらずっと闘い続けています。一事業を改善することを通じて、社会の在り方そのものを問うことをやり続けています。 。
なぜ、ここまでプロセスにこだわり続けるのか。2012年にモザンビーク農民が初めて声を上げたときに出した声明を紹介します。UNACというモザンビーク最大の小農組織で約10万人の小農がメンバーの農民組織が出した「プロサバンナに関する声明」です。
「農民は、生命や自然、地球の守護者である。小農運動としてのUNACは、農民の基礎(土壌の尊重と保全、適切で適性な技術の使用、参加型で相互関係に基づく農村開発)に基づいた生産モデルを提案する。」
要は、自分たちの実践に基づいたオルタナティブの提示をずっとやってきているのです。
それは、モザンビークの農民だけでできることではない。どう社会運動として展開していくかというときに、国際的な連帯があって、南米・ブラジルの人たちが多く、そういったところで実績をつくって議論を蓄積してきています。それをもう一回また新たな、たとえばアグロエコロジーというものを、FAOが2013年からアグロエコロジーと呼ばれる世界的な小農運動を推進してきているのですが、そういった国際的な規範に乗せていく。
「小農と農村に働く人びとの権利宣言」が国連人権理事会で2018年9月に採択されました。後で松平さんからお話があると思います。そういうふうに自分たちの権利や主権を守る運動を実践と議論を通じてやって、それが国際議論になっていって、それをもとに国内での政策などを変えていくということをずっとやってきている。
このようにプロサバンナ事業への“NO”は、長期的かつ広い視野やビジョンに基づいた社会変革運動のひとつであって、その事業だけがよくなればいいと農民の方たちは言っているわけではないので、ここまで対話にこだわり続けているのです。そこがなかなか開発側に通じずに、あの手この手で対話する場所があればいいんでしょという形で分断されていくます。
私自身はこういった活動に立ちあえて、一緒に活動させてもらって、たしかに問題があることは本当によくないことですが、この人たちと出会えて、やり方を学んでこられたのは本当に幸運だったと思っています。
こんど、三カ国民衆会議にいらっしゃる方の言葉を紹介します。
「私は私のために闘っているのではありません。私たちの子どもたち、すなわち次の世代のために闘っています。そして、私の国のすべての小農たちのために闘っています。」
このように広い視野、長期的な展望をもって闘っておられます。南米もそうだと思いますが、アフリカは、土地は先祖からもらったものでもあるが、子孫から借りたものでもあるという自然観・人間観に基づいて暮らしているので、与えられたものを大事に使って次の世代にちゃんと受け継いでいくんだといった価値観に基づいてこういったことをしている。そのためには社会を次の世代のために変えていく必要があるということでやっています。
食と農のことを話しているといっても、展望はすごく広いのです。
事業の中断を判断した外務省 円借款を止めた財務省
今、プロサバンナ事業はどう変わってきているか2013年度にマスタープランが終わる予定でしたが、未だ完成していません。
というのは、先述のように大きなビジョンを持ちながらも小さいところでの闘いもやってくる中で、事業がまず最初に「大規模農業開発」ではなく「小農のため」と言われるようになりました。その後、外務大臣が「丁寧な対話に基づいて進める」と大統領に早い段階で約束をしてしまった。ですから対話を進めないといけないのにいろいろなことをJICAがやって分断が行われるのですが、この中身のリーク文書もあって、これを知った外務省の国際協力局長が2017年3月にさすがにこれはまずいと事業の中断を判断しました。そこから現地住民11名が「JICA環境社会配慮ガイドライン違反」を訴える「異議申立」をしたのですが、結果としてガイドライン違犯は無しというのが出たのですが、問題が無かったわけではなくやはり信頼醸成が必要であると。そういうなかで、2018年3月に外務大臣が「反対派を含める参加型の丁寧な対話が事業の前提になる」と言っており、事業が再開できない状況になっています。そしてモザンビークへの円借款についても財務省にも働きかけた結果、一応止まっているという状況です。
いっぽう運動は拡大し、具体的に土地収奪を防いで取り戻すケースも出てきています。
農民主権をリスペクトするマスタープランへ 変わるべき対象としての農民からの変革
もう一つは、マスタープランのドラフトがあり、当初は大規模農業開発が謳われていたのですが、今は家族農業(family faming)が非常に重要で、農民主権をリスペクトしないといけないということが書かれるようになってきています。ただ最後どうしても変わらない部分がありまして、結局、大規模なマーケットにアクセスした形の農業に転換していくべきだとか、農民たちが変わるべき「客体」として描かれている部分が一貫して変わっていません。
私たちはこの活動を通じて、「主権」――誰がそれを決めるのか、何のための開発なのか――を問うてきました。また、現地の事実から、「貧しい」とは何なのかを伝えてきたり、援助国の責任とはとか、私たちの食と農の在り方、援助の枠組みなどを、小さいレベルでのアドボカシーとしてはそういうことをやってきました。いっぽうで根本的に、変わるべき対象、「客体」として描かれる農民があるなかで、そこと行き来するようにモザンビークの農民たちは社会変革を求めて、「主権」を求めて大きなレベルでの闘いを行っていて、それと連動させながらずっと活動をしてきて今現在があります。
そういったことがある中で、私たちも市民として日本の課題、援助の課題、農業の課題、食と農の課題をどういうふうにとらえて、どういうふうに課題を整理して、では連帯や共同の可能性があるのか、考えを立て、11月20日から22日に「3カ国民衆会議」をモザンビーク・ブラジルから20名程を招聘して開きます。
上村) 今の話を聞いて、アフリカで大変なことが起きているどうしようかと感じるのは簡単なのですが、またかという感もあります。1980年代にはインドでナルマダ・ダムの事件がありました。90年代にはフィリピンでカラバルソン開発計画がありました。それから昨年SJFで支援したメコン・ウォッチが取り組んでいるミャンマーでのティラワやダウェイの経済特区開発の問題もあります。
ぜんぶJICAが絡んでいて、パターンは同じなのです。現地の人たちが貧しいので豊かにしてあげるために我々が投資しなければいけない、結果的には日本の社会も豊かになるでしょと。これだけ間違ったことが繰り返し起きてしまう社会を僕らはつくってしまったのか、そういうことを議論したいなと思っています。
そうしたことを踏まえて松平尚也さんと田中滋さんのお二人にコメンテーターをお願いしました。
――松平尚也さんのコメント――
「どうなっているの?日本の農業・食糧と世界のつながり
~大豆から見えてくるもの、プロサバンナを自分事に~」
私は京都の淀川の支流・桂川という河川の源流域から参りました。過疎が進む中山間地です。
そこで私も渡辺さんのようにNGO活動に関わり、国際的な貧困問題、飢餓の問題を考える中で、自分が持続可能な生活を実践する必要を感じ、2005年に京都府右京区京北地域に移住して、現在は伝統野菜中心の有機野菜宅配事業をしております。 私も3カ国民衆会議に日本の農民の代表として参加する予定です。3カ国の市民、民衆と農民が直面する課題をどう検討していくのか、みなさんと考えたいと思います。今日はプロサバンナ事業のなかでも大きな話題になっている「大豆」を入口にいろんな話をしたいなと思っています。
世界的に再評価される小規模農業
上村さんから「なぜこういった大規模な開発の失敗が繰り返されるのか」という問いかけをいただきました。これは日本の戦後の農業開発でもずっと繰り返されてきたことでもあります。
プロサバンナ事業の特徴として感じましたのが、いま国際的に批判が起きている大規模な工業的な農業の特徴が非常に強いプロジェクトだということで、それが一つ目の論点です。
工業型農業といわれる大規模型の農業が戦後、世界で推進されてきたのですが、現在そういった大規模な農業が耕地の7割~8割、あるいは水資源の7割、化石燃料の8割を消費していると言われています。すごく投入しているのですがその多くが牛さん・鳥さん・豚さんの餌や植物油など、人の口に直接入らない単一の作物をつくっているとの批判があります。
「小規模農業再評価」が世界で起きています。「2014年国連家族農業年」を設定し、さらに小規模農家が世界の70%の食糧を供給していると評価するNGO・ETCの報告もあります。さらに、2019年から「国連家族農業年+10」として、世界の食糧あるいは農村の未来を考える上で小規模農業が非常に重要ということで10年間の取り組みが始まることになっています。それをさらに活性化するために、国連人権理事会で「小農と農村で働く人びとの権利に関する国連宣言」が採択され、国連でも採択されるのではないかということで、世界的に小規模農業が世界の農業・農村の担い手として再評価される動きが出てきます。
そういったものの対局にあるのが大規模農業、プロサバンナの特徴ではないかと思います。世界でも、農業の大規模は変えられない大きな流れになっていまして、いま農業形態の二極化が起きています。中規模層の農業は減少していて、小規模農家が2000年頃から増加し、大規模農家層とともに農業の大きな推進力となっています。世界で最も大規模化が進んでいるアメリカでも1000ha以上の超特大規模農家層が増えています。
アメリカは一方で小規模農家支援を1980年代から行っています。その背景には、やはり農家が減ると農村は維持できないという深刻な課題があります。。アメリカの小規模農家支援には、直接販売支援としてのファーマーズマーケットや、CSA(生産者と消費者が提携してみんなで食料を作る)の支援などがあります。
今日は大豆を中心に私たちの食卓とプロサバンナ事業とのつながりを考えたいと思います。
まず日本がいま大豆をどれだけ消費しているのか簡単に説明します。日本の大豆の自給率は7%、93%は輸入。その日本の大豆の需要のなかで約7割が植物油として使用しており、食用が約3割。その食用でも75%が輸入となっています。和食の象徴といわれる豆腐や納豆、味噌もおしなべて自給率が低くなっていまして、国産大豆の供給割合(平成27年)は、豆腐で72%が輸入、納豆も69%が輸入、味噌・醤油にいたっては89%が輸入という状況になっています。このように見えない形で、私たちの食卓と海外の農業開発プロジェクトはつながっていると感じております。
さらにわかりにくいのが、大豆は植物油となると色々な食べ物に使われていまして、ソーセージ・アイスクリーム・マヨネーズなどの食べ物に植物油は結構含まれているので、見えない形で私たちの食卓とつながっています。
グローバル化と食糧 輸入自由化で激減した日本の大豆自給率 海外農業投資に向かう背景に
めざす農業・農村と食卓の関係とは
日本の大豆の自給率がなぜこれだけ低くなったのか。一つだけコメントとしてお話しておかなければいけないと思います。大豆はいま世界で起こっているグローバル化と食糧を考える上で非常に大きな特徴があると思っています。なぜか。
日本はそもそも戦前に満州地域から大豆をつくって植民地主義のなかで輸入を始めたのですが、じつは戦後、日本の食の主権といいますか、大豆は自給しようとしたのです。それが1952年に食糧増産5カ年計画となりました。これにはサンフランシスコ講和条約後の自立的な政策のなかで、基礎食料として大豆は自給が目指された経緯があるとされています。その5か年計画のなかで大豆の生産量が非常に伸び、日本の農村が明るかった時代と言われています。やはり大豆というのは風土にあった持続可能な循環的な農業の一つの大きな基幹的な作物として日本には存在してきたので、大豆も含めて日本の農業の復興が1950年代に行われました。
ところが1955年に、日本が世界の貿易体制に入るために工業品を輸出し、その見返りとして食料や大豆を輸入するようになった。戦後日本の畑作では大豆の生産が伸びたのですが、輸入自由化が行われた1961年から大豆の生産がどんどん減っていった経緯があります。この点は、農民として非常に強調しておきたい点です。
こうした歴史をプロサバンナ事業を検討する上でセットで考えないと、また同じ失敗を繰り返すかなと思います。どういった農業・農村と食卓の関係を我々は目指していかなければいけないのかという問いを考えないと、遠いアフリカでは簡単に開発事業は失敗してしまうのではないかと思うのです。
世界の大豆生産量は3.4億トン(2015年頃)、そのうち1.4億トンが貿易で輸出されている。その6割を東アジアが輸入しておりまして、もとは日本が約2割を占める輸入国だったのですが今は2.5%まで低下しています。日本は大豆の安定確保が難しいということで、モザンビーク等海外を農業開発する背景になっています。日本が輸入する大豆は270万トン位で、その9割が遺伝子組み換えとなっています(2012年)。
日本も経験した海外からの農業開発が生んだ離農 持続可能な農業を世界で問う
日本でも世界銀行等の支援を受けて農業開発が戦後1950年代に行われました。その一つが、根釧パイロットファームという北海道で行われた大規模な酪農の開発プロジェクトです。これも大きな投資が入ったのですが、多くの農家が採算が合わず離農してしまいます。
こういした中で3カ国民衆会議で何を話をしていくべきかと私も悩んでいるところです。世界で再評価されているけれども小さな農業がどうやってオルタナティブになれるか、あるいは持続可能な農業を現在の都市が肥大化する世界でどうやって確立するのか等が大きな問いとしてあるのかなと思っています。
そのなかでこだわりたいのは、食卓から、毎日の暮らしの食べ物から、こういった問題を考えることからしか始まらないのではないかということです。「食べ物に関しては、毎日3回投票ができる」とよく言われます。食卓から持続可能な世界との関係、あるいは消費の在り方を考えていく必要があると思います。
上村)戦前の満州開発とどう関わるのかというのも、非常に面白い視点でした。
現地が貧しいからと行ってみたら実は貧しくなかった、日本が行って逆につぶしていた。そういう矛盾した状況があって、そのなかで誰かが別の意味で儲けていたという話が田中さんのコメントでしょうか。田中さんよろしくお願いします。
――田中滋さんのコメント――
「モザンビーク『開発協力』へのアドボカシーアプローチ」
僕の団体(アジア太平洋資料センター[PARC])は、ODAをはじめとして日本が海外に出ていって何か事業をするときに、本当に現地の人のためになっているのかということを草の根の視点で見て、そして時に批判し、時に差し止めるといったことをやっております。ODAは日本政府が「援助」という名前でやっているものですが、近年では政府以外にも企業が入っていて、何か悪さをしたり、現地で雇用を生み出すと言って実は現地の人びとを非常につらい作業状況に追い込んだりということで、政府以外も視ています。
ODA(政府開発援助)は誰のためか 国際的な地位を確立するための外交戦略か
これはずっとNGOが問うてきていることかと思います。みなさんのなかには、それは途上国の人びとのためというのが当たり前の話なのではないですかと思う方がおられるかと思いますが、我々は「ODAは誰のためなのか」をずっと問い続けなければいけないというのが実情なわけです。
そもそもODAが何から始まったかというと、戦後賠償なのです。つまり日本が植民地化したフィリピン・インドネシアなど東南アジアの国々の政府に対して戦後賠償をしていた外務省の部署、つまり日本の国としての立ち位置を外交のなかで改善していくためにお金を出すということをしていた部署が、ODAの事実上の担い手に変質していくわけです。つまりもともと東南アジアにお金を払って自分たちの国としての地位を向上させるということを目的とした外務省の部署がODAを回してきたのです。敗戦国から、つまり悪の枢軸国から国連の安保理に入っていく、国連の一員になっていくためのバラマキに使われていたというのが実際の始まりで、これは今の首相の血縁者である岸外交の一つの大きな柱だったのです。1957年に初めて国連安保理の非常任理事国に当選するわけですが、この前の年辺りからODAのことを盛んに言い始めて盛んにお金を出すということがあったわけです。
たとえば2008年にも安保理選挙があって、日本はモンゴルと争うかもしれないというところでした。同じアジアのモンゴルが下りてくれれば自分たちが当選する確率が高まるというタイミングで、モンゴルへの3億5千万円の「無償援助」を決定して、その直後にモンゴルは立候補を取り下げるわけです。無償援助はODAのなかでは一番優遇されているお金の出し方で、円借款という貸す形ではなく、あるいは日本から技術者を送りますという技術供与でもなく、お金を無償提供するという援助なので向こうとしては一番ありがたいものです。そういうものを出すことによって、自分たちは安保理に入ることに見事成功し、国際的な立ち位置を確立する。もちろん他にも、きちんとしたネゴシエーションの類の外交をいろいろやっているかもしれませんが。しかしその中でODAが果たしている役割は言わずもがなです。
少し昔の話で分かりやすく説明すると、マルコス――フィリピンの独裁者――、スハルト――インドネシアで独裁政治を敷いていた――、これら二つの政権時、時の権力者に貢献してお友達化する外交戦略としてODAは非常によく使われたわけです。具体的にどういうことかというと、これらの政権が力を握っている時に、これらの国々で人びとの生活がよくなったというプロジェクトをやると、当然それら時の政権は自分たちのお金でバラマキをしなくても日本のお金でバラマキができて次の選挙で勝てると。まともに選挙が行われればという前提ではありますが。他にも大規模事業を通してばら撒きと雇用創出で動乱を静めたりといった形で、政権の安定化に係るのでウェルカムなわけです。こういった形で安定政権を敷いていただいて、お友達に長く政権の座についていただくと。そういうことによって安保理の選挙の時にそこが日本に投票するとか、国連で日本が非難されるような決議のときに反対をするとか、そういうようなお友達化していくというのがODAの柱として存在してきました。そして日本企業が進出していく時も税制優遇しましょうと、たとえばミャンマーで経済特区を作るという時には日本企業が入れるようにしましょうといったように、日本企業が入るために便宜を図るという役割もありました。
一方で「ひも付き援助」(tied aid)。たとえばプロサバンナが「ひも付き援助」で行われるとしたら、その時の耕作機はヤンマーのを使ってくださいというのを条件にしたならば、お金は日本が出すのですが結局そのお金は日本企業を通して日本に還って来るのです。日本は他の先進国に比べて「ひも付き援助」の割合が非常に多くて、1980年代には国際的に批判されました。誰のための援助だと。日本企業に直接、補助金という形で出せないから、形式としてはフィリピンに出します、インドネシアに出します、モザンビークに出しますという形で、結局は日本企業にお金を入れているだけでしょうと非常に批判されたわけです。そのことで、1980年代の後半から「ひも付き援助」の割合を減らし、無償援助の割合を増やすという時期が一回ありました。
重層化した「国益」のためのODA構造 「民間パートナーシップ」で「開発協力」する企業進出のためか
しかし外務省もようやく分かってきたのかなと思ったのもつかの間。バブル破たん以降「国益」がODAの言説のなかに非常によく出てくるようになります。ODA大綱が1992年にできた時も、「よって我が国を資する」というのが目的のなかに書かれました。
2015年以降、安倍首相の時代になってから、「援助」ではなく「開発協力」をするのだという言葉に置き換えて、しかもだんだん「民間パートナーシップ」という言葉がすごくよく使われるようになっていきます。これは言葉上の置き換えだと思っています。それまでは「ひも付き援助」という形で日本企業に資する形にしたものを、「民間パートナーシップ」はむしろもっとべったりくっついた、最初から特定の企業と一緒に進める形になっていくわけです。企画時から大企業の介入が目立っています。日本の総合商社もプロサバンナに相当くいこんでいますよね。つまり大豆を買いつける伊藤忠の話がありましたが、伊藤忠が大豆を仕入れて日本で売るためにプロサバンナをやっているという面も少なからずあります。それが「ひも付き援助」の時は、そこまで最初から明らかではなく結果として日本企業のどこかから買いますと、裏ではだいたいこの企業から買うだろうとわかっていても裁量は向こうの国に一応与えていた。ところが今では最初から日本企業と一緒に、「こちらの企業がこういう投資事業をあなたの国でやりたいと思っているのですけど、その援助を我々も取り組みたいと思っているのですけどいかがですか」という営業の仕方に変わっています。今までは国と国の外交戦略となっていたものが、最近はさらに日本企業のご都合にあわせるような形になっているというのが特徴かと思います。外務省はそういった思惑を持ってODAに臨んでいます。
そもそも論を展開してもなかなか始まらず、具体的にこの問題を突いて行くことをしなければなりませんが、同時にこのそもそも論もやっていかないと大枠は止まらないというジレンマに晒されているなか、おそらく渡辺さんのプロジェクトではああいう情報開示請求をして、この対話のこのプロセスのここがおかしいですよねと各論を突きながらも、やはり運動としてはそもそも論もちゃんと展開していく、そこの部分のバランスが必要なのだと思います。
プロサバンナの場合は、「国益」部分が非常に多岐に渡って入っています。アフリカの国と仲良くしておくという部分と、ブラジルとも仲良くしておくという部分、つまり外交上の2倍取りの部分であったり、あるいは商社が入って行って権益を取るということであったり、それらが相当に多様化しています。この事業は大豆だけでなく、鉄道を敷くとか港を開発するとかも含めてマスタープランに入っています。この重層化した「国益」構造をきちんと分析して一つひとつ潰していかないと、たとえば大豆だけ特化して議論しても大玉がなかなか止まらないのではないかと見ていて思います。
上村)ありがとうございました。
去年SJFが助成したメコン・ウォッチの木口由香さんがいらしているので、コメントいただきたいと思います。
海外開発援助で繰り返される現地住民の生活蹂躙
木口由香さん[メコン・ウォッチ事務局長・理事])
渡辺さんのお話を聞いていて思ったのですが、スライドを貸していただければ私も7割位は自分で話せるな、ただ主語がモザンビークなのかメコン河流域国なのかという違いだけで、取り換えればストーリーは全部同じだなと。
ミャンマーの開発援助では、プロジェクトをやればミャンマーの貧困削減に資するとか、日本企業が進出するので雇用が生まれるとかいう話なのですが、実際には移転で生活が成り立たなくなった人もいます。もともと日雇いなどでなんとか暮していた人たちは1週間収入がなくなると、(お金を)借りなければならない。全く担保がないと借りる先も高利貸ししかないのです。自分たち・子どもたちが食べるために借金をして、返済が滞ってしまって行方がわからない方もいる。日本の援助で2010年以降に実施された事業から、こんなことが起きていていいのか。
でもこの失敗は、松平さんがおっしゃったように、日本のなかに組み込まれている何ものかなのです。ミャンマーの件も大企業が入っていて、経済特区ができた段階で工業団地に日本企業を誘致するということをやっている。ミャンマーも経済発展するし、日本企業も儲かると言うのですが、小さな国よりよほど大きな日本の総合商社が入ってやることはどういうことなのか。形を変えた大企業への日本政府からの補助金のようです。それを私たちの公的なお金で、「開発協力」や「民間パートナーシップ」という言葉への置き換えで実現してしまっている。私たちはそのことに全く目をつぶらされていて、こういう場に来る方でないとそういうことを知ることができないという現状だと思います。
上村) 最初の渡辺さんの実際の問題がどこにあるかという話から始まって、実はいろいろな視点でものが見える。松平さんが仰ったように、日本の農村がずっと経験してきたことが、あらためて海外で繰り返されている。それから田中さんが指摘されるように、本当に隠れて何が行われているかが見えてこない部分でいろいろなことが動いているという話になったと思います。ではグループで対話しましょう。
――グループ発表とゲストのコメント――
~グループ対話を行い、それを会場全体で共有するために発表しあい、ゲストにコメントいただきました~
(参加者)「今日の話が自分の生活と照らし合わせて聞けて勉強になりました。農業との関わり方の程度は、自分が100%農家として生きていなくても、週末だけ畑に行くといったことはできるのではないか。そういう現実的なラインで関わっていくことは少し解決策の一つになっていくのではないかという話もありました。
土地収奪ですとか、援助という名で、日本国も開き直って「国益」を前に出すようになってきてしまって、いままで何十年もかけて市民社会が積み上げてきた人権や持続的開発などの考え方が一気に壊されるような動きが出ているのが危険。たとえば私たちも実は東京で暮らしていても畑に行けなくはない。実践している人がいるので、そういうことをもう少し増やして行けないかなと話しました。
自然は人間には理解できないルールがあるのに、私たちがコントロールできるような錯覚でもって人間のルールを合致させようとして今ギャップが生じている。世界的な流れが強いので、被害が出てしまって自分自身が傷つかない限り人間は気づけないのか、と諦めそうになるという声もありました。でも、田舎におばあちゃんがいて畑をやっていたような原体験がある私たちの世代でもう少しそれを広げていけたらと話しました。」
「一つの事象に対してあらゆる意見が飛び交って、議論が白熱しました。
ODAは誰のためかという非常に大きな問題があるなかで、ODAは我々国民が納めた税金でやられているということで、やはりODAは自国の国益ではなく相手国のためにあるというのが理想論です。でも国際社会での立ち回りのために今までの動きを急にストップさせるのは非現実的という見方があるいっぽう、税の使い方について納得ができないという意見もあり、ODAひとつをとってもいろいろな見方があり、すごく複雑でどうしたら良いのかという声もありました。
農家の方がいらっしゃったので、化学肥料による土地への危険についてお話くださいました。
自国の利益を求める国際社会の流れの中で、私たちが学んだことを伝えて、少しずつ共有していくという些細なことでもいいから自分たちでアクションを何か起こしていけたらと思いました」
「高校生です。私が聞いていて一番印象に残ったのが、大豆のお話です。大豆が輸入されている量が93%という数値が出て、本当に驚いた。納豆の表示を見てみると「国産」と書かれているのが意外と多いよねという話になって、どうしてそんなに輸入率が高いのかという点についての答えがまとまりませんでした。
食料自給率はどうしたら上がるんだろうか。日本は食品ロスが非常に多い国だけれど、なぜ食糧自給率が上がらないのか。つまり食べている人が少ないから。でも食べ放題があったり、便利になっているのに、どうして食料自給率が上がっていかないのかという指摘がありました。ひとつ、流通の世界が徐々に大規模化している。今まではいろいろ中継する部分があって、間に入る会社などがたくさんあったのが、今は何も通らずに農家の方とそれを販売する人との一本の線しかなくなっているものもある。では小規模農家がいま存在するためにどういった解決策があるのだろうか。大きな会社だけが流通を大規模化していって、小規模な農家はどうなっていくのだろうか。講演いただいた方からは、小規模な農家が大規模な販売会社と契約するためには、1年間に何トンお店に持ってきてくれるか・どれくらいの時間で持ってきてくれるか、いわゆる安定的に供給できるような契約しかできないのだと伺いました。今後どういった形で、小規模農家が存在できるかという議論もありました。
また、フェアトレード、公平な取引をいろんなところで見かけると思います。たとえば大豆でフェアトレードするためにお店に置けば公平なんだなと買う人がいると思います。でもフェアトレード製品の隣に、日本で作られた同じ大豆製品が置かれていると、日本のものが買われなくなってしまうのではないか。これは日本の食糧自給率の低下に加担するのではないかという話もありました。いろいろ話し合えて勉強になりました。ありがとうございました」
「繰り返される開発援助の問題をどう考えるかについて話し合い、いろいろな意見が出ました。
ほとんどの人が知らないところから気づいていく道筋はという声とか、現場の声を伝えることが大事だとか、こういう場を繰り返してもいいだろうとか。援助とつながりのある方もいらして援助の失敗事例や挽回した実例の話もありました。どう変えていくかという話のなかでは、JICAとの実際の協議の場は使えるのかという疑問も出ました。
『対話』が重要だとよくいわれるが、『Yes』を前提にしている対話、対話が重要だと言いながら『Yes』しかない土俵にのってしまうのをどう変えていけばよいかという話になりました。田中滋さんもいらして、田中さんは、問題となっている部分だけでなく全体を見たときに弱いところをつつくとよいと、全体を見て発想を変えていくとよいと話されました。また、目立つところをつぶす、その前例としてこのプロサバンナをつぶしましょうと。
買い支えなど、日本の収益状況をどう変えるかという話もありました。無駄に食品を捨ててしまうことも含めて、ある種の規制をかけて、そういうことはできないようにするという方向もあるのではという話も出ました」
「感想として、自足自給だったところにプロサバンナ事業がどんどん拡大しているという話で、調査をされていると思うのですが、調査のターゲットを決めて調査をされているということで、調査対象以外の人の意見も反映させてほしいという意見もありました。自給自足だけで農家の方が生活するのは限界があるのではないか、やはりお金が必要になっていくのではないかという意見もありました。
こういうように開かれた場に来られる方は意識の高い方が多いので、もう少し多くの方に参加してもらえる勉強会があるといいという意見もありました。
ODAについても物事をいろんな角度から見るのが大切ではないかとのご意見もいただきました。
質問が3点あります。
一点目は、自給自足の生活からプロサバンナによってどれくらい状況が悪くなったのか。
二点目は、どれくらいの規模で調査されているか、具体的なデータがあれば教えていただきたい。
三点目は、ODAの使われ方の決め方の基準があるのかを伺いたいです」
「日本やプロサバンナで起きている問題は、一つの国だけでなく、世界中のいろんな国で同時に起こっている問題だよねという話をしました。
日本人のそういう問題に対する問題意識の在り方、たとえばこういう援助を行うことに関心を持っていない人が多かったり、関心があっても自分の事としてとらえず問題が起こってしまう状況を容認している状況が起きているのではないかというところから話し合いました。そこから日本の教育の在り方の話にもなりました。
日本の食糧が輸入にたよっている状況を何とかしなければいけないのではないかという話にもなりました。今後、環境の変化などによって、外国から食べ物を輸入できなくなってしまったら、日本はどうやって持続していけるのかという問題もかんがえていかなければいけないのではないか。
国からの援助によって立場の弱い小規模農家の方たちを自立させるという考え方ではなく、小規模農家の人たち自身が国内や他国との連携することによって自立していくことが可能ではないかという話にもなりました」
「主に二つの論点がありました。
一つは、援助は、自国の見返りのために行っているのではないか、論点がすれているという意見が出ました。理想は相手の国のためであって、自国のためではないと。僕自身は、どっちかが先進国でこっちが途上国とだからといって、そういうレベルでやりとりするのではなく、同じ人間同士で、そういう考えを捨てて理解しあえるのがベストだと思います。これは具体的でない浅はかな考えかとは思います。
二つ目は、小規模農業の存続についてです。これから日本は小規模農業でやっていけるか。これまで大規模農業は本当に人間が食べるためにやっているのか。小規模農業に期待することは、食べるための農業です。もっと個人的な農業の活性ができることを目的とするべきだと思いました。
自分はアフリカに1か月行こうと思っています。ケニアで赤玉ねぎをメインに起業した人とか、エチオピアで酪農をメインに企業した人とか、今の時代だとFacebookで簡単につながることができたので、自分の目で現地で見て、学んで、将来のアグリビジネスに活かせたらなと思っています。」
上村)登壇者に最後のコメントをいただきたいと思います。
ただ一人の命でも困っている人がいる問題に取り組む
日本の食と農を変えて海外農業開発を変える間、奪われる子ども時代の問題を速やかに解決も
田中滋さん) 僕が一番気にしていることの一つは、「こういう困った人がいます」という事例を話すと「それは何人で、全体で何人位いるうちの何割位なんですか」という質問をされることです。それは正当な質問のように思えるかもしれません。でも僕たちが言わんとしているのは、たった一人であっても問題のあるような事例はどうにかするべきでしょう、ということなのです。100万人がよりよい生活するために100人に死んでもらいます、ということがまかり通るのか、それはまかり通らないでしょうということなのです。その意味で、外務省やJICAは「たくさんいいこともしているでしょ」といったことを言うわけですが、でもたった一人の奪われる命を先に何とかしてくれというのが僕たちの言わんとしていることです。僕たちも全体でどれぐらいのレベルなのかはもちろん把握しようとするのですが、それはプロジェクトをやっている人たちの責任であって、僕たちはただ一人の命であっても、たった一つの村であっても、ここに困っている人がいるという事実を突き付けるのが仕事だと思っています。
JICAについては僕はさんざん言いましたが、もちろん誰から見ても割といいプロジェクトというのもあります。日本の国益にもなって、相手の国益にもなって、現地の人のためにもなるという、それはものすごく狭い帯だと思っていますが、それがあるのは事実です。しかし問題があることをどう予防していくのかが本当に必要だと思っています。
もう一つ加えると、日本の食生活を変えてモザンビークから大豆を買わなくていいようにできることは大事なのですが、それをやっている間に既に、今この瞬間にも、開発者に約束を破られて土地を奪われる人たちがいて、学校に行けない子どもたちがいます。例えば日本の消費行動を変えるのに3年・5年かかったら、その間に奪われているその人たちの人生は帰って来ないのです。子どもが5歳から10歳になる間、学校に行けなかったら、その人の子ども時代は帰ってこないんですよ。だから可及的速やかに解決しなければならない。そこの視点も合わせて持ち帰っていただきたい、アドボカシーのところもぜひ一緒にやっていっていただきたいというのが僕からの願いです。
日本でも進む農業の大規模企業化 小農学会に集う農家や市民の声
地域の自然環境を熟知して農業を展開してきた人たちの知恵や技術を継承し、食糧の安定供給を
松平尚也さん) 日本でも農業の大規模企業化を進める「安倍農政」と呼ばれる新自由主義的な構造改革が進んでいます。数の話が出たので、日本で企業化している農業形態は何パーセントあるか。いま日本の農業形態は133万経営体あり(農業センサス2015年)、そのうち企業化している形態はわずか2%です。要は、わずか2%を優遇する政策制度をとっているという状況があります。
それはおかしいんじゃないかと、このままでは農業・農村は不安だと、多くの小さな農家たちは疑問の声を持っているのですが、そういった声が集まって「小農学会」ができ、注目が集まって農家の会員が非常に増えています。市民と農民が立ち上がってそういった声を出しています。
日本は農地の6割から7割が中山間地にあり、小さな農家が農村を支えて、食糧の安定供給を支えているという構造があるので、そういった転換が起きていくかなと思っています。
中国やヨーロッパでも食料自給率を高く設定していまして、1億を超える国で、日本ほど食料自給率が低い国はないと言われます。
そういったように未来を検討していく時に考えたいのは、モザンビークの農民たちの声ということで、渡辺さんが紹介していた言葉のなかにありました。日本の小農もそうですが、農業者は風土、地域農業の担い手として、その地域の自然環境を熟知して農業を展開してきた歴史があるので、そういった人たちの知恵や技術を今後に継承していかないと、日本の食糧供給は安定していかないと思います。じっさい国連も小農に非常に注目して、持続可能な農業・農村の担い手として再評価しているという状況のなかで、私たちの「食の未来」、「食の主権」といったキーワードを押さえつつ考えていかなければいけないのではないかと思います。
貧しいから変わらなくてはいけない存在ではなく、自分たちの実践に基づいてどういう発展の方法があるのか決める主体としての農民 共に考えていく関係性のなかにある国際協力
権力構造のなかで抑圧されている人がいるなかで、公正な社会とは
渡辺さん) 質問にありましたターゲット以外の方の声については、JICAの方に連れて行っていただいて、既に裨益している方の声なども聞いています。もちろんそういった方は喜んでいるのですが、そういった方は地域の中でも先生をやっていたり、もともとちょっとお金を持っていたりと割と地域のなかで力があります。ある程度の資本や土地を持っている方が裨益しやすい構造があります。今日は、現地で既に行われているモデルを作るような農業の事例はお話できませんでしたが、そういったことが具体的にあります。それはそれで否定することではないとは思います。
ただ先程いろんな角度から物事を見たほうがというご意見がありました。やはり圧倒的な権力構造があるなかで抑圧されている人々がいるのであれば、中立ではなくて、どういうふうに公正な社会をつくっていくのか。それが私たちが助成をいただいているソーシャル・ジャスティス基金という名前に込められている。どうやれば社会的公正なのか、社会正義なのか、そういう視点からいろんな関わりをしたいと、自分は社会運度をやっています。
先程、大学生がグループ発表された中ですごくいいなと思ったのが、援助する側・される側ではなく、人としてどうなのかという目線で関わっていくことです。私たちはたまたま日本にいるので今お金を持っていて援助をする側の立場にいられますが、一方で加害の側でもあります。同じ時代を生きる人間として、どういう社会や世界をつくっていきたいのか、共に考えていける関係性のなかで、援助や国際協力というのもあるべきなのではないかと非常に強く考えています。
自給自足でいいのかというご意見もありました。現地の小農たちも自給自足でいいとは全く思っていなくて、彼らの言葉を紹介させていただきましたが、自分たちの実践に基づいてどういう発展の方法があるのかを考えていきたいのだと言っています。しかし、それをさせてもらえていない。なぜなら、あなたたちは貧しいから変わらなくてはいけない存在だからとずっと言われ続けています。援助という関係性があるが故に。
私は南アフリカで農民と関わる中で、貧しさはつくられると思いました。一方で、実践に誇りを持っている人たちと多く関わることがあって、そういった方々との会話や話から、仕組の方が変わればいいだけの話なのだと思いました。それが経済だけの話になってしまうので、なかなか試させてもらえない。なのであれば、一回やらせてと、世界中の小農の方々が言っておられます。
私が参加させてもらったグループディスカッションのテーブルの方々が言っておられたのですが、いろんな国の中で同じ構造でいろんなことが起きているので、人と人が国境を越えてどういうふうにつながってやったらいいのかということで、私も勉強になりました。そういうふうなことを中で見つつ、援助の問題を考えていけると本当にいいのではないかと思います。
テクニカルの部分で、田中さんのお話が勉強になりました。自分でも守っていない視点として、「国益」の話など参考になったので、そういった視点も取り入れながら組み込んでいければなと思います。
調査はアジェンダ設定もそうですが、私たちがこちらから何か知りたいことを持っていくだけではなく、農民から知りたいことを持ち寄って共同調査をしています。私が年に何回か行っていた時は、お互いにアジェンダを持ち寄って、調査の機会が彼らの社会運動であり、情報拡散の機会にも使われてきました。私が関わった調査をし始めたころは、たとえば開発対象州のナンプーラ州には農民組織というのはなかったのですが、プロサバンナの問題が起きて土地収奪も起きて、今やUNACといわれる全国レベルの農民組織のなかで一番大きい支部になってきているくらい農民たちが力をつけて対抗している。情報拡散をして土地収奪を防いで取り戻すということが具体的に可能になってきている。そういったところに、この調査を行い、いただいている助成を使わせていただいています。
上村) この基金の名前、ソーシャル・ジャスティスに触れていただいたのですが、なぜジャスティスという言葉をあえて使ったかというと、今の世の中で一番足りないからです。ジャスティスという言葉をつかって何かを判断するというのは、政治的な判断をしなければいけないのです。自分はなにか中立でいたいみたいな事を言っていると、判断できないのです。誰かにお任せしようとすると、どんどん強いところが分からないうちに意見を広げてしまうという状況です。
ではどうやって政治的な判断力をつけていくか。狭い判断力ではなく、開かれた判断力をどうつけていくか。今日来ていただいた方たちのように、自分で歩いてみるということです。自分で歩いてみて、感性を磨いてください。そうすると政治的な判断ができるようになる。それから実際に体を動かして実際にやってみる。いま日本の社会は知識が空中戦で飛び交っていて、それをどう扱うかということで政治的に良いとか悪いとかいう世界になってしまっていますが、その意味では自分の体を動かして本当に現場のいろんな人と話してみて、自分はこういう立場をとるんだということでジャスティスを考えるトレーニングをしなければいけないかと思います。
ここでアドボカシーカフェをしているのは単なる入り口でしかありません。本を読んでいるより少し前に進んだかなということです。あらためてみなさん一人ひとりがそういうトレーニングを繰り返していただければなと思います。
●次回の企画ご案内
『ソーシャル・ジャスティス基金(SJF)助成発表フォーラム第7回』
【プレゼンター】
崔洙連さん・NPO法人 移住者と連帯する全国ネットワーク(移住連)
「移住者による移民政策―市民立法としての移民基本法の制定を目指して―」
甲斐田万智子さん・NPO法人 国際子ども権利センター(C-Rights)
「子ども自身によるアドボカシー促進のための子どもの権利普及事業 〜マイノリティの子どもに焦点をあてて~」
中野宏美さん・NPO法人 しあわせなみだ
「『障がい児者への性暴力』に関するアドボカシー事業」
近藤康男さん・モザンビーク開発を考える市民の会
「援助・投資によるインジャスティスを乗り越える ~3カ国市民社会連携を通じたアドボカシー活動~」
【日時】2019年1月16日 (開場18:00)
【場所】新宿区若松地域センター
【詳細】こちらから
*** 今回の2018年11月2日の企画ご案内状はこちらから(ご参考)***