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【ソーシャル・ジャスティス雑感】 「5月14日」に思う。(大河内秀人)  

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 1947年11月29日、それまで英国の委任統治下にあったパレスチナを、もともと住んでいたアラブ人に43%、後から移住してきたユダヤ人のために57%に分割し、エルサレムは各宗教の聖地が集まる場として国際管理下の特別な土地と規定する国連決議が採択された。今のパレスチナ問題の起点はここにある。

 そして1948年5月14日、イスラエルが一方的に建国を宣言し、パレスチナにとっては「大厄災」の日となった。それから70年目のこの日、イランの核合意を離脱したトランプ政権のアメリカが、エルサレムに大使館を移転する。

 70年前はアラブ諸国の反発により中東戦争が始まった。しかしアメリカの軍事支援により圧倒的な力を持つイスラエルがさらに支配地域を拡大し、1967年にはパレスチナ全土とシリアのゴラン高原、エジプトのシナイ半島まで占領する結果となった。その後は国家の基盤を持たないパレスチナは、インティファーダと呼ばれる民衆の抵抗運動で対抗し、オスロ合意により1994年に自治政府が発足したものの、イスラエルが「安全」を大義名分に圧倒的な軍事力でパレスチナの社会を分断し、インフラを破壊し、国際法を無視した入植地拡大政策で土地を収奪している。

 中東唯一の民主国家を自認し、何より凄まじい人権被害を経験し、実質的に多民族国家であるイスラエルである。本来、第2次大戦後、最も自由で平和な国を実現する可能性を具えた国家であってしかるべき国が、なぜこのような現在に至ったのか。ここに一つの見方を示したい。

 まず、イスラエル・パレスチナ問題を、「宗教対立」もしくは「民族対立」と捉えることの間違い。かつてアパルトヘイト下にあった南アフリカについて「人種間対立」とは言わないように、不当に圧倒的な力で支配する側による人権侵害・抑圧に他ならない。対立はイスラエル内部にある。

 あえて対立というが、かたや「神話」を大義名分に、武力・暴力で土地や利権を拡大しようとする勢力と、その一方で、今の世界が到達した民主主義の理念のもとに多様性を尊重し対話を通じ理解と信頼による共生の社会をめざす人々がいる。一般大衆はほとんどがその2つの勢力の間にいる。

 タカ派の政権は、テロ対策や報復を理由に、封鎖や入植、軍事行動などあらゆるレベルでパレスチナを締め上げ、抵抗されると憎悪を煽り、破壊と収奪を加速する。パレスチナ側が抵抗すればするほど、多くのイスラエル国民は、恐怖と憎悪により、政府によって「反国家的」と決めつけられる平和運動から距離を置くようになる。

 このようなことが繰り返されて今に至っていると私は考える。タカ派のプロパガンダによって戦争がつくられ、人々が恐怖と憎悪にからめとられて民主主義(ソーシャル・ジャスティス)を手放していく。おわかりのようにイスラエルに限ったことではない。

 真の問題解決のためには市民社会の力を高めていくしかないのだ。左右ではなく上下に分かつ東西冷戦後の対立構造の中で、世界人権宣言をはじめとする民主主義の理念を共有する人々との連帯を深めていくべきだ。平和憲法が生きていれば、私たちはもっと貢献することができるのにとつくづく思う。

 

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執筆者プロフィール

  • 大河内秀人 [SJF企画委員。浄土宗見樹院及び同宗寿光院住職。インドシナ難民大量流出をきっかけに国際協力・NGO活動にかかわる。一方で地域づくりの大切さを実感し、寺院を基盤に環境、人権、平和等の活動を続けている。江戸川子どもおんぶず代表、NPO法人パレスチナ子どものキャンペーン理事、原子力行政を問い直す宗教者の会世話人、ほか]

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