ソーシャル・ジャスティス基金(SJF)アドボカシーカフェ第51回開催報告
放射能災害から命,健康,くらしを守る
「チェルノブイリ法日本版」を市民立法で
2018年2月22日、崎山比早子さん(医学博士/3.11甲状腺がん子ども基金代表理事)、長谷川克己さん(福島原発事故 避難当事者)、柳原敏夫さん(法律家/集団疎開裁判ほか)をお迎えしたアドボカシーカフェを、SJFは東京都文京区にて開催しました。
子どもの命、健康を守りたい一心から、市民が主体となって始まった制度づくり。子どもを守るために避難を決断したことは、どんな制度、どんな障害によっても変わらないと長谷川さん。しかし避難先で生活を立て直すまでのハンディキャップを軽減する制度があれば助かるとも話されました。
この問題は、みなさんも当事者。自分自身が変わらなければ国家も変わらない。会場からの意見をきいたゲストはそうコメントしました。一人ひとりが、地域や自治体で自分たちはどういう形でできるのか考え、自分たちで動かしていくのが大切との声があがりました。チェルノブイリ法日本版のモデルを最初につくったのは伊勢市の保養団体の方で、伊勢市の条例案を作成しました。避難の権利を認める避難基準を定めた国の基本法が日本にはまだないので、各地の自治体で条例制定を積み上げていき、その集積として国法を制定しようと、柳原さんは市民運動に取り組んでいます。
福島に帰還する人のための制度はつくられました。甲状腺検診は縮小されています。崎山さんは、子ども一人ひとりの健康より福島・国の復興を優先する政策を指摘し、そういった政策に追随する専門家の言葉をうのみにせず、本当のことは何なのかを一人ひとりが認識して考える必要を強調されました。
命の大切さを思ってみなさん集まって来られたとの言葉で締めくくられました。
※コーディネータは、大河内秀人(SJF企画委員)
――崎山比早子さんのお話――
「多発する子どもの甲状腺がんと20mSv帰還政策」
甲状腺がんが増えているのは、みなさんもうご存知だと思います。放射性ヨウ素を吸い込んだり、食べ物から取り込んだりして血液の中に入ったものが甲状腺に集積します。甲状腺は甲状腺ホルモンを作っていて、それは体に必須の物です。その甲状腺ホルモンを作るのにヨウ素が絶対に必要です。ヨウ素を取り込む時に、安定的なヨウ素と放射性ヨウ素を体は区別できないために、放射性ヨウ素が血液の中にあると取り込まれてしまうわけです。ほんとうは安定ヨウ素剤を飲ませればよかったのに、原子力安全委員会のヨウ素剤を飲めという指示が行き届かなかったなどいろいろな理由で、飲んだ人は1万人前後でした。それで甲状腺がんは増えています。
甲状腺検診の縮小理由 「過剰診断」とは
甲状腺検査の一巡目では、約30万人のなかで、悪性ないしは悪性疑いの人が116人という非常に多発でした。みなさんご存知と思いますけれども、小児甲状腺がんは通常は100万人に1人か2人ぐらいしか出ないものです。それがこのようにたくさん出たということです。検査が10分の1ぐらいしか進まないうちから、「スクリーニング効果だ」と山下俊一先生や鈴木眞一先生がおっしゃっていました。スクリーニング効果では普通は6~7倍ぐらいでると言われていますが、数10倍の多発は説明できません。それでも、スクリーニング効果ということでいちおう了承したとしても、それらはみな刈り取ってしまうわけですから二巡目は出ないはずなのですが、二巡目の検査で71人も出たわけです。
二巡目の検査で増える兆しがみえだした頃、甲状腺の評価部会の疫学の先生方から「過剰診断」という言葉が出てきた。臨床的にもほっといても生命予後に関係がないようなものを検出してしまったという「過剰診断」だと。いま「過剰診断論」が優勢になってきて、検診を辞めようということが声高に言われています。
本当に「過剰診断」か。じっさいに治療している臨床の医師からは「過剰診断」という言葉は出てきません。それは、鈴木眞一先生が自分で145例の手術をされていて、甲状腺外科学会で報告していますが、リンパ節転移をしているのが一~三巡目検査の合計では約78.6%あり、甲状腺外に浸潤しているのが44.8%もあり、「過剰診断にあたらない」とおっしゃっています。甲状腺腫瘍の治療ガイドラインの作成にあたった先生もガイドラインに沿って治療されており「過剰診断」ではないとおっしゃっています。疫学の専門家のほうから「過剰診断」という言葉が出てきているわけです。
甲状腺がんの多発は放射線の影響と考えにくいか
その県民健康調査の中間とりまとめは、2016年で二巡目がずいぶん進んでいる段階でしたが、一巡目の検査結果から出てきました。数十倍のオーダーで多発ということは認めているのですが、放射線の影響とは考えにくいと。考えにくいとする根拠として、「チェルノブイリに比較して被ばく線量が低い」、「被ばくから癌(がん)の発見までの期間が概ね1年から4年と短い」、「事故当時5歳以下からの発症はない」、「地域別の発見率に大きな差がない」を上げていますが、これらはすべて論破されています。
「被ばく線量が低い」は、1080人しか調べていなくて、その上検査した場所のバックグラウンドが高いところであるということで、調べた値は信用性に欠けるということがあります。
「がん発見までの期間が短い」については、じっさいに一巡目でなんの所見もなかった人が、2年後の二巡目でもう癌と診断されている人が33人もいるわけです。すると2年間で腫瘍が少なくとも5ミリ以上大きくなっている。だから、今まで言われていたように甲状腺がんの発育がさほどゆっくりしたものではない、というのもわかりました。
「5歳以下からの発症がない」というのは、その時すでに事故当時5歳以の子どもが発症していたことが分かっていたのに、こういう発言をしたわけです。
「地域別の発症率に違いがない」というのは、区分が間違えているのです。放射線量が高い地域と低い地域を同じ区域に混ぜていて、差が出ないのは当たり前です。これは、慶応大学の濱岡先生がよくおっしゃっています。
こういうことで、考えにくいという根拠は論破されていますが、ずっとそれを言い続けています。
甲状腺癌になった人を把握しきれない検査システム 事故当時4歳だった児童の甲状腺癌が報告されず
福島で甲状腺がんになられた方は、経済的にも負担がかかりますし、精神的にもかなりなストレス、困難を抱えているということで、私たちは「3.11甲状腺がん子ども基金」を立ち上げて、経済的にも支援したいと活動を始めました。電話相談もやり、少しでもお役に立ちたいとの思いでおります。
放射性ヨウ素が飛んだ地域は福島県に限りません。これだけ(※図1)広い地域を覆っていますので、そういう地域も本当なら政府が甲状腺検査をしなければならないのに、していない。私たちの基金は、そういう地域で癌になった人からも申請を受けて、給付させていただいています。給付させていただいた方はこの地図(※図2)に示した人数で、福島の方には今まで81人の方に給付させていただいています。
※図1 ※図2
この基金の活動で、事故時に4歳だった子どものご家族から申請がありました。4歳児というのは福島県民健康調査検討委員会には報告されていなかったので「おかしい」と思い、福島県立医大の放射線医学県民健康管理センターに確かめました。そると、発表したとうりだという答えでした。そしてそのウエッブに図3に示したような経過観察のルートがあると発表しました。
この検討委員会に報告されるのは、一次検査でBC判定だった人で、二次検査で細胞診を受けて悪性ないし悪性疑いになった人です。しかし二次検査で、経過観察のコースに入った人は、その後、癌が発症しても検討委員会に報告されないシステムになっています。
2017年10月までに分かった経過観察になった人は2,881人で、今までそのなかから何人が癌になったかは分かっていません。福島県立医大は医大で治療を受けた人に限っては、2年間かけて調べると言っていますが、それ以外の病院で治療した人については分かりません。
こういうシステムを続けている限り、福島で何人が甲状腺がんになったかは絶対に分からないままです。これは是非きちんと分かるようにしてもらいたいと、私たちだけでなく、検討委員会の先生もおっしゃっています。
「放射線と健康についての福島国際専門家会議」が2016年10月に行われ、その結論として「原発事故時に0歳から4歳であった児童に甲状腺がんが発見されていないのでチェルノブイリとは違う。甲状腺がんの多発は放射線の影響とは考えにくいので、検査は縮小したほうがよい」という趣旨の提言を、丹羽太貫先生と山下俊一先生が福島県知事に出しました。
事故当時4歳だった児童が甲状腺がんになっていたということを、山下先生はこの時点でご存知だったはずです。山下先生は福島県立医大の放射線医学県民健康管理センターの副センター長なので実際に調べられない訳はないと思っていました。和田真さんが山下先生に聞いて、山下先生はご存じだったということが分かり、DAYS JAPAN(2017年10月号)に掲載されました。
甲状腺腫瘍治療ガイドラインには、甲状腺がんのリスクファクターとして、質の高い根拠があるものとして放射線が上がっています。あとは、遺伝子異常や、それほど信頼性のある証拠はないものの、体重の増加もあがっています。この他には科学的に立証されたリスクファクターはないと書いてあるのに、現状はこれ以外のリスクファクターを探しているような状態で、とてもおかしなことになっています。
こういう形で「過剰診断」だとして「検診の縮小」という動きがありますので、実際患者さんやその家族の方はどう思っていらっしゃるのか、甲状腺がん子ども基金で給付させていただいた52世帯の方にアンケート調査をしていろいろ伺いました。同基金のホーム―ページで結果をご覧いただきたいと思います。
一つだけご紹介したいと思います。甲状腺検査をこれからどうするかという問いに対して、現状維持あるいは更なる拡充を望む人は90%近くに達し、縮小したほうがいいという回答は一人もいらっしゃいませんでした。当事者の意見を尊重するという意味では、この結果は非常に重要だと思います。
子どもの健康より福島の復興なのか
帰還政策についてお話します。
このように福島で甲状腺がんが増えていて、これから子どもの健康も心配になるということなのに、帰還政策で20mSvまでは安全だということで帰還させようとしています。
子どもは放射線への感受性が大人よりも高いということは証拠がたくさんあって反論が無いことなのですけれども、そういう帰還政策をして帰すということになれば、妊婦さんもそうですし、0歳時から乳幼児も含めて、放射線に感受性の高い子どもたちも、放射能に汚れたところでずっと日常生活をしなければならなくなります。避難区域の外側に、年間1mSv以上という普通でしたら容認できない被ばくがある区域があることになります。ここから避難するのを促進するのが本来の政策なのですけれども、現在の政府がやっている政策では逆に帰すということなのです。
こういうことはICRP(国際放射線防護委員会)の勧告のなかには見えません。そういうことをやろうとしている根拠になっているのが、「低線量被ばくリスク管理に関するワーキンググループ」の報告書(2011年12月)で、「100mSv以下の被ばく線量では、他の要因による発がんの影響によって隠れてしまうほど小さいため、放射線による発がんリスクの明らかな増加を証明することは難しい」ということです。
この言葉がずっと繰り返されているのです。この報告書の後に、数mSvでも癌(がん)のリスクが上がるというたくさんの疫学調査結果が発表されています。新しい結果が出てきたら、その結果に基づいて自分の考えを変えるのが普通なのですが、依然として変えない。2011年の秋からずっと変えず、20mSvの帰還政策を支えています。
このグラフ(※図4)はICRPのモデルです。ICRPというのは、電力会社等の影響下にあると考えられていますが、そのICRPですら「放射線に安全量はない」、線量に比例してリスクが上がるという「しきい値なし直線(LNT)モデル」を採用しています。
※図4
各地に避難した方がそれぞれ賠償裁判を起こしていますが、私は原告側に立って「避難するのは当然だと」いう意見書を京都地裁、千葉地裁、東京地裁に提出しました。それに対して、国側から反論がでてきました。それは17名の先生方による連名意見書で、佐々木康人さんと、山下俊一さん、遠藤敬吾さん――いま日本学術会議の報告書を書いている人たち――も入っています。その連名意見書では、低線量でもリスクがあるという私の意見書について、「国際機関で合意されている低線量放射線影響の科学的常識から外れて」と言っています。国際的な常識はICRPのLNTモデルなのですが、連名意見書の先生方にとっては常識ではないのです。そういう低線量の被ばくを恐れて避難して元に戻らないということは福島の復興を妨げているという認識なのです。福島の復興のためには避難している人たちは帰らなければならないという前提の意見書なのです。
それに、「子どもの放射線被ばくの影響と今後の課題」(2017年9月)という日本学術会議の報告書があり、先ほどの佐々木さんと山下さんと遠藤さんも著者に入っていますが、これも「子どもの放射線の感受性はそれほど高くないのだから心配しなくていい、帰りなさい」という報告なのです。
こういうことを放射線の専門家が率先して言っている。
私たちは、そういう現実をしっかりとらえて、本当のことは何なのかを一人ひとりが認識して考えなければならない。福島の復興というものを、人権や子どもの健康よりも上位に置くという今の政策を止めさせなければいけないと思う。そのためには、チェルノブイリ法日本版を作るということは大切なのだろうと思います。
――長谷川克己さんのお話――
私は福島原発事故後5か月がたった平成23年8月に、福島県郡山市から家族で自主的に静岡県富士宮市に避難しました。避難した当時は、妊娠中の妻と5歳の長男の3人家族でしたが、翌年に長女が生まれ、現在は家族4人で避難先で暮らしています。
理不尽に屈しない
原発事故が起こる前の私は、市民運動などには無頓着な人間でしたが、事故後は積極的に参加するようになり、福島原発告訴団の原告、子ども脱被ばく裁判の原告、避難の権利を求める全国避難者の会や、避難の共同センター等の市民活動にも参加させていただいております。
私がこれらの活動に関わるようになった理由は、一言で申せば、このままこの理不尽に屈するわけにいかないという思いからであります。原発事故から7年の間、日本政府・福島県行政が行ってきた対応の数々は私にとって理不尽の連続でした。
原発事故直後、多くの諸外国が原発から80Km圏内の住民に避難勧告を出したのに、なぜ日本政府は30Km圏内にとどめたのか。
なぜ日本政府は原発事故から間もなくして、法律に定めていた国民の追加被ばく線量年間1mSvの閾値を20mSvに引き上げたのか。
なぜ日本政府は、予防原則に基づき子どもや妊婦は放射線量の低い地域に避難させるなどの措置をとってくれなかったのか。
なぜ日本政府は、今も事故前よりも明らかに高い放射線量の地域に帰還を促すのか。
その他にも数々の「なぜ」が私の頭の中をめぐります。
自分たちの子どもたちは自分たちで守る どんな障害や制度があっても
ふりかえれば、私がまだ福島に在住していたころ、ネット通販で手に入れたガイガーカウンターを片手に、福島県内・県外のいたるところの放射線量を夜も昼もなく妻と共に測って参りました。妻の妊娠が分かってからは一人で出かけ、帰ってから妻に報告するようになりました。
夜を徹して何度も何度も妻と話し合いました。そして一つの決断にたどりつきました。「もうこの国の政府、日本の行政を信じない。自分たちの子どもたちは自分たちで守る」という決断でした。守ってくれるはずだと疑いもしなかった国に、故郷の行政に諦めをつける決断はつらいことでした。今まで、この国に生きること、この地に生きることを真剣に考えてこなかった報いだと思いました。子どもに申し訳ないと思いました。
しかし、そう決断してからは黙々とこの地を離れる準備にとりかかりました。創業から長年取締役として勤めあげた愛着のある会社を退職する準備。親御さんたちと除染活動をするはずだった子どもの幼稚園のPTA会長を辞任する準備。親しい知人や親戚へのこの地を離れることの告知。
政府や福島県行政がキャンペーン運動のように復興を訴え始め、その気運が盛り上がりつつある頃でしたので、時には周囲の人たちに怪訝な目でみられたり、後ろ指をさされていることも承知でした。しかし、「この子は自分たちで守る」、そう決めれば何てこともありませんでした。
ただ、返す返す悔しいことは、ほんとうはこの地に暮らす子どもや妊婦だけでも一次避難すべきなのではないか、それは政府がすべきことなのではないか、私たちが後ろ指をさされることではないのではないか、ということでした。
そして、原発事故からちょうど5カ月がたった平成23年8月11日の朝、私たち家族は故郷、郡山を後にしました。本当は前の夜に出るはずだったのですが、辺りが暗くなる中で出るのは夜逃げみたいで悔しいと思い直し、翌朝にしました。我が家から百メートル程の所にあった妻の実家に立ち寄り、最後の別れを告げ、いよいよ車を動かし始めた時、当時まだ5歳の長男が
「ばあば、さよなら。じいじ、さよなら。さよなら。さよなら。」
と、何度も何度も叫び声をあげました。
そのとき私は「このままでは絶対に終わらせない。この理不尽に必ずけじめをつけて見せる」との思いをあらためて胸に刻みました。
原発事故を 被ばくを無かったことにしたいのは 本当は子どもの親たち
もちろん、このとてつもない大事故には、私などでは知りえないこと、そうするしか方法のなかったこと、いろいろな事実があったであろうことは推察いたします。しかしながら、日本政府が、福島県行政がこの7年間をかけてやってきたことは、私たちに対してまるで「被ばくなど無かった、原発事故はコントロールされている」かと錯覚させるような所業であります。
このことに対して改めてここで強く申し上げたいことがあります。それは、この被ばくを、この原発事故を無かったことにしたいのは、本当は私たちの方だということです。
7年前の3月12日以降、子どもたちの頭上に大量の放射能が降り注いだことを無かったことにしたい。
自分の判断が悪かったことで、我が子に大量の被ばくをさせてしまったことを無かったことにしたい。
住み慣れた愛すべき故郷が放射性物質で汚されたことを無かったことにしたい。
この先、子どもたちに健康被害が発生するかもしれないという未来など訪れるはずもない。
そう、この原発事故を無かったことにしたいのは、私たち市民であり、父親であり、母親であります。
しかし過ぎ去ったことを変えられるはずもないのであれば、この現実から目を背けずに直視し、真実を明らかにし、今からでもできる最善の処置を施していくことが子どもの親として、この時代に生きる大人として、私にできるせめてもの罪滅ぼしであり、責任であると考えています。
声を上げれば波風が立つ。このことも、この7年間で十分に承知のことであります。ただ、それでもやらなければならないことがあると思っています。
最後になりますが、5年前、原発事故から2年がたった頃、我が子がまだ長男7歳と長女1歳の時に子どもと遊ぶ中で作った詩を拝読させていただき私の話を終えさせていただきます。
『発展』
昼下がり、傍らで息子と娘が戯れる
「あーあーあー」と笑いながら近寄る妹をあやすお兄ちゃん
「お兄ちゃんのことが大好きなんだよね」
誇らしそうに、お兄ちゃん
放射能はこの子たちの身体をもう冒し始めているのだろうか
身体の中に入ってしまったのだろうか
全部もらってあげる方法はないのだろうか
見知らぬ大人たちは
この子たちを置き去りにどんな発展を目指しているのだろうか
お父さんとお母さんがずっと守ってあげるからね
先に死んでしまってもずっとずっと守ってあげるからね
ここで、柳原先生から、「もし原発事故当時、チェルノブイリ法があったとしたら、どのような行動をとっていたか、行動に変化があったでしょうか」という問いを事前にいただいておりましたので、最後にお答えしたいと思います。
答えは簡潔に、「何も変わらなかった」ということです。何ものにも代えがたい大切なものを守るために自分がとった行動に、たとえどんな障害があっても、どんな制度があっても、変わりはなかったと確信しております。
――柳原敏夫さんのお話――
避難する権利を保障するために 裁判と市民立法
簡単に福島集団疎開裁判を振り返ります。原発事故の後、福島の子どもたちの集団避難を実現するために、チェルノブイリの住民避難基準と同等の基準にしたがい、2011年6月、郡山市の小中学校を設置運営する郡山市を被告にして「子どもたちを避難させよ」という裁判を起こしました。私はその弁護団に参加しました。当時、平成の一向一揆だとおっしゃる方がいました。結果的には謀反を起こしているように政府の側からは見えたと思います。
この裁判は2013年4月に仙台高裁から判決が出まして、「事実について、危険だという申立人の主張を認める。しかし、危険だと思う子どもは自己の責任で逃げればよい、被告の郡山市に避難させる義務はない」と却下の決定判断を出しました。
この決定は驚くべきものとして直ぐに世界中に配信され、世界中の人が知りましたが、日本の新聞やテレビは殆ど報道されなかったので、ひとり日本人だけが知ることができませんでした。たとえばワシントンポストは「裁判所は、放射能の健康リスクは認めるにも関わらず、避難を命じる判決は出さなかった」と写真入りで報道しましたし、ニューヨークタイムズは「日本の法廷は避難の義務を認めなかった」。ロシアのRTニュースという、BBC放送に次ぐようなマスメディアも大きく写真入りで報道しました。
現在、避難の権利を求める第2次の裁判を継続中ですが、これだけを待っているわけにいかないということで裁判と同時並行で、この間、チェルノブイリ法と同等の住民避難基準を求めるチェルノブイリ法日本版を市民主導の市民立法で制定しようという準備をしてきました。
この市民運動のゴール(山頂)は、住民・子どもたちに世界標準の避難基準でもって避難する権利を保障しようというもので、福島集団疎開裁判と変わりません。山頂は同じだが、その山頂に登るルートが複数ある。裁判だけでは不十分なので、市民立法によって山頂に登るという取り組みをしています。
私が今日お話ししたいのは、3.11以後の異常な事態に関してです。2つあります。異常事態を象徴する出来事の一つ目は、文科省が2011年4月19日に福島県だけ学校の安全基準を20倍に引き上げる通知を出したことです。もう一つが崎山さんもおっしゃっていた、山下俊一・長崎大学教授の言動です。
この二つの出来事の共通点は、いずれもチェルノブイリ事故から教訓を学び尽していることです。
被ばく安全基準を福島県だけ20倍に引き上げた文科省通知
チェルノブイリ事故は、ソ連政府が後手に回ったために、ウクライナ共和国政府が首都キエフで52万人余の母子の集団疎開を決定しました。この決定に激怒したソ連政府は集団疎開開始の前日に、被ばく許容基準を100倍に引き上げる通知を出し、キエフ以外のまちでの集団疎開を阻止しました。
文科省はこれを熟知していて、自分たちはこのようなソ連政府の失態を繰り返さないと、キエフの52万人集団疎開のようなことを福島県の自治体が決定する前に先手を打って、4月19日に安全基準を20倍に引き上げる通知を出しました。これは理論的には、原発事故後に子どもたちの放射能への感受性が20倍にアップしたのだという想定に立ったものです。
この通知の根拠は、国連等の公的機関ではない、民間の一団体にすぎない国際放射線防護委員会(ICRP)が2007年に発表した勧告です。この通知の当時、日本はこの2007年勧告を国内に取り入れるかどうか審議中で、正式に取り入れることが決まっていませんでした。その意味で、文科省はとても仲のいいお友達の勧告を根拠にして、子どもたちを事故前より20倍危険な状態に陥れる政策を決めたのです。
これは法律家の感覚として、現代の法治国家のもとでは、裁判と同様、行政も法に基づいて為されければなりません。これは、行政の大原則、基本原理をかなぐり捨てた、前例のない、いわば法的なクーデターとしか言いようのない、多くの子どもたちを極めて危険な状態に陥れる国際法上の重大な犯罪行為「人道に関する罪」に該当する侵害行為です。ひとたび、法的なクーデターというルビコン川を渡った日本政府にとって、その後の特定秘密保護法や、集団的自衛権行使容認の閣議決定、安保関連法案の成立、共謀罪の成立など、憲法違反が指摘されるような強引な政治運営なぞ屁の河童、どうってことないことなのです。
予防原則から反転した専門家 守りたいのは国民一人ひとりではなく国家
もう一つ象徴的な人物が、3.11事故当時、関西にいた東京電力の清水社長は東京本社に戻ろうとして自衛隊機に乗ろうとして搭乗を拒否されましたが、その自衛隊機に、3.11直後の3月18日に乗り込み福島入りした山下俊一・長崎大教授です。その山下俊一氏が福島入りして発言したのが「放射能の影響は、実はニコニコ笑っている人には来ません。クヨクヨしている人に来ます」、「みなさんマスクを止めましょう」、「(いま、いわき市で外で遊んでいいですかとの問いに)『どんどん遊んでいい』と答えました」にはじまる、それまで聞いたこともないような奇想天外な新たな安全神話の創設に向けた有名な発言、「根拠のない噂」=風評が連日、連発されました。しかし、不安の中にいた福島の人たちは、専門家だと称するこの人の安心安全の言葉にすがり、放射能に対する警戒心をすっかり解いてしまいました。
後に、山下俊一は二人いるのではないかという説が出たほどです。理由は、3.11前の山下俊一という人の発言と、3.11後の山下俊一という人の発言が余りにも違いすぎ、ほとんど真逆だったからです。
3.11前の山下氏の発言は、「ポーランドにも同じように放射能降下物が降り注ぎましたが、甲状腺を放射性ヨウ素からブロックする安定ヨウ素剤をすばやく飲ませたために、その後、小児甲状腺がんの発症はゼロです」と2009年の論文に書いています。2000年の講演でも、「チェルノブイリの教訓を過去のものとすることなく、『転ばぬ先の杖』としての守りの科学の重要性を普段から認識する必要がある」と、予防原則を原発事故の教訓として言ってました。
これらの発言は、3.11以降の山下発言とは比べようがないくらいのちがいで、そこから、山下氏は二人いたのではないかという疑問が生まれたのです。3.11直後に、もし福島の人々が3.11前の山下発言を知っていたなら目の前にいるこいつはニセ者だと気づいたはずです。しかし、人々はこれを知らず、すっかり警戒心を解いてしまったのです。
3.11以後、山下氏は、法的なクーデタによる文科省の20mSv通知とチェルノブイリの教訓を次のように指摘しました。
「国の基準が20mSvということが出された以上は、われわれ日本国民は日本国政府の指示に従う必要がある。日本という国が崩壊しないように導きたい。チェルノブイリ事故以降、ウクライナでは健康影響を巡る訴訟が多発し、補償費用が国家予算を圧迫した。そうなった時の最終的な被害者は国民だ」。
ここで、彼が第一に守りたいのは日本政府であって日本国民ではないこと、日本国民は日本国家の命令に黙って従えばいいのだ、という本音が透けて見えます。
放射能災害から一般市民の命を守る基準を他のリスク対策基準と平等に
では、3.11以後の私たちの願いとは何でしょうか。それは至ってシンプルなこと。それは3.11以後の異常事態をただしたい。放射能災害において「命こそ宝」という大原則を取り戻したい。それがチェルノブイリ法日本版制定のエッセンスです。 日本国家を守るために採用している原理原則があります。以前、小泉首相は「備えあれば憂いなし」と言って、国を守るために予防原則に立って軍備を増強しました。今もそうです。北朝鮮の脅威に対して予防原則に基づいて軍備を増強しています。だったら、その予防原則を日本国家を守るだけでなく、日本国民を守るためにも採用すべきです。それが、放射能災害から日本国民の命、健康、暮らしを守るチェルノブイリ法日本版です。
自然災害からの救済で採用している原理原則があります。たとえば2000年の三宅島噴火で、「今後、高温の火砕流の可能性もある」という見解に基づいて、予防原則の立場から全島避難を決定しました。自然災害ですら予防原則によって人々の命を守るのであれば、人災である放射能災害ならもっと予防原則によって人々の命を守るべきです。
通常の人災で採用している原理原則を過酷人災である放射能災害でも採用すべきです。たとえば交通事故を起こした加害者は被害者を救護する義務を負っており、被害者を放置するひき逃げは犯罪です。この加害者の救護義務を放射能災害でも採用すべきです。
海外からの人災である戦争で採用した原理原則を国内の人災にも採用すべきです。太平洋戦争で空襲のおそれのある都会の子どもたちを予防原則によって学童疎開を実施しました。であれば、いま国内の人災である原発事故に対しても同様に予防原則によって学童疎開を実施すべきです。
福島原発事故で福島の自治体の長や幹部は、我が子や我が孫を守るために、予防原則によって県外避難を実行した例が多々あります。郡山市の市長もお孫さんを県外に逃がして、きちんと予防原則の立場で命を守りました。であれば、このような原理原則を福島の一般の子どもたちにも適用すべきです。
以上の通り、既に日本はさまざまな場面で、「グレーゾーンの部分には近づかない」という原則、あるいは先ほどの山下俊一氏が3.11前に力説した「転ばぬ先の杖」という予防原則を採用しています。であればなぜ、放射能災害の一般市民にだけこの予防原則を採用しないのか。このような二重の基準は欺瞞的であり、偽善的であり、憲法の平等原則に明らかに違反します。この二重基準を撤廃して、どんな災害、どんな人災であっても、差別せず平等に、人々の命、健康、暮らしを守ろうというのが、チェルノブイリ法日本版のエッセンスです。
以上の通り、既に採用されている予防原則を、徹底した平等原理のもとで、全ての被害者に適用したのがチェルノブイリ法日本版のエッセンスなのです。
原子力事故から命と健康を守るチェルノブイリ法の日本版を
チェルノブイリ法日本版がどういうものか解説します。
チェルノブイリ法とは、1986年のチェルノブイリ原発事故後、被ばくによる健康被害が激増した5年目に、被害者の要求を受けて1991年、世界標準といわれる住民避難基準を定めた法律がソ連で制定されたものです。ソ連崩壊後は、ウクライナ・ベラルーシ・ロシアの3カ国に引き継がれました。原子力事故から住民および原発労働者の命と健康を守るための、原子力事故に関する世界最初の人権宣言です。これを日本でもきちんと定めるべきではないかというのがチェルノブイリ法日本版です。
それを具体的に適用したらどうなるのかをお話します。
以下の※図5が福島県郡山市の放射能汚染状況です。赤い円がチェルノブイリ法でいう避難義務区域、年間5mSv以上の放射線量の地域です。郡山市の99%がこの地域に該当し、左上方の一か所だけ年間1mSvで、避難の権利を選択できる地域に該当します。ですから、もしチェルノブイリ法が日本にできれば、郡山市はほぼ全てが避難の権利は保障されることになります。これがチェルノブイリ法日本版を制定した時の郡山市の姿です。
※図5
市民が主体的に法制定 ロードマップのモデルは情報公開法制定など
市民立法とはどういうことを意味しているかお話します。
今まで法律の制定はといえば、官僚頼み、議員さん頼みというのが多く、制定のためには多数の議員を抱える政党の支持が不可欠です。しかし、そんなことを当てにしていてもチェルノブイリ法日本版は難しい。そこで、官僚頼み、議員さん頼みでもなく、かといって、チェルノブイリ日本版を制定せよと掛け声だけを言い続けるのでもなく、なおかつ法律制定を実現するためのロードマップを示したのが「市民立法」という言葉です。これは市民主導で法制定を実現するための行程表のことです。
そんな夢みたいなことが果して可能なのだろうか。可能です。それが昨年、核兵器禁止条約を成立させたICANです。しかもICANの前にもモデルがあります。米国・ロシア・中国が反対したにもかかわらず、1997年に対人地雷禁止条約を成立させた市民団体「地雷禁止国際キャンペーン」です。
実は日本にもモデルがあります。本日のイベントの主催者と深くつながっている、1999年に情報公開法を成立させた市民団体「情報公開法を求める市民運動」です。情報公開法制定のロードマップでは、最初に「情報公開法を求める市民運動」という市民団体を結成し、「情報公開権利宣言」と条例モデルを起草しました。これらを参考に、日本各地で情報公開条例を制定するための条例制定運動を日本各地の自治体の住民たちが全国で一斉に行い、最初に山形県で、次いで静岡県で制定され、日本各地で条例制定が相次ぎました。その条例制定の積み上げを元にして、1999年に情報公開法という国の法律が成立しました。このやり方をモデルにして私たちも条例制定からスタートして国の法律制定にむかって取り組んでいこうと言うのが、この市民立法の具体的なイメージです。
このように、このモデルは聞けばだれでもわかるほど単純明快なものです、しかし、モデルから自動的に条例ができるものでも何でもなくて、モデルに魂を入れること。その入魂の力がないとモデルはあっても前に進みません。つまり、市民立法というモデルを推進するために、私たちは入魂の力を手に入れる必要があります。その力とはいったい何でしょうか、どこから手に入れることができるのでしょうか。
思うに、その力を手に入れるためには、現状を正しく認識し、正しく絶望する必要があります。 3.11以後、あらわになったのは民意(主権)を反映しない議会制民主主義の機能不全、崩壊現象です。そこから今、多くの人たちは「民主主義の敗北・絶望から民意(主権)の敗北・絶望」の気分に陥っています。しかし、それは「正しい絶望」ではありません。なぜなら、議会制民主主義の敗北は主権者の敗北などではなく、人々が主権者であることを棄てたことに対する懲罰にすぎないからです。もともと議会制民主主義は人々が主権者であることを発揮し続けて初めて機能するものなのだからです。これが正しい絶望ではないでしょうか。
この正しい絶望から引き出せる結論は、議会制民主主義が敗北・廃棄されようが、私たちは主権者であることをやめないし、やめるわけにはいかない、これを取り戻す。これが新たな民主主義の観念、市民立法の精神、そして私たちの決意です。市民立法とは壊れゆく日本の中で、主権者であることを取り戻す新たな民主主義の運動にほかなりません。
だから、市民立法の原動力は議員でも首長でもない、私たち市民ひとりひとりの手にかかっているのです。 その市民のひとりが放射能汚染地に住む市民(それは明日の私たちの姿です)です。
2016年11月に、福島県や栃木県の汚染地に住む住民に移住に関するアンケートを行いました。その中から、3人の方の回答を紹介させていただきます。
最初は福島県の方です。
Q. 現在、子どもの健康について不安に思っていることは何ですか。
A. 将来どうなるか。
Q. 放射能や被ばくによる健康被害の知識について、国や自治体の情報提供をどう思いますか。
A. ウソばかり。
Q. 被ばくによって子どもの健康を害するリスクへの対策について、国や自治体の実際の対応をどう思いましたか。
A. うそばかりで、本当に子どもを大切に思っているのか?
Q. 原発事故後、福島県や市町村に派遣された放射能の専門のアドバイザーの助言をどう思いましたか。
A. 当たりさわりのないことばかり。国に安全だと言うようにいわれているのか。
Q. 文科省の20mSv引き上げについてどう思いましたか。
A. 自分たちは福島に住んでいないくせに、誰が決めるんだという怒りだけ。
Q. 現在、文科省の20mSv引き上げに対して、どのようにして欲しいと思っていますか。
A. すぐにもとに戻せ!!
Q. 原発事故で子どもたちに無用な被ばくを避けるために、本来、国や自治体はどのようなことをすべきだと思いますか。
A. とにかく避難させる。わからないのであれば、なおさら。
次は栃木県の方です。
Q. 放射能や被ばくによる健康被害の知識について、国や自治体の情報提供をどう思いますか。
A. 有事の時に国は弱者を切り捨てるというリアルを感じました。
Q. 安定ヨウ素の服用について、国や自治体の対応をどのように思いましたか。
A. あまりにもひどい。もっと広い地域の風向き、降下情況も考えて配布すべきでした。
Q. 被ばくによって子どもの健康を害するリスクへの対策について、国や自治体の実際の対応をどう思いましたか。
A. 弱者の切り捨て。できっこない除染へのお金のムダ遣い。大きなお金を有効に健康を守るために、生活を再建するために使いたがらない。情けない。
Q. 原発事故後、福島県や市町村に派遣された放射能の専門のアドバイザーの助言をどう思いましたか。
A. 原発政策ありきの政策下で雇われた人たちの脆弱な理論は屁理屈ばかり。
Q. 文科省の20mSv引き上げについてどう思いましたか。
A. 非人道の極み。世界に恥ずかしい。
Q. 現在、文科省の20mSv引き上げに対して、どのようにして欲しいと思っていますか。
A. 取り下げること。普通に考えればあたりまえです。
Q. 現在、子どもの健康調査、健康保障についてどのようなことをしてほしいと思っていますか。
A. 当たり前の誠実さが欲しいです。
Q. 原発事故で子どもたちに無用な被ばくを避けるために、本来、国や自治体はどのようなことをすべきだと思いますか。
A. せめてロシア並みのことをして欲しかった。
3番目は福島市の方です。
Q. 将来子どもの健康について不安に思っていることはなんですか。
A. 将来、癌(がん)や病気が発症しないか。
Q. 放射能や被ばくによる健康被害の知識について、国や自治体の情報提供をどう思いますか。
A. デタラメばかり。
Q. 安定ヨウ素の服用について、国や自治体の対応をどのように思いましたか。
A. デタラメばかり。
Q. 被ばくによって子どもの健康を害するリスクへの対策について、国や自治体の実際の対応をどう思いましたか。
A. デタラメばかり。
Q. 原発事故後、福島県や市町村に派遣された放射能の専門のアドバイザーの助言をどう思いましたか。
A. デタラメばかり。御用学者のざれ言です。
Q. 文科省の20mSv引き上げについてどう思いましたか。
A. 殺人行為です。
Q. 現在、文科省の20mSv引き上げに対してどのようにして欲しいと思いますか。
A. 1mSvに戻すべき。
Q. 福島県が実施した県民健康調査や健康診断について、どのように思いましたか。
A. モルモット扱い。
Q. 原発事故で子どもたちに無用な被ばくを避けるために、本来、国や自治体はどのようなことをすべきだと思いますか。
A. 集団疎開or移住政策
Q. 移住を実現するために国や自治体にどのようにしてほしいと思いますか。
A. 日本版チェルノブイリ法の制定
以上のような切実な声が現地から寄せられています。この人たちの怒りは、チェルノブイリ法日本版の制定が実現するまで止むことのない怒りです。
「命こそ宝」を放射能災害でも 公害対策基本法の制定を引き出した市民運動に学び
チェルノブイリ法日本版制定の原動力として、さらに、私が参考にしたいのは、神も仏もないという沖縄戦の惨状のなかで、「命こそ宝」を貫こうとした沖縄の農民、阿波根昌鴻さんです。彼は伊江島で米軍に自分の農地を戦後、強制的にとられて、生きるために農地返還要求をずっとやってこられた方で、「命こそ宝」を身をもって実行しました。
また、1964年の三島・沼津の「石油コンビナート反対」の市民運動で、静岡県沼津市の高校の先生たちが、もし三島に石油コンビナートができたならどのような環境破壊が起きるかを念入りに調査して、調査結果をもとに地元で300回にわたる学習会を開いて、市民とともにこのコンビナート計画の環境破壊や健康被害の危険性を理解して、多くの市民が政府の地域開発計画に反対して石油コンビナート阻止を勝ち取りました。それは、この勝利が、三島・沼津市の環境保全ばかりでなく日本全体の環境保全に舵を切る転機となり、日本のみならず世界の公害防止への先駆けとなるような画期的な法整備を引き出すことになった市民運動でした。同時に、この市民運動により、公害対策の性格がそれまでのお役所への陳情型から、民主主義の権利を主張して自治体改革を市民主導で実現する運動へ転換しました。このような輝かしい日本の市民運動の歴史から学んで、私たちのモデルにしていきたいと思います。
最後に、亡くなるまで「木を植えた男」だった菅原文太さんも、私にとり貴重な方です。2013年に菅原文太さんがラジオ対談で、井戸謙一元裁判官をゲストに対談したとき、彼が井戸さんに「志賀原発差止判決を書いたあと、どうでしたか?」という質問をしたら、井戸さんは「判決を書いたあとも最高裁から特別差別されるようなことはありませんでした」と答えました。すると、彼は即座にそれを否定し、こう言いました。
「それはちがう。本来、志賀原発差止判決を書いた井戸さんのような人が最高裁の裁判官にならなくてはおかしい。」
それを聞いた瞬間、「そうだ、まったくその通りだ。現に、井戸さんは最高裁の判事になっていないし、なるような評価を受けていない」と私は思いました。普段、司法の世界に身を置いていると、「石が流れ、木の葉が沈む」司法の異常な現実によってすれっからしになり、麻痺し、何も感じなくなるのを、菅原文太さんの言葉は、「それではダメだ、司法の本来の、まっとうな姿に立ち返れ」と原点を思い出させてくれました。
この時の菅原文太の言葉は、私にとって、チェルノブイリ法日本版制定の原動力です。
みなさんと一緒に木を植えながら、「命こそ宝」という思いを形にするための取り組み、チェルノブイリ法日本版の制定に向けて育てあっていきたいと思います。
大河内)会場からご質問がございますか。
参加者) 石油コンビナートの反対運動は法整備に具体的にどのようにつながったのでしょうか。
柳原さん) 宮本憲一さんという環境経済学者・大阪市立大学名誉教授が言っています。この三島コンビナートの反対運動が住民の勝利となった結果、日本政府と経済界は非常に危機感を持った。こんな環境破壊を野放しにしておくと、日本中でコンビナート反対運動が起きて収集がつかなくなると、これまでの政府のやり方を反省したらしいのです。三島コンビナートの反対運動の直後にこれ以上反対運動が日本中に広まってはまずいと、市民運動を予防するためという予防原則を適用して、世界で初めて総合的な公害対策基本法が1967年に日本で制定なれました。日本の市民運動がこの法律制定を引き出したのです。
宮本憲一さんによると、それまでの住民運動はお役所に陳情するというスタイルだったのに対して、三島コンビナート反対運動は、民主主義の権利を市民が自ら主張して自治体を改革するという主体的な運動に転換した画期的な取り組みだったとのことです。
避難の権利による補償 避難先で生活を立て直すまでハンディキャップを軽減できれば
参加者) 1960年代の公害が日本で盛んな頃に、四日市や川崎で子どもたちに喘息など健康被害が出ていて、条例が「横出し上乗せ」といって、国で決まっている法律に上乗せするような基準を自治体ごとに設けていった。その上に環境基本法ができた。そういうことを、市民立法のチェルノブイリ法とおっしゃった場合には想定していらっしゃったのかと思いました。
もう一つは、日本版チェルノブイリ法は、具体的には「避難の権利」だと思うのですが、何を制定するかというのは「避難できるようにする」ということかと思うのですが、先きほど長谷川さんは「そういうものがあっても自分の行動は変わらなかった」とおっしゃいました。多くの人はそういう面はあると思います。ですが、中には避難したくてもできないという方もたくさんいると思います。そういう人は、こういう条件や、こういうものがあれば、私たちも、私たちの子どもも避難させられるのに、というような条件やものを持っている何かを具体的に制定するのが「避難の権利」だと思います。その辺について具体的な案はありますか。
柳原さん) 上乗せ横出しという条例は、国の法律があるが、それでは不十分な時に、環境や命を守るために自治体でもっと厳しい基準を定める条例が出されたケースのことです。
チェルノブイリ法はまだこれに相当する国の法律がなく、その意味でちょうど情報公開法と似ていて、かつて日本で情報公開法がない時点で、先に自治体で情報公開条例が市町村・県レベルでできたことに似ています。まだ日本の法律がないので、まず条例をつくっていく段階です。
条例でどういう内容の権利を考えているかについては、チェルノブイリ法を参考にしています。チェルノブイリ法日本版のモデルを最初につくったのは、伊勢市の保養団体の方でした。伊勢市条例のモデルを作ったとき、避難の権利に関しては、もし避難したい場合には、引っ越し費用の支給、移住先での住宅確保、就労支援、移住元での不動産・家財・汚染した生産物の損失填補、医療品の無料支給、健康診断・保養費用の支給(例えば7割支給)、健康手帳の無料支給、税金の優遇というようなことをチェルノブイリ法を参考にしながら盛り込みました。とはいえこれはあくまで参考です。いろいろな事情で――例えば親の介護があったり、ローンの支払いがあったりで避難できないという――いろいろな困難を抱える方でも、それを解決できるように、そういった補償を掲げた条例案をつくりました(私のブログに掲載していますので参照して下さい)
長谷川さん) 出るときの気持ちは先述のように「チェルノブイリ法日本版があったとしても何も変わらなかった」のですが、一方で、じっさいに避難先で生活してみるといろいろ困ることがあります。困るのは普通に生活していても困るので、たとえば、避難して私たちはどういう補償を受けられるのか、避難する直前にネット上で調べて――見落としているかもしれませんが――ひとつ見つけたのは、東日本大震災に遭った人が家から逃げる時に何も持たずに逃げた方が当座のお金が必要な時に10万だったかを一次的に貸してくれるというもので、避難先で受けられる支援はそれ以外に見つかりませんでした。
いっぽうで、1年・2年・3年経ってくると、福島に住んでいることと、福島に戻ることに対しては、受けられる制度は徐々に出てきたのですが、避難先で受けられる制度は全く出てきませんでした。行政はそういう方針なのだと思いました。
柳原先生が並べたような補償モデルについては、永続的にいろいろなことが欲しいとは思いません。着地して生活を立て直して、今まで生活していた所やみなさんと同じように生活できるようになると、その先は何が起きても自己責任だと思います。ですが自分が知らない土地に行って生活を始めるにあたってのハンディキャップを多少なりとも軽減してくれる制度が整うと、私も助かっただろうし、これから避難したいと思っている人もチャレンジしていこうという気持ちになりやすいのではないかと思います。
参加者) 先ほどの三島コンビナートの市民運動の話では、民主主義の権利、主体的な運動展開という歴史がありましたが、今はあまりにも民衆の運動が行き詰っていて、どんどん押さえられていると思っています。どうしたらよいのか、みんなで話していきたいと思いました。
あと、日本には「子ども被災者支援法」――骨抜きにされたと言われていますが――ありますよね。内容はいいと思いますので、活用していく運動や、チェルノブイリ法日本版をつくる運動に私も何か力になれたら頑張りたいと思います。
――グループ発表とゲストのコメント――
~グループ対話を行い、それを会場全体で共有するために発表しあい、ゲストにコメントいただきました~
(参加者)
「データをもっと出すべきだ。県民健康調査がどんどん縮小されているが、詳細なデータを出すことを促す運動が必要ではないか。
『しあわせになるための「福島差別」論』という本が出て、そのなかで『福島差別』という言葉でいろいろなものがエモーショナルに持っていかれることへの危惧感があり、そこは重要なのではないか。」
「チェルノブイリ法の市民立法プロセスは、情報公開法など今までのものとは異なるものになるのではないか。どういうプロセスで実際に国の法律として成り立つことができるのだろうか。また、成立したところで本当に実効性のあるものになるかという疑問がある。子ども被災者支援法があっても実効的なものに結局はなっていないという現状があるので、立法に『+α』の何らかが必要なのではないか。あるいは、法律うんぬんよりも、裁判を一つひとつ闘っていく方が実効性があるのではないか。」
「早期発見・早期治療と、日本はこれまで癌に関してずっと言ってきたのに、甲状腺がんだけは『症状もないのにエコー検査を子どもに受けさせるのおは可哀想だ』という意見で縮小にもっていかれているのは、おかしいのではないか。
チェルノブイリでは国策として国が責任を認めたのでスムーズに法ができたのではないか。日本では、国も東京電力も責任を認めていないので、その辺はどのようにチェルノブイリ法日本版ができるか。また、補償費用はやはりどこからどういうふうに出るのか。」
「いま日本のなかで、物事を意思決定して良い方向に動かしていく力が極めて弱いということで、民主主義をどうやって捕まえていくか。
こういった問題について、それぞれ小さいグループは沢山あるが、全体をつないでコーディネートできる人材がいない。いっぽう日本は昔から強いリーダーシップを求め過ぎて、個別の活動が十分にできずに風に流されてしまうが、それも問題なのではないか。
自分の問題に置き換えてみると、ここ文京区はとてもよい議会構成にある。たとえば、共謀罪は国の法律が成立すると直ぐに、意見書が採択された。国はひどくても自治体レベルでは比較的よいところが全国にある。一人ひとりが考えるには、地域毎に、せめて市町村別ぐらいのグループ毎に、自分たちでどういう形でできるのかと、伊勢市のように、自分たちで動かしていくのがいいのではないか。」
「法律をつくるにあたって、命を守りたい・人々の健康を守りたいというのは共通の誰もが同意するところだが、そういった立場に関係なく合意できるものをどう作ればいいのか議論した。
やはり国民の声の盛り上がりが大事なのではないか。福島の問題をどこか遠くのことに感じている人もいるだろうが、一人ひとりが自分のこととして考えていけるようにしていくのが――危機感かもしれないが――必要なのではないか。
日本は健康被害で原因が分からないことに対して安全とみなすという、予防原則と反対の方向に行ってしまいがちだ。でも過去、公害の被害者救済では、困っている人を予防原則で助けた歴史があり、そういった歴史に学んで、放射能被害の問題にどう対処していけばよいか考えていくべきではないか。」
「いきなり国政は難しいかもしれないけれども、東京都の児童喫煙防止条例といった例もあるので、市民条例からだったらできるのではないか。
市民側から、なかなか変わろうとしない国に対して波風を起こしていくのがまず重要なのではないか。このグループには『命の岐路に立つ』という映画をつくった方がいらっしゃるが、そういった映画をつくったり、地域でパブリックコメントに地道に意見を提出していったりして、被害者の存在をクローズアップしていくことがチェルノブイリ法日本版の制定につながるのではないか。」
「子ども被災者支援法を改良していくのと、新しいチェルノブイリ法日本版をつくるのと、どちらが現実性があるか。
避難に関わるいろいろな裁判の判決が、この春に出ていくなかで、それらが一つのテコになるような動きになるのではないか。
多くの一般市民の感覚として、福島のことが遠い過去の話というのが蔓延しているなかで、多くの人が共感をもつような法というのは何なんだろうか。最後に長谷川さんがおっしゃっていたが、被災者がどういうことに困っていて、被災者を救うためにはどういうことをすればよいのか、何ミリシーベルトがどうこうではなく、被災者を救うための支援ということからいくと共感を得やすいのではないか。
甲状腺がんが増えているという現実があるのに、大きな騒ぎにならないこと自体が不思議だ。子どもの命、健康というところは、みんな共感するところなので、そこを重点的に進めていくとよいのではないか。
福島の方たちがいろいろなことを話せないという状況がまだあるのが一番大きなことで、難しいが、そこをまず何とかできないか。」
「<みんなのデータサイト>では土壌を全国3千4百か所で測ってきた。チェルノブイリ法は、実効線量のシーベルトと、土壌汚染度のベクレルとの両方で区分けを丁寧にしている。日本では、どのような区分けがあるとよいのかという議論を始めることが重要だと思う。チェルノブイリとは違う状況もあるので、われわれもきちんとデータ数値などをもって、丁寧な議論が必要かと思う。」
みなさんも当事者 自分自身が変わることから
長谷川さん) 2011年の3月まではほとんど市民活動に参加したことがなく、それ以降に出会って、今日みなさんのお話を聴いていても、私が圧倒されるようないろんな知識をお持ちの方がいらして、自分は勉強不足だなと思いました。
いっぽうで、自分にいま何ができるかと考えています。「当事者として話をしてください」と言われると、「当事者」は僕だけではないし、みなさんもそうであるし、境目のないところで疑問を持ちながらでもマイクを持ってお話させていただくことがあります。
正直、7年間、疲れたなという気持ちがあります。どこが切り口になるのかな。じつは、チェルノブイリ法のお話でも、よくわからないけれども、新しい切り口になって、何か自分がそこでエネルギーをもらいながら、また意欲を持てればなという気持ちで参加させていただきました。ここに来て、ここの雰囲気とエネルギーを感じ取って次に行かないと、「チェルノブイリ法て何ですか」なんて場に立てませんと、柳原さんにも事前にお話をしました。
3.11を原発の比較的近くで経験した当事者として、このエネルギーを正しく、自分の子どもたちも含めて、子どもたちに責任を果たす役割に生かしたいなと、みなさんのお話を聴いていて改めて思いました。
柳原さん) 僕自身は原発事故まで放射能について無知同然で何の心配もしていませんでした。かつて遺伝子組み換え作物の差止裁判を担当したときに、遺伝子組み換え技術の専門家から「直ちに健康に影響は無い」という言葉を聞きました。3.11の時に、またその言葉を聞いて「この国の技術者は本当に同じ言葉を使うんだな」と思いました。菅谷明・松本市長が「国難」という言葉を使いましたが、「本当に国難なんだな」とそのとき初めて自分の無知の涙を思い知りました。
放射能は大変な問題だということを、我が国の多くの方が感じておられないことに対して、「お前だってつい最近までそうだっただろう」と思うので、全然失望していません。自分だって或るとき気がついたので、他の人だって気がつくよと思っています。自分の息子も放射能をずっと無視していたのですが、自分の子どもが生まれたら長野に逃げたのです。そうやって変わることができるのだったら、人はきっと変わるだろう。ただ、あきらめたらダメで、きっと人はいろんな自分自身の問題を手がかりに、何か変わることができるんじゃないかと思って、自分を振り返って、一緒に頑張っていければと思います。
崎山さん) 日本人は法律に余り拘束されないのではないかと思うのです。なぜかというと、憲法を踏みにじっている人が平気で首相になっていますし、それをずっと選び続けている国民がいるわけです。ですから、どんな立派な法律をつくっても、なんかダメじゃないかな。チェルノブイリ法日本版をつくったほうがいいと先ほど言いましたが、子ども被災者支援法がちゃんとあるわけです。法律というのを余り重視しない国民性なのかも。
日本を変えるのは法律ではないかもしれません。いくらいい法律を作っても、日本人は法律に従わなくても平気なところがある。憲法を踏みにじっている人を首相にずっと選び続けている日本人自身が変わらなければ、日本は変わらない。 庶民レベルでは法律に厳しく縛られる、罰則もある。でも力を持ってしまうと縛られない。平気で森友・加計問題もやられているではないですか。
権力を持つ人に対して、悪を憎む感覚、悪をちゃんと正す力が国民全体にないとダメなのではないかなと思います。
大河内さん)みなさんそれぞれが、いろいろな立場でいろいろなことを考えておられて、でもみなさん命の大切さを思って集まってこられたのではないかなと思います。
アドボカシーカフェでは、共に対話をして、語りあいながら、夢がまだあるんだということを感じていただければと思います。ほんとうに難しい問題でも、ささやかな集まりでもみなさま方に何か力になればと思います。
●次回アドボカシーカフェのご案内
『若者の政治参画――マイノリティの声も社会へ』
【登壇】穂積亮次さん(愛知県新城市長/若者議会を全国に先駆けて設置)
両角達平さん(スウェーデンの若者参加政策・シティズンシップ教育の研究者)
【日時】2018年4月6日(金) 18:30~21:00
【会場】文京シビックセンター
★詳細 http://socialjustice.jp/p/20180406/
*** 今回の2018年2月22日の企画ご案内状はこちら(ご参考)***