報告=ソーシャル・ジャスティス基金(SJF)アドボカシーカフェ第34回
障害者権利条約と差別解消法
みんなちがって、みんないっしょ
2015年2月26日、SJFは第34回アドボカシーカフェを文京シビックセンターにて開催しました。日本が14年1月に批准した障害者権利条約は、国内の実施体制を伴っている点で、他の人権条約にない先例的な意味を持っており、その実態はどうなのか大もとから問い直してみようという、モデレータの寺中誠さんの導入から始まりました。
折しも24日には、(来年4月施行)の基本方針が閣議決定され、ゲストの尾上浩二さん(DPI日本会議副議長/障害者制度改革担当室政策企画調査官)から基本方針のポイントが報告されました。基本方針は、障害者権利条約との関係を明示するよう求めた障害者政策委員会の意見が反映されており、昨年末のパブリックコメントにより、行政機関等と事業者が障害者に提供する「合理的配慮」については、環境整備の状況や障害の状態変化に応じ、特に障害者との関係性が長期にわたる場合等には、適宜、見直しを行うことが重要だとの基本的な考え方が示される等の改善がみられました。
参加者からは、難病の人への支援制度が問われました。制度の谷間で支援を受けられなかった難病の人も、差別解消法では、「障害者」の定義にある「その他の心身の機能の障害がある者」として支援の対象に含まれていると尾上さんは説明されました。さらに同法は「障害がある者にとって日常生活または社会生活を営む上で障壁となるような、社会における事物・制度・観念その他一切のものをいう」「社会的障壁」も障害の定義にふくめた「社会モデル」に基づいているため、障害者手帳の保持は支援の条件でないという趣旨のことが基本方針にも盛り込まれており、手帳のない難病の人も支援対象となると説明されました。差別解消法の対象が、見える障害から見えない障害にまで広がったところに、社会モデルのダイナミズムがあると尾上さんは評しました。
あらためて、「障害」とは何でしょうか。熊谷晋一郎さん(東京大学先端科学技術研究センター特任講師/小児科医)は自らの経験談を交えながら、障害は体の中にあるのではなく、体の外にあり、ひとりひとりの体には単に多様性、個性があるだけだという考え方を示してくれた社会モデルは、当時10代の自分の命を救ってくれたと言えるほど画期的だったと話されました。社会のデザインが平均的な体である健常と呼ばれる体にあわせ多数決的に決められたものであるために少数派とのすれ違いがおきることが「障害」だとの見方を示しました。「社会的障壁」となった制度として、愛知県議会で全盲の傍聴者から白杖が、議会の規定により、投げたら凶器になるという理由で取り上げられた事例が尾上さんから言及されました。もし、みなさんが眼鏡を、投げたら凶器になるとの理由で取り上げられたらどうですかと問いかけられました。眼鏡は普及しているために理解や許容されやすいのであり、多数派にあわせた制度の障壁に会場は気づかされました。
社会モデルは、かつての障害の医学モデルからパラダイムシフトした概念であり、障害者権利条約のエッセンスだと尾上さんは評しました。尾上さんとコメンテータの熊谷さんは、脳性マヒ当事者であり、医学モデルのもとで幼少のころから過酷なリハビリや手術をうけさせられてきたとの話がありました。そういった障害者の体が切り刻まれるような歴史の積み重ねの上に、同条約があると強調されました。このように政府の基本方針で社会モデルが明言されたのは初めてであり、同条約が正面から受け止められていると寺中さんは評しました。参加者からは、障害者だけでなく、子育てや介護について不安定感をもつ人たちが抱える問題について、社会モデルの発想で社会全体が取り組む時代なのではないかと問題提起されました。
基本方針が合理的配慮について改善されたことは大きな前進だと熊谷さんは評し、今後は、障害の渦中にある人が新たな法制度を生活の中で便利なツールとして使ってみることで生きやすくなったという事例が積み重ねられることが、生活実感に即した法として生かされる上で肝心ではないかと課題提起されました。
合理的配慮とは、障害者権利条約の趣旨によると、障害者が障害のない人と同じように現在認められている権利や基本的自由がきちんと保障されて、それを行使するためのものであり、ある特定の場合に必要とされる適切な変更や調整であり、そうした変更や調整にあまりに大きすぎる負担のかからないものであり、実質的な機会の均等、平等を確保するための新たな概念だと尾上さんは表現されました。合理的配慮の不提供は、不作為の差別として、作為的差別とあわせ、差別解消措置の禁止規定として差別解消法にも盛り込まれ、行政機関等には法的義務があり、事業者は努力義務(雇用については法的義務)があると定められています。
尾上さんが普通中学校に入学された時、「特別扱いをしない」と校長先生に告げられたそうですが、当時はなかった同条約の「他の者との平等」を実践できれば、本来は特別扱いではなく「合理的配慮」を提供するよう話し合う余地があったと条約の意義を説明されました。参加者からは、障害者センターの避難設備の設置について意見を求められ、スロープを提言したものの経済的理由により螺旋状すべり台に変更されてしまった事例があげられ、その合理的配慮が問われました。尾上さんは、すべり台では座位保持ができない障害者は安全に避難できず、合理的配慮の提供をし得ないとの考えを示し、差別解消法のキーワードでもある「建設的対話」もないまま避難設備が設置された点も問題であると指摘しました。また、車椅子の入店を拒否した散髪屋が、内閣府のコメントもあり、入店を許可した事例が紹介し、障害者が実際に要求していることを過剰にとらえ拒否してしまうこともあるので、all or nothingの議論ではなく、ひとつひとつ建設的な対話を積み上げていくことが重要だと強調しました。
「平等」とは何か、ひとりひとりの差異と多様性を認めながらも平等を主張する時、何を平等にするのか、どこで平等をはかるのか、と熊谷さんは問いかけられました。東日本大震災の時、健常だろうと障害だろうと皆逃げなければいけない時、勤務先のビル5階にいた熊谷さんが車椅子のまま逃げるための唯一の依存先であるエレベータは自動停止、何とか人に担がれて避難できましたが、ここで車椅子を置き去りにするということは、車椅子がなければ平面をゆっくりと這うことしかできない人にとっては、私が私でなくなるような選択であり、これが障害だと実感したそうです。つまり、健常者は、階段やロープなど逃げるための依存先が多いのに対し、依存先が足りない人が障害者となるのであり、世の中のデザインが多数派の健常者に合わせられている事が原因なのです。
「障害者は依存している」と言われる時、概して、1つの依存先にたいする依存の深さの話をしているのであって、依存先の数の多さを示しているのではないと熊谷さんは指摘しました。依存している人への支援について、依存先の数の多さと依存度の深さとは反比例の関係があり、依存先が多ければ1つの依存先に裏切られても他に依存することができるため依存度は浅くなるのであるから、依存先の数を増やしてあげることが重要だとの考えを示されました。
合理的配慮のエッセンスとして、依存のネットワークの数の多さが平等になるような社会にすることが、差異を認め合った上での平等につながると熊谷さんは提言されました。参加者からは、サラリーマンは依存先が少なく会社に対する依存度が深いともいえ、それゆえの不安定感があり、社会との接点を増やせるような、依存先へのアプローチ方法はどのようなものがあるのか、どうやったらもっと気軽に頼ってみることができるのかと問題提起され、みないつかどこかで必ず依存が必要になるのだから自分事として考えることが大切だと提言されました。
さらに権利条約の意義として、「地域での自立した生活」という新たな概念があります。特定の生活様式を義務付けられない脱施設化や、地域社会へのインクルージョンを支援し孤立や隔離を防止するためのサービスを提供する地域生活支援が19条に規定されています。この条約が示すインクルーシブ社会の実現に向けた差別解消の推進を、差別解消法は目的として、「障害の有無によって分け隔てられることなく、…共生する社会の実現に資すること」と1条に掲げています。「障害者を保護の客体(慈善と治療の対象)から権利の主体へ」というパラダイムシフトを同条約が示していることを尾上さんは示され、「福祉」に限らない人権問題として、社会全体で、差異と多様性を認め合い一緒に参加する社会、インクルーシブ社会実現の重要性が強調されました。
参加者から、条約や差別解消法によってインクルーシブ社会にむけて進展している一方で、進学にあたって、手厚い保護をうけられるという理由で特別支援学校を選択する事例が挙げられ、インクルーシブ教育について保守的な意識があると指摘されました。熊谷さんからは、多様性を生かすという名のもとで、きめ細やかに個別の支援をするという形での囲い込みがあり、これは奇妙な形で人々を分断していく可能性を秘めていることへの注意が喚起されました。
「自立」を達成するために、熊谷さんから2つ条件が提示されました。1つは、先に述べたように依存先が分散したmulti-dependenceな状況となる合理的配慮の提供があることが条件であるとのことです。もう1つの条件を考えるにあたって、熊谷さんは2次障害にある朝突然襲われた経験を話されました。昨日まではあった自分の体に関する予測が覆されると自己決定が不可能となり、何かの行為を選択すると取り返しのつかない結果になるのではないかと予測が失われてしまい、引きこもりになったそうです。このことから、自立には障害の不安定さに対する支援が必要であり、最低これ以上は社会で守られているという期待や予測を底辺で支えてくれるツールとして人権がいかされ、体や社会についてある程度は安定した見通しを持てる事が必要だとの見方を示されました。寺中さんからは、依存先の数や予測の安定性を底面で支える蓋として人権を考えることは、この蓋が外れると他の何かに依存せざるを得ないという問題を考えることでもあり、人権をとりまく様々な問題をつらぬく基調となると補足されました。
これに対し、病状が不安定な難病の当事者はどう自立を確保すればよいのかという問題について、ある難病を持った参加者からは、一日や数日といった短いスパンでは予測できなくても、春夏秋冬といった長いスパンでみると予測できる場合があるとの発言がありました。それを受けて熊谷さんからは、パターンとは、繰り返す経験の中から抽出されるものなので、一生に一度だけしか経験できない苦しみのパターンは、一人きりのズームアウトで抽出するには限界があり、一人きりではなく複数の当事者で語り合うなかでパターンや予測が浮かび上がることがあると発言がありました。
さらに、不安定な身体の時には依存先を分散させることは困難だと参加者から指摘がありました。確かに、依存先の分散は、不確実な世界への探検によって実現するため、不安定さによって探検が困難になると分散が阻まれうると熊谷さんは受け止められ、自立の2条件として挙げた依存先の分散と予測の安定性は鋭く対立しえるとし、冒険して新たな依存先を開拓して分散させることと、慣れ親しんだ依存先により安定性を確保することとを緊迫しながら両立していくなかで自立にたどり着くだろうとの考えを示しました。
障害者権利条約の実施体制として、条約には国内モニタリングが規定され、日本では障害者基本法改正により障害者政策委員会の過半数を当事者やその家族とすること等に反映されており、当事者の意向をふまえた国連への報告が批准2年後になされることへの期待が尾上さんから表明されました。
一方、障害者差別解消法の若干弱い点として、救済の仕組みが尾上さんから挙げられ、相談や紛争防止等のための体制整備や啓発活動を企業や自治体など社会全体で進め、障害者差別解消支援地域協議会と条例とあわせた実効性ある紛争解決の仕組みが整備された体制構築が課題として示されました。
実は、幻の障害者権利条約批准とよばれる騒動が09年にあったのですが、障害当事者から、条約が形骸化しない為にはきちんと国内法体制を整えた上で批准する必要があるとの声が上がり批准は留保され、そして実際に、改正障害者基本法・総合支援法・差別解消法の制定を経て、あらためて今回の批准に至ったという経緯を、意味のある成立プロセスとして尾上さんから報告されました。
Nothing about us without us(私たち抜きで私たちのことを決めないで)という障害当事者の長年の主張が具現されていくことが重要だとの意識が会場で共有されました。
参加者からは、吃音障害について、発達障害者支援法に含まれていることが社会で生かされていず、診察する医師は耳鼻科から精神科にかわっただけで専門医に診てもらえない問題が提示されました。
また、教育現場の視点から、子どもをアスペルガーやADHDと病名で名付けることの問題点が問われました。大人になってからアスペルガーと診断名がついた人は、それにより自分が長年数々の問題をかかえてきた状態に対し1つの理解が得られ、「波止場についた」と感じたという事例が紹介されました。熊谷さんとの対話のなかで、病名を名付けることは理解の始まりでもあり、同時に病名という言葉へと人々を囲い込みうるものでもあるから、「言語化によって、名状しがたい困難を見える化すること」と、「既存の言語によっては表現しきれない経験をすくいあげ、新たな言語を生み出すこと」を循環させ続けることが大事なのではないかとの意識が共有されました。
最後に、言葉のバリアフリーについて熊谷さんから問題提起されました。障害者権利条約が掲げる「建設的対話」を進めるにあたっては言葉が支配するフィールドとなるため、障害者の苦しみやニーズについて対話する人々が共有できる言葉が十分でないと格差が生じてしまうだろうと指摘されました。見えやすい障害のようでも、人知れず、また本人ですら見えていない苦しみやニーズが内在する場合があり、にもかかわらず言葉で対話する為には、言葉すら多数派向けに設計されているなかで、言葉という道具の使い方が問われており、新しい言葉のデザインが必要と提言されました。
言葉は、曖昧模糊とした対象を明確化すると同時に、人を枠にはめ込み縛るというような文節機能を持っていると寺中さんは説明されました。障害について言葉を付与することで逆に牙をむかれる事態として、その問題当事者が増え、隠したい関係者は逆に問題に蓋をし、法律は制度の権威化となるような事態がおこりえるので、人権問題に取り組む時には、言葉の牙が自分に向かないよう、どう言葉化し、対象化していくのかが問われていると課題提起されました。
多様な立場から意見を交わしあうことで新たな視点に気づき、これから私たちはインクルーシブ社会の実現にむけて何ができるのかを深く広く考える機会となりました。
◆次回のアドボカシーカフェ◆
『自然と共生する農業――ネオニコチノイド系農薬から考える』
【日時】4月2日(木)18:30~21:00
【会場】新宿区四谷地域センター
【登壇】岡田幹治さん(ジャーナリスト・元朝日新聞論説委員)
菅野正寿さん(福島県有機農業ネットワーク代表)
黒田かをりさん(CSOネットワーク事務局長・理事)
【詳細】こちらから。
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