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ソーシャル・ジャスティス基金(SJF)アドボカシーカフェ第53回開催報告

 

障害のある子どもの意見表明を支える

施設に外からの風を

 

 2018年5月15日、尾上浩二さん(DPI/障害者インターナショナル日本会議副議長)と、鳥海直美さん(子ども情報研究センター独立アドボカシー研究プロジェクト・コーディネータ)、奥村仁美さん(同プロジェクト・市民アドボケイト)をお迎えしたアドボカシーカフェを、SJFは東京都文京区にて開催しました。

 この市民訪問アドボケイト事業の目的は、施設で暮らす障害児の意見表明権の確保、そして、施設内の虐待防止、子どものエンパワメントを図ることです。

 アドボケイトの活動は、子ども一人ひとりの意思の表し方を理解することから始まりますが、障害のある子どもの思いをどう汲み取るか悩む日々だと奥村仁美さんはお話されました。施設で暮らす障害児ひとり一人の意思表示の仕方を子どもの異なるライフステージへ伝達していく仕組みをつくれないか、鳥海直美さんは問いかけました。

 訪問している福祉型障害児入所施設は、入所者の9割以上が親の虐待等による措置入所であり、思いを表すことを諦めさせられてきた子どもたちが多く、障害児が自分の権利に気づく学びが必要だと、鳥海さんが課題を示しました。また、施設の外で聴くと感じているままに表現する子どもたちが多く、思いを表しやすい環境を用意する必要性も報告されました。

 ただしこの事業は、施設をよくして施設のなかで暮らすためのものではなく、障害のある子どもたちが地域の中で当たりまえの暮らしができることを目指してのアドボカシーであり、みんなで支え合う文化をつくりたいと、この事業代表の堀正嗣さんは強調されました。また、地域での家庭的養護は家族のみが背負うものではなく、社会的な支援を得たなかで家族それぞれが自分の人生を決めて楽しめることが望ましいと尾上浩二さんは話されました。

 優生保護法がまかり通っていた時代に医療モデルの実験台のような障害児施設で小学校高学年を暮らした尾上浩二さんは、当時、自分の思いを聞いて伝えてくれる市民アドボケイトがいたならと語りました。

 アドボケイトが「自己主張してもいいよ、自分の人生、大事なことは自分で決めていいんだよ」と子どもたちをエンパワメントすることは、施設を出てから地域で生活できるようになる土台となると尾上さんは強調しました。意見や思いを表明したら何かが変わった、思いがかなったという経験が大事であり、施設で暮らさざるを得ない子どもたちにそういった経験を提供できるところにも、この訪問アドボカシーの意味があると話されました。

 厚生労働省の「新しい社会的養育ビジョン」のなかで、「訪問アドボカシー支援」を制度化すると明示されたことが堀正嗣さんから報告されました。また、厚労省の「都道府県児童福祉審議会を活用した権利擁護の仕組み」検討委員会を受けて、その中でこのアドボカシーをきちっとした形で制度化して、そして各自治体で実現していくための制度設計をして、提案をしていることも報告されました

 子どもたちに教えられながらの活動であり、子どもの力を信じて、これからも子どもの声を聴いていきたいと、奥村さんは締めくくりました。

 

※コーディネータは、佐々木貴子さん(SJF運営委員)

SJF20180515 Okumura All

――(基調講演)――

【鳥海直美さん】

 独立アドボカシープロジェクト・障害児班のコーディネータを務めております。私どもの活動の経過報告と、課題について整理させていただきたいと思います。みなさんの実践のなかからご助言をいただきたいと今日この場に参りました。

 この独立アドボカシープロジェクトは、障害当事者団体の自立生活センター、児童養護施設で暮らした経験者の当事者団体、保育や社会福祉・教育にかかわる実践者、研究者との合議で構成される25名弱のプロジェクト団体です。大きく3つに班が分かれていて、障害児施設に訪問するチーム、障害者の施設に訪問するチーム、そして児童養護施設のチームとなっており、私が仰せつかっているのは障害児の分野です。

 今日は、障害児の分野に特化して、私どもの関心と活動経過、そして課題について報告をしたいと思います。今日お話する内容は、この4つです。

  1. 施設で暮らす障害児の権利の動向
  2. 障害児施設 市民訪問アドボカシー事業の概要
  3. 施設訪問アドボカシーの実際:施設/地域社会との関係
  4. 施設訪問アドボカシーの実際:子どもとの関係
  5. 活動の課題

 途中、4番のところで、じっさいに毎週、施設を訪問いただいているアドボケイトの奥村仁美さんから子どもの状況について報告いただき、最後にまた私から活動の課題をみなさまにご提示したいと思います。

SJF20180515 Toriumi

一番いい表情をする環境を見極めることこそが「聞く」ということ

 障害者権利条約と障害児の思いを聴くことについて、尾上浩二さんの言葉をお伝えさせてください(「『やまゆり園』再生―入所者の意向 確認を」:神奈川新聞 2017年1月6日)。ここに端的に私どもの施設訪問アドボカシーの本質が語られていますので紹介させていただきます。

 「障害者本人の意見を聞かず、たとえば、家族や専門家が良かれと思ってやってきたことが、結果として障害者を隔離、分離してきた歴史があります。その反省から、第一の当事者である障害者を中心に据えるべきだというのが、日本も批准している障害者権利条約なのです(中略)選択肢を実際に示し、その人がどの環境に身をおいたときに一番いい表情をするかを見極めることこそが、本来の意味で『聞く』ということです。」

 まさに、この言葉に背中を押されるように、施設でくらす障害児のもとを訪問し、どんな生活がしたいのか、少し将来のことを考えるのが難しい状況であれば、今どんなことに困っているのか、どんなことが楽しいのか、何が好きなのか、何が嫌いなのかを含めて子どもの思いを聴きます。そして、「職員さんに対してアドボケイトさんの力を借りて一緒に伝えてほしい」という子どもの言葉に導かれて職員に代弁していく。また代弁していく先は、職員さんだけではなく、自治体なのかもしれませんし、地域社会に向けてなのかもしれません。そのような代弁、申し出をしていこうというのが、私どもの活動です。

 

「新しい社会的養育ビジョン」(厚労省)に「訪問アドボケイト事業」 施設で暮らす障害児の意見表明権を保障

 私どもの活動の根っこにある法的基盤をお話します。

 障害児の意見表明を支える基盤となる権利は、障害者権利条約のなかで謳われている「意見表明権」です。ところが、国連の「子どもの権利委員会」から勧告が再三なされてきました。

 また施設ということに限れば、障害児の暮らしの「脱施設化」が必要であり、とはいえその経過期間である今、施設で暮らしている子どもの権利を眼差してみると、とても劣悪な環境で、権利をモニタリングしていく、評価していく機能も重要であるということも、子どもの権利委員会から突き付けられています。

 もう一つ、障害児の意見表明を支えるための権利として、障害者権利条約があります。尾上さんをはじめ障害当事者の方たちが条約の批准に向けてご尽力されました。

 一方、日本の状況に目を向けますと、2016年に児童福祉法が改正され、その第1条にようやく、「児童の権利に関する条約の精神にのっとり」が付け加えられました。そして、第2条にこれもまたようやく、「子どもの意見を尊重し」というのが盛り込まれました。ところがこれらの理念を具現化する支援策やサービスはいまだ児童福祉法のなかに位置づけられていない状況です。

 2017年の8月、厚生労働省のもとに示された「新しい社会的養育ビジョン」では、施設から地域へ里親委託を増やしていくと示されています。「障害者」ではなく一人の子どもとして向き合っていきますよという宣言が、社会的養育ビジョンの「施設入所障害児は入所形態に拠らずに社会的養護に含める」という一文に盛り込まれていると私は認識しております。

 ここには、入所理由が虐待である割合が増えてきたという動向も反映されています。

 もう一つこのビジョンで注目すべきは、できるだけ早期に「訪問アドボケイト事業」の創設をするというのが謳われていることです。虐待防止のために障害児の暮らしの場に第三者が訪問する仕組みが必要ということも背景にあります。

 

 社会的養護を必要とする障害児の現状について統計的な面からお話します。

 児童養護施設で暮らす子どもの3割弱は障害児であるということが示されています。児童養護施設で暮らす子どもの数は減少傾向にあるものの、障害児の割合は増加傾向にあります。施設で暮らす子どもを取り巻く問題はイコール障害を持つ子どもの問題と言っても過言ではない、そんな時代が来ようとしている時期にあると思います。

 

 障害児入所施設でこんな虐待がありましたという厚生労働省の報告をご参考までに紹介します(「平成26年度被措置児童等虐待届出等制度の実施状況について」)。

・児童が職員とのやりとりの中でパニック状態になり、児童を落ち着かせるために3名の職員で別室に運ぼうとした際に、暴れた児童の髪の毛を引っ張った。

・職員が児童の荷物の片付けをしていた際に、児童が片付けをせずに走り出したため、引き留めて頭を叩いた。

・夕食時に他の児童の食事に手を出して食べるなどの行為があり、自室に誘導したところ、洗面所での水遊びや自室のドアの開け閉めにこだわる行為が続いた。職員がその行為をやめさせようとして、児童の頬を平手で叩いた。

 

訪問アドボケイト事業 子ども一人ひとりの意思表出の仕方を理解するところから

 さて、このような関心のもと、施設訪問アドボケイト事業を立ち上げ、その方法論を確立し、その制度化に向けて社会に提案していくという活動が始まりました。

 事業の目的は、「施設で暮らす障害児の意見表明権の確保」、そして、「施設内の虐待防止、子どものエンパワメントを図る」などです。

 その方法は、イギリスの子どもアドボカシーサービス――これは児童法に位置づけられているものですが――、この仕組みを援用し、独立性のある市民が訪問し、子どもの側に立って子どもの思いを代弁する、その方法や仕組みを開発しようとするものです。

 事業の概観図はこのようになります(※図1)。子ども情報研究センターと障害児施設が契約を結んで、週1回訪問させていただくものです。

※図1.

図1鳥海さん資料

 協力いただいている施設とは、「施設訪問アドボカシー利用契約書」を交わしております。まず実践原則としてイギリスの仕組みにならって5点(独立性,子ども主導,エンパワメント,差別解消,守秘)を挙げています。そしてその施設訪問の具体的活動として、「権利に関する啓発」「傾聴」「意見形成支援」「意見表明支援」、「代弁活動」に取り組み、そしてこの一連の活動や仕組み作りに子ども自身の参加を支援することも含めています。

 もうひとつ、私どもが訪問しているのは障害を持つ子どもです。多くの子どもが、言葉によらない、体や表情や仕草、態度により非常に豊かな思いを私たちに伝えようとしてくれています。契約書の第6条では、「利用者が言葉により指示することが困難な場合」には、私たち「アドボケイトが独自の判断によって利用者の代弁または申し入れを行うことができる」という一文も書き加えてあります。

 個別的な応答関係やさまざまな体験の中で、子どもの思いが表出する場面を丁寧に記述し、蓄積し、子ども一人ひとりの意思表出の仕方を理解し、それを根拠に職員に代弁していく、そんな非指示型のアドボカシーの開発にいまチャレンジしているところです。ここのところは、ピアアドボケイトである障害当事者の方々から助言をいただきながら、子どもの思いを汲み取っているところです。

 

 活動手法の暫定案はこの通りです(※図2)。具体的にはアドボケイトの奥村仁美さんから報告いただけると思います。

※図2.

図2鳥海さん資料

 事業スケジュールはおおよそ、2017年の6月から事前訪問を始め、3カ月間、職員や子どもたちと関係づくりを行い、9月から週1回の訪問活動とスーパービジョンを開始したところです。いまから後半、締めくくりに向けて、子どもの思いをどのように施設職員などに代弁やフィードバックをしていくのかという、非常に重要な局面に差しかかってきたところです。

 訪問施設は、福祉型障害児入所施設で、もともとは視覚障害児の施設でした。いまは知的障害を持つ子どもたちが暮らし、身体障害が重複している子どもも暮らしています。市街地に位置し、比較的、施設のなかでも外出活動に熱心に取り組んでいる施設です。また、視覚障害者が職員として雇用され、とりわけ中高生に対するピアカウンセリングを提供している施設です。また、施設長が地域の自立支援協議会を牽引する役割を果たしていらっしゃった。入所施設だけでなく地域に密着した通所事業を多く展開している法人で、職員さんとも意思疎通がしやすく、子どもの権利にかかわる理念が共有しやすいという経緯もあって、ご協力をお願いすることになりました。  

 にもかかわらず残念ながら訪問先で施設内の虐待がみられました。再発防止計画――確定ではないのですが――のなかに施設訪問アドボカシーをどういうふうに位置づけていくのか。具体的には、子ども一人ひとりの思いを傾聴する場所を確保し、傾聴する時間を私たちにいただきたい。また、個別支援計画と、私たちが聞いた子どもたちの思いをどう連動させていくのか。子どもの権利学習の機会を計画的に施設の年間計画の中で位置付けていく。そして、代弁や申し入れを行う相手である職員との定期的な検討会を位置づけていくことが案として上がっています。

 

 ここで、職員との関係をどのように育んできたのか、そして職員はこの活動をどういうふうに評価しているのかということについて簡単に報告したいと思います。

 2017年の6月以降、毎月のように職員説明会や調査を通して、職員さんと対話する機会を持って参りました。おおむね、私たちの取り組みに好意的なお声をいただいております。

 「施設環境や職員のあり方について、第三者として気づいたことを職員に教えてほしい」というお声もあり、そんな職員さんのニーズもあるのだなと新たに認識したところです。

  研究期間――この(SJFの)助成期間――が終わった後も継続的にアドボケイトさんには来てほしいというお声もあって、その方策について検討しているところです。

 

 地域社会との関係についても、少しずつですが、変容をもたらしてきたように思います。いままで、子どもと施設職員という関係しかなかったのですが、そこに私どものプロジェクトメンバーである自立生活センターの障害当事者と出会い、外出、お買いもの、お菓子パーティーをする。このような、施設版の自立生活プログラムも試みとして始めたところです。

 また、子育て支援を行っているNPOともつながり、不定期に訪問をできないものかという方策も探っているところです。地域の子育てプラザにも子どもたちとお出かけをし、地域の子育て支援機関とつないでいく役割も果たせたのではいかと思います。

 学生も不定期に訪問しているのですが、この6月・7月・8月は少し集中的にアドボケイトさんと訪問することも検討しています。

 こういった施設訪問アドボカシーの実際として、ジグソーパズルを描いてみました(※図3)。

※図3.

図3鳥海さん資料

 私たちはこの図の「市民による独立アドボカシー(アドボケイト)」に位置づけられるのですが、子どもの権利を支える仕組みとして、アドボケイトだけでは難しいというのが率直な思いです。

 制度的なアドボカシーでは、まず施設職員に対して子どもの権利への理解を促していく。また地域の子育てプラザなどの機関ともつなげていく。

 また、ピアアドボカシー(障害当事者)の方に関わっていただくことでエンパワメントを促していく。

 さらに、非制度的アドボカシーとして、学生や近隣の方たちにも、どうしたら継続的に力を貸していただけるのだろうということも考えていきたいと思っています。

 

 では、実際に施設を訪問なさっている奥村仁美さんから子どもとの関係の実際について報告をいただきたいと思います。

 

佐々木)奥村さんのご紹介をさせていただきます。子ども情報研究センター独立アドボカシープロジェクトのメンバーでして、市民アドボケイトとして、この障害児施設に昨年から二人組になってずっと訪問していらっしゃいます。奥村さんお願いいたします。

 

 

 

【奥村仁美さん】

 訪問し出してまだまだ課題ばかりなのですが一緒に聞いていただければと思います。

 SJFに助成いただいている団体である子ども情報研究センターは、子どもの人権に関わるさまざまな事業や研究をしています。子どもの声を聴くことから始まって、子どもの相談を受けたり、子どもの居場所づくり、子どもと一緒にイベントをつくったりしています。子どもの権利に関わるいろんな部会があって、そばで研究を重ねていたりします。障害児部会もありまして、私は子ども情報研究センターのなかで日々、障害児さんと出会ってきていた中でのこのアドボカシー活動でもあります。

 子ども情報研究センターで活動をする中で、「なんて子どもの声は小さいんだろう。相談を受けて聴いたあの子のことはどうなったんだろう」ということがたくさんありました。私は子ども情報研究センターの「子ども家庭相談室」の相談員でもあります。せっかく子どもが声を上げてくれているのに、それを学校に戻したところでなんか消されていく、子どもの思いが解決策に結びつかない。どうしたら子どもの声を大きくしていけるのかな、本当にもどかしい。10年間ぐらいになりますが、ずっとそんな思いでやってきました。

SJF20180515 Okumura

市民アドボケイト養成講座、事前訪問、そして施設訪問へ 「声を上げていいんだよ」

 そんな中で出会ったのが「市民アドボケイト養成講座」。ここに何か秘密があるのではないか。子どもの声を聴いて届けるとはどういうことか、学んでみたいと強く思いました。

 市民アドボケイト養成講座で、今までも意識はしていたのですが、どんな時も子どもの立場に立ち、子どもの思いに関心を寄せながらも自分自身が巻き込まれずに伝えていくという原点に戻ったような気持ちでいます。ともすれば学校の先生などいろんな関係の中で子どもの立場に徹頭徹尾立つことの難しさを感じていたところでもあり、再び学び直したような気がしています。

 

 いよいよ学びが終わって、施設の子どもたちと出会うという事前訪問から始まりました。私は小さい子どもの思いをどうやって届けようかという思いで始めました。障害を持つ子どもたちが生活している場、施設という所に入り込んだのは初めてだったので、子どもの声以前に、発見、学び、多様な空間に自分が初めて入った喜びを強く感じました。

 週1回の事前訪問から、職員への説明会などを重ねて、実際の訪問へと移っていくのですが、子どもたちはすぐ仲良くなってくれるのです。子どもたちの目はとても好意的で、施設の中は何にもないところなのですが、人への関心は忘れていなくて、どの子も寄って来てくれます。

 ですが、「アドボケイトって、みんなのお話を聴く人よ」とか「気持ちを伝えてね」とか伝えても、私たちはいったい何をしに来ている人なのか、なかなか伝わりませんでした。そこで、子どもに自分たちの権利をいろいろ知ってもらおうと子どもワークショップなども企画しました。市街地にある施設だと鳥海先生から説明がありましたが、あべのハルカス――日本一高いビルなんでしょうか――の近くにあります。

 あべのハルカスに一部の子どもと出かけて、ちょっと子どもたちの権利を知る、「みんな権利を持っているんだよ」、「声を上げていいんだよ」という第一歩になればと、施設の外で障害者さんに手伝っていただいてお菓子パーティーを開きました。私たちが会場で待っていると施設から来た子どもたちは、「ここに住んでたん?」とか「エレベータが怖い」とか、お菓子パーティーをするのにコンビニでお菓子をかったのですが「コンビニでお菓子を買ったのは7年ぶりやん」と言う学生さんがいたり、「また来たい、家に帰ると・・・」とか、「施設では・・・」とか、施設の外ならではのことも語ってくれたような気もしました。

 

 このように市民アドボケイトのことを知ってもらって、施設訪問が始まります。先ほど説明があったように一か所の障害児施設と契約をして市民アドボケイトとして週1回、2時間ぐらい出向いています。主に2人、3人で行くこともあります。最初は1人で続けるのがいいんじゃないかとかいろいろな体制を考えたのですが、2人で行っても体がバラバラになるんではないかというぐらい、子どもがあちこちから手をとりに来てくれます。帰り際には子どもたちから「今度いつ来る?」とか、何人かで行っていますので一度しか会ってない人もいるのですが子どもは本当によく覚えていてくれてます。子どもたちとあべのハルカスに行ったので「ハルカスから来たん?」とか、いろんなことを行くたびに言ってくれています。

 

障害のある子どもの思いをどう汲み取るか悩む日々 遊びを通して生活の中での思いに近づく

 子どもたちには「アドボケイトが来ますよ」と施設の掲示板に、アドボケイトについてのポスターを張っています。子どもたちのところにもポスターを持っていくのですが、いつも最後にはバラバラに紙吹雪になったり食べられたりと大変な状況になりますが、あきらめずに何度も持って行って、私たちはこんなことをしに来ているよと伝えています。

 アドボケイトとして訪問してまずは子どもと出会い知り合いたいと思っています。

 日々の訪問だけでも子どもたちとすごす時間はとても楽しいのですが、ワークショップなどをして私たちの役割を知ってもらって「子どもの権利にはこんなことがあるよ」と伝えています。子どもの声が小さい以前の問題ではないかなと感じることがたくさんあります。

 あそびは「遊んでほしい、遊んでほしい」の中で私たちも楽しい時間をすごしているのですが、やはり一つひとつの場面で、言葉に表せない子どもでも、その子の表情などを見ながら何を意見表明しているのかなと、いろんな思いを汲み取ろうと努力はしています。

 お話してくれる子などちょっと近くなれた子については、個別に話を聴けたらいいなと日々思い描いていて、今はだいぶ訪問を重ねてきたので、特別にお話をということは毎回意識しています。とはいえ子どもたちの生活の場で個別に話を聴くことは難しい面があります。大きいプレイルームに37人全員がごろごろしている時があるのです。畳の部屋なのでごろごろするのが目的なのか、おもちゃも何にも無いのです。私たちが持ち込んだものが、おもちゃにもなり、ばらばらにもなり、食べ物にもなりという感じがあります。みんなごろごろなので、何人か車椅子とか動けないお子さんもいるのですが、そこでは車いすから離れてごろんと横たわっている感じです。そんなところに私たちが話しかけに行くと、ちっちゃい元気な子どもたちが飛びついてきて、それはそれで楽しいのですが、そこで話を深めていくのは難しいなとも感じています。いろんな子どもとの関わりを見ながら、どの子とどう出会ってどう話していって何を聴かせてもらえるのかしらと、日々悩みや迷いがあります。

 

 子どもの生活の場としてちょっと気になっていること、排泄のことをお話します。オムツの子もいるのですが、いつもよく動いていて職員さんに「おしっこ」とか伝えているのにオムツを替えてもらっていないよなとか、おしっこに連れて行ってもらっていないよなとか、気になる場面がありました。職員さんに「障害を持つお子さん、みなさんオムツですか」と聞くと、「はい」と当然のような返答でした。でもこの子はアドボケイトと一緒だったらトイレでおしっこできたのです。そんなことを職員さんに伝えたら、「なんで言わへんかったん」とトイレでできた子が叱られてしまったという場面もありました。排泄という基本的なところで、子どもが心地よいようにできたらいいなと思っていて、子どもの声としてどうやったら伝えていけるかなと生活の場で感じることがあります。

 施設で虐待がありましたとの報告が先ほどありましたが、子どもにも聞いてみました。施設で子どもに「困ったことや、心配なことはなかった?」と聞いてみると、「うん、無い」というあっさりした答えでした。最後はなんとなく「お菓子食べたい」といった話で終わりました。

 

 子どもたちが何かを語る、私たちに話してくれるところに行くつくまでの道のりを探しながら、探し過ぎて「これや!」と拾い上げ過ぎても良くないのだろうなと、子どもの本当の思いはどこにあるのだろうなと日々思っています。

 私たちはいったい何ができるんだろう。子どもと一緒にあそんだり、お話をしたり、言葉を話せない子でも近寄ってくれたり、とても楽しい時間なのです。そこからどういうふうに、この子たち、権利をともに知っていって、伝えていけるのかなと考えています。

 工夫しているところは、ときには少人数でゆっくり話せる部屋があったらなと思っています。あそびを通して子どもの思いを汲み取り、何か生活のなかでの思いに近づけたらいいのかなと思っています。

 

 子ども委員さんが何人かいます。やはり子どものことなので私たちが勝手に進めることなく、子どもの意見を聴きながら進めたいと思っていますので、毎回行ったら、子ども委員さんに「今日も来ましたよ。何か変わったことはないですか」とか相談するようにしています。子ども委員もふくめてシステム検討会も行いながら、よりよい体制、子どもたちの思いが言葉にはならないのだけれどもMacなど何かを使って表せる方策は無いのかなと探っているところです。

 

 子どもとともに。私たちはアドボケイトとして、子どもから学ぶことはいっぱいなので、子どもから学んだことを、さあどうしていきましょうか、というところです。しっかり代弁していくためには、子どもは日々いっぱい聞かせてくれているのに、ごめんね、もうちょっと一緒に次は思いを出してね、というところかと思います。

 アドボケイトどうしが振り返ったり、見通しをもったり、スーパーバイザーさんにも支えられています。何より子どもたちに教えられながらの活動だなと感じているので、子どもの力を信じて、課題いっぱいですが、これからも子どもの声を聴いていきたいと思っています。

 

 

活動の課題     

鳥海さん)活動の課題について、みなさんからご助言をいただきたい点をまとめてみました。

施設で暮らす障害児ひとり一人の意思表示の仕方を伝達

 一つ目。言葉によらないコミュニケーションによって汲み取った子どもの思い。奥村さんがいつも「あそんでほしい」という子どもの声を丁寧に受け止めて、同行するアドボケイトさんと一緒にじっくりその声に応えてくださっています。あるいは、言葉ではないけれども「ここにいるのは、いやだ」という声を何度も聴いたように思います。そのような思いを可視化し、一人ひとり異なる子どもの意思表示の仕方を伝達可能なものにしていきたい。そして、もし子どもが「いいよ」と言ってくれるなら、ライフステージの移行時に、その子どもの好きなことや、思いの表現方法を次のライフステージにも届けたい。そんなふうにするにはどうしたらよいのか。

子どもの声から施設の環境改善を社会へ

 二つ目。私たちは施設の環境について多くの制約があることに気付いてしまいました。お手洗いに自由にいくことが難しい状況があります。それから職員が子どもの安全を見守るために鍵を内側からかける部屋があります。もちろん施設の外にも鍵がかかっています。それらの制約について、できれば子どもの声を重ね合わせて施設や社会に届けていきたい。第三者評価機関ではありませんので、子どもの声を起点に職員や社会に伝えていきたい。どうすればよいのか。

障害児が自分の権利に気づく学びを

 三つ目。障害児の権利学習プログラム。いろんな実践がなされていると思います。ぜひアイデアをいただいて今後の私どもの活動に援用させていただきたい。教えてください。

 四点目。子ども委員会の運営支援。子ども委員がいま5名ほど就任して、一緒にこの仕組みを考えようという取り組みを始めたのですが、その柱になってくれるかなという子が措置変更で施設から突然いなくなる。あるいは、高校生になって少しみんなとは距離を置くようになってしまう。施設の中の暮らしよりも、退所後の暮らしに関心が移ってしまう中で、子どもの自主的な組織をどんなふうに運営していけばいいのかという課題にいま直面しています。

施設の外で聴くと感じているままに表現する子どもたち

 そして、外出。施設の中で聴く子どもの声と、施設の外で聴く子どもの声。奥村さんどうでしょうか。施設の外で聞く子どもの声はどんなふうに違いますか?

 

奥村さん)何度か少ないですが外に行ったことがあります。ぜんぜん会話が違います。まず会話ができるということがあります。施設の中では子どもとのあいだで会話が行ったり来たりすることがあまりない。外では、お家のこと、施設のこと、いろいろ出てきます。「もうすぐお家へ帰るんだ」とか、「家よりも施設がまし。あれ、どっちもどっちやな。」とか、感じているままの表現が出てきて施設の中では聞けないことが出てきます。

 

鳥海さん)施設の中で子どもの声を聴くことの難しさを感じています。施設の中では子どもはいろんな子どもとのやりとりに関心を向けざるを得なくなって、自分の思いを語るという状況を創ることは難しいのかなと思います。そんな問題に直面し、施設の外に連れ出して、思いを聴かせてもらいたいということを重ねて提案してきました。

虐待防止のためにも訪問アドボカシーを制度化へ

 虐待防止計画のなかに、施設訪問アドボカシーをどんなふうに位置づけるのか。ピンチはチャンスです。先述の施設内の虐待をきっかけに、自治体による調査や改善策が出されることになるかと思われますが、この活動を制度化する必要があるということを提言していきたいと思います。そのソーシャルアクションへの糸口について何かご助言をいただければありがたいと思います。

 

堀正嗣さん・当プロジェクト座長/熊本学園大学教授)

 私たちのプロジェクトにソーシャル・ジャスティス基金から助成いただき、そしてまた今日もカフェでみなさんと語りあう機会、みなさんのご意見をいただける機会をいただけたこと、ほんとうにうれしく感じます。ありがとうございます。

 子ども情報研究センターはもう40年ぐらい活動しているのですけれども、もともとが被差別部落の子どもたちや、障害のある子どもたちや、外国人の子どもたち、ジェンダーの問題などについて、人権の問題として子どもの問題をとらえて、保育士さんや市民、研究者など、みんなと一緒になってそれを変えていこうとずっと活動してきました。いま、このアドボカシーを広げていく、そして制度化していくというのをミッションと考えて活動しているところです。

 子ども情報研究センターでは、「アドボカシー」というのを2000年頃からずっと言ってきました。障害者運動は1980年代からセルフ・アドボカシーとがんがん言ってきましたけれども、子ども分野でアドボカシーと言っているところは少ないと思います。とくに今回のアドボカシーで学んだのが、イギリスの市民たちの取り組みです。SJF20180515 Hori others

弱視の障害 いじめに耐えるしかない子ども時代 聴いてくれる大人がいたなら

 私自身が弱視の障害をもって子ども時代を送ってきました。いじめを受けたり、とてもつらい経験をしました。そういう時、親は話せず、先生では信頼できないし、だれも話を聴いてもらう人や相談できる人がいなくて、ただ逃げるか、我慢するか、耐えるしかなかったのです。そんなときに、それにちゃんと寄り添って聴いてくれるおとながいたらどんなによいかと思ってきたのですけれども、イギリスでは、しっかりとそういう活動が施設の子どもたちだけでなく、中学校などの子どもたちも含めて、とくに重度の言葉のない子どもたちにもしっかり寄り添ってなされているのですね。これは素晴らしい、なんとかこれを日本の私たちの活動としてできないかと思ってやってきました。

 

障害のある子どもたちが地域の中で当たりまえの暮らしができることを目指してのアドボカシー みんなで支え合う文化をつくる

 そうやって大阪で障害当事者の方と一緒にこの活動をしていくなかで、一つ大事だなと思ったことは、

 「施設に入ることじたいが虐待や」

 と言われたことです。その通りではないかなと思います。

 施設というものを本当は無くしていかなければいけない。地域の中で子どもたちが親と一緒に暮らせる。あるいは親に替わる人と一緒に家庭的な生活ができる。そこに本当は向かっていかなければいけない。おとなになったら自立して地域で生活できる、そこに持っていかなければいけないのだと思います。施設をよくして施設のなかで暮らすということではなくて、障害のある子どもたちが地域の中で当たりまえの暮らしができる、そういうことを目指してのアドボカシーでなければいけないと思っています。

 「アドボカシーは、ライフスタイル」だと言われます。べつに専門的な人がするとか、運動家がするとかいうことだけではなく、社会の中でお互いがお互いの気持ちやつらいことを傾聴しあって、必要があるときには一緒に声を上げたり社会に働きかけたりして、みんなで支え合っていく文化なんだと考えます。市民社会の中に、私たちはそういう文化をつくりたいと思いますし、とくに施設にいる子どもたちには特別にアドボカシーが必要だと思います。

 これは国のほうでしっかりと制度化してもらはないといけないと思っています。国に対する働きかけもしてきています。厚労省の「新しい社会的養育ビジョン」に「訪問アドボカシー」、この事業のことが盛り込まれました。この「研究と実践と運動」――と私たちは言ってやっているのですが――にみなさんもぜひご参加いただいて、一緒に社会を変えていく活動ということでつながっていただければと思います。

 

 

佐々木)ありがとうございました。

 長年にわたって、障害者運動の先頭に立って政府に政策提案ですとか、法の制定に向けてご活躍をしていらっしゃる尾上浩二さんから、お二人の、そして堀さんからの補足をうかがった後のコメントをいただければと思います。

 

 

 

――尾上浩二さんのコメント――

 DPI(障害者インターナショナル)の副議長をしております。

 私は脳性まひという障害をもって生れてきましたので、子どものころから障害がありました。小学校は養護学校、今で言う特別支援学校で過ごした後、小学校5年生から肢体不自由児施設という障害児施設にいたことがありました。今日お二人の話を聞いて、「子どものころに、こういう訪問アドボカシーがあればな」と思い返していました。

 私が入所したころは1970年・71年ぐらいなので、もう47年・48年ぐらい前ですから、もちろん今では施設の状況も変わっている部分はあると思いますが、基本的な問題構造は変わっていない部分があるなと、話を聞いて端々で思いました。

SJF20180515 Onoue

優生保護法が施行されていた時代 医学の実験台のような施設で暮らす 「こうしたい」と決めて過ごせる時間の乏しさ

 優生保護法の被害がいま連日報道されていますね。1970・71年当時は、まさに優生保護法がそのまま施行されていた時代です。生理が始まれば「そろそろ不妊手術を」という話がまことしやかにされていた時代です。私自身も手術をすればするほど歩けなくなっていく。医学の実験台だったと思うのです。

 障害者権利条約では「医学モデルから社会モデルへ」という言い方がありますけれども、なぜ「社会モデル」かというのは、理屈っぽい話ではなくて、医学モデルでたくさんの障害者が被害を受けてきたからなのです。

 

 私のいた施設の一日の生活がだいたいどういうふうになっていたかと申しますと、集団生活ですからだいたい決まっているのです。朝の6時に起床、着替え。7時から朝食。トイレの時間もだいたい決まっています。私のいた施設は1階が寄宿舎で、2階が養護学校。プライバシーも何も無かったですけれども。チーンとエレベーターを上下すれば登下校は終わり。8時半から施設内学級が始まるので、それまでにトイレを済ませなさいと。

 授業を受けて、12時から昼ごはんで一階に下ります。また1時から施設内学級という日もあれば、午後はもう授業が無くて入浴が昼の1時から3時くらいにある日もあります。みなさんやっぱり、お風呂は寝る前ぐらいに入りたいですよね。でも施設ではその時間にはなかなか入れないんですよね。

 夕食は4時半から。早いですよね。施設の職員がこの時代ですと5時ぐらいには終わらなければいけない。だから5時ぐらいまでには夕食を終わらせなければいけない。トイレの時間が夕食の後にまたあります。消灯は20時でした。

 ポジショニングという訓練が私には18時半から毎日ありました。板をベッドに敷きましてね、毛布を敷いて、うつ伏せになって、脳性まひなので腰が伸びきらないないので、それを伸ばすために、きゅーっと体を板に縛って翌朝まで11時間半、板に固定された状態で寝かされるのです。朝起きたら下半身の血が止まって、どす黒くなって痛みもすごいのですが、それだけでなくトイレもできないです。そういう過ごし方でした。

 私にとって自由な時間というのは、夕食の後、17時ぐらいからトイレを済ませて18時半までの1時間半ぐらいなのです。

 「自分でこうしたい」というふうに何か決めて過ごすという時間がほとんどない。これは、私のいた施設がひどいというのではなく、その時代の施設では当たり前だったなと思います。

 

社会と隔絶された環境で疑似体験をした「買い物」

 自分で何かを決めて過ごすという時間が無い中で、記憶に残っているのが「買い物」という月曜日の15時からの時間でした。どこか近くのコンビニでも連れて行ってもらえたのかなと思うかもしれませんが、そうではありません。大阪市街地にあった施設で、府庁のすぐ近くにあって、すぐ近くに市場もありましたし、いくらでも出かる所はあるんですけれども、外に連れていく介護体制が無いということなのでしょう。「買い物」は結局、施設の職員がどこかで買ってきた物をプレイルームでワゴンに並べ、中等部のお兄ちゃん・お姉ちゃんが店番をやって、私はその日の昼間にもらった100円を持って、プレイルームから仮面ライダースナックを買うとか、それが唯一の楽しみでした。

 なぜそういうのがあったのか。私が施設にいた時代ですと、だいたい5歳・6歳から施設に入って、児童施設は18歳までなのですが、じつは18で終わりではなく、18歳・19歳は「過齢児」として施設にいて、20歳になると大人の施設に行くというのが多くあったパターンです。5歳・6歳から施設に入っていると、お金を使うということが本当に無いから、お金を使うということを忘れるといけないということで「買い物」の日があったわけです。 

 それだけ社会のいろんな環境と隔絶されていた。いろんな経験をしようと思っても、できなかった。それを象徴しているのが「買い物」の日だったなと思います。

 

友達とレコードを買いに行って感じた初めての解放感 自分の思いを表すと実現した経験を子どもに 訪問アドボカシーの意味

 私は中学校から地域の学校に行きました。私のいた施設にはいろいろな問題がありましたけれども、一部のスタッフには「できるだけ在宅に戻したい、できるだけ地域に戻したい」と思って指導してくれた人がいました。それで、中学校から地域の学校に行くことになって、施設を出ることになりました。

 私は音楽が子どものころから大好きで、友達とよくレコードの貸し借りをしていました。洋楽、ロックの――ロックは不良の聴く音楽と言われていた時代で――貸し借りをしていました。私の親は共働きにもかかわらず、レコード売り場によく付いてきてくれたと思うのですが、親とはジェネレーションギャップがあるから私の買うレコードなんかに関心がなく、10分ぐらいすると「まだか、浩二」、15分ぐらいすると「そろそろやで、浩二」、20分ぐらいすると「早よしーや」――大阪弁で「早よしーや」は「直ちに終われ」ということ――と言われて、「もっと見ておきたいのにな」といった具合でした。

 中学校2年のある日、とてもマニアックなレコードを買っていた友達がいました。今だと世界同時配信なんて当たりまえなんですが、当時はイギリスで発売された半年後に日本で出るみたいな時代で、まだ日本で売っていないレコードを持っている友達でした。

 その友達が、大阪の難波、心斎橋に行こうと誘ってきました。難波は東京で言えば渋谷、若者の街。私の住んでいた所からは電車に乗らないといけない場所。ところが私は、それまでは親と一緒にしか電車に乗ったことがなかった。今みたいにエレベーターはないですし、ホームと電車の間の隙間に松葉づえがはまる危険性もあって、親と一緒にしか交通機関を使ったことがなかった。中学校2年ぐらいになると、親と一緒に行ったら「おかあちゃんと来たな」といじられるかなと思うじゃないですか。「どうしようかな。別の用事があるからと、ええ格好して断ろうかな」とも思いました。でも「やっぱり行きたいな」と。「彼らだったら、自分がひっくり返っても何とかしてくれるんじゃないか」と思って、一緒に行きました。

 それが、やみつきになりました。お店の階段で苦労して、階段が狭くて友達に背負ってもらったりしましたが、あっという間に1時間・2時間が経つのです。「おお、君それ買うんなら、これ今度、貸し借りしような」とか言っているうちに。

 同じ年代の、しかも同じ趣味を持つ友達と出歩くことは、これだけの解放感があるのか。やはりプレイルームとは、じっさいのワクワク感がぜんぜん違いました。

 施設はどうしても集団生活ですから、「自分はこうしたい」と言うことは、人出が足りない中ではどうしても「わがまま」と見られがち。

 「自分はこうしたい」と言ってもいい。あるいは、「自分はこうしたい」と言えば、かなえられるという体験がとても大事だな。そこに訪問型アドボカシーの意味があるのではないかな。あるいは、先ほどの鳥海さんが示したピース(※図3)が埋まっていくという意味があるのかなと思いました。

 

障害者権利条約に基づく子どもアドボカシー

 障害者権利条約で、子どもアドボカシーに関連する条文についてお話します。子どもの権利に全ての条文が関わると言ってもいいですけれども、とくに強く関連する条文を抜き出します。

 第7条「障害のある児童」の3、「締約国は、障害のある児童が、自己に影響を及ぼす全ての事項について自由に自己の意見を表明する権利並びにこの権利を実現するための障害及び年齢に適した支援を提供される権利を有することを確保する」。つまり、意見表明を実現していくために、意思を形成したり、いろんなことを体験していく、そのために支援を受ける権利があるのだと。

 さらに第23条「家庭及び家族の尊重」。ここが、優生保護法の問題とも大きく関連する部分であり、大人の場合ですと生殖の権利ということになります。

 障害のある子どもに関する条文としては、同条の3、「締約国は、障害のある児童が家庭生活について平等の権利を有することを確保する。締約国は、この権利を実現し、並びに障害のある児童の隠匿、遺棄、放置及び隔離を防止するため、障害のある児童及びその家族に対し、包括的な情報、サービス及び支援を早期に提供することを約束する」。

 同条の4、「締約国は、児童がその父母の意思に反してその父母から分離されないことを確保する」。

 そして同条の5、「締約国は、近親の家族が障害のある児童を監護することができない場合には、一層広い範囲の家族の中で代替的な監護を提供し、及びこれが不可能なときは、地域社会の中で家庭的な環境により代替的な監護を提供するようあらゆる努力を払う」。これが、先ほどの鳥海先生の話にあった「社会的養護」の児童福祉法改正の趣旨とも関係してきます。

 

「自己主張してもいいよ、自分の人生、大事なことは自分で決めていいんだよ」

障害のある人が小さいころからが家庭的な環境で暮らせるよう支援する訪問アドボカシーは、施設を出て地域で生活できる土台に

 日本では障害児だけでなくて社会的養護を必要とする全ての子どもについて、入所施設中心なのです。家庭的養護の状況にある子どもさんは12%(2014年 厚生労働省「社会的養護の現状について」=12%は2011年3末の里親等委託率)。オーストラリアですと93.5%(同上)。日本はなかなか里親制度等が広がらないという話をしていると「儒教の国で家族制度があるから」とよく言われたのですが、やはり儒教の国である韓国では43.6%(同上)で、けっして文化的なものだけではないな、社会的・政策的につくられているものがあるなという状況です。

 「施設中心から家庭的養護へ」という流れに全体的になっているのですが、障害のある子どもの家庭的養護への移行が政府によって十分にはやられていない。だからこそ訪問アドボカシーが必要で、障害のある子どもが家庭的な環境で暮らせる支援を国でも自治体でもしっかりやるべきだと思います。

 さらに、そういった支援が子どもの時から得られることが大切です。子どもの時から、いろんな体験ができて、「自己主張してもいいよ、自分の人生、大事なことは自分で決めていいんだよ」という支援がとても大事だと思います。そのことが家庭的な環境で自立的に暮らす基礎となるわけです。そういった支援をしているのが訪問アドボカシーです。障害のないお子さんの場合ですと社会的養護下の場合でも、18歳を過ぎてもずっとそのまま施設にいるということは無いわけです――放り出されるような状態で社会に出て支援が得られないことがあるのかもしれませんが――。でも障害児の場合には、18歳で施設から出たら、18を過ぎて終わりとは限りません。小さいころから家庭的環境で自立的に暮らす基礎となる支援がなければ、18歳・19歳と過齢児として施設にいて、さらに大人の施設へ入所となりかねない。子どものころの社会的養護の時代の過ごし方が、その後の人生で40歳・50歳になっても「自分はずっと施設にいるために生まれてきたのか」という入口になってしまいかねない。

 そういう点からも、本当に「社会的養護から家庭的養護へ」と言うならば、障害のある子だからこそ「家庭的養護へ」という仕組みを日本は作らなければいけない。そのためにも訪問型アドボカシーが必要だということを強調したいと思います。

 

 

 

――パネル対話――

佐々木)ありがとうございました。会場からご質問を少し伺いたいと思います。

 

参加者)子どもの声を吸い上げるときに、勝手に吸い上げていないか、もうちょっと詳しくお聞きできれば。

 

奥村さん)ご質問ありがとうございます。子どもも年齢が低かったり、障害を持っていてあまり言葉を発せられなかったりする子どもが周りにたくさんいるのですね。そういう子たちの声を、声は無くても受け止めて届けたいという思いはいっぱい持っているのです。その思いがあるあまりに、ちょっと何か話してくれたかな、何かいま聞えたかなとか、ちょっと今日は表情が暗かったかなといったことを、自分なりに結び付けてしまって、この子はこんなことを言ってくれているんだとしてしまうことを、私は「拾い上げ過ぎているのではないかな」と心配しています。それは本当にその子の思いなのかな、それは私が聞かせてほしいことなのではないかなと、いつも振り返っています。

 

きょうだいとの関わり

参加者)弟に障害があり、私は姉の立場にある姉弟なのです。弟は施設には入っていないのですが、言えない思いがあるのだろうなと想像しながら今日のお話を聞きました。私自身も親にも誰にも言えない、姉弟ならではの思いがあります。

 質問として、施設にいる子たちにも兄弟がいると思うのですが、兄弟に対してどう思っているのか。もし率直な声があったらお聞きしたいです。

 

 もう一点は願いとして、障害のある子どもの側に立って傾聴されることはとても良いことだと思うのですが、兄弟に対する悪口もあると思います。障害のある人とその兄弟が敵対してしまう場面を、弁護士として相続問題などで日常的に見ているので、そういったことは防ぎたいと思っています。兄弟の立場で「障害のある人のせいで自分は不幸になった」ということを言う人もいて、そういったことを防ぐために、私は姉弟の立場から主張していきたいと思うのですが、そういった点も上手くやっていければいいなと思いました。

 

継続的な関わりを

参加者)私は知的障害と身体障害を併せ持っています。こういった人たちにとっては、アドボケイトさんは大きな存在になると思います。ぜひ、継続的な関わりを持っていただければなという思いがあります。

 もし、アドボケイトと出会うと、施設にいらっしゃる方々にとっては、ほかの人とも関わりが少ないので、そうした体験がとても大きくなってしまうと思います。うまいこと離れるとか、出会うということをしないと、どうしても、人と知り合っても「またいなくなってしまうんじゃないか」とか、「いつまでこの人は私のそばにいてくれるんだろうか」と思ってしまうのではないか。人との出会いが少ないからこそ、そんなふうに思ってしまうので、継続できるか・できないかに関わらず、その出会いと別れという部分はちゃんと考えてほしい。

 もう一つ。施設にいらっしゃる方は、何をするにも選択肢が少ないと思うのです。たとえば、先ほどコンビニの話が出ましたが、いつもそのコンビニしかいけないとしたら、その人にとってはコンビニはその一つです。このように全てにおいて選択肢が少ないのが、社会から隔離されている施設にいる子どもたちの置かれている環境なので、アドボケイトさんには、選択肢を広げていく活動もしてもらえればと思います。

 

鳥海さん)貴重なご質問とご提案をありがとうございました。

 まず一つめに、兄弟に対する思い、どんな声を聴いているか。奥村さん、何か思い当たるエピソードはありますか。

 

奥村さん)出会った子どものことしか頭になかったので、その兄弟という視点をこれからは意識していきたいと思います。 

 子どもたちの中から話が出てくることはあります。施設にいるまだ小学生ですけど兄弟さんがいて、その兄弟は家庭にいるんだなというような子もいます。私たちは子どもとちょっとした対話のために折り紙を折って持って行くことがありますが、「これはお姉ちゃんにあげるんや」と遊ばずに隠し持ったりする子もいます。兄弟で入所している子も意外と多くいて、兄弟の片方がいなくなって、お家に帰ったのかなといった場合には、一人残された子は荒れるので精神状態は穏やかではないなと思います。

 兄弟はほんとうに複雑で大変だと思います。育てている保護者の方も、二人をどうまとめていくのかな、親の支援とあわせて小さいころから何が必要なのかなと思いながら聴かせていただきました。ありがとうございます。

 

社会的な支援を得た家庭的養護のなかで家族それぞれが自分の人生を決めて楽しんで

尾上さん)兄弟の関係でいうと、一つ思い出しました。私はわずか2年の施設入所でした。それくらい短期間でも、家に戻った後、「どこどこに野球を見に行った時おもしろかったよね」といった家族の思い出話についていけない時があるのです。あれ?、僕はそれ行っていないぞと思ったら、自分はその時ちょうど施設にいたのです。兄弟で何かをしたり、何かを楽しんだりという機会が施設にいた時代には奪われていたなと思います。ですから、そういった機会をどうやったら作っていけるかが大事かと思います。

 もう一点。「施設から家庭的養護へ」というとき、「家庭的養護」というのは、私的な関係に戻すというより、あくまで社会的な支援のある形で家庭的養護に戻すという意味だと思います。家庭的養護だからといって、親きょうだいだけで何とかしなさい、という世界に戻すという意味ではない。社会的な支援を得た家庭的養護という中で、障害のある子も、そして障害のある子の兄弟も、それぞれが自分の人生を決めていける、そして人生を楽しんでいける、そういう姿が必要なのではないかなと思いました。

 

鳥海さん)訪問している施設は35人ぐらいの子どもがいるのですが、9割を超えて「虐待」が理由で入所しています。ですので、奥村さんが報告してくれたように兄弟で入所しているケースが散見されます。

 きょうだいの敵対関係をどんなふうに私たちが配慮できるかはとても難しいことだと思いますので、このプロジェクトに、きょうだいの当事者という立場から、きょうだいと遊ぶ権利、きょうだいとともに暮らす権利を守るというところで、ぜひお力添えをいただければ有り難いなと思いました。

 

 「また、この人たちもいなくなってしまうのではないか」という子どもの懸念をご指摘いただきましたが、本当にそうだなと思いました。障害児施設の職員さんの交替も非常に頻繁にありまして、私たちのほうが長いのではという職員さんも既にいらっしゃいます。助成期間が終わった後もどんなふうな関わりができるかなと私たちも今いくつかの選択肢は考えているところですので、いま聴かせていただいた声、大事に温めていきたいと思います。ありがとうございました。

 

 

 

――グループ対話・発表とゲストのコメント―― 

~グループ対話を行い、それを会場全体で共有するために発表しあい、ゲストにコメントいただきました~

 

(参加者)「子どもの最善の福祉ってなんだろう。家庭的養護や施設養護などが言われますが、ふつうの家庭でも、親の意向や社会への適応が優先されて、子どもの福祉が2番手に回ることはあるので、ふつうの家庭だからいいのかどうかという課題も出ました。

 子どもアドボケイト、聞くだけというのはずるいよねという話も出ました。アメリカの事例で、思っていることを言ったら願いがかなうプロジェクトの例が紹介されました。自分が言ったことが実現されるという保障があることで、意見をより表明しやすくなるのではないかいう話もありました。

 外に出すといったときに、いま世の中で果たして安心できる場所が外にあるのか、どういう場所がいいのかという指摘もありました。とはいえ安全だけが確保された場所はけっきょく特別な場所になってしまうので、出かけて行って、そこで失敗したり危険な目にあったりして学ぶこともあるので、そういうことができる場所や人とのつながりをどうやって作っていけばいいのかなといったことを話しました」

 

「行政の職員がどこまでこういった問題を認識しているのだろうか。

 施設から在宅と言っているが、十分でない現実もある。また、本人に良かれと思って施設に入れているケースもあるが、当事者からは自分でセルフプログラムを立てたいという要望もあるという話もありました。

 海外の事情はどうなのかという疑問も出ました。

 議員は行政に要望をさせていただきますし、みなさんから要望を聴く機会もあるのですが、制度としてそういった方針を出すには財源を伴う話で、そこを変えていくのは非常な難しさがある。そういった中で、国としての方針をしっかりと示していかないと、みなさんのサービスにもつながっていかないのではないかと感じております。いま国で少しずつ変わっているところもご紹介いただきましたが、議連などの形でもっと押し進めればいいのかなと思っているところです。」

 

「シンプルにこういう場があって、知ることができたことが大きな成果ですし、みなさんとこういたことを共有できる場があることは大事だという声がありました。いろんな問題があるなかで、自分はどの部分にどう関わっていくかが悩みだなと、私自身毎日思っているところです。まず、こういう知る場をいろんな形で発信していく。そしてこういった形で、新しい場が広がるということが大事だと思います。

 脱施設化は本当に進めていくべきことなのですが、そこに国などがお金を掛けていかないと回らないのではないかという指摘がありました。けっきょく施設より地域のほうが、効率的、お金も絶対にかからないということがどこでも言われていることなのに、施設が必要悪のような形で残っている今の社会状況から、しっかりとこういったことから声を上げていくことが重要ではないかと思いました。

 まず地域のなかで、一緒に育っていることが大切ですし、他のグループからも出ましたが、安心して出かけられる場所を作っていくことが大事だという意見が出ました。

 いろんな意識改革は進んでいると言える一方で、学習指導要領のなかに『障害の克服』という言葉がまだ書いてあることに違和感があるというお話もありました。

 また、学生に教えている中で、社会モデルへの認識が、こういった問題に関心のある学生ですらまだまだ希薄で努力する余地があるという話もありました。

 介助者は友達ではないという意見も出ました。介助者とは別に友達を持っているということも1つの視点ではないかなと思います。

 ひとりで抱え込まない。介助者の人も、障害者の人も、障害者のいる家族も。そのためには斜めの人間関係を築いていくことが大事だと思います。」

 

「障害のある人と兄弟のことが話されました。障害がある人は、自分の兄弟の将来のことなどを考える面もあり、自分のことは自分でどうにかなると思っていて、一人暮らしなど障害を持つ立場で自立を考える人もいる。親は、障害を持つ人の兄弟に対して、障害を持つ人を助けてあげてほしいとの気持ちがあり、兄弟は我慢することが多く、兄弟の仲が悪くなりがちだでした。兄弟に自分の子どもや新たな家族ができると、障害を持つ人自身が一人暮らしを始めようとする気持ちが強まりました。しかし、親は障害のある子どもに関わることが多いから、親と障害のある子どもはお互い依存しがちで、障害のある子どもが一人暮らしを始めようとする時に親が止めさせようと介入することが多かったです。障害のある子どももいつまでも赤ちゃんなのではなく大人なのだと親に思ってもらう必要があると思います。親も子どももそれぞれの人生を楽しむとよいという話が出ました。」

 

「障害当事者で障害者の支援を提供なさっている方が私たちのグループにいて、そのお話を紹介します。

 小学校のころは、わがままと思われるのではないかと、自分の意見を言うことはできなかった。中学の頃は、いじめをずっと受けていて、中学の頃、学校に行きたくない時期があったのだけれども、不登校にならなかった。それは、不登校になってはいけないと思っていたからだそうです。高校は特別支援校に行くことを、ご自分で選んだ。それは、中学では相談できる方がいて、いじめが一時的に止んだこともあったが、義務教育ではない普通高校に行ってまた嫌な思いをするよりは、と選んだことだそうです。でも、タイムカプセルがあったならば中学に戻って、自分に『学校に行かなくていいんだ』と言ってやりたいそうです。

 こういったお話を聞いて、子どもの意見表明をすくい上げていく難しさを感じました。子ども自身にとっても自分の意見がぼやっとしていて、一生懸命すくい上げていくと意見がようやく出てくる。自由に意見を言っていいんだという環境を作ってあげることが大事だなと思いました。年配の保育士の方の中には、上から目線で威圧的に子どもに接してしまう方がいるそうです。

 発達障害で友達にすぐ手を出してしまう子どもがいます。4月に授業参観に行った時に、担任の先生がこういう話をしました。よくありがちなのが、発達障害をもっている子どもを『君が悪いんだからね』とか『これはダメだよ』と責める子どもがいて、発達障害をもつ子どもはどうしようもなくなって手を出してしまうことです。これについて、その先生は、その攻める子どもに『それはそうかもしれないけれど、あなたの考え方に上から目線のところがない?』と言って、ぱっと4月早々に子どもたちをそういう方向に持って行った――先生は『芽をつぶした』と表現――。そうするとクラスが、『こうあるべきだ』とか『これを責めるのは正義のはずだ』というのが無くなっていく。

 健常とかそういうことは関係なくて、子どもが安心して意見を表明できる環境をつくってあげるのはとても大事だと、みなさんとお話をして感じました。」

 

「子どもの存在、とくに生まれてから数年、人間の土台となる大事な時期にある子どもを、社会全体で大事にしなければならないという共通認識が社会の中から無くなっているのではないか。そのことがその後の子どもの育ちの全ての問題につながっていると思うという話が出ました。何をするにも問題にぶち当たってしまって、何をするにも難しいことになってしまっているけれども、やってみることで見えてくることはあるし、やってみないことには始まらないから、問題はたくさんあるのだけれども、やっていきましょうね、というところでまとまりました。」 

 

佐々木) ありがとうございました。

 一緒に暮していれば見えるところ、気づくところがたくさんあるのではないかと思うのですけれども、社会が分断されて、社会のあり方、制度のあり方によって、子どもたちが、そして親たちが追い詰められているのではないか。どういう場所であれば安心できるのかという話は、このこととつながっていくと感じました。

 お子さん自身も、障害のある方たちも、自分で自立して地域で生活していくと思っていらっしゃるのだけれども、その思いを伝えるすべ、その思いを聴いてもらえる機会が本当に少ない。そこのところに奥村さん、鳥海先生や堀先生が取り組んでおられるのだと思います。

 自分の言葉が実現するんだという体験をやっているアメリカの事例も出してくださいました。

 この会場には、お子さんに関わっている方が多いかと思いますが、この場で初めてこういう問題をフラットに話せてよかったというご意見もくださいました。

 会場にいらっしゃる齋藤明子さんにぜひ一言いただければと思います。

 

 

齋藤明子さん・コミュニティサポート研究所事務局長)

 「アドボケーター」というと、自分の話を聞いてもらえる人と思っている方が多いかと思いますが、じつは精神科病院がアドボケ-ター制度を導入すると言いだしていて、そのアドボケーター制度は、患者さんの権利を擁護するのではなく、病院の言うことを患者さんがすんなり聞くようにする制度なので、「アドボケーター」という言葉を聞いた時にはぜひ誰のための制度かよく点検していただきたい。

 

 「お子さんの代弁」という言葉が先ほど出てきましたが、どんなに小さくても、普段は話さなくても、子どもは意外に自分の意思を持っているものです。それを聴くという構えが大人の側にあるかということを問い直して欲しい。アメリカではどんなに子どもが小さくても洋服を買う時に「どっちの服がいい?」と聞く親が日本よりずっと多いとのことです。大人が代弁してしまう前に、まず子どもが自分で言うことを促すような働きかけをして欲しいと思います。これは相手の尊重、相手の意見の尊重に根差しているのだと思います。子どもからなかなか芳しい反応がなくても、次の機会にはまた聴くというふうに、聴く側は努力を続けていく。自分が言うことに相手が耳を傾けてくれるという経験が子どものエンパワメントにつながります。

 話を聴く場所を探すという話もありましたが、これも大人の側が子どもの反応から良さそうな場所を用意するのでなく、「話を聴く場所はどこがいい? アイスクリーム屋さんがいい? 自分の家がいい? ソファーのある所がいい?」と本人の気持ちを聞いて、サービスの支給を決定する重要な会議を開く場所を決める制度が米国カリフォルニア州にあります。

 

 「施設で暮らす」という問題もあらためて考えてみていただきたい。このテーブルにはたまたま「地域で暮らす」ことを支援していらっしゃる方々がそろったので、地域にもいろんなサービスがあるんだよ、ということを知っていただければいいなと思います。

 施設というと、いつも団体行動になってしまうので準備その他が大変になるのですが、施設入所者でも個人行動ができるようにしてよいと思います。今は「ガイドヘルプ」という制度があり、それは障害児・者でも一人で自分の行きたい所に行く、それをヘルパーがお手伝いする制度です。知的障害向けのガイドヘルプのテキストをコミュニティサポート研究所で出していますので、ぜひよろしくお願いします。

 

佐々木)このアドボケイトという仕組みをつくって継続していくには、国の政策にきちんと位置付けて財政的な支援が必要だというお声がいくつか出ました。このプロジェクトがきちんと形をなして、日本全国津々浦々、子どもの声を聴くような大人が地域にいるということを望んでいるのですが、そういったあたりはいかがでしょう。

 

堀正嗣さん)ありがとうございます。まさに制度が一番大事だと私どももやってきております。

 昨年度(2017年度)、厚生労働省の公募の調査研究事業で、「都道府県児童福祉審議会を活用した権利擁護の仕組み」検討委員会というのを私どもが受けまして、その中でこのアドボカシーをきちっとした形で制度化して、そして各自治体で実現していくための制度設計をして、提案をしています。これは、私ども子ども情報研究センターのホームージで公開しております(http://www.kojoken.jp/research/)ので、ぜひご覧いただけるとありがたいなと思います。

 提案内容は、基本的には、各都道府県や政令指定都市に設置する公的な第三者機関――子どもコミッショナーや子どもオンブズマンに該当するもの――をしっかりつくっていく。そのこととあわせて、子どもの権利擁護にとって必要な、権利代弁機能を担う民間の活動団体として「子どもアドボカシーセンター」というのを制度化して、これは子ども家庭支援センターの一部を子どもアドボカシーセンターとして指定をする。そして財源は、児童虐待関係の財源からきちっと確保する仕組みを私ども提案しております。

 厚労省の「新しい社会的養育ビジョン」のなかで、「訪問アドボカシー支援」を制度化すると、明確にこの点も含めて書いていただいて方針になっていますので、厚労省にこれからどれだけ扱っていただけるかわかりませんが、厚労省にも働きかけてこれを実現したいなと思っています。みなさんにもご協力をいただきたいと思います。

 

 『子どもアドボカシー実践講座』と『独立子どもアドボカシーサービスの構築に向けて』という2冊の本を私どもで出していますので、ぜひ読んでいただいて、この活動につながっていただきたい、応援団になっていただきたいなと思います。今日はありがとうございました。

 

 

●次回アドボカシーカフェのご案内

境界に生きるロヒンギャ――差別されるいのち

【ゲスト】根本悦子さん(ブリッジ エーシア ジャパン代表)

     下澤嶽さん(ジュマ・ネット共同代表/静岡文化芸術大学文化政策研究科長)

【日時】7月21日(土) 13時30分から16時  

【場所】文京シビックセンター 5階 会議室C  

詳細・お申込み】 こちらから 

 

*** 今回の2018年5月15日の企画ご案内状はこちら(ご参考)***

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